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魔法世界の剣術士 上  作者: 相會応
ボーイズ ウィー・アンビシャス
153/211

2 ☆

 車に張り付く粉雪を、ワイパーが交互に拭き取っていく。窓の外では相変わらず、殺戮の光景が広がっている。ある者は生存を諦め、歩道の上で項垂れ、泣きじゃくる。ある者は愛する家族を守る為、子供を先に走らし、自らを生贄として怪物にその身を捧げる。ある者は最期まで諦めずに、勇敢にも武器を持って怪物に立ち向かい、喰われていく。

 大晦日に降り積もる幻想的な白い雪は、赤と黒で瞬く間に染まっていた。

 パニックになった人が起こしたのか、ビルからはいたるところで火災が巻き起こっており、運よく建物の中に逃げ込めた人の末路も、悲惨なものであった。夜空は黒煙が色付けをしているのではないだろうかと錯覚するほどである。


「注意してほしいのは、必ずしも失われた夜の日ロストナイトデイがこうだったとは限らない。これは君の頭の中が見せる世界なのだから。本筋は結局こうなんだろうけど」


 運転席に座り、ハンドルを操縦するかなではまるで案内人ガイドのように言う。


「空想と史実が組み合わさっている、という事でしょうか」

「そうだね。言ってしまえば、ぐちゃぐちゃの世界さ。薬に侵された脳が君に幻覚を見せているにすぎない」


 志藤しどうがいたのも、香月奏が大人なのも、記憶が混同しているからだろうか。


「もしも君がこの世界とこの場に生まれていたら、生き延びる自信はあるかい?」


 問われ、降り積もる雪が美しくも残酷な大晦日の日を眺めてみる。


「……とても、無理だと思います。自分のことで、精一杯ですよ……」


 思わず窓の外の光景から顔を背け、誠次は力なく言う。


「不思議です。貴方の事は一度も見たことがないのに、こんなにも鮮明なんて」


 誠次はバックミラー越しに映る奏の姿を眺め、言う。


「君だけの意識の世界じゃないからね、ここは。おそらく僕の姿は詩音しおんの影響によるものだろう」


 相変わらず理屈は分からないが、この世界は自分と自分に関わった人が見せている世界なのだろう。


「……貴方はこの地獄の時を生き延びても、東馬とうまさんに……」

「自分の結末は、よく分かっているよ」

「っ。申し訳、ありません……」

「大丈夫」


 しかし、少しだけ物悲しそうに、奏はハンドルを白衣から伸びる両手でぎゅっと握り締めていた。誠次は胸が締め付けられるような思いで、逃れるために窓の外を見つめる。しかし、そこにも決して救いはない。


「当時僕たちは君たちと同い年ぐらいの学生だった。君のご両親たちも、きっとそうだったんじゃないかな?」

「……普通の学生生活を送っていた年越しの日に、突然゛捕食者イーター゛が出たんですね」

「街はたちまちパニックさ。当時の渋谷を中継していたテレビで、惨状を知った。幸いなのは大晦日を家族で家の中で過ごしていた事だろうね。そうだった人はよく生き延びたし、年越しを祝おうと外に出ていたそうじゃなかった人の大半の結果は、見てもらった通りだ」


 奏も横目で窓の外を眺めている。


「これから五年間。魔法が発見されるまで人類は滅亡寸前まで追い込まれる。残された人口的に見ればそうじゃなくとも、滅びは時間の問題だと、絶望の世界が広がっていたよ」

「銃とか、従来の兵器で何度か戦おうとしたんですよね」


 誠次の言葉に、奏はああと頷く。

 車はトンネルへと入っていた。


「結果は知っての通りだ。夜にしか出現しないという事が分かってからは、世界のお金持ちなんかはロシアとか、白夜のある北の果てに逃げて行ったけど。彼らがどうなったかは分からない」


 地球や惑星が公転する等の影響で、一日中日が沈むことのない現象を白夜と言う。

 まるでSF映画の中の世界さ、と奏は呟く。

 車は長いトンネルを抜ける。夜空からは、相変わらず粉雪が降っていた。


「終わった……」


 緊張の糸が解けたように、奏はふうと息をつく。車内の張り詰めた空気が、幻想的な雪と共に溶かされていくようだ。


「人を助けるなんて、僕も一度こんな格好いいことしてみたかったんだ。まさか死んでから出来るなんて、人生なにが起こるか分からないね」

「はい……」


 夜空の下、すごく反応に困る事を言われ、誠次は微妙に頷く。


「今のジョーク、面白くないかい?」

「……その、受け継いでいます、香月詩音さんに……」


 その尋ね方も、いつか聞いたことがあるような気がし、誠次は気まずい表情のまま返事をしていた。


「へー。ところで君は、詩音とはどこまで?」

「はいっ!?」


 バックミラー越しに感じる不穏な雰囲気に、誠次は思わず身構える。


「随分と仲がいいみたいだけど、キスはさすがにもう――」

「していませんっ!」

「まあ、記憶されてるから全部知ってるんだけど」

「おちょくってるんですか!?」


 嫌な笑顔を見せつける奏に、シートベルトで固定した身体を押してツッコむ。


「でも、君で良かったよ。詩音も僕も、そう思っている」


 奏は満足そうに笑っていた。

 誠次はキツネにつままれたように、身動きできないでいた。


「そうなんでしょうか」

「そうだとも。そして、君たちには希望がある。魔法世界にも、まだ未来がある。君が言った」


 真正面方向を見据えながら、奏は言う。しかし次には、このこの、と奏は左肘を突くようにして、


「――でもさ、さすがにキスくらいはしようよー青春高校生ー。詩音もつまらないよー」

「自分の娘さんを対象にしないでくださいませんかっ!? さっきから反応に困るんですけど!」


                  ※


 遺伝、親譲り。父親の豪快な笑い声を聞くと、その言葉がいつも脳裏をよぎる。


「ええっ、休止!? 業界じゃ事実上の引退じゃ!?」

『こらっ、声が大きいぞ我が息子よ! ワッハッハッハ!』


 早朝のHR開始前。部活動の朝練を終えた帳悠平とばりゆうへいは、父親と電子タブレット越しの通話をしつつ、学園内のとある施設へ急ぐように小走りで向かっていた。


「その笑い声が大きいんだよ、親父……」


 帳は苦笑しながら、やれやれと肩をすくめる。

 父親は都内のビルにオフィスを構える芸能プロダクションの社長だ。所属タレントはアイドルや俳優に始まる芸能人、果ては奇抜なマスコットキャラクターまで。よく社長には見えないという事で有名らしいが、少なくとも父親の事は尊敬している。かと言って、面と向かうと素直になれないところもあると、自覚しているが。


「でもマジか……。桃華とうかちゃん、マジで引退か……」


 父親の事務所での呼び名は社長。よって、帳と言う名に感づかれることはなかった。

 そんな一昔前のヤクザ事務所のようなしきたりが存在する会社に所属する一番人気のアイドルが、無期限活動休止したいと言う旨を伝えて来たという。文化祭の日ぐらいにその意思を父親と相談していたというが、個人的にも応援していたので、かなりのショックであった。


「GWの時、せっかく天瀬も小野寺おのでらも気に入ってくれて嬉しかったんだけどな。孤児院の人も快く応援してくれてたし」


 実の母親の旧姓である太刀野たちの。母親が経営者であり、その名を冠した孤児院出身だ。母親の旧姓を持つ一つ下という事もあり、自然と帳の中では、妹のような情も沸いていた。


怜宮司れいぐうじくんの暴走を止められなかったのは、全て父さんの責任だ。社長失格だよまったく』


 文化祭で事務所の力を使えなかったのも、色々とややこしい契約の問題や、法律の問題があった。それでもルームメイトがホテルから落っこちた時は、さすがに父親に直接連絡を入れはした。そうすれば父親から帰って来た言葉は、まさかの担当者に一任している、である。父親はその後、慌てて特殊魔法治安維持組織(シィスティム)本部に連絡を入れたようだが。


『天瀬くんは今、元気してるかい? 彼には大変お世話になったからね』

「本当だ。風邪で休んでるって話だけど、たぶんもっと別の理由だと思う。これから朝のHRで、担任からなにか言われると思うけど」


 昨日の昼飯の時、志藤しどうにも事情を聞いていた帳は、そう答えていた。


「って、時間やばい! 間に合わないから、切るぜ!」

『さっきから急いでどこに向かっているんだ、我が息子よ!?』

「図書棟!」

『おお。また暇な時にでも電話してくれ我が息子よ! ここ一年は忙しい日を続けていたが、私も反省して今は暇なんだ! ワッハッハッハ!』

「あいよ!」


 ハッハッハと笑い声を残し、帳は父親との連絡を終える。返却期限が迫っている本を、返さねばならないのだ。電子書籍が主流だが、旧来の紙の本の良さも、誠次から教わっていた。

 博物館のような階段を駆け上がり、木の門を通り、ドーム型の図書棟の中に帳は入る。

 

「おはようございます。返却ですね」


 受付返却口にいる図書委員の女子先輩が、帳の渡した分厚い本をチェックする。文化祭の日に誠次が借りた北欧神話の本を、そのまま誠次から受け継ぐ形で借りていたのだ。借りたのが自分ではなかったために、気づいたら返却予定日となっていたのである。


「北欧、神話……?」


 図書委員の女子は少し困惑した様子でタイトルを見つめている。確かにマニアックすぎる本だ。


「あ、良かったら俺自分で戻しますよ。大体の場所は分かりますし」

「あ、ありがとう……。実は私、二学期から図書委員やったばかりで、まだ本の場所よく把握で来ていなくって」

「広いですし、一周するだけで一苦労しそうですもんね。任せてください」


 帳はにこっと微笑んでから本を受け取り、歴史書物のコーナーへと向かう。


「ええっと、歴史書物は二階の奥の方か」


 やはりと言うべきか、目立たないところに歴史書物コーナーはあった。心なしかかび臭い匂いもし、本棚に敷き詰められて並んでいる本も古いものが多い。


「「大体、ここら辺、かな……」」


 偶然居合わせた女子と声が重なる。


桜庭さくらば!?」

「帳!?」


 両手になにか大量の本を抱えている桜庭莉緒さくらばりおと、鉢合わせをする。


「こんな朝っぱらから、歴史物に興味あったのか?」

「あ、うんお勉強。……ってその本めっちゃ探してたんだ!」


 桜庭は帳の手に握られている本を見つけ、ぱっと顔を上げる。歴史好きとは思っておらず、むしろ苦手そうなイメージがあるのだが。


「ちょうど俺返すから、ぴったしだな」


 帳は本を桜庭に渡してやる。


「ありがと! これ探してたんだよー」


 嬉しそうに桜庭は、帳から北欧神話の本を受け取る。他にも、海外の神話の話を纏めた本なども持っているようだ。


「勉強?」

「あっ、帳絶対詳しいよね、こう言う昔の話」

「意外だな、桜庭がこんなのに興味あるなんて」

「内容はちょっと難しいけど、天瀬のレヴァテインの事をちゃんと知らなくちゃって思ってね」

「……」

「何その変なモノ見る目!?」


 硬直する帳に、桜庭が本を落としそうになる。

 帳は申し訳なく、髪をかきながら、


「悪い。もっとちゃらんぽらんな女子だと思ってたから」

「ちゃらんぽらんって何!? 物凄い悪口な気がするけど!?」


 かなりショックらしく、ハッハッハと笑う帳の前で、桜庭は愕然としている。 


「悪い悪い天瀬の為か。よっしゃ! 俺で良かったら、何か教えられるぜ?」

「わ、それ本当助かる! ありがとう帳!」

「こっちの世界へようこそだ桜庭!」

「こっちの世界……?」


 朝のHRが始まる直前まで、帳と桜庭の会話は続いていた。

 おおよそ高校生の男女がする内容の会話ではないが、帳の熱弁は続く。


「俺の仮説だと、やっぱり天瀬のレヴァテインは、スルトのレ―ヴァテインが転生したものだと思うんだ」

「転生……? 転生……」


 あごに手を添え、視線を上に向ける桜庭は、いまいちぱっとしていないようだ。その後も濃すぎる帳の話の内容について行けず、机に突っ伏し始めている。


「九つの鍵。唯一無二の剣。どう考えてもレ―ヴァテインで間違いない。問題はそれがどうして現代に蘇ったかだな……。そう言えばスルトって、結婚してたんだよな……」


 帳も腕を組んでぶつぶつと言い始め、自分の世界へと没頭していく。

 目の前で桜庭は図書棟の巨大古時計を見つめていた。


「もうすぐHR始まるよ帳……。さすがにもう教室行かないと」

「ん、先行っててくれ。俺もまた何冊か借りたくなって来た」

「先って!? もう遅刻しちゃうってば!」


 桜庭に制服の袖を引っ張られ、帳はぶつぶつと呟いたまま、引きずられていった。


                ※ 


 保健室での目覚めは、人生初の経験だった。眠気眼ねむけまなこの視界の中、薬品の匂いが鼻をすっと通っている。


「……」


 香月詩音こうづきしおんは、新品のワイシャツ姿で目を覚ました。

 慌てて現在時刻を確認する。どうやら自分は丸一日眠っていたらしく、あの日から二日経った朝だ。両親の事を知り、最後まで天瀬くんと一緒に戦って、東馬迅とうまじんを追い詰めて……それから……?

 ずきりと痛む頭。頭を打ったショックなのだろうか、よく思い出せない。微かに十字架と、翼が折れ横たわる天使のようなイメージが頭に湧くが、頭痛によって邪魔される。


「――はい、私の身体に問題はないです」

「良かった」


 白いカーテンの外では、本城ほんじょうさんと保健委員の女子が会話をしている。

 布団から足を降ろした香月は裸足で上履きを履き、カーテンを開ける。


「あっ、詩音ちゃんさん、おはようございます」

「どうなった、の? 天瀬、くんは?」

「詩音ちゃんさんは、私たちを学園まで届けた後、再び向かった八ノ夜はちのや理事長さんが科連本部から助けだしてくれました」

「あの状態から、理事長はまた出撃したの?」


 魔素マナも枯渇寸前の状態だったはずだが。香月は驚いていた。


「はい……止めることはできなくて。誠次くんは怪我が酷くて、大きな病院に移されたそうです」

「無事、なのね……」

「八ノ夜理事長さんが仰るには。でもそれ以外何も情報がないんです。理事長さんも、学園に戻っていないらしくて……」


 千尋ちひろも心配そうに視線を落としている。


「身体の具合は、大丈夫ですか? つたなかったですけれど、私も治癒魔法で詩音ちゃんさんを治療していたのです」

「ええ。おかげさまで大丈夫。ありがとう本城さん」

「良かったです……。学園の皆さんには、風邪をひいてしまいましたと説明しておきました。確実に怪しまれるでしょうけど……」


 安堵する千尋の前で、香月はベッドから立ち上がり、身支度をする。【早く元気になってね!】と書かれたメモが添えられたブレザーは、おそらくルームメイトのみんなが用意してくれたのだろう。

 帰ってこれた、と言う安心感が湧き起こり、香月はそっとブレザーを羽織っていた。

  

「もうすぐHRが始まりますが、参加出来そうですか?」

「本城さんこそ、平気?」


 はいと頷く千尋だが、どこか不安げな表情となる。


「私は……。ですけれど、あれから朝霞あさかさんが行方不明なんです」

「朝霞が?」


 まさかと思ったが、彼はしぶといはずだ。そう簡単にやられる者ではない。

 二人で保健室から出て、教室へと向かう。


「……心配だけれど、するだけ無駄な場合もある」

「ど、毒舌ですね」


 朝のHRが始まる直前に1-Aに戻って来た香月と千尋を、クラスメイトたちが迎える。


「お帰りー!」

「心配したよ!」

「二人そろって風邪なんて、珍しいよねー」


 駆け寄って来るクラスメイトたち。それはとても嬉しい。

 しかし、クラス内のどこを見渡しても、いつもの朝は志藤しどうくんとルームメイトたちと仲良さげに話していることが多い天瀬くんの姿がない。それが酷く寂しく感じる事だと思うのは、もはやあり得ない感情ではないのだろう。


                 ※


 二人は無事に帰って来てくれたが、いまだ天瀬さんは病院にいると言う。あの夜、最後に部屋に来たときに顔を合わせたとき、誰が風邪の身のまま夜の外に出ると思うだろうか。

 香月詩音と本城千尋の話をルームメイトのみんなと志藤、桜庭、篠上で聞いた後であった。

 昼休みの廊下を、小野寺真おのでらまことは浮かない面持ちで歩く。ルームメイトの事が心配で、仕方がなかった。


「ご無事でいてくれればいいのですけれど……」


 ふと、足を止める。スラックスのポケットにしまっていた電子タブレットが、音を立てて鳴っている。


「またあやから? こう何度も、珍しいです」


 大阪のアルゲイル魔法学園に通う双子の妹の小野寺理。一時期は全くの音信不通状態が続いていたが、ここ最近は頻繁に連絡が来るようになっていた。

 兄として自分の性格が頼りない事の、自覚はある。中学校までは同じ学校に通っていた。両親は将来の為にと、早くから自分たちを魔法学園に入れることを決めていたそうだ。しかし中学生の時点で、珍しい男女の双子と言う事で、それなりに目立ってしまっていた。そう言う理由もあって、妹は同じヴィザリウス魔法学園に入るのを拒んだのだろう。

 そして親の判断により、しっかり者の妹は単身大阪へ。頼りない自分は、東京の魔法学園へと入学されたのである。


「もしもし、理」

『あっ、おにぃ……』

「今度はどうしたの? なにか相談?」


 いつもと比べて語気が弱く感じ、画面に浮かんだ理に声を掛ける。外見は髪型以外は自分と瓜二つであり、昔はよくどちらがどちらだか、間違われることも多々あった。

 画面に浮かぶ妹の様子は、どこか憔悴しょうすいしているように見えた。


『相談って言うよりは……お願いが、あるの』

「お願い?」

『友達の変態と、話がしたいというか……』

「前も言いましたけど変態ではなく、天瀬誠次さん、ですよ」


 失礼ですよ、と理に注意する。先日も同じことを注意したが、なぜか理は天瀬さんの事を変態と覚えている。……大阪で一体何があったのだろうか。


『あ、天瀬誠次。そうソイツ……。いる?』

「天瀬さんなら、今は学園をお休みしています」

『じゃあ、連絡先教えて』

「あー。天瀬さん、今電子タブレット持っていないと思います。壊しちゃったとかで……」


 なにそれ、と愕然とする理を相手していると、背後からこつこつと近づいてくる足音が一つ。


「あ、天瀬がどうしたの?」

篠上しのかみさん!?」

 

 学級委員の篠上綾奈しのかみあやなが、小野寺の肩に手を添えつつ、電子タブレットから出力されているホログラム画面を覗き込んでくる。偶然、聞き耳を立てたのだろうか。


『誰よアンタ』


 ツンとなった理が、割り込んできた篠上を睨む。


「アンタって、アンタこそ誰よ」


 同じくツンとなった篠上が、理を睨みつける。

 ツンとツンに挟まれる形となった小野寺は、引くも押すも叶わず、たじろいでいた。


『私は天瀬誠次に用があるの。部外者は引っ込んでいて頂戴』

「理、失礼だって――」

「部外者ですって!?」

「篠上さん、どうか落ち着いて!」

  

 白熱しつつある双方をどうにか宥めようと、小野寺は懸命に頑張る。

 篠上がぐいと近づくと、画面の先の理はその゛迫力゛に、思わずのけ反っている。


『デカっ! 揺れた!? な、なんでこうもデカいのが一杯いるのよ……っ。げ、下品女ね』

「下品女ですってぇ!? 私の名前は篠上綾奈っ! アンタは!?」

 

 決闘でもする気なのだろうか、と冷や冷やな目で小野寺は篠上を見る。


『小野寺理よっ! なにか悪い!?』

「べ、別に悪いなんて一言も言ってないじゃない!」

「……」


 不毛すぎる争いを見ている気がし、小野寺はがっくしと肩を落とす。


「って小野寺……って、これが莉緒りおが言ってた小野寺くんの双子の妹!?」

『え、ええそうよ。悪い!?』

「だからさっきから悪いなんて一言も言ってないじゃないっ!」


 可愛らしい黄色いリボンで束ねたポニーテールを揺らし、篠上は怒鳴っている。理も理で怒鳴り返し、お互いに一歩も引かない状態だ。……なぜこんないがみ合っているのだろうかと言う素朴な疑問が、小野寺の頭の中で渦巻いているが。


『私は変……っ天瀬誠次に用があんの! もう一度言うけど部外者は引っ込んでなさいよ! いろんな意味で!』

「私も……っ天瀬誠次に用があるの! 部外者どころじゃないわ! アンタこそ天瀬とどんな関係なのよ!?」

「天瀬さん。……苦労されて、ますね……」


 電子タブレットを片手に持ったまま、思わず涙ぐむ小野寺であった。


「見た目は似てるのに、えらい違いね。こう言っちゃ失礼かもしれないけど」


 篠上は一息ついてから、画面の理とこちらとを、交互に見つめて呟く。


「外見的な特徴は、魔素マナが決める時代ですからね」


 とほほ、と小野寺は言う。自分と理の金髪に橙色の目と言うのも、魔素が人間の遺伝子情報に干渉した結果であると、されている。目の前に立つ篠上の赤髪に、水色の目色もしかり。


「でも、そう言われるのと同時に不思議でもあります」

「『なにが?』」


 あごに手を添えて吟味するように考え始めた小野寺に、篠上と理が同時に首を傾げる。こうなってしまえば、どれとどの組み合わせが双子なのか、分からなくなってくる。


「いえ、外見的な特徴を左右するのが、単純に魔素マナと言うのならば、矛盾が生じます。例えば篠上さんの場合、髪の色と目の色が違います。人の体内魔素マナが外見的な特徴を決めると考えたら、普通は同じ色とかだと思いませんか? それに黒い魔素マナは確認できていないのに、昔の日本人のように黒髪のままの人もいます」

『お兄、今それ重要?』


 理がげんなりとしてツッコんでいるが、小野寺は不思議ですね、とあごに手を添えたままだった。


「あとは人によって魔素マナの量や質、特徴が違うのはなぜだろうかと言うのは、まだ研究されている段階なんですよね。そう考えると、単純に魔素マナが両親からの遺伝で伝わるとは言い切れないんです。そして、必ずしも魔素マナが人の外見的特徴を左右するとも」

「小野寺、くん……?」


 篠上も大きな目をぱちくりとし、ぶつぶつ呟く小野寺を見つめている。


魔素マナ魔法元素エレメントにはまだ不思議がある……。この世界に突如として生まれた魔法の不思議。いつか、解き明かせる日が来るのでしょうか」


 何かの光明を得たように、最終的に顔をぱっと上げた小野寺に、篠上と理は口論することも忘れていたようで。

 

『……はいはい難しい話はお兄が頑張って。天瀬誠次と話が出来ないんだったら、私もう切るから』


 理はどこか不安げな面持ちを一瞬だけ見せたのち、通信を終えていた。


                ※


 少年たちがそれぞれの大志を抱き始めるそれより前のこと――。


「――警察が出動しているのか? 科連本部に?」

「――やっぱなずな総理が一番だよな。最初は初めての女性総理で大丈夫かって思ったけど、昔の総理大臣とは一味違う」

「……」


 意味不明の日本語と、英語のアナウンスが交互に流れている日本の空の大拠点、ハネダ空港。プライベートジェット機から降りた少女は、行き交う人の群に飲み込まれ、異国の地でメイドと離れ離れになってしまった。つまるところ、迷子である。


「……」


 ルーナ・ヴィクトリア・ラスヴィエイト。自分の名が記載されたパスポートを眺め、ルーナは進退窮まっていた。


「……。困った……」

 

 周囲をきょろきょろと見渡し、白毛の眉を寄せ、ロシア語で呟く。周りの無数の人間が、自分には分からない日本語で話しているのはとても不安になり、また少し怖くもあった。


(……この私としたことが……)


 日本人と顔を合わせることも出来ず、ルーナはキャリーバックをごろごろと転がして、案内ホログラム地図のところまで行ってみる。英語は理解できるが、目的地が分からない。一度空港を出るべきか否か。


「おい、今のノースリーブの服の娘……」

「見た。めっちゃ寒そうな格好だけど、超可愛い……! 銀髪碧眼ぎんぱつへきがんとか、ドストライクだわ!」


 通り過ぎる日本人が、何やら日本語で話している。そんなに極北の国から来た人が珍しいのだろうか。容姿もべつに、髪が白い人ならこの国にも大勢いるだろう。武装しているわけでもなく、あくまで潜入任務の為に、目立たない格好のはずだが。

 暖房が効きすぎているようでとても暑い。周りの人が厚着なのが信じられない。両方の二の腕を軽く擦りながら、ルーナは英語の標識を確認する。


(クリシィ……)


 クリシュティナ・ラン・ヴェーチェル。幼馴染であり、大事な友人でもあり、一緒に日本へ来た中国系ロシア人メイドのあだ名を、心の中で呼んでいた。


「How can I help you?」


 英語で声を掛けて来たのは、空港の職員ではなく、同じくキャリーバックを握った日本人の男性だった。壮年の男性で、人の好さそうな笑みを浮かべている。


「へ、ヘルプ……。ソ―リー……」


 ルーナはあっと驚きながら、拙い英語で返してしまう。教育は受けてきたが、ロシア語でここまでずっと話しており、思わず口下手になってしまった。


「あんた、どうしたの?」


 続く言葉を失ったルーナと、困ったような顔をする男性のもとに、男性の妻らしき女の人も近寄って来る。失礼かもしれないが、少し恰幅かっぷくの良いお腹周りである。


「ん? ああ何だか困っているみたいで、助けてあげたくてさ」

「可愛い娘に手出そうとしたんじゃないの? アンタいい歳して」

「馬鹿な事言うなって! 痛い痛い叩くな!」


 ぺしぺしと叩き叩かれ、日本語で話す夫婦。日本語は英語よりもはるかに難しく、相変わらずルーナにはなんと言っているか分からない。


「お母さん、お父さん、なにしてんの?」


 さらにさらに、夫婦の子供と思わしき同い年か少し下の女の子まで、やって来る。女の子は、パックに入ったたこ焼きを食べていた。


(そ、それはっ!)


 ルーナはコバルトブルーの目を潤ませ、ごくりと、そのたこ焼きに乗っかった黄色のソースに目を奪われていた。


「マヨネーズ!?」


 大好物を前に、ロシア語で小さく絶叫してしまう。おまけに、クリシィからは日本食は美味だと聞いている。


「ん? たこ焼き食べたいんですか? あっ……イッツイート?」


 日本人の女の子は英語が得意ではないそうで、しかし伝えようとしてくれることは何なのか、爪楊枝を差し出してくれるジェスチャーで分かった。


「Thank you……」

 

 本当に貰っていいのかと、三人組の家族にルーナは確認の視線を向ける。見ず知らずの人にモノを恵んでくれるなど、あり得ない事だと思っていた。

 しかし日本人の家族は三人とも、うんと笑顔で頷いてくれた。日本人は優しいと聞いていたけど、まさかここまでとはと、少女は小さな感動を味わっていた。そして、大好物のたこ焼き――ではなく、マヨネーズも。


「さ、先っちょだけでいいの?」


 たこ焼きを差し出してくれた女の子が、驚いている。

 爪楊枝を器用に使い、ルーナはたこ焼きの上に乗っかっていたマヨネーズのみを、舐めていたのだ。親子はそれを見て、堪えきれずにと言った様子で、苦笑してしまっている。


「美味しい! delicious!」


 ロシア語の後、英語で感想を述べる。


「おーちん、デリシャス? うーん……。英語の人じゃないっぽいね」

「ああそうか。だから英語が通じなかったんだ。これは僕も困ったな……」


 女の子と父親が、真剣に話し合ってくれている。

 極北の亡国育ちのルーナは、親切な日本人の親子に、何だかものすごく申し訳ない気分となってしまう。この国に来る前に、もう少し日本語の勉強をするべきだった。

 ――いや、なにも観光の為にこの国に来たわけではない。マヨネーズの誘惑には負けたが、これ以上ここにいるのはまずい。


「あ、ありがとう」

「すぱ、すぱしーば? すぱしーば……。……あっ、ロシア人だ! アンタ、聞いたことあるよ私! 前にテレビでロシア語やってたのよ! 空港の人も不親切ねぇ、こんな可愛い娘さんを一人にするなんて。まるでどっかの国のお姫様みたいなのに!」

「痛い痛いだからなんで叩くの!?」


 一度口を開けると次々と言葉を放つ奥さんに、苦笑している旦那さんはどうやら尻に敷かれているようだ。嬉しそうに旦那の肩をぺしぺしと叩いてから、奥さんは係の人を呼びに行く。

 特殊な愛情表現だと、ルーナは思っていた。


「ルーナ!」

 

 聞き慣れたロシア語で、慌てた様子のクリシィが駆け寄って来る。急いで来たのか、肩を出すデザインのニットウェアが少し着崩れてしまっている。


「クリシィ。申し訳ない……」

「私こそ、申し訳ございません。目を離してしまいました……この人たちは?」

「親切な人たちだ。マヨネーズをくれた」

「る、ルーナ……」


 クリシュティナはふぅとため息をつくと、日本人の儀礼に従い、頭をぺこりと下げていた。そして、流暢りゅうちょうな日本語で話し出す。


「ありがとうございました」

「あ、日本語だ。それにしても海外の人ってってやっぱ色々すごーい」


 日本語を器用に扱うクリシュティナとその姿に、女の子が感心しているようだ。

 クリシィは子供のころから自分以上に屋敷で英才教育を受けていたため、日本語もぺらぺらと話すことができる。


「いえいえ。大した助けも出来なかったですし、僕たちは行きますね」


 男性もまた頭をぺこりと下げ、女の子を伴なって職員を呼びに行った女性の元へ向かう。


「もう大丈夫そうだ、連れの日本語が話せる人が来たから。すごい格好だけど」

「あらそうかい。じゃあ行きましょ。温泉よ温泉~」

「また北海道の少年みたいな、いい出会いがないかなー」

「牛乳早飲みなんてはしたない真似、恥ずかしいからもうしないでよね。ってか、私も北海道の時の目の前にいた子たちみたいに友達同士で行きたかったー」


 仲睦まじく、民間機の搭乗口まで三人の親子は行ってしまった。


「日本の人は、やはり優しいな」

「ルーナ・ヴィクトリア・ラスヴィエイト様。どうか私たちがなんのためにこの国に来たのか、お忘れなきようお願いいたします。場合によってはあの家族に幻影魔法をしなくてはいけませんでした。それは日本の法律でも、禁止されています」


 敢えて長い本名を告げて来るクリシュティナは茶髪の下の、ルビー色の目に力を込めていた。

 ルーナも慌てて自分の立場を思い出し、気を引き締め直す。


「ところでクリシィ」

「なんですか、ルーナ?」

「その手の観光パンフレット、役に立つのか?」

「ルーナも見ます? 日本文化は興味深いですよ。中国とも違います」

「ぜひ」


挿絵(By みてみん)

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