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「お姉ちゃん、どうしたのかな……?」
他の生徒が寮室に戻って夕食をとる時間でも、文化祭終了後の生徒会の仕事は残っている。
班を作った椅子に座り、電子タブレットのホログラム映像を見つめ、波沢香織は心配気に呟く。
「どうしたのーかおりん?」
気難しい顔をしていると、向かいの席に座る緑髪の同級生、渡嶋美結に声を掛けられる。緑色を左右で束ねた、明るい性格の副会長だ。しかし、あか抜けすぎている見た目と言動以上に、仕事はきっちりとやって見せるタイプであり、今も一緒に仕事をこなしている。副会長だから当然と言われてしまえば、そうなってしまうのだが。
「今電波悪いとか、ないよね?」
「なにそれ? さっきまで友達と連絡出来てたし、ないない」
渡嶋はお菓子を頬張りながら、手を左右に振る。自分も食べたいが、余分なカロリーを摂取したくはない。
「だよね」
「……はっ。ま、まさか彼氏!?」
ぽろり、と渡嶋はお菓子を落としている。
「な、ないない。お母さんの誕生日プレゼント、お姉ちゃんと一緒に考えてただけ」
香織は苦笑して文を見せる。若干だが、頬が紅潮している。
「良かったー。危うくかおりんが欲しければ私を倒してからだ、と言いかけるところだった……」
渡嶋はそれを見ると、なぜかほっと一安心しているのであった。
急に姉と連絡が出来なくなったのは少なくとも、こちら側の問題ではないようだ。忙しい姉の事だ。緊急出動とやらで連絡出来なくなってしまったのかもしれない。取りあえずメールだけを送信し、香織は生徒会の執務に戻ろうとしていた。
※
――午後六時過ぎ。
政府組織によって完全制圧された特殊魔法治安維持組織本部の1F廊下を、若き五人の魔術師たちが駆け足で進んでいく。本来ならば自分たちが好きに通行できる部屋も、今は黒いスーツを纏った政府関係者が占拠している。
彼らにここにいる理由を尋ねても、安全の為だ、としか返されない。特殊魔法治安維持組織ならば特例で出来る夜間外出が出来ない理由も、隊員の安全の為と言われてしまう始末だ。
「安全を守る為の僕たちが、安全の為に守られているだなんて、おかしい」
一番後ろから義雄がぼそりと呟く。
「うん。僕たちが人を守るんだ」
集団の先頭を進んでいた影塚はエレベーターの前で立ち止まり、局長室がある最上階へのボタンを押す。
「お互い、隊長からの連絡は相変わらずなしか」
茜が電子タブレットを確認してから、周囲の顔色を窺う。
開いた扉の向こうで待っていたエスカレーターに、一同は乗り込んだ。
「そうですね。そもそも、もはや本部の中でも電波障害が発生しているようです」
右目を眼帯で覆ってる澄佳が、難しい表情をしていた。
「何のために政府はこんな事してるんだっつーの……。もし助けてほしい人がいても、こんなんじゃ出動できねーぞ……」
「……分からない。真相を知る為にも、なんとしても局長に会わないと」
ユエの言葉に反応した影塚は、エレベーターが最上階に到着するまで、扉が開く瞬間をじっと見つめていた。
やがてエレベーターの進行が止まり、身体が若干ふわっと浮くような感覚。そして開いた扉の先に待ち構えていたのは、顔も知らない政府関係者の男たちだった。
「何の用だ?」
「お前たちこそ俺らのところになんの用だっつーの」
男たちには聞こえない程度の小声で、ユエは影塚の後ろから声を出す。
ユエの気持ちも重々承知したまま、影塚は真剣な表情を二人の男に向ける。
「至急局長に確認したい案件がある為、局長と面会に来ました。自分は、特殊魔法治安維持組織第七分隊所属の影塚広であります」
「ふん。エースが何の用かと思えば、隊長からの指示は署内待機のはずだろう?」
「なぜ、貴方たちがそれを?」
「無用な詮索はするな。局長は今忙しく、そして対テロ対策の為の安全の為に、我々政府が直接護衛しているのだ」
「対テロ対策、だと? それこそ特殊魔法治安維持組織の仕事だろう?」
茜が影塚の横に立ち、詰め寄る。
「僕たちは特殊魔法治安維持組織だ。政府にその行動を止められる権限はない」
そう言い、立ちはだかる政府関係者の間を通ろうとした影塚の前に、更なる人影が立ち塞がる。紋章付き黒スーツ。すなわち、特殊魔法治安維持組織のメンバーが。
「――ならこうしよう。これは特殊魔法治安維持組織の隊長からの指示だ。回れ右をして引き返せ、影塚広」
冷酷無慈悲な表情を見せ、特殊魔法治安維持組織第一分隊隊長の青年、日向蓮が立ち塞がる。日向は完全に、政府側についてしまったようだ。
日向の左右の男たちも腕を組み、影塚たちを見下していた。
「日向……っ!?」
同級生の前に、影塚は思わず立ち止まってしまう。
「日向。この状況が分からないのか!? 政府が特殊魔法治安維持組織本部を違法に占拠しているんだ!」
そう叫んだ茜も学生時代からの付き合いの一人だ。よく生徒会室では三人で時にふざけたり、笑い合ったり――。
だが日向は、切れ長の目を一切動かすことなく、影塚を睨む。
「違法などではない。これは志藤局長と薺総理双方のご意向だ」
「前から頭固い奴だと思ってたけどよ、あんまりじゃねーか。直接局長に会うまで分かんねーだろっつーの」
影塚と茜と同じく前へと進み出たユエを、日向は睨む。
「前から馬鹿だと思っていたお前は、想像以上の馬鹿だな」
「んだとテメェ!」
「ゆ、ユエさん抑えて!」
ユエが手を出す直前まで来たところで、澄佳が慌ててユエを羽交い締めする。
日向の後ろには、副隊長の金髪の女性。そして佐久間と近藤が無表情で立っていた。おおよそ、同じ厳しい訓練を乗り越えた同僚に見せるような表情ではない。
しかしここまで来てみすみす引き下がるわけにもいかない。影塚も日向を睨み、引き下がる素振りを見せなかった。
「――駄目だなぁ仲良しさんたち。隊長の命令にはちゃんと従わないと、出世できないよ?」
局長室がある通路奥の方からやって来たのは、第四分隊の堂上だった。
堂上は日向の横を素通りすると、影塚の前で立ち止まる。
「堂上さん……。第四分隊の指示は……?」
「うーん? ああ待機だよ。で、これは個人的な君に対する気持ちだとして――受け取ってよ」
堂上はまるで倒れ込むように影塚の懐まで近づくと、影塚の引き締まった腹部に、突然強烈なパンチを繰り出す。
攻撃の瞬間だけ、堂上は嗤っているようにも見え――、
「がっ!?」
思わぬ一撃を受けた影塚は、腹部を抑え込み、身体を後退させる。
「堂上副隊長!?」
茜が影塚の背後に回り、倒れこむ影塚の身体を支える。
「特殊魔法治安維持組織同士で争いたくないんでしょう? だったらここは、大人しく引き下がってくれないかな?」
「貴様っ!」
影塚の身体を支えながら叫ぶ茜に、
「堂上。殴るのは、駄目だ」
義雄がその前に出て、堂上を睨む。
堂上は影塚を殴った握り拳をぐっぱーと、握ったり離したりしながら、
「義雄くんは殴れないなぁ、体術は相当上手だし反撃が怖いから。それに言ったでしょ? 今のは個人的な感情でただ影塚くんが気に喰わないから殴っただけ」
「き、気に喰わない?」
「強いて言うなら……イケメンだったからかな」
澄佳の問いに、あっはははとにこやかな笑顔で、堂上は湿った手でも乾かすかのように、右手を振っている。
唖然とする特殊魔法治安維持組織メンバーは、第一分隊もであった。
「俺に殴られちゃった影塚くんに免じて、ここは大人しく引き下がってよ、みんな」
「……っ。特殊魔法治安維持組織同士でいがみ合っても……解決にはならない……」
応戦する構えを見せていた他メンバーに向け手を伸ばし、影塚は堂上を見上げる。
「その通り。大人だねぇ」
自分でやっておきながら、仲間を制した影塚を堂上は満足気に見ている。
「……っく」
しかし、しゃがみ込む影塚は悔しく、堂上と日向を見上げる。
「この状況は、絶対におかしい……。志藤局長はそれに気づけないほど愚かじゃないはずだ……」
「何が言いたい」
日向は相変わらず高圧的な態度と表情で、影塚たちの前に立ち塞がる。
「……志藤局長に良くないことが起こっている気がするんだ。あの人は、こんな状況を黙って見ているような人じゃない。皆の責任者として、常に皆の事を第一に考えている。メンバーは家族だって、あの人は前に僕に言ってくれた……」
「下らない。貴様の考えすぎだ。政府と特殊魔法治安維持組織はこれから密接に協力関係を築いていく。大阪で貴様が天瀬誠次と共に戦った時から、そうするべきだとの声が大きくなった」
「日向、頼む……。君も立ち会って構わないから、局長室まで通してくれ」
影塚の懇願に、日向は一瞬だけ歯軋りをするような顔を見せる。しかし、すぐに長い髪を流した顔を横に軽く振る。
「局長の元へ通すわけにはいかない。速やかに帰れ」
「その気だったらやってやるぜ?」
ユエがぼそりと言ってくるが、武力衝突などと言う真似をしてしまえば、それこそ特殊魔法治安維持組織が崩壊する。
「いや……戻ろう。いつでも出動命令が出ていいように」
影塚は首を横に振っていた。
「そうだよね。お互い、組織の人間って辛いよね。俺もだけどさ」
二人の中央に立つ堂上は、やれやれと肩を竦めていた。
※
――日本科学技術革新連本部。
中世風の外観に比べ、内装は白い近代的な造りだ。しかし、今は激しい戦闘があった後なのか照明は落とされ、破損した電子機器からはスパークが発生している。
不気味に薄暗い正面玄関から、長身の男が一人だけ、入って来る。
「おや。どうやら八ノ夜は正面突破したようですね。なんとも彼女らしいと言いますか」
戦闘後の荒れきったエントランスを眺め、朝霞は思わず苦笑する。
「機械の音……」
ロビー奥の通路から、なにかが空気を使ったホバー移動をしながら、接近して来ている。
『ハイジョ、シマス』
「対人ドローン、ですか。特殊魔法治安維持組織にも提供されている代物ですね」
成人男性より少し大きいぐらいの全長。元々は科連が警察の為に開発したと言われているそれはホバー移動の為、足場の悪い場所でもスムーズに移動でき、人で言う両手の箇所にはそれぞれ仰々しい武器を装備することが出来る。三〇年以上前の開発の段階では、誰が両手に武器などを持たせると思っていた事だろうか。魔法が生まれると同時にその有用性を失った今となってはもはや、科連本部を守る戦闘用のマシーンだ。
「悲しき日本の科学技術の力、見せてもらいましょうか」
ドローンはホバー移動を解除し、四足歩行を始める。箱型の胴体の四隅に備えられた腕は四本。
「日本の科学者たちは遠い昔。本当にこんなものを作りたかったのでしょうかね……」
朝霞が呟いた刹那、ドローンが前方側についた二本の腕をしならせ、朝霞に向けて振り下ろす。機械の生みだす破壊力は、人など簡単に潰せるほどだ。問題はそれが当時、゛捕食者゛に効くか効かないかであったのだが、この場ではそれは関係ない。
朝霞は身体を捻って大振りの攻撃をかわすと、反撃に高位攻撃魔法の魔法式を向ける。
「退け。《エクスタリオ》」
ドローンの右前脚に向けた攻撃魔法により、爆発が起こる。ドローンは脚の支えを失い、前のめりになって崩れ落ちる。床との摩擦による火花を巻き上げながら、行動不能になった。稼働可能な手足はもがくように動き回り、まるでひっくり返った蟹の様だ。
『ハイジョ』
『ハイジョ』
赤い警報ランプを回しながら、更なるドローンの増援がやって来る。施設の規模の大きさから考えて、コイツが何体も稼働している事だろう。
「さて客引きは上々。頼みますよ、天瀬くん」
自分を倒した相手だ、少なくとも頼りにはしている。朝霞は魔法式を展開し、無数のドローンたちと、対峙する。
一方、誠次たち三人がいたのは、施設内の通気口の中であった。四つん這いの姿勢で、誠次を先頭に、千尋、香月が続く。
「このようなところ、映画で見たことがあります……」
「映画のようにはいかないわ。注意して、本城さん」
千尋と香月の声がすぐ後ろから聞こえる。
「ドローンが動き回っているな。逆にまったく人の声は聞こえない……」
外から電機質の声がせわしなく聞こえ、それに反して人の声が聞こえてこず、どこか不気味であった。誠次たちは細かな内部構造を出力した手元の地図を頼りに、先へ進んでいた。
「朝霞との連携が重要だ。まず、監視カメラの映像を見ているところを潰す。警備コントロールルームってところがそこだ」
敵陣に突入したら、まずは敵の連携を攪乱する。よくある戦法の基礎だと、突入前朝霞は言っていた。地図をくれた林とその後輩に胸の内で感謝しつつ、誠次は一番近い通気口の喚起口で止まる。
「ネジで閉まってるな。香月、魔法で外せそうか?」
「任せて」
香月は屈んだまま右手を伸ばし、汎用魔法の魔法式を展開する。魔法の光を当てられたネジは音もなく回転し、四方にあった四本とも一気に外側へ向け、抜き取られた。
「千尋、こいつを頼む」
「お任せください」
誠次が網状の穴に指を入れ、落ちないように支えつつ、今度は千尋が誠次の手に持つ喚起口を、物体浮遊の魔法で優しく浮かしてみせている。
「ゆっくり降ろしてくれ」
千尋が喚起口を降ろすと同時に、誠次は通気口内で身体を反転させ、顔だけを出して周囲を窺う。周囲の安全を確認すると、誠次は再び身体を反転させ、先に通路に降りる。ここは四本ある塔の右端、その地下だ。
「敵はいない。受け止める。降りて来てくれ」
「は、はい」
少し躊躇いを見せながらも、千尋は柔らかい身体を体育座りの姿勢にし、足から降りようとしてくる。
「行きますっ」
「……っ」
少しばかりの悲鳴をあげながら落ちて来た千尋を、誠次が両腕で受け止めると、それはそれはお姫様抱っこの様相である。
「ありがとうございます誠次くん……」
「ああ」
千尋を床に立たせてやれば、次は香月だ。と言うより、香月は形成魔法で足場を作れば普通に降りれそうなのだが
などと考える誠次目がけ、香月もまた千尋と同じく足から降りて来る。
「うわっ!? 大丈夫か!?」
「た、高かった……っ」
誠次が慌てて受け止めると、香月は上気した顔で首をぎゅっと掴んできていた。
「ありがとう……」
「どういたしまして」
「きゃあっ!」
香月を降ろしてやった直後、背後で千尋が悲鳴をあげていた。
「どうした!?」
「ひ、人が……」
怯えている千尋の前に立つ誠次も、思わず目を大きく見開く。
壁にもたれ掛かる形で、白衣姿の男が血まみれで倒れていたのだ。科連に務めていた人だろうか、純白の白衣には赤黒い血が滲んでいる。
誠次はすぐに男の元に駆け寄り、しゃがみ込む。
「香月、千尋を頼む。大丈夫ですか?」
誠次の言葉に、男は苦し気に、目を細く開ける。後ろでは香月が怯える千尋の背中を擦ってやっていた。血まみれの人を始めて見るのは、堪えるものだろう。
「剣で……斬られて……」
「剣、だと?」
見たくもない傷をよく見てみると、男には確かに剣で斬られたような細長い傷があった。それが致命傷となっていることは、明らかで。
誠次はどくんと自分の心臓が跳ねるのを感じた。
「剣って、誰がここまでひどい傷を……」
朝霞は別の塔にいるはずだ。
「ドローンが、やったんじゃ……」
香月が背後から声を掛けて来る。
「ドローンが暴走して、でも、斬って来たのは人間……。君と……」
言葉の途中から男は苦し気に咳き込み、乾いた血を吐き出す。
「ドローンが暴走? 斬ったのは人間で、俺と? しっかりしてくれ!」
「私が治癒魔法で――」
香月が魔法式を展開したその時、通路の奥からドローンがサイレンを鳴らし、高速で接近してくる。四本腕には何やら装備しているようであり、生きている三人の人間目掛けて襲い掛かって来ているのだ。
「くそっ!」
立ち上がった誠次がレヴァテインを抜刀し、構える。
「来るぞ! 備えろ!」
誠次はドローンに突撃する。
ドローンは誠次を捕まえようと、左手に備わった銃器のようなモノを構えて来る。
「っ!」
前に、特殊魔法治安維持組織の活動と言うものをネット上で検索したことがあるが、その時に出ていた対人用ドローンと言うものを見た覚えがある。
ドローンは誠次に向け、左手の銃の引き金を引く。放たれたのは、誠次の目の前で拡散していく蜘蛛の巣のようなネットだ。
「!」
誠次は怯むことなくレヴァテインを真横に振るい、ネットを両断する。人を捕縛するに使えるほどの強度はあるだろうが、レヴァテインの切れ味には及ばず、ネットは真っ二つに両断され、誠次の足元と頭の後ろへ勢いそのままで流れていく。
そして、切断された網を巻き込みながら、香月が放った魔法の白い光が煌く。それは誠次の着る制服の裾をはためかせ、激しい衝撃をもってドローンに爆発を起こさせた。ドローンはその一撃をもって火花と黒煙を上げ、力を失ったように動かなくなる。
「申し訳ありません……。覚悟していたつもりですが、いざとなると、動転してしまって……」
「誰だってそうなる……」
「ええ……。まさか、八ノ夜理事長がやったのではないわよね……」
急いで男に治癒魔法をかけてやりながら、香月がそんな事を言う。
誠次は違うと、すぐに首を横に振っていた。
「あの人は間違ってもこんなことはしないはずだ。絶対に気絶だけさせるはずだ!」
しかし絶対的な確信はなく、自分に言い聞かせるように誠次は語気を荒げてしまった。
一瞬だけの静寂ののち、申し訳程度に千尋が、香月を見る。
「魔法実技の授業中でも思っていましたが、やはり凄いですね……詩音ちゃんさん……」
「本城さんが覚える必要のない魔法よ……」
そんな破壊魔法を無理やり香月に覚えさせた組織から彼女を救った人こそが、東馬迅だ。
「香月……」
自分を救ってくれた父親代わりの人にまで裏切られた香月の心情を考えれば、まるで自分の事のように誠次は胸が痛んでいた。
「俺や八ノ夜さんたちの他にも、侵入者がいるのか……?」
ドローンが完全停止したことを確認した誠次は、まさかの事態に顔をしかめる。
間もなく、香月の治癒魔法が終わる。
「傷は塞いだわ。でも意識は戻らない」
「分かった。ひとまずこの人を安全な所に運ぼう。ここでは危険だ」
警備コントロールルームのドア前まで戻って来た誠次たち。入り口にロックなどは別に掛かっておらず、旧式のドアノブで開けられるドアだったので、血塗れの白衣の男をおぶった誠次はドアノブを手づかみで捻ってドアを開けた。
「誰もいない?」
薄暗く、監視カメラ映像が写ったのモニターの明かりだけが頼りの警備コントロールルーム。カメラの映像も、所々砂嵐が走っており、それを見る人もいない今では、まともに機能していないのだろう。
白衣の男を下ろしてやり、誠次は映像をじっと見つめる。映像で見える限り、科連本部で動いているのは人ではなく、ドローンのみだ。
「ドローンが暴走して、人を見境なく襲っているのか」
誠次は視線を背後に立つ千尋に向ける。先ほどまでは青冷めた表情をしていた千尋であったが、今はどうにか自分を落ち着かせたようで、こちらと目線を合わせると頷いていた。
「朝霞と連絡を繋いでくれ」
「は、はい」
すぐにポケットから電子タブレットを取り出し、千尋は朝霞に音声通話を試みた。
ほどなくして、別に棟にいる朝霞と連絡が通じる。なんと戦闘中なのか、機械が動く音や金属が弾ける音が、まず聞こえてきた。
『ご無事で何よりです、お嬢様』
「朝霞さんこそ、ご無事そうで」
鳴り止まない金属音の果て、朝霞の息遣いも荒いが、それでも連絡に応じる余裕はあるようだ。
「ドローンが暴走して人を見境いなく襲っているようだ。止める手段はなにかないか?」
『ご冗談を。同士討ちで戦力を削いでくれるのであれば、こちらの好都合ですよ。私の目的はあくまで本城直正様の安全の確認ですからね』
響く大きな爆発音。どうやら、またしても一機ドローンを破壊したようだ。
『しかし、相手が人ではないのは少々プランを変えないといけませんね。ドローンの通信を一斉に遮断できる場所でもあればいいのですが――』
「誠次くんっ!」
千尋の叫び声に、あっと驚いて顔を上げる。
背後を振り向けば、
「動くな! 魔法生!」
先ほど香月が救った白衣の男が、香月の首を腕で締め、勝ち誇った顔を浮かべていた。
「あっ……かっ!?」
男の腕で首を締められている香月は、苦しそうにもがいている。
「やめろっ!」
誠次が身構えるが、意識を戻した男はさらに香月の首を絞める力を強める。
「だったらその剣を離せ! 俺は覚えているぞ……その剣で斬られたんだ!」
「待て! 俺は貴方を斬ってなんかいない! 剣は置く。だから腕の力を弱めてくれ!」
焦る誠次はしゃがみ、慎重にレヴァテインを床に置き、一歩下がる。
男が力を弱めてくれたのか、息も出来ないでいた香月はけほけほと咳き込んでいたが、気道は確保したようだ。
「隣の女子もだ! 手を上げていろ!」
「天瀬く……本城さ……、ごめん、なさい……」
「謝らないでください詩音ちゃんさん! 手は上げます! どうか詩音ちゃんさんを離してください」
千尋が必死に懇願するが、男は香月の首を強く絞めたまま、一歩二歩と遠ざかっていく。
「彼女を解放してくれ!」
「黙れ。貴様らもどうせ、政府側なんだろ!? 俺たちを殺そうとしているんだ!」
男は血走った目で、唾をまき散らしながら叫ぶ。
「俺、たち? まさか、ここがテロの拠点だったと知っていたのか!?」
「当然だ……。ここに務めている科学者は皆、レ―ヴネメシスになんらかの形で協力していたと言ってもいい」
「知ってて、テロに協力していたと言うのですか……?」
手を上げたまま、千尋が戸惑っている。
「この国の未来の為だ!」
男は声を張り上げる。胸元の香月はなおも苦しそうに、男の腕を引きはがそうと、もがいていた。
「貴様らはおかしいとは思わないのか!? 政府はこの三〇年間、一体何をしてきたと言うのだ!? ゛捕食者゛を倒すことも出来ず、夜を明け渡しているだけだ! それなのに具体的な政策も出してはいない!」
「お父様は国民の安全を第一に考えていますっ!」
千尋が堪らずに、叫んでいた。
「お父様……だと?」
汗を流す男は、微かに動揺していた。
「私は魔法執行省大臣、本城直正の娘、本城千尋と申します。貴方がたが憎んでいる政府に関係している人間です。憎いのであれば、詩音ちゃんよりも私をその手に掛けてください!」
「千尋……!?」
どうにも出来ないでいた誠次が、横に立つ千尋をじっと見る。
一筋の汗を流す千尋の横顔から覗く緑色の目は、微かに揺れている。
「なんだって大臣の娘が、こんなところに……」
「ただお願いがあります。どうか私たち魔術師を信じてください。私も誠次くんも詩音ちゃんさんも、戦いに来たわけではないのです」
千尋の言葉に、誠次は頷いていた。
「信じるって、お花畑のお姫様の考え方だな。今のこの国に未来なんかない……だから東馬さんの革命を、科学者たちはみんな信じているんだ! レ―ヴネメシスは科学者たちの希望そのものだ! テロにすがるしか、゛捕食者゛を恐れる俺たちに他の道はなかったんだ!」
「テロを信じることが出来て、私たちを信じることしか出来ないのですか? 貴方が今首を絞めている詩音ちゃんさんは、負傷していた貴方の事を治癒魔法で治療してあげたのです。どうか、落ち着いて下さい……」
「……」
口で呼吸をしていた男は、自分の血濡れの白衣を見下ろしている。
香月の眉が、苦し気に歪んでいるのは変わらない。千尋の説得は、確かに効いているようだが。
「香月……!」
誠次が香月の名を呟いたその時、男の目が大きく見開く。そして、香月を抑えつけていた腕を、そっと離していた。
「けほっ……けほっ」
香月は喉を押さえながら、男の目の前で床に片手を付いて崩れ落ちる。
「香月!」
誠次は急いで香月の元に駆け寄り、肩に手を添え、男を見上げる。
香月は誠次の両肩に手を添えて来ていた。
「香月……。まさか、゛香月奏゛さんの……。それに、東馬さんに用って……」
白衣の男は憔悴しきった顔で、香月詩音を見つめる。
千尋も香月の元に駆け寄り「大丈夫ですか?」と声を掛けている。
「本当に、すまな、かった……君の両親を、俺は知っているかもしれない……」
「香月の、両親?」
誠次がレヴァテインを拾い上げながら、男に問う。
「偉大な科学者だった。ついて、来てくれないか……? ご両親の写真が、ここに飾ってある。今からでも、遅くはないと言うのなら、お詫びに……。あの香月奏さんの娘さんと、こんなところで、会えるなんて……」
男は尊敬の眼差しを向けるようで、写真も飾ってあると言われているあたり、功名な科学者だったのだろう。
「香月、平気か?」
誠次は香月の顔を見て言う。
「ええ、平気……。それに、知りたい、から……」
落ち着きを取り戻した香月は、誠次の目を力強く見つめ返し、うんと頷いていた。
「剣で斬られたと言いましたね? 斬った人の事、何か覚えていますか?」
誠次が男に問う。
「顔まではだが、君と同い年くらいの、髪の長い男の子だった……。眩しい魔法の光と、一瞬で、よくわからなかった……。でもここにいるのは本当だ」
「……分かりました。案内してください。香月の両親について、知れる場所まで」
「ああ……。君は俺の事を、信じるのか? いや俺以外でも、さっきも言ったが、科連の人間は全員テロリストだったんだ」
「政府だとかテロだとか、そんな事よりも今は優先するべきことがあるんです。共通の敵がいるのに、人間同士が戦う方がよっぽどおかしいですよ……こんなこと、あってはならないはずです」
誠次は握り拳を作り、呻くように言っていた。戦う兵器である剣を持っているのに、と男の視線が物語っているのは、視界の隅からでもよくわかっていたが。
「詩音ちゃんさん。今度は私が防御魔法で皆さんを守ってみせます! だから手を取ってください」
「……ありがとう、本城さん」
「俺が先行する。みんな注意してくれ!」
ひとまずは香月より、千尋の防御魔法が頼りだ。
誠次と科学者の男を先頭に、千尋と千尋に支えられる香月が続いていた。




