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魔法世界の剣術士 上  作者: 相會応
東の魔女が消えた
160/211

6

 球技大会を終えたルーナはクリシュティナに、天瀬誠次あませせいじが向こう一か月間、帰ってこないと言う事を伝えていた。

 汗を拭くためにタオルを肩に回す二人は、学生証で購入したスポーツドリンクを飲み干す。

 時刻は昼過ぎ。二人がいる中庭には、他にも球技大会の激闘を終えた生徒たちが楽し気にお喋りをしながら、それぞれの寮室へ向かっている。

 そんな中でも、二人の表情は浮かないものであった。


「ルーナ……。私たちの状況を、まずは落ち着いて整理しましょう……」

「ああ……。そうしないと、駄目な気がする……」


 二人してぼうっと青空を見上げてから、ロシア語の会話をする。


「私たちは、剣術士と直接会うために、ロシアから来た……」

「でも肝心の剣術士は……一か月間行方知れず……」


 ……一体どうすればいい? 二人して途方に暮れ、しばし動けないでいた。簡単な、とまではいかないでも、会うこと自体は楽にできると思っていたばかりの、このザマだ。これではそもそも、この学園へ転校した意味がなくなる。


「そう言えばクリシィ。テニス、随分と満喫したみたいだな」


 汗をかいたようであり、タオルで顔を拭っていたクリシュティナを、ルーナが嬉しそうに見る。

 クリシュティナははっとしたように、汗を拭いていたタオルを顔から遠ざけた。


「い、いえ……。結局、私が足を引っ張ってしまって負けてしまったのですけれど……」

「あ、いた」

綾奈あやな……?」


 二人に掛けられた声に、クリシュティナが反応する。


「サクラブラックも……」


 黒髪に花の髪留めを添えているクラスメイトの姿も見え、ルーナは呟く。


「サクラブラックってあたしの事!? でもちょっと、格好いいかも……」 


 体操着姿の篠上と桜庭が、二人の元へやって来ていたのだ。決して狙っているわけでも、そのような衣装でもないはずだが、二人の体操着姿は中々の見応えがある。


「球技大会は、残念でしたね……」


 クリシュティナが残念そうに言う。盛り上がりこそしたが力が及ばず、結果として1-Aは四種目のうち、どこでも優勝は出来なかった。


「申し訳ない。みんなは勝利を期待していたと言うのに……」


 悔し気に握りこぶしを作るルーナを見て、篠上と桜庭は困ったように顔を見合わせている。


「あはは……。負けちゃったのは確かに悔しかったけど、でもあたしたち、そんなに気にしてないよ?」

「うん。仲良くなれるかどうかが大事だったし」


 桜庭が言い、篠上も頷いている。


「……」

「……」


 ロシアから来た二人組は、その感覚を不思議に思い、何も言い返せなくなっていた。

 

「あ、でね本題! 今日この後、みんなで打ち上げしないかな?」

「打ち、上げ……?」


 指をぴんと立てた桜庭からの言葉を、ルーナが同じく日本語で復唱する。


「宴会の事です。畳の上でみんなが料理をたしなむ、パンフレットにも載っていたあれです」


 ぼそりと、クリシュティナが耳打ちする。

 ぴんと、ルーナは閃いたようにコバルトブルーの瞳を上へ向ける。


「畳……? 畳、なら私の家でするのが良いだろう!」

「た、畳ってルーナっ!?」

 

 組んでいた腕を離し、ぴんと人差し指を立てて提案したルーナに、クリシュティナが慌てる。


「ルーナさんのお家行けるの!?」


 篠上が目を輝かせるが、クリシュティナが何としても家への来訪を阻止しようと、身振り手振りを交えて立ち塞がる。


「姫さ……っ。ルーナの何が狙いですか!?」

「ね、狙い? 狙いと言うよりは仲良くしたいだけなんだけど。……あと、ルーナちゃん、ファンだって言うし……私たちも天瀬の帰りを待ってるって言うか……」


 大きな声では言えないようで、篠上は周囲を気にしながら言ってくる。後半に至っては何を言ってるのか、よく聞き取れなかった。


「いいじゃないかクリシィ。これは情報を得れるチャンスかもしれない」

「「情報?」」

「に、日本文化の事だ!」

  

 二人が首を傾げたのを、ルーナが慌てて訂正する。


「そうは言っても、姫様の今の自宅は六畳間であって……」

 

 そこまで言うと、もしや、とクリシュティナは二人の同級生を見る。


「予定される参加者の人数は?」

「私と莉緒りお千尋ちひろ詩音しおん。いい機会だし六人で楽しめたらいいなって、莉緒と話していたの」

「ろ、六人ですか……」

「一人一畳だな」

「ルーナは単純計算しすぎです……」


 丁度いい、とあごに手を添えてうなるルーナに、クリシュティナが眉をピクつかせてツッコむ。

 尚も渋っているクリシュティナに、ルーナが苦笑しつつ、ロシア語で声を掛ける。


「いいじゃないかクリシィ。それに大事なのは部屋の広さじゃない、おもてなしの心だ。日本人のようにな」


 えへんと胸を張っているルーナを、クリシュティナがジト目で見る。良い事言ったと思っているのだろう、と。


「しかし、それではルーナの面子が……」

「今は同じ姫と使用人でもなく、同級生だろう? それに剣術士の情報が手に入らない今、何よりもの情報源だ。仲良くしておいて損はない」

 

 にこりと微笑むルーナの今の姿は、慈愛に満ちた姫君と言う佇まいであった。必ずしもそれが、亡国の祖国の為になるとは限らなかったのだが――。


「……」


 クリシュティナは反対の意見を呑み込み、ルーナの言う事に大人しく従う。


「あの、無理そうだったら大丈夫だけど……」


 桜庭が心配そうにこちらを見つめて、言ってくる。

 くるりと振り向いたクリシュティナは、首を横に振っていた。


「いえ。せっかくのお誘い、承諾します。ありがとうございます」

「やったっ。鍋の食材とお菓子とかは、あたしたちで全部用意するね」

「家の住所教えてくれるかな? 大丈夫?」

「構わない」


 ルーナは篠上に自宅の住所を教えていた。

 家に帰る前に、こちらもおもてなしをしなければと言ったクリシュティナが、食材の調達にデパートに向かっていた。当然、ルーナも一緒にデパートまでついて行く。


「ルーナのせいですからね……。こうなったら、手伝ってもらいます。゛おもてなし゛、ですよ?」

「承知の上だ。してクリシィ……暴力的なまでにマヨネーズが並んでいるぞ……!」


 日曜日の主婦たちに紛れ、ヴィザリウス魔法学園の制服を着た二人の女子高生がデパートの地下一階にてカートを押す。驚くべきことにこの国、つい最近までは魔法学園生だけが制服で外に出ることを禁じられていたそうなのだ。なんでも、学生たちが学生を起こして国会を動かしたとか。

 戸棚に並んでいるマヨネーズの羅列に、ルーナが目を輝かせて興奮している。ルーナは子供のころからこのような場所に来たことがなかった為に、新鮮に見えるのも当然だ。


「……六人分、ですか。小麦粉も卵も多めに必要ですね……。来客者には、失礼のないようにしないと……」


 あごに手を添え、クリシュティナがぶつぶつと呟いている。


「ルーナ。この食材を探してきてくださいませんか?」

 

 クリシュティナは魔法で浮かべたロシア語の文字をノートに貼り付け、紙を器用に千切ってルーナに手渡す。


「了解した」


 ルーナはそれを受け取り、頷きながら一人で歩いていく。クリシュティナは献立をぶつぶつと呟きながら、ルーナとは別方向へと歩いて行った。


 ルーナは買い物客に紛れながら、クリシュティナに頼まれた物を探していく。

 

「塩コショウは……。あんな高い所に設置してあるのか……」


 段々と、学んだ日本語が役に立っているのを感じるところだ。

 戸棚を見上げ、ルーナはすぐに目的のものを確認していた。塩コショウがある段は自分の身長よりははるかに高く、近くに設置されている梯子を使うか、魔法で運ばないと届かないような高さにあった。


「値段にバラつきがあるな……。どうせなら、一番高級なものにしよう――」


 しかし、ルーナはそのどちらも使用しなかった。


「――よっと」


 その場で軽く息を吸い、また軽い助走でジャンプをし、塩コショウの瓶をキャッチし、華麗に着地をしてみせる。銀色の髪が優雅になびいていた。


「ふふんっ」


 自身の跳躍力を使い高価な塩コショウを獲得したルーナは、塩コショウの瓶を手元で得意げに回転させる。


「お姉ちゃんすげー!」

「ん?」


 五歳児ほどの、小さな男の子が、ルーナを見て目を輝かせていた。


「もう一回やって! もう一回!」

「こ、こらっ。ガーターベルトを引っ張るな!」


 制服のスカート下にある太ももの黒い紐を引っ張られ、おねだりをされてしまう。ルーナは習得した日本語で応じる。

 

「見世物ではない。やめるんだ」


 ルーナは男の子の手を解き、さっと離れる。


「うう。じゃあお姉ちゃん、ママ知らない?」


 男の子はどこか寂し気に、そんな事を訊いてくる。


「お母さん、だと? 君とは初対面なのに知るわけないだろう」


 ルーナは困り顔で応じるしかなかった。


「ママ、迷子なんだ。それで俺が探してるんだけど……」

「? いや、迷子は君の方じゃないのか……」

 

 ルーナの的確な指摘に、男の子はむきになって反論する。


「ママが迷子なのっ! 俺は迷子じゃないっ!」

「わかったわかった。一緒に探してやろう。どこで迷ったんだ? 君……じゃなくて、君のお母さんは」


 ルーナが仕方なしに言ってやると、少年はどこか安心したように、ルーナを見上げる。


「こ、こっち……」

「きゃっ!? だ、だからガーターベルトを引っ張るな!」


 年相応の女子のような反応を一瞬だけしてしまったルーナは少年に引っ張られ、デパートの中で母親探しを手伝う事になってしまった。


 一方。クリシュティナは今になって、自分が無意識にしてしまったことの重大さに気づいていた。


「し、しまった……。無意識だったとは言え、姫様を一人ぼっちにさせてしまうとは……!」


 大量の食材を乗せたカートを押しながら、クリシュティナは慌ててデパートの地下一階を捜索する。いくら世間慣れしていないルーナと言えども、さすがに会計をしないで階層を越えることはないと言う常識がある事を信じ、同じフロアを重点的に捜す。

 しばらく探していると、何やらエスカレーター出入り口の方が騒がしい。カメラを持った大人たちと、人だかりができている。


「――スタジオの皆さんやってまいりました! お昼の情報バラエティ番組! 電撃テレビショー! 今日はここ東京のシグマビルの地下一階、人気男性アイドルの大垣耕哉おおがきこうやくんとやって来ています!」

「こんにちはーっ。大垣耕哉です!」


 どうやら日本のテレビジョンの生放送のようだ。買い物をしているおばあさんたちがきゃあきゃあと叫んでいるが、クリシュティナは興味もなく、ルーナの捜索を続ける。


「――では今日はここで、この僕が一般市民の皆さんに質問をしていきたいと思います!」

「お願いします大垣さん!」

「質問のタイトルはズバリ、なずな政権について!」

「これまたきわどい質問だ! 最近、話題ですからねぇ!」


 現状の日本の政治の事についてなら、なんとなくだが把握している。支持者と不支持者の溝がかなり大きい事になっているようなのだ。薺総理を信じる者は革命を信じ、嫌いな人は徹底的に嫌うとのこと。しかし、自分たちにはやはり関係のない事だ。

 

「うーん。あ、そこの女子高生ちゃん! 茶髪の!」


 ぎくり、とクリシュティナは身体を硬直させる。聞こえていないフリをして、ゆっくり遠ざかろうとするが、男性アイドルとやらは颯爽さっそうと駆け寄って来る。


「ぎろ……」

「あれ、もしかして睨まれてる……?」


 極めて不愉快そうな目をしてみたが、さすがはその手の業界で働いているだけはあるのか、男のメンタルはその程度では砕けないようで。


「じ、じゃあ今日の一番は君! 君は、薺政権についてどう思う?」

「わかりません」

「えっ、プーミン、パイ……? 中国語!?」


 どちらかと言えば東洋系の顔立ちであった為、日本人と勘違いされたのか。中国語で応戦したクリシュティナに、取り囲んできた番組スタッフ一同が慌てる。おそらく、放送事故でも起こした気分なのだろう。


「えっと……。僕の事、知らない? 女子高生の間じゃ、結構人気なんだと思うんだけど……」

 

 男性アイドルの発言に、スタッフたちの笑い声が重なる。

 クリシュティナは首をふりふりと横に振っていた。


「知りません」

「や、やーにぱにまーゆ……? 今度は何語!?」


 ロシア語でさらなる応戦をしたクリシュティナはとうとう、日曜お昼のバラエティ番組に勝利する。「失礼しました……」と遠ざかっていくカメラクルーたちの背を見送ると、クリシュティナの中で華々しい勝利のテーマ曲が流れていた。


「ふ、勝った……」


 小さくガッツポーズを決め、クリシュティナは満足気に挽肉のパック(お買い得品)を握りしめていた。

 

「――私は反対です……」

「おや随分ストレートだねぇ? その心は?」

「あの、忙しいので、これ以上は……」

「貴重な反対意見なんですよ奥さん。もう少しだけ!」

「困ります……。今、忙しくて」


 何やら新たな被害者が出ているようだが、自分がどうこうできるものではなく、これ以上関わりたくもない。ルーナ捜索を続けるクリシュティナは、改めて周囲をきょろきょろと見渡す。

 しかし、見えて来るのは、こちらに怒涛の勢いで迫り来る下町のオバサマたちの群れだった。


「耕哉くんよーッ!」「こっちにいるわ!」「抱きしめたいッ!」

「え、え!?」


 カートを押すクリシュティナもまた、オバサマたちにもみくちゃにされ、大混雑の中へと飲み込まれていく。

 

「おっと、耕哉くんのファンの方々が大挙して押し寄せて来たぞーっ! ここは退散だ! スタジオの皆さん、後は頼んだよ!」


 テレビ関係者たちが逃げていくと、オバサマたちも砂煙を起こす勢いで追いかけていく。

 最終的にクリシュティナは、黄色いライトの光が照らすてんぷらが美味しそうに並べられている、惣菜コーナーまで運ばれていた。


「凄まじい勢いのオバサマたちでした……」


 ほっと一息ついたクリシュティナは、誰かの眼鏡が落ちていることに気づく。


「先ほどの騒動で、誰かのが落ちてしまったようですね」


 そして、黒縁眼鏡を探すのは、先ほどテレビのインタビューを受けていた女性のようだった。女性は困り果てたように、惣菜コーナーを捜索している。探し物を探すさまはまるで今の自分と同じようで、クリシュティナは眼鏡を届けてやった。


「あ、ありがとうございます」


 女性は長い髪をかき上げてから、眼鏡を拾ってやったクリシュティナに頭を下げて来る。既婚者なのだろうか、ライトの光を受けている眼鏡を受け取る薬指の結婚指輪が、光っていた。


「いえ。私も被害者の一人ですから」

「テレビの取材、しつこいですよね……。あ、重ねるようで悪いんですけど、これくらいの男の子を見ませんでしたでしょうか?」


 女性は自分の腰回りまで手を向ける。幼稚園児くらいの迷子だろうか、心当たりがないクリシュティナは申し訳なく首を横に振っていた。

 

「実は私も人探しをしているんです。私と同じ制服を着た――」

「ヴィザリウス魔法学園の生徒ですね? 私、昔ヴィザリウス魔法学園の生徒だったんで、分かります」

「あっ。はい」


 どうやらこの女性、ヴィザリウス魔法学園の卒業生だそうだ。この場合、先輩になるのだろうか。クリシュティナは口を結び、律儀にお辞儀をしていた。


 ルーナと(迷子の)子供は、一緒に鮮魚コーナー付近を歩いていた。新鮮な銀色の魚が並んでおり、オホーツク海産と言う単語に目線を奪われつつも、ルーナは少年にく。


「母親の外見的特徴はなんだ?」

「がい、けんてき、とくちょう? お姉ちゃんの使う日本語、難しいよ。言い方も変だし」

「仕方ないだろ。まだ練習中なんだ」

「練習中だったとしても、そんな怖い言い方じゃないよ、日本語は」

「言い方は癖なんだ」


 ルーナの伝えたかった言葉は、やがてどうにか少年に伝わる。


「見た目は……眼鏡かけてる」

「ごまんといるぞ……。他にないのか?」

「……魔法使い」

「外見で特徴がつかない。若いんだな」


 ルーナはジト目で少年を見て、やれやれと肩をすくめる。

 

「じゃあ、パパ!」

「お父さんもいるのか?」

「パパ、すっごく有名人だから。悪い人捕まえる魔法使いなんだ!」


 日本語の扱いでも悪かったのか、少年の話は脱線し始めていた。


「警察の事か?」

「ううん。特殊魔法治安維持組織シィスティム!」

「初耳だな」

 

 ロシアで言う特務部隊スぺツナズのようなものだろうか。

 少年は父親にとても憧れているようで、父親の話をしだすと止まらなかった。偉大で、尊敬できる父親を持つと言う点では、ルーナも同じであったのだが。


「お姉ちゃんは、お買い物?」


 少年が、ルーナが手に持つメモ用紙を見つめている。


「む、ああ。バターはどこにあるか分かるか?」

「俺知ってるよ。ここよくママと来るんだもん!」


 少年は得意げに言っていた。


「失礼。今は迷子だったな。君の親を探してからにしよう」

「だ、だから迷子はママの方なんだって! こっち!」


 少年の協力もあり、ルーナはお目当ての食材を手に入れることが出来ていた。値が張るものばかり選んでいたが、ルーナからしてみれば、同級生を迎えるのに質素なものではいけないと思ってのものだ。


「? クリシィからメールだ」


 制服ポケットに入れてあった電子タブレットの振動を感じ、ルーナは取り出してみる。サービスカウンター前で合流しましょう、とのことだ。


「サービス、カウンター?」

「ああ知ってる! 迷子呼び出すところ! こっち! ママ゛が゛迷子だからそこにいるんだよ!」

「迷子は君……。……まあ、いいか」


 食材を揃えてくれた礼もある。ルーナは両手で抱えた食材や調味料を落とさぬように注意しつつ、少年の後を追っていた。

 無事にクリシュティナと合流したところ、なんと少年の母親とも会う事が出来た。少年は母親との再会に喜び、周囲の目も気にせず母親に抱き着いていた。


「良かったな。母親と再会できて……」

「ルーナ……」


 クリシュティナがルーナの肩に手を添えていた。

 ……この後、高価なものばかり買ったことへのお叱りが、ルーナを待ち構えていたのだが。


                    ※


 ログハウスにて、誠次せいじ心羽ここはに勉強を教えてやっていた。

 木造りの机の上にホログラム映像を浮かべ、小学生用の教材を誠次は出力してやる。八ノ夜が用意してくれた教材だ。


「ににんが、し……にさんが、ろく……」

「指が足らなくなってきてないか?」

「う……。せーじも、手伝って」

「了解」


 目の前に浮かび上がっている青白い画面をタッチし、スライドする。空に浮かんだ数字が回転し、九九の計算式を浮かび上がらせていた。


「せーじと勉強するの、楽しい!」

「教え方には自信があるんだ」


 結果、追い越されてしまったが。心羽と一緒に指を伸ばし、誠次は得意げに微笑んでいた。

 心羽も香月こうづきと同じく、勉強をする機会がなかったようだ。それも香月と違って、小中学にも行っていないと言う。分かるのは、魔法学のみ。

 こうなれば家庭教師の気分で、誠次は心羽の横に座って勉強を教えていた。


魔法文字スペルじゃない、漢字のお勉強も楽しい……」


 厳密には外国語だが、まるで漢字が外国語のように、心羽はノートを見つめ、新たな知識を前にわくわくしている。

 机の反対側では八ノ夜はちのやが三人分のお茶を淹れてくれたところだ。


「国語とはいえあまり天瀬の口調は真似するな? 高校生にしてはおっさん臭い」

「貴女のせいですよね……」


 かしこまったと言うか、硬い口調になったのは、八ノ夜のせいもあると思う。夏にはそれで桜庭さくらばの友人たちには爆笑されてしまったが、自分でも自分の口調が周囲の高校生男子と微妙にズレている事の自覚はある。かと言って、今さら直すことなどはしないが。


「もっとも私は好きだがな。心羽は真似しちゃ駄目だぞー」

「でも、心羽もせーじの話し方、好きだよ?」

「心、羽……」


 天使の笑顔を向けられ、誠次は感極まって目元を抑えていた。この調子ならば、どうにか一か月間を乗り越えられそうだ。

 テレビからは、お昼の情報バラエティー番組が流れている。何やら男性アイドルが、デパ地下を案内する中継のようだ。

 勉強中であったが、心羽はデパ地下の光景を見て、目を輝かせていた。耳と尻尾も、ぱたぱたと動いている。


「食べものが、いっぱいある……。人も、たくさん……」

「八ノ夜さん。今度、ショッピングモールに行くのはどうです? 近くに新しいショッピングモールが出来たそうなんです。福田ふくださんが言ってました」

「ショッピングモールか……。名案だな」


 胸の前で腕を組み、八ノ夜もうんと頷いていた。

 数日後、八ノ夜と心羽と一緒に山梨県に新しく出来たショッピングモールに行くことになった。


              ※


 台場、特殊魔法治安維持組織シィスティム本部――。

 ロッカーにかかっていた黒いスーツを羽織り、歩いて鏡の前へ。途中何人か自分と同じ様相をした仲間たちとすれ違うが、誰も顔を合わせはしない。その主な原因は、苛立ちであった。

 鬱蒼(うっそう)とした空気が充満しているロッカールームで、特殊魔法治安維持組織(シィスティム)第七分隊隊長の佐伯剛(さえきつよし)は、鏡の前で顔を洗う。

 洗面台に置いた電子タブレットには、今も電波が入る気配がない。


「ごめんな明美あけみ。このままでは今年のクリスマスも帰れそうにない……」


 これでは電子タブレットを持っていないも同然であった。

 メールでのやり取りも出来ずに、剛は端末を胸ポケットに押し込み、ロッカールームを出る。


志藤しどう局長は何を考えて、部下への指示を禁止する命令を出したんだ……)


 これでは、有事の際に行動できないも同然だった。政府関係者たちとやらが、特殊魔法治安維持組織シィスティム本部に一週間近くいるのも、納得できない。署内では、局長に対する不信感や苛立ちが、積もりに積もってしまっている。中には分隊ごと局長の命令に背いて行動を起こそうとした隊もある。

 程度の差こそあれ、元々正義感の強い者が集う組織だ。彼らの気持ちも分からなくもないが、早急すぎる行動は組織の瓦解を招く。――多すぎる人の死をこの目で見てきたため、達観することもあるのだ。

 

「――おい、早くしろ」

「――分かってる」

「? ――っ」


 彼方から聞こえた会話に聞き耳を立て、佐伯は咄嗟に《インビジブル》を発動する。自分の身体が一瞬で魔法の光に包み込まれ、他人から見られることはなくなる。

 小走りでやって来ていたのは、二人組の政府関係者だった。黒いスーツを纏った二人は、ちょうど佐伯を中心に間を空けて、左右を素通りしていく。


(お前たちのお陰で、どうせ仕事も無くて暇だ。尾行でもさせてもらおうか)

 

 佐伯はすぐに振り向き、二人の後を追う。照明の光を受け、薬指の結婚指輪がきらと光っていた。

 夏の終わりにはやしと交わした会話を思い出すこともなく、佐伯は足を踏み入れて行く――。

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