3 ☆
時刻は正午を過ぎた。ちかちかと照明が点滅している第二体育館のライブ会場に、赤い髪をポニーテールで縛っているにも関わらずに、髪をぼさぼさにした篠上綾奈が、戻って来ていた。
「お帰りー綾奈ちゃん。どうしたの?」
「う、うざすぎたーっ!」
などと、顔をぐちゃぐちゃに抑えて叫ぶ篠上に、1-A作業員用用臨時拠点――体育館後方体育倉庫――にいたクラスメイトたちがぎょっとする。普段体育の授業用に使われている跳び箱やマットなどは、端に寄せられていた。
「あ、綾奈ちゃんがめっちゃ怒ってる!?」
「先輩や他の学校の男子どもが……」
篠上はそこまで言い切ると、すう、と息を大きく吸って、
「そこ、こそこそ話し声聞こえすぎだっての! アンタたちに言われても嬉しくもなんともないわ! はい? 他校の女子生徒のみなさん!? ゛大きくて゛悪うござんしたね!? それがなにか!? 私だって好きでこうなったんじゃないんだから!」
「あ、綾奈ちゃんが壊れだしてる!?」
ぶつぶつと言い、完全にやさぐれた優等生の姿に、女子たちが増々恐縮する。
「綾奈ちゃん確かに目立つもんねー」
「顔だけじゃなく、色々とねー」
女子たちが茶化すように笑い合う。
篠上は他校生徒からのナンパや視線に手を焼いていたのだった。
「私からすれば笑い事じゃないってばー。もう……」
とほほとしながらも、落ち着いた篠上は両手を器用に使って髪を縛り直す。祭りは楽しめなかったようだが、仕方ないと、自分の仕事をやろうとする。
「お邪魔します。私、休憩時間に入りますね」
続いて、これから自由時間に入る本城千尋が、体育倉庫に帰って来ていた。
「綾奈ちゃんはとことんお祭りに運がないみたいですね……?」
くすりと苦笑しながら、千尋は篠上に言う。外まで聞こえていたのだろうか、それとも雰囲気で分かったのだろうか。
「千尋!」
篠上は髪を素早く締め直すと、千尋の細い肩を両手でぎゅっと掴んでくる。
「あ、綾奈ちゃん!?」
「あんた、今日は絶対一人で出歩かない事! いい!?」
「え、あ、はい……。でも、私もせっかくですから昨日行けていないところに行きたいのですけど……」
「あんたは優しくて、すぐ人の頼みを聞いちゃう節があるから……」
篠上はどうしたものかと、周囲をきょろきょろと見渡す。
「天瀬と休憩時間が合えば、私たちでアイツと一緒に――」
「――俺がどうかしたのか?」
そこへ、千尋と同じく自由時間を迎えた誠次も戻って来た。
「あ、天瀬!?」
「おっ、天瀬くんお疲れ様ー。今イイ所よ」
篠上がきゃあと大袈裟に驚く中、クラスメイトたちがにやにやと声を掛けて来る。
体育倉庫では、千尋が篠上に肩をぎゅっと掴まれている光景が広がっていたわけだが、どう反応すればいいのか分からない。
「なんか、悪いな……」
篠上を驚かせた誠次は大変申し訳ない気持ちになり、退出するためにドアに後ろ手をかけていた。
「い、いいや全然! 天瀬! アンタ、良い所に来たわ!」
「はい!?」
顔が赤い篠上の有無を言わさぬ眼圧に、誠次は声を高くする。
「自由時間、千尋と一緒にいてくれない?」
「え、別に良いけど、千尋は良いのか?」
「誠次くんとご一緒できるのは私も嬉しいですけれど……」
千尋も少しだけ困った様子だ。
しかしまたどうして、と誠次が目線で篠上に問う。
すると篠上は、綺麗な顔を誠次の耳元まで寄せて来る。
「千尋が他の男に言い寄られないようにするために決まってるじゃない!」
「俺を厄除けのお守り扱いにされても……」
確かに一般人から見たおれはかなり引かれているが。
「いい? 千尋になんかあったら――絶対に許さないわよ」
柔らかそうな唇から出た篠上の言葉に、無限大の殺気を感じる。
誠次はごくりと、息を呑んで頷いていた。
クラスメイトたちが黒い視線の先でにやにやと笑っており、一方で誠次は居心地が悪い気分だ。彼女たちは、分かっていない。
「でも綾奈ちゃんはそれでいいのしょうか……?」
千尋が小首を傾げて、篠上を見る。
「私はこれから仕事があるし、仕方ないわよ。昨日は千尋と一緒に見て回れたしね。それに、コイツとだったら安心だし」
「すまない篠上」
誠次は片手を挙げて、篠上に言う。
篠上は少々驚いたように、青色の目を大きく見開き、誠次をまじまじと見つめる。
「本当……」
「綾奈ちゃん……。私、綾奈ちゃんのぶんまで誠次くんと一生懸命楽しみますね!」
「!? ち、千尋……」
目を輝かせる千尋の気合の入れ方に、篠上がかはっ、と胸を抑える。
「「「千尋ちゃん、その気合の入れ方完全に今の綾奈ちゃんに逆効果だから!」」」
その後千尋は準備をしたいので、と誠次はしばし体育館の外に出されていた。
追い出されるように去る瞬間、女子たちがなにやらきゃあきゃあ騒いでいる声が聞こえているが、果たして。
誠次は振動している第二体育館の壁に背中を預け、歩いていくお客さんと生徒の群を眺める。人間観察とはよく言ったもので。歩く人の表情は、みんな笑顔一色であり、平和な光景が広がっていた。
(平和ボケしすぎている気がするんだ――)
「……」
ふと、夏に星野一希が言っていた言葉を誠次は思い出す。平和ボケの何が悪いと言えてしまえばそれまでだが、そう言い切れる確固な自信があるわけでもない。
なぜか今思い出し、多少の危機感を感じた大阪の同級生の顔と言葉が、誠次の気を軽く引き締めていた。
「――お、お待たせいたしました、誠次くん」
こちらと同じく風を受けていたのだろう、金色の髪を抑えながら千尋が、横から声を掛けて来る。
誠次はそこで、意識を現実に戻していた。
「千尋――って、え!?」
文化祭を一緒に歩く準備をしていた千尋のその姿を見た途端、誠次はしばし言葉を失っていた。
「あ、あの……。これは……っ」
ややぎこちない手つきで髪を触りながら、千尋は言ってくる。
二人がお互いをじっくりと見つめている理由。それはいつもは髪を腰回りまで流したストレートヘアーだったはずの彼女が、今は長い髪を両サイドで縛っていたからだ。
「ツインテールと言うものです!」
「あ、ああ。それは、わかる……」
胸を張って答えた千尋に、誠次はぎこぎこと頷く。
「せっかくだからと言う事で桃華ちゃんさんがやってくださったのです。なんだか髪が両方で引っ張られているみたいですけど、じきに慣れると言ってました」
「桃華がやってくれたのか?」
「はい。寮室で一緒になった時に、ファッションについてなど話していまして」
つまり、桃華プロデュースと言うわけか。千尋の髪を縛る桃華と言う構図を想像し、思わず微笑ましい気分となる。
そんな会話の途中、千尋の後方で何やら動くものが目に付いた。そこでは実に、体育倉庫にいたクラスメイトの女子たちが、茂みの奥からにやにやとした視線を送って来ているのだ。
「あの、どうでしょうか? 私、はしたなくはないでしょうか?」
気づけば、目の前で千尋がくるりと一回転してみせていた。悪戯っぽく風にふわりと舞う金髪の美しさと新たに加わった可愛さに、誠次は思わず見惚れそうになる。
「あ、ああ。お嬢様の休日みたいだ」
誠次は慌てて口を開く。
「あっ、もう一世紀以上前の映画なんですけれど、ローマを舞台にしたそのような映画があるんです。ローマで出会った二人がジェラートを食べたり、モノクロですけれど、今でも面白いんですよっ」
「そんなのがあるのか。今度、見てみたいな」
「是非っ。色あせない名作ですよ!」
モノクロなので色はもともとないだろうが、千尋は嬉しそうに両手を合わせて、微笑んでいた。
誠次と千尋は一緒に歩いていく。
第二体育館から棟の方へと歩いていく途中、本城千尋を知っている人でも知らない人でも、彼女の姿を見た者は皆、そわそわとする。しかし当人は周囲の視線に気づいているのかいないのか、楽しそうなにこやかな笑顔を振り撒いている。
これは確かに、篠上の言っていた通り心配になる気持ちも分かる。それと同時に、今日一日もし千尋の身に何かあったとしたら、間違いなく篠上に殺されかけると誠次は急に腹が痛くなってきた思いだ。
「綾奈ちゃんに、何かお土産買って行った方がいいでしょうか……?」
「いいじゃないか? それに、俺に訊かなくても」
「い、いえ。かえって綾奈ちゃんを怒らせちゃわないか心配で……。お恥ずかしながら私、気配りと言うものが……」
「そう思えているだけで気配りは出来ているはずだ。篠上のお土産なら二人で選ぼう。篠上もきっと喜んでくれると思う」
「文化祭でお土産って……何だかちょっと面白いですね」
「ち、千尋が言ったんだぞ……」
しかし、と誠次はむむと唸る。
「なによりまずは腹が減った! なにか食べよう」
「確かにそうですね! 美味しそうな匂いもしますし、かしこまりました!」
二人がまずやって来たところは、昨日の騒動の最後の場となった場所、図書館棟の二階だった。一階や柱は誠次と兵頭と伸也の必死の修復作業の甲斐あり、完全に修復していた。
ダンジョンは絶賛営業中で、今も一階から楽しそうな悲鳴が聞こえて来る。先輩が言っていたが、自分たちが挑んだのは、一番難しい難易度だったとのことで、上級魔法生用との事。
「凄いです。図書館で食事なんて、お洒落です」
二人用の机椅子に座り、千尋がこちらを見て微笑む。
二階は雰囲気で言えば、高級レストランのようだ。薄暗い周囲の中で、宙に浮いた蝋燭に火が灯っている。
高校生が食事をするにはいささか大人びた雰囲気であるが、二階の木の柵の下を一目見渡せば、若者が見れば盛り上がる事この上ない光景が広がっている。下の巨大迷路を彷徨う人を上から見ると言う点で言えば、昨日の先輩たちの盛り上がりも分かるような気がした。
「影塚さん、凄いな……」
そしてちょうどいま、アフロにサングラス姿の影塚広と至って普通な私服姿の波沢茜が、ダンジョンを゛突き進んでいる゛ところだ。
誠次は感心して、呟く。
昨日あれだけ自分が苦戦したダンジョンのブックゴーレムを、影塚は一撃の魔法で仕留め、何事もなかったかのように突き進んでいく。茜はその間、後方から迫り来る狼の群を、範囲が広い攻撃魔法で一網打尽にしていた。周りのお客さんも、一階でダンジョンを攻略する二人の姿を見て、微かな称賛を送っている。
「男の方って、本当こういうのお好きなんですよね……」
千尋はどこか怯える目で、一階を見渡して言う。
「男心をくすぐられてるんだと思うな」
「……それは誠次さんが私の家にいらしたときに、朝霞刃生と行った、一騎打ちと言うものも同じような気持ちなんでしょうか……?」
真剣な表情の千尋が緑色の視線を誠次に戻し、訊いて来る。
黒い目を合わせた誠次は少々、呆気に取られていた。
「まさか千尋。ずっとその事を……」
「まずは謝らせてください。先日の私と私のお父様の愚行をお許しください」
千尋が深く頭を下げて来る。
「許すも何も、あれは俺が自分からやってしまった事なんだ。俺こそ、みんなにも迷惑をかけたし……って、当日の夜みんなから充分怒られたか」
誠次は気まずく後ろ髪をかいていた。
「こう言ったら失礼かもしれませんけれど、私はまだ、誰かと誰かが戦うなんて行為自体が非現実すぎて……。喧嘩、と言うのなら分かりますけど……」
右頬に右手を添えながら、顔を上げた千尋は呟く。
逆に形容出来ているのであれば、それは不自然だ。
「誠次くんがそれに慣れてしまうのが、私は怖いんです……。それは誠次くんだけではなく、私の知り合いでもですけれど、今は誠次くんだけが遠くにいるようで……」
こちらの事を本気で心配してくれているようで、誠次はムズ痒いような、しかし嬉しい気持ちだった。
「そうならない為に、千尋のお父さんは平和な魔術師の世界を作ろうとしている。だから俺はその世界を信じるし、そうする為には俺たちが今出来る事、やるべき事をしなくちゃいけないと思っている」
誠次は視線を落としながら、そう返す。
「誠次くん……。いつでも、私たちの力に、頼ってください……」
誠次はハッとなり、首を軽く横に振っていた。
「ありがとう千尋。香月にも怒られたし、反省したよ」
「本当ですよ……。誠次くんがみんなで学園を卒業すると言ってくださったことが嬉しかったの、忘れていませんから……」
「ごめん。この話はもうやめよう。今は文化祭だったな」
誠次がバツが悪く笑いかけると、千尋もうんと頷いていた。
「切り出したのは私の方ですよ。では、先ほどのように映画の話でも」
「映画が好きなんだな」
千尋が楽し気なのを見て、誠次が訊く。
千尋は少し恥ずかしそうに、頬を染めていた。
「は、はい。小さい頃は私、その……そこまで明るい性格ではなかったと言いますか……。学校から帰っては家でずっと家族と過ごしていたり、ずっと部屋で映画を見ていたりと……」
「え? そ、そうだったのか?」
誠次が驚く。今の千尋の男女へのわけ隔てない明るさから見れば、意外すぎる過去の姿だ。
「お友達も綾奈ちゃんが初めてみたいなもので……。自分でも本当に、物静かな女の子だったと思います」
(なんだか、俺と似ているな……)
誠次は少々、呆気にとられていた。
詳しく訊いてみたく、誠次が続きを聞こうとしたその時、
「お待たせしましたー! って、剣術士君じゃん。あっ、こう言っちゃ失礼か。天瀬君」
三学年生の先輩の女子が、二人が注文した料理を運んできた。制服もウェイトレスのもので、可愛らしい黒髪の先輩だ。
黒髪の先輩は続いて、向かい合って座る誠次と千尋を面白そうに見つめ、きゃあきゃあ手を叩く。
「なになに? 二人とも付き合ってるの? なんだか紳士淑女みたいですごい似合ってるー」
初対面のはずだが、随分とフレンドリーなのは先輩が後輩に対する特権か。千尋を随分と物好きそうな目で見ているが、当の千尋は動じることなく、先輩の顔を見ていた。
「あっそうだ。天瀬君サイン頂戴?」
「さ、サイン?」
誠次が驚き、思わず腰を浮かす。
「うん。SNSで絶賛話題沸騰中だし。って言うか、背中の剣、それ結構目立つと思うけど、大丈夫だった?」
「ここに来るまで、それとなく視線を感じてはいました……」
誠次が周囲をきょろきょろと見渡して言う。
「それなのに一緒にいるなんて、やるねぇ」
千尋を茶化すような目で見るが、やはり千尋は動じることがなく、
「ありがとうございます。見た目なんて気にしていません」
「おっとお熱い。そしてホットな注文だ。じゃあ二人で楽しくねぇ」
能天気なウエイトレスが手を振りながら下がったと同時に、周囲で歓声が上がる。どうやら、一階で影塚と茜がダンジョンを攻略したようだ。
「申し訳ありませんでした誠次くん。今は、楽しい催し物の最中でした。楽しみましょう?」
「ああ。美味そうだなこれ」
「あっ、水泳部での彼氏持ちのお方が言っておりました。こういう時は゛あーん゛という事をするのですよね!?」
「は、い、いや恥ずかしいからそこまでは!?」
千尋は行儀よく、本格的な料理を口に運んでいく。
「やっぱり、家で食べる物の方が美味しいのか?」
「む。ですから、みなさん私の家を本当にお屋敷だと勘違いしているんですってば! 食事も含めて普通です」
優しい千尋でも、さすがに怒る時はある。
誠次は「悪かった」と謝っておき、他愛ない会話を続けていた。
「あ、そう言えば誠次くんのテストの成績は、結局無残な結果となってましたね……」
「ぐはっ!? そ、それこのタイミングで言うのか!?」
食べていたものを吹き出しそうになり、誠次は慌てて口元を抑える。
「申し訳ありません! ですけど、対照的に詩音ちゃんさんの伸び幅が凄くて、本当に誠次くんの分を吸い取っているみたいでしたよ」
「確かに、あの変貌ぶりは凄かったな……。俺も頑張らないと……」
夏休み前に勉強を教えてやっていたのが、遠くの事のように感じてしまい、誠次は思わず呻く。千尋の仰る通り、香月の成績が目に見えて上がっているのだ。それこそ、カンニングでもしているのではないかと言うほど、あり得ない伸び幅だったのだ。
昼食を終えた誠次と千尋は、それぞれクラスの出し物がある学科棟までやって来た。一学年生の出し物がある、三階にて。
「いらっしゃい――って天瀬じゃん!」
陽気な声で出迎えたのは、同級生の学級委員会仲間の男子だった。
「うちのクラスの出し物見に来てくれたの?」
「いや、゛挑戦゛だ」
誠次は不敵に微笑んで告げる。
後ろでは千尋が周囲をきょろきょろと見渡していた。
「いや、魔法使えないとこの競技無理だぜ……こう言っちゃなんだと思うけど……」
「大丈夫。千尋と一緒にやる」
「千尋って……。……あのリアルお嬢様か!?」
誠次の後ろにいる千尋が、またしても顔をむすっとする。
「本城さんがうちのクラスの出し物、気に入ってくれないと思うけどなぁ……」
同級生男子はそんな千尋に気づくこともなく、悩まし気に言い続ける。一応、気を使ってはくれているはずなのだが。
「ただの偏見だ。千尋だって、俺たちと同い年の、普通の女子高生だ。羽を伸ばす時だってある」
「はは。騎士の女神様の羽か。さぞかし綺麗な事だろうよ」
学級委員の男子が茶化してくる中、さらに彼の相方である学級委員の女子がひょっこりと顔を出してくる。彼女は千尋と同じ水泳部の部員であり、千尋と女子は顔を合わせてにこりと微笑みあっていた。
「いいねー二人とも。はい。じゃあこの学園の中にある五つのスタンプカードに魔法文字の問題を解いて、もう一回ここに来てね」
陽気な女子はそう言うと、綾奈に意味ありげな視線を向け、お手製カードをぎゅっと手渡す。
「隠し場所の一つを教えてやると、保健室が一番の強敵だぜ? 頑張れよー?」
「それ言っていいのか!? 確かに手強そうだけど!」
笑う学級委員男子とツッコむ誠次の会話の横で、ぼそりと会話をする。
「良かったね? 千尋ちゃん。゛羽目外してはしゃいじゃいな゛!」
「あ、は、はい……!」
千尋は恥ずかしそうに微笑みながら、渡されたカードをぎゅっと握っていた。
学園の施設紹介も、兼ねているこの謎解きスタンプラリー。さすがに混むと言う食堂などにはなかったが、学園に始めて来る人はそれなりに学園の施設がどんなものか攻略と同時に知れるようになっている。
五か所にはそれぞれ軽い魔法の事に関する問題が魔法文字として浮かんでおり、それを操作することでスタンプカードにこれまた魔法の判が浮かび上がると言う仕組みだ。魔法が使えない人は、近くの魔法生に頼んでやってくれたりもする。
「誠次くん、こっちです!」
「ああわかった!」
誠次と千尋は協力して、その問題を解いていた。魔法に関するところは完全に、千尋主導で動いていたが。
「――お疲れー! 五個ちゃんと押せたね! じゃあ景品、なんでも好きなの選んでいいよー」
「まさか、ハッピからふんどしに着替えているところに遭遇するなんて……」
(保健室に行ったため)本当にお疲れの様子の肩で息をする誠次と、それを冷静に見つめる千尋の元にやってきた先ほどの学級委員女子が、自分の教室の中に案内する。
「景品、と言ってもそんなに期待しないでね。みんながショッピングモールで買って来たようなものばかりだから」
「だ、大丈夫っ」
誠次がようやく呼吸を落ち着かせ、軽く手を挙げる。
「篠上へのプレゼント、ここで決めてもいいか?」
「まあ素敵です。まさしく二人で取ったもの、ですものね」
千尋はこくりと頷いていた。
そして、篠上へのプレゼントを選び終えた二人が教室から出たところであった。
「――おい! 天瀬っ!」
人影の中から慌てて走って来る人影が一つあった。
「志藤? どうしたんだ?」
同じクラスの男子、志藤颯介だった。何やら切羽詰まった様子で、息を切らしている。
「ハアハア、やっと追いついたっ! 香月がやべえんだ!」
「詩音ちゃんさんが、どうしたのでしょうか?」
息を切らす志藤を見て、千尋が訊く。
志藤は強引に息を呑み込み、汗をぬぐいながら誠次と千尋を交互に見る。
「なんかいっぱいの男子に囲まれて、ビデオを撮るとか聞こえてよ。それも周りには内緒だって言われてて、人気のない外の連絡通路でたまたま見てさ」
「ビデオ……?」
千尋が復唱する。
「香月……まさか、ビデオ当番を頼まれたのか!?」
誠次がハッとなって、声を出す。つまりは文化祭の光景を映す係だ。男性生徒が面倒臭くなって、香月に押し付けたのであれば、なんと可哀想な。
「っく! 許せないな!」
「いや違ーよ!? 絶対もっとよくない方面のやつだ!」
誠次の謎思考回路に、志藤がツッコむ。
「まさか詩音ちゃんさんに魔法でビデオカメラを直してほしいとかでしょうか!? 詩音ちゃんさん魔法得意ですし、無理やりに!」
千尋も思いついたように声を上げる。確かに、香月の魔法の腕はこの学園の先輩の間でも結構有名だ。主に、春の試験の時に先輩を倒したことや、普段の授業の話題がそのまま先輩に伝わっている。
「カメラを直すなんてそんなの、さすがに香月でも無理だ!」
「いやそっちも違ーよっ!? なんで二人揃って的外れな方に予想してるんだよ!」
両手を掲げて志藤がまたしてもツッコむ。
「どっちにしたって、こうしてはいられないな!」
「ええそうですね。詩音ちゃんさんのピンチです!」
「あ、ああ……わかった。案内する……。俺も行かないと心配だわ、こりゃ……」
もうどうにでもなれと言わんばかりに、志藤が顔を引きつらせながら、走り出す。
先頭を走る志藤に着いて行くと、何かを思い出したようにふと志藤が振り向く。
「そう言えば本城。ツインテールとか、なんかいつもと雰囲気違うじゃん。こう、いい意味でお上品ぽくないって言うか」
「似合いませんでしょうか?」
「天瀬がそう言ったのか?」
「いえ。むしろ似合っていると……」
「なら、天瀬の言う通りって事で!」
志藤が誠次に茶化すように笑いかけてから、再び先頭を向いていた。
「別に……ただ、本当に似合うと思ってる」
誠次が口を尖らせて言う。
千尋はくすりと微笑えみながら、誠次をうっとりとした表情で見つめる。
「だとさ。本城?」
「……はい。志藤くんは、本当に素敵な人を友人として持ちましたね。あとは、志藤くんにも素敵な出会いがあることを、私応援しています!」
「おいっ、泣けてくるからやめてくれ!」
志藤が両手で顔を塞ぎ始めるのを、きょとんとした千尋と、それを苦笑しながら見つめる誠次が共に走って追いかけていく。
大音量の曲のメロディ―が、第二体育館に流れている。
「オラオラオラ!」
何やら大音量のBGMが鳴っている体育館へ突入した戸賀彰は、人混みをかき分け、ずんずんと突き進む。しかし周囲の人は皆、ステージの方を見ては、戸賀の通行すら気にせずに飛び跳ねたり手を振ったりと、大盛り上がりだ。
「――ふん。ここでこの曲を持ってくるとは、やはりただ者じゃ――」
何やらぶつぶつと言っている金髪の男の背に、アメリカンなドックが乗っかる。
「もらった!」
それを見た戸賀は飛び掛かり、男の肩目掛けて空手チョップを繰り出した。
「ヒットッ!」
「痛っ!?」
とうとう、因縁の相手に空手チョップをお見舞いした戸賀は、よっしゃとその場で小躍りする。
「お、お前っ!? 後ろからいきなり人の肩にチョップをするとは失礼にも程があるだろ!」
肩をチョップされ、あまりの痛さに膝からその場にしゃがみ、肩を抑える男――怜宮司飛鳥が、戸賀を睨みつける。
見知らぬ男に戸賀はどこ吹く風で、仕留めたアメリカンなドックの残滓を見つめていた。
「あーあ……。それ、捕まえないとダメなんだよ? 倒しちゃ駄目」
そこへぜえぜえと息をついてやって来た、受付の少女、桜庭莉緒。
「なん、だと……!? 先に言えよ!」
「君が話を聞く気がなかったんでしょう!? そんな事よりちゃんとサインしてってば。生徒会長からも文化祭の盛り上がりがどんな感じか調べる必要があるからやってって言われてるの。お願いっ」
「……っち」
戸賀は自分を見上げる緑色の綺麗な目をまじまじと見つめ、面倒臭そうなため息をしつつ、サインに応じていた。
「おい! 私の事は無視か!?」
肩を抑えている怜宮司を見た桜庭が腰に手をあて、戸賀を見る。
「君、何か悪い事したなら、謝らないと駄目だよ?」
「っ分かったよ。悪かったな」
桜庭にめっと叱られ、戸賀は怜宮司に向け、わりと素直に謝っていた。
「まったく。私は桃華ちゃんのライブを見ているんだ。邪魔をしないでくれ」
「おいおい……。お前いい大人なのに、勘弁してくれよ……」
ステージで歌う桃華を見上げ、戸賀は苦笑する。
――が。
「ば、馬鹿にするな! 桃華のことをお前はなにも知らないで!」
「は、はぁ?」
突如、怒りだした怜宮司に、戸賀が首を傾げていた。
桃華。どこかで聞いたことがあると思えば、確か特殊魔法治安維持組織で、剣術士が言っていた名の気がする。
「いつもゲストの事を第一に思って、一人でも練習していて……。健気で、努力家なんだぞ! それを周りは……っ、きちんと彼女の事を知ろうとしないで!」
熱弁する怜宮司に、戸賀と桜庭が目をしばたたかせる。
「桃華ちゃんの事、大切に思っているんですかね? あたしは素敵な事だと思います」
桜庭が、胸に手を添えて、口角を上げて言う。
「も、勿論だ……。彼女がいなければ、今の私は――」
その先に続く言葉を失い、怜宮司は息を呑む。彼女は今まさに、自分がこれから行おうとすることで、この世から消えることになるかもしれないという事を、改めて悟ったからだ。
「なんだ、ありゃ?」
戸賀が片手を目の上に添え、遠くを覗く仕草を見せている。
怜宮司と桜庭も、戸賀と同じ方を見てみる。
マイクやカメラを片手に持った大人たちが何名か、桃華がいるステージ前まで押し寄せていたのだ。
「――桃華さん! 誘拐されたと言うのは本当なんですか!?」
「――今後の活動についてなにかお願いします!」
「――しばらくメディアには出演しないんでしょうか!?」
日本中が一時注目していた、タレントの動向だ。その復帰舞台が報道機関の目に留まらないはずもなく、一般客を装って侵入して来ていたのだ。一応、報道関係者はお断りと言う案内はしていたのだが、やはり無視してやって来てしまっている。
「ウゼェな。まるでエサに群がる動物だ」
戸賀がけっ、とその場で足を踏み鳴らす。ちょうど今まさに、自分の横を通り過ぎようとした眼鏡姿の報道関係者に足を掛け、わざと転倒させたところだ。
「うわっ、ちょっとヤバいかも……」
桜庭があわわと周囲を見渡す。
「桃華……」
怜宮司が心配そうに、桃華を見つめる。
「やめろ! 桃華ちゃんのライブを邪魔するな!」
ひと際声を張り上げ、ステージの前まで走ってやって来たのは、帳悠平率いる1-Aの男子数名だった。「邪魔だ!」などと言う報道関係者を前に引かず、桃華を守ろうと立ち塞がる。
「ハハッ! 面白くなってきやがった。加勢してやろうか」
ニヤリと笑った戸賀が長袖を腕まくりしている。
『質疑応答は一切受け付けませんから!』
桃華がぴしゃりと言い放った言葉は、漏れなく体育館の中の歓声や怒声を、一瞬で止めていた。
『敢えて言うとすれば、ここまで私を支えてくれるバックバンドの皆さんと、ファンとゲストの皆さんに、最高の感謝をっ! このまま歌を続けます!』
「や、やめろ! そんな態度を取るな!」
驚愕する怜宮司が、思わず声を出す。
報道関係者があることないこと書いてしまえば、それで終わりなのがこの業界だ。一つ印象が悪くなれば、奴ら容赦なく百にしてそれを書き出す。自分だったら、やはり桃華を洗脳してでも、報道関係者に対し当たり障りのない、理想のアイドル像としての答えを出さす。
「え?」
桜庭が怜宮司を見て戸惑う中、
「お前はすっこんでろ」
「痛!? な、なんで俺だけなのかな!?」
横に立つ戸賀は相変わらず、桃華の元に向かおうとする記者の男を文字通り、足止めしている。
『私はここで全力を使い果たしてライブを成功させます! 私を全力で誘拐し、全力で守ってくれた人の為にっ!』
男子生徒たちに押し返されながらも、それでもマイクを向けて来る報道関係者に、今度は桃華の方から燃えるように煌きまた、美しく輝く赤い瞳を向ける。
「な、……そんな、アイドルとしての今の地位を失ってもいいのか!?」
怜宮司が首を横に振りながら、頭を抱える。
『――そして最後に、私をここまで活躍させてくれた、スタッフの皆さんへ、感謝を込めて』
「……スタッフ」
どこか桃華が俯いているのを、怜宮司は目を見開いて見る。
「おいおい。そんな簡単にぺらぺら言っちゃって良いものなのかよ?」
「あれが桃華ちゃんの伝えたい言葉なんだよ!」
「何が言いたい……」
予定外の騒動の中でも、わくわくしている桜庭に対し、戸賀がはあ、と訊き返す。
桜庭はそれに少しむっとしつつも、声を張り上げて。
「だ、だから。桃華ちゃんはもう立派な大人だって事だよ!」
「お前年上だろ」
「い、一歳だけ! そしてお前って失礼! あたしは桜庭莉緒!」
一指し指を立てた桜庭が安堵の表情を浮かべ、周囲を見渡す。観客たちは、これまで以上に、異常なほどの盛り上がりを見せ始めていた。
「引っ込んでろ! 桃華ちゃんのライブを邪魔するな!」
大勢の人の思惑が重なり合い、一種の混沌とした様相を、見せ始めている。
帳率いる1-A男子と観客たちとが、報道関係者たちを挟み撃ちにしていた。
「――入場概要は、よく読もうな」
「――お前たちのようなのがいるから、世の中退屈になる」
ステージの横、体育館の隅から、拘束魔法の光が飛んでくる。乱気流の雲のように突如発生したその雲は、ステージ前に群がっていた報道関係者たちをたちまち飲み込んでいた。
発動したのは、ヴィザリウス魔法学園の二人の教師、林政俊と森田真平だった。お互い、阿吽の呼吸で次々と報道関係者たちの腕に白く光る魔法の紐を通し、カメラやマイクをその場で落とさせていく。
二人の教師の活躍に、たちまち体育館内で歓声が上がる。
「なんだ、お前、見に来たのかよ?」
「お前こそ、このクラスの担当の教師のくせに、職員室にいたんじゃないのかよ?」
林と森田は口論をしながら、片手間に報道関係者たちを捕まえ、次々と外へ追い出していく。
マイクを握り締め、桃華は嬉しそうに頷いている。
『次が! 私のラストの曲よっ! 私の全身全霊を見届けなさいっ!』
「「「おおーッ!」」」
もはやノリで押し切る様相を見せているが、生徒や観客たちはお構いなしに増々盛り上がっていく。
「桃華……。僕は、間違っているのか……? 君の、幸せは……」
怜宮司はゆっくりと眼鏡を取る。
「桜庭さんと言ったか? 落ち着いて、私の今から言う事を、聞いてほしんだ」
「はい?」
首を傾げる桜庭を見つめ、怜宮司が話し出す。
――その様子を、戸賀によって抑えられている眼鏡の男性が、じっと見つめていた。




