8 ☆
鋭い光を放つ満月を見上げ、林は豪快なあくびをする。夜空に煌く月の明かりは綺麗この上ないが、風情もなにもあったものではない。ここは職員室であり、窓は閉め切っているのだから。
「はあ、綺麗なお月様だこと……」
――いつかは、窓を開けて新鮮な空気を吸いながら、月見など出来る日が来るのだろうか。
時刻は午後七時を過ぎている。そこらの高校に比べて格段に広い職員室にいた教職員も、自分の部屋に戻ったり、夕食をとったりしている為にまばらになっている。
「飲みすぎですかな林先生」
片手で頭を抱えながら、保険医のダニエル・オカザキがいつもの白衣と下駄姿でやって来る。
「そう言う吾輩は寝すぎてしまったのだが……」
「理事長には絶対に隠し通せとか言われたが、みんな見事に出し抜かれちまったみたいだな」
「フム……。……結局、彼を止める事は出来なかったのか」
カイゼル髭をぴくりと動かし、ダニエルは物悲し気に言う。
「責められるのは最終的に剣を渡しちまった俺一人だ。言い訳をするわけじゃないが教師ってのは時に難儀な立場だけど、俺もヤキが回ったな……」
がんがんと鳴る頭を林はかきながら、言う。
「けどよ……俺も、そうしていればもしかしたらって思うと、行かせてやりたかったんだ――」
もし剣術士のような自信と、かりそめでも度胸と勇気があれば。もしもあの日、周囲の反対を押し切って夜の外に出ていれば。
思い出せば思い出すほど、あの日の夜の外に怯えた自分に腹が立ち、しかし状況がそうさせていたと言う事で自分を納得させる。その繰り返しに、いい加減うんざりしていた。
「二の舞なんかごめんだ」
「フム。責任はみんなが持つべきだ。吾輩は保健室の準備をしよう。いつでも少年少女が、帰って来てもいいように」
「頼む。はぁ、若いっていいですこと」
ため息を堪えた林は、かわりに大きな伸びをする。
「さてと、明日の授業の準備しなくちゃな。明日の日直は剣術士にしてやる」
三人の生徒の無事の帰りを信じ、立場上待つことしかできない林とダニエルはいつ吉報が来てもいいように、今夜は徹夜をするつもりであった。
※
「邪魔をするなーっ!」
高々と掲げたレヴァテインを、勢いよく振り下ろす。ドローンの破損した箇所にレヴァテインの刃が喰い込み、火花を上げて金属を斬り裂いていく。
誠次と香月と千尋と科連の男は、日本科学技術革新連本部を真正面から見て右から二番目の、第三塔の通路を走っていた。
白い電光が眩しい通路にはすでに何体か破損したドローンがある。それが他の侵入者によるものか先に乗り込んだ八ノ夜によるものかは、区別は出来なかった。
五機目の敵のドローンを撃破したところで、誠次は大きな呼吸を繰り返し始めていた。全身からも大量の汗が噴き出している。これがただ身体を動かしただけのもので出る量の汗ではないと、誰がどう見ても明らかで。
(っ……。本調子じゃないと、こんなにも動きに違いが出るのか……!)
額に手を押しあてながら、誠次は心の中で呻く。心臓は全身が跳ね上がりそうなほどの鼓動を刻み、脈拍も触って確かめるまでもなく、全神経が悲鳴をあげている。
「私たち以外に誰が来ているのか、貴方は知らないの?」
背後で香月が男に尋ねる。
「ドローンが突然暴走して人を襲い始めて、本部はすでに混乱状態だった。生きている奴は閉じ籠っているか、もう逃げ出した奴ぐらいだろう。お前たちの言う、会いたい人とやら以外と、俺を襲った奴以外は」
「暴走なんて、するものなのでしょうか?」
今度は千尋が男に問う。
「誰かが意図的にやったとしか思えない。本来、君たちのような学生の手には余るはずなのだが……」
男は先行する誠次の背をまじまじと見つめる。
誠次は曲がり角からやって来たドローンを戸惑いなく斬り伏せ、足で蹴り倒したところであった。最後の抵抗とばかりに放つネットをレヴァテインで絡めとり、逆にドローンに投げ付ける。関節の節々にネットが絡まったドローンは、最終的にじたばたともがくこともできなくなる。
「大丈夫ですか誠次くん?」
「ああ。この程度の相手ならば、楽に対処できる」
教会で言えば大聖堂。すなわち奥地である本棟へは、ここか一つ隣りの第二塔からしか行けない造りとなっている。二つの塔から本棟へ向かう道は大広間で繋がっているそうだ。
「この部屋だ。まさか本当にたどり着くなんて……」
カードキーを使っても解除できなかったため、男はドアを力任せに無理やりこじ開ける。つい先ほどまで怪我をしていたが、体力はあるようだ。
部屋の照明は落とされており、非常電源さえも点いていないのか、真っ暗であった。
「暗いな」
「私が明かりを灯します」
千尋が汎用魔法を発動する。発動したのは《スヴェート》。ロシア語で光の意味であり、その名の通り疑似的な照明代わりに使える光源を、空中に浮かすことが出来る。
「科学の賞が、たくさん飾ってあります……」
明るくなった四角形の部屋を見渡す千尋が、感心している。誠次と香月も、目の前に広がった栄華に、ため息に似た息をつく。
黄金のトロフィーや、和紙の賞状。目新しいものではホログラムの賞状も。目を凝らせば、部屋の至る所に輝かしい科学の発展の歴史が所狭しと飾られていた。
二〇四九年をピークに、この国の科学技術は一気に衰退した。ホログラム技術や、施設の拡充など、この先も科学と共に発展を続けていくと信じていた世界に魔法と゛捕食者゛が生まれたのだから。
「どうりであまり知らなかったわけだ……。魔法にお株を奪われていたのだから」
部屋に所狭しと張られている賞状は、もれなく二〇五〇年以前のものだけだ。ここで働く科学者たちにしてみれば、やるせないものがある事だろう。
時間が必要だ、と誠次は思い、香月に声を掛ける。
「俺は部屋の入り口を見張ってるよ」
「……」
香月は無言のまま、誠次に近づく。そして、誠次の両手をそっと、握り締める。
「本当に……ありがとう。私の、為に……」
紫色の目を潤ませながらも、香月は誠次を見上げ、笑顔を見せてくる。
「いいんだ。家族って、誰だってやっぱり大切なはずだから」
誠次も鼻先を指でかきながら、優しい表情で言っていた。
「……」
男が香月の手を握り返す誠次をじっと見つめていた。
「私も一緒に外を見張ろう」
「わかった。千尋、ここは香月と一緒にいてやってくれ」
「かしこまりました」
誠次は千尋に声をかけ、男も誠次のあとに続いて部屋を退出する。
部屋の外、通路に出た途端、誠次は全身を壁に押し付けていた。身体全身で、荒い呼吸を繰り返す。
「ハアハア……まずい、な……。立っているだけで、やっとだなんて……」
大量の汗を拭いつつ、誠次は苦しく呟く。香月に悟られないよう、精一杯だった。
「顔色が悪いぞ」
横に立つ男が声を掛けて来る。
「だ、大丈夫、だ……」
少なくとも、この男の前で弱音を吐いてしまってはいけない。香月を襲った以上、誠次の中では警戒すべき相手だ。だが、身体がもはや言う事を聞いてはくれなかった。
「っく……」
酷使した代償を払うかのように、身体がふらつき、誠次は片目を瞑る。
男はそんな誠次を気にせずに、話し出す。
「……レ―ヴネメシスも、もう終わりか。その終焉が高校生たちによってもたらされるとはな」
言葉の割には、どこか明るい男の口調。
誠次は片手で頭を抑えながら、ぼんやりする頭で男の言葉を聞く。
「不思議だとは思わないか? 優秀とは言えどうして東馬さんと言う一人の科学者だった男が、やがて国を脅かすまでのテロの指導者になれたのか。どうしてテロが、この国で栄えることが出来たのか」
「あなたは何を、言って……」
これは幻覚か? 男の声がまったく別の人のものに聞こえ、誠次は耳を疑う。聞き覚えが、あるような声の気がする。
ぜえぜえと口で呼吸する誠次の横で、まるで機は熟したと言わんばかりに、男は誠次の方へ近づいてくる。
「そもそもレ―ヴネメシスとはなんのために存在していたのか? 彼らの具体的な活動はなんだったんだろうね? ……でも、゛僕゛にとってそんな事はもうどうでもいい――」
二人だけの廊下。ニヤリとほくそ笑んだ男は、鋭く光る青い目を、誠次に向けていた。
誠次と男が出て行き、室内に残った香月と千尋は、探し物をすぐに見つけていた。部屋の壁の中央部、それほどまでに目立つ場所に、飾ってあったからだ。
「お父、さん……」
立ち止まった香月が、ひときわ目立つ額縁に収められたある一枚の写真を見つめる。
残った千尋は、香月の傍に寄っている。
写真には、何かの華やかそうな授賞式を背景に、三人の白衣姿の人が映っているものだ。二人の男性と、間と言うよりかは左に映る男性に寄り添って嬉しそうに微笑んでいる綺麗な女性。そして、右端に映る男性が東馬迅である事に、香月は気づいていた。
電子機器の額縁に指でタッチすれば、ホログラムで解説の文字が浮かぶ。
「国家叡智財産賞、授賞式? 撮影日は二〇六六年……。今から一三年前くらいね」
つまり写真に写っているのは東馬が一九歳の時。その時点ですでに政府に認められるほどの、優秀な科学者だったと言う事だ。魔法が主流となっている世の中での、科学分野での受賞だ。当然、科学者たちにとっては栄えある事だったのだろう。
「凄いですね。写真の説明欄に載らないほど、科学分野での貢献をしておられます……」
難しい言葉が多く、香月にも千尋にも理解が追いつくことが出来ない。漠然と、東馬とこの写真に写る二人の人により、様々なものが研究、発見され、人の役に立つことが出来ているという事は分かった。
「っ? この写真の女性の髪留め、詩音ちゃんさんのものと同じでは?」
千尋が見つける。
真ん中に映る女性のセミロングの黒髪に、見覚えのある三日月を模した髪留めがあったのだ。
香月はそれを見つめ、あっと驚いて自分の髪を纏めている同じ三日月の髪留めを触っていた。
「私と同じ髪留め……。この二人が――」
女性に寄り添われている男性は眼鏡を掛けており、癖のあるぼさぼさの黒髪で、よくある科学者像を体現した風貌そのものだ。だが、目元まで伸びた髪の下では優しそうな笑顔を浮かべており、目も少年のように輝いているように見える。純粋な黒い瞳は、真逆の分野と言われている科学者にも関わらず、まるで魔法世界へと移り変わる未来を楽しみにしているようだ。
「お、母さん……。お父、さん……。私の、本当の……」
香月が何かを噛み締めるように胸元に手を添えつつ、呟く。
東馬は確か、゛捕食者゛に襲われてこの世を去ってしまったと、言っていた。年代を考えれば、おそらく二人はもう結婚しており、自分は生まれているのだろう。
その証拠に、額縁から浮かんだ文字の最後に、三人の名前が浮かび上がっていた。
「香月奏。香月紫苑。東馬迅」
母親はなんと、同じ゛シオン゛と言う名前であった。母と子が同じ名前。一般的に見ればあり得ない事だが、天才とはどこか常人とは違う世界を見ていると言うのがこういう所なのかもしれない。
「紫苑……。これじゃあ将来、区別が、つき辛いじゃない、お母、さん……」
紫色の目を潤ませ、香月がくちびるを震わして、苦笑する。自分でもはっきりとわかってしまう、無理やりの笑みだ。
物悲しく虚しい思いを感じてしまったのか、千尋は香月をじっと見つめている。掛ける言葉を失ったのか、香月に向けて伸ばしかけた腕を、途中で引っ込めていた。
香月は熱い目元を拭い、優しく微笑む。
「初めて、見たわ……。お父さ……迅さんに両親のことを訊いてみても、何も言ってくれなかったら。こんな目立つところに、飾ってあったのね……」
「詩音ちゃんさんのご両親は、世界が不安定な時でもみんなの為に貢献してくれたきっとすごく偉くて、優しい人だったのですね……」
千尋は胸に手を添え、賞状を眺めながら呟く。
「そうだと、いいけれど……。本当の両親の姿を初めて見て、不思議な感じなの……」
香月は名残惜しく写真を見つめていたが、やがて視線を逸らす。
「本城さんのご両親だって、みんなの為に行動してくれている。今はみんな、きっと結果を求めすぎて焦っているだけ……」
「詩音ちゃんさん……。もう、よろしいのでしょうか?」
千尋の確認に、香月はうんと頷く。
「ええ。さっき手を握って分かったのだけど、天瀬くんの脈がとても早かった。天瀬くん、すぐに無茶するから、傍にいないと」
香月は心から心配そうに、ドアの外を見つめる。
額縁から写真を抜き取ると言う事もしない。これは、科学者たちの為にここにあるべきだ。妄言だと冷笑されてもいい。いつか、魔法と科学が手をとり合って迎える未来を見るためにも。
「参りましょう。天瀬くんが待っています」
「……行ってきます、お父さん、お母さん。きっと科学と魔法は、みんなの大事な夢を叶えてくれるから……未来で待ってて」
香月は最後にそう言いながら振り返ると、部屋の外へと向かった。
男の急な接近に、ふらつく誠次は対処できなかった。
「貴方は……一体……っ!?」
「都合よくそう簡単に人を信用しちゃ駄目だよ。君は本当にお人好しだよ。まさか女の子の為に武器を手放すなんて、僕には真似できない。そんな君を尊敬できる気持ちも、あった」
男は誠次の目と鼻のすぐ先で立ち止まると、誠次の顔をまじまじと見つめる。そして、口で軽く息を吸うと、
「゛家族゛が大切な気持ちは僕も分かるよ。だから、だからこそ僕は家族を奪ったテロや犯罪者が憎い! それを滅ぼす為なら、一芝居をうつことだって、君たちを信用させるために偶然見つけた同級生の女子の両親に会わす事だってしてみせる!」
言葉の節々に、感情の中の゛若さ゛を付け足すように、男は叫び出す。そしてこちらの両肩をがしりと、男は強い力で掴む。
「君も分かるだろう!? 目の前で家族を失った僕の気持ちが! それなのに生易しい君が異常なんだよっ!」
「――がっ!?」
否定しようと喉まで出かかった言葉がつまる。視界も霞む。腹部に感じる、刺激的な熱。声に代わって喉に込み上がる何かを無理やり吞み込んだ時にはすでに、誠次の身体は床に崩れ落ちていた。
「だからできるのさ……君とは違って……僕は迷いなく人を斬り殺すことも」
男は誠次の腹部を貫いた得物を、その場で軽く振る。
「レヴァ、テイン……?」
意識が遠のく中、誠次が最後に確認できたのは、それだけであった。男の手には、自分の持つ剣と酷似した刃物があった。
やっとここまで辿り着いたと言うのに、やっと香月の心安らかな笑顔を見ることが出来たと言うのに、ここでまた、オレは……――。
「こんな、ところ、で……――」
「気絶したか。君たちが来たのを見て咄嗟に科連の男を演じたけど、まさかこうも簡単に騙されるなんて」
しゃがみ、誠次が苦痛に歪んだ表情のまま気を失っている事を確認した男は、ふっと笑って立ち上がる。
「そもそもまさか来た理由が人助けだなんて。この場において中立の立場の君は目障りで邪魔なんだよ……天瀬誠次。ここは殺すか殺されるかの戦場なんだからさ、綺麗事はうんざりだ」
冷たい表情を見せる男から変性魔法の光が剥がれ落ちていく。アルゲイル魔法学園の黒い制服に身を包み、星野一希が冷酷な表情で、気を失った誠次を見下していた。
「諸悪の根源、東馬迅は僕がこの手で殺す。君はここで這いつくばっていてよ。家族と感動の再会を果たした君の鍵は、僕が始末するからさ」
「――連絡が途中で途絶えたから来てみたら。どうして貴方がここにいるのでしょうか」
レヴァテインに酷似した漆黒の剣を高々と振りかざした一希の行動が、聞こえた朝霞刃生の声によってピタリと止まる。
「……朝霞、理事長?」
「やられた? ……ご容赦を、天瀬くん」
朝霞は風属性の魔法を使い、誠次の身体をレヴァテインごと吹き飛ばす。気を失ったままの誠次は壁に激突し、再び床の上に転がる。しかし、これで誠次にとどめを刺そうとしていた一希との距離は離せた。
誠次の血が舞い散る中、一希は面白くなさそうに朝霞を見る。
「感謝しているよ朝霞。僕にこんな凄い力を与えてくれて。……でも、あいつは僕の獲物だ」
朝霞は豹変した元教え子の姿に、戸惑いを隠せずに身構える。
「誰の命でここに? 貴方がここにいるのは想定していません」
「どうでもいいじゃないですかそんな事。貴方はもう僕が尊敬する理事長じゃないし、答える義理はないですよ」
「貴方にその剣を渡したのは、こうして人に刃を向けるためではないはずですが。もう一度訊きます。誰が貴方に指示をしているのでしょうか?」
「……。黙れよ、いい加減」
温和な表情から冷酷な表情へと変えた一希は左手を伸ばし、魔法式を展開する。放たれた攻撃魔法の光を朝霞は避けるが、一希は右手の剣を振るいながら突進してくる。
その表情にも行動にも、微塵も迷いはないようだ。
「僕の邪魔をするんだったら、貴方でさえ容赦はしない!」
「っち」
朝霞も刀を振るい、応戦する。一希の怒涛の攻撃の最中、視界の奥の方で誠次がドローンのネットに捕獲されている光景を、朝霞は確認した。
(天瀬くんの救助は、厳しい、か……?)
「どこを見ているんですか?」
笑う一希が、朝霞の頭上で剣を縦に振るう。
朝霞は刀で受け止めるが、反撃の手が出ない。それよりも速く、一希が空いている手で攻撃魔法を繰り出して来ていたのだ。
「やる……」
朝霞は身を引くが、一希の放つ発動動作の極めて短い魔法は、朝霞の長い髪を掠めて行った。
「鬱陶しいな……」
一希が自分の左手を見つめ、呟く。そしてニヤリと笑うと、一希は《インビジブル》を発動する。
「《インビジブル》。妨害魔法で解除は出来ますが……」
「血……?」
「朝霞さん!? これは一体!?」
部屋の中にいた香月と千尋が出て来た時にはすでに、誠次はドローンに連れ去られてしまった後であった。髪が解けた朝霞は状況を咄嗟に整理し、香月と千尋に指示を出す。
「二人は天瀬くんを追い掛けてください。血の跡を辿って」
「どう言う事なの? 状況を説明して――」
「説明する余裕すらないのが、分かりませんか?」
香月の質問に、朝霞はひねくれた笑みで返す。実際、ここまで誤魔化して戦っていたが、体内魔素は、ここまでの戦闘でかなり消耗している。
誠次を追い掛けようにも、もはや一希は無視できる相手ではなかった。
朝霞は形成魔法を発動し、すぐに香月と千尋と自分たちの間に青白い壁を作る。
「朝霞さん!?」
「急いでください香月詩音、千尋お嬢様。手遅れになる前に」
「こんな事で貴方が赦されるとは思わないで。貴方は他にやるべきことがある。行きましょう、本城さん」
それはすなわち、遠回しに生き残れと言う事であった。最後に香月が、言い放っていた。
「私は死ぬまで赦されることはないと言うのに……」
「ど、どうかご無事で朝霞さん!」
自嘲するようにほくそ笑む朝霞の視線の先、戸惑う千尋の手を掴み、踵を返した香月が走り出す。
「頼みますよ、お二人とも……」
「あの様子じゃ、大臣の娘も鍵――鍵はやっぱり破壊しておくべきだったか。まだ僕にも、そんな小さな覚悟が足りないって事なのか……?」
形成魔法の壁寸前のところまで、一希は接近していたようだ。姿を現したときはすでに、形成魔法の壁に手を添えていた。
一希は追跡をいったん諦め、振り向く。身体全体から漂う邪悪な殺気に、朝霞でさえ思わずぞっとしていた。
「じゃあ、代わりにまずは朝霞さんでいいや。僕の邪魔をするんだから、仕方ないよね」
「貴方にその剣を渡してしまったのは私です。ならばその責任は、私がとります」
煤のついた顔をそのままに、女性のようなロングヘアー姿の朝霞は、一希を睨んでいた。
ドローンによって捕縛された誠次が次に目を覚ましたのは、腹部の痛みを感じたからではなく、首筋に何かを注射されたような不愉快な感覚によるものであった。
「――ここ、は……っ? どうして、俺は……」
身体全体に感じる冷たい感触によれば、どうやら自分は床に這いつくばっているらしい。
ぐったりと重たい身体で誠次は空気を吸うために、大きく口を開ける。
「っ!? 身体が、動か、な……っ」
「驚いたよ。まさか君が直接来ているとは」
ひざ丈まではある白衣のポケットに手を入れ、東馬迅が誠次の前に立っている。
すぐに押し倒された身体を起こそうとするが、身体が痺れて動かない。おそらくとも言わず、東馬に注射されたものの所為だろう。
「君には身体の自由を奪う薬物を注射させてもらったよ。かなり危険なやつだから、取り扱いには注意しないといけなかったんだ。何せ暗闇でね」
東馬は両手の青いゴム手袋を片方ずつ脱ぎ捨てながら、誠次を見下して言う。肩まで伸ばした長めの茶髪に、引き締まった身体の白衣姿。
東馬がリモコンのスイッチを押せば、部屋の照明が一斉につけられる。
これまで見て来た科連の部屋とは一線を画す、タイルの壁に小物が置かれた机以外、広いが何もない密室だ。
すると、頭に電流が流れたかのような激痛が走る。どうしてここにいるのか、思い出そうとすれば鋭い痛みが脳みそを襲った。
「ああっ!? 痛……っ!」
「思いのほか気分はすっきりしてるだろう? 副作用として脳に負担がかかって記憶が曖昧になってしまうかもしれないが、それもどうでもよくなる」
東馬は楽しそうに誠次の周囲をゆっくり歩きながら、訊いて来る。
誠次はどうにか身体を起こそうと、両腕を床について起きようとするが、東馬がそれを許さない。
「それじゃあ駄目だ! 駄目なんだよ質問に答えろ! 君との話は楽しいから、すぐに仕留めてはやらないでいたんだぞ!?」
誠次の腹を思い切り蹴りつけ、東馬は愉快気に笑う。夏に最後に会った時とは口調も語気も違う。今は完全に狂っているようだ。
「もう一度訊く、気分はどうだ!? 意識はハッキリしているが、手も足も出ないだろう? そうだよ……今の君は、まるで昔の俺だ……」
感情を昂らせたかと思えば、一気に冷める。その移り変わりは、もはや別人格のようだとしても可笑しくはない。
「昔の俺……? なにを……言って……っ」
「そんなか弱い声と姿。無様すぎて、見てられないなっ! 俺の、娘の香月が見たら笑われるぞ!」
「あんたが香月の――がはっ!?」
再度腹を蹴られた誠次は、ごほごほと咳をしながら、床の上をのたうち回っていた。レヴァテインは右腕を離れ、床に回転して滑っていく。
「あッはッは! 踊れ踊れ! まるで生まれたての小鹿だよ君は」
東馬は文字通り、まるで死にかけの虫を見るような目で、誠次を見下ろす。人とはそこまで冷酷な目が出来るのだと、初めて教えられたようだ。
「前に家で写真を見ただろう。俺の妻の陽子と、まだ生まれたばかりの赤ちゃんの子供と俺が写った写真を」
GWの時に、何気なく自分が指摘したものだ。
誠次はぜえぜえと咳をして、東馬を見上げていた。
「ある日の夜の事だ。俺たち家族は゛捕食者゛に襲われた。皆殺しだ……俺は家族の為に、何も出来なかったんだ。いくら科学を追求しても、魔法が使えなければ、この世界は意味がない! お前は分かってくれると思っていたのに!」
「林間学校で、朝霞を使って俺を味方に引き入れようとしたのは……!」
「そうさ……。だっておかしいじゃないか……たった一年だぞ? 人類の間に一体なにが起こったんだ? それこそ神の悪戯にしか思えないじゃないか? なぜ人は突然魔法が使えるようになったんだ?」
誠次は再び起き上がろうと、両腕を床についていた。
「東馬、迅……っ! 貴方が、テロの主導者か!」
「その反抗的な目……ああそうだ。君は絶望することなく、立ち上がろうとする。アイツらだってそうだった。その最期の、瞬間まで」
東馬は近くにあった木の椅子のひざ掛けに腰を降ろす。どうせ手出しは出来ないと思っているのだろう、まるで映画館で映画でも鑑賞しているような佇まいだ。そして悔しいが、手出しが出来ないのはその通りであった。全身が痛みと薬により麻痺しており、筋肉をまともに動かすことが出来ない。
「アイツ、ら……?」
再び床に這いつくばった誠次が、東馬を見つめる。
東馬はこちらが興味を持ったことに満足したのか、口角を上げていた。
「香月奏。香月紫苑。二人は優秀な科学者であり、また愛に満ちた理想的な父と母だった」
「香月の、両親……?」
思わず耳を塞ぎたくなるが、そんな事でさえ、今の誠次にはうまく出来ない。東馬の口から語られる真実を、ただただ受け止めるしかなかった。
「゛捕食者゛に襲われて、死んだんじゃ……」
「ああ、思い出した。確か詩音にはそう伝えたんだったけか。けど――あの二人は俺が殺した。感触は今でも覚えてる」
自分の指先を見つめながら、東馬はこれと言った感情も感じさせず、淡々と述べた。
誠次は驚愕の言葉に、黒い目を大きく見開く。
「貴方が、香月の両親を……!?」
「椅子に縛り付けられて身体をボロボロにされながらも、あの二人は最後まで詩音の事を案じていたよ。実に感動的な親子愛さ。状況的には、今の君によく似ているな」
顎に手を添え、東馬は面白げに言う。
「やめろ……。嘘、だ……」
「嘘なんか、今更ついてどうする。あの二人とは仲は良かったが、正直ウザかったよ。何が゛魔法は夢を叶えるもの゛だ。科学者のくせして口癖のように言っていたが、あの二人は最後まで科学と魔法は共存できると信じていた」
東馬は椅子から勢いよく立ち上がり、こつこつと靴音を立てて誠次の周囲を歩く。
「香月がいた施設からの解放、と言うのは……?」
「全て自作自演さ。あれも多くの血が流れた……」
「そこまでして、香月にこだわっていたのは……」
「教えてあげよう。さあ、立って座れ!」
東馬は誠次を背中から羽交い締めにすると、無理やり椅子に座らせた。抵抗しようとするが、やはり力が入らない。
「くっそ……っ」
乱暴に椅子に座らされた誠次は、歯ぎしりをした。
「ここで俺の本当の目的の話に繋がるわけだ」
東馬は嬉しそうに、嬉々とした表情で誠次の前に立つ。首元には、いつもの十字架のネックレスが輝いていた。
「俺の目的はたった一つ。死者蘇生だ」
背もたれにぐったりとするこちらに向け、両手を広げながら東馬は宣言する。
誠次はなおも抵抗しようと、床につけた足に力を込めていた。床を滑っていったレヴァテインは、手術用具のような拷問器具が置かれたテーブルの下にちょうど収まっていた。
「真面目に俺の話を聞け! 天瀬誠次っ! 笑い話じゃあないんだ!」
東馬が思い切り右手を振り払い、誠次の頬を平手打ちする。
視界が一瞬のフラッシュののち、痛みと言う実感を伴なって戻って来る。ただの麻酔薬と言うわけではないようで、身体の自由は効かずとも、感触はあるのだ。
「二人の家族を゛捕食者゛に奪われた俺は、ずっと二人を生き返らせる為に研究を続けていた。初めて魔法が役に立つと思った瞬間だよ。科学では到達できなかった人類の夢に、魔法が到達したんだ!」
「馬鹿げてる……。死んでしまった人が、生き返るわけが、ない……!」
「魔法は夢を叶えるものだろう?」
「貴方が、それを言うな……っ!」
香月の気持ちを踏みにじられているようで、そして、それに対して今の自分の無力さにも腹が立ち、誠次は叫んでいた。
東馬はそんな誠次をじっと見つめると、けっこうけっこうと両手を叩いていた。
国際魔法教会の命で剣を渡した結果が、今このような形となって帰ってくるのは、朝霞にとっては想定外であり、不測の事態であった。
二回ほど斬りあい、一希の腹を蹴り、距離を離す。一希もさすがに朝霞の剣術に手こずっているのか、伸びきった髪から覗く片目だけで朝霞を睨む。
「さすが、朝霞さんだ。僕が憧れていただけはある」
「もう少しだけ憧れの対象であってほしかったのですが」
「無理だよ。だって貴方は誠次に負けた。剣を持つ覚悟も勇気もない彼に、ね」
一希は攻撃魔法を巧みに操り、遠距離からも朝霞を攻撃する。
迫り来る無数の魔法の矢を、朝霞は回避しながら切り落としていく。
「仮に政府が貴方をここに連れて来たとするのならば、ただ貴方は利用されているだけですよ」
「だろうね。けど、利用されてたって構わない。僕には力があって、その力を人が求めるのは至極当然の事。例え甘い密に誘われても、道を切り開けばいい」
「自覚は、あるのでしょうか」
「もちろん。みんな自分の野望を胸に秘めていて、本当の意味で善人なんてこんな救いようのない魔法世界にいはしない。まあ、一人だけ近い人がいたけど」
「ぞっとしますよ。もしかしたらそのもう一人も、その強大すぎる力を手にして貴方のようになってしまっていたかと思えば」
「僕とアイツを比較するのはやめろッ! 僕はアイツを超えるッ! この世界が必要としているのは僕の方だ!」
想像を絶していた一希の覚悟に、朝霞は舌を巻く。言葉での説得は無意味だと、悟った。
「僕も大人と同じように自分の野望に従う。犯罪者なき世界。誰もが平和を感じ、悪人を躊躇いなく処刑出来る世界を作る。政府だって僕の本心を知っていて、だからこそテロの情報を与えてくれて、僕を利用してくれるんだ」
一希が再び接近し、朝霞の首を狙って剣を横に振る。朝霞は刀で剣を受け止めるが、一希は攻撃の手を緩める素振りを一切見せない。
一希は朝霞の腹を膝で蹴り上げると、身体を押す。
「かは……っ」
朝霞は透明な唾を吐き、二歩ほど下がっていた。一希はそれでも間合いを離さず、執拗に朝霞の胴を裂こうと剣を振り続ける。
「……甘い」
朝霞はわずかな隙を見逃さず、一気にこちらを仕留めようとして来た一希の左肩に、刀の突きを繰り出す。攻撃は一希の素早い身のこなしによってかわされるが、一方的に攻撃することの無防備さを味合わせることが出来ただろう。
「っち」
一希は攻撃をいったん止め、首を軽く横に振る。
「ここで使いたくはなかったけど、さすがは朝霞さんだ。本気でいくしかない」
「……?」
「未来を自分で切り開く僕の力、見せてあげるよ」
ニヤリと笑った一希は、自分の剣に左手を添える。そこから発生する、禍々しい魔法の光。
「自分で、エンチャント、ですか……。まあ、フフ。天瀬くんの方が、少しおかしい戦い方だったと言う、話ですけれど、も――」
「さようなら、朝霞さん」
一瞬で朝霞の目の前に出現した一希は、最後まで抵抗しようと刀を構えていた朝霞の胴体に、白く光る魔剣を突き刺していた。




