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魔法世界の剣術士 上  作者: 相會応
東の魔女が消えた
155/211

1 ☆

 目覚めの状況は、誠次せいじにとって決して良い状況ではなかった。

 あの戦いから四日経った朝。それでも魔法世界は何事もなかったかのように回り続ける。


「――天瀬誠次あませせいじ。ヴィザリウス魔法学園、1-A所属。性別は男。二〇六三年生まれの一六歳の高校生」


 学生証に記された情報を淡々と告げられ、誠次は黒服の男から学生証を投げ返される。ベッドに固定され、そこから鎖によって伸びた両手に食い込むようにつけられた手錠のせいで、受け取ることは出来ない。

 ここはどこか分からない病院の一室。目覚めたときにはすでに両手に手錠があり、目覚めを迎えたのも看護師なんかではない、堅物そうな三人組の黒服の男たちだった。

 わけも分からないまま無理やり病衣姿の上半身を起こされ、誠次は黒服の男に見下されていた。

 枕の横に投げ渡された学生証を横目で見てから、誠次は黒い瞳を男たちに向ける。


「なんなんですか、貴方たちは……?」


 特殊魔法治安維持組織シィスティムではないことは、明らかだ。歳はいずれも三〇代以上で、胸元に紋章バッジもない。

 誠次の問いに、まず男たちは冷たい視線を向けて来る。少なくとも、友好的な人たちではない。そう理解した時には、おそらく三人の中のリーダー格の男が、ベッドの真横まで近づいてきていた。


「これは失礼。私たちはこう言う者だ」

「っ」


 誠次が声の方へ顔を向けた途端、強烈なビンタが、左頬を襲ってきた。咄嗟に身を守ろうと両手を上げようとするが、手錠に固定されているために、虚しく金属の音がするだけだった。


「痛っ!?」

「驚いたか? だが我々にこのような゛尋問゛は許されている」

 

 だから口を慎め、命令に従え。と痛みで教え込まれたようで、誠次は混乱する頭を男に向け直す。


「随分と反抗的な目だな。魔法学園の教師に教わらなかったか? もう少し大人を敬えと」

「目が覚めたらこんな風に身体を固定されて、高圧的に暴力を振るう人たちを、敬えだなんて出来ません!」  


 誠次が口答えをするや否や、殴った男が他の男に目配せをする。すると他の男たちも誠次の周りにやって来て、一人が乱暴に髪を力強く握って来た。


「ぐあっ!?」


 髪を引っ張られ、顔を無理やり上げられたまま、男が冷たい声をかけて来る。


「我々は光安こうあん警察だ」

「光、安……?」


 痛みで歪む表情のまま、誠次は訊き返す。


「警察とも特殊魔法治安維持組織シィスティムとも違う、首相官邸直属の組織だ。犯罪者に対する尋問行為も許可されている」


 分かったか? と言わんばかりに今度は髪を乱暴に離され、誠次は悲鳴を上げる。身体中がずきりと痛み、男たちはこちらが怪我をしている事を分かっている上での、この行為のようだ。


「犯罪者……。俺が……?」


 宣告された言葉に、誠次は息を呑む。


「夜間外出。不法侵入。そして……殺人。それら全て、十分な犯罪だ」


 一方的に罪状を述べられた後、男たちは再び誠次に目線を向ける。


「学生だからと、知らなかったですとは言いまい?」

「殺人!? ちょっと待ってください! 俺にも説明させてください! あの夜何があったのか!」

「簡単な話だ。お前は学生の身でありながら夜の外に出て、日本科学技術革新連合本部へと侵入。そこで東馬迅とうまじんを殺害した」


 違う、と喉元まで出た言葉を、誠次は押し込む。

 まだ頭はひどく痛く、身体も鉛のように重たい。それでも、それを相手に告げた所で相手はこの残酷な尋問を止めてくれる気配はない。


「嘘は君の為にはならんぞ? 我々も総理の為、真実を求める事が任務だ。科連本部の最深部で倒れていた君を保護し、三〇年以上前の治療法で治療してやったんだ」


 恩着せがましく、男は言ってくる。

 誠次の中で、夏の弁論会にてこちらを見下してきた大人たちの光景と、今の大人たちの姿が重なる。高圧的な態度は全員が全員、そうではないとは思うが。


「助けてくれて、治療してくれたことには感謝します。ですが、保護って……。わけのわからない状況に置かれている怪我人をこうして無理やり尋問することが、保護なんですか……」


 自分でもわかるほどの無気力な表情と声で、誠次は呟く。丁寧に対応できる気力もなく、そうするしか出来ないと言うのが誠次の実情であった。


「生意気な!」

「いい」


 男が誠次に詰め寄るが、最初に質問して来た男が片手で、詰め寄ってくる肩を抑える。


「先ほども言ったが我々は真実を知りたい。どうして君はあの夜、科連本部にいたんだ?」


 頭に痛みが走る。確か八ノ夜はちのやは、政府が二人を殺すと言っていた。総理大臣お抱えの組織である光安に、果たして真実を告げるべきだろうか。

 余裕があるわけではないが、誠次は慎重に言葉を選ぶようにする。


「大切な人が、苦しんでいたんです。助けたくて、科連本部に行ってました」

「大切な人? 法律を破るほどか?」

「法律を破ったことは……申し訳ないとは思っています。でも決して俺は、人を殺すために科連本部に向かったわけではありません」


 そこで誠次はハっと思い出し、思わず布団をぎゅっと握っていた。

 

「最深部に一緒にいた女の子や、一緒にいた人たちは無事なんですか!?」

「君はこちらの質問だけに答えればいい」


 相変わらずの冷たい口調の男が、ナイフ刃のように鋭く光る視線を誠次に向ける。平気で人を傷つけることができる、冷酷な感情しか見えてこない目を直視してしまい、誠次は言葉に詰まっていた。

 もしここで香月こうづき千尋ちひろたちの名を出してしまえば、利用されてしまうかもしれない。

 

「我々が突入した時、君はすでに気を失っており、東馬迅は君か゛捕食者イーター゛に殺害されていた。その認識で相違はないな?」


 向こうも確証は得られていないようであり、殺人と言ってきたのはこちらを揺さぶる為の手口かと理解する。

 誠次は片手で頭をぎゅっと押さえつけていた。


「……っ?」


 薬の影響か、はたまた殴られたためか、まだハッキリとしない頭の中の思考で誠次は懸命に考える。真実は違う。東馬は自分で魔素マナを注射し、゛捕食者イーター゛へと変化した。

 問題はそのことを、光安と名乗った男たちが、どこまで知っているかだ。あの真実を知るのは、おれと香月だけのはずだ。


「君の身体に魔法は効かないという事で、幻影魔法による取り調べも不可能だ。我々としても廃人は作りたくないが、場合によっては薬の利用もあり得る。何度も言うが、光安はそれらの使用を許可されている」

「あの夜、何があったのか詳しく教えるんだ」


 言葉を被せ、男たちはいてくる。


「……」

「無言、か。やむを得ない」


 男は誠次の病衣の胸倉を掴むと、握り拳を向け、頬を思い切り殴る。視界が真っ白に染まり、ちかちかとした視界の果てで、口の中で血の味が広がる。


「がはっ!」

「君のご両親は、君がこんなにも早くそちらの世界へ到着してしまう事を望んではいないだろう?」


 胸倉を掴んだまま、光安の男はにやりと笑いかける。

 黒く光る男の目を、誠次は睨み返していた。


「家族を、口に出すな……っ!」

「なら答えろッ! なにを見た! あの夜に何があった!?」


 さらに一発、男は誠次の鼻目掛け、鉄拳を振るう。防御も出来ず、誠次は執拗に顔を殴られていた。どうしても、こちらの証言が欲しいようだ。


「学生だからと自分の身が傷つかないとでも思ったか? 自分の人権が保障されるとでも思ったか? だったらそんな望みは捨てろ。もはや国が国民を守る時代ではない。国民が国を守る時代なのだ!」

「そんな、事……っ!」

「答えろ天瀬誠次!」


 もう一発来るかと思い、歯をぐっと引き締めた誠次の元へ来たのは、和風幼女の「やりすぎじゃ」の声と言葉だった。続けて部屋の入口から、薺紗愛なずなさえがゆっくりと姿を現す。


「北海道以来か? 久しぶりじゃのう、剣術士? ――天瀬誠次」

「薺、総理……」


 黒髪のおかっぱ頭に、大きな赤い瞳。それが今日本を治める内閣総理大臣の真の姿だ。

 黒服たちは薺の姿を見るや否や、咄嗟に手を離し、ベッドからも距離を空けていた。


「お主の身体を治すのに、わらわたち国が見捨てた従来の治療をする医師たちを招集したのじゃ。追い出したのは昔の内閣とは言え、政府が頭を下げづらかった事は、理解してくれると助かる」


 男たちとは違い、優しい口調で尋ねて来る薺。確かに治癒魔法が確立されて以来、魔法が使えず従来の治療をする医師たちは一斉に、職を追われていた。ある意味東馬も、そのような政府から見放された被害者の一人だったのか……? いや、だとしても、彼をあのまま見逃せるわけにはいかなかった。最期の審判を下すのが、誰にせよ。

 誠次も自分を落ち着かせ「大丈夫です……」と言葉を返す。


「ここは都内の総合病院の隔離棟じゃ。お主を一般患者と同じところに寝かせておくわけにはいかなくてのぅ」


 薺が前を通れば、三人の男は大人しく身体の後ろで手を組み、それぞれ一歩ずつ下がる。これを見れば光安は、総理大臣の忠実な配下のようである。


「手錠、か。怪我人にするものではないわ」


 薺は誠次の手元をちらと見ると、魔法の光をあて、手錠を外す。


「総理危険です! この子供はテロを壊滅させた上に、魔法が効きません! なにをしてくるか!」

「大丈夫じゃ。少なくともこの高校生は、自分の立場をわきまえ、力量を心得ておる」


 それは遠回しに、自分への手出しは出来ないと言う自信だろう。無防備な薺はそう言うと、誠次の真横まで小さな身体を歩ませる。


「天瀬誠次。どうか教えてくれぬか? あの夜、何が起きていたのか」

「……っ」 


 飴と鞭とは、この事だろうか。薺の優しい口調と表情に心を解きほぐされたようで、誠次は口を開きそうになる。

 だが、誠次は寸でのところで思いとどまっていた。ずに伝えるべき人は、他にいると。


「……今は話したく、ありません。頭と状況を、整理させてほしいんです……」


 誠次は俯き、振り絞った声で答える。

 光安の男たちの眉間にしわが寄るが、薺は片手をすっと上げ、微笑んでいた。


「いいじゃろう。時間はたっぷりとある。よく整理するがいい」


 薺は余裕を見せつけ、部屋を後にする。


「どの道、今の主導権はアイツに握られておる……」


 ぼそりとそう呟いた薺は、光安の三人の男を引き連れ、病室から退出していく。


「みん、な……。香、月……」


 意識が途切れるその瞬間、最後の最後で香月が自分にエンチャントをしてくれた。しかし、結局東馬を生かしたまま捕まえることは出来なかった。どうしようもなかったとは言え、途方もない無力感が襲ってくる。誠次は視界から光を遮るかのように、右腕で顔を覆っていた。

 ――数時間経った。


「――夜明けだ。天瀬」


 八ノ夜はちのやの声により、誠次は右腕を離して顔を上げる。どうやら、少し眠っていたらしい。

 頬の痛みはじんと残っているが、あざにはなっていない。


「八ノ夜、さん……?」


 ジャンバーにジーンズと、お世辞にもお洒落とは言えない適当な私服姿の八ノ夜は、右手に柄に収まったレヴァテインを持って、部屋の入り口から入って来た。


「あれから四日経った。昏睡状態だったんだぞ」

「四日……。一一月の二五日、ですか。状況はどうなったんです……?」

「直正さんは同じ病院にいるが、退院間近だ。本城ほんじょうと香月は二人とも無事に、学園で授業を受けている。レ―ヴネメシスについてはニュースで報道されている通りだ。表向きは政府特殊部隊に追い詰められ、東馬迅は自殺した事になっている」

「本当に、死んだん、ですよね……」


 その死因を抜きにしても、まずは一人の人の魂がこの世から消えたと言う事実に、誠次は息を呑んでいた。


「これまでも人は大勢死んだ」


 八ノ夜は割り切っているようであり、正しい。


「そうですけど、つい先月まで目の前で元気に話していた人と、二度と話せなくなることが、まだ信じられなくて……」

「……天瀬」


 八ノ夜はこちらの近くまで歩み寄ると、茶色の髪を優しく撫でてくる。

 強張った身体から力が抜けていくようで、誠次は軽く息をついていた。


「何が起きたんだ? 話してくれないか?」

「……はい」


 誠次は八ノ夜に、東馬が大量の魔素マナを注入し、゛捕食者イーター゛化したことを説明した。


「人が゛捕食者イーター゛……。本当なら、まるで最悪のシナリオだな……」

「目の前で、確かに変化しました」


 誠次はベッドから起き上がり、ベッドの横に足を出していた。

 八ノ夜は誠次の目の前に立ち、腕を組んでいた。


「この会話は薺総理にはしていません。……この病室、盗聴などの可能性は?」


 誠次が慌てると、八ノ夜はきょとんとした表情を浮かべた後、笑いだす。


「薺はそこまで馬鹿ではないよ。仮にここで盗聴をしていて、盗聴器が私に見つかったとしてみろ。私が逆にアイツをおとしめることが出来てしまう」

「なるほど……。高度な駆け引きと言うやつですね……」

「お前の経験不足だな」


 八ノ夜は悪戯っぽく笑いかけ、誠次にレヴァテインと、棒型の最新電子タブレット端末を手渡してくる。

 

「これは……」


 誠次は戸惑いながら、それら二つを受け取っていた。


「四日間、お前と連絡を取りたくて仕方のなかった者が待っている。安心させてやれ」

「あ、ありがとう、ございます」

「もちろん四月のテストの点数が悪ければ、今度は私が叩き壊すからな」

「せめて隠すぐらいにしてくれませんか!? 押入れとかに!」


 しかし内心で誠次は嬉しく、最新モデルの電子タブレットの電源を入れる。

 八ノ夜もまた満足そうに微笑むと、こちらに背を向けていた。


「外で待っている。支度をしたら出るんだ」

「支度? 今からどこかへ行くんですか?」

「そうだな。東の魔女の隠居、と言うべきか?」


 八ノ夜は立ち止まったあと、くるりと長い黒髪をなびかせながら振り向き、人差し指を唇の前で立ててみせる。相変わらず、この時より見せる女性らしい仕草には、一々ドキドキしてしまう。普段は凛々しい姿を見せている彼女なら、尚更だ。

 学園に帰るのではないのだろうかと思いつつも、誠次は身支度をする。


「顔を洗っておけ。光安の連中にやられたんだろう?」

「あの人たち、警察とは指揮系統が違うんですよね」


 誠次は頬をそっと触りながら、八ノ夜に問う。


「光安は警察とは完全に独立した司法組織で、薺政権発足とともに旧公安を解体して再設立された。あいつらは犯罪者相手ならば手段を選ばない連中だ。国の平和を第一に考えてはいるんだがな」

「八ノ夜さんも、あんな拷問まがいの事をされたんですか?」

「いや。私は先日の戦いで少なくとも政府にとって面白くない情報を握っている。そして政府は私たちが掴んだ情報を欲しがっている。お互い下手に手出しは出来ないさ」


 首を軽く横を振って、八ノ夜は言っていた。 

 大病院の廊下にある水道にて、誠次は冷たい水で顔を洗う。ようやく状況が色々と分かって来た。テロは指導者を失ったことにより事実上の壊滅状態。同時に、マスコミによって政府とテロとの繋がりが噂されるようになり、政権の支持率は五分五分。八ノ夜は薺にとっては面白くない証拠を持っているようで、薺は迂闊に八ノ夜には手出し出来ない状況らしい。


「政府が……テロを意図的に起こしていた……?」


 あくまで噂でしかないが。

 あごから滴り落ちた水滴を見つめ、誠次は呟く。


「終わったか天瀬? 身体の具合は?」  


 角を曲がったところ、八ノ夜は廊下の壁に背を預けて立っていた。


「はい。不自由ありません」

「では行くぞ」

「? ですからどこに?」


 大した説明もなしに歩き出した八ノ夜の後ろをついて行きながら、誠次は訊く。言いぶりからするに、ヴィザリウス魔法学園ではなさそうなのだ。


「山梨の家だ。二人で一緒に過ごしてた、な。忘れたわけじゃないだろう?」

「!?」


 山梨県は山々に囲まれた緑豊かな湖のほとり。立派にそびえ立つ日本の象徴、富士山。小中学生の頃まで住んでいた、八ノ夜の所有する家だ。

 そこで過ごした記憶を思いだし、誠次はぽかんと口を開ける。


「私も薺から一か月間の謹慎処分を喰らってな。私は今年のクリスマスまで、家でじっとしていなくてはいけない。保護観察処分みたいなものだな」


 まったく、と八ノ夜は不満気にもらす。


「はあ」

 

 ん? なんで、おれまで?

 誠次はまったくわけがわからずやがて、まさかと思い至る。


「もしかして、クリスマスまで俺と一緒に過ごす気ですか……?」

「もしかしなくとも、そうだが」

「え、あの、ヴィザリウス魔法学園は!? 俺の学生生活は!?」

「遠距離から連絡をすることは出来る」

「そうじゃなくて、俺の授業とかは!?」

「先生なら私がいる」


 八ノ夜はにやと微笑みながら、誠次にグーサインを向けて来た。

 まさかの事態に、誠次はただ、絶望するだけしかなかった。


「みんなと、会えないんですか……!? 俺は貴女の我が儘の為に、一か月間を山梨県で過ごすんですか!?」

「我が儘とはひどい言いようだな。その為に新品の電子タブレットを買ったんだ我慢しろ。無論、四月のテストの成績が悪ければ壊すけどな」

「だからせめて隠すだけにしてくれませんか!? こう、押入れとかに!」

「押し入れにもの隠すの好きだなお前は……。もっとレパートリーを増やさないか……すぐ見つかるぞ……」


 八ノ夜が苦笑するが、どうやら彼女の中でもうこちらが行くことは決定しているようだ。

 なおも抵抗しようと口を開こうとした誠次の前、八ノ夜は、少しだけ言い辛そうにもじもじとしながら、


「ああもうっ、私だって一か月間家に引きこもっているのは退屈なんだ! ……それに家事も面倒臭いし……お前がいないと私は一人暮らしするのがまるで駄目なんだっ!」

「俺完全に雑用係じゃないですか!? 家事面倒臭いってはっきり聞こえましたけど!?」

  

 本当に前半と後半だけ聞きたかった偉大な魔術師である理事長の台詞である。これは違う意味で身体が重くなってきた。

 魔女の隠居とはよく言ったもので、さすれば自分は召し使いの身分か。自分に注射された強力な薬物の影響もあり、それを浄化するため、しばらくは自然豊かでのどかな場所での生活となりそうだ。

 不承不承ながらも八ノ夜について行き、病院のエレベーターを降り、ロビーを何事もなく通過する。


「薺総理が、俺と香月を助けてくれたんですよね……。その点ではお礼、言いそびれました」


 どうやら政府関係者は本当に帰って行ったようだ。しかしあの日科連にいた人物として、光安からマークされている事には変わりがない。いつ背中から撃たれるのか分からないような状況で、学園に戻ると言うのは危険との判断なのだろう。


「薺とはまた会える日が来るさ。゛そう遠くない゛」


 八ノ夜は確信をもって、言っていた。

 ロビーから外へ出ると、快晴の空が広がっていた。季節はすっかり冬。身を凍らすほどの寒さはあるが、四日ぶりの日差しはぽかぽかと温かい。レ―ヴネメシスが壊滅し、平和に一歩近づいたはずの朝の都会の景色は、いつもと変わらないのどかなものだ。

 久しぶりに見る魔法世界の朝日が眩しく感じ、誠次は手の平を目の上に添えていた。


「香月さん、東馬さん……。太陽は、変わらずにこの国を照らしてくれています……。日本の夜明けは、必ず来るんです」


 いつか平和な世界で、共に見ることだってできたはずだ。

 誠次は迷いを振り払うように首を横に振ると、先に出入り口の階段を下りていた八ノ夜の後を追った。


「君は……」


 ――そして、守られた儚い命もある。

 八ノ夜の所有する高級外車。窓越しに見える後部座席に、一人の水色髪の少女が乗っていた。東馬迅と共に、日本科学技術革新連本部で敵対した後、こちらが保護した少女だった。

 ちょうど一〇〇年前ごろに開通したと言う東京と山梨を結ぶ高速道路を、八ノ夜が運転する車が走る。安全運転でお願いしますと念を押して頼んだので、おそらく大丈夫だろう。


「ふん、ふんふーん」


 鼻歌を歌う運転席の八ノ夜と、助手席に座る誠次と、後部座席に山のように積まれている荷物。その横の狭いスペースに座っているのが、八ノ夜が保護した少女だ。

 誠次はたった今、気乗りしない面持ちのまま、友人たちにクリスマスまで帰れない旨のメールを送ったところだ。


「一か月、か……」


 ため息を堪え、変わり映えのしない高速道路の景色から逃げるように、バックミラーを見つめる。そこから見える後部座席には、相変わらず水色の髪をした少女が、窓の外を眺めている。八ノ夜に買ってもらったのか、服も科連で出会った時の粗末なものとは違い、上流階級のお嬢様が着そうなものだ。八ノ夜曰く、昔に一時期ブームになった服装とのことで、なぜかこちらが直視すれば、たちまち命を奪われるとのこと。全くわけがわからない。

 しかしなによりまず目につくのは、少女の髪型であった。


「あの髪型……」

「床につくほど長かったからな。切ろうとしたんだが、本人が嫌がってしまって。結局私が適当に束ねたらああなった」

「嫌がったって……。それに、どう結んだらああなるんですか……まるで狐の娘みたいですよ……」


 誠次がジト目で八ノ夜を見る。


「なんだ可愛いだろ!? 結果良ければ全てよしだ!」


 八ノ夜は自慢げであった。


「か、可愛い、ですけど……あの服も……」


 少女の姿を見ているとむずむずするのは、いったいなぜだろうか?

 不思議な感覚のまま、誠次は一言も発さない少女の姿を視界から外し、灰色の道路と行きかう車の光景が続く高速道路の光景を見つめる。


「あの娘は読み書きどころか、話すこともままならない」


 八ノ夜は正面方向を見据えたまま、神妙な顔で呟いていた。


「話す、ことも?」

「おそらくだがな。こちらの言葉を理解しようと必死の様子は分かるが、物心がつかないまま東馬によって身柄を拘束され、ロクに読み書きを教わらなかったのだろう。代わりに覚えているのは、ここでは言えないが、残虐な魔法の命令の数々だ」

「ひどすぎる……」

「彼女には穏やかな日常を送れるよう、クリスマスまで一緒に過ごすぞ」

「……はい。ですけど、その後は?」


 少女が八ノ夜の横顔を見つめる。


「……まだわからない」


 八ノ夜にとっても初の出来事のようで、どうしたものかいまいち迷っているようだ。

 問答の途中、誠次の黒い目がバックミラー越しに、少女の水色の目と合う。


「……」


 少女は不思議そうな面持ちで、こちらをじっと見つめ返してきた。まるで顔の表情に連動するかのように、尻尾のような後ろ髪が動いているから、不思議だ。


「お前はどうするべきだと思う? まるで引き取った直後のお前のようだよ。私が話しかけてもよく無視してくれたなー? んー?」


 茶化されながら八ノ夜に訊かれ、誠次はハッとなって視線を正面へ戻す。


「家族を失った直後だったんですから」


 黒い目を細め、誠次は呟く。そう言えばあの日も、ひどく長く感じる高速道路の道をこんな風に走っていたっけかと思い出しつつ。

 今思えば、最初に連れてこられた当時は六歳で、子供の頃の無意味な意地と言うのもあったかもしれない。一緒に住むぞと言って来た八ノ夜に「一人で大丈夫です」と言い、自分以外誰もいなくなった家に引きこもっていたのは。結局、八ノ夜が嫌がる自分を強引に車に乗せ、以降およそ一〇年にわたり、生活を送った場所だ。一〇年と言っても、中学時代の頃は八ノ夜の都合もあり週末や祝日に訪れる程度にはなっており、ほとんど東京で生活していたが。

 

「当時を思い出すか? そんな顔をしている」

「ええ。俺にしてみれば、あの家は第二の故郷です。あそこで今の俺が、生まれたと言っても過言ではありません」


 神妙な表情で重い会話をする二人だが、八ノ夜大好きな熱血アニメソングが流れている車内である。よって雰囲気は、皆無に等しい。

 しかし、山梨県ですごした日々は、今となっては重要で大切な期間であったと言える。大げさな言い方ではあるかもしれないが、運命の分岐点、だろうか。

 山梨県に入り、一度高速道路を降りれば、緑豊かな光景が広がり始める。冬でもここら辺の木は枯れないようだ。上り坂や下り坂が交互に訪れる山道をしばし進んだ後、黒い車はいよいよ富士五湖がある付近へとたどり着く。

 

「懐かしいな……」


 誠次はぼそりと呟く。朝日を受け、きらきらと輝く湖には、世界遺産に登録されている富士山が反射していた。


「おお、美里みさとお嬢! こりゃあまあお帰りなさい」

「あら福田ふくださん! お久しぶりです!」


 山道を通る途中、警備員の男性とすれ違い、運転席の窓を開けて八ノ夜が微笑んでいる。警備員と言ってもハットにジャージ姿で、ただの釣り人にしか見えないが、交流がある人であった。


「あんれ助手席の。あの可愛かった天瀬くんかい? 大きくなってまあ」

「お久しぶりです。お元気そうで何よりです」


 よく迷惑をかけたりお世話になっていた人の久しぶりの姿に、誠次も挨拶を返す。こちらは背が伸びたり今は後部座席にあるレヴァテインと共に様々な困難を乗り越えて来た経験が増えたが、向こうは少しだけ、しわが増えたぐらいである。


「大人びちゃって。初めて会った日の事は覚えているよ、孫より可愛かったもんじゃ。子供の成長は早い早い。また一緒に釣りでもしようじゃないか」

「ぜひ。今度は俺が大物を釣ってみせますよ!」

「威勢がいいのは相変わらずだ」 


 福田は微笑みながら、後部座席をちらりと見る。

 

「え、この娘は、まさかお嬢と天瀬くんの……」


 少女はきょとんとした表情のまま、福田をじっと見つめ返している。

 いや、いくらなんでもそこまでは成長していない。

 誠次が否定しようとしたが、八ノ夜が肩を竦めていた。


「だといいのだが、中々天瀬が強情でな」

「よくないですよ!?」

「はっはっは。冗談冗談。お嬢も早くいい人を見つけんか」

「おおきなお世話だ」


 なんてやりとりをしながら、向こうも久しぶりに八ノ夜とこちらと会えたのが嬉しいようで、豪快な笑い声をあげていた。三人の会話の光景をじっと見つめる少女も、何かが嬉しいようで、尻尾のような髪を揺らしていた。

 古くは多くの著名人やセレブの別荘がある事で有名な、湖のほとりの広大な敷地に、三人を乗せた車は入っていく。相変わらず少女には全ての光景が目新しいようで、窓枠に手を添え、綺麗な景色を見渡していた。


「着いたぞ」


 がたがたと車内で揺らされた後、車は三階建ての大きなログハウスの前で停まる。


「男手はお前ひとりだ天瀬。頼りにしているぞ」

「そう言いつつ物体浮遊の魔法で荷物を車から次々と運んでいるのは新手の嫌味ですか?」


 八ノ夜は物体浮遊の魔法を器用に使い、次々と車から荷物を運んで行く。

 ジト目の誠次は自分の荷物を両手で持ち、車から運んで行く。


「……」


 途中、少女も車から降り、なんと車そのものに向け、物体浮遊の魔法を繰り出した。重たい車が浮かび上がり、これには八ノ夜も誠次も驚く。


「危ない! お、おい天瀬! 何とかするんだ!」

「何とかって……! ああもう!」


 手が離せない八ノ夜に代わり、誠次は荷物を離し、少女の元まで走り寄る。左足の痛みはなく、傷は塞がっているようであったが。


「危ないぞ! やめろ!」

「……っ!?」


 誠次の叫び声に反応した少女が、怯えたようにびくんと身体を震わし、足がもつれてしまう。

 物体浮遊の魔法が解除され、宙に浮かんでいた車が、どしんと音を立てて落下する。それにも気を取られかけたが、少女の怯えようは普通ではなかった。まるで人に迫害され弱った動物のように、小さな身体を震わせていた。


「えっ? あっ、そう言うつもりじゃ!」


 こちらが言い過ぎたのかと思いつつ、誠次は少女を安心させてやるため、しゃがみこんでいた。


「ご、ごめん。危ないって注意するつもりだったんだ……」

「……」


 少女は誠次の黒い目を、じっと見つめる。


(怒られるのが、怖いのか……)


 おそらく、東馬とうまから厳しい罰でも受け続けてきたのだろう。

 誠次がしばし言葉を失っていると、車の向こうから八ノ夜が声をかけてくる。


「天瀬。こっちは私が一人でやろう。車での移動が続いたし、お前はその娘と一緒に近所を散歩でもしてろ」

「散歩、ですか?」

「医者は体調には問題ないと言っていたが、お互い病院明けの身だ。あまり遠出はするなよ」


 八ノ夜はそう言うと、さっさと荷物の運搬を再び始めてしまう。


「……」


 気づけば、少女とぎゅっと右手を繋いでいた。

 確かに車での移動が続いため、のんびりと身体を動かしたかったのはあるが、久しぶりに訪れたこの地の風景を、鮮明に思い出したかったのもある。

 

「ごめんな。気晴らしに散歩するか。ここら辺覚えている限りで、案内するよ。きっと気に入ってくれると思う」

「……?」


 やはり少女は小首を傾げていたが、こちらの右手を頼るようにぎゅっと握ったままなのは、変わらなかった。


挿絵(By みてみん)

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