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試験終了直後。
誠次の剣の青い光は香月が宿した魔素の量も少なかったのか、すぐに消えた。
「――負け……た……」
試合の熱が冷めぬ中、誠次の目の前で悔しそうに口を結んでいるのは波沢香織だ。
一方で、ざわざわと異様な雰囲気に包まれている第一演習場は、もはや収束がつきそうにない騒音具合だ。
「生徒諸君、静かにしたまえ!」
拡声器でも使用したのではないかと言うほどの大声が、そんな演習場の空気を一気に沈黙させた。
特徴的な声の主は、ヴィザリウス魔法学園の現生徒会長、兵頭賢吾だった。いつの間にか試合を見ていたのか兵頭は、二階部の最後列座席に立ち、こちらを見下ろしていた。
「……っ」
それと目が合えば、とてつもなく大きい存在感、と言った何かが頭を過り、誠次は息を呑んでいた。
「――どう言うこと!? 私は確かに防御魔法を使ったわよ!? それに、あの一瞬の青い光は!?」
波沢の大声が、試合時の熱を呼び覚ましていた。
誠次は俯いて、
「俺に魔法は効きません……。あの光は、剣と、友だちの力です」
「魔法が、効かない……!?」
誠次の言葉に後退りでもしそうな勢いで驚く波沢は、次の瞬間には俯いていた。
「……」
「……」
そして互いに、何も言い返せない時間が続いた。
『――えーまずは兵頭生徒会長、騒ぎを鎮めてくれて感謝する』
監督席に設置されてあるマイクで、ある意味今回の騒動の発端人、林が声を通す。演習場のモニターにも、硬い表情の林が映っていた。
誠次と波沢は、同時にリアルの方の林を見ていた。
『天瀬誠次と波沢香織は、これから簡易教室に来るように』
プツリ、と小さな音がして、マイクの電源が切られた。
席から立ち上がった林を見た後、波沢と一回だけ視線が合う。
「……」
「……」
またしても、無言。
ひそひそ話と、奇妙なモノを見る視線が二階部の先輩たちから注がれる中、誠次はため息を堪え、簡易教室へと向かった。
「やったな剣術士!」
「冗談じゃないですよ……。大騒ぎじゃないですか!」
簡易教室と言う名の地下の密室にて、はにかむ林を前に誠次はげんなりとする。
立って向かい合う林の右横には、波沢がいた。
「ごめんなさい……桜庭さん……。天瀬くん……」
「ぜ、全然! あたしは全然大丈夫です!」
そして、誠次の左隣には桜庭莉緒がいた。
桜庭は波沢からの謝罪に対し、戸惑うように胸元で手をわちゃわちゃと振っていた。
「よし、これにて一件落着だな」
ポン、と手を合わせて林は言う。
いやいや待――。
「ちょっと待って下さい林先生!」
「なんだ波沢? 告白か? 悪いが未成年は……」
「ち、違います!」
いささかベタすぎるやり取りを、林はやっていた。
「私は先生から、天瀬誠次君は魔法学園の先輩たちを馬鹿にしている、と言う旨の発言を聞いたのですが!?」
「はっ!?」
「入学早々勉強が出来るからと先輩たちを見下し、入学早々同級生の女子をは、はべらせていると!」
ほんのりと顔を赤くし、波沢は少し戸惑う素振を見せつつ、後半の言葉を言い切る。
「酷すぎて聞くに堪えないな!」
「は、はべらせてるって……」
波沢の言葉を聞き、誠次はすぐに林を睨み、桜庭が顔をかーっと赤くする。
「見たところや戦ったところ、少なくとも天瀬誠次くんは先輩方への礼を弁えていました。戦いの最中も敬語でしたし」
「すまんすまん……。ちょっと盛り過ぎた」
林は後髪をかきながら、頭を軽く下げている。
聞き捨てならないのは誠次だ。
「……」
そんなことで本気の戦いをされていたのか!? こっちは退学が懸かっていたんだぞ!?
誠次は身体をぴくぴくと震わせながら、林を睨みつづける。
「林先生……」
波沢は林を見て、疑惑の表情を浮べている。
「……嘘、なんですか?」
「私の知ってる天瀬はそんなことしないはずです! ……私の知ってる天瀬、なら」
期待するような、桜庭の緑色の瞳をちらと受け、誠次はすぐに頷く。
「大丈夫桜庭……。俺は俺だ。魔法使えないから」
そして、三人の三者三様の視線が、林に説明を促していた。
「すまん、嘘ついた!」
頭を直角に下げた林だが、むしろ開き直っているようでもある。
「どうしてそんなことを……?」
疑問を払拭しようと、波沢が困惑した様子で林に訊く。
「本気で戦わせるためにだ。実際、女の敵だっただろ?」
「それは、入学早々にも関わらずすでに異性と不純交際をしている点では、解せませんでしたが」
「いや波沢先輩! それは嘘ですから!」
「そ、そうです先輩っ!」
あごに手を添え、うんと頷く波沢に、誠次と桜庭がツッコんでいた。
第一、桜庭を自分に仕向けたのは林本人のはずだ。今日のテスト前の時も。
「まあぶっちゃけ、最初から一学年生が勝つことは想定しちゃいないしな。おっと、これは内緒な?」
林は口の前で人差し指を立てる。
やはり、異例だったのは勝利した香月か。
言葉の途中から誠次は林の視線をちらちらと受け、そう思っていた。
「そうは思います……」
優等生としての誇りゆえか、波沢の表情や口調に変化は現れず。
「本当に、ごめんなさい……」
しかし、こちらと桜庭に対する謝罪は、重たいものであった。
「俺も悪かったよ、けど、結果は剣術士の勝ちでいいな?」
林は、肩を竦めて言った。
波沢は「はい。私の負けです……」と素直に頷いていた。
「それはそうと天瀬。剣を鞘から引き抜かなかったな?」
「人を斬ったら犯罪ですよ!」
当然のことを、と誠次少し苛立ちながら林に言葉を返した。常識的に考えて、人を斬ると言った行為はまず除外していたのだ、が。
「そうかそうか。そりゃあ良かった」
林は、飄々と笑っていた。
「……?」
誠次は林の真意を読めず、首を傾げていた。
一学年生の魔法実技テストが終了した放課後。
昼は生徒達の話し声やらで静かな魔法学園内も、夜となれば静かな中央棟の通路。
桜庭と誠次が、そこを二人で歩いていた。
「なんか、どっと疲れたよね……」
前髪に添えられた可愛らしい髪留めを眺め、誠次は桜庭の声を聞いていた。
夜間の棟の通路は、声が反響するほど静かだ。だれ一人いない、と言う事でもなく、少数だが生徒とすれ違う事はあったが、居心地の悪い視線を送られるものだった。
「こんなはずじゃ、なかった……」
誠次は自分の電子タブレットを片手に持ち、ホログラムの画面を見ては呻いていた。
「なに見てるの?」
「あっ……」
横を歩いていた桜庭に電子タブレットを覗き見られ、画面の内容を見られてしまった。
「な……なにこれ?」
そして、盛大に笑われる。
内容は、同級生先輩関係無く矢継早に送られてくるメールだった。
今の今まで、メールなど志藤や八ノ夜から一日一件ほど送られて来るか来ないかぐらいであった。
それが試験が終わってから数時間で、もうすぐ百件を超える勢いのメールが送られて来ている。こうなったらもうただの、迷惑メール受信端末だ。
「魔法効かないの? 先輩と喧嘩したって本当? どうやってあんな距離飛んだの? とかとか……」
桜庭は慣れた手つきで指をスライドさせ、タブレットのメールをどんどん確認している。
とにかく、日夜話題を求めて止まない年頃の生徒たちにすれば、今や誠次は格好のエサだった。
「最悪だ……」
やっとのことで取り返した電子タブレットにまたしても新着メールの光が灯り、誠次は思わずリノリウム床に叩き付けようとしたところだ。
「ああもう嫌だ! ……桜庭は俺が怖くないのか?」
誠次はため息を堪えつつ、冴えない表情で桜庭に尋ねる。
結果になるが。
この学園で誠次は剣持ったヤバい奴、と言う称号に加え、魔法が効かないヤバい奴、としても認知されてしまっていた。
「いやあたし……天瀬に助けてもらったから……」
「……結果論だ」
「難しい言葉使うね、天瀬……。ほんとごめんね! いつも何かを頑張ってやろうと思ってるんだけど、失敗しちゃうんだ……」
らしくない桜庭の言葉。
桜庭は自分なりの方法で、こちらを守ろうとしてくれたのだ。それが悪いようにいってしまったのは、仕方が無い事なのだろう。
だから誠次は、桜庭の優しさに感謝していた。
「あの時は助けてくれてありがとう桜庭。助かったよ」
「……あ、うん……。ありがとう、天瀬!」
いつも通りの明るい笑顔の桜庭。澄んだ緑色の目で、誠次を見上げて来る。
「い、いや……。俺はただ、クラスメイトに当然のことをやっただけだ。礼はいらない」
桜庭の屈託のない笑顔を受けた身体は、確かにドキッとしてしまっていた。誠次は首を横にぶんぶんと振り、誤魔化す為に話題を変えることにした。
「それに……まだ、分からないことがある」
誠次は真剣な表情に戻り、つぶやいた。
この通路の一幕より少し前。
匿名で送られて来た一通のメールに【波沢が教室で倒れた 保健室にいる】とあった。
誰がなんの為に? と言う疑問はあったが、少なからず関わった身としては向かわなければならないと思った。
魔法学園の中央棟一階にある保健室。
「――入りたまえ!」
そこで二人を迎えるのは、魔法学園の゛保険医゛ダニエル・オカザキ先生だ。
アメリカ人と日本人のハーフで、見た目はあろう事か、ゴリゴリマッチョのおっさんである。
初日の学園施設紹介の時に、この白衣マッチョおっさんの勇姿を見せつけられた時は、生徒たちが阿鼻叫喚に包まれていた。――主に男子が。
やっぱり学園の保険の先生と言うのは生徒の癒しの存在である訳であって、決して生物本能的に恐怖を与える存在ではあってはならないはずだ。危険な魔法を扱う学園である以上、生徒のメンタルケアも重要なはずだからだ。
腐っても八ノ夜――故事作成者天瀬誠次(15)――と言う高いハードルで、期待が高まっていたと言うのもあるが、どうだろうか。
「「し、失礼しまーす……」」
ダニエルの圧倒的な存在感は桜庭も知っているので、二人して声が上ずっていた。冷静に考えて、保健室に入室するたびに気合を入れないといけないのはおかしいと思う。
「よく来たッ! 天瀬誠次くん! 桜庭莉緒くん!」
ドラ声で二人を迎えたダニエル。生徒の名前を一人一人覚えているのは凄いとは思う。
お世辞にも似合っているとは言えない白衣姿で、ご立派なカイゼル髭をたくわえている風貌だ。
「来てくれて嬉しいぞッ! 天瀬誠次くん!」
入り口でなぜか握手を求められ、それに応えれば結果として、誠次の手が赤くなった。
「じ、自分も……会えて嬉しいですっ」
誠次は困っていたが、それでもどうにか苦笑いで応える。
「!? 天瀬誠次くんッ! 吾輩は……! 吾輩は嬉しいぞっ!」
「は、はいぃっ!」
瞳から涙を激流のように流し、その場で感極まるダニエル。
その隙に、誠次はヒリヒリする右手を空気にあてながら、桜庭と一緒にダニエルの横を通る。
「手が……すこぶる痛い……」
「すごい……ダニエル先生をどけた……」
誠次に感心する桜庭であったが、こんなことで感心されてもと複雑な気持ちだ。
そして、保健室で目的と会う。
「波沢先輩」
「え」
波沢香織は、保健室のベッドの上で上半身を起こし、驚いた表情で誠次を見ていた。艶のある青い髪は、白いシーツの上ではよりいっそう映えて見えた。
「あ、天瀬くん……!? 桜庭さん!?」
予期しなかったであろう誠次と桜庭の登場に、波沢はなにかを隠すように慌てふためき、白いシーツをぎゅっと掴んでいた。波沢は学園のブレザーではなく、白いワイシャツ姿であった。
「ダニエル先生。波沢先輩は……」
「安心したまえ。ただの魔素酔いだ」
小さな声で誠次が呟いた言葉に、けろっと戻ったダニエルが後方から反応していた。
二〇五〇年以降生まれの人体の内部にある元素――魔素。それを一時的に大量に使用することにより、目眩を感じることがあるらしい。魔術師におけるスタミナ切れのようなものだ。
「どうしたの二人とも?」
波沢は軽く笑って首を傾げていた。
「体調を崩されたと聞いて……失礼でしたでしょうか?」
「そんなことないよ。心配かけてごめんなさい」
「それに……」と申し訳なさそうな笑顔で、波沢は誠次と桜庭を見上げてきた。
「本当に酷いことを言っちゃったね……。本当にごめんなさい二人とも」
「か、構いませんっ! 大丈夫です!」
桜庭の言動がループしていた。
「俺も平気です。悪いのはうちの担任ですよ」
嫌な表情を浮かべ、誠次が言っていた。
「林先生が聞いてたら怒られるよ天瀬……」
「……ありがとう、二人とも」
「はい。俺も桜庭も、これ以上謝ってもらうために来たわけじゃないので、大丈夫です」
波沢は深く頭を下げたので、もうこれ以上はなしだ。横にいる桜庭もうん、と頷いていた。
波沢は少しだけ驚いたように、白いシーツをぎゅっと握っていた。
「不思議。天瀬くんは……私たちみたいな魔法使いが憎くないの?」
「あ……」
波沢の問いに、桜庭も心配そうな顔で誠次を見る。
誠次はじっと考えたのち、
「中学の時までは……憎かったです。魔法が使えるヤツの方が異常だって思ってました。今も羨ましいとは思いますけど……けど、自分もある意味魔法に似た力を持っていますから」
魔法が効かないこの身体は、ある意味この世界では武器なのだろう。
「凄い前向きな性格ね」
「よく、言われます……」
誠次は少し恥ずかしく、後髪をかいていた。
「あなたの事はあれから林先生に、一人の時聞いたわ」
波沢はバツが悪そうな笑みを見せていた。
試験が終わりこの保健室に来る前に、どうやら波沢は林とまた会っていたようだ。
誠次を見上げ、波沢は言う。
「思い出させたらごめんなさい。私゛も゛家族を゛捕食者゛に殺されたの。天瀬はお前と似た境遇だって、林先生から聞かされたわ」
「波沢先輩。も……って、天瀬も……?」
驚く、桜庭が波沢と誠次を交互に見ていた。
「何の為に……」
誠次が林の行動に首を傾げていると、波沢が、
「林先生から聞いたのはそれだけじゃないわ……。……多分私を、止めようとしたんだと思う。天瀬くんを天秤にかけて」
「先輩も゛捕食者゛を憎んでいるんですね……」
思えば、波沢が喧嘩を売って来た理由を考えると、この学園の在り方を思わせるものではあった。゛捕食者゛を倒す為の術を学ぶはずの学園で、゛捕食者゛を倒そうとする者はどういうわけか、疎ましく思われてしまう。
――まさに中学までの誠次が、そうだった。
誠次の質問を聴いた波沢の目の焦点が、霞んでいた。腕に力が入ったようで、波沢が掴んでいる白いシーツにしわが寄っていた。
「……お父さんを゛捕食者゛に殺されたの。そして、お姉ちゃんが特殊魔法治安維持組織で私より魔法が使えて……」
後悔を懺悔するような、波沢の発言だった。
「こんなこと言っちゃうなんて……人に初めて言った気がする……」
「ありがとうございます」
そう言って教えてくれたことが、誠次には嬉しく思った。
(゛捕食者゛に家族を殺された人は、こんな世の中じゃ大勢いる。俺だけが、じゃないんだ……)
――一方で誠次は、そう思っていた。ただ、魔法が使えない点は圧倒的に違う点なのだろうが。
「誰もが戦おうとすれば、人類は破滅だろうな。人にはその人によってすべきことがある」
低いダンディ声でダニエルが、急なご参加を果たしていた。
「うわっ!?」
ぬっと現れたダニエルに、桜庭が素で驚いていた。
「なに、数々の修羅場を潜り抜けてきた吾輩にすれば、可愛い喧嘩だ! 友情の証に握手したまえ三人ともッ!」
修羅場……?
「そ、そうね。私は喜んでだけど……」
狼狽し、遠慮しがちで、波沢が細く透き通った白さの手を差し出す。
「はい! ありがとうございます、波沢先輩」
断る道理は無く、天瀬もまた握手で返していた。
「握手は良い! 人間だけが出来るものだ!」
ダニエルの言葉通りだとは思った。




