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魔法世界の剣術士 上  作者: 相會応
黒の再輝
141/211

7

 周囲をビルで囲まれた旧東海タワーの展望室。空を覆っていた分厚い雲はようやく途切れ途切れとなってきたが、代わりに見えるのは黒に染まりつつある空。時刻は午後三時半過ぎ。

 特殊魔法治安維持組織シィスティム第五分隊、副隊長の青年、南雲なぐもユエと同隊所属の隊員、沼田澄佳ぬまたすみかは屋上から降りて来た二人の人と、対峙していた。


「お前もレ―ヴネメシスのメンバーっつー感じか?」


 ユエが警戒し、攻撃魔法の魔法式を向けつつ訊く。


「そうだ」


 二〇歳ハタチぐらいだろうか。胸元で十字架のペンダントを光らせ、茶髪の若い男性はおくすることなく答える。

 その、あまりにも堂々としたたたずまいに、ユエは舌を巻く。


(人質か……)


 そして、ユエの戸惑いはもう一つ。男と一緒にいるのが、小か中学生ほどの幼い少女だったからだ。


「その女の子は……人質ですか!?」


 澄佳も同様の事を思っていたようで、ユエの横で攻撃魔法の魔法式を展開する。

 

「人質……ははは。何を言ってるんだい君は? こいつは人なんかじゃないよ、元々」


 少女をちらと見てから、乾ききった笑みを見せつける男に、


「何言ってるんだはお前の方だっつーの……。《フォトンアロー》!」


 肩を竦めていたユエはすぐさま、男と少女の間に向け、魔法の矢を放つ。鋭く尖った魔法の矢は、男と少女を離すことに成功した。


「女の子を保護します! 《エクス》!」


 さらに澄佳が、身を引いた男の足元に衝撃波の魔法を放つ。男はそれをひらりとかわすが、その隙に少女がユエの元まで走って来ていた。案外、男はすぐに人質を離していた。


「大丈夫か?」


 まずは少女を保護しようと、ユエがしゃがんで抱きかかえようとするところだった。

 少女がユエの懐に、ごくごく自然な動作で、手を伸ばす。


「――かはっ!?」


 途端、強制的に身体がしなり、うめき声までも出る。


「ユエ、さん?」


 澄佳がこちらの方を見た途端、絶句している。

 駆け寄って来た藍色髪の少女が、ユエの腹部零距離にて、破壊魔法の魔法式を展開していたのだ。人の身体を著しく破壊する危険性から名づけられた法律違反の破壊魔法。それを至近距離で発動したにも関わらず、少女の表情に一切の迷いも見えない。

 少女の破壊魔法を受けてしまったと理解した時にはすでに遅く、ユエは腹を両手で抑え、両膝をつく。ぽたぽたと、手では収まりきれない量の血が流れていた。


「ユエさん!?」

「これ……っヤベ……っ。血が、かっ、止まら……ねえっ!」


 黒いスーツの背中からも赤い染みが広がっており、ユエはごほごほと咳をする。

 敷かれている灰色のマットに、自分の咳の赤い染みが飛んでいた。そして、それを見る視界も、霞む。


「よくやった……ネメシス」


 階段の上に立つ男が、満足そうに微笑む。


「ネメ……シス?」


 痛みや恐怖で混濁する頭の中、ユエは必死に考える。


「ユエさん! 今治癒魔法を展開します!」

「いや゛違う゛! それよりもアイツを仕留めろ!」


 澄佳がこちらに手を伸ばしてくるが、ユエは叫ぶ。

 大声で叫ばれた澄佳は、ハッとなって立ち止まり、男を睨む。


「っ!」


 男が慣れた手つきで、拳銃を構え、澄佳に向けて発砲した。


「きゃあっ!?」


 銃弾は澄佳の左肩を掠め、東海電波塔の窓ガラスに直撃し、窓ガラスには蜘蛛の巣状のヒビが入っていた。 


特殊魔法治安維持組織シィスティム。国家に選ばれた魔術師がなんとも情けない」


 男は銃を澄佳に向けながら、二人を嘲笑う。


「……日本で初めての国際テロと呼ばれ、一時はこの国を本当に占拠しちまうんじゃねーかって言われてた最強最悪のテロリストが、今じゃ学園の文化祭にちょっかいを出すだけとは、落ちたもんだな……っ」


 片目を閉じ、口で荒い呼吸をしながら、ユエが言う。


「弱い犬ほどよくえる。さしずめ、負け犬の遠吠えか?」


 男はやはりただ者ではない。こちらの言葉に過剰に反応する事はせず、ただ淡々とこちらの言葉を握りつぶすように返してくる。

 そうでもなければ、やってられないか、とユエは心の中で思い、苦笑する。


「……だよなぁ? レ―ヴネメシスの、トップ……」


 ユエは口端を曲げ、確信をもって言う。


「……なぜ俺がそうだと思う? 気になるな」


 ユエの言葉にピクリと眉間を動かし、男はユエに拳銃を向ける。こちらの腹に破壊魔法を発動した少女は、いつの間にか男の横に、戻っていた。


「大抵テロってのは結束力がなければ組織としてはバラバラだ。元が野蛮だからな……」


 ぽたぽたとユエの腹から垂れていく血を見つめ、澄佳が青冷める。


「ユエさん、それ以上喋らないで下さい!」

「いいからっ! 魔法を展開、してろ! 少しでも、隙を見せると、二人ともやられるぞ!」


 澄佳が横やりを入れて来るが、ユエはそれを突っ返す。


「そう言う時、結束を高める方法として一番ありがちなのは、共通の崇高の対象を作る事だ……。唯一の信じるべき、絶対的な存在を崇めることで、人の心は簡単に掌握できる」

「それが我々のネメシスと言う事か?」


 男が拳銃の先の鋭い視線を、ユエに向ける。


「ゲームであったぜ。罪の女神とは、だいそれた名前だ……。それを呼び捨てでアンタは言えちまってる……。そんな事していいのはおそらく、トップに立つ人間だけだっつーの……」

「その怪我の状態で大した洞察力だ。意外にも優秀な魔術師のようだよ、君は」


 男が肩を竦める。しかし次には、その目を細めて。


「よほど死にたいと見えるな?」

「光栄だよクソテロリスト……。悪りーが全部、ゲームでゲットした知識だ……。それに人間って案外、死ぬ直前が冷静になれるもんかもしれねーっつーの……」


 まさか゛捕食者イーター゛ではなく、同じ人間に止めを刺されるとは思ってもいなかったが。


「まさか俺たちが血眼になって探してたテロのトップが、こんな男だったなん、て……。あと澄佳、もう、暴走するんじゃ、ねー……」


 ユエは最後に不敵に笑うと、自身の血だまりの上に崩れるようにして、気を失って倒れてしまった。ユエの意識は、そこで途切れる。


「ゆ、ユエさん!?」

「さあネメシス。俺はまだ素性を知られるわけにはいかないんだ。お前の手で、その残された哀れな魔術師に止めをさせ」

「その娘に、そんな残虐な事をずっと命令してたんですか!? アナタはっ!」


 命乞いではない。澄佳は純粋な怒りから、テロリストのトップである男――東馬迅とうまじんに向け叫ぶ。


「どうした、ネメシス?」


 澄佳の言葉を無視した東馬は、しかし自分の言葉を素直に実行しない手駒を見下ろし、首を傾げる。

 少女の華奢な身体が、びくびくと震えているのだ。青い目の視線は、ピクリとも動かなくなったユエの身体を、捉え続けている。そして、無表情であったその顔にも、明らかに動揺の色が。


「……まさか。初めて人を自分で殺した事が今更怖いのか? 貴様の魔法の力はそれ以前にも、多くの人を傷つけてきたんだぞ?」


 東馬は少女の長い髪を強引に掴み、引き上げる。どうやら、立ち尽くす少女の顔を無理やり自分の目線の高さまで持っていくつもりだ。


「止めて―っ!」


 澄佳は見ていられず、東馬に向けて攻撃魔法の魔法式を展開、発動する。

 しかし、その攻撃が最終的に東馬に届くことはなかった。


「あな、た……。どう、して……?」


 少女が健気に防御魔法を展開し、東馬を守っていたからだ。それも、自分の分よりも早く、東馬の安全の方を優先し。


「そんなに酷いことをされているのに、どうして!?」

「……」

「ああ、簡単だよ」


 そんなことか、と無言の少女の髪を今度は強引に放り、東馬が口を開く。


「この娘に、そう言った感情はない。俺がこの道具に対して行う事は、全て当たり前の事だと思っているんだ」


 だってそうじゃないか? と東馬は拳銃を持たない左手で髪をかき上げ、高らかに言い放つ。


「これは道具なんだから。人に使われて、消費するただのモノだ。突き詰めた話、君たち魔術師が、魔素マナ魔法元素エレメントを消費して魔法を放つことと同じさ」

「今あなたはその子に守られたのに……それなのになに、言ってるの……」


 澄佳が得体の知れない恐怖を感じ、思わず後退る。


「ユエ! 澄佳!」

「間に合って……ユエ!?」


 義雄よしお環菜かんなが、下層の階段から駆け上がってくる。


「もう下は、特殊魔法治安維持組織シィスティムでいっぱい。逃げ場は、ない」

「よくもユエをやったね。アンタ、絶対に逃がさないよ」


 義雄と環菜が東馬を睨む。


「っち! 珍しく仕事が早いじゃないか特殊魔法治安維持組織シィスティム……。ネメシス! 早くやるんだ!」


 東馬が少女に向けて叫ぶ。

 しかし少女は、相変わらず自分自身を抱き締め、震え、怯えている。

 なんだそれは!? と東馬は喚き始めていた。


「クソがクソがッ! どいつもこいつも使えない馬鹿ばかりだッ!」

「魔法が使えないからって、代わりに子供を使うなんて!」

「魔法が、使えない?」


 ピタリと、東馬の動きが止まる。

 東馬はぎりりと、血が滲むほど唇を噛み締め。


「そうさ……俺は魔法が使えない。魔法が使えないんだ。――だから? だから何なんだァ―ッ!?」


 東馬は拳銃を手当たり次第に撃ちまくりながら、暴走を始める。

 

「!? 《プロト》!」


 義雄が防御魔法を展開し、銃撃を防ぐ。


「もう観念してください! 貴方だけは、特殊魔法治安維持組織シィスティムが捕まえます!」


 澄佳が拘束魔法を展開しながら、叫ぶ。


「俺はこんなところで終われない、終われないんだ! ネメシス! どうにかしろ! 早くするんだッ!」

「《グレイプニル》っ!」


 澄佳が放った拘束魔法の光が、東馬目掛けて突き進む。

 

「やめろッ! やめろーっ!」


 絶体絶命な恐怖を前に、東馬が顔を覆い、叫ぶ。

 澄佳の放った拘束魔法の光が、いよいよ東馬に直撃するかと思った刹那であった。

 ――完全に日が沈んだこの世に現れる、絶対的な支配者が突如として、現れたのは。その黒の巨体が、再び胎動を開始したのは。

 突然、外から中にかけて、吹き飛ぶガラス片。東馬のすぐ横のガラスが突き破られ、漆黒の腕が伸びてくる。あっと口を開けて驚く澄佳の放った拘束魔法は、突如として伸びて来た黒い腕に吸収されていた。


「ッ!?」


 東馬もまた、顔を覆っていた腕を離す。

 

「そんな、まさか……」


 澄佳が青ざめている。よりにもよって、まさか、この時に――。


「い、゛捕食者イーター゛!?」」

「そんな、嘘っ!」


 義雄と環菜の声も、震えている。

 塔に侵入して来た゛捕食者イーター゛の腕は、まるで獲物を捜す蛇のように、展望室の中を縦横無尽に動き回り始める。旧東海タワーの鋼鉄の骨組みなど゛捕食者イーター゛の怪力を前にはあってないもので、まるで木の枝のようにバキバキと壊されていく。


「窓を、突き破った……!?」


 激しい振動の中、環菜の言葉通り、今までは室内にいる限りは襲われることはなかった。 


「塔が、傾いてる!?」


 骨組みを破壊され、揺れる展望室の中は、もはや立っていることもままならない。三人は床に倒れ込んでいた。


「っく、義雄、ユエを運んで! ここ崩れるよ!」

「わかった! 急ごう!」


 ゛捕食者イーター゛が現れた時の特殊魔法治安維持組織シィスティム内での最優先事項は一つ。戦闘は避け、要救助者及び自分の身の徹底的な安全の確保、であった。

 しかし、長らく室内には侵入してこないと言われていた゛捕食者イーター゛が、よりにもよって今日この場で、その言い伝えを破ってくるとは。

 黒く巨大な腕が、大蛇のようにずるりと移動する先で、東馬は乾いた笑みを見せていた。


「これは……神からのお告げだ。まだ俺たちに戦えと、言っているんだ……。そうだ゛捕食者イーター゛。俺が、俺こそがこの世界を救える神なんだよ……。救世神だ……」

「……」


 無言の少女を傍らに、狂人のようにぶつぶつと独り言を唱え始め、東馬は天を仰ぐ。傾きつつある旧東海タワーの天井から、瓦礫が次々と落ちていくが、それさえも東馬は何か別の物のように見えているようで、恍惚こうこつの表情を見せていた。

 ゛捕食者イーター゛の黒い腕は、まるで何かの意思を持つように自在に動き回り、特殊魔法治安維持組織シィスティムの面々を狙う。


「あと、あと一歩のところだったのに!」

「澄佳! これ以上は無理だ! 悔しいけど引くんだよ!」


 環菜が攻撃魔法で゛捕食者イーター゛の腕をかわしながら、まだ残ろうとする澄佳の背中に向け叫ぶ。


「よく我慢できたね。ユエはまだ息してる」


 環菜が澄佳の背中に手を添え、務めて優しい口調で言う。

 震える塔の中、澄佳の強張っていた身体はふっと緩むが、緊急事態に変わりはない。


「っ! 私が殿しんがりをします!」

 

 少女を連れ、狂気の笑みを止めない東馬と、それを包み込むように地を這う゛捕食者イーター゛の腕を悔しそうに睨みつけ、澄佳は防御魔法を展開する。


「澄佳、頼んだ。早く、降りよう。巻き添えに、なる!」


 義雄がなにか言いたげに澄佳を見つめるが、ユエを運んで行く。


「きゃっ!?」


 崩れつつある上層階の窓ガラスが割れ、その破片が澄佳の真横から降り注ぐ。二体目の゛捕食者イーター゛が、現れたのだ。


「澄佳!?」


 顔を覆う素振を見せた澄佳を見て、義雄が叫んでいた。


「大丈夫、です……っ。早く、逃げましょう……っ!」


 あと一歩と言うところまで東馬を追いつめたが、゛捕食者イーター゛の乱入を受け、とうとう捕らえることは出来なかった。けたけたと笑う東馬を展望台に残し、ユエを運ぶ特殊魔法治安維持組織シィスティムの三人は、一階ロビーまでたどり着く。


「ハァハァ……。 え、澄佳、アンタ、目が……!」


 澄佳は濡れた感触がする右手を、抑えていた右目付近から離してみる。


「目、開きませんけど、これくらい、大丈夫です……っ」


 手指の大きさほどはあるガラスの破片が、澄佳の右目に突き刺さっており、血が垂れている。当人は激痛により、右目が開けられないようだ。

 ゛捕食者イーター゛により崩壊しつつある塔から外に出た三人に、更なる地獄が待ち受けていた。


「――゛捕食者イーター゛確認! 突入は不可能と判断! 全員の避難までねばれ! 背中を見せるなッ!」

「冗談だろ!? 追い詰めたんだぞ!?」

「いいから包囲網を死守しろ!」


 特殊魔法治安維持組織シィスティムの仲間たちが、複数の゛捕食者イーター゛と戦闘を繰り広げていたのだ。

 電波塔を死に物狂いで降りて来た三人をまず迎えたのは、第五班の仲間の男だった。


「環菜! 澄佳!? ユエ副隊長……!? これは……!」

「ユエと澄佳に早く治癒魔法を! ユエに応急処置はしたけど、澄佳がヤバい!」


 義雄が担いできたユエと、右目を抑える澄佳に目配せをし、環菜が叫ぶ。

 

「旧東海タワーが、崩れる……」


 ごごご、と鈍い地鳴りが続く。ユエを降ろした義雄が振り向いて見れば、赤と白の塔に無数の黒い生命体が絡みつき、文字通り鋼鉄を砕いている光景が、広がっていた。ユエの血がこびり付いた自分の大きな手のひらを見つめ、崩壊する正式名称――東海電波塔をまた見れば、悔しく、また切ない気持ちが沸いて来ていた。

 人間が叡智えいちを集めて造り上げた遺産を、こうも簡単に、粉々に壊していくなど。――しかしそれこそまさに、夜の支配者だけに許された特権なのかもしれない。


「――林から゛捕食者イーター゛接近! 来てるぞ!」


 ずんぐりした胴体だと言うのに、俊敏な四足歩行をしたそれは、突然の襲撃に対処しきれていない人間エモノを仕留める知恵のある狩人ハンターのように、木々の間から現れた。

 新たな゛捕食者イーター゛は木の幹を蹴る反動を利用して空高く跳躍し、特殊魔法治安維持組織シィスティムの車両を踏みつぶした。踏みつぶされた車両は爆発四散し、しかし物理攻撃の類は受け付けない゛捕食者イーター゛は、引火し立ち上がった炎の上でも気にもしていないようだ。


「破壊魔法を唱えます。《メルギオスト》!」


 無数の光の槍が空中を回転しながらピタリと止まり、一気に゛捕食者イーター゛を貫く。槍は突き刺さった゛捕食者イーター゛もろとも爆発し、木端微塵に消滅した。


「これ以上は犠牲者が増えるだけです。私を最後に残し、負傷者を優先して撤退してください」


 戦場だと言うのに、いささかおっとりとした女性の声が響いた。旧東海電波塔に出現した無数の゛捕食者イーター゛を前にしても、その声音は震えてはいない。


「隊長!?」


 環菜が片目を見開く。

 特殊魔法治安維持組織シィスティム第五分隊長。彼女は病衣びょういと呼ばれる、病院で患者が着るような服を着ていた。

 それもそのはず――、


「入院、してたんじゃ。自称、不治の病、で」


 義雄も驚いている。


「ええ……ですけれど、隊の危機に駆けつけない隊長がいては駄目でしょう。……ユエにも、私がいない間に迷惑を掛けましたし」


 茶色の長い髪を申し訳なさそうに触りつつ、第五分隊の病床の女性隊長――松風柚子まつかぜゆずは、撤退していく隊員たちとは逆に、゛捕食者イーター゛に立ち向かっていく。

 

「隊長が来てくれた!?」

「撤退出来る! 早く車両に乗れ!」


 第五の人員が全て残っていた車に乗り込んだことを確認した柚子は、凛とした面構えで゛捕食者イーター゛たちを見上げる。

 旧東海電波塔は完全に支えを失い、その巨体はゆっくりと、建てられた公園に崩れ落ちていく。砂嵐に似た突風と砂埃が襲い掛かって来るが、やはり゛捕食者イーター゛たちはどこ吹く風だ。一世紀以上前に建てられた誇るべき国の財産は、こうして崩れ落ちていく。

 

「゛捕食者イーター゛……。ここ数週間は出現せず、私も安心して病院のベッドで寝ていたのに、どうしてこの日に限って……」


 悩ましい表情を浮かべながら、柚子は魔法式を展開する。対象はもちろん、目の前に出現した無数の゛捕食者イーター゛たちだ。


「でも出たものは仕方がない。それを片付けるのが、私たちのお仕事ですから、全力でお相手します」


 こほ、こほと咳をしながら、柚子は自分を納得させる。

 展開した無属性の高位攻撃魔法は、立ち並ぶ゛捕食者イーター゛を纏めて包み込む光の波動だった。まるで光のカーテンが降り注ぐように、大小さまざまな゛捕食者イーター゛の身体を、解かしていく。


「《サクラサヤカ》。国産魔法、受けてみてください。あまり、手間をかけさせないように……」


 圧倒的な魔力を前に、゛捕食者イーター゛たちは成す術もなく消滅していく。

 一瞬の静寂もつかの間、すぐに鉄が砕け散る音と、大地の震動音。そして部下の叫び声が柚子の白肌の耳に入り込む。


「隊長も早く! 隊長の治癒魔法が必要です!」

「……。旧東海電波塔……無念です……」


 敵の数は無限である。まともに戦っていてもきりがない。

 まだ崩壊途中の、しかしもはや見る影さえなくなりつつある塔から柚子はすぐに身を翻し、惨劇の現場をを後にし、出発しかけていた車に乗り込んだ。


「おかげで助かりました隊長! 他のメンバーはともかく、ユエと澄佳がやべぇんです!」


 緊急車両に乗り込んだ柚子を待っていたのは、思わしくない状況だった。

 血まみれの上半身を裸にされ、寝かされているユエと、負傷した右目を別の隊員に看られている澄佳。 


「゛捕食者イーター゛はひとまず追い払いました。車を発進させてください。二人の怪我の具合は?」

「澄佳の方は治癒魔法の応急処置でどうにか。ユエ副隊長の方は一刻も早く手当てが必要です!」

「わかりました。二人を運びます。゛捕食者イーター゛が追ってくるかもしれませんから、警戒しながら車を発車させて」

「はい!」


 隊員に指示を出した直後、柚子は再び咳き込みだす。


「た、隊長!?」

「久しぶりに、身体を動かしすぎました……。誰かに風邪がうつらないといいけれど……」

「レ―ヴ、ネメシスの……リーダーがいたんです……。あともう少しで、゛捕食者イーター゛に邪魔されて、捕まえられなかった……」


 澄佳が悔しそうに、呻いていた。左目の視線の先。窓から見える光景には、今も゛捕食者イーター゛が絡みつくように東海電波塔に湧いて出ている光景がある。

 今日の今日まで音沙汰もなかった゛捕食者イーター゛が、よりにもよってテロリストをあともう少しで追い詰められるときに、なぜ一斉に現れたのか。いくらなんでも、ピンポイントすぎる。そして時間もまだ四時にもなっておらず、完全に日が暮れていると言うわけでもないはずだ。


「皆さんが無事でいてくれることが、今は何よりも大事です。第五で犠牲者が出るのは、あり得てはいけませんから……」 


 車の窓から外を見つめながら、柚子は呟いていた。


               ※


 拘束魔法による手錠をかけられた彩夏さやかは、往生際悪く、八ノ夜はちのや新崎しんざきを睨んでいた。

 すでに桃華とうかとばり香月こうづき香織かおりは、この場にはいない。ダニエルによる治癒魔法を受け、閉会式には問題なく参加できるだろう。これほどの大騒動があってもなお、八ノ夜は帳に閉会式に参加することを薦めていた。


「汚らわしい魔術師どもめ! 今に見ていろ! ジンがお前らを地獄に落とす!」

「ジン……東馬迅とうまじんだな?」


 八ノ夜が確認の為に訊き返す。桃華を消すつもりでいたのか、口を滑らせたのが彩夏の運の尽きだ。


「私が言うのもなんだが、彼は凶悪な男だ。私も君も……殺す気でいたんだろう」

「迅がそん事をするわけがない! 迅こそが、この世界を変える指導者だ!」

「哀れだが……私も、自分の罪を償わなければな。まだ責任が、ある……」


 同じく手錠をされながら、連れられてやって来た怜宮司れいぐうじは額に手を添え、うめくようにして言う。


「どうやら、相当な幻影魔法の使い手のようですね。ここまで東馬迅に関する情報を誰も吐かなかった事にも納得ですよ」

「いや、彼は失われた夜ロストナイトデイ以前に生まれている。魔法は使えないはずだ」


 完全に洗脳されている彩夏を同じく哀れそうに見つめながらの八ノ夜の呟きに、新崎は眼鏡の奥の瞳を細める。


「幻影魔法では、ない?」

「人心掌握術自体は、何も何百年以上前からあったものだ。それ専門の職業もあったほどだ。胡散臭いがな」


 八ノ夜はそう言うと、自分の中で何かの区切りをつけたように、小さく息をつく。


「生徒にはこの騒動の事は出来る限り内密にしたい。今は、文化祭のひと時だ。しかし、このケリは必ずつける――もはや一刻の猶予もなく、早々にな」

「お待ちください、魔法学園理事長。特殊魔法治安維持組織シィスティムが捜査令状を用意します」


 新崎が眼鏡を掛け直しつつ、八ノ夜に告げる。


「いや、それでは何もかも手遅れになる。少なくともアイツはもう待ってはくれない」

「アイツ……?」

「あてならある。理事長室に行く。この二人の処遇は特殊魔法治安維持組織シィスティム、任せたぞ」

「おっと。ははそう来ますか……いや弱った……」


 釘を刺されるようにして言われてしまった新崎は、ぽりぽりと髪をかいていた。相変わらずこの人は、昔からなんでも無茶をしようとする。それは果たしてあの本部で出会った黒目の少年に引き継がれているのだろうか? 

 なんてことを、八ノ夜の風になびく長い黒髪を見据えながら新崎は思っていた。


                ※


 城のような佇まいの首相官邸を背に、年端もいかない見た目のおかっぱ頭の総理大臣が、黒いスーツを着た人々に深く礼をされながら歩く。


「゛捕食者イーター゛が旧東海電波塔に出現した、じゃと?」


 用意された車に乗り込みながら、薺紗愛なずなさえは側近の言葉に耳を疑う。


「は。旧東海電波塔は、倒壊したとのこと……」

「そうか……。まずは悲惨な戦争の名残から立ち直り、この国に未来を示してくれた塔と、それを造り上げた技術者や関係者に感謝と、しかし守ってやれなかった謝意の言葉を述べようかのぉ」


 後部座席に座り込んだ薺は、背もたれに頭を預け、深く息を吸って目を瞑る。


「雨、か……」


 黒に染まりつつある空にその気配を感じ、薺は目を瞑ったまま呟く。昔から雨は不吉だと言う。


「今回の゛捕食者イーター゛出現に関し、緊急会見のご予定は?」


 開いたままのドアから、特殊魔法治安維持組織シィスティムのスーツ姿の男が顔を覗かせる。


「テロが破壊した、とだけ伝えておけ。あまり刺激するでないぞ? 国民も敏感になっておる」

「はっ。しかし降ってきましたな。雲はあったものの、雨が降る予定はなかった気が」


 さて、と薺は閉じた後部座席のドアに手をつき、頬杖をつく。降って来た雨の音は、どちらかと言えば、今は心が躍るものであった。

 ――なぜならば。

 薺は赤い色の目を開け、誰にでもなく語り掛ける。


「かつてその神もまたレ―ヴァテインを振るい、真の平和を誰よりも愛し、立ちはだかるアマツさえをも自在に変え、人々に豊穣ほうじょうの神として崇められた」

「……?」


 運転手がバックミラーで薺の顔を探るが、薺は不敵に微笑むだけだ。


「大阪からきたる豊穣の騎士を、迎えに行くぞ――」

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