5 ☆
翌日、日曜日。普段は週に一度だけの休日となる日曜日だが、球技大会開催の為に休日の午前中が潰されていた。一部生徒にはそれを不満に思う者もいるが、基本的に学園行事に飢えている生徒たちには概ね好意的に迎えられていた。学園内で行う小さな体育祭のようだ。
初日ほどの騒動には至っていないが、二人のロシアからの転校生にまだまだ視線は集中している。
そんな中、転校生が迎えた日本の魔法学園の二日目は、学年別球技大会の日である。三学年合同で開催され、一学年生は、第三体育館とグラウンドでの競技となっている。
「く、クリシィ……どう言うことだ」
「まさか、こんな事態になるとは……」
白色の半袖に紺色の膝丈パンツの体育着に着替えたルーナとクリシュティナは、1-A教室でただただ絶句していた。
剣術士――天瀬誠次が今日もいない。肝心のターゲットの姿が、今日も確認できていないのだ。
「ともかく、私は綾奈と千尋と再び接触します。あの二人、どうにも剣術士と近い関係にいるようで」
「女子の知り合いが多いんだな……分かった。私は引き続き銀髪月を追う。場合によっては銀髪月と一緒にいた黒髪桜も尋問する。あの二人も剣術士の事について何か知っているようだった」
「えっ、しるば、むーん? さくら、ぶらっく?」
クリシュティナが目を点にして戸惑うが、ルーナの中では気に入っている。特に月とは、運命を感じざるを得ない。
「で、では今日一日で、必ず剣術士の情報をクラスメイトの女子たちから聞き出しましょう。保健室にもいないとなると、どこかの病院にいる可能性が高いです。場合によっては、病院に直接向かう事も考えないと」
「しかし万が一病気の身だった場合、任務は延期に……」
剣術士の身も案じなければ。それに六畳間での生活やこの学園の生徒として過ごすのも悪くはない。とルーナは、クリシュティナに伝えようとするが。
「私たちの祖国の為ですルーナ! 剣術士の身は関係ありません!」
クリシュティナはルーナを睨んでいた。彼女の赤い怒りを宿す顔は、もはや普段の愛嬌のあるものではなかった。祖国を失い、復讐を誓ったメイドが見せる、鬼気迫った顔だ。
「クリシィ……」
そんなクリシュティナを前にしてしまうと、いつも自分が甘い考えをしていると思ってしまう。ルーナは項垂れていた。本当は分かっている。自分たちには、これしかないという事は。そこに剣術士の意思は決して介在しない。
「――っ!? も、申し訳ございません姫様! 私が、立場を忘れてしまって……」
素に戻ったのかクリシュティナは、慌てて頭を深く下げて来る。
「本当に、申し訳ございません……」
「クリシィ……。……大丈夫だ。必ず剣術士の行方を調べよう。私たちの祖国の為に」
クリシュティナの落ち込む姿を見てしまえば、上に立つ者としての自覚を改めて理解する。
ルーナはクリシュティナの為にもと、右手で握り拳を作っていた。
体育館では、バスケットボールが弾む音と、シューズが床を擦る音が聞こえて来る。
「あの転校生……何者!?」
観客となっている他クラスの女子たちが、見惚れている。
前線でボールを受けた体操着姿のルーナは、素早い身のこなしで、相手クラスである1-Bの女子が守るコートを蹂躙していた。
銀色のロングヘアーを靡かせ、しなやかな跳躍力を使い、華麗なレイアップシュートを決める。そうすれば、女子生徒から黄色い声援が送られた。
ボールが流れ、中立の状態になる。そうなれば、それぞれのチームから代表者が一人出て、ジャンプボールにてボールの所有権を決める。
「こっちには次期バスケ部主将候補がいるのよ!」
相手チームのショートヘアー女子が叫ぶ。彼女らにも、バスケットボール部としての意地があるのだろう。1-Aの代表は、すでにエース級の活躍を見せているルーナであった。
「勝負事では負けられない。名誉の為、全力で勝利を貰おう」
ロシア語で呟き、相手の女子と真正面から向き合う。異様な空気となっている二人の間で、審判の教師がボールを高く上げた。
「貰った!」
バスケ部女子がにやりと笑い、ジャンプをするが、
「――っ」
ルーナはそれよりも僅かに遅く跳躍したにも関わらず、素早い反射神経で、先にボールに手をかざしていた。
「フ」
「えっ!?」
ボールはあっと言う間に1-A側に渡り、再びルーナにパスされる。
「ルーナちゃん凄いね……」
「ええ……」
完全に自陣に引き篭もり、前線を見つめているのは体操着姿の桜庭と香月であった。二人ともバスケの腕はからっきしであり、たまにボールを受け取ってもすぐに取られてしまうか、パスしてしまうかのどちらかしか選択肢がなかった。
「あのジャンプ力、まるで足にバネがあるみたい」
「うんうん……。ドリブルも速いし、って言うか運動神経凄いね……」
今度は3Pシュートを見事に入れたルーナに、ぱちぱちと拍手すら巻き起こっていた。まさにその有様は、強力助っ人外国人である。
なによりも目につくのは跳躍力。まるで、魔法元素の抵抗を受けない天瀬誠次のようで――。
不意に弾かれたボールが、香月の元へ飛んで来る。
「えっ」
香月は驚きながら、両手でボールをキャッチしようと試みるも、ボールは目の前でバウンドし、香月の両手をするりと抜けて頭にぼむんと直撃する。
「こうちゃん!?」
桜庭が急いでカバーし、弾んだボールをキャッチ。クラスメイトに投げ返してやっていた。
「私、もう《インビジブル》で姿隠していていいかしら……?」
ボールが当たった個所を抑え、香月が恨みがましく言う。
「こうちゃんそれ卑怯!」
ルーナの並外れた跳躍力が見せる活躍により、バスケットボールの試合は終始有利な展開で進んでいた。
レイアップシュートを決めたルーナがくるりと振り向き、ふと香月と視線を合わせて来る。
やはり、こちらに何か要件があるようだ。昨日からこそこそ尾行されているのも、放ってはおけない。
香月は面白くない表情のまま、ルーナのコバルトブルーの瞳を見つめ返していた。
グラウンドでは、男子がサッカーをしている。1-A男子と対峙するのは、1-D男子たちだ。
「おいおい。天瀬誠次がいないみたいだな?」
「天瀬のいない1-Aなど、恐れるに足らず!」
「僕がみんなを勝たせてあげるよ」
1-D側コートより聞こえて来るのは、そんな男子生徒たちの勝ち誇った声だった。それもそのはずか、1-Dにはこれまた次期サッカー部主将候補の男子生徒が、キャプテンを務めているからだ。彼は今誇らしげに腕を組み、片足を白黒のサッカーボールに乗せ、ポーズを決めている。
「「「格好いいーっ!」」」
球技大会とあってか、もともとそこまで乗り気ではなかった女子も、グラウンド隅で身体を寄せ合っては1-D――と言うよりは、キャプテンの男子個人に黄色い声援を送っている。
「舐められてるな……」
1-Aのキャプテンを゛務めさせられている゛志藤が面白くなさそうに辺りを見わたしている。
「どうする志藤!? あいつは男子サッカー界の中じゃ゛フィールドの魔術師゛と呼ばれている天才だ!」
「魔術師ってっ! そりゃ俺たちもだろうが!」
後ろに控える1-A男子の解説に、志藤がツッコむ。
「おい、円陣組もうぜ、みんな」
「お、おう」
真剣な表情の帳の言葉に、志藤も振り向き、クラスメイトたちと肩を組んでみる。中心にいるのは帳だ。
「みんな聞いてくれ。アイツらは1-Aが天瀬なしじゃなにも出来ないと思っていやがる」
帳の言葉を聞いたクラスメイトたちの顔に、次々と殺気が宿る。
「お前らは、それでいいのか? 違うだろ!」
「ああ、俺たちは天瀬のおまけなんかじゃない!」
「天瀬を越えろ!」
「……」
完全に別の目的で一致団結してしまったクラスメイトたちの掛け声を耳元に浴び、志藤が眉をピクつかせる。
「ここで負けているようじゃ、天瀬には勝てないぞ! 一人一本はシュートを決めろ! それで勝てる!」
そう言う問題じゃないだろ、とツッコみたくなったが、ここは堪える。
「「「おう!」」」
「1-Aファイ――ッ」
「「「トーッ!」」」
号令の後、殺気立った顔で1-Dのコートを睨みつけるクラスメイトたち。……完全に出来上がっている。
「帳、人員の扱い上手いなお前……」
「変な物言いはやめてくれ……」
志藤が苦笑すれば、帳が困ったような顔をしていた。
「天瀬がいないことを逆に原動力にしてやがる……」
完全に目つき顔つきが変わった1-A男子生徒たちを見つめ、敵である1-D勢は若干の尻込みをしている。しかし、気合だけでは技術は覆らない。
「しょせん、アイツらにはそれだけさ」
1-Dキャプテンは軽くリフティングをして見せ、コート中心にボールを置く。それだけで見物に来ている女子たちは、そわそわと声を出している。
だが、そんな事こそが、今は1-Aの男子生徒たちを奮い立たせる起爆剤となる。
「反則ギリギリで行こうぜ……」
「タックルって、セーフなんだよな……」
「審判の目と耳を塞げ……」
「聞こえてるっての……」
志藤が仲間(?)にツッコんでいたところで、試合開始のホイッスルが鳴り響く。
早速、自陣のゴールネットを相手チームによって揺らされてしまう。1-Aにもサッカー部はいるものの、戦力差は歴然だった。志藤は「やっべー……」と呟く。しかし、黙ってやられたままというのも、それはそれでプライドが許さない。
「ま、やるだけやってやるっての」
転がるサッカーボールを見つめ、志藤は走り出す。そこで、相手チームのキャプテンと交錯した。
「君、いつも天瀬と一緒にいるよね、友達?」
するりとこちらの身体をかわし、磁石でも靴にくっつけているかのようにボールを吸い取る。
「磁石かよ……っ。ああ、一応そうだけど」
志藤は負けじと足を伸ばし、相手からボールを奪う。
一瞬だけ志藤が見せた素早い動きに、相手は目を大きくしていた。
「やるね。でも、肝心の学級委員くんはクラスの行事に欠席、か」
「そりゃ、どうも。それがなんだってんだよ」
再び相手に奪われたボールを取り返そうとするが、今度はフェイントにより、華麗に捌かれてしまう。
志藤は地面の上に倒れそうになりながらも、踏ん張る。
「いや、君はそんなポジションで満足してるのかなって。今の、サッカーぽいね」
くすくすと相手は笑ってくる。
「ああ? 全然面白くねーし、足動かすので精いっぱいで頭回んねーし……」
なおもボールを奪おうと諦めない志藤に、男子生徒は少し苛立ったのか、ボールを味方にパスする。しかし、明らかにそのボールは追いつけなさそうなスピードを見せ、コートの外へ出て行ってしまった。
「わ、悪い……」
追い付けなかった男子生徒が、キャプテンに向け謝罪する。
「気にするな。僕のミスだ」
志藤と対峙していたサッカー部の男子が優しい笑顔を見せるが、自分でボールを取りに行く素振りは見せない。結局、下っ端とも言うべき男子生徒が、ボールを取りに行かされていた。
一連の流れを見ていた志藤はなるほど、と口角を上げる。
「何を血迷ったのかお前、天瀬と自分を重ねてるみたいだけどさ……。全然ちげーよ」
志藤は踵を返し、ボールを追い掛ける。相手も追いかけるように志藤の後ろを走り出す。追いかけてるな、と志藤は確認して、大きく口を開ける。
「あーぶっちゃけ球技大会とかどうでも良かったけど変わったわ。笑わせてくれたお礼に、全身全霊かけてお前たちぶっ潰して優勝してやるっての!」
笑う志藤が恥ずかしげもなく叫び、相手チームから颯爽とボールを奪い取る。
「やるぞ1-A!? あのすかした奴らのコートにボールぶち込めッ!」
「「「志藤もやる気だ! 行け野郎ども!」」」
「マジかよこいつら……。たかが球技大会ごときで熱くなってやがる……!」
志藤を追い掛けていたキャプテンは立ち止まり、しかし女子に注目されている手前、応戦せねば面子が立たない。こうして、例年流す雰囲気があった学園の球技大会史上最高の激戦の様子を見せ始めていた。……まだ初戦なのに。
テニスボールは、ロシアでも多くのプロ選手がいる人気な球技だ。年中雪が積もった公園でも、薄着をした人たちがラケットを振るって嗜んでいた光景を思い出す。子供たちもはしゃぎ声を出して遊んでいた光景を、屋敷からじっと見つめていた。
ルーナも窓から外で遊ぶ同年代の子供を見つめ、いつも屋敷の外に出たそうにしていたっけかとも思い出す。今になってその願いが叶っているのは、彼女にとっては皮肉なことなのだろう。
盛り上がっている男子サッカーが行われているグラウンドの横で、クリシュティナは自分たちのチームである1-A女子たちを見つめる。
「日本の学級委員とは、こういう時に獅子奮迅の活躍をするものなのですね……」
赤髪のポニーテールと、金髪のツインテールが緑芝の上で息の合ったプレイを見せつけている。
魔法の扱いは得意だが、運動神経は皆無に等しい自分にとって、魔法も運動も得意だと言う二人が輝いて見えた。仲はやはり良いようで、そこだけはまるでルーナと自分のようだ。
(ルーナに、酷い事を言ってしまった……。ちゃんと謝らないと……)
地面の上に体育座りをするクリシュティナは、気落ちして顔を自分の両足に埋める。
「男子たちさっきからこっち見てない?」
「視線ばればれー」
何点か取るか取られると、ペア毎に交代するシステムだ。よって次に備えているクラスメイトがサッカーの方を見ながら、くすくすと笑い合っている。見る見ていると言う点ではお互い様だと思うが、いたって普通の女子高生らしいやり取りなのだろう。
もしかしたら、自分とルーナもあんな風に他愛ない会話をしている女子高生だったのかもしれない。好きな……気になる異性でも出来て、変な想像をしたり。しかし、もうそんな機会が訪れることもないのだろう。
国際魔法教会の任務に従う事こそが、今のルーナとクリシュティナの全てであった。
だから、だからこそ進展しない状況に苛立ってしまい、思わずルーナに牙を向けてしまった。それは先祖代々ラスヴィエイト家に奉仕することが決まっている家系の生まれとして、一生の不覚である。
「――あのクリシュティナちゃんさん。よろしかったら、次は私とペアを組んでみませんか?」
「千尋、さん……?」
視線を落としていたところに、笑顔の千尋がテニスラケットを持って駆け寄って来る。
クリシュティナは戸惑いつつも、千尋から差し出されたテニスラケットを受け取っていた。
「お父様とお母様が趣味でテニスをやっておりまして、一緒に遊んでいた時があるんです。もちろんテニス部のお方には敵いませんけど、足手纏いにはなりませんよ」
「い、いえ。私も、別にテニスが得意と言うわけではなくて……」
「でしたら、一緒に頑張りましょう! さあこっちです! エントリーしますね!」
「え、まだ、やるとは……」
先導する千尋に連れられ、クリシュティナはおずおずと後を追っていく。
体育館行われているもう一つの競技であるドッジボールでは、男子チームの苦戦が続いていた。
「ぐはあっ!?」
「っち、やはり戦力差が大きいか!」
内野コートの味方がやられ、夕島は焦り声をあげる。
「夕島さん! 残りは自分と夕島さんだけです!」
「小野寺と、俺だけ!? 危ない!」
敵陣より迫りくるボールから小野寺を守る為、夕島が突っ込む。夕島は顔面にボールを食らい、眼鏡ごと手で抑え込む。
「眼鏡は、セーフじゃないのかッ!?」
「そんな残機みたいなルールねぇよ……」
すでにやられていた神山がツッコむ中、悔しそうな夕島も外野へと歩いていく。
「夕島さんも眼鏡にボールを受けてやられ、もはや1-Aの生き残りは自分ひとり……!」
小野寺は敵陣を見渡す。敵チームは、残り三人だ。外野からの生き返りもなく、ボールはすでに敵チームに渡っている。
「みんなが自分を見ている……。負けられない……っ!」
絶体絶命の状況の小野寺は、頬に汗を流しつつも、倒れて行った仲間たちがいる外野を見てみる。みんな、勝利を信じて疑わない目をしている。
「どうして、投げてこないんですか……!?」
相手チームの内野陣は、何やら行動を停止している。
一向にボールを投げる素振りを見せない相手に、小野寺は首を傾げていた。
「当てられねぇよ……」
「女子が、バスケコートにいる女子が、めっちゃこっち見てるんだよ……!」
「こんな、弱いものイジメ出来ねぇよ……!」
はっとなり、まさかと小野寺はバスケットボールコートの方を見てみる。仕切り網に手に添えながら、何人もの女子たちが、相手チームを軽蔑するような視線や声を送っているのだ。
それも含め、目の前の男性陣たちの態度や表情はまさに――、
「女性扱いするなーっ!」
完全に戦意喪失している相手から投げられたボールをキャッチし、小野寺は怒りに任せてボールを投げつけていた。一瞬だけ、理の姿が垣間見えた気がする。
隣で行われているドッジボールの試合が、何やら盛り上がっている。
順調に勝ち進んでいる1-Aバスケットボールチームは休憩の時間に入っており、体育館の二階席で体操着姿の女子たちが、ベンチに座って一階を見下ろしたり、お喋りをしていたりしている。
「凄い。テニスもサッカーも勝ってるって!」
一階で1-Fと1-Gが戦っている最中、桜庭が電子タブレットを手に持ち、はしゃぐ。
「桜庭さん。お手洗い、行きたくない?」
辺りを見渡していた香月が、そっと声を掛ける。
「え、別に――」
「行きたいわよね?」
香月が有無を言わさぬ静かな迫力で、桜庭に迫る。どうしてもお手洗いに一緒に行きたいようだ。
「い、行きたい、です……」
「じゃあ一緒に行きましょう」
「う、うん……」
香月と共に、桜庭は第三体育館を後にする。第三体育館内にもお手洗いはあると言うのに、わざわざ棟の中のお手洗いに向かうようだ。授業でもないので、体育館は自由に出入りは出来るのだが。
一体どうしたのだろうかと思いながら、桜庭は香月の後を追っていた。
「動いたかシルバームーン、サクラブラック……。人は少ない方がいい今がチャンスだな……」
昨日から尾行を続けていたルーナは、二人の動向を見ていた為、当然のように後を追いかけていた。
香月と桜庭は何やら会話をしながら、廊下を歩いている。他の生徒は職員も含め、みんなグラウンドか体育館にいるようで、辺りはとても静かであった。
二人が曲がり角を曲がり、一瞬だけ見えなくなる。
ルーナは慌てて、二人の姿が見えるように走り寄る。
「いない……っ?」
長い通路だが、歩いていた二人は忽然と姿を消している。
慌てたルーナが角から飛び出すが、やはり二人はどこにもいない。付近に入れる扉もないのに、通路の上で姿を消していたのだ。
「どこに消えた?」
「――あの、何か用ですか?」
翻訳されたロシア語が、背後から聞こえる。
いつの間にかに後ろをとられた!? 察した時にはすでに、電子タブレットを片手に持った桜庭がこちらを睨みつけるような目をして立っていた。
「どう言う事……?」
「周り角を曲がった時に《インビジブル》を発動し、その状態で桜庭さんと一緒に立ち止まる。私たち二人の姿が見えなくなり慌てた貴女が通り過ぎた後、桜庭さんから私が離れる。貴女がただ私たちと同じ方向に向かっているだけだったと言い訳をすると言うのなら、私たちを見失った貴女のリアクションは大きすぎるわ」
後ろから、今度は香月の声がする。色々な意味で、上手くこちらの退路を断ったようだ。
桜庭に気を取られ、振り向こうとしたルーナの腕ごと、香月が発動した魔法の紐が縛り上げる。《グレイプニル》に《インビジブル》。共に並みの同い年には扱えない高度な魔法のはずである。
「っく、卑怯な!」
食い込む魔法の紐に自由を奪われ、焦るルーナは吠える。
「尾行している貴女に言われたくはないわ」
「こ、こうちゃん。流石に縛り上げるのはやりすぎじゃ……」
「私だけならばともかく、桜庭さんにまで危害を加える可能性がある。そんなことは、許さない」
二人の女子の会話を聞き、ルーナは愕然とする。
「な、私が尾行していたことが、バレていたのか……っ!?」
自分の身体を縛る光る魔法の紐を悔しく見つめ、ルーナは呻く。
「結構ばればれだったけど……」
「なんだと!?」
桜庭からの指摘に、ルーナはぱっと顔を上げる。
う、うんと桜庭は困ったような顔をして、魔法式を展開している香月と視線を合わせる。
「こうちゃん……あたしは、ルーナさん、悪い人じゃないと思うんだけど……。とにかく、どこか落ち着ける場所でお話しできないかな?」
とにもかくにもゆっくりお話がしたい。そして、こんな険悪な雰囲気ではなく、できれば仲良くしたい。桜庭はそう思い、香月に提案した。
「……そうね。次の試合まではまだ時間があるわ。誰もいないと思う談話室に行きましょう」
ルーナから見れば、日本語で何やら会話をした後、香月と桜庭は頷き合い、一歩、また一歩とにじり寄ってくる。
捕縛された姫は、ごくりと唾を飲み込み、恐怖に染まる表情を見せていた。
「あと、一応聞くけれど、本当にお手洗いに行くつもりじゃなかったのよね? それなら私たちの勘違いと言う事になるのだけれど」
「それなら安心してくれ。お前たち二人を私は尾行していた事で間違いない」
「そう、なら良かったわ。連行するわ」
「わかった。言っておくが、私は強情だぞ」
そんな会話をする二人の銀髪女子の後ろを、翻訳アプリを起動する桜庭がついて行く。
「う、うん……。どうにも危機感が、感じられない……」
平和な日本の魔法学園の廊下を、三人の魔法生が歩いていく。
ヴィザリウス魔法学園の談話室。食堂ほどではないが昼時はしばしば混むこの場も、今は柳さんも買い出しなのかいない為、三人以外誰もいない。席を確保した桜庭は香月と隣同士の席に座り、向かいの席にルーナを座らせていた。
ルーナは自分の太ももに両手を挟んで、もじもじと俯いている。どうやら、本当に自分と香月が尾行に気づいていないと思っていたようだ。
「名前はルーナ・ヴィクトリア・ラスヴィエイト、さん」
電子タブレットで生徒情報を確認した桜庭は呟く。もちろん、ルーナに許可を取っての行為だ。
「単刀直入に訊くわ。どうして貴女は私たちをつけていたの?」
刺々しい香月の言葉は電子タブレットで翻訳されて、ロシア語になり、ルーナの耳に届く。
「こうちゃん……」
桜庭は香月の横顔を見つめ、心配そうにつぶやく。
クラスメイトとしても、友達としても、香月の事が心配だ。三日前に学校に復帰した時から、何か常に周囲を寄せ付けないような、まるで出会った頃の香月詩音に戻ってしまっているようなのだ。せっかく文化祭を通じて、みんなと仲良くなりかけてきていたところだったと言うのに。
いや、半分以上は天瀬誠次の存在が大きいのだろう。だからこそ、誠次の早い帰還を願っているのだが、肝心の誠次からは何も連絡がなく音信不通。これでは誰だって不安になるだろう。
……あたしを、含めて――。
思いつめる桜庭の横では、香月が厳しい口調でルーナに尋問している。
「正直に答えないと……私は貴女を今後の学園生活で永遠に無視するわ」
「怖っ! 陰湿っ!」
ぼそりと述べた香月に、隣の桜庭がぎょっとする。
「フ。幻影魔法でもなんでもすればいい。私は絶対に口を割らないぞ」
縛られているにも関わらず、ルーナは勝気な表情と態度を崩さない。
これには香月も困ったようで、どうしたものかとあごに手を添えて考えている。
「ルーナさんは、どうして日本に来たのかな?」
「「え?」」
ふと思った桜庭の質問に、香月とルーナが同時に顔を向けて来る。二人の綺麗な銀髪がふわりと揺れていた。
「クリシュティナさんは理由を言っていたけど、まだルーナさんの口からは聞いていない気がして。もしかして、こうちゃんに用事があって来たのかなーなんて」
こうちゃんって言うのは、隣の香月さんのこと。と桜庭は手のひらをそっと向けながら、言っていた。
「゛それは違う゛」
翻訳アプリのせいなのか、否か。真剣な表情をするルーナの口から出た否定の言葉は、幾重の受け取り方を孕んだものであった。
「えっ、じゃあもしかして、あたし……?」
「それも違う」
「で、ですよね……」
そうなれば、自分が勝手に勘違いしていたようで、途端に恥ずかしくなってくる。
ルーナは桜庭と香月を交互に見つめ、何やら考え至ったように、コバルトブルーの目を細めていた。
「ケンジュツシ……」
ぼそりと、ルーナの艶やかなくちびるから出た、彼の魔術師と対を成す呼称。
「天瀬、くん……?」
「あ、天瀬……?」
ロシアからの転校生が誠次の事を呟き、それだけで香月と桜庭の二人は驚いていた。
ルーナは、桜庭と香月が天瀬の名を呟いたことにより、はっと顔を上げる。
「彼の事はロシアでも有名でな。今日も学校を休んでいるそうだが、何かあったのか?」
どうやらルーナは、ただ純粋に天瀬誠次と言う存在について興味があるようだった。
海外でも有名な男子が同級生なのは、なぜか自分でも誇らしく感じ、桜庭は小さく感動していた。
「か、彼は今日も休みよ。でも、それでどうして私と桜庭さんの後を追っていたの?」
香月の言葉がロシア語となって、ルーナの耳に届く。
ルーナの言葉はロシア語から日本語へとなって、二人の元へ届けられた。ルーナが自前の電子タブレットによって出力した、とある映像と共に。
「これって、こうちゃんと天瀬……?」
桜庭は驚く。
香月と誠次が学園の外通路を歩いている映像だ。二人が会話をしている状況的に見て、これは盗撮した映像に違いない。そこに、少々の不信感を覚えつつ、桜庭はルーナを見つめる。
「どうして、こんな動画を……?」
桜庭は尋ねる。
「ここに越してくる前、インターネットで出回っていた映像だ。日本のサムライ、とな。不快だったら消そう」
「こんな盗撮みたいな映像……消して頂戴」
香月が嫌悪感を出し、映像を消去させようとしている。
「私は個人的に剣術士に興味がある。やはり男と女がこの距離で歩いているのは、二人は恋仲という事だろう? そうでもなければあり得ない距離だ」
ルーナは白く細い指を、誠次と香月が映っている動画に指し示す。確かに二人がアップで映っている映像であるが、初見で高校生カップルと呼ぼうにも、いくらなんでも距離が離れすぎている。おおよそ、立ち話と言った距離だ。
しかし男女の交際に関する知識が疎いのか、これだけで付き合っていると誤解したルーナは、香月をじっと睨んでいる。
「こ、恋仲……っ」
桜庭は慌てて、しかし自分でもどうしてか、確認するように香月の方を見てみる。美しい銀色髪の横顔は、微かに動揺しているようだ。
「これは、あ、天瀬くんとは付き合っているとか、そう言う関係ではなくて……っ」
まさかの質問だったのだろう、さすがの香月も呆気に取られた後、慌てて言い返そうとする。
「恋仲でもないのにこんなにも男と近くにいるのか!?」
「これくらいは、べつに、普通だと思うのだけれど……多分」
香月もいささか自信がなく、戸惑った声で言葉を返している。
「付き合っていないと言うのなら、一体どう言う関係なんだ? 動画の君は少なくとも、楽しそうにしている――」
「い、いえだからその、いくらなんでも極端すぎると思うの……」
興味深げなルーナの前、顔を微かに赤く染め、香月がおでこに手を添えて悩まし気に伝えている。
「……」
桜庭はそんな会話が出来ている香月が少し羨ましく、何も言い出せない時間が続いていた。
動画はルーナの手によって完全に消去された。
「それで、二人はいつ剣術士が帰って来るのか、分からないのか?」
「メールだと、クリスマスまで帰ってこないって……」
香月が困っている。何か自分も話さねばと思い、桜庭が答えていた。
「?」
何も言い返してこないルーナを見れば、白肌の顔がみるみるうちに青冷めていっている。がくがくと、肩も震えているようだ。よほどのファンだったのか、いくらなんでもオーバーなリアクションだと桜庭は感じたが。
「クリスマスって、一か月後!? 居場所は!?」
「それも分からないんだよね……」
桜庭がとほほ、と何気なく言うと、ルーナはさらに戦慄している。
それに気づけないでいる桜庭は、何やらあごに手を添えてじっと考えている隣の席の香月を見る。
「ルーナさん、ただの天瀬のファンだったんだよ。これで安心だねこうちゃん」
「ファンと言う言い方はどこか変な気がするけれど……でも、そうね」
最後まで渋々ではあったが、香月は拘束魔法を解除する。ルーナは身体の自由を得るが、不思議そうな面持ちをしていた。
「いい、のか……?」
「別に私たちに危害を加えるつもりもないみたいだし、私たちを追っていた理由も納得したわ」
「ごめんね。なんだか顔色悪いよルーナさん? 保健室まで案内しようか?」
「いい。いい……んだ……」
ふらふらと立ち上がり、ルーナはよろめいていた。
その後のバスケットボールの試合はと言うと――。
「ルーナちゃん!?」
「いな、い……。剣術士が、いない……」
初戦の勢いはどこへやら、動きに精彩を欠いたルーナの影響もあり、1-Aは二回戦敗退をしてしまっていた。
※
富士五湖付近のログハウスの外の芝の上。洗い物は洗浄機に任せ、心羽がイエティと一緒に楽しそうに洗濯物を干している。家事を心羽がやれると言うのは良い意味で予想外であり、八ノ夜も誠次も驚いていた。
「わっ、イエティちゃん、どうしたの?」
「ゴゲ」
「家を、指差してる?」
そんな少女と獣との話し声が背後から聞こえる中。澄んだ透明な湖の水に、素早い銀色の光が反射している。
目覚めから五日後。誠次はレヴァテインを振るい、八ノ夜が操る戦国武者のような甲冑を身に纏うアオオニと、対峙していた。アオオニは日本刀を模した青白い刀を振るい、誠次の攻撃を巧みに捌く。
「隙が無い……っ! 身体も鈍っている!」
自分の身体の事は自分が何よりも分かっているつもりだ。これでは感覚を取り戻そうにも、時間が掛かりそうだ。
そんな誠次の体調など知る由もなく、アオオニはどっしりと構え、一刀のもとに誠次に斬りかかって来る。誠次はレヴァテインを構え、アオオニの一撃を受け止める。互いに鍔迫り合い、押したのはアオオニの方であった。
「力が、入らないっ!」
「太刀筋が鈍っているぞー天瀬」
「お気楽ですねっ!」
八ノ夜は家の前のベンチにジャンバーを羽織って座り、自身の電子タブレットで時間を確認している。つい先ほどまで誰かと連絡を取っていたようで、真剣な表情をしてはいるのだが。
誠次は一旦、アオオニと間合いを離すが、アオオニは誠次を追撃する。腰まですっと引き戻した刀を、突きの構えにて一瞬で、誠次の懐まで突進する。所謂、居合切りと言うものだ。
「ちっ!」
誠次がレヴァテインを持ち直し、防御の姿勢を見せる。
直前まで接近していたアオオニは刀を両手で握り締めると、誠次目がけて二発の斬撃を繰り出す。すぐさまレヴァテインを振るって反攻するが、向こうも引き際を心得ており、すぐに離脱され、カウンターをされる。
通常時のレヴァテインでは相手の攻撃を受け止めるのが精一杯であり、いかにエンチャントに頼っていたのか身をもって実感していた。
「そこだ!」
思い切り振りぬいた一撃は悠々とアオオニにかわされ、逆に日本刀の先を向けられる。お前をいつでも貫くことが出来るぞ? と言わんばかりの刃先は、事実上の勝利を宣告してくるようだった。
「……っく。負けた……」
「゛初日だ゛。今日はここまで」
負けたままと言うのは気分が悪いが、身体が追いつかない。八ノ夜の声の元、アオオニは消滅し、盛大に息を吐いた誠次は木の葉の上に仰向けの姿勢で倒れる。ばさりと、音を立てて木の葉が待っていた。
「……」
芝の上で両手を広げ、しばし動かないでじっと空を見上げていた。鳥の鳴き声が聞こえ、そよぐ風は火照った身体をほどよく冷やしてくれる。身体に張り付く素材の黒いインナーウェアは、泥と汗だらけで、洗濯しなくてはいけないだろう。
「テロは滅んだけど、まだまだ敵はいる、か……」
視線の先に広がる、果てのない空と同じようだ。例え雲が一つ消えた所で、その先の空は無限に広がっている。新たな敵の予感を、大地に身を預ける誠次はひしひしと感じていた。
※
――飛来する魔法の光は、間違いなく私と一緒に連れ添う女性を狙ったものだ。防御魔法を発動し、追手が放つ破壊魔法の魔法を、白衣姿の女性が防ぐ。
「急げ!」
「はい。ごほ、ごほっ」
咳き込む病衣姿の女性を連れだし、白衣姿の女性は敵の攻撃を食い止める。
「敵の正体は?」
「さあな。今は調べる余裕もない。私の車に早く乗れ!」
ロケット花火でも撃ち込まれるように、風を切る音がしたかと思えば、正確な魔法の攻撃が襲い掛かって来る。ここが病院の通路と言う狭い空間でもなければ、たちまち包囲されてしまっていただろう。医師や看護師と言ったスタッフや、他の患者たちはみな幻影魔法に掛けられているようで、この病院での騒動に気づく様子もない。
「《エクス》!」
深緑色の髪を束ねる白衣姿の女性は反撃の攻撃魔法を放ってから、角を曲がる。
「待て!」
「っち!」
逃げようとした通路の先からも、ばらばらの服装をした男たちがやって来ては、こちらに破壊魔法の魔法式を展開してくる。
「窓から飛び降りる! 行けるな?」
「覚悟はあります」
「さすが、隊長さんだよ」
白衣の女性はほくそ笑むと、細長い足が描く鮮やかな回し蹴りで、施錠された窓ガラスを蹴り割る。
「《サイス》!」
破壊魔法の光が到来する直前、病衣の女性と共に都内病院の駐車場へと落ちていく。
「このっ!」
白衣の女性は空中で風属性の魔法を発動し、落下の衝撃を和らげる。二人はもつれ合うようにして駐車場の花壇へと落ちていた。
「大丈夫か!?」
「ありがとうございます。急ぎましょう」
「ああ!」
すぐにでも窓から襲撃者たちは降りて来るだろう。奴らはこの病衣の女性の身柄を狙っている。そして、武力行使に出た今、身柄を拘束されたら無事で済むはずもない。
魔法の光を空から感じ、白衣の女性は病衣の女性を立たせ、共に走る。
「ごめんなさい、病気が治らない私のせいで貴女にまで危険を……」
「病人や怪我人を最後まで治すのが私の仕事だ。気にするな」
車に乗り込んだ白衣の女性がハンドルを握り、都内病院から離脱した。
「っく、取り逃がした……!」
「まさか特殊魔法治安維持組織の分隊長が病院にいたとはな……。逃がした魚は大きいぞ」
窓枠を忌々し気に蹴りつけ、襲撃者の男たちは唾を吐いていた。




