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――腹部から出血している誠次は、身体全身に力を入れることができず、床に這いつくばっていた。
「貴方が、香月の両親を……!?」
「椅子に縛り付けられて身体をボロボロにされながらも、あの二人は最後まで詩音の事を案じていたよ。実に感動的な親子愛さ。状況的には、今の君によく似ているな」
顎に手を添え、東馬は面白げに言う。
「やめろ……。嘘、だ……」
「嘘なんか、今更ついてどうする。あの二人とは仲は良かったが、正直ウザかったよ。何が゛魔法は夢を叶えるもの゛だ。科学者のくせして口癖のように言っていたが、あの二人は最後まで科学と魔法は共存できるなどと信じていた」
東馬は座っていた椅子から勢いよく立ち上がり、こつこつと靴音を立てて誠次の周囲を歩く。
「香月がいた施設からの解放、と言うのは……?」
「全て自作自演さ。あれも多くの血が流れた……」
「そこまでして、香月にこだわっっていたのは……」
「教えてあげよう。さあ、立って座れ!」
東馬は誠次を背中から羽交い締めにすると、無理やり椅子に座らせた。抵抗しようとするが、やはり力が入らない。
「くっそ……っ」
乱暴に椅子に座らされた誠次は、歯ぎしりをした。
「ここで俺の本当の目的の話に繋がるわけだ」
東馬は嬉しそうに、嬉々とした表情で誠次の前に立つ。首元には、いつもの十字架のネックレスが輝いていた。
「俺の目的はたった一つ。死者蘇生だ」
背もたれにぐったりとするこちらに向け、両手を広げながら東馬は宣言する。
誠次はなおも抵抗しようと、床につけた足に力を込めていた。床を滑っていったレヴァテインは、手術用具のような拷問器具が置かれたテーブルの下にちょうど収まっていた。
「真面目に俺の話を聞け! 天瀬誠次ッ! 笑い話じゃあないんだ!」
東馬が思い切り右手を振り払い、誠次の頬を平手打ちする。
視界が一瞬のフラッシュののち、痛みと言う実感を伴なって戻って来る。ただの麻酔薬と言うわけではないようで、身体の自由は効かずとも、感触はあるのだ。
「二人の家族を゛捕食者゛に奪われた俺は、ずっと二人を生き返らせる為に研究を続けていた。初めて魔法が役に立つと思った瞬間だよ。科学では到達できなかった人類の夢に、魔法が到達したんだ!」
「馬鹿げてる……。死んでしまった人が、生き返るわけが、ない……!」
「魔法は夢を叶えるものだろう?」
「貴方が、それを言うな……っ!」
香月の気持ちを踏みにじられているようで、そして、それに対して今の自分の無力さにも腹が立ち、誠次は振り絞った声を出す。
東馬はそんな誠次をじっと見つめると、けっこうけっこうと両手を叩いていた――。
※
随分と懐かしい夢を見ていた。アルゲイル魔法学園に在校していた自分と、いつもすぐ後ろを付きまとうようにして歩いていた、小柄な女子との夢だ。
重たい瞼を開ける。霞む視界にぼんやりと、白亜の光が目に染みるように入ってくる。
「オレ……は……」
特殊魔法治安維持組織第五分隊副隊長、南雲ユエが昏睡状態から目覚めたのは、一一月の二〇日。大盛況のうちに幕を閉じた、ヴィザリウス魔法学園の文化祭から、一夜明けた朝だった。
水色髪の少女に腹を貫かれてたった一夜明けたところ、である。当然、治癒魔法がなければありえなかった回復の早さだ。
「起きました!? ユエ副隊長! 回復しました!」
ナース服に身を包んだ治癒魔術師が、治癒魔法を展開し続けながら、声を出す。
どうやら自分は生きたまま、特殊魔法治安維持組織本部の治療室に運ばれたらしい。
混濁する頭の中、一番最初に頭に浮かんだのは、自分がいつも頭に巻いている赤いバンダナが取れていると言う、今この場では極めてどうでもいいことだった。
チクリとした白い髪が青い目を覆い、ユエはゆっくりと右手を持ち上げて、顔に掛かった髪を払う。
「そうか……。まだ、生きてるのか、俺……」
「はい! 昨夜は本当に危険な状態でしたが、複数人で治癒魔法を施して、一命を取り留めたんです!」
「さすが、魔法ってやつは……最高だ……」
ユエは力なく、乾いた笑い声をベッドの上であげていた。
「喉乾いた。飲み物、くれないか? 炭酸がいい……喉に刺さるくらいのやつ」
「無茶言わないでください。水で我慢してください」
「りょー……かい」
上半身をゆっくりと起こされ、自分が病衣を纏っている事に気づきつつ、差し出された水差しで水を喉に流し込む。
最後に見た自分の腹は確か穴がぽっかり空いていたはずだが、見事なまでに魔法で゛修復゛されている。水を味わうユエは、自分の足元付近にて、腕を枕代わりに組んで眠りこけている金髪の女性を発見した。沼田澄佳だ。
「澄佳さん。さっきまでずっと治癒魔法を展開し続けてくれていたんですよ。本当にユエさんのことが心配だったみたいで、これ以上やると魔素切れを起こす直前ぐらいまで」
「余計な事を……」
ユエは苦笑し、女性に水差しを返す。その瞬間、自分がなぜこうなったのかを、はっきりと思い出した。
「そうだ、テロ! レ―ヴネメシスがっ!」
ユエが慌てて立ち上がる素振りを見せる。
「落ち着いてください。隊員によって報告はすでにされています。第三分隊も出動していますし、捕まるのは時間の問題でしょう。ユエさんのおかげですねっ!」
「よせよ……。じゃあ、積んでるゲームでもゆっくりやりますか」
「秘書官から局長の伝言です。今度一緒にゲームやろう、ですって」
「マジかよ……。局長相手でも手加減しねーっつーの」
お茶目なところもある志藤康大の姿を思い浮かべる。すれ違ったときは、よく慌てて携帯ゲーム機をポケットに突っ込んで敬礼していた。ソファに寝転がっているときも然りで、康大の方も見て見ぬふりをしてくれることが多々あった。
「元気そうで良かったです。草鹿さんに知らせますので、席を外しますね。何かありましたら、コールをお願いします」
草鹿とは、特殊魔法治安維持組織の治癒魔術師のトップ。病院で言うところの、主治医のような人だ。
ユエは「ああ」と返事をし、ふうと息をつく。ここ数日で、色々とあった気がする。同時にやり残したままの事も。自分がやらなければならないこと、それに優先順位を立てて、一つずつクリアしなくては。ここら辺は、ゲームと同じだ。
まずは、とユエは自分の足を揺すっていた。
「起きろー沼田ー。怪我人の足で寝てるなっつーの」
「んあ……。名字は……いや……」
くしくしと口元を拭いつつ、その女子……ではなく女性は、目を覚ましたようだ。
「ユエ、さん……?」
「えっ、お前……?」
お互いがお互いを確認し、それと同時に驚く。
「ユエさんが、起きてくれた……! 良かった……!」
澄佳がほっと胸を撫で下ろしている最中も、ユエは呆気に取られ続けていた。
「澄佳……お前、右目が……」
澄佳のショートカットの金髪の下、右目を覆うように、白い眼帯が巻かれていた。
澄佳は思い出したようにあっとした表情を浮かべると、ぎこちなく髪をかいていた。
「え、ええと……。こっちは、ユエさんとは違って修復できないそうなんです。やっぱ目って、神経がいっぱいあるみたいでどうにも……」
右手の人差し指の先を眼帯に添え、澄佳は苦く笑う。
「つまり、お前の右目……」
ユエが言いかけると、澄佳は少しもの悲しそうに視線を落としていた。
「もうこの先ずっと見えないそうです……。で、でも左目ありますし! 任務に支障は出ませんよ!」
椅子に座ったまま澄佳は元気よく声を出すと、敬礼をしてみせる。
「それに……ユエさんの身体の方が、マズかったですから」
「阿呆……。それでお前が右目失くして、どうするんだよ」
「学生時代とか、よくユエさん怪我してましたよね。゛先輩゛?」
「うるせ。それ以上言うな」
ユエは布団をぎゅっと握り締め、悔しく言う。
ああ、そう言えばそうだ。同じ職場で働いているとすっかり忘れていたが、こいつ、アルゲイル魔法学園の一つ下の後輩だったんだ。
控えめな女子だった記憶があったが、何かと気にかけてくれていた気がする。
「ずっとゲームばかりやってて、テストの成績悪くて、いっつも先生に怒られてましたよね?」
「なんだよお前……。元気そうなのに、なんでこんな、悲しいんだよ……」
ユエは思わず、今度は自分の胸元をぎゅっと掴む。
これ以上に酷い目に遭った奴など、この世界ではくさるほどいるはずだ。それなのにいざ目の前に、親しかった者が傷ついた姿で現れたら、こんなにも動揺する事になるとは。
「特殊魔法治安維持組織に入った時から、覚悟は出来てます。い、嫌だなあユエさん。そんな悲しまないで下さいよ」
それに、と澄佳は、
「きっとバツが当たったんですよ。私、暴走しちゃいましたし。本当、反省しています……」
「……ったく。本当だっつーの」
ため息をついたユエはバンダナがあると思いつい、前髪をくしゃりと押し付ける。
「……」
「……っ」
しばし沈黙した二人。やがて、ユエがゆっくりと口を開いた。
「なあ、沼田」
「あっ! また苗字呼びですか!? だからやめてくださいってば」
澄佳の懇願を、ユエはいったん無視したまま、一点を見つめて話しだす。
「俺がやられた時、マジで悲しかったのか?」
「そ、それは勿論です。今さらですね」
「ヤンデレ、ってやつじゃねーよな?」
「やん、でれ? なんですかそれ? まーたユエさんのゲーム用語ですか? 勘弁してください」
澄佳はきょとんとし、首を傾げていた。
知るわけないか、とユエは軽く口角を上げながら、澄佳の紫色の目を見つめた。
「よし、沼田」
「な、なんかユエさん、今日ちょっと変です! 何度言わせるんですか!?」
「そんなに今の苗字が嫌なら、いっそのこと変えてみたらどうだ?」
「変える? どうやってですか?」
「南雲、とか」
ユエが恥ずかしがる事なく言った一言に、病室に静寂が訪れる。
「南雲って……ユエさんの……」
呆気に取られた澄佳がしばたかせる目を、ユエは尚も見つめたままだった。さすがに直視されると恥ずかしすぎて、顔中から火が出そうである。
「ああ。まあ要するに、結婚しようっつーことだ」
「じょ、冗談でしたら、すごく、性質悪いですよ……」
顔をほんのりと赤く染め、澄佳がぎこちなく言い返してくる。
「本気だ。俺と、結婚してくれないか?」
「私、片目見えないんですよ……? 家事とかも、全然出来ませんし」
「だからこそだ。俺がお前の分まで、頑張ってやる。っつか、恥ずかしいから何回も言わせんなっつーの!」
いよいよユエが顔を真っ赤に染めながら言うと、澄佳の片方だけの目に水の輝きが見えた。
「どうして、急に……」
「何だかんだ俺の為に、恥ずかしい真似してたしな。それに死にかけたベッドの上で、お前の顔が浮かんだ。それじゃ駄目か?」
ユエはぼさぼさに伸びた髪をかきながら、澄佳と目線を合わせず言う。
「恥ずかしい真似って……もう、最悪です……っ」
「しょうがねぇだろ告白なんか初なんだし俺だって恥ずかしいんだよっ! ど、どっちなんだが早く言えっつーの!」
「――なんておめでたい話、良いじゃないですか。第五からカップルが生まれるなんて」
澄佳が恥ずかしそうに肩を寄せていたところへ、後ろから、病床の隊長が両手を合わせてやって来た。松風柚子。にこにこと、温和な雰囲気からは少し想像がつかないが、特殊魔法治安維持組織第五分隊の女性隊長だ。
「柚子隊長!? 不治の病つーんじゃなかったんですか!?」
「ユエくん。将来のお子さんの為にも、その言葉遣いはどうにかしないと駄目ですよ?」
「い、いや……」
悲しいかな、黒スーツよりもこちらの姿の方が見慣れてしまっている病衣姿の柚子に言われ、ユエは言葉につまる。
「ありがとうユエくん。私の代わりに第五分隊を率いてくれて。私の身体がもう少し元気だったら、こんなことにならなくてすんだのに……」
こほ、こほと咳をしながら、柚子は申し訳なさそうに頭を下げていた。
「いえ。俺こそ、隊長の留守を預かり切れなくて、申し訳ないです……」
「私のせいです……」
澄佳も頭を下げていたが、
「だからと言って謝るのは、私にではないでしょう? 義雄くんと環菜ちゃんは、もう先にヴィザリウス魔法学園に行きましたよ」
「「……」」
それを聞いたユエと澄佳は顔を見合わせ、頷き合っていた。
※
霧が立ち込める都会の街の一軒家の中にて、その苛立ち声は延々と続く。
「ふざけるなっ! ふざけるなふざけるな!」
机の上の機材を乱暴に落とし、投げつけ、喚き散らす。
やがて憎悪に歪んだ目は、強引に手を引っ張って連れて来た少女に向けられた。
「なんだお前は! お前も結局、アイツと同じか!?」
怯える少女に向け、香月詩音と自分が映る、昔撮った写真をフレームごと投げつける。ガラスはひび割れ、少女の足元に散らばった。
「どうなんだ!? 何とか言えばどうなんだ!?」
「……っ」
そうか。言葉を教えてなかったか、と思い出し、東馬迅は代わりに壁を強く叩く。もはや、喜怒哀楽と言った境がなくなっているようだ。
ここは自分の家の地下室だ。少女は部屋に入るなり、壁に背中を預け、ぶるぶると華奢な身体を震わせている。
「陽子……。そうだ、陽子を見せるんだ……」
東馬は少女に向け、消耗し、やつれた表情で少女を見る。
少女はいったん深呼吸をすると、弱々しく手を上げる。
間近で人を傷つけた時には怯え、一切の魔法が使えなくっていたが、どうやらこの魔法は使えるようだ。
「あぁ……陽子……」
少女の魔法により、光が集まり、やがてそれが人型へと成っていく。この髪、この顔、この身体。なにからなにまで、本物の人間のようだが、形成魔法で出来た、マネキンのようなものだ。
しかし東馬は、自分の愛した女性の姿を一目見れば、笑顔を抑える事などできなかった。それは、娘の詩音も同じことだ。
「俺は……お前を生き返らせるために……ここまで来たんだ……。お前なら、分かってくれるだろう……? そしてまた、三人で一緒に暮らすんだ……」
一言も言わずに立ち尽くす、妻の幻影の前にしゃがみ込み、女神を崇めるかのような素振りで東馬は、呟く。
薄暗い室内の中、東馬の要求通り、妻の幻影を作り出している少女はなにも言わずに右手を持ち上げ、ただただ東馬の要求に従っていた。
『一階の玄関に、お客様です』
ほんの少しの穏やかな雰囲気に刺す、機械の声。浮かび上がったホログラム映像には、玄関の前で、二人組の男が、厳つい顔をして立っている光景が映っている。
「特殊魔法治安維持組織……来たか。もう家も、さすがにばれているな」
黒スーツこそ着ていないが、おそらく身を隠すためだろう。チャイムを鳴らさずに突入するようだが、玄関に立った時点で誰がいるかは分かるシステムだ。
「邪魔しないでくれないか……」
今まで、目撃者は全員始末し、証拠となるものは全て隠してきたが、先日の電波塔での戦いで、とうとうこちらの正体が暴かれたようだ。
遅かれ早かれ、こちらの正体が暴かれる事は分かっていたが。
「俺はまだやらなくちゃいけないことがある……。研究の途中なんだ……」
拳銃を右手に持ち、東馬は少女の首を絞めるように、地下室から連れ出した。
※
まさかこのような都会の真ん中に、テロリストの総本山があるとは。今まで散々探しても見つかる事の出来なかった牙城は、自分たちや一般市民が暮らすような、都会のベッドタウンにあったのだ。
「よくやってくれた、第五分隊……」
曲者ぞろいで隊内では有名な第五。その副隊長たちが深手を負ってまで得た情報が、功を奏していた。
私服姿の特殊魔法治安維持組織の男が二人、東馬家の玄関前に立っている。
「ここら辺、通行人多いですね」
「ああ。かえって怪しまれるから、通行規制はしていないが、どうだかな……」
二人の特殊魔法治安維持組織は、玄関前で小声で話し合う。都会のベッドタウンと言う事もあり、道行く人の数は増える一方だ。
しかし、一五年分の戦いに、ケリがつこうとしているのだ。何よりも最優先すべきが、レ―ヴネメシスのトップの捕縛だ。
「警戒は怠るな――」
今まさに汎用魔法で玄関の鍵を解除しようとした時だった。
内側から、まるで溜まりに溜まった水が噴き出すような勢いで、ドアが吹き飛んで来たのだ。
「ぐあっ!?」
「なにっ!?」
二人の特殊魔法治安維持組織が、思わず顔を伏せる。吹き飛ばされたドアは宙を舞い、通行人が歩く歩道のガードレールに激突した。
通行人のざわめきが聞こえる中、続いて電気が落とされ暗い東馬家の自宅から、野獣の咆哮が響いた。
「ゴゲッ!」
人によるものではない、片言の叫び声。
「コイツは……!?」
白い体毛に覆われた、巨大な身体。北海道での第一分隊の報告書に載っていた、イエティと呼称されていた怪物だ。
イエティは東馬家玄関をその巨大で突き破り、唸り声を上げながら東京の都会の真ん中に現れた。
「うわ!?」
「なんだ!?」
通行人たちが次々に立ち止まり、イエティを眺める。
「ママー! ゴリラがいるよー!?」
「逃げて!」
呑気な言葉を述べた子供を抱きかかえ、母親が悲鳴を上げながら逃げ出す。
「避難しろ!」
控えていた特殊魔法治安維持組織のメンバーたちが一斉にその場に出現し、通行人たちを守る為に防御魔法の壁を発動する。穏やかな都会のベッドタウンは、たちまち混乱の渦へと吞み込まれた。
イエティが腕を振り回す中、通行人たちは一斉に悲鳴を上げながら逃げ始める。
「イエティ!? こんなところで……やはり北海道の辻川のクーデターも、レ―ヴネメシスが関与していたのか!?」
「先輩! 家の中から人が!」
イエティの攻撃をかわす二人の特殊魔法治安維持組織は、崩れた東馬の家から出て来た二人の人影を見た。
「お前は!」
「ご苦労だな、特殊魔法治安維持組織」
表向きは日本科学技術革新連のトップ。三二歳にはとても見えない、若々しい姿の天才科学者。鍛え上げられた身体の腕には、首を絞める形で少女がいた。
しかし不気味なのは、首を絞められ苦しいはずの少女は無表情で、眷属魔法を組み立てている。おそらくとも言わず、少女がイエティを使役しているのだろう。
「先輩! 第五の澄佳の情報ですが、その女の子も敵です!」
「!? しかしあの娘は!」
東馬により頭に拳銃を押し付けられている姿を見れば、完全に人質のようであり、敵と言った若い特殊魔法治安維持組織も、攻撃するのを躊躇している。
そしてさらに、暴れまわるイエティが二人の特殊魔法治安維持組織に襲い掛かる。
「どうした特殊魔法治安維持組織!? 俺を捕まえようとすればコイツを撃ち殺す!」
東馬は挑発するように大声を上げ、ゆっくりと歩き出す。状況的には包囲されているはずなのに、その表情には余裕の面が浮かんでいる。
「このままじゃ一般人にも被害が!」
「分かってる! まずはこの怪物を抑えるぞ!」
「でも東馬迅が!」
「下手に動けばあの娘が殺される! 今のアイツは正気じゃない!」
「ちくしょう! また逃げられるのかよ!」
怪物が氷属性の魔法を放ち、特殊魔法治安維持組織を逆に押し返す。
「ハハハッ! そうだ! 無駄な正義を示して、死んでいけ!」
苦戦する特殊魔法治安維持組織を後目に、東馬は笑い声を上げながら、少女を無理やり引きずり、車に乗り込んだ。
※
同時刻。高級住宅地の一等地にある本城家の自宅前に、一台の車が止まっていた。
車のボンネットに腰を掛け、腕を組んで待っているのは、ヴィザリウス魔法学園理事長、八ノ夜美里だった。正装である理事長服に身を包み、寒風の中、じっと待っている。天気は昨夜から持ち直したが、いぜんくもり空のままだ、
旧式の腕時計で時刻を確認していると、本城家の自宅から三人の大人が歩いて来る。
「あなた、どうかお気をつけて」
お淑やかな雰囲気で、本城五十鈴が、旦那である本城直正に心配そうな声を掛けいている。
「分かっているよ」
直正はハットを被り、コートを着こなして片手に高級そうな革の鞄を握っていた。キセルでも口に咥えていれば、どこぞの英国出身探偵のようではあった。
そして、二人からやや遅れて歩いて来る細身の男に、八ノ夜は眉を寄せて反応する。
「まさかお前とこうして再会するとはな、朝霞刃生。しぶとい」
「久しぶりですね、八ノ夜美里。我ながらしぶとさが売りです」
私服姿の朝霞は腰に日本刀を下げ、微笑む。しかし今は争いあっている状況ではない。朝霞からも、その気配は感じられず、今は主人に忠誠を尽くす執事の職務をこなしている。
「ここ数日は雨の予報です。冬の雨は身体を冷やします。どうかお気をつけて、直正様」
「留守は任せたぞ、刃生」
「かしこまりました。しかし、考え直すおつもりはないのですか?」
朝霞は頭を下げながらも、直正に尋ねる。
「特殊魔法治安維持組織も動き出している。バックにいるのはやはり、薺総理大臣だろう。特殊魔法治安維持組織も私物化しようと考えている薺総理に、これ以上遅れをとるわけにはいかない」
「僭越ながらそこはもはや武装された要塞。当然、東馬迅も迎え撃つ構えでいるはずです」
「ああ分かっているよ。しかし、薺紗愛よりも早く情報を得る必要があるのだ。それに、八ノ夜君が一緒にいれば、心強いことこの上ない」
直正が八ノ夜をちらりと見れば、八ノ夜は頷く。
「魔法執行省大臣が総理大臣の命令も聞かずに、独断行動、ですか。大した勇気をお持ちですね、直正様」
「褒めているのか、大馬鹿だと思っているのか、お前の腹の内は相変わらず読みづらいよ」
直正も不敵な笑みを刃生に返し、八ノ夜の用意した車に乗り込む。
「あなた……」
五十鈴は、最後まで心配そうな面持ちで、直正を見つめていた。
「心配するな五十鈴。私は必ず戻ってくるさ。少なくとも、千尋の結婚式を見るまでは、死ねないな」
そして意味ありげに八ノ夜の顔を、直正は綻んだ顔で窺う。
「お任せください五十鈴さん」
八ノ夜も八ノ夜で、すぐに一人の少年の姿が思い浮かび、肩を竦めていた。
「私たちは立ち止まりすぎた。進まなければならない。子供たちの未来のために」
遥か遠くにぼうっと浮かぶ、巨大な教会のような建物を睨み、本城直正は呟いた。その白亜の城こそが、日本科学技術革新連、総本部であった。




