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魔法世界の剣術士 上  作者: 相會応
ボーイズ ウィー・アンビシャス
152/211

1

「あー、なんか、面倒臭いな」


気だるそうな志藤(しどう)の声で、誠次(せいじ)は目覚める。夕暮れの空の下、ここはヴィザリウス魔法学園ではない学校のグラウンドのようだ。分厚い雲の上には、茜色の空が広がっており、なぜか自分はそこで立っている。

 日本科学技術革新連合で戦い、東馬(とうま)との決着をつけようとしていたはずだ。

 

「ここ、は……?」


 誠次は自分の腹と左足をそれぞれ確認する。傷一つとしてない身体は流血しておらず、痛みも感じない。さらに、着ている制服も、見慣れない学校のものだ。まるで普通科の高校に通う平凡な高校生のようだ――。


「だいたい、将来の事なんかまだわかんね……って、どうした天瀬?」


 そう言って立ち止まった志藤を、硬直している誠次は見つめていた。身体は自由に動かせるようなのだが、わけがわからなくて動けないでいるのだ。

 そして、互いの黒い目と黒い目の視線が、交錯する。


「その、髪……」


 視線の先には、顔立ちこそ志藤颯介(しどうそうすけ) 本人だが、黒髪に黒目と言う風貌の男子生徒がいたのだ。


「なにきょとんとしてるんだよ……」


 黒髪の志藤は(いぶか)しげに誠次を見てくる。


「金髪じゃ、ない……」

「はあ!? 俺が金髪!? ヤンキーじゃねぇんだし、髪なんか染めるかよ」


 自分の髪を確認するように触りながら、志藤は気持ち悪そうに言う。

 それに、と志藤は遠くを見る。


「警察官の父さんに、顔向けできなくなるし……」


 父親の事を尊敬しているようであり、どこか気恥ずかしそうに志藤は言っていた。


「志藤の父さんは、特殊魔法治安維持組織シィスティムなんじゃ……」

「シ、スティム……? なんだそれ?」


 志藤が眉を寄せて首を傾げる。

 周りの生徒たちが会話をしながら下校していく中、誠次は気味の悪い感覚の中にいた。夢の中いるとは思えないほど、ここを現実と錯覚出来ており、同時に夢と現実との差別ができる思考がある。頬を撫でる風も冷たく感じ、風にそよぐ木々も、夕暮れに出来る影も、何もかもが現実そのものであった。


「大丈夫かよ天瀬ー? ファミレス行こーぜ」


 学生鞄を背中に回し、両手で後頭部を押さえながら、志藤はお気楽そうに言ってくる。

 本当に自分はこの世界の正しいピースの一部なのか? 魔法世界のはぶれ者ではなく、よくいる男子高校生の一人。綺麗に揃えられたパズルのピースから余って外れることもなく、きっちりと枠に嵌め込まれる存在……。

 誠次は辺りを見渡す。魔法世界ならばあり得ないほど、夕暮れの時間でも人は活発に活動している。今から遊びに行く約束。夜の習い事の話。彼の家に行くと言う男子や女子生徒。


「ファミレスって、もうすぐ゛捕食者イーター゛が出る時間……」


 誠次は志藤に訴えるようにして言う。

 にも関わらず、学校の方からは部活に勤しむ生徒たちの声が聞こえて来る。


「天瀬……。お前また俺のツッコみを受けるためにボケてんのか……」


 当の志藤は、ジト目でこちらを見ている。


「ち、違う! 普段はそういう時あるけれど、いたって真面目な話だ!」

「あるのかよっ!」


 ぼか、と首筋を叩かれる。

 痛く、感触もある。夢では、ない? 人が夜の外に出て、自由に行動しようとしている。゛捕食者イーター゛もこの世界にはいないと言う。

 誠次はまだ不思議に思い、自分の首筋をさすっていた。


「平和な、世界……」


 頭を上げる。二度(にたび)冷たい風が、誠次の頬を撫でていく。校門の先に広がる世界には、夜を迎えようとしても穏やかな都会の街並みが広がっている。


「じゃあな天瀬、志藤」

「おーう」


 他の男子生徒に声を掛けられた志藤が、返事をしている。やはり周りの少年少女も皆黒髪である。

 志藤は続いて電子タブレットを起動し、画面を眺めていた。


「レヴァテインも、魔法もないのか……?」

「っつか、さっきからなに言ってんだよお前……。現実逃避か?」


 志藤は誠次を変なモノでも見るような目で見ている。


「これが、理想の平和な、世界……」

「おーい。なんか変なもんでも、食ったのか……?」


 硬直している誠次の横で、だめだこりゃ、と志藤は肩を竦める。


「ってやば。俺バイト行ってくるから、マジでファミレスで待っとけよ!? 先帰ってたら奢りだからな」

「帰るって、どこに……」

「? フツーに家だろ。お前の可愛い妹がいる」

「妹……奈緒なお!?」


 生きている。誠次が叫ぶと、志藤は慌てて両手で顔を覆う。


「わ、悪かった! 奈緒ちゃんの事は全然狙ってないから!」


 志藤は慌てた素振りで、小走りで行ってしまう。

 誠次は口を大きく開け、動けないでいた。


「みんな、生きている……。家族が、いる……」


 なんだか身体から力が抜けていき、とうとうその場で膝をついて崩れ落ちる。


「おい天瀬? 大丈夫かよー?」

「どうしたの?」


 周りの学生たちが、誠次を眺めている。おそらく、剣術士と呼ばれることもないのだろう。ここは、魔法世界ではないのだから。

 家族が存命している喜びを噛みしめる誠次は、ゆっくりと立ち上がる。


「よかった……」


 ――しかし、なぜだろうか。夜に染まりつつあるこの世界に、どうしようもないむなしさを感じてしまうのは。これで、いいのだろう? こうなるべき、だったのだろう?

 自分自身にそう言い聞かせ、誠次が彷徨うように歩き始めようとした矢先の事だった。


「――゛捕食者イーター゛!?」


 帰宅する生徒たちが出て行く正門の前、黒い影が立体的な動きを見せ、人の形となっていく。それは間違いなく、奴らが出現する兆候だ。


「なにあれ?」

「誰かの電子ペット? すげー」


 しかし周りの生徒たちは立ち止まり、呑気にも゛捕食者イーター゛が形作られていく様を、何事かと見つめている。


「なんで止まっているんだ!? みんな防御魔法で身を守れ!」


 ドクンと鳴る心臓。慌てる誠次は、大声で叫ぶ。

 しかし周囲の生徒たちは、急に叫んだ誠次を見ては、嘲笑ちょうしょうしてきた。


「これってなんかの撮影天瀬? 演劇部? 金掛けすぎじゃん」

「防御魔法? なに言ってるんだよ天瀬?」

「なにって、まさか魔法がないのか!? それなのに、゛捕食者イーター゛がいるって言うのか!?」


 対抗する手段がない絶望的な条件の世界に、誠次はぞっとする。


「っ! くわっ!? あ、頭がっ!」


 ゛捕食者イーター゛を見た途端、頭が割れんばかりの頭痛が、突如湧き起こる。視界が簿やつき、誠次は両手で頭を抱え込んで、叫んでいた。

 影が俊敏な動きを見せ、男子生徒に襲い掛かる。誠次は咄嗟に走り、男子生徒の身を押し倒し、自らも地面を転がって゛捕食者イーター゛の攻撃をかわす。


「うわっ!? 痛っ!」

「逃げろ! 建物の中だ!」

「に、逃げろって、冗談か――」

「早くっ!」


 吠えるように、誠次は叫んでいた。


「お、おう……」


 誠次に倒された男子生徒は、また誠次の声に圧倒されて立ち上がり、急いで走り出す。


「みんな急いで逃げろ! 建物の、中にっ!」


 また頭痛――っ!?

 ゛捕食者イーター゛を人を襲う存在と認識した途端、悲鳴をあげて逃げ始める生徒たちの中、片手で頭を押さえつけながら、誠次は反射的に背中にもう片手を伸ばす。

 

「……っ!?」


 ――ない。対抗する武器であるレヴァテインも、魔法の力を貸してくれる存在も今はないのだ。右手で空を掴んだ誠次は、身体に悪寒が走るのを感じた。


「あ……あっ!」


 生徒たちの悲鳴を聞きながら、対抗手段のない誠次もまた、パニックに陥りかける。魔法無き世界に生まれた゛捕食者イーター゛を阻むモノなど、なにもなかった。


「やめろ……。俺には、なにも出来ない……。やめてくれ……!」


 誠次は動けなくなり、呆然と、黒い体躯を見上げる。逃げるなんて出来ないと誓った自分の身体が、無理やり逃亡を拒否している。実際には、レヴァテインも魔法の力もない自分とは、こんなにも無力だったのかと、思い知らされているようだった。


 ――お前はまるで、あの時の俺と同じだ……。


「また頭がっ!? なんだ、これはぁっ!?」


 頭を無理やりえぐられるような感覚は、酷くなっている。

 だとしても、みんなが逃げる時間は確保しなければ。なぜかこの世界の人は、゛捕食者イーター゛の存在を認知していない。みんなを生かすことが出来るのは、守れるのは、自分だけだ。

 がんがんと鳴る頭痛を抑え込み、誠次は叫ぶ。


「゛捕食者イーター゛!」


 絶望的な戦いに身を投じた誠次は、持っていた鞄を゛捕食者イーター゛に投げつける。鞄は゛捕食者イーター゛の胴体をするりとすり抜け、学校を出た所にあった道路の上に転がっていく。

 それでも、生きの良い獲物を見つけた、と言わんばかりに゛捕食者イーター゛は誠次に向け、無数の触手を伸ばす。


「こっちだ!」


 誠次は振り向き、一目散に走り出す。


「天瀬!? やばいって!」

「天瀬も逃げて!」


 朦朧とする意識の中、生徒たちの悲鳴が、背中の方から聞こえる。

 みんなにはおれが戦っているように見えるのか? 対抗手段もなく、逃げているだけだと言うのに。


「ハアハア……!」


 グラウンドまで逃げたところで、今度は新手の゛捕食者イーター゛が、サッカーゴールを突き破り、出現してくる。挟み撃ちされる形となった誠次は立ち止まり、間を抜けるように方向転換する。


「どうなってるん、だ……っ」 


 逃げる途中、誠次は思わず後ろを確認する。゛捕食者イーター゛の腕が、目前まで迫って来ていた。

 最初の掴み攻撃をかわしたものの、続くもう一体の腕をかわすことが出来ず、無反動で出来る腕力とは思えないほどの強引な力で、誠次は身体を吹き飛ばされる。


「ああっ!?」


 投げ飛ばされた誠次は、野球部が使用しているバックネットに背中を強く打ち、地面に倒される。二体の゛捕食者イーター゛はまだ生きている誠次目掛け、砂埃を上げながら疾走してくる。


「っ!」


 余りある恐怖を感じた誠次は、手元にあった金属バットを握り締め、゛捕食者イーター゛に向け振り回す。

 だが゛捕食者イーター゛にそんな些細な抵抗が適うはずもなく、誠次は瞬く間に゛捕食者イーター゛に鷲掴みにされ、空中に持ち上げられ、ぎちぎちと身体を締め上げられる。


「この、程度で……っ!」


 身体の細胞が一つ一つ、握りつぶされて破壊される感触を味わい、抗う誠次は叫び声をだす。


「俺は、まだ……っ!」


 黒い眼を目一杯に見開き、誠次は叫ぶ。

 だが、身体は音を立てて終わろうとしている。すなわち、死を迎えようとした誠次の下の方で、グラウンドに侵入した一台の車がネットを突き破り、゛捕食者イーター゛の股下を掛けていく。鳴らされたクラクションの爆音に゛捕食者イーター゛が気を取られ、空中で誠次を離す。


「がっ」


 誠次は地面に落とされ、悲鳴を上げる。空中で受け身の姿勢をとったため、どうにか骨を折る事は防げたが。

 やって来た車は砂埃を上げながら、誠次の目の前で立ち止まると、スライドドアを開けて誠次を中へ誘った。


「――早く乗って!」

 

 運転席から聞こえた男の声に反応した誠次は、力を振り絞って車に飛び込む。゛捕食者イーター゛が車を破砕しようと、怪獣のような足を持ち上げた直後、ドアを閉める間もなく車は走り出す。間一髪、車は゛捕食者イーター゛の攻撃をかわし、車道へと逃げて行った。辺りはすっかり夜の世界となっており、道路には街灯が点いていた。

 

「セーフ! ドア閉めるよ!」


 運転席でハンドルを切る男性は、後部座席でうずくまる誠次に告げる。


「助かり、ました……」


 まだバクバクと鳴る心臓の動悸は止まず、それでも誠次は深呼吸をし、身体を起こして後部座席に座る。


「いや、助かったとは言えないよ……」


 どこか悲観している男の言葉通り、窓の外では地獄絵図が広がっている。きらびやかな光が瞬く都会の夜の世界。その明るい光の前では、゛捕食者イーター゛たちが逃げ遅れた歩行者たちに襲い掛かっているのだ。


「っ!?」


 その、あまりにも鮮明すぎる殺戮の光景に、誠次は口元を手で抑える。漆黒の空から白い雪が千切れ落ちるスクランブル交差点では、折れ曲がった電柱に、ビルに衝突し大破炎上した車。散乱した誰かの持ち物に、飛び散る血。悲鳴を上げる人々は逃げ場を求め、一人、また一人と゛捕食者イーター゛に喰われていく。

 だが、なぜか誠次が乗っている車は、夜の街を縦横無尽に駆ける゛捕食者イーター゛に襲われず、また逃げ惑う人と車にもぶつからず、障害なく道路を走れている。まるでパニック映画を至近距離で見せられているようであった。


「なんなんです、これは一体……!?」

「東京……いや、世界の夜が終わる日。のちに失われた夜の日ロストナイトデイと言われる、二〇四九年大晦日。その時の東京に僕たちはいる」


 運転席の男は、淡々と告げる。


「タイムスリップ!?」

「パニックになる気も分かるが、落ち着くんだ天瀬くん。この車の中にいる限りは安全だ。ここは現実の世界ではなく、君自身と君が関わった人が見せている記憶と意識と想像の中の世界……と言っても、いまいち理解出来ないか。おそらく東馬に注射された薬が一番の原因だろうけど……」


 ぶつぶつと呟く、運転席の男性。

 わけは分からないが、とりあえず落ち着いてみる。もしも現実世界がこうだとしたら、耐えきれるものではない。しかし感触はあまりにもリアルで、男は失われた夜の日ロストナイトデイ当日だと言ってきた。

 やがて脳がこの世界をどうにか受け入れ、頭痛は収まってきた、が――そもそも。


「貴方は、誰なんでしょうか?」


 眼鏡とぼさぼさの黒髪をした男はバックミラー越しに、こちらを確認するようにそっと見る。そして、どこか安心したように口端を緩ませ、男は言うのであった。


「ああ。僕は香月奏こうづきかなで香月詩音こうづきしおんの父親さ。自覚はないけど一応、結構優秀な科学者だったらしい」 


 皮肉にも、死者蘇生の研究をしていた科学者が見せたのは、自分の手で殺した死者の魂の姿であった。


                ※


「剣術士は風邪が悪くなって、病院で長期休暇だそうだ」


 ヴィザリウス魔法学園の1-Aの朝のHRで、はやしは誠次の不在をそのように淡々と、生徒たちに伝えた。


「あと、香月詩音こうづきしおん本城千尋ほんじょうちひろも、風邪により今日はお休みだと」


 昨日の夜、外に出ると行ったきり、今日は学校を休む。千尋は最初から一緒だったが、おそらくあとから香月も合流したのだろう。

 志藤はそう推測しながら、最近切ろうかと思っていた金髪を軽くかき、どこかいつもと違う雰囲気の林の言葉を聞いていた。


「天瀬休みかー」

香月こうづきさんと本城ほんじょうさんと、いちゃいちゃしてんじゃないの?」

「アンタらサイテー。冗談でも性質たち悪いよ」


 林の言葉を聞くなり、賑わっているクラスメイトたちである。

 一時限目が終わった休み時間、志藤の元には桜庭さくらば篠上しのかみがやって来ていた。


「これ、千尋ちひろからのメール」


 篠上が電子タブレットを起動し、文を二人に見せる。


「少し体調を崩しただけです。明日には詩音しおんちゃんさんと一緒に学園に戻ります、か……」

「志藤はなにか知らないの? 昨日の夜、天瀬とほんちゃんと一緒にいたよね?」


 志藤が内容を音読していると、桜庭から尋ねられる。

 見られていたのならば、確かに自分だけがこうして教室にいるのは、不思議がられるだろう。ましてや、普段天瀬とよく一緒にいる自分ならば。


「天瀬は日本科学技術革新連合本部に行った」

「日本科学技術、革新連合、本部?」


 桜庭が訊き返してくる。


「昨日の夜調べたけど、科学者たちの最後の研究所だとか」

「聞いたことないわね……。どうして、そんな所に三人が?」

「三人がって、やっぱ香月も一緒に行ったのか?」


 桜庭、篠上と同じく、志藤も腕を組んでいた。


「うん。談話室で天瀬がさらってった」

「言い方もっとあるでしょ……」


 桜庭の言い方に、篠上がツッコんでいる。


「まあ本城と香月は明日ちゃんと学校に来るって言ってんだし、とりあえず大丈夫じゃね? 明日事情を訊けばいいし」

「「……」」


 後ろの席が空いている為、いつになく涼しく感じる背中を気にしつつ、志藤は言っていた。目の前の二人の女子は、この程度で納得できるような手合いではないようだが、そう言うしか今の志藤には出来ない。

 昼休み。とばりと適当に飯を食べた後は、誰もいないであろう屋上へと一人出てみる。冬の空の下では冷たい風が吹いており肌寒く、屋上はやはり無人であった。


「あー寒っ。そして圏外、か」


 父親に電話を掛けてみても、反応はない。大して意味もないと思うが、一応学園の中で一番電波がいい所であるはずだが。

 昨夜のあまりの電場状況の悪さは、志藤も気になっていた。ルームメイトたちにも指摘されていたが。


「うるさ」


 屋上の柵に掴まり、ふと聞こえて来た轟音に、空を見上げる。一機のジェット機が、白い飛行機雲を描いて空を駆けていたのだ。民間機なのか、胴体が若干ずんぐりしているフォルムだ。


「日本へようこそ、国際魔法教会の皆さん」


 飛行機の影の下、志藤にははっきりと見えた。機体の銀色の胴に、自分が着ている制服のすその国際魔法教会の模様と同じ模様が描かれているのを。

 彼らが何の用でこの国に来て、何の為に綺麗な青空を、まるでこの国を見下ろしているかのように飛んでいるのか、志藤にはまだ分からない。

 ――しかし、知りたいとは思う。これは好奇心と言うやつなのだろうか。今までは面倒臭い事から極力逃げて生きる道を選んできた筈だが、友である剣術士の姿を見て、自分も何かをやらなければならない、という気がする。

 昨日自分でアイツにそんな節がある事を指摘したのだから、そう思うのは当然か。


特殊魔法治安維持組織シィスティム……。アンタは、そこのトップにいるんだな。なら俺は――」


 嫌味なほど綺麗な青空の果てまで続く飛行機雲を眺め、志藤は手を伸ばしていた。  


                   ※


 ……いい加減にしてほしい。

 実の兄からの招集メールが届いたのを確認した夕島聡也ゆうじまそうやは、うんざりする思いで呼ばれた場所まで向かっていた。今まで散々な目にあっているのだが、行かなければ何で来なかったとねて延々とメールを送って来るし、もし今度も゛被害者゛がいるとすれば、自分が謝らなければならない。

 水泳部の先輩に許可を貰い、放課後の委員会棟の廊下を、夕島は歩く。


波沢なみさわ、生徒会長?」


 委員会棟の一階の廊下には、兄である夕島伸也ゆうじましんやの他、青髪が特徴的な波沢香織なみさわかおりもいた。ポケットに手を突っ込み、軽いノリで話している兄さんに、口元に手を伸ばし、少しあたふたしている生徒会長の図。

 それを一目見た夕島は、確信する。


「あの人は……っ!」

 

 生徒会長に手を出したのか……!?

 回れ右することも忘れ、夕島は頭を軽く振りながら、突撃する。


「おっ、可愛い弟よ――!」

「兄さん! 頼むからもう少し節度を守ってください!」

「? な、何の事?」

「生徒会長に手を出そうとしてます!」

「えっ、ええ!?」


 白々しくきょとんとする兄さんに、まさかと驚く生徒会長。

 夕島は指をびしっと指して、兄に説教をする。


「失礼だな聡也。確かにこの後お茶に誘おうとはしてたけど……」

「ええ!? 絶対に行きませんけど!? 何ならもう攻撃魔法背中で組み立てていますけど!」


 ちゃんと警戒していたのか、生徒会長の背後から、魔法による水色の光が見える。


「と、言うわけだ聡也。お前からも、何とか言ってやってくれよ」

「どう言うわけですかっ!」


 ふっ、と肩を竦める兄に、夕島は怒鳴る。やはり予想通りの展開だ。至って真面目な用件で目に入った女子生徒を誘い、誘う。

 しかしどうやら今回の兄は、夕島の予感とは少し違うようで。


「さて、冗談はここまで。ここだぜ生徒会長さん。俺たちの担任が寝かされてたところは」

「はい。報告、ありがとうございます」

「寝かされていた?」


 一転、真剣な表情で会話を始める二人。刑事ドラマでも見ているようで、夕島は何のことかと首を傾げる。


「通りすがったクラスメイトが偶然見つけたそうでよ。先生たちはこの事を伏せてるけど、この一件には大きな裏があるに違いない。生徒会長さんにも内緒にしてたんだぜ? 普通言うだろ?」

「確かに、先生方からは生徒会には何も報告がありませんでした」

「だろー? 生徒会長さん」


 兄さんが腕を組み、確信を持ったようにうんと頷く。


「大きな裏とは、いったい何なんでしょうか夕島先輩?」


 生徒会長もあごに手を添え、兄さんに問う。


「……」


 前々から思っていたが、言っては悪いがこの生徒会長。少々天然の気がある気がする。林の言葉を鵜呑みにしてルームメイトに勝負を申し込んだり云々。

 夕島は完全にこの空気に乗り気でいる生徒会長の姿を見て、ふうと息をつく。


「いや実はよ。最近俺の中でちょっとばかしどうなの? って思ってることがあるんだ」

「刑事ドラマの見すぎですと前置きしておきますが、なんなんですか、それは」


 一刻も早く部活に行きたく、夕島はこの流れに身を任せていく。


「ズバリ、国際魔法教会だ」


 自分の制服の裾の模様を指で指し、兄さんは言ってくる。

 一瞬、いやかなりの間が空いたのち、


「国際魔法教会が……どうしたんですか?」


 香織が口を開く。


「まあ聞けよ。あれは、俺がこの学園に入って二学年生の時の話だ。俺が変わっちまったわけ、お前も聞きたがってただろう聡也?」


 なにやら語り出した兄を前に、生徒会長と聡也は顔を見合わせる。確か図書棟での一件では、そのことを天瀬と何気なく話していたっけと思い出していた。


「おそらく長くなりそうなんで、生徒会長はもう退散して大丈夫ですよ」

「う、ううん。夕島先輩物凄く聞いてほしそうにしているから、一応聞いておくね」


 生徒会長は何か同情するような目で、こちらを見て来た。

 香織の寛容さに感謝しつつ、夕島はため息を一つついてから、兄の言葉を聞く。


「俺は成績優秀、素行も立派な、それはもう完璧な魔法生だった……」


 いつかルームメイトの前で見せていた、面倒臭い兄が出てきている。

 果たしてこのまま聞いているべきか、夕島は眼鏡をそっと掛け直す。


「ある日の事だ。国際魔法教会から直々に招待があったんだ。優れた魔法使いを、集めているって」

「馬鹿馬鹿しい。一昔前の陰謀論ですね」


 なにを言い出すかと思えば、夕島は澄まし顔で否定する。よくある都市伝説の一つだと、切り捨てる気でいた。


「俺は奴らの言いなりになる気はない。元々俺は、教会なんて名前を信用しちゃいない。胡散臭いのなんの――」

「……大して意味もない事を無駄に格好つけて言っているだけな気が……」


 生徒会長の冷たくも正しいご指摘だが、相変わらず兄は自分の世界の自分の演じている。


「兄さんのそれと、今回先生が寝かされていた件に一体どんな関係が。そもそも、俺を呼んだ理由も釈然としないです」


 夕島は兄に問う。


「聡也。頭の良いお前なら分かると思うが、そもそも国際魔法教会ってのはどう言った組織だ?」


 突然の問いかけに、少々戸惑いつつも、夕島は冷静に答える。


「二〇五六年に発足した、国際連合に代わる国際機関です。従来の国際連合は世界の平和と国際協力をうたっていましたが、常任理事国と非常任理事国との間で採決をとる際、常任理事国に少しばかり有利なところもあって、完全に平等な組織とは言えなかったんです。それは、やはりどこの国も自国の事が大事ですから、気持ちは分かりますけれど」


 一世紀以上前の世界戦争の戦勝国が有利だったと、歴史を学んだときは記憶している。


「二〇五〇年になって、魔法と゛捕食者イーター゛が同時に生まれた事により、世界情勢は激変します。国際連合は従来通りの世界平和活動を続けることが困難になり、代わりに、発見された魔法をいしずえとした世界的な機関、国際魔法教会が発足したんです」


 こほんと咳ばらいをしつつ、夕島は説明していた。


「さすが自慢の弟だぜ」

「頭いいんだね」

「え、ええ。ま、まあ……」


 兄は腕を組んで頷き、生徒会長も感心しているようにこちらを見ている。兄に認められるのははっきり言って、悪い気分ではなかった。そんな気分の表情を悟られぬように、あくまで冷静な自分を見せるために、癖になりつつある眼鏡を指で持ち上げる仕草をしていたが。


「でも、今のは教科書で得た知識を格好つけて言っただけだ」


 ふっ、と笑って兄さんは言ってくる。

 

「……ムカッ」


 どうしよう。物凄くムカつく。

 ぴきっ、と眉を寄せた夕島を見て、生徒会長はまあまあとなだめる素振を見せる。


「その先の真実を知るんだぜ、聡也。お兄ちゃんからの宿題だ」

「「……」」

「じゃあ、俺はもう行くからな」


 片手を軽く挙げ、兄である伸也は、廊下を歩いて行ってしまった。


「あの、結局先生が眠らされていた事と、今のは一体なんの関係が……」

「……っく」


 戸惑う生徒会長の前で、夕島もまた、踵を返す。

 あの人に馬鹿にされたままなのは悔しく、見返したい。子供の頃からずっと、兄に対する少なくない劣等感と言うのはあった。この学園で、必ず兄を越える。


「ゆ、夕島くん?」

「こうなったら、とことん国際魔法教会を調べ上げます! そしてレポート用紙千枚を超える量を、兄さんに突き出してやりますよ!」


 ぶつぶつと言いながら、そう心に固く誓った夕島聡也は、部活を忘れて寮室へと向かってしまう。途中、部活があるという事を思い出して慌ててプールに向かっていたが。


「!? 結局、伸也先輩は何がしたかったの……?」


 残された香織もまた真面目に考えながら、三学年生の魔法科の教師が眠らされていた現場を後にしていた。


               ※


 少年たちがそれぞれの大志を抱き始めるそれより前のこと――。

 夜が明けかけている早朝の鼠色の空。一機のジェット機が、ベールのような雲の切れ目から差し込む朝日を受けながら、航空していた。ちなみに燃料は魔法である。

 行き先は東アジアの端の島国、日本。機内に流れるホログラム映像では、天気予報の他、日本国内で流れているニュースが、ロシア語に翻訳されて流れている。ロシアモスクワ発、東京羽田着の一一時間の約半日に及ぶフライトだ。窓の下に広がるのは、朝日を受けてきらめく広大な日本海である。


「日本の夜明け、か」


 座席に座り、窓から朝日を眺めていた一人の少女が、流暢りゅうちょうなロシア語で呟く。

 まもなく日本に専用機は着くと機内アナウンスで聞く。やはりメイドの言う通り、生まれ故郷である自分の国とは違い、とても暑いのだろうか?

 

(汗をかいて蒸れるのは、嫌だな……。でも、地図だとあんなに小さい国なのに、大国に引けをとらないほど発展していて、すごい国だ)


 などと、情報で頭に入れた極東の国の事を想像すれば、一一時間と言う長いフライトも、耐えることが出来た。


「――゛姫様゛。間もなく日本に到着します。その後特殊任務部隊スぺツナズと協力し、任務を開始いたします」


 一つ後ろの席から、同い年ほどのメイドの少女が、自分が座る座席の背もたれに手を添えながら、ロシア語で告げてくる。


「亡国の祖国の為に……」


 少女は呟く。やや浮かない表情をしたコバルトブルーの視線の先には、国際魔法教会の紋章エンブレムが施された電子タブレットから出力された映像が流れている。


「スルト……」


 映像には、自分と同じ銀髪をした少女と共に学園内を歩くヴィザリウス魔法学園の制服を着た少年の姿がある。その凛々しい姿の背中に担ぐ神話の魔剣を、同い年ほどの少女は指でなぞっていた。

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