2 ☆
文化祭から一夜明けた、一一月の二〇日、平日の一時間目の授業の朝。魔法学園の保健室には、温かい昼光色の電気が点いていた。教室三つ分はある魔法学園の中でも広い部屋であり、そのほとんどが純白のシーツが敷かれたベッドが並ぶスペースとなっている。
「フム……」
その、ヴィザリウス魔法学園の保健室の番人と言える、白衣姿のダニエル。彼の体格からすればいささか小さすぎな丸椅子に座り、芳しくないように眉間にしわを寄せている。
「どうですか……?」
布団の上でネクタイを解いたYシャツ姿にて上半身を起こしているのは、今日のHRを欠席していた天瀬誠次だった。頭の中がぼうっとしており、冴えない表情で、額には熱を冷やすシートが貼られている。
「三九度。フム。見事な風邪だなッ」
「そう、ですか……。いや、見事な風邪……?」
桃華を誘拐した際、プールに落ちてずぶ濡れになったまま動いていたことが、主な原因か。ここ最近は普通の高校生らしからぬ大立ち回りもしていた。よって身体中がぐったりと重く、頭の中がふわふわ浮いているようだった。
「文化祭は気合で乗り越えたようだが、今日の授業は休みたまえ。冬休みまで、一学年生は目立った行事もないから安心であるなッ」
「はい……。安静にして寝ます」
身体中の体力が抜け落ちているようだ。エンチャント終了直後と、よく似ている。誠次は熱っぽい吐息を吐くと、ベッドに横になっていた。
枕の横には、レヴァテインが立てかけてある。東京のリニア車での出来事や、桃華誘拐の際に身に染みて分かったが、以来なるべく身に付けるようにしていた。もしもの時にも、すぐに対処できるように。
木から葉は落ち、すっかり冬景色となった学園の外。文化祭の装飾の残りは所々にあり、大盛況のうちに幕を閉じた文化祭の名残を感じさせた。
『――昨日の旧東海タワーの崩落は、国際テロ組織レ―ヴネメシスによる爆破テロ行為が原因と、政府が発表しました。現場近くでは今も魔法による結界が張られており、取材陣や一般人の立ち入りが禁止されています』
「今さらなんの為にやったのであろうな……。昔の遺産をわざわざ壊すなど」
ダニエルが温かそうな湯気が立っているティーカップを片手に、むすぅと鼻を鳴らしている。テレビでは旧東海電波塔の崩落のニュースが、朝からずっとやっている。報道では、テロが爆破したとされている。
「……分かりません」
鈍った思考では考えが纏まらず、誠次は無言でいた。ただ、誠次の中にいるのは、影を纏った暗い表情で、こちらに向けて手を伸ばしてくる東馬迅の姿だった。
同時刻、1-Aは一時限目から体育の授業であった。そんな月曜日の時間割はクラスメイトいわく、地獄の休日明け、とのこと。
「ペアに別れてストレッチ―」
男子と女子で別れて行う体育の授業のうち、第一体育館で行われている女子の準備運動。体操着に着替えた女子たちが、体育教師である女性の先生の指示の下、二人組になってストレッチをする。
「んしょ。次、こうちゃん。足伸ばして」
「ええ」
桜庭莉緒と香月詩音がペアを組み、桜庭が座る香月の背中を押していた。
「んっ。前から思ってたけど、こうちゃん身体柔らかいよねー」
「そうなの? みんなできると思っているのだけど」
香月は足を真っすぐに伸ばし、つま先を手で掴むまで身体を伸ばす。おおかた香月の中では、みんなが手を抜いているのだろうと思っていたのだ。
他に出来ているのは、篠上綾奈とペアを組んでいる本城千尋ぐらいだ。二人とも、クラスメイト女子たちの目線を釘付けにしている。
「いや凄いよ! 体操の人みたいだもん」
「桜庭さんが、私を一生懸命、押してくれるからよ」
次に香月は立ち上がり、桜庭の背中に回る。
「あたし身体硬いからなー」
そう言って前に屈む桜庭の背中を、香月はそっと押してやる。
桜庭は懸命に息を吐き、伸ばした足のつま先まで手を伸ばすが、指の先端まででしか触れない。ただ、適当に流すようにやっている他のクラスメイトに比べれば、かなり気合を入れているのは香月でも分かった。
「っん。そう言えば、天瀬、風邪ひいちゃったんだよね?」
両足を大きく広げる姿勢となりながら、桜庭が心配そうに言う。
「ええ、そうね」
香月も心配そうに紫色の瞳を俯かせる。
「あとでお見舞い行きたいな。みんなで行くと迷惑になりそうだから、一人で行った方が良いよね」
誠次の容態を気遣う桜庭を見て、香月は純粋に、桜庭を褒める気でいた。
「桜庭さん、天瀬くんのこと心配なのね」
桜庭の背中を両手で押しながら、語り掛ける。
「風邪ひくのは誰でも心配だよー。で、でもやっぱ、天瀬の場合は特別」
背中を押されながら、桜庭は何かを思うように言う。
床上でのストレッチを終え、二人して向き合うストレッチの姿勢となったところで、香月が真向いの桜庭の顔を見つめる。
自分より背丈は少し高い程度であるが、身体つきは大人。それでいてだが顔は丸く、可愛らしい童顔をしている桜庭は、首を傾げている。自分にはない女の子らしさに、普段から時々見惚れるところはあった。
「心配と言えば、こうちゃんこそ」
「え?」
桜庭の気遣いの言葉に、香月がぴたりと動きを止める。
「なんだか昨日から、元気ないなって……。もしかして、実行委員のお仕事疲れちゃったりとか?」
違う。と心の中で香月は否定する。誰かのために何かをしたことは、誇れるほど嬉しかったし、また、楽しかった。クラスメイトとも、仲良くなれた気がする。
問題は捕まり、メーデイアに送られた彩夏の事であった。父の名を出した事。そして、彼女が洗脳状態であった事。自分ももしかしたら、あのようになってしまっていたのかと思えば、不安で仕方がなかった。
「こうちゃん、本当に大丈夫? 無理だけはしないで……」
桜庭が自分の事を心配してくれているのが、よくわかった。
「ええ大丈夫。次のストレッチは……」
「ストレッチはもう終わり。次はランニングだよ!」
「あっ、ま、待って」
ランニングは苦手だ。香月は自分の体操着の袖を引っ張ってから、女子生徒たちのランニングの列に加わっていく。
「文化祭、色々あったけど楽しかったよね」
走るペースを合わせてくれる桜庭が、にこりと笑顔で言ってくる。
苦しい気を紛らわせるために、ランニング中は何か別の楽しい思い出を思い出すのは良いようだ。香月も、一昨日と昨日の魔法学園の光景を思い返してみる。
お客さんはみんな笑顔で、楽しく魔法に触れていた。香月自身、その穏やかな光景を見るのが好きだった。
だから、だからこそ、テロリストは――父親は――。
「大丈夫……。天瀬くんと二人でなら、きっと……」
しかし。
想像する未来が曇って見えてしまい、香月は微かにため息をついていた。
一時間目の休み時間。
保健室で眠る誠次の元へやって来たのは、何やら購買の袋を持った志藤颯介であった。
ダニエルは席を外しているのか彼お決まりの歓迎の声はなく、それでも誠次は目を覚ましていた。
「ウイッス。元気かー天瀬?」
にかっと笑顔で、志藤は仕切りのカーテンを開いてくる。
「志藤か……。見れば分かるだろ……」
「悪かったな俺で! そんな極めて残念そうな顔すんなっての!」
志藤は折り畳み式の丸椅子を引っ張ると、それを足で器用に広げてみせ、誠次の眠るベッドの横に座る。お見舞いに来てくれるのは誰でも嬉しいが、今は志藤の高いテンションについていける気力がない。
「何買って来たんだ?」
「カップラーメン。新発売だぜ?」
「一時限目の休み時間からか……?」
「朝飯だよ。一時限目体育だったし、マジねーって」
志藤は誠次の見る前で堂々と、カップラーメンにお湯を注ぎ込む。保健室に漂うのは、醤油風味の香ばしい良い匂いだ。しかし、持ってきた袋を見るに、志藤が手に持つもの一つだけだ。
「志藤お前、まさか……」
「ん? 風邪移るからお前のはねーぞ?」
「お前風邪人の前で堂々と食う気かっ!? 寄越せ! それを今すぐ寄越すんだ!」
「馬鹿お前っ! ちゃんと栄養つくもの食えっつーの! ほらお前にはゼリー買って来てやったから!」
志藤はキャップを外してすぐ飲めるタイプの栄養ゼリーを、袋から取り出してきた。
なんだそれはっ!? と誠次はぶんぶんと首を横に振る。
「嫌だラーメンがいい! 物凄く濃い味のラーメンが食いたいんだ!」
飢えた誠次が叫ぶ。
「駄々こねるなっての! てか、すこぶる元気だなお前っ!?」
志藤が苦笑しながらツッコんでいた。
最終的に誠次はラーメンを諦め、志藤が美味しそうに麺を啜っている様を、恨めしそうに眺めていた。
「まったく。切羽詰まった顔して香月が、天瀬が倒れたって言って来た時ゃめっちゃ心配したけど、この分じゃ心配無用だな」
左足を右膝の上に乗せる楽なポーズで、にかにか笑顔の志藤は箸を突き出して誠次の鼻先を摘まむような素振りをする。しかし結局、卒業写真集では画面端の枠の中だろう……。
「悪かったよ心配かけて。香月が伝えてくれたんだな……」
「ああ。後夜祭そっちのけでよ。あんな必死な香月、初めて見たわ」
志藤は麺をもぐもぐと咀嚼しながら言ってくる。
「早く治さないと。心配かけてるよな」
「治るって言って治ったら風邪なんか怖くねーよ。落ち着いて治そうぜ」
早くも食い終わったのか、志藤は立ち上がり、行儀よく残ったスープを流しに捨ててから、ごみを分別して捨てる。一見お茶らけているが、細かい所で細かい友人である。
「ん、志藤のデンバコ鳴っていないか?」
志藤のスラックスから音が聞こえ、誠次は声を掛ける。
「んあ」
志藤はポケットに手を突っ込むと、自分の電子タブレットの着信を確認する。ランプは確かに点いており、着信があったことは事実だ。
「……」
志藤は電子タブレット見つめると、どこか嫌そうな顔をして、応答もせずに再びスラックスのポケットに突っ込む。
「なんでもない。なんでも」
志藤は腕を組んでいた。
誠次は志藤を見つめたまま、
「俺はいいから相手の人を――」
「なんでもねーって!」
予想だにしていない志藤の叫び声に、誠次は戸惑い、また驚き、思わず身体を震わせていた。ほんの一瞬だけ、綺麗な黄色の目も血走って見えたのだ。
志藤はあっとした表情をしている。
「あークソ、こんな時に……」
志藤は面白くなさそうに髪をかいていたが、申し訳なさそうに「ごめん……」と呟く。やり場のない何かを吐き出すように、誠次から視線を逸らしながらため息をつく。
「本当……悪かった。俺もう行くわ」
「あ、ああ。俺も、なんか、すまなかった……」
「いや……とにかく、お前は悪くないって」
志藤はカーテンに手を添えていた。
「俺が言う事じゃないと思うけど、お前には周りの人を変える力があるみたいだ。もちろん良い意味でな。香月やお前に関わってるみんながそうみたいでさ」
「そうか。もし魔法の代わりにそんな力を貰えたんだったら、少しだけ嬉しいかもしれない」
落ち着いた志藤を見た誠次は少しだけ安心し、微笑んでいた。優しいなどとは言われたことがあるが、別の見方をしてくれたのだ。自分と関わった人が少しでも良い方へ変わってくれるのならば、それはそれで嬉しかった。
「もう授業だろ? 早く行かないと間に合わないぞ?」
「あっやべ。じゃあ俺行くから。じゃあな剣術士殿」
「……熱上がった」
「拗ねるなって」
志藤はいつも通り元気よく笑うと、カーテンの向こうへと消えて行った。
昨夜は倒れてから一晩中寝ていたので、眠れそうにはない。焦っても仕方がないと言ってくれた友人の助言通り、誠次は枕に頭を預け、眠る素振りだけしているのであった。
「ウッス天瀬! 元気か?」
「一応病人だから、少なくとも元気ではないよな」
「お見舞いに来ました」
続いて、二時限目の休み時間にやって来たのは、帳悠平、夕島聡也、小野寺真のルームメイト三人組だった。
ダニエルはまたしてもいないのか、そもそも休み時間中は職員室にいるのか、羨ましいことに三人とも大声でのお出迎えと握手は免れていたようだ。
「みんな来てくれたのか、ありがとう」
誠次は上半身を起こしていた。さすがに身体は怠くとも、やはり学園の保健室でずっと寝ている事はできず、読書をしていたところだった。
「三人で来てもやっぱりうるさくて迷惑になるだけだ。天瀬も読書中だっただろ?」
何かを隠すような素振りで、夕島がこちらを気遣って声を掛けて来るが、誠次は首を横に振る。
「いや、来てくれて本当に嬉しいよ。この本一度読んだもので、暇だったしさ」
「ん? 暇だったら勉強だろう。テストの点が落ちてるの、聞いたぞ?」
「いや……さすがに頭くらくらなのに勉強は無理があるな……」
おススメだぞ、と言わんばかりの夕島に、誠次は苦笑いしながらツッコむ。テストの点が落ちている事実を突きつけられたことに、内心でがっくしとしながら。
「女子じゃなくて悪かったな。でもクラスメイトはみんな心配してるぜ? すぐ治りそうなのか?」
続いて帳が保健室の周囲をきょろきょろと見渡しながら、誠次に問う。
「ああ、ただの風邪だ。ダニエル先生は侮るなかれと言っていたけど、寝てれば治るよ」
「そりゃあ良かった。寂しいだろうと思って、ほら、゛ユキダニャン人形トークバージョン゛だ」
がさごそと、持参した紙袋の中から、帳が白くぶにぶにとした人形を取り出して見せる。どうしてそんなのを今持っているのかという指摘をするまで、今の誠次は頭が回らない。
「ユキダニャンか!」
まさかの再会に喜ぶ誠次だったが、すぐに思い直す。
「ちょっと待て。ユキダニャンって喋れないんじゃなかったのか? それなのにトークバージョンなのか?」
帳から手のひらサイズの小さなユキダニャンの人形を受け取り、誠次は訊く。新品なのか、゛猫部分゛の白い毛はふわふわで、ぶよぶよのメタボチックなお腹と相まって触り心地は良かったが。
「ああそうだ。もちろんユキダニャンは喋れない。よってこっちからは一方的に話しかけ、ユキダニャンの微妙な顔の変化を楽しむんだ」
「顔が変化するのか!?」
「ああそうだ。画期的だろう?」
「画期的だな……!」
「だろ!」
「「……」」
背筋をぴんと伸ばした誠次の反応に、夕島と小野寺が複雑そうな顔をする。
「バリエーションは三種類。こっちを小馬鹿にする顔。どや顔。真顔だ」
帳が指を立てて得意げに言ってくる。
誠次はそこで、自分のおかしなテンションに気づいた。風邪とはこうも恐ろしいものなのかと。
「ん……? いや待て。全部偉そうで全部嫌だなそれ! しかも真顔って時点で実質二つじゃないか!?」
「あ……言われてみれば確かに。製品化失敗か」
誠次が大声でツッコんでいたところ、帳はううむと唸っていた。どうやら、真剣に商品化を目指していたらしい。結局、帳の家は一体どんなところなんだと言う疑問だけが残っていた。
「天瀬さんの洗濯物やベッドの掃除、やっておきましたね」
小野寺がひょっこりと顔を出して言う。
「あ、昨日は俺が当番だったか。やってくれてありがとう。埋めて合わせはする」
洗濯などは各自でやるが、寮室の部屋の掃除は当番制と決めてある。よって、ヴィザリウス魔法学園で寮生活を送る生徒は、家事が出来ると言う図式が成り立っている。
「気にしないでください。あ、あと、大阪のアルゲイル魔法学園の理から、久しぶりに連絡が来たんですよ」
「妹、小野寺理からか?」
「はい。本当に久しぶりで、自分でもびっくりしてました」
大阪で出会った星野一希と一緒にいるイメージのある、ツインテールの少女の姿を誠次は思い出していた。
双子の兄である小野寺真は頷きながら、自分の電子タブレットを取り出し、起動する。
「体育祭は中止になってしまったんですけど、文化祭は予定通り開催されたみたいですよ。理事長なんですけれど、今は校長先生が代理の任を解かれて、奥羽正一郎と言う人がまた理事長になられたそうなんです」
「奥羽正一郎……?」
たしか、北海道での戦いの時に、薺紗愛総理が日向にその名を告げていた気がする。もしそうだとするのならば、実質アルゲイル魔法学園は、薺が理事長を務めているとみて間違いはない。
「あと、これは妹からの追伸みたいな感じで来た質問なんですけど、天瀬さんに訊いてほしいと」
「俺に質問?」
理が訊きたいことがあるようで、誠次は首を傾げる。
「はい。その……自分もないとは思いますけど、天瀬さん、女の人に乱暴したりとかしていませんよね?」
「は!? ら、乱暴!? そんな事してない!」
誠次は慌てて否定する。
「は、はい。理は例えば、無理やり女の人に付加魔法を強要させていないかとか、訊いてきましたけど……」
「例えばじゃなくともそれだけだよな……。俺は、少なくともその……同意の上だと思うけど」
誠次は頬をぽりぽりとかきながら、答える。何だか他に言い方がないかとも思うが、同意の上と言う言葉に妙な厭らしさを感じてしまう。
「そうですよね……。みなさん、天瀬さんの事をお慕いしてますし。天瀬さんがそんな酷いことをするようでしたら、みなさんきっと嫌ですもんね」
小野寺はうんうんとこちらに確認をしながら言ってくる。
「お慕いって……」
恥ずかしくなりながらも、誠次には聞き捨てならなかった。大阪でのお互いの印象は確かに最悪だっただろうが、まさか数ヶ月経ったこの時期に、いちいち根を掘り返してまで聞いてくる必要性があるのだろうか。
「あと、髪を伸ばしたりとか、は……してないですよね」
小野寺は誠次の頭部を見つめながら、訊いてくる。
「あ、ああ。この立ってる髪の事を言うのなら生まれつきだ。ワックス使っても絶対立ってしまうんだ」
誠次は髪を押し付け、離す動作を繰り返す。髪は下敷きで擦って静電気でも発生させる遊びをしたかのように、ぴょんと立っていた。
「そうだったのか? 興味深いな」
「そこ今重要か……?」
誠次の奇怪な髪形を見つめ、あごに手を添える夕島に帳がツッコむ。
小野寺も誠次のぴょんと立った髪をじっと見つめ、至極申し訳なさそうにしていた。
「あ、そう言う事ではないんです。なんだか、ごめんさい……」
「いや、謝らないでくれ……。でもどうして理がそんな事を?」
「いえ自分にもよくは分かりません。不自然だとは思いますけれど」
しつこいが大阪での出会いは最悪(結構なトラウマの一つ)だったわけであるし、その後仲良くなった香月や桜庭が何か酷い目に遭わされていないか、心配で送って来たと言うのであれば、一応は納得は出来た。
「まあアルゲイルもどうやら落ち着いてきたみたいだな」
「ええ。自分も妹と久しぶりに連絡がとれて、良かったです」
小野寺がほっと一息ついていたところで、帳が電子タブレットで時間を確認していた。
「おっと、そろそろ三時限目だな。行かねーと」
「次は理科総合だな。楠木先生だ」
夕島があごに手を添えて言う。独特の喋りで眠くなることで有名な、白衣のおじさん先生だ。教師としての腕は、確かだが。
「眠くならないように、みなさん注意してくださいね」
「逆に天瀬、楠木先生のスロートーク授業だったら眠れるんじゃないのか?」
夕島が冗談交じりに言えば、帳が「確かにな」と笑う。
「それでは失礼しました。お大事に、天瀬さん」
「ああ。みんなありがとう」
三人とも出て行った途端、一気に寂しくなる保健室。弱った身体にお見舞いと言うのは、やはりいいものだと感じさせられた。
「ユキダニャン」
誠次はどことなく、残されたユキダニャン人形トークバージョンに目を向ける。相変わらずのブサイクさだが、そこに眠る゛一筋の儚い可愛さ゛に、誠次は心奪われていた。
――よって。
(誰もいないし、試しに話してみるか……)
「なあユキダニャン。俺風邪ひいてさ、何か良い治し方知らないか?」
本当に表情が変化するのか、気にもなっていたのだが、果たして。
誠次の言葉を聞いたユキダニャン人形の耳が、ぴんと伸びた。
「……」
やがて、耳が、縮んだ。
「変わるのそこなのかっ!?」
「なにがいるのだね天瀬誠次クン……? 大丈夫かね……?」
ダニエルが何か珍妙なモノを見るような目で、淡い色合いのカーテンから顔を覗かせていた。何かの幻覚でも見えて、そいつと会話しているのかと思われているようだ。
「あっ、いえこれは! はははっ」
いつの間にかいたのか、誠次は髪をかいて、誤魔化していた。足元にいるユキダニャン人形は相変わらずの太々しい顔で、こてんと転がっていた。
……出来れば次は女子のお見舞いがいいなと言うささやかな希望を胸の内でそっと抱きつつ、風邪人誠次の二時限目の休み時間も、ゆっくりと過ぎていく。
三時限目の休み時間に入った。結論から言うと、願いは儚く壊された。
読み終わった本の復習は、三冊目となった。寮生活の風邪の辛い所でもある。これが自宅であったら、ゲームやネット閲覧も出来るだろう。しかしここは保健室。ダニエルのご好意でテレビは見れるが、誠次にすれば昼前の時間帯のテレビ番組は、どれも暇を潰せるほどの面白さではなかった。
かと言って立ち上がれる気力でもない為、暇つぶしの方法は自然とベッドの上での読書となる。
なにも読書自体は好きだが、集中力同様、それにも限界はある。よって誠次からすれば、お見舞いの人が、今日一日を乗り越える頼みの綱であった。
「……」
……頼みの綱であったのに、この仕打ちはないだろうと、誠次はベッドの横に座る男性を睨む。
「――おーおーそんな残念そうな顔をすんなって。俺様が誰かの見舞いに来てやるなんて、滅多にないんだぜ? 感謝してほしいぜ」
ホログラム映像をタッチで縦スライドさせながら、何かの文章を読みつつ、1-A担任の林政俊はにやにやと笑う。よれよれのネクタイにグレーのシャツは、他の教師人たちと比べてもそれなりの異質を放っている。
「まったく。これで風邪ひいたのが女子だったら、俺が付きっきりで優しく看病してやってるところだぜ……」
残念そうに林は肩を竦めてみせている。
「その煙草吸っているにも関わらずに健康な体を見せつけに来たのでしたら、もう充分です」
「毒を吐くな毒を。……あでも、体内から風邪菌を出すって意味なら、あながち間違いでもねえな?」
「っく! 上手い言い回しですね!」
「だろう?」
悔しがる誠次に、どや顔の林がかっかっかと笑う。こんなところで変な連携プレイをしていても、重たい身体が楽になると言うわけでもないが。
「しかしミサイルの無力化とか、ヤバいなお前。これで何人目の力だ?」
「千尋さんのお陰です。五人目、でしょうか」
「大抵の力には代償があるもんだ。それがただの風邪で良かったな」
続いて林は「暇だろうからこれだ」と言いながら、持参した袋から何かをごそごそと取り出し始める。
「なんでしょうか、それは……」
嫌な予感しかしない。
「なんでしょうかって……゛ただの゛雑誌だが? 肌色とピンク色が目立つタイプの――」
「駄目ですねそれ!」
完全に風邪のせいではなく、熱く赤くなった顔で誠次はツッコむ。
「アンタ自分の担当の生徒になんてもん見せてるんですか!?」
「別に生徒の前で゛ただの゛雑誌を見るのに駄目な決まりなんてないし。それにこれは俺からのお見舞いの品だ。有難く受け取れ」
髪をぽりぽりとかきながら、林は次々と同じような表紙の本を取り出しては、それを誠次にこれみよがしに差し出してくる。しかも、女性の背にちらちらと見える背景が学園や保健室のものだったりと、完全に狙っている。
「魔法執行省から即クビにされそうですけどね!」
上半身を起こした誠次は、最終的に塔のように積まれたそれを視界に入れないように手で塞ぐ。
「安心しろって。俺の趣味じゃねーよ全部。新品だ」
「アンタの趣味とかどうでもいいですよ!?」
なおも受け取る事を拒む誠次に、林はとうとう椅子から立ち上がり、激昂する。
「テメェ俺がどんだけ恥ずかしい思いして買ったか知ってんのか!? この歳して゛学園物゛だぞ!? 男なら黙って……しかし喜んでありがたく受け取れッ!」
……なんで、おれが怒られてるの?
「そもそも買わなければいいんですしアンタのチョイスだろ!? それに、有難く受け取ったらもう完全な変態だこれ!」
「俺は一応担任教師なんだぜ!? それなのにこの仕打ちはあんまりだ! 畜生ッ!」
「アンタの独断専行だろーッ!」
学園の保健室で大声にて、肌色が目立つ雑誌を押し出したり押し返したりする二人。もはや風邪を忘れた誠次は、傍から見れば元気の身そのもので林にツッコみを入れ続けていた。
結局林のお見舞いの品を、不承不承ながらも誠次は受け取り、ひとまず枕元の横に置いていた。
「最初っから自分の心に素直になればいいんだ。ったく」
「よくそれで教師務まってますよね……」
満足そうな表情を見せる林に、誠次は疲れた顔で言う。
「なっちゃったものは仕方ないだろう」
林は煙草のケースが入っている胸ポケットに手を伸ばす素振りを見せるが、さすがにマズいとは思っているのか、慌てて手を引っ込めていた。
「なっちゃったって。まるで状況がそうさせたような物言いですね……」
一通りの攻防を終えた為か、ここへ来て身体が再び重くなってきたため、誠次は口に手を添えて軽い咳をしていた。
林は一瞬だけ目をぱちくりと、きょとんとした顔をしてから、苦笑していた。
「ははっ。お前は本当にあの人の一番弟子だな。イイ感じに突いて来るぜ」
「八ノ夜理事長、ですか」
「褒美だ。良いことを一つ教えてやるぜ」
林は細長い足を組みながら、ズボンのポケットに両手を突っ込んでいた。こう見ると、すらと伸びた足はスマートであり、腰も高かった。
「八ノ夜理事長は今、゛科連゛本部に向かっている」
すっと真剣な表情をした林は、誠次の目を見据えて告げて来る。
「かれん、本部? どこです、そこ?」
「日本科学技術革新連本部、だ」
「っ!?」
連なるようにして浮かんだのは、香月詩音の義理の父親、東馬迅の白衣姿であった。
林は真剣な表情のまま、遠くを見ていた。
「この事は本人から言うなって口止めされてたんだけどな」
ポケットから出した手で、林は続けて電子タブレットを身体を起こしている誠次の目線の高さまで持ってくる。そこから出力された青いホログラム映像は、土台から積み木の如く組みあがり、巨大なビルの施設を浮かび上がらせた。
「これは……?」
青い光を顔に反射させ、誠次はごくりと息を呑んだ。縮小化されているだろうが、その施設が巨大で、切り立った山の上に建てられている事は分かった。
「科連の本部の模型図だ。とある後輩に頼んで、仕入れてもらった」
誠次がその、山と言う名の自然を無理やり砕き建てられた科学の総本山の全体像を眺めていると、林が耳に口を寄せて来ていた。そしていつも以上に冷めた、しかしいつもにはない芯にはどこか熱い熱があるような声音で、こう告げて来るのであった。
「タッチすればズームして、内部情報も手に入り次第、順に出力される。今のうちにそのぼうっとしてよく回らない頭に無理やり叩き込んでおけ。……使うかもしれないからな」
「……。……はい」
なにかで見たことがあるような気がしなくもない、荘厳な外観だ。豪勢ながら凝った外装は、科学を謳いつつも、神に祈りをささげる教会のようである。
十字架のネックレスを下げていたあの人らしい居城だとは、感じたが。
「ついでにこれも言っておくけど、本城千尋の親御さん、本城直正も理事長と一緒だそうだ」
浮かび上がった、歴史的建造物を彷彿とさせる外観の、日本科学技術革新連本部。ここに、東馬迅がいる。そして今、八ノ夜美里と本城直正が向かっているとのこと。
「八ノ夜理事長……どうして……」
熱い息を吐きながら、誠次は生唾を呑み込んでいた。




