9 ☆
どれだけ、時間が経っただろうか。
「――かつて人は、科学技術の革新を信じていた」
鼻を刺すように漂うこの嫌な臭いは、人の血によるものか。それが、自分の腹からどくどくと流れていたものだと思えば、寒気が止まらない。昔、朝霞によってやられた古傷が再び開いたようだ。
どうして自分は腹を切られているのだろう? 直前の記憶を思い出そうとすれば頭が痛み、何も思い出せない。
「――誰もが信じて疑わなかった科学が発達した世界。その期待に応えるために、多くの科学者たちが命を燃やし、消えていった。国と人の為に。家族を殺された俺もまた、死者蘇生の研究を裏で始めた。まともに話しても、漫画の話だとかと信じてくれないからな」
朦朧としつつある意識に、東馬の声が絶え間なく聞こえて来る。
――早く、楽になりたい。この気持ち悪さと不愉快さと、痛みと悲しみから解放されたい。みんなが笑っていて、争いごとは無縁の平和で、楽しい学園生活を、送りたい――。
椅子に無理やり座らされている誠次は、生気を失くした表情で、俯いていた。
「科連の連中は本当にこの俺が科学者たちの希望そのものだと思って信じていたようだが、本当に馬鹿な連中だったよ。頭が良くないといけない科学者だと言うのに。これではレ―ヴネメシスの無能な戦闘員たちと同じだ」
「日本、科学技術革新連合の人も、貴方は騙して利用していた、のか……」
「ああそうだよ。確かに魔法は憎いが、この国を変えるなんて壮大過ぎることなんか、俺は初めからするつもりなんてない。連中は響きの良い大義として、信じてくれたようだが」
目的とされていた日本の革命。そして科学者が言っていた魔法世界に移り変わる世界での科学者たちの無念や、テロにすらすがった、すがるしかなかった思い。それらさえも全て、東馬は利用していたと言う。
底の知れない東馬の思惑に、誠次は恐怖までをも感じていた。反論の言葉はあるはずだ。しかし自分の命が着々と死神に削り取られている事を実感している今、大層な事は、何も出来ないでいた。
「魔法が、使える理由は……分からない。でも、それで、も……人は生きている……。明日は、来る、から……」
東馬は少々哀れなモノを見るような目で、そう呟いた誠次をじっと見る。
「死者蘇生の研究にはバックアップが必要だった。失われた夜の日以降、最高の頭脳を持つ天才と呼ばれた二人の――科学者の力が」
ここまではある程度穏やかに語っていた東馬だが、次の瞬間にはその態度を再び一変させる。付近にあった機材を乱暴に蹴りつけ、忌々し気に叫び出す。
「だがあの二人はなんて言った!? ゛魔法も科学もそんなものの為に使うべきじゃない゛だぞ!? とんだ綺麗事のクソ野郎どもだ! アイツら、俺が年下だからって馬鹿にしやがって!」
畜生っ! と東馬は、奇声に似た声で叫び続ける。密室内の照明も、東馬の声に合わせて点滅しているようだ。
ハアハア、と口で荒い呼吸をしていた東馬はひとまず落ち着いて、しかし猟奇的な笑みを浮かべて髪をかき上げる。
「だから俺は、あの二人を仲良く自宅に閉じ込めてやった。俺の偉大な計画に協力してくれるまでな。子供の詩音は、施設に入れてやったよ。科学者たちが出資してくれた施設に、な」
「もう、やめて、くれ……」
誠次はただ、呆然と呟く。
が、誠次の願いが通じることもなく、東馬は話し続ける。
「結局二人とも、命が尽きる最期の瞬間まで俺に従わなかった。二人を尊敬していた科学者たちには゛捕食者゛に襲われたと説明すれば、世間もそうだと納得した。だから俺は代わりに、魔法の力に頼ることにしたんだ。優秀な科学者の子供の香月詩音の魔力は優秀だったよ。いずれ、死者蘇生の為に使うはずだった」
クックックと、笑い声を上げながら、東馬は口を大きく開く。
「だって不公平じゃないか? 俺は家族を奪われて、あいつらは家族全員揃ってで仲睦まじく暮らすなんて。人は平等であるべきだ」
「東馬……さん。お願い、です。自首、してください……」
頭に思いついた言葉を、誠次は懸命に、そのまま伝える。
東馬は一瞬だけきょとんとした顔をしていたが、次には腹を抱えて笑い出した。鬱蒼とした室内でその笑い声は、どこまでも不気味に響き渡り、誠次の鼓膜を揺らす。
「このままじゃ貴方は、人じゃ、なくなる……」
「面白い。結局詩音の名付け親にはなれなかった゛俺が名付けたそのレ―ヴァテイン゛で、俺を殺すと?」
東馬は手を伸ばしていた拷問器具をひとまず置き、机の下のレヴァテインを拾い上げ、誠次の鼻の先に突きつけて見せる。
「俺には、今の貴方が、黒くて、歪んでいて、醜くて……まるで――」
゛捕食者゛のように見える。喉まで出かかった言葉は、途中で止まった。東馬がこちらのあごを手で掴み、確認するように顔を持ち上げたからだ。
力なく言い、口から血を流す誠次は、クマのかかった目元から涙を流していた。
「泣いて、いるのか……? 薬の副作用か……?」
東馬は後ずさりし、驚いたように誠次の顔をまじまじと見る。
「なんで泣くんだ? お前気持ち悪いな……!」
東馬はレヴァテインを持ち上げ、誠次に向ける。そして左手に持っていたリモコンを操作し、部屋の壁を動かしてみせる。
音を立てながら開いたドアの先に広がっていた光景を、誠次は見た。
「八ノ夜、さん……?」
「――天瀬!?」
すぐ横の、同じ大きさの部屋に立っていたのは、煤だらけの顔の中でも凛とした美しさを放つ、ヴィザリウス魔法学園の理事長、八ノ夜美里だった。理事長服も所々破れており、激しい戦闘を繰り広げていたのだろう。
「まだ仕留めていなかったのか、ネメシス」
「……」
そして、八ノ夜の前に対峙する人影が一つ。
ネメシス。罪の女神。怒りの化身。漆黒の衣を纏い、仰々しい名前に反してそれは、羽を持った天使のような軽い足取りで、この場の状況に来るべきではないと思えるほどの、異質な存在感を放つ少女だった。
苦しそうに口で呼吸をする少女は、八ノ夜に向け破壊魔法を迷うことなく放つ。
八ノ夜はそれを防御魔法で防ぐ。両者の魔力は互角であり、魔素切れの特徴である息切れの症状が互いに出ており、おそらく膠着状態が続いていたのだろう。
「もうやめさせろ東馬迅! さもなければ、互いに死ぬぞ!」
「お前とコイツがか?」
八ノ夜の叫び声を聞いた東馬は誠次の喉元に、レヴァテインの先を押し付ける。
首の薄い皮に冷たく尖った感触を感じ、誠次は言葉にならない声を出す。
「違う! 政府は全ての証拠を隠滅するために、貴様も女の子も始末するだろう! その前に降伏してくれ!」
「さっきからでたらめを言うな! うるさいんだよ魔女!」
八ノ夜は防御魔法を繰り出し、少女の破壊魔法を防ぎ続ける。少女も苦し気な表情だが、東馬に命令されているのか、救おうとしている八ノ夜を拒絶するように、魔法の光を放ち続ける。
「天瀬、どうして来たんだ!? 馬鹿者!」
口で呼吸をしながら、八ノ夜は誠次の姿を見て叫ぶ。
「貴女が、心配で……」
「なに……」
振り絞った声を出した誠次に、八ノ夜は唖然とする。
「コイツは傑作だ。感動の愛じゃないか?」
嗤う東馬は誠次のレヴァテインを両手に持ち、頭上に高々と上げて大きく振り上げる。
「だがそれは脆く、こうも容易く断ち切れる」
「やめろっ! 天瀬は、やめてくれっ!」
「八ノ夜、さん……」
八ノ夜が少女の存在を忘れ、誠次の元へ駆けつけようとした矢先、少女の破壊魔法が右足に直撃し、吹き飛ぶ。八ノ夜は聞いたこともないような悲鳴をあげて床に倒れ、右足を抑え込む。
「お前の行動は全て無意味だったわけだ天瀬誠次。それどころか、逆に足手纏いで、ここに来るべきじゃなかったんだよ」
東馬のレヴァテインが魔法の光を受けて輝いている。倒れた八ノ夜が、物体浮遊の汎用魔法を、レヴァテインに掛けていたのだ。
「悪あがきを」
レヴァテインは東馬の手を離れ、主である誠次の右手へ戻される。身体が自由に動かせるようになったわけではない。
「無意味なものか……。無駄か、どうかは、今に分かる……」
誠次は右手を動かし、自分の弛緩してしまっている左太ももにレヴァテインを添える。
自分がここに来たことは、足手纏いでも、無意味でもないはずだ。椅子に座し、戦局を見守る王でもない、騎士――。
「レヴァテイン……俺は、お前を信じる……!」
だから、応えろ! 八ノ夜さんを、守れ!
誠次は歯を食いしばると、レヴァテインを自分の左太ももに突き刺す。肉がぷつりと切れる感触に、左足に焼けそうなほどの熱と痛みが込み上がってくる。
「ああっ!? ぐおおおおっ!」
その痛みの反動で、誠次の身体は麻酔を吹き飛ばし、無理やり覚醒させる。左手を使って椅子から立ち上がり、反動で東馬に切り掛かる。
「痛みで、薬を吹き飛ばしたのか!?」
東馬が身を翻して身体をかわすと、勢いだけの誠次は姿勢を崩し、うつ伏せで床に倒れる。
「天瀬!?」
這いつくばった八ノ夜が悲鳴をあげる。
「ははっ。所詮、勢いだけだ」
「東馬迅……っ。貴様だけは、俺が、斬る!」
誠次はレヴァテインを床に突き刺し、支えにして立ち上がる。左足を引きずり、再び東馬に切り掛かる。
それを防いだのは、八ノ夜と対峙していた髪の長い少女だった。
「貫けレヴァテイン!」
「……っ」
防御魔法の壁を破壊しようと突き進む剣と魔法により、激しいスパークが発生する。誠次の鬼気迫る表情を前にした少女は、何かに怯えているようだ。
「!? 誠次くん!?」
「天瀬くん!? 東馬、さん……」
千尋と香月の声が聞こえる。
「東馬? 俺の事をもうお父さんとは呼んでくれないのか、詩音?」
部屋の入り口で息を切らしながら立つ二人の女子の姿を眺め、東馬は肩をすくめる。
誠次も二人の無事を確認した。二人とも戦闘をしてきたのか、身体は煤だらけであり、制服も破れている。
「傷が!」
「理事長さん!」
香月が誠次の元へ駆け寄り、千尋が八ノ夜の前に駆け寄り、防御魔法を発動する。
「香月詩音。お前は実に優秀な魔術師だ。治癒魔法のな。愛する人も癒せはしない、人の心を失った気味の悪い人形め」
「っ!?」
香月の紫色の目が、大きく見開く。何かを否定するように、首を横に大きく振っていた。
「お前には分かるだろう天瀬誠次! 魔法が使えず、魔法なく家族を失った俺の気持ちが! 家族を蘇らせたくないのか!?」
「貴様と俺を勝手に一緒にするなーっ! そんなんで蘇らされても、俺の父さんも母さんも奈緒も、絶対に喜びはしない!」
「馬鹿だお前たちは……! 俺の研究が完成すれば、結果的に多くに家族や恋人、大切な人を失った人が幸せになれるんだぞ!? この研究の過程で失った命すら、取り戻せるんだ! 冷静に考えればわかる事だろう!?」
東馬が目眩を感じる仕草を見せる。どうやら本当に、自分に正当性があると思っているようだ。
「ごめん、香月……。もうあの人を、俺は説得できそうにない……」
「いい、天瀬くん……。もう、手遅れ……だから……。本当に、諦めないでくれて、ありがとう……」
東馬は二人を見つめ、頭を抱えて奇声を上げていた。
「畜生……チクショウっ! 解毒剤が無ければ立ち上がれないはずだぞ……。異常だ……お前ら全員異常だ! ゛捕食者゛だ! 悪い゛捕食者゛と同じだ!」
もはや口から出る言葉が支離滅裂な東馬を、誠次と香月は共に哀れなモノを見るような目で、じっと見つめる。
「あの女の子。あの娘も私と同じ、東馬の道具にされているみたい」
「分かってる。狙うのは東馬迅ただ一人だ」
香月に支えられながら立つ誠次は、レヴァテインを持ち上げ、東馬に向ける。
東馬の前に立つ少女は、まるで彼の盾になるように両手を広げ、誠次たちの前に立ち塞がる。
「退いてくれ!」
誠次が叫ぶ。
しかし一切の感情を見せない少女は、無表情のまま首を横に振る。この人を斬ってはいけない。そう訴えているようで。
「いいぞ、ネメシス!」
「アンタは……どれだけやれば気が済むんだーっ!」
誠次の叫び声に反応したかのように、少女が破壊魔法の魔法を放つ。
誠次の周囲に発生した防御魔法が、魔法の直撃を防ぐ。背後から千尋が駆け寄ってきた。
「私のエンチャントならば、魔法を無力化することが出来ます!」
「頼む!」
レヴァテインを横に向けると、千尋が刃に手を添える。発生する黄色い光を見た東馬は、忌々し気に白衣の内側から拳銃を突き出す。
「させない!」
香月の攻撃魔法が、東馬の手に被弾する。
「詩音……? それが育ての親に対する態度なのか!?」
「お願いだから、もうそれ以上、誰かを悲しませないで……」
「東馬ーっ!」
悲しむ香月の横から誠次が右足を蹴り上げ、東馬に向け切り掛かる。レヴァテインが黄色の光を放ち、誠次の目も黄色く変色していた。その途端、少女が発動し誠次を狙っていた破壊魔法が、塵となって消えて行く。
「……?」
少女がきょとんとした表情で、魔法が発動できない自分の右手を見つめている。少女は何度も魔法式を生み出そうとするが、千尋の付加魔法の影響下では、一切の魔法を封じ込めていた。
「うおおおおーっ!」
誠次は黄色い光を放つレヴァテインを掲げ、東馬の肩から腹部に掛けて、振り下ろす。
「ぎゃあああっ!」
斬られた東馬は悲鳴をあげ、肩を抑え、一歩二歩と下がっていく。
「まだ、死にはしない……。俺は、貴様とは違う……」
左足を引きずり、誠次はゆっくりと東馬に近づく。剣先で浅く斬ったため、致命傷ではない。
「まだ、だ。俺が、生き返らせるんだ……。こんなところで、死ね、ない……!」
東馬は白衣を翻し、足を引きずりながら、奥の部屋へと逃げていく。
「東馬、待て!」
誠次が叫ぶが、東馬の耳には届かない。
「天瀬……」
八ノ夜の声が聞こえ、誠次は振り向く。
「八ノ夜さん!」
誠次は左足を引きずりながら、満身創痍の八ノ夜の元へ近づく。途中から駆け寄って来た香月が肩を貸してくれ、誠次は八ノ夜の前でしゃがんだ。
千尋がすでに八ノ夜の元に駆け寄っており、残り少ない魔素を使って治癒魔法を施している。
「林先生たちには、内緒にと言ったはずだったんだが……」
「貴女は、多くの人に心配を掛けすぎたんですよ……」
でも、と誠次は微笑む。
「貴女が無事で、良かったです」
「こっちの台詞だ。来てくれて、助かったよ……」
「千尋!?」
本城直正が、八ノ夜と少女が戦っていた隣の部屋からやって来る。
「お父様!? お父様!」
千尋が立ち上がり、直正の胸に飛びこむ。
直正は驚きに満ちた表情をしていたが、千尋抱きかかえていた。
「証拠は、確保できましたか?」
床に手をついて身体を起こした八ノ夜が、直正に問う。
「ああ。おかげ様でだ。しかしこれは……」
直正はなんらかの作業をしていたようであり、千尋の肩をそっと掴んで自分と離す。
「心配を掛けたな、千尋……」
「ご無事で、何よりです……お父様……」
「全員、無事だったのか……」
誠次がほっと一息つくと同時に、レヴァテインのエンチャントも消えていた。腹と左足に痛みが再来するが、香月が必死に身体を支えてくれている。
「あの、女の子は……」
痛みで歪む表情のまま誠次は横目で少女を見る。
少女は誠次と目を合わせると、つい先ほどまで戦闘を行っていたのにも関わらず、首を傾げてこちらを見つめ返してくる。そのあまりにも純粋で、濁りの無い青い瞳は、まるで物心がついたばかりの子供のような好奇心を持っているようだ。
しかし、命令がなければこちらに敵対する気もないようだ。
「彼女もまた、東馬の被害者だ。私が保護する」
治癒魔法で右足を治した八ノ夜の言葉に、一同は頷いた。
「構造的にも、東馬が逃げて行った部屋が最後ですね。あの人を野放しにするわけにはいかない……」
「追う気か? だがその身体ではもうまともには……」
「大丈夫です。私が天瀬くんを支えます」
香月が誠次を支えたまま、八ノ夜に告げる。八ノ夜は何かを言いたげにしていたが、やがて頷いた。
「本城直正さんと、手にした証拠は絶対に手放すわけにはいかない。私は最後まで護衛する。すまないが、ここまでだ」
「分かりました。千尋、八ノ夜さんとお父さんと一緒に、朝霞と合流してここから逃げるんだ。千尋の防御魔法が、必要なはずだから」
「その怪我で、行くのですか……?」
「大丈夫だ」
心配する千尋の手をぎゅっと掴んだ後、誠次は送り出す。
「誠次くん。娘を、ありがとう……」
「……。二人とも、どうかご無事で……」
「脱出ルートは私がどうにか確保しておく。危なくなったら、すぐに逃げるんだぞ?」
直正に支えられ、八ノ夜がよろめきながら立ち上がる。
「はい。貴女がくれたこのレヴァテインに誓って、必ず香月と共に帰ってきます」
誠次はレヴァテインを横に構え、八ノ夜を見据えて宣言する。
「格好つけるな。惚れるだろうが」
八ノ夜は両目をつむり、肩を竦めていた。
「行こう香月」
「ええ」
東馬が流した血の跡を追い、誠次と香月は奥の部屋へと続く廊下を歩き出す。途中何度か気を失いかけたが、静かに鳴る香月の心臓の鼓動を感じ、正気を保つ。
非常用の足元の蛍光灯のみが照明となっている廊下はとても長く感じ、一寸先の闇は濃く、先を見渡すことが出来ない。
「香、月……」
「なに?」
気が遠くなりそうで、意識を保つためにも、歩きながら誠次は口を動かしてみる。
「もしも、この世界に魔法と゛捕食者゛が生まれてこなければ、俺たちは、出会わなかったのかな?」
突然ね、と言いたげな香月は、じっと考えている。
「……そう、ね。きっとお互い、普通の子供として生まれて、例え同じ学校に通っても、すれ違っても声をかけることはなかったかも」
「不思議だな。普通科の高校に通っていて、横をすれ違うのか」
「出会いが運命的すぎたのよ」
「もしかしたら、香月のご両親も、俺の両親もちゃんと生きていて、お互い幸せに……」
自分で言っておきながら、その先の言葉を失い、誠次はそっと視線を落とす。
「――確かに、もしかしたらお互いに別々の友達が出来て、別々の人に恋をして、付き合っていたり。髪の色や目の色も、同じで」
香月は真っすぐ誠次と一緒に歩きながら、そんな事を言う。
「香月だったら、きっとどんなでも、モテるよ。頭も、いいし、優しいし……」
掠れた声で、誠次は言っていた。香月のこちらを支える手にぎゅっと力が入るのを、感じた。そして、その手からは温かい熱を感じる。
「でも、この世界には魔法も゛捕食者゛もある。もしもの世界の事を、パラレルワールドって言うのかしら? それでも、きっと、私はあなたの事を探すと思う」
「思い出すな。GWの時の花屋で見た、綺麗な勿忘草……」
今更になって恥ずかしくなり、誠次は香月の顔を見ることが出来ずに、真正面方向を向いていた。
「ええ。きっと別の世界の私たちも、一緒にお花屋さんに行って、花なんて眺めているのかしらね」
「随分と、ロマンチックな、カップルだな……」
「言ったのは貴方の方よ。それにもしもの話をしても野暮だって、思わない?」
「そうか……」
誠次が苦笑すると、香月は少々不貞腐れたかのように、目を細める。
「大丈夫。私はこうしてこの世界に生まれてこれて、あなたと出会えて良かったと思っているわ」
「そうだと、いいんだ。ただ……もしかしたら、東馬さんも、家族と一緒に仲睦まじく、生きていたと思ったら……」
右手で握り拳を作り、誠次は悔し呻く。しかし迷いを振り払うように、首を横に振る。
「貴方のように諦めるものか……。この魔法世界の未来を、みんな信じているんだ」
もしかしたら、かつて自分と同じくレーヴァテインを振るっていたとされるスルトも、そんな事を思っていたのかもしれない。そんなわけはないか、などと考えてみながら、誠次は顔を上げた。
やがてたどり着く、こちらの背丈の二倍はある大きなドア。
ドアを開ければ、広大な空間が広がっていた。日本科学技術革新連合本部の最深部。例えるならば、王城の王の間だ。玉座と言わんばかりの、打ち立てられた巨大な十字架。その背後にあるのは、教会で目に掛かりそうな、羽が生えた男の天使が眠るように横たわっている姿を描いた、絵画だ。
部屋の照明は、階段上のそれらだけを、照らしていた。
「東馬迅!」
誠次が光を見上げ、叫ぶ。
東馬は十字架の真下に立ち、こちらを見下ろしていた。
「イーカロスへの哀歌……。この絵の題だ」
伸びた茶色の髪を目元までだらりと垂らし、東馬はくつくつと笑いながら言う。
「陽の光……太陽を求めすぎたイーカロスは、蠟ろうの羽を作り、天高く輝く陽を目指した。しかし蝋の羽は太陽の熱で溶け、イーカロスは地に墜ち、絶命した」
東馬は巨大な絵画を指でなぞり、満足気に言う。
「貧弱な人が光を求めすぎたが故の、傲慢さが生んだ結果だ。俺はまるでイーカロスだな、ええ……スルト? その剣で、またしても神を殺めるか?」
東馬はクマの出来た目で、誠次を面白気に見る。
白い制服を赤黒く染めた誠次は、香月を伴なって階段の下まで歩く。
「香月、詩音さんに……何か言う事は無いんですか?」
「陽ではなく、月を目指すべきだったと言う事かな……?」
「違う……。せめて、謝ってほしいだけなんです。例えその言葉に心が籠っていなくとも、貴方には香月さんと、香月さんの両親にしたことに対しての謝罪の言葉を言って欲しいんです!」
「そんなものは、ない!」
血は止まったのか、東馬は空気が振動するほどの大声で喚き散らす。
「もう、あの人にはなにも無い。香月、どうする?」
誠次の問いに、香月がびくんと身体を震わせる。もはや香月の目には、育ての親として東馬の姿が映ることはない。レヴァテインが切り裂くべき、神でもない。自身が思う研究に無残に失敗し、追い詰められた矮小なただの人だ。
だから、と香月は誠次の血に濡れた右手をそっと掴み、レヴァテインごと押し返す。
「私が生かしたまま捕まえて、特殊魔法治安維持組織に引き渡すわ。それが彼にとっても、救われるはずだから」
香月の意思に、誠次は血の味がする唾液を呑み込み、ああと頷く。
「最後に訊きます東馬さん。俺の剣にレ―ヴァテインと言う名前を付けたのは、ただの思い付きなんですか? それとも――」
東馬が動いたのは、誠次が質問をしようとしたその時だった。ぼろぼろの白衣のポケットから、何かの入った注射器を取り出し、それを自分の右腕に勢いよく刺す。
「!? 香月! 下がれ!」
「一体何を!?」
誠次が香月の手を引き、香月が叫ぶ。
血管の位置などお構いなく自分に注射を打ち込んだ東馬は、右腕にその注射器をぶら下げたまま、のろのろと立ち上がる。
「あっハハハはッ!? 俺の研究の成果だよ天瀬誠次! 香月詩音! 最後に勝つのはオレだ、おれなんだよッ!」
注射した東馬の右腕に輝きだしたのは、魔素の輝きだ。それも並みの魔力ではない。身体の細胞と言う細胞から溢れ出し、目視できるほど純度の濃い魔素が、魔法が使えないはずの東馬から゛生み出されているのだ゛。
「おレに打ち込んダのはぁッ! 限界まで圧縮シた魔素だッ! これを作る為に多くの子供ガシンだッ! シンだッ!」
呂律が回らなくなりかけ、舌を噛みながらも、東馬は叫ぶ。まだ、抵抗する気でいたようだ。
「これでオレも魔法使いに、なるんだァッ! やったぞ……やったぞッ!」
「大勢の魔術師を犠牲にした研究の結果が、あくまで自分が否定した魔術師になる事だったと言うの?」
「人何人分の魔素だ!? 眩しいっ!」
誠次と香月は、あまりに濃度の濃い魔素の光に顔を覆っていた。
「な、ナンダ!? キャ、キャラだがッ!? あ、アヅい!?」
突然、焦り出す東馬。もはや焦点の定まっていない視線は、゛黒い゛光を放つ自分の右腕に。
そのどろどろとした黒い右腕を見た途端、誠次と香月は共に何かに気づく。
「「゛捕食者゛!?」」
そう。あまりに濃度の濃い魔素が黒く変色し、生きた蛇のように生み出された身体に絡みつき、人を苗床に新たな形を作っていく。黒い蛇は東馬の右手から、やがて身体全体を屠るように呑み込んでいく。
「マ、マデッ。ご、ゴレはイッダイッ!? ナン――ッ」
黒の魔素は、やがて東馬の頭を呑み込み、肥大した胴体が人の頭部の部分まで押しあがり、完全に人型の゛捕食者゛の姿へと成っていた。
「人が、魔素に包まれて、゛捕食者゛に成った……!? そんな、嘘、だろ……。なんだんだ、これは……」
目の前で繰り広げられた光景がにわかに信じられず、誠次は動揺してしまっていた。身体に落ち着けと指示をしても、震えが止まらない。
「東馬、さん……? 人が゛捕食者゛に……?」
横で自分と同じように震えている香月を見て、誠次は全身に力を込める。
「香月! しっかりしろっ!」
「え、ええ……」
「はっ! 危ない!」
咄嗟に動けないでいる香月の身体を引き寄せ、背中の鋭利な触手を伸ばしてきた゛捕食者゛の攻撃をかわす。衝撃で足を踏み外し、香月と誠次は二人して階段を転げ落ちて行った。
「があああっ!?」
衝撃で完全に傷口が開いた誠次は、口から吐血し、階段の中段ほどで止まる。
香月はさらに階段を転げ落ち、背中を強く打っていた。
「゛捕食者゛……っ!」
階段床に突っ伏し、気が遠くなりかける。誠次は左手で拳を作って、遠のく意識を押し留める。
照明の光を受け黒く輝く゛捕食者゛は、十字架に絡みつき、誠次目掛けて左腕を伸ばして来た。
「――っ!」
目の前まで飛来した黒い腕は、防御魔法の障壁により、防がれる。
階段下から香月が駆け上がり、誠次の横まで辿り着いていた。頭部を切ったのか、香月は頭から流血し、いつかの自分と同じように右目を閉じていたが。
「天瀬くん! レヴァテインを!」
「ああ! 魔法を貸してくれ!」
痛みが別の感情へと変化し、誠次は両腕を使って立ち上がる。東馬だった´捕食者´を睨み、横に立つ香月に、レヴァテインを向ける。
香月は青の魔法式を展開し、レヴァテインに大量の魔素を注ぎ込んでいた。
「東馬さん……。これで、終わりにします……。貴方の全てを!」
――視界が、霞む。もうすぐ、限界だ。
゛捕食者゛は抗うように、口と思わしき部位を大きく開け、吼える。
「セイジ……? そんな、しっかりして、セイジ――!?」
香月? なんで、心配してる……? 大丈夫だ……まだ、あと、少しだけ――。
レヴァテインの青い光が、視界の隅で、拡散していく。同時に、視界が、暗転していく――。
血を失いすぎた誠次はとうとう気を失い、香月のエンチャントがかかったレヴァテインを落とし、二度階段を転げ落ちていく。
゛捕食者゛となった東馬を見上げ、香月はぐっと唇を噛み締める。
「セイジは……私が、守る……っ」
香月は゛捕食者゛を見上げ、右腕を伸ばす。腕は震え、白い肌と髪を赤く濡らす血が流れている。
゛捕食者゛は容赦なく、香月を叩くように、伸縮自在の右腕を振るってくる。
香月は形成魔法を展開。自分の真横に壁を生み出すが、゛捕食者゛は形成魔法もろとも叩き壊し、香月を吹き飛ばす。
香月は壁に背中をぶつけ、透明な唾を吐き、するすると落ちていく。
「痛、い……」
それでも。階段下に落とされ、動かなくなった誠次を見た香月は右腕を抑えながら、魔法式を展開しようとする。
「――引き裂かれた白衣、あと一歩遅かったか。哀れじゃな東馬迅。追い詰められ、゛捕食者゛に喰われたか」
どこかから、北海道で出会った薺紗愛の声がする。複数人の、人の足音も。薺は、゛捕食者゛に東馬迅が喰われたと思っているようだ。
「二人を守れ。男子に魔法は効かんぞ? すぐに治療を」
「東馬、さん……」
香月の視界もぐちゃぐちゃに歪んでおり、もはや目の前に広がる光景が何なのか、自分でも判別できないでいた。本当に、薺率いる政府の人間が来たのか、どうかも。
「せめてもの情けじゃ。喰われた無念、わらわたちが晴らしてやろう」
「セイ、ジ……」
気を失う直前、香月は掠れた声で最後まで、誠次の名を呼び続けていた。
部屋に入った途端に目に入ったのは、無残な二人の高校生の姿だ。
腹と口から出血し、青い光を放つレヴァテインを握ったまま気を失っている天瀬誠次と、頭部から流血し、壁にもたれ掛かっている香月詩音。
「二人とも、無様だな。まさか゛捕食者゛さえも切れないって言うわけじゃないよね?」
自信を覗かせる声音で、背丈の高い少年が薺の横に立つ。アルゲイル魔法学園の黒い制服を身に纏った、金髪の端正な顔立ちをした少年だ。長い間切っていないのか、伸びた髪は片目を隠しており、微かにそこからは鋭い光を放つ青い瞳が覗く。
「期待しておる。朝霞刃生の置き土産」
「その言い方はやめてください」
少年は腰に下げていたレヴァテインに酷似した剣を抜刀すると、スーツを着込んだ大勢の大人たちが見守る中、前へ進んでいく。
途中、倒れている誠次の前で、ピタリと立ち止まる。
「薺総理が君を生かすそうだ。よかったね誠次? ――邪魔だよ」
誠次の身体を足で蹴り、自分の進む道から排除する。
「君は香月詩音さんから付加魔法をもらって、レヴァテインの能力を最大限引き出していた。羨ましいな。理もはるかも、結局は役立たずだったからさ」
香月を見つめ、少年はにやりと笑いかける。
「知っているかい誠次? 神話ではレ―ヴァテインの所有者は、もう一人いたそうなんだ。なんでもそいつは、太陽のように光る剣を持っていたとか」
゛捕食者゛が腕を伸ばし、少年に襲い掛かろうとする。
少年は自らの手で、自分が握る剣に二度目の付加魔法をかける。剣は白く眩い光を放ち、魔法の力を宿していた。
まるで太陽の光を掴もうとするかのように、゛捕食者゛の攻撃が迫る中でも、少年はゆっくりと、十字架に向け歩いていく。
迫って来ていた゛捕食者゛の腕は、少年に到達することなく、目前で砕かれた。
「無駄な事を」
ぼそりと呟いた少年の元に飛来する、゛捕食者゛ の背中の触手。しかし、それら全ても結局、少年の元に到達することはなく、目前で粉々に砕け散る。
゛捕食者゛は悲鳴をあげ、後退していた。
輝く剣を持つ少年は、相変わらずゆっくりとした足取りで、゛捕食者゛に近づく。
「゛捕食者゛は全滅させる。僕にはその力がある……」
少年はレ―ヴァテインを振り払うと、両手で構え、゛捕食者゛目掛けて一閃する。音を立てて空気を斬り裂く衝撃波が、間もなく東馬迅を、゛捕食者゛を斬り裂き殺していた。
「……白衣?」
飛び散る白衣の残骸。ある種、猟奇的に微笑む少年はそっと左手を伸ばし、天使の羽のように舞い散る白衣の残骸を掴んでいた。




