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美しい日本最高峰の雪山が、彼方に見える。山々に囲まれた小さな飛行場では、二機のヘリコプターが羽を回していた。身体を吹き飛ばされそうなほどの風を浴びながら、数人の外国人男女が、ヘリコプターに乗り込んでいく。
「――英語の人? 英語のアナウンス用意しないと」
「よくいる観光客ですよ。どうしても富士山を見たいそうで」
「気持ちは分かるけどさ」
ヘルメットを被り、制服を着たヘリコプターパイロットたちが機内で話し合い、機体に乗り込んだ観光客たちをちらりと見る。
何の変哲もない外国人観光客。彼らは日本観光を楽しんでいるようであり、日常会話らしきものをしながら、それぞれの座席に座っている。服装もカジュアルなもので、中には半袖を着ている人もおり、寒さは大丈夫なのだろうか。
(……観光客か)
日本の象徴が観光名所となっており、海外の人からも人気のスポットであること。それが少々誇らしく、パイロットの男性はほくそ笑むと、安全の為のベルトを装着する。
『本日は富士山観光ヘリコプターツアーへお越し頂き、誠にありがとうございます。天気は生憎の曇り空ですが、どうぞくつろぎのひと時をお楽しみください』
あらかじめ録音していた女性アナウンサーによる、機内アナウンスが流れるヘリコプター機内。
ふと、操縦席の窓の外を見上げてみる。ぶ厚い鼠色の雨雲が、遠くで見えていたのだ。
「マズイな。雷雨が来そうだ。早め、に――?」
離陸の直前であった。観光客の外国人男性が何かの魔法を発動するのが見える。魔法を向けた先が自分だと悟った時にはすでに、パイロットの男性の意識は飛んでいた。
※
黒い車が山道を走っている。助手席に座る誠次はシートベルトを装着した身体を軽く背もたれに押し付け、車の外から見える曇り空を覗く。彼方に見えるぶ厚い雲からは、どうやらひと雨来そうである。
誠次と八ノ夜と心羽は車に乗り、舗装された山道を進んでいた。
「せーじとはっちゃんと行くお買い物、楽しみ」
上機嫌で後部座席に座っている心羽は、時より誠次が座る助手席にまで身を乗り出し、誠次に声を掛けてくる。
「車を出してくれてありがとうございます、八ノ夜さん」
「なに、家にもいろいろと足りないものがある。揃えないとな」
「うわっ、心羽?」
「せーじの髪、面白い」
上からつつかれたり、優しく引っ張られたり、しばし誠次は心羽に弄ばられているのであった。
横目でそれを見た八ノ夜が「なるほどな」と何やら悟ったように、軽く頷く。
「天瀬が私とばかり話しているから、心羽はどうやら妬いているようだな?」
「心羽、なにも焼いてないよ?」
「……」
まだ心羽にそのような感情が湧くはずもないだろうに。と、こほんと咳ばらいをした誠次は、ところで、と心羽を見上げる。
「洗濯物取り込んでおいてくれたのか?」
「うん。雨が来そうだったから、はっちゃんと一緒に」
「ありがとう。天気予報でも大雨だったからさ」
しかもどしゃ降りである。とりあえず心配はなくなり、誠次はほっと一息ついて座席に深く座りなおす。
「結局、デンバコはどこにいってしまったんだろうか……」
昨日は朝と夜に探し回っていたのだが、それでも見つからなかった。
「家中探し回ってもなかったんだ。もう諦めろ」
「はい……」
「しかしお前のクラスメイトたちはさぞ心配するだろうな」
「……追伸が追伸で、余計、に……」
誠次は干からびた表情で、項垂れる。
「一体何を書いたんだ……?」
「いえ、あの、深く掘り下げない方針で、お願いします……」
「? あ、ああ……」
次第に気をつけの姿勢をしだした誠次に、八ノ夜は首を傾げつつも頷いていた。
「せーじ」
またしても、頭上より心羽がわさわさと誠次の髪を触って来る。
「心羽っ? だから、髪弄るのはやめて、くれないか……」
「心羽、お家に帰ったら、またデンバコ探す」
どこか細めた目で、心羽は誠次を見下ろす。
「ありがとう。だけどペンみたいに細長いからな……。どっか転がって行っちゃったのかもしれないな……」
「妬いてる心羽も可愛いなー」
うんうんと頷く八ノ夜は、正面をじっと見つめて運転に集中している。
――誠次たちを乗せた車を、一台の車が一定の距離を保って、付いて来ていることにまだ気づくことはなく。
峠を一つ越え、山梨県のショッピングモールへ八ノ夜の運転する車は到着する。
ショッピングモールの名称はマウンテンペア。山梨を英語で直翻訳した名前が付けられた、山梨県のショッピングモールである。あえて言ってしまえば、そのまんまである。
「広い……」
車の後部座席から降りた心羽が二つの巨大なビルを見上げ、ふさふさの耳のような両髪をぴんと立て、感動している。
山沿いに建てられたショッピングモールであるが、買い物に来るお客さんのニーズに合わせた店舗がいくつも展開しているようで、繁盛している。来客の世代も様々で、車からは楽し気に会話をしながら降りて行く人たちでいっぱいだ。
「天瀬。買い物の間、お前は心羽から目を離すなよ?」
「はい。人も多いですし、迷子になりそうですからね」
昼過ぎという事もあり、平日でも人は多いようだ。
「大きい人、いっぱいいる……」
ひとしきりを辺り見渡していた心羽が誠次の服の袖を引っ張り、どこか不安そうに言っている。
「外国人? ここら辺だったら富士山の観光に来てるんだろう」
誠次も辺りを見渡して言っていた。ざっと見ただけでも、一回りも体格の大きい外国人゛観光客゛の多さは目につく。彼らは一様にラフな格好をしており、陽気な観光客と言う印象だ。
「せっかく来てくれたのに、雨で可哀そう……」
心羽は外国人たちを眺め、申し訳なさそうに言っていた。
大きなショッピングカートを押し、誠次と八ノ夜と心羽はショッピングモールの南棟の正面入り口から、中に入った。マウンテンペア二対の棟はそれぞれ北棟と南棟に同じ大きさで分かれており、お互いにずんぐり太った長方形の形をしている。上層階に上がる為のエレベーターとエスカレーターは端に設置されており、展開しているショップも外壁に沿うようにして並んでいる。よってビルの中央部は天井まで遮蔽物もなく突き抜けた構造をしている為、一階からでも一〇階先のガラス張りの屋上の様子がよく見えた。天気が良すぎる日は紫外線を防ぐために閉め切るようだが、今日は大雨の予報。見上げれば屋上窓の先には鼠色の曇り空がいっぱいに広がっている。
「心羽、来たことあるかも……」
店内を見て回っている家族たちの笑顔を眺め、豪勢な噴水の横を通る心羽は少し感動したように言う。
「え、来たことがあるのか?」
ギターケースよろしく背中にレヴァテインの入った黒い袋をかけた誠次は、心羽に訊いていた。
「ここじゃないけど……こういうのが、ショッピングモールって、分かった……」
「連れてこられた事があるのか……」
「うん。全然、自由に歩けなかったけど……」
心羽の告白に、誠次と八ノ夜は顔を見合わせる。
「天瀬。心羽の行きたいところに連れて行ってやれ。心羽の為の金だぞ?」
八ノ夜に財布を手渡され、誠次は頷く。
「心羽。どこか寄りたい店はあるか?」
「いいの?」
「ああ。自由に見て回っていいんだ」
誠次と八ノ夜の心意気に、心羽は口を開け、目をぱあっと輝かせる。
「ありがとうはっちゃん! せーじは、貰う」
「そんな引っ張らなくても」
「あ、ああ……。貰われ、たな……」
どこか羨ましそうにカートをぎゅっと握る八ノ夜がぽつんと立つ中、張り切る心羽は苦笑する誠次の服の袖を引っ張っていく。
「せーじ。あれはなに?」
まず心羽が興味を引かれたのは、アイスクリームショップだった。看板には色とりどりのアイスクリームの写真が映し出されてあり、心羽はそれらを興味深そうに遠くからじっと見つめていた。
一番前に並んでいた子供が女性の店員からアイスクリームを受け取り、笑顔で走り去っていく。
「あれはアイスクリーム。冷たいお菓子で、寒いのに食べちゃうと身体冷やしちゃうかもしれないぞ?」
しかし、寒い日に食べるアイスクリームも乙なものだろう。
「食べてみたいか?」
「うん」
「わかった」
誠次は心羽を連れて、アイスクリームショップの前まで歩く。ライトの光が輝くガラスのショーケースの中には、美味しそうなカラフルな色合いのアイスクリームが四角い容器の中に並んでいる。
「いらっしゃいませー」
「わぁ……っ」
笑顔の定員がカウンター先から声を掛けてくる下、ショーケースに両手で張り付く心羽が髪の毛の尻尾と耳をぱたぱたと動かしている。
「あら! すっごく可愛らしいお嬢さんっ!」
女性の店員がうっとりとした様子で、心羽を見ている。
「これ髪すごいねー! どうやって束ねてるのかな?」
「!? えと、ええっと……」
店員に声を掛けられた心羽は、慌てて誠次の後ろに隠れてしまう。
「もしかして……怖がらせちゃったかな?」
「すいません」
服の袖を心羽にぎゅっと握られている誠次が、申し訳なく頭を軽く下げる。すると、心羽も誠次と同じように頭をぺこりと下げる。
「うふふ。こっちこそごめんなさい。お嬢さんの髪型は企業秘密って事で、ここの美味しいアイスの作り方も、企業秘密ですよ? 試食どうぞ」
店員はにこりと微笑みながら、スプーンですくった試食サイズのアイスクリームを、心羽に向け差し出してくる。
「ありがとうございます」
「ありがとう、ございます……」
誠次に習い、心羽はおずおずとアイスクリームのついたスプーンを受け取る。
本当にいいの? と顔を向けてくる心羽に、誠次は「どうぞ」と頷いていた。
ぱくり、と小さな口でアイスクリームを心羽は口に入れる。とたん、ぶるぶると身体を震わせる。髪の毛も身体の振動に合わせて、逆立ったようだ。
「冷たくて、美味、しい……」
「試食させてもらったし、買わないとな」
「ありがとうございます!」
心羽の幸せそうな顔と、女性店員の見事な販売技術を前に、誠次も財布のひもを解くしかない。
「ありがとう、せーじ」
「座って食べよう。こっちにベンチがあるから」
コーンに乗せられたアイスクリームを両手に持ち、誠次と心羽はベンチに座る。
「随分と広いけど、八ノ夜さんと合流できるかな……」
八ノ夜と別れて以降、彼女と連絡をとれる手段がないことに気が付いた誠次であった。
広いビルが二つ連なり、それでいて階層も屋上を含めて一〇階ほどはあるこのショッピングモールでは、偶然再会するのは難しいだろう。ふと天井を見上げれば、透明なガラス張りの屋上の先に鼠色の空が広がっている光景がよく見えた。
「まあいざとなれば、車のところで待てば大丈夫か」
「んっ」
隣にちょこんと座っていた心羽から、アイスの先端を向けられる。
「美味しいから、せーじも」
「え?」
バニラ味のアイスは、すでに先端が心羽の舌によって舐められ、とろりと溶けている。それを誠次にも味わってほしいと、心羽は差し出してきたのだ。
「俺はいいから、心羽が食べなよ」
「む……」
まだ口の中でアイスを溶かしているのか、それとも純粋に食べてほしいのだろうか、心羽は頬を膨らませている。差し出されたせっかくのアイスクリームも、心羽の熱を感じ、溶けてきてしまっている。
「じゃあ、い、いただきます」
どきどきさせられながら、誠次は顔だけを動かし、心羽の食べかけのアイスクリームをかじる。
誠次にアイスクリームを与えられた心羽は嬉しそうに髪の耳をぴんと立てると「美味しい?」と悪戯な仕草で首を傾げてくる。
「あ、ああ……」
とてつもない甘さと、ほんのちょっぴりの酸っぱさ。正直、恥ずかしさの感情が大きくなりすぎて、味わう余裕などなかった。
「良かった」
心羽は満足そうに微笑むと、再びアイスクリームを自分の口に近付け、美味しそうにアイスクリームを頬張っていた。
アイスクリームを食べ終えた心羽と一緒に、ショッピングモール内の散策を始めたとところであった。心羽がまたしても、誠次の服の袖を引っ張っている。
「どうした心羽?」
「せーじ。大きい人形が、はしゃいでる……」
二人して立ち止まり、心羽が指を指している。心羽が指していたのは、ビルの中心にあたる場所に用意されたステージだ。そこで普段、お子さん向けのショーなどをやっているのだろう。
そして今日は。心羽のご指摘通り、緑色と黄色をした何かのキャラクターの着ぐるみが風船を握り、ステージの上で奇声を上げながら、はしゃいでいる。
「やま、なっしー……?」
ファンシーな文字で書かれている看板の文字を眺め、誠次は呟く。
やまなっしーと言うのが、着ぐるみキャラクターの名前のようだ。山梨県だからだろうか、上半身は富士山を模した山の形。下半身が富士五湖を模した水色のベストを着ている。そして胸元には、山梨県の形をしたワッペンを張り付けているずんぐりとした人形だ。
「――やまなッシャーッ!」
「……」
中の人が裏声で県名を叫び、身体を懸命に動かす着ぐるみの姿を、誠次はジト目で眺める。
「き、気になるのか、心羽?」
まさかと思い、心羽に尋ねてみる。
「イエティちゃんの、お友達かもしれない」
「出発前に言ったと思うけど、ここで眷属魔法は駄目だからな?」
「うん」
心羽はうんと頷く。
誠次は、着ぐるみ人形の元へ心羽を連れて近づく。
「やまなッシャ―ッ!」
相変わらず県名を叫ぶやまなっしーは、近づく誠次と心羽に気がつくと、一段と声を張り上げていた。熱気だけは、凄まじいものがある。意味不明な上半身の動きも、増々激しくなっていた。
「うわ、興奮しだした!」
誠次が身構える。思わず背中の袋に入ったレヴァテインに手を伸ばすところであった。
「やまなッシャーッ!」
「やまなっしーっ、しか、言えないみたい。ガギグゲゴしか言えないイエティちゃんとそっくり」
心羽がステージ上のやまなっしーを見上げ、やまなっしーをじっと観察している。
誠次は心羽には聞こえないような小声でぼそりと、
「そう言う設定なんだろう……。でもこのキャラクター、どこかで見たような気もしなくはないような……」
日本におけるご当地キャラクターの歴史は長い。多少被ることもあるだろうと誠次が自分を納得させていると、やまなっしーがダッシュで近づいて来て、心羽に風船を差し出す。
「うわ走って来た……。よ、よかったな心羽」
「こ、心羽、子供じゃないから、嬉しく、ない……けど、ありがとうございます……」
むっとした心羽は少し不満そうに頬を膨らましていたが、風船は受け取る。
続いてやなまっしーは、誠次をまじまじと見ると、なんとステージを降りてまで近づいて来た。近くで見るとかなりの迫力があり、誠次は変な声を上げそうになる。
「な、なんです?」
「やまなッシャーッ!」
やまなっしーは太い腕を戸惑う誠次の肩にぽんと置き、なぜかグッドサインをしてくるのであった。
「は、はあ」
突然の事で誠次はわけが分からず、しかし反射的にグッドサインを返していた。
「やまなッシャーッ!」
誠次の反応を見て、心なしか嬉しそうなやまなっしーは一段と声を張り上げると、続いて腕を伸ばしてくる。
がっちりと、やまなっしーと誠次は固い握手。
「あ、暑苦しい……」
やまなっしーを見つめ、誠次はそんな事を呟いているのであった。
※
夜の世界を失ったとしても、トナカイが引くソリで自在に空を飛ぶ赤い服を着たおじさんの伝承は、根強く残されたままである。子供たちは思いを馳せて、遥か北の地から夜の空を駆けて来るサンタクロースを待ちわびる。
都会の街並みにはクリスマスツリーを模した装飾が至るところに見られ、まだ一か月近くはあると言うのに、世間はクリスマスムード一色であった。
人々にとって、゛聖なる夜゛と言う響きがこの世界での夜に対する、唯一の希望となっているようで。悲劇でしかない夜を、少しでも明るい展望へと変えようとしてるからこその、現在の盛大な年末行事となっているのかもしれない。
「――この世界に救いはあるのか!? その答えを知る為に、私たちは神に祈りを捧げるのです!」
神頼みもしたくなるのだろう。
ひと雨来そうな寒空の下、山積みに積まれた段ボール箱の前で、血走った目をしている男が必死に叫んでいる。しかし道行く人は男の叫びを無視し、目の前を通り過ぎていく。
「さあ、この聖書を手に取って! 皆で祈りましょうッ!」
男が道行く人に強引に、段ボール箱に入っていたぶ厚い本を渡し始める。
マフラーを巻いた男性は苦笑しながらそれを受け取り、歩みを止めることなく進み続ける。
「貴女もッ!」
「え……」
周りの通行人たちと同じように、手袋をしている男の子を連れたコート姿の女性も、それを仕方なしに受けとる。
「ママ、何貰ったの?」
「聖書、かな……。難しい本で、ママは興味ないかな……」
そう呟きつつ、女性はぱらぱらとページを捲っていく。宗教に興味はないが、聖書がどういったものなのかと言う、単なる好奇心だ。道路上にはすでに興味を無くした人によって捨てられた聖書が散らばっている。
「パパ、今年のクリスマスも帰って来てくれないのかな……」
「ごめんね雅……。でも、パパもお仕事頑張ってるから、パパを嫌いにならないでね」
「うん……。パパはみんなを守る、正義の味方なんだもん! 格好いいし!」
「そうね……」
女性――佐伯明美はほんの少しだけ不安げな面持ちで、愛する息子を見つめていた。なんだか、身体がすごく寒い。風邪でも引いてしまったのだろうかと、右手でおでこにそっと手を添える。
「きゃっ」
「ママ!?」
道端に捨てられた聖書に躓き、明美は転びそうになってしまう。
【贖罪の山羊】。躓かされた聖書の開いたページには、そんな内容の言葉が刻まれていた。゛身代わり゛や゛生贄゛と言ったあまり心地よくもない響きの文字の羅列が、そこには書かれているようだ。
「罰当たりね……」
自分が悪いわけではないと言うのに、明美はどこか申し訳なく思い、自分が持つ聖書をそっと閉じていた。
魔法学園時代の同級生であり、特殊魔法治安維持組織の分隊長を務める夫とはここ最近、連絡は取れないでいた。もちろん元魔法生として、夫の仕事の内容はよく知っているし、それを全て支えるつもりで結婚をしたのだ。
そしてお互いに奥手なのは、今もだろうか。学生時代から良くしてもらっていた先輩の男性には明美ともども感謝しており、今では子供の名前にも少し影響を貰っている。
「夏祭りは、最後の最後で少しだけ来てくれたんだけどね」
「うーん」
明美の言葉に、二人の子供である雅は、やはりどこかつまらなそうに頷く。
また大阪で事件があったとのことで、結局大好きな綿あめを食べただけですぐに仕事に戻って行ってしまった。
家にも滅多に戻らない日が続き、今は連絡も取れずじまいだ。レ―ヴネメシスが滅び、仕事が忙しいのだろうと、明美は自分でそう納得していたが。
「あれ。あの人って……もしかして」
歩道を歩いていると、見覚えのある懐かしい白髪の男性が、紙袋を両手に抱えてレトロなコーヒーショップから出てきたところに遭遇する。
明美はもしやと思い、雅を連れたまま、進行方向上にいる男性に近付いていた。
「ああやっぱり! すみません柳さんですか?」
「おや?」
声をかけられた男性は、被っていたつば付きのハットを取り、明美の姿をまじまじと見る。
綺麗に切り揃えられた白髪に、優しそうな笑顔。ヴィザリウス魔法学園の談話室のマスター、柳敏也で間違いなかった。柳は私服姿で、どうやらコーヒー豆を買いに来ていたようであった。
「お久しぶりですあの、覚えていますか……?」
「はて。最近物忘れが多くて。……冗談。武宮明美さんだね」
おとぼけをした後、柳はにこりと微笑んで、明美の旧姓と名を答える。
「覚えていてくれて嬉しいです。今は佐伯明美ですけど」
「おお、そう言えばそうだった。ご結婚おめでとう」
めでたくて良いことだ、と柳はほっほっほと朗らかに笑う。懐かしい笑顔を見れば、寒かった空気も、まるで暖かく感じる。
「まだ、ヴィザリウスで現役のようですね」
「そうだとも。小学生の孫の為にも、頑張らないとね」
卒業から一〇年以上経っていたが、向こうは年齢をまだまだ感じさせない明るさと清潔感があった。
「ところでその子は、佐伯くんとのお子さんかな?」
「雅と言います」
「……」
肩に手を伸ばした明美に紹介された雅は、ペコリとお辞儀をしてみせる。しかしどこか緊張しているのか、柳と目線は合わせられていないようであった。
「元気に育つといい。立派なお父さんのようにね」
「は、はい……」
「うん。ところで、佐伯剛くんは最近どうだい? 彼は甘い紅茶が大好きだったからね。それはそれは砂糖を入れすぎていて驚いた」
談話室をよく利用していた覚えがあるよ、と柳は明美に声をかける。
明美は少し、視線を落としていた。
「実は最近、主人と連絡が取れていないんです……。仕事が忙しいのかと思って、私もあまり気にしないようにはしているのですけど……」
「特殊魔法治安維持組織の剛くんと連絡がつかない……。確かに、心配だね」
「特殊魔法治安維持組織がどういう組織かよく知っている私にすれば、なおさらで……」
明美は胸に手を添えていた。
「さすがに私も特殊魔法治安維持組織の事までは分からないかな……」
「あ、変な事を言って申し訳ございません……。荷物重たそうですし、私お手伝いしますよ」
「ありがとう。けれど、お気持ちだけ受け取ろうかな。心配ご無用だよ。サンタクロースも頑張っている事だろうし」
柳は張り切るように紙袋を持ち上げてみせ、お茶目に微笑む。
その姿を見た雅は、期待に胸を膨らませたようで、笑顔を見せていた。
「二人ともメリークリスマス。良い年末を」
そして、軽く片手を挙げて別れの挨拶をしていた。
「メリークリスマス!」
明美が深々とお辞儀をする横で無邪気な笑顔を見せる雅は、両手を大きく振っていた。
「さあ、パパの為にケーキ予約しないと」
「イチゴのケーキ! パパにてっぺんのイチゴ取られる前に俺が食べる――」
「そうね――」
親子は手を繋ぎ、笑顔で会話をしながら人混みの中へと消えていく。
※
煌びやかな宝石が並ぶ高級ジュエリーショップの一角にある、婚約指輪コーナー。クリスマスに向けて籍を入れようとしているおめでたいカップルたちに混じって、心羽はそこにいた。
反射するほど綺麗に掃除された透明なショーケースに、自分のほんのりと赤く染まった顔が映り込む。
「あらぁ、嫌だわぁ。可愛らしいマドモアゼルねぇ。迷子かしら?」
どうしてか、男の人なのに女の人のような口調で話し、身体を少し気持ち悪くくねらせている男性店員が、心羽の前で両手を合わせる。
「あの、これ、欲しいです……」
分厚いガラスのケースに入った婚約指輪をじーっと見つめ、心羽は指をさしてみせる。
「あらぁ、嫌だわぁ随分とお早い。マドモアゼル意外とイケずな、オ、ン、ナ、ノ、コ?」
「いけず? 心羽は心羽」
きょとんと、心羽は首を傾げる。
「今のマドモアゼルはまるで迷える子羊ちゃん。どうしてこんなところに迷い込んじゃったのかしら?」
「結婚するのに、必要だって、はっちゃんが夜にお酒飲みながら言ってたから。すごい、赤い顔で」
「マドモアゼル貴女騙されてるわよ。大事なのは相手を思う、キ、モ、チ」
指をくねくねさせ、男性店員は店員にあるまじき格言を述べる。
「――でもまぁ……ぶっちゃけ金よね。悲しいけど人って、そう言う生き物よ」
続いて、ふぅとため息をして遠くを見つめている男性店員。声音も女々しいものから男性特有の低い声に変わる。それを聞いたのか、すぐ横で楽し気に会話をしていたカップルのすべての行動が、残酷なほどぴたりと止まっている。
「?」
先ほどから何を言われているのか心羽にはよくわからず、ひたすら首を傾げていた。
「あらイケない私ったらっ。マドモアゼルの前でなーんて夢のない一言を。すっかりオバサンだわ」
元の(?)言葉遣いに戻った男性店員は、胸ポケットからメモ帳とペンを取りだす。
「でも今の貴女じゃまだこの指輪は買えないわマドモアゼル。けれども予約は出来ちゃうのよ。これは私のほんのお詫びの、キ、モ、チ」
「予約……?」
「マドモアゼルがもう少し世間の荒波に揉まれた後、またここにいらしなさいな。この指輪は私がとっておいてあげる」
かちかちとペンをノックしながら、男性店員は告げる。
「心羽、まどもあぜるじゃなくて、心羽――」
「マドモアゼル。貴女のお名前をフルネームでお願いするわ」
終始相手のペースのまま、心羽は思いついた名前をそのまま告げる。
「……天瀬、心羽」
ぼそりと、顔を真っ赤にした心羽が言った途端、男性店員は一瞬だけ溜めの間を作った後、華麗に両腕を挙げて見せる。
「合わせればまるで天使ッ! まさしくそうね!? 良い名前ねマドモアゼル! 私、気に入ったわ!」
店のBGMさえ打ち消すような大声が響き、心羽は思わず耳を覆う。先ほどまで横にいたカップルは、忽然と姿を消している。
「だからまどもあぜるじゃなくて心羽――」
「マドモアゼル! この指輪は私が命に代えても守り抜くわ! だから必ず将来を約束した男の子と受け取りに来なさい! 私との約束よッ!」
「はい……ありがとう、です……まどもあぜる……」
最終的に何かの挨拶の一種なのだろうかと勘違いした心羽は、お辞儀をしてからジュエリーショップから離れていく。
すぐ隣のお土産屋さんで、誠次が買い物をしていたのだ。
ジュエリーショップと比べるとあか抜けた雰囲気が漂うお土産屋の中、誠次を見つけた心羽は駆け寄る。
「心羽? 何か探してたのか?」
あごに手を添えていた誠次が訊いてくる。
「うん! せーじには、まだ内緒!」
「まだ? 今度教えてくれるのか?」
「う、うん……」
やっぱり少し恥ずかしく、心羽は誠次の真横に立っていた。なぜだか心臓がこくこくと痛いほど鳴っている。
一方で、冷静な誠次は何かを探しているようだ。
「せ、せーじは、何探してるの?」
「ああ、クラスメイトにお土産。一か月間も留守にするし、せっかく山梨県に来たしさ。……あと、お詫びの粗品かな……」
話していくうちになぜか沈んだ口調になっていく誠次の横顔を、心羽は不思議に見つめていた。
「やまなっしーの熱血ストラップか。これはいいかもな……」
再びあごに手を添えて、ぶつぶつと呟き始める誠次の真横で、おそらくそれを貰っても誰も喜ばないだろうと、心羽は直感していた。




