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魔法世界の剣術士 上  作者: 相會応
東の魔女が消えた
157/211

3

 恐る恐る、探るようにと言った様子であったが、それでも少女が自分から声を発してくれた。


「そう、喋ってもいいんだ。こうやって」


 誠次は頷きながら、自分の頬を両手でつまみ、少女に向け口をにぃっと開いて見せる。


「いい……? ほうはっへ……?」

 

 水色の目を少しだけ潤ませ、少女はこちらを真似て、自分の頬っぺたをむにっとつまんで引っ張る。


「そうか。言葉は分かるけど、何も言わないように命令されてたんだな。でも喋ってくれて良かった……」


 誠次は頬っぺたから手を離し、まるで自分の事のように喜ぶ。


「話すの、だめ、って……」


 本当に久しぶりに話すであろう口調は、やはり自信がないようで、か細いものだった。


「いいんだ。だってみんな喋ってるだろう? 俺も、八ノ夜さんだって、福田さんだって」

「わた、しは、周りと、ちがうって……」

「違う?」

「まほう、使って、人を怪我させた……」

 

 自分の身体をぶるぶると震わせ、少女は目線を落して言う。


「命令されていたんだろう? 人を襲えって」


 あまり考えたくはないが、と誠次も目線を落として尋ねる。

 しかし、それとは少し違うようで、


「魔法使って、遊んでて、友達を、怪我させた……。気持ち悪いって、言われて。そこから、小さな家に……」

「? 友だち? 怪我させて、小さな家に……?」

「う、うん……」


 まとめて一気に聞くのは、よくなさそうだ。ようやく、東馬とうまの呪縛から解き放たれた所なのに。


「ゆっくりで大丈夫だ。歩きながら話そう」


 誠次は咄嗟に判断し、再び林道を歩き出す。

 少女は少々あっけらかんとしながらも、誠次の方から差し出した右手を繋ぎ直し、同じく再び歩き出した。

 しかし林道を歩くと、しばし無言が続いてしまう。澄んだ水の静かな湖では、時々魚が跳ねる音がし、そよ風が木々を揺らす音も聞こえる。

 少女は湖をじっと見つめている。水の輝きを反射する少女の瞳は、見ていると吸い込まれてしまいそうなほど、綺麗な輝きを放っている。

 思わず見惚れてしまいそうになり、誠次は黒目の視線を富士五湖の一つへと向けていた。


「ここ、いろんな魚が釣れるんだ。焼いて食べると美味しくて。今度食べさせてやるよ」

「お魚、食べるの?」


 それは残酷だよ……と髪の毛の耳と視線を落とす少女はやはり、本来は心優しい性格だったのだろう。同時に、今まで何を食べさせられていたのかという、疑問も思い浮かんだが。

 立ち止まった誠次は、口元を緩めてから答えた。


「人間はそうしないと、生きていけないから。そりゃあ世の中にはいろんな宗教とか考え方があって、これは食わないとかいろんな考えの人がいっぱいいるけどさ」


 ふと、特殊魔法治安維持組織シィスティム本部で見た憲章の事を思い出しつつ、誠次は言っていた。

 しかしなんだろうか、この教会の牧師のような言葉遣いは。無垢な少女を相手に、誠次は教えを説いているようであった。これではまるで、自分が教会につかえる聖職者のようだ。そんながらでもないのに。


「難しい……」

「まあ、確かに……。とにかく、何も食べないと君もお腹が空く。君がお腹が空いてたら悲しむ人だって、ちゃんといるんだ。目の前にさ」


 誠次はそう言って、にこりと微笑む。


「うん。せーじが優しいの、わかった」


 少しだけ嬉しそうな少女は誠次の言葉を聞き、深く頷いていた。

 安堵した誠次は「ありがとう」と言いながら、再び歩き出していた。


「君は自分の名前は、憶えている? ネメシスなんかじゃなくて、本当の名前」

「ううん思い出せない……。でも、名前、欲しい……」


 長い期間、名前を失っていたのだろう。少女は両手で頭を抑え、苦しそうに顔をゆがめていた。


「そうだよな……」


 誠次は少女の苦しむ姿を見つめ、居ても立っても居られなくなり、地面に落ちていた木の枝を拾い上げた。そして、足場の木の葉を足で払いのける。


「よし。じゃあ本当の名前がわかるまで、一緒に名前考えよう。名無しなんて可哀そうだ」

「名前……ネメシスでも、べつにいいよ?」

「い、いやいや駄目だ……。仰々しすぎる……」

「仰々しい……? わからないけど、わかった」


 ぱあっと明るい表情を見せ、髪の毛をぱたぱたと揺らす。

 不愉快に感じてもらわなくてひとまず安心し、誠次は少女の顔を真剣な表情で凝視する。どんな名前がいいだろうか、としばし考える。


「うぅ……っ」


 誠次の黒い瞳に見つめられた少女は恥ずかしそうに、目線を逸らす。

 誠次は思い付き、木の枝で地面に文字を書いてみる。


「よし、水色の髪だから、水子すいこ――」

「む……」


 お気に召さなかったようで、少女は唇を尖らせる。

 うん、確かに、安直すぎる。自分でも何やっているんだと、しばし呆然となり、茶髪をかく。

 しかし水色髪の少女は決めてほしいようであり、興味津々に地面を見つめている。


「じゃあこれは? 狐娘きつこ――」

「ううん」


 ふりふりと、首を横に振る。


「ダメか……。じゃあこれは――?」

「ううんー」


 ふりふりと、首を横に振る。

 二人で地面に絵を書くように、木の枝を走らせる。その後も誠次の壊滅的なセンスの無さにより少女の名前決めは困難を極めていたが、ようやく決めることが出来た。

 数分後、八ノ夜はちのやのいる家まで、二人は戻って来る。


「遅かったじゃないか」


 荷物を家の中に運び終えていた八ノ夜は、ベランダで誠次と少女を迎えていた。日光浴中、と言ったところだろうか、ジャンバーも脱いでおり、ロングTシャツ一枚の姿だ。

 先に少女が、八ノ夜の前まで駆け寄る。


「……む?」


 何事かときょとんとする八ノ夜の前で、少女は思い切りよく頭を下げていた。


心羽ここは、この間はごめんなさい。そして、今日からここでお世話になります。はっちゃん!」

「こ、こここ、ここは? は、はっちゃん!?」


 素っ頓狂な声を上げる八ノ夜。


「手洗いうがいを忘れずに。土触ったからな」

「はい、せーじ」


 硬直している八ノ夜の横を素通り、心羽は元気よく家の中へと入っていく。


「散歩から戻りました八ノ夜さん。荷物ありがとうございました」 

「いやいや待て待てっ! 自然と通ろうとするなっ!」


 心羽に洗面所を案内してやろうとした誠次の首根っこを掴み、サファイア色の目を点にしている八ノ夜は、家の中の方を慌てて見る。


「い、今、あの喋ったよな!?」

「心羽は最初から、日本語を理解していたんです。ただ、喋っては駄目って言われていたようなんです。ひどいですよね……」


 誠次も心羽の後ろ姿を眺めつつ、答える。


「心羽、だと!? 名乗ってくれたのか?」

「いえ、自分が考えました。罪の女神様よりは、見た人を幸せにする天使の方がいいって事で」


 唖然としている八ノ夜の前で、誠次は得意げな表情をして、指を立ててえへんと説明していた。 


「嘘、だろ……? 心を、開いたのか?」


 あり得ない、と目を点にしているのは八ノ夜の方である。


「お前、魔術師か……?」

「いえ、魔法使えませんけど……?」


 最終的にそんな事を言われ、誠次も困った顔で返事をしていた。


                    ※


「クリスマスの一二月二五日まで、帰ってこれないってメール。これ」

「……本当だったのね」


 購買に向かう廊下を歩きながら、香月こうづき桜庭さくらばが見せてくれた誠次からのメールを確認した。

 

「朝一でこれが来て、クラスのみんなには風邪だって説明だったから焦ってたんだ」

「その次は?」

「ううん。まだ返信ない。志藤しどうたちが話してたけど、天瀬も忙しいのかな?」


 桜庭も心配そうに下唇に指を添え、言っていた。


「取り調べを受けるべきは、東馬と深く関わっていた私の方なのに……」

「天瀬もこうちゃんも悪くないよ……。だってこうちゃんは引き取られて、利用されてたんでしょ? 天瀬も、みんなの為に……」

 

 正しい行いをしたはずの人が、まるで報われていない。それが悲しい事のようで、桜庭は沈痛な表情だ。

 少なくとも自分も、本城ほんじょうさんも、八ノ夜理事長さんも無事でいる。天瀬くんも、こうしてひとまずの無事の確認が取れたことは、安心していい事なのだろう。


「ロシアから来たあの二人とお話してみたかったけど、さすがにこの状況だとね……」

「本城さんもどこか落ち込んでいるようだったわ。早く返信が欲しいところね……」


 いけない。冷静を務めようとしても、つい動揺して声が上ずってしまう。

 横を歩く桜庭は、そんな香月の気持ちを察したようで、横顔を見つめてから前を向いていた。


「デンバコ見たいときはいつでも言ってね?」

「ありがとう、桜庭さん」


 香月はふと、何かの気配を感じて振り向く。先ほどから、誰かに見られている気がしていたのだ。

 

「え……」


 香月は白い眉をピクつかせる。

 曲がり角の先から、白いロングヘアー姿の転校生、ルーナが壁に手をついてこちらをじっと見つめていたのだ。こちらと視線が合うと、ルーナはさっと身を隠す。しかし、いかんせん髪が長いため、角からはみ出てバレバレだ。


「こ……こうちゃんも見た? 今のって……転校生の……?」


 桜庭も、察知したようだ。


「え、ええ……。尾行している、つもりなのかしら……?」


 どうしよう……どうすればいいのだろう……。

 ひとまず、香月は見なかったフリをするために、前を向く。桜庭も気まずそうに、ぎこちない動きで前を向く。二人とも、ぴたりと立ち止まってしまっていた。


「急に話しかけられても、ロシア語、分からないし……」

「あ、あれ。トロフィーに反射して見えるけど……」


 話しかけられたらどうしようと、そんな状況を想定している香月がぼそりと呟いたのと同時に、桜庭が恐る恐ると指を前方へ指し示す。

 正面方向にて、廊下に展示されている黄金に輝くトロフィーには、背後の様子が反射している。こちらが、前を向いていると、ルーナはすぐに顔を出して来て、なにやらうずうずした様子で見つめてくるのだ。

 と言うよりそもそも、後ろを行き交う生徒たちがルーナの変人極まりない行為を見て、ひそひそと話し声を出してしまっている。


「えっと……。とりあえず、自然な感じで歩いてみる?」

「そ、そうね……。購買に、行きましょう……。あくまで、自然に……」


 桜庭の提案に頷き、香月はぎちぎちと身体を動かして、歩き出す。


「全然、自然な感じじゃ、なくなってるけど……」


 ロボットのように動き出した香月を見て、桜庭も花を模した髪留めをぎこちなく触りつつ、歩き出す。


 ――完璧だ。今のところ尾行がばれている素振りはない。問題はいかに近づき、この翻訳アプリを使って、あの銀髪の同級生からいかに情報を聞きだすかだ。 

 壁から機会をうかがい、ルーナは徐々に香月と桜庭との距離を詰めていく。


「やはり、あの映像に映っていた女子で間違えない」


 ロシア語で呟く。

 綺麗なアメジスト色の瞳に、少しばかり華奢な身体つき。視力には自信があるので、間違いはないはずだ。

 

「先輩たち、修学旅行楽しそうだなぁ~」

「私たちは冬休みまでなにもないしね。今度やる球技大会って言っても、ぶっちゃけ男子たちが格好つける大会だし」


 後ろの方で会話をしていく女子生徒たちの会話が、ロシア語翻訳されていく。


「……なにやら近頃学園で大会が開催されるようだな。やるからには、勝利を狙うまでだ」


 勇ましかった父親の姿を思い浮かべ、ルーナ・ヴィクトリア・ラスヴィエイトは頭の中で呟く。

 なぜだか急に銀髪の女子とその友達らしき黒髪の女子の動きがぎこちなくなった気がする。もしや尾行がばれたか? だが、訓練で鍛えた技能がいくら魔法生相手とは言え、そう簡単に看過されるものではないだろう。


「必ず話しかけてみせる。銀髪月シルバームーン黒髪桜サクラブラック


 壁に張り付き、ルーナはじっと機会をうかっていた。

 

               ※


 ――山梨県で迎える昼。

 一か月を過ごす為の荷物を運びを終えた家の中。広いリビングにはまだ荷ほどき出来ていない鞄などが、端に寄せられている。つくりは昔あったと言う宿泊用のログハウスを居住用に改装しており、三階建てと言う事もあり、三人が住むのにも窮屈しない。むしろ二人で住むには広すぎた思い出がある、木材建ての豪邸と言うべき物件だ。


「ここもトイレ。一階と二階にある」

「はい」


 誠次は心羽に家の中の設備を説明していた。

 八ノ夜は相変わらず驚いた様子で、誠次と心羽を端から見守っている。


「ここがリビング。冷蔵庫はキッチンにある。そこの階段からは地下室に行けて――」


 木造りの風情ある内装のリビングに、天井ではシーリングファンがくるくると回転し、暖炉を模したヒーターからは温かい風が流れている。当時住んでいた頃の家具や、小洒落たインテリアなどは、埃こそかぶっているものの、そのままだった。


「んっ、デンバコに着信……?」

「小鳥……」


 誠次がズボンのポケットに手を伸ばしていると、心羽が窓の外を見つめている。

 閉め切った窓の外で、黄色い羽をした小鳥が一羽、中に入りたそうにちょんちょんと飛んでいる。


「ここに来てから動物によく会うな」


 人の手があまり入らなくなり、自然も豊かになっているのだろうか。机の上に両手を手を添え、尻尾髪を揺らし、心羽は興味津々そうに窓の外の小鳥を見上げている。


「そら」


 電子タブレットを起動する前に、誠次は窓を開けてやる。すると小鳥は鳴き声を上げながら、家の中に入り、広く大きい天井を泳ぐように飛び回りだした。フンを落とさない限りは、入れてしまっても大丈夫だろう。

 

「ありがとう、せーじ。小鳥さん、喜んでる」

「そ、そうなのか? まあ、なら良かった」


 まるで動物の言葉を理解しているような心羽の言葉遣いに、天井を見上げる誠次は髪をかいて苦笑する。


「あれ? 俺、何をしようとしたんだけっか……?」


 ド忘れした誠次は電子タブレットを自然な動作で窓枠に置きながら、あたりをきょろきょろと見渡す。視界の端では、ちょうど八ノ夜が、魔法で荷物を開封し終えたところが映っている。


「こっちは終わったぞ天瀬」

「お疲れ様です、八ノ夜さん」

「して、昼飯はまだか?」


 八ノ夜の問いに、誠次はまさかとのけ反る。


「まだかって、俺が当番ですか……?」

「いや……私が作ると悲惨な事になるのは……身に染みて知っているだろう?」


 ああ、もれなく……カップラーメンになる。

 誠次はごくりと唾を飲み、苦い思い出を味わい返す。ずーんと沈み込むのは、八ノ夜もだ。

 前に一緒に暮らしていた時は福田ふくださんや八ノ夜の知人が持ってきてくれたり、八ノ夜が自炊した食事をとっていた。八ノ夜の手料理の味は、とてもこの世のものでは例えられないような不味さを誇る。今でも彼女のエプロン姿を思い出すと鳥肌が立つ。


「レシピをがん見すればどうにかなるとは思うけど……」


 まず形から入る誠次は、エプロンを腰でしっかりと結び、キッチンに立っていた。腕まくりをし、すっかりやる気である。


「毎日のメニューを考えないといけないなんて、主婦の人は大変なんだな……」


 腰と顎に手を添え、メニューは何にするかと真剣に考えてみる。このログハウスには地下室もあり、そこに閉じ籠っても長生きできそうなほどの食材や生活必需品などが完備されている。 


「八ノ夜さん、肉ばっか食べてそうだしな……。心羽には、美味しいものを食べさせてやりたいな……」


 アンティークの大きな壁の古時計――アナログ時計――が針を刻む音だけが、響く室内。時より、小鳥のさえずりが聞こえて来る。

 

「そうだ、長谷川はせがわ先輩……じゃあなくて、篠上しのかみに相談しよう」


 今の時間ならば、向こうは昼休みのはずだ。彼女が料理が得意なのは、知っている。

 閃いた誠次は、電子タブレットを取り出そうとズボンに手を入れる。


「……あれ? 俺デンバコどこにやった?」


 まずズボンをぱんぱんと叩き、続いて服のポケットもわきわきと確認する。しかし、硬い感触は身に纏う服のどこにもない。 

 もしかして、と思い部屋の中をひと通り探してみても、行方不明だ。


「嘘、だろ……」


 身体に悪寒がひた走る。レシピがなければ料理など出来ず、そもそもまさか貰った初日に失くすわけにはいかない。八ノ夜にも説明が出来ず、しばし呆然としてしまった。

 開け放たれた窓の外からは、鳥の親子の仲の良さそうなさえずりが聞こえていた。


 一階のお風呂場には、八ノ夜と心羽がいた。


「心羽、いや……」

「そうは言っても心羽、お風呂には入らないとだな……」


 困った顔をする八ノ夜の前で、バスタオル一枚姿の心羽は必死に抵抗している。服を脱がして風呂場に入れたはいいものの、湯船に張られたお湯を見るなり、心羽は怯えて脱走しようとしている。


「心羽、水、嫌い……!」

「まるでペットのお風呂だな……」

 

 八ノ夜ははあと大きくため息をつく。片手で風呂場の壁に手を付き、どうしたものかと頭に手を添える。心羽と言う名前も気に入ったようで、自分で自分の名を言っているのだ。


「水……っ」


 心羽はうなり声をあげそうな勢いで、今にも八ノ夜の隙を見て逃げ出そうとしている。

 バスタオル姿で外に出られて風邪を引くのもマズイだろう。


「隙間、ありっ」


 素早い身のこなしの心羽がささっと、八ノ夜の腕の下をくぐりぬける。


「甘い」


 しかし八ノ夜は物体浮遊の魔法で心羽を浮かしてみせると、お風呂場まで再び戻らせる。

 ばたばたと抵抗し、悔しそうな心羽に、八ノ夜は勝ち誇った笑みを見せる。


「フ。観念するんだな心羽。私からは逃げられない。科連での戦いでは私が心羽の身体を傷つけないようにしていただけの事」

「いや、いやっ!」

「!? こらこ、心羽っ! どこ触っているんだっ!?」


 ログハウスに響き渡る、二人の女性の叫び声。

 腰エプロン姿の誠次はよく響くそれらを聞きながらも、この先に待ち受けているであろう運命を前に様子を見に行く気も起きず、青冷めた表情のままキッチンに立っていた。


                ※


 ヴィザリウス魔法学園の昼休み。予想通り、二人の転校生の周りには昼食を一緒に食べたいと言う、好奇心旺盛な女子生徒たちが群がっていた。

 なぜかルーナは休み時間になったら逐一姿を消しており、その都度クリシュティナが一人教室に残り、クラスメイトたちを相手している。クリシュティナが時より困ったような表情をしていたのを、篠上しのかみ千尋ちひろも遠くから見ていた。


「綾奈ちゃん……!」

「千尋……!」


 お互いの机をくっつけ、弁当を広げようとしていた二人は頷き合う。クリシュティナを救うために立ち上がる。


「クリシュティナちゃんさん、困っているみたいです!」

「確かにあれは少し可哀そうね。ここは学級委員の腕の見せ所かしら。ついてきて千尋!」

「かしこまりました!」


 二人がクリシュティナを救うために選んだ場所は、篠上が所属する弓道部で使う女子更衣室であった。木々に覆われ、学園の中でも目立たない場所にある更衣室は、昼休みに訪れる人はまずいない。二人も静かに会話や食事をしたいときに、よく使う場所だ。

 女子更衣室までクリシュティナを連れ込んでやり、三人でベンチの上に座る。まずは、自己紹介から。


「篠上綾奈。1ーAの学級委員やってるから、さっきみたいに困ったことがあったら何でも言ってね?」

「私は本城千尋ほんじょうちひろと申します。よろしくお願いしますね」

「クリシュティナ・ラン・ヴェーチェルです。先ほどは助かりました……感謝申し上げます」


 日本語での挨拶の後、クリシュティナは律儀にぺこりと一礼してくる。東洋風の顔立ちにはどこか親近感を感じ、ランと言う名は中国系のそれなのだろう。


「いいのいいの。今は転校生が珍しいのよ。すぐに落ち着くわ」


 苦笑する篠上は、寮室にて自分で作ったお弁当を広げる。栄養バランスを考えた、ひと手間もふた手間もかかる逸品だ。


「よろしければロシアや中国のお話、いっぱい聞かせてくださいね」


 両足を揃えてベンチに座る千尋も楽しそうに、自分で作ったお弁当を広げていた。

 夜の時間を持て余しがちなこの世界において、部活がある中でも二人とも弁当を作る時間は十分にとれる。


「食事はルーナの分も作っていたのですけれど……」


 がさごそと、クリシュティナは何やら魔法瓶のような筒状の弁当箱を取り出す。日本で言えば味噌汁でも入っていそうな弁当箱であり、篠上と千尋は視線を奪われる。


「く、クリシュティナさん?」

「な、なんでしょうかそれは……?」

「ボルシチです」

 

 篠上と千尋が戸惑う中、クリシュティナが淡々と答える。


「「ぼ、ボルシチ……!?」」


 弁当の蓋を取れば、もくもくと白い湯気が立ちこめてくる。おおよそ高校生の学校の昼食と言う点で見れば異質な光景だが、トマトスープの美味しそうな匂いも漂ってくる。


「すっごく本格的……」

「材料も、高級そうなものばかりのようです……」


 ボルシチの香ばしい匂いを嗅ぎながら、篠上と千尋が顔を見合わせ、ごくりと喉を鳴らしている。


「難しそうに見えますが、簡単に作れますよ。それにお二人とも、お料理上手じょうずそうではないですか」


 クリシュティナは篠上と千尋の弁当を交互に見て、思ったような事を述べていた。


「そ、そうかな?」

「綾奈ちゃんがお上手で、私も横でお手伝いしていましたから、徐々に上達していったんです。綾奈ちゃんほどじゃあないですけれど」

「お二人は仲が良いんですね」


 クリシュティナは微笑み、お上品に布巾を膝の上に乗せていた。和風の木目柄の更衣室の内装が気に入ったのか、静かな場所に来られて良かったようだ。


「クリシュティナさんとルーナさんって、どんな関係なんですか?」

 

 篠上はプラスチックの箸を取り出し、クリシュティナにく。二人同時の転校という事で、やはり気になっていたのだ。


「朝にも言いましたが、二人とも親が外交官同士なのです。日本の大使館に駐在すると言うので、私たち自身もいい経験だと思い、日本に留学することにしたのです。ルーナとはロシアの魔法学園時代からの、友達です」

「エリートのご家系なんですね」

「……」


 まあ、と両手を合わせている千尋を、篠上がジト目で見つめる。アンタもでしょうが、と言いたげに。


「……1-Aで今日、欠席者がいるとかはないでしょうか」


 いざ弁当を食べようとしたその瞬間、クリシュティナが少しだけ声音を鋭いものに変え、こんな事を質問してくる。

 その質問を聞いた途端、篠上は箸を握る手をぷるぷると震わせていた。


「ええいるわよ……。天瀬誠次あませせいじって男子が」


 篠上は声を少しだけ張り上げていた。もし手に握っているのがプラスチックの箸ではない割り箸であったのならば、ぽきっと折れてしまいそうなほど、腕にも力を込めている。

 まだ彼からの返信はない。なによりもそれが篠上の不満の原因だった。電子タブレットを新調したのならば、早く返信の一つでもしてほしい。


「天瀬誠次……」


 クリシュティナがスプーンとフォークを両手に持ち、どこか満足げに微笑んでいた。

 憮然とした面持ちの篠上が、本日の自信作である卵焼きを箸で摘まんで口に入れようとした瞬間。


「あの、クリシュティナさん……」


 千尋がクリシュティナをじっと見つめ、何やらいぶかし気に名を言っている。

 ぎくり、とクリシュティナの双肩が跳ねるようになったのを、篠上もおかしく感じてみるが、


「――ボルシチ、一口くださいませんか!? 私のお弁当と交換こいたしませんか?」

「あ、え、ええ、どうぞ」


 ほっと息をはいたクリシュティナが、おずおずと魔法瓶のような弁当箱を差し出す。元々芳香剤の良い匂いが香っていた更衣室にさらに香る、トマトスープの酸味の香り。

 ひょっとして私より料理うまいんじゃないだろうか……と篠上は、いささか自信をなくしてしまいそうになる。もしも、誠次がこの娘の料理の腕を見てしまったら……またいつの間にかに仲良くなって、ベンチで二人で肩を寄せ合って――。

 いや、いくらなんでも妄想のしすぎっ! と篠上は無言で首をぶんぶんと横に振る。

 目の前では、千尋がクリシュティナ相手にお喋りを続けている。


「ありがとうございますっ。こちら、私のお弁当です。何か気になるものはありますか?」

「そうですね。この可愛い、タコのような赤い小さなものは……?」

「これはタコさんウインナーです。どうぞ」

「う、ウインナー? 肉料理を魚介に見立てるのは、日本人らしく、柔軟な発想の転換と言いますか。……でも、可愛い……」


 千尋に箸ごと弁当箱を差し出されたクリシュティナは、ぎこちなく箸を片手で持ち、海苔で顔が描かれたタコさんウインナーをふにふにと摘まんでいた。

 

                   ※


 ――山梨県。

 銀色をした、刃物の光が誠次の手元できらめく。鋭利な刃は、狙った目標を素早く切り裂いた。


「――やはり俺は、刃物に対する迷いがなくなっていると言うのかっ!」


 ただし、振るっていたのはレヴァテインではなく、小振りの包丁。

 独り言を言いながら包丁を振るい、誠次は野菜各種を華麗に切り終わったところだ。地元で採れた新鮮な野菜と言う事で、進んだ保存技術によりみずみずしさは採れたて同然である。


「ふぅ。けど、問題はこの後なんだよな……」


 野菜と肉を切ったところで、ぴたりと動きを止める誠次。ちょろちょろと、水道からはこちらを笑うような細い水が流れていく。一応メニューはカレーのつもりだ。決して具を入れてルーで煮込めば簡単に出来るのでは? と言う安直な考えに辿りついたわけではない。決して。


「篠上……助けてくれ……」 


 しょうがないわねぇ、と何だかんだ協力してくれそうな彼女とお互いエプロン姿で、キッチンにて隣同士で料理を作る――。林間学校時の時とは違い、そこにはきゃっきゃうふふと、二人が笑顔で和やかなムードが流れており――。

 いや、自分で自分が恥ずかしいっ! つい妄想に逃げてしまった誠次は、ぶんぶんと首を横に振る。

 視界の奥の方、風呂場へと続く廊下からは、先ほどまでは心羽と八ノ夜の会話が聞こえてきていた。会話以外聞こえないほど静かになったあたり、心羽をどうにかお風呂に入れることに成功したようだが。


「はっちゃんの、大きい……浮かんでる……」

「心羽もその歳でこの分なら、じきにこれくらい大きくなるぞー。天瀬も喜ぶ」

「せーじが喜ぶ? ……せーじが喜んでくれるのなら、心羽も、大きくなりたい……」

「――痛っ!?」


 二人の会話に()()()()()()()()誠次は、華麗な包丁捌きで、見事に指を切ってしまっていた。排水口に、自分の赤い血が水と混ざって流れていく。


「……っく」


 その血と、手から離れ床へと落ち行く包丁を見つめた途端、指を切った痛みに勝るほどの頭痛が、誠次に襲い掛かる。まだ、東馬に注射された薬物の影響は身体に残っているようだ。

 がんがんと鳴る頭痛の果てで、一瞬だけ浮かぶ、こちらに向け手を伸ばす誰かの笑み――。

 朦朧とする意識の中、誠次は水気を帯びた手で頭を抑えていた。


「誰、だ……?」


 この分では、学園への復帰はまだまだ掛かってしまいそうだ。

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