6 ☆
特殊魔法治安維持組織本部の様子がいつもとあからさまに違うことは、すぐに分かった。ここで寝泊まりし、毎日のように顔を出す自分ならば、なおさらだ。
時刻は午後五時過ぎ。冬の外は夜。
黒いスーツを着た影塚は、自分たちとは違う見慣れない黒いスーツを着た男たちが、ロビーや通路を我が物顔で歩いていたり、部屋を封鎖したりしているのを見ていた。落ち着かなくロビーでコーヒーを啜っていると、自分と同じく黒いスーツを着た大男がやって来る。
「あ、影塚くん。お疲れ、様」
「お疲れ、義雄」
第五分隊の岩井義雄だ。任務に忠実で見た目よりは心優しい性格で、大家族の兄弟の長男。分隊関係なく親しくしているメンバーの一人だ。
「騒々、しいね」
「うん……。きっと政府関係者だ。佐伯隊長からなにも指示が来ないのもおかしい。ずっと待機だなんて」
義雄と同じく広いロビーを見渡しながら、影塚は言う。少なくとも政府関係者たちは、こちらの仕事ぶりを見学しに来たようではないようで、まず友好的に話せそうにはない。
「第三分隊も、朝は出動許可が出ていたのに、戻ってきたら、外に出れなくなったって言ってる」
義雄が指を指し示す。太い指の先には、浮かない表情でソファに座っている第三分隊の男性隊員、真田幸時がいた。
影塚と義雄は、気落ちしてる様子の真田の元へ歩み寄る。
真田ははっと顔を上げた。
「影塚さん、岩井さん。申し訳ないです、市民の身を守るのが精一杯で、東馬迅を取り逃がしました……。俺のミスです」
「第三分隊の責任じゃないよ」
「ありがとうございます影塚さん。俺、もっと精進します!」
真田は立ち上がり、きびっと一礼をしていた。
「外にも出れないだと? 一体誰の命令でそうしている!?」
「茜、さん?」
義雄が太い首を傾げる。
ロビー受付にて、聞き慣れた女性の怒り声が聞こえて来ていた。「早速トレーニングルームで修行してきます!」と言ってこの場を去った真田を後に、影塚と義雄は受付まで行く。
波沢茜はスーツ姿で腕を組み、受付の女性に詰め寄っていた。
「どうしたの茜?」
「広か!?」
背後から声を掛ければ、茜は驚いたように振り向く。
「か、影塚゛様゛……」
茜の剣幕を前に委縮していた受付の女性は、影塚が近づくと次第に頬を染め、嬉しそうに微笑んでいる。
茜は手に棒状の電子タブレットを握っていた。
「母親の誕生日が近いから、妹の香織と誕生日プレゼントについてデンバコで相談していたのだが、急に電波が悪くなってな。外で連絡がしたいから出ようとしたら、黒いスーツを着た男に止められたんだ。それでどう言うわけかと詰め寄っていたんだ」
「そんな問い詰めるだなんて、受付の人が可哀想だよ……」
「か、影塚様……!」
受付の女性が倒れそうなのに影塚は気づけず、一方で義雄があごに手を添えていた。
「電波も、通じない? 政府の人が、僕たちを、ここに閉じ込めている?」
「なぜ政府関係者などに私たちが監視さればならない……」
夏や北海道での件以来、茜は政府をあまり快く思っていないようだ。
「薺総理……」
文化祭前のユエの言葉を思い出し、影塚は呟く。当然、自分たち特殊魔法治安維持組織は司法の元に動く組織だ。それを立法や行政が意のままに動かしてはいけない。
「――なんだっつーの!?」
今度はロビー入り口の方が、騒がしい。
影塚と義雄と茜が、揃って入り口の方を見る。そこでは、私服姿の南雲ユエと南雲澄佳が、黒いスーツの男たちに詰め寄られているところだった。
「何者だ? って、貴方たちこそ何なんです!?」
「ほら、隊員証だっつーの。早く通せっつーの」
面倒臭そうに隊員証を見せつけたユエは、澄佳と一緒にようやく中へ通される。
政府関係者たちは大して悪びれる様子もなく、まるで門番の如く再び出入り口に立っているのであった。
「いつからこんな騒々しくなっちまったんだっつーの……」
ぶつぶつと悪態をつくユエは、影塚たちに気づいたようだ。
「影塚じゃん。関係者以外の来訪禁止とかこれどうなってるんだっつーの? 昼出て行った時はこんな黒スーツどもいなかったぜ?」
ユエは居心地悪く周囲を見渡しながら言う。他にも待機中の特殊魔法治安維持組織の隊員たちが、それぞれ不平不満を呟いては、ロビーでたむろしている。
「彼らは政府関係者だよ。そして、僕たちがここから出ることも禁止されている」
影塚が茜を横目で見ながら言うと、茜は不満気に頷く。
「なんで政府の人が特殊魔法治安維持組織本部を制圧しているんでしょうか……」
制圧。澄佳の口から出た言葉は仰々しいが、その通りである。今や特殊魔法治安維持組織本部は人の出入りが厳しくチェックされ、外部との連絡も遮断。隊員たちも自由に身動きできないでいた。
「お前んとこの隊長さん、佐伯さんからなんか指示ねーの?」
「相変わらずの口調だな、南雲。お前はもっと礼儀と言うものをだな――」
「だ、第七にはなにも来ていないよ。そっちの松風隊長は……病室だよね」
茜の説教が始まる前に、影塚はユエに告げる。
その時、影塚は気づく。紋章無し黒スーツ――政府関係者たちが、ちらちらと自分たちを見ているのだ。全ての行動を監視されているのだろう。
影塚はぼそりと小声で、周囲の四人に告げる。
「ここからは歩きながら話そう。僕たちがこうして集まっているだけで、見られている」
「そのようだな。どう言うわけか確認に、局長のところに直接行くか」
鋭い目つきで周囲をちらりと見渡して言う茜の言葉に、特殊魔法治安維持組織の一同は頷いていた。
※
千尋との待ち合わせは、目立たない委員会棟の一階廊下だ。その前に、今回のこの事を、どうしても伝えなくちゃいけない人が一人いる。その為に、誠次は先ほどちらと通っていた談話室へと向かっていた。
談話室のドアを開け、四人掛けテーブル席の方へ歩く。
「あ、天瀬。ほんちゃんから連絡来たよー」
「レヴァテイン見つかったみたいね」
横に並んで座っている桜庭と篠上の姿が、まず見えた。千尋があらかじめ連絡をしていてくれていたんだろう。
「二人とも探すの手伝ってくれて、ありがとう」
……しかし、なぜか机の上には空き皿が広がっており、軽い女子会の様相を見せている。
まあ、今はそんな事を指摘するよりも。
壁掛けにすっぽりと姿を隠されていた、華奢な身体つきの同級生女子の姿が見える机の横に、誠次は立ち止まる。
「見つかったのなら早く寝ていればいいのに。いつまで経っても風邪が治らないわよ」
今まさにカップ入りのアイスクリームを食べ終えていた香月詩音が、紫色の目で誠次をまじまじと見る。
「香月と話がしたい。ちょっと来てくれないか?」
「? ここでじゃ、駄目なの?」
困惑する香月。
誠次は周囲を見渡す。談話室はいつも通り人が多く、会話を聞かれてしまう恐れがあった。それは、心優しい彼女だって望まないはずだ。
「頼む。来てくれ」
「わかったわ」
香月は名残惜しそうにテーブルに残ったお菓子の山を見つめつつも、立ち上がってくれた。
「ち、ちょっと?」
篠上が腰を浮かすが、
「後で説明する」
そんな言葉を残し、しかしどうするわけにもいかず、誠次は香月の手を握り、談話室を男子寮棟の方へ出た。
「《インビジブル》、出来るか?」
(ええ。さすがに私もここで平然としていられそうにはないわ)
「……そう言えば今更思い出したんだけど、春に初めて会った時は、なんで男子寮棟なんか通ってたんだ?」
(っ! ……距離的に、近かった)
「そうか。……いや待て、別に近くなくないか?」
なんなら女子寮棟から出て行った方が、早かっただろう。
(……いいから、要件を伝えて頂戴。お菓子、食べたいから……)
少し恥ずかしそうに、顔を赤くして香月は言っていた。
(まさかその事を聞く為だけに連れ出したわけじゃないのでしょう?)
「ああ。俺は今から、日本科学技術革新連本部に行くつもりだ」
(えっ?)
香月が虚をつかれたように、紫色の目を大きくする。
「もう八ノ夜さんと本城直正さんが向かっている」
(でも、だとしても。それで天瀬くんが行く必要なんてないんじゃ……)
誠次は首を横に振る。
「香月はそれでいいのか……? 東馬さんの事を何も知らないままで、終わらせてしまって……。俺が香月の立場だったら、何も知らないままで終わるだなんて嫌なはずだ」
(特殊魔法治安維持組織とか、警察が、情報を……)
いつもは澱みのない流水の如く出る香月の言葉遣いが、怪しくなる。
「いいや。俺は自分の目で真実を知りたい。そして、まだ手遅れじゃなければきっと東馬さんも分かってくれる……。ただその為には香月の゛意思゛が必要なんだ」
「私の……意思?」
誠次は戸惑う香月の両肩を両手で掴み、黒い眼差しを向ける。
「ここだけの話、剣を隠していたのは八ノ夜理事長だったんだ。そしてあの人は今、一人で全てを終わらせようとしている……」
(終わらせる、って……)
香月の肩が、びくりと震える。香月はまるで、何かに怯えているように、誠次には見えた。
「東馬さんは……香月の父親で……。それなのに香月の意思を、誰も聞かないで勝手に物事を進めようとしている……。そんなのは、ないはずだ……!」
誠次は悔しく俯く。
(違う……私にとって本当に大切なのは――)
香月は胸元の前でぎゅっと、自分の手を握り締めていた。そうして、何かを呑み込んだように、目を伏せる。
(伝えてくれて、ありがとう天瀬くん。私も……貴方と本城さんと一緒に行く。自分の目で全てを確かめたい)
「本城が来るって、どうして分かったんだ?」
(本城直正さんが一緒にいるって貴方が言っていたわ。だとすれば、本城さんも来ない理由がないはず。本城さんだってきっと、お父さんの事が心配なはずだから)
「俺だって八ノ夜さんが心配だ。そう考えると、全員、親孝行者だな」
誠次の言葉に、香月がくすりと微笑む。
(急ぎましょう。手遅れになる前に)
「ああ!」
千尋が待つ委員会棟へ、誠次と香月は二人で向かう。
千尋はすでに準備を終えていて、通路で立ったまま待っていた。
「詩音ちゃんさん?」
「私も行くわ。これは、私の問題でもあるから」
「二人とも最終確認だ。これから夜の外に出る。そして、場合によっては戦う事になるかもしれない。それでも、一緒に来てくれるか?」
特に千尋の方を見つめ、誠次は問う。
「承知の上です。こう言っては不謹慎かもしれませんけれど、少し、どきどきしますね」
「もちろん、俺は二人を守る事を最優先で考えて行動する」
誠次はそして、自分の胸に手を添える。緊張と恐怖で、心臓はどくどくと音を立てて鳴っている。
誠次は歯を食いしばり、そんな感情を押し殺した。
「……当然、自分の命も大事にする。そして日本科学技術革新連本部に行って、八ノ夜さんと本城直正さんの安全を確認する。そして、東馬さんに会うんだ」
続いて誠次は、香月を見る。
香月は、黙ったまま頷いていた。
「二人の魔法、貸して貰うぞ」
「日本科学技術革新連本部……。ですけど、ここからはかなり距離がありますよ?」
夜の移動の手段など、徒歩しかない。公共の乗り物も、昔はよくあったと言う夜間タクシーも、都会の夜の道路を賑わすことはもうない。
「そ、そうだよな……。徒歩での移動はさすがに危険すぎるか」
「先生の車を借りるのはどうかしら。……出来れば、林先生以外で」
「林先生の車に一体何が……。それに、先生が車を貸してくれるはずがないと思います」
険しい表情をする香月に、千尋が冷静に指摘する。
「……一人だけ、心当たりがある人がいます。その人に連絡しても?」
千尋がブレザーのポケットから電子タブレットを取り出しながら、二人に確認する。他に頼れるあても方法もなく、誠次と香月は揃って頷いていた。
千尋が電話を掛けている中、香月が誠次に顔を向ける。
「本当に夜の外に出るのね。春以来、だわ」
「八ノ夜さんにまた怒られるな」
「春に私を助けてくれた時、八ノ夜理事長に釘を刺されたんでしょう? 八ノ夜理事長はきっと、今回のあなたの行動を許さないはず……」
「今さら怖いものか。どちらかと言えば戦う事の方が、まだ怖いな。けど、それ以上にこの壁は乗り越えたい」
「――そんな、お父様と連絡が!?」
らしくない千尋の大声により、誠次と香月が気を取られる。
「千尋?」
「どうしたの?」
千尋が出力していたホログラム映像の画面には、千尋の母親である本城五十鈴の姿があった。
『天瀬誠次くん』
千尋から代わり、五十鈴から名を呼ばれた誠次が応答する。
「お久しぶりです」
『事情は聞きました。私の夫……魔法執行省大臣の本城直正も、八ノ夜さんと一緒にその日本科学技術革新連本部へと行ってしまいました。急いでいるようでしたので、準備も不十分に……』
一刻を争っていたのだろうか。八ノ夜と直正は、大した策もなくテロリストの牙城に攻め込んで行ったようだ。
『天瀬誠次くん。まだ子供の貴方たちに頼るしかない大人をどうか許してください。私の夫を守ってくれた貴方を見込みます。どうか夫と千尋を、そして、クラスメイトの皆さんをお守りください……』
それしかあてがないとも言いたげに、五十鈴は沈痛な面持ちで言ってくる。
「……はい」
汗ばんだ手を握り締め、誠次は頷く。
五十鈴は誠次の顔をじっと見つめると、続いてこんな事を言うのであった。
『移動の足と戦力を用意いたしました。間もなく、魔法学園の裏門へ着くそうです。どうかご無事で』
「移動の足と戦力……本城さんが……それってまさか――!?」
「――お待たせしました。こんばんは、天瀬誠次くん」
背後からした冷ややかな声に、ぎょっとする。何度同じ事で驚いているのかと、自分で自分が情けなくなるが。
黒いコートを羽織り、黒い手袋を装着した朝霞刃生が、平然と委員会棟の廊下に立っていた。髪をポニーテールで束ねた姿であり、凛とした佇まいは相変わらずだ。
「こんばんは、朝霞刃生さん。お早いですね」
千尋がぺこりとお辞儀している。
「こんばんは、お嬢様。飛ばして来ましたからね。お元気そうで何よりです」
「……」
朝霞を見た香月が身構えるが、魔法式の展開はしない。
「あまり時間の猶予はありません。急いで私の用意した車に」
「朝霞……」
誠次が立ち止まり、朝霞を見上げる。
「どうしますか? ここでまた一騎打ちでも?」
朝霞はこちらに判断をゆだねるようだ。
「……。敵対する気はないんだな?」
「ええ。本城直正様こそが今の私の主ですから。主の危機に駆け付けない執事など、いませんよ」
他に方法もなく、誠次は慎重に頷く。
「頼む、朝霞」
「ええ、天瀬くん」
二人の関係をよく知っている香月が見守る中、誠次と朝霞は第三体育館の裏側の庭へ出る。魔法学園の敷地の位置的には北側の裏門にもっとも近い。学園のセキュリティである魔法障壁は、すでに朝霞によって解除されていた。
「状況的に見て、八ノ夜は急がなければならない理由があった。そして、特殊魔法治安維持組織の援護もなく二人で。つまるところ、特殊魔法治安維持組織は動けない状況にあると考えられる」
「援護に行けるのは俺たちだけという事か……」
「科連本部はセキュリティを名目に侵入者排除用の武力を有しています。侵入方法を考えましょう」
「本部の地図は頭に入れているし持ってきている。それを使おう」
「準備がいいようで。作戦詳細は車の中で話します」
夜の外を歩きながら、朝霞は冷静に推理していた。
「君たち? なんで外にいる!」
背後から声を掛けられ、立ち止まる四人。
ライトを手に、見回りの教師がやって来ていたのだ。
「障壁が壊れていたからまさかと思ったが。……!? そいつは誰だ!? 誘拐か――っ!?」
ライトの光をこちらに当て、戸惑う教師に。
「《ナイトメア》」
朝霞が手早く幻影魔法を発動し、教師に向け命中させる。白い魔法の光を浴びた教師は、力が抜けたようにその場で倒れ込み、深い眠りにつく。
「朝霞!?」
「魔法学園の教師に牙を向けることぐらい、夜間外出禁止法を破った以上、覚悟していてくださいよ。それに見られました。急ぎましょう」
朝霞は冷酷な表情を誠次に見せ、踵を返す。
「……っ」
誠次はやりきれない気持ちを飲み込み、しかし朝霞の背を睨む。
「あのまま放っておくつもりか!?」
誠次が立ち止まる朝霞と眠る教師を交互に見て言う。三学年生の魔法科担当の教師だ。
「では私たちは先に車へ向かっています。お早めに」
「冗談はやめて。私は天瀬くんと一緒に、先生を運ぶわ」
「おや。ではお嬢様……も、天瀬くんの方のようだ」
二人の女子を引きつれる誠次の背を見つめ、朝霞は苦笑していた。
「先生。申し訳、ありません……」
「天瀬くん……」
「……ここでしたら、安全ですけれど……」
教師を安全な室内に運び、誰にも見られる事なく再び外へ出る誠次たち。いくら仕方のない事とは言え、学園の教師を貶めた結果となったことに、罪悪感を感じていた。
裏門に停まっている四人乗りの高級車へ、誠次たちは乗り込む。運転席に朝霞が座り、助手席に誠次。後部座席に香月と千尋が座った。
「飛ばします。シートベルトを締めて」
どうしても速度の制限がある自動運転ではなく手動での運転で、朝霞は片手でハンドルを切る。車は一気に加速し、障害のない夜の道路を走りだす。
「本城さんの車か?」
「ええ。ガレージにあったのを拝借。執事たるもの、車の運転ぐらいはこなせなければ」
朝霞は細い目を誠次に向け、
「コウヅキー! ……と叫んでいるだけが執事ではありませんよ?」
「ば、馬鹿にするな!」
顔を赤くした誠次が慌ててツッコむ。座るときにどうしても邪魔になるレヴァテインは、後部座席のそんな香月がしっかりと持ってくれていた。
「そう言えば天瀬くん。呼吸がいささか荒いですけれど、風邪でもひいているのでしょうか?」
「ああ。けど、足手纏いにはならない」
「そうでないと困ります。科連本部では、貴方も重要な戦力として扱わなければ」
「お前がそこまで言うとは……」
腕を組み、誠次は横目で朝霞を見る。
「今から向かうのはテロリストの総本山ですよ? 激戦は必須です。少なく見積もっても流血は覚悟してください。特に、我々魔術師三人は治癒魔法で治療できますが天瀬くん。貴方は不可能なはずだ」
その理不尽な現実に、誠次は細めた目で「覚悟は出来ている」と返した。
バックミラー越しで見える後部座席では千尋が、心配そうな面持ちでこちらを見つめている。そんな千尋の手にそっと手を添えるのは、隣の席に真剣な表情で座る香月だ。
「一応訊きますが、ヒトと戦闘になった場合はどうする気でしょうか?」
朝霞の質問に、誠次は真正面を見据えて答える。
「相手が魔術師ならば、治癒魔法が効く部位を斬る。そうでないのであれば、香月と千尋の力を頼って無力化する」
「……甘い。――しかし時にその甘さこそが、今の世の中に必要なのではないかと私も時々思うようになりましたよ」
朝霞は誠次との会話を楽しみながら、相変わらず左手のみの片手運転で、車を運転していた。夜にでもなれば、信号の電灯は全て落とされている。
「あのー……」
後部座席の千尋が、前方を指さしている。
「ビルに激突しますよ!?」
千尋の言う通り、朝霞が横を向いている中、車はT字路となっている道路の真正面にそびえ立つ高層ビルに、衝突しそうになっている。
「「朝霞!」」
助手席の誠次と、後部座席の香月が慌てて座席から背中を離す。香月に至っては驚きのあまり、こちらの髪をぎゅっと掴んできて、髪が抜けそうなほど痛い。しかし、この先に待っているのは痛みよりも恐ろしい死だ。
「落ち着いて下さい。先ほども言った通り、゛飛ばします゛ので」
朝霞は微笑むと、隠していた右手を掲げる。白色の魔素と魔法元素が輝く。物体浮遊の汎用魔法だ。窓の外の都会の夜景が傾いたかと思えば、車は重力を無視して九十度傾き、ビルの外壁と平行して進みだす。
「うわっ!」
「「きゃあ!」」
今まで食わず嫌いをしていたジェットコースターとやらも、このようなものなのだろうか。凄まじいGにより身体が椅子の方へ引っ張られるような感覚に、今日の昼に食べた食事が口まで戻ってくるような気持ち悪さ。
「こ、香月大丈夫か!?」
「だ、だ、だっ!」
「なるほど。だからあんなに早く来られたのですね!」
「逆に千尋は落ち着きすぎだーっ!」
車を飛ばす。その言葉そのままであった。
やがて、ビルの屋上まで車が到達すると、車は平常運転の角度に戻り、夜空をすいすいと泳ぐように進みだす。
「下をご覧ください。゛捕食者゛の姿が、見えますか?」
「っ」
朝霞が平然と魔法を制御する中、誠次は窓から下を見てみる。
都会の電光の中、黒い影が所々で蠢いている。誰が゛捕食者゛が消えたなどと言った。奴らは今も、夜を支配している。
後部座席の二人の女子も、その姿を視界に捉えたようで、言葉を失っているようだ。
「一時期はまったくと言っていいほど、姿を見せなかったのに。自然消滅なんて都合の良い話、あるわけないか……」
「実のところ、最近まで私もそう思っていました。貴方と一騎打ちをした夜からです」
朝霞は相変わらず片手でハンドルを握ったまま、細い目で遠くを見つめている。
「でも、どうやらそのような都合の良い現実はないようですね……」
そう言った朝霞の横顔を誠次は見る。少なくとも彼は、残念そうだ。目指す未来――゛捕食者゛無き世界は、同じなのだから。
だからかもしれない。誠次は純粋に、朝霞と言う男について、興味があった。
「お前も昔は魔法生だったのか?」
「フフ。私の過去に興味があるようで」
朝霞は横目で誠次を見る。
後部座席の二人も、こちらの会話に耳を澄ましているようだ。
「学園には通っていませんでした。物心ついた時から国際魔法教会で英才教育を受け、日本に潜入任務に入った。レ―ヴネメシスへは、その時に」
「英才教育?」
「一言で言うのなら、地獄、です。深い詮索はしないほうが良いでしょう」
「人が人を歪めてまでしても、たとえそれが異常だとしても、゛捕食者゛は倒さなくてはいけない。私も施設で、そう教わったわ」
香月の言葉の終わり、車が緩やかに速度を緩め、下降していく。
「正面方向に見えますのが、日本科学技術革新連本部です。建築家ガウディの有名な教会をモチーフにしたとか」
都会の街並みから少し離れた、なだらかな山脈が広がる某所に日本科学技術革新連の本部は立っていた。巨大なその造りは、バルセロナにある教会――サクラダ・ファミリアを模している。特徴的な四本の塔と、背後にそびえる城のような建物。
発展に行き詰った当時最先端の技術を持つ日本人科学者たちのプロジェクトとして、五〇年以上前に着工され、それが完成したのは三一年前。ちょうど、夜を失った年の一つ前の年である。
おおよそ科学と言う二文字とは程遠いその中性的な造りは、当時は欧州の建築技術を応用しただけのただの皮肉と見られ、今では魔法世界に反逆する科学者たちの象徴的な建物だ。
――この国はまだ、科学技術で右に出るところはない。そんな叫びや望みが、この日本科学技術革新連本部には、あるようで。
坂道となっている入り口方面の茂みで朝霞は車を停め、四人は徒歩で日本科学技術革新連本部に乗り込む。
「――一応最終確認です。ここから先は、命の保証は出来かねます。引き返して布団に包まるのなら今のうちですよ?」
「ご託はいい。お前こそ、油断して死ぬなよ」
「昨日の敵は今日の友、でしょうか。お優しい事で」
誠次は眼前に広がる巨大な建物に、息を呑んでいた。




