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文化祭二日目。天気こそは曇り空だが、ヴィザリウス魔法学園の熱気は最高潮に高まっていた。一般公開という事で、お客さんたちが大勢来ているのだ。昨日とは比べ物にならないくらい、大きなイベント会場のような光景に、腰を抜かしそうになる。
「見ろよ天瀬。すっげー人だな……」
「中学生とか、いくらなんでも多すぎないか?」
志藤と誠次が体育館の前で腕を組み、無数に行き交う人を眺めている。
「薺総理の演説で、全校の魔法学園化があったじゃん」
志藤が指を立てて言う。
「ああ」
「それで魔法学園がどんなものか、見に来ている人が多いんだと。言っちまえば、この学園なんてプロトタイプだからな。原点はどんなもんか、見に来てるって感じ」
「なるほど。でもこの人数がそのまま学園に入学するとなると、来年ヤバいかもな。ざっと千人は超えてるだろう……」
あまりの人数の多さに、誠次は少し恐ろしいものまで感じていた。
「安心感はあるんだろうな。まだ日本には二つしかない魔法学園で、しかもアルゲイルは事件があったし」
志藤が冷静に指摘する。確かに志藤の言う通り、日本にある魔法学園の元祖という事で、人気があるのだろう。
「最近は゛捕食者゛も出たって話聞かないし、平和な感じだよなー」
「確かに。そう言えば、薺総理が演説を始めた頃あたりからか……」
「ちょっと天瀬と志藤もちゃんと働いてってー! マジヤバいから!」
「「悪い悪い」」
よっこいしょ、と背中を預けていた壁から離れ、誠次と志藤はお客さんの誘導に向かう。
「やあ天瀬くん!」
「?」
お客さんを誘導していたところ、自分の名を呼ぶ男の声がし、誠次はそちらを向いてみる。
「誰ですか?」
体育館の連絡通路に立っていたのは、長身だが黒髪がもじゃもじゃ生えた、いわゆるアフロヘアーにちょび髭サングラスと、怪しい風貌をした男だった。それゆえ、そばには一人の女性しかいない。
「おはよう。同じ場で会うのは久しぶりだな誠次」
その傍にいる女性こそ、長袖セーター姿の波沢茜だった。
という事は、まさかと誠次は男を見てみる。
「やっぱ茜の言っていた変装は効果ありだね。おはよう天瀬くん。僕は影塚広だよ」
アフロのカツラを被った影塚が、にっこりと微笑む。
「お前はこうでもしていないと目立って仕方がないからな」
茜も自分の作戦が成功したようで、どこか誇らしそうに腕を組み、えへんと言っていた。
「い、いや、これはっ、逆にっ……」
そう。逆に奇抜過ぎて目立ってしまっている。謎のアフロ男と美女の組み合わせを、周囲は奇妙なモノを見る目を向け、距離を空けている。
「よくやる気になりましたね……」
誠次は影塚に目を向け言う。
「うーん。でも、アフロも悪くないと思うよ。なんかこう、アメリカンな感じで!」
影塚は自分の身体を見つめ、明るい口調で言ってくる。
「まんざらでもないんですか!?」
この人も天然が入っている気がある。誠次がツッコむが、どうやらそこまで気にはしていないようだった。
「俺は、この人に憧れて……っ」
「先日は第五が世話になった。あの班はなんと言うか、特殊魔法治安維持組織の中でもかなり特殊な人員が集まっている。彼らも仕事と思ってやっていたんだ、どうか許してほしい」
「ああ、気にしていません。こうしてここで桃華のライブが開催できているんですし。お二人も良ければ見て言ってください。もう少しで午前の部です」
茜の言葉に、顔を抑えていた誠次は首を横に振ってから答えた。
「ありがとう天瀬くん。一度敵対した人を許せるなんて、立派だよ」
「出来ればその姿で言ってほしくはなかったんですけど……」
誠次が苦笑する。
そこへ、志藤がやって来た。
「お客さんか天瀬?」
「ああ。――っと」
危うく特殊魔法治安維持組織の人だという事を言ってしまいそうになり、誠次は咄嗟に口を噤んだ。
いや、そもそも志藤の父親は特殊魔法治安維持組織の情報処理を担当している人なのだから、この二人の事も良く知っているかもしれないが。
「君の顔……どこかで……」
サングラスを掛けたアフロな影塚が、志藤の顔をじっくりと見て、何やら呟いていた。
「一階の席はもう埋まっちゃってますから、二階にどうぞ!」
「はい」
志藤の案内の元、影塚と茜は歩いていく。
奇抜な変装ではあるが、アイドル並みの人気を誇る影塚の正体は周囲の人にはバレていない。やはりどこか楽し気な茜の作戦は、一応上手くいったのだろう。
(楽しそうだな、茜さん……)
青い髪を靡かせた横顔を眺め、誠次は微笑んでいた。今日の午後を一緒に過ごす予定の人からも、そのような笑顔が見たいなと思いながら。
――そして、体育館まで歩いていく誠次と志藤たちの後ろのお客さんたちの列に、どこかで見覚えのある白髪の少年がいることにも、誠次はまた気づかなかった。
「呑気過ぎて馬鹿みてぇだな……」
ホログラムパンフレットをしげしげと眺めながら、帽子を被った私服姿の戸賀彰は呟く。周りの連中は老若男女。若い世代がそれなりの割合こそ占めているが、通り過ぎる顔はみな朗らかで、楽しげだ。
「夜はびーびー怯えて家の中に篭るクセに、本当、明るくなると元気になるよな。本能のままに生きる動物かよ――はむ」
周囲の人を嘲笑うようにして、戸賀は屋台で買ったアメリカンドックをもぐもぐと食べる。
「ん……ん!?」
半分ほどアメリカンドックを食べた所だった。
何かが、アメリカンドックの中から勢いよく飛び出したのだ。動体視力は良い方だと言う確固たる自覚があるので、間違えるはずがない。
「な、なんだ!?」
青白い身体をした(おそらく使い魔の)舌を出した小さな犬が、こちらを嘲笑うようにへらへらとコミカルな顔をして、目の前に浮いている。例えるならば、まるでアメコミに出てくるようなキャラクターだ。
「――あっ、君出たんだね!? それは当たりなんだよ!?」
戸惑う戸賀の元に、黒髪の少女が現れる。
今時の女子高生にしては珍しい大人しめの黒髪ショートのその女子は、片手に同じくアメリカンドッグの棒を持っていた。
「美味いけど確かカロリー高いよな、アメリカンドックって」
「なっ!? 中々し、失礼だね君!」
むすっと童顔な顔立ちで怒る魔法学園の生徒。
スポーツでもやっているのだろうか、それでも少女の腰回りはしなやかに細く、しかし痩せすぎていると言うわけでもない。むしろ胸元は大きいぐらいだ。
「あたしは食べたんだけど、出なかったんだー。屋台の人いわく、当たりは10%ほどなんだよ」
「へー。俺、超運良いな」
戸賀はにやりと微笑んでいた。
しかも目の前に現れたこの女子、よく見ると唇の横に赤いケチャップの後を残しており、それに気付いていない。天然なのか間抜けなのか。
「それでそれで。その犬は屋台の人いわく、゛アメリカン゛゛ドック゛だからアメリカンな漫画に出て来る犬、なんだって! ダジャレだよねー!?」
少女が指を突き立て、得意げに言う。そして、そこでケチャップのあとに気づいたのか「えへへ……」と少し恥ずかしそうに微笑んで小指でふき取っていた。
戸賀は「はあ……」と返事を返す。なんだこの屈託のない笑顔は……こっちまで笑えて来てしまう。
「逃げちゃうから、捕まえないと! 捕まえて持って来たらもう一本なんだよ!?」
「興味ねー」
「そうかなー? 楽しいと思うのに。あっ、こうちゃんたちにも――」
話の途中から、戸賀は踵を返していた。
アメリカンドックの件はどうでもいいのだが、あの犬のような使い魔に馬鹿にされたまま、どこかに行かれてしまうのはなんだか腹が立つ。
「どうせ魔法はアイツに監視されている限り、使えないしな……」
戸賀は忌々し気に呟く。ある程度の自由と引き換えに、自分の監視役となった特殊魔法治安維持組織の男の、眼鏡姿が脳裏に浮かぶ。
「上等じゃねーか。魔法でちんたらやるよりは、身体を動かす方が倍ぐらい好きだ」
こちらに向けてケタケタ笑いながらお尻をぺんぺんと叩くアメリカンなドックに啖呵をきり、戸賀は追い掛け始める。
使い魔は人込みをするりするりと避け、とある棟の中へ逃げた。
「待ちやがれ!」
戸賀は俊敏に追い掛ける。子供の頃の、極寒の中での地獄のような゛強制訓練゛を経験した身からすれば、人の肩にぶつかろうが突き飛ばして見せる。
「わっ!」
「きゃあ!」
「悪りぃが、邪魔なんだよ!」
目の前で立ち止まっていた、自分と同じような灰色の髪をした年下の少女でさえ、戸賀がお構いなしに突き飛ばそうとしたその時であった。
戸賀の接近に気づいた少女の怯える顔の前に、何かが割って入る。
「――貴公! 危ないだろう! 走るなッ!」
突如、視界に丸太のような何かが飛び込んで来たため、戸賀は中庭の砂埃を上げての急停止を余儀なくされる。
「のわ!?」
「威勢が良いのは結構だが、ほどほどにな」
そして、目の前に立ち塞がる巨大な男に、戸賀は思わず絶句する。なぜならその男、ホリの深い顔立ちにご立派なカイゼル髭。なにより目を引くのはその鍛え抜かれた屈強な身体つきと、そこに纏う【祭】と大きな文字が書かれた青いハッピだ。
ざっくりまとめて言うと、色々とアンバランスである。
本能がこの男は色々な意味でヤバい、と警笛を鳴らす中、丸太のような何かが男の腕だったものとも理解する。やはり色々とおかしいが。
「まったく。吾輩の待つ保健室への来客は歓迎するが、怪我人を意図的に増やす真似は感心せんぞ」
「保健室って……アンタ養護教諭かよ! おえっ」
先ほど食ったアメリカンドックが戻りそうになり、戸賀は慌てて口元を抑えた。
「……フム。この間と同じような反応をされているな。まさか吾輩、そんなに保険の先生に向いていないのかッ!?」
ハッピを着たマッチョ男が驚愕の表情を見せている中、先ほど戸賀が吹き飛ばしそうになったまだ小学生ほどの女の子が、マッチョ男のわき腹をつんつんとつつき、
「ううん。先生はみんなを癒してくれるアイドルだよ! 桃華さんみたいにね!」
恥ずかしそうにだが、保険医を励ますようにして言っていた。
「ま、真由佳クン……ッ! ワッ、吾輩は感極まったぞッ!」
感極まる先生に、しかし真由佳と呼ばれた灰色の髪の女の子は、まだ無垢なその心で次の一言を言ってしまう。
「だっておじいちゃんのお友達だもん! おじいちゃん優しいし、゛おじいちゃんと同い年みたいな゛先生も優しいもん!」
「「同い年、みたい……」」
虚しい秋風が、そこを吹き抜けていた。純粋無垢な子供と言うのは、時に残酷なものである。
「ジーザスッ!」
再起不能なダメージを負ったようで、ハッピを着たマッチョな保険医はその場に崩れ落ちていた。
戸賀は、何だか哀れなモノを見るような目で両者を見て、
「嬢ちゃん……。先公……。なんか……色々と悪かった……」
ただただ謝罪するしかなかった。と言うより、周りの人がこのわんわんと泣き崩れるハッピを着たマッチョ保険医と、それを「どうして泣いてるの?」とよしよしと慰める小学生女子の構図を、円を作って見ている。当然、その視線の先には戸賀も集中しているのであって。
「く、くそっ。見事に目立ってやがる……」
こんな羽目になるなら、下手に゛羊男゛の誘いに乗るのではなかったと、今更の後悔をしたのもつかの間、ほっほっほと笑い声を上げて近づくご老人が一人。
「そこの君、真由佳に何か手出しをしようとしたのかな?」
「え、なんだと――!?」
ダンディな声に反応し、なにを勘違いしたのかと怒鳴ろうと振り向いた戸賀であったが。
――コイツ……強い。
経験が戸賀を刺激する。白髪交じりの髪をした老人だが、背筋はしゅっと伸びており、細い目から覗く光は殺気のように鋭い。本当にこの真由佳と呼ばれた娘になにかがあったら、自分の身がどうなるかはわからない。そう思わせるような異様な気迫を、目の前の老人からは感じていた。老人と呼ぶには少し、若々しい見た目だが。
このご老体、一体何者なのだろうか。
「い、いや、なんでも、ねぇよ……」
戸賀も、大人しくならざるを得ない。
「そうか。ならいいんだ。さあ行こうか真由佳。ダニエル君、真由佳を見ていてくれて、ありがとうね」
途端、朗らかな笑顔を見せる男性に、
「うん! またねーダニエル先生!」
手を引かれ、無邪気に手を振って行く明るい笑顔を見せていく真由佳。
「おじいちゃん! わたし、お化け屋敷行きたい!」
「おやおや。でも、お化けも魔法の力でかなり怖くなっているようだよ?」
「わたしお化け怖くないもん! それに、魔法を使っておじいちゃんを守るんだから! 絶対!」
残されたのは、蹲っているダニエルと呼ばれた保険医と、自分だった。相変わらず周囲の好奇の目はこちらに向けられている。
「えーっと……悪かったから、俺もう行くわ」
「待ってくれ少年! やはりこのハッピが問題なのだろうかッ!? やはりふんどしにすべきだったのか!?」
「いやそういう問題じゃねーぞ!?」
なんなんだこの学園は。先ほどから濃い面子しかいないぞ。
棟に逃げ込んだアメリカンなドックを追い掛けながらふと、俺は一体何をしているんだとも思い出す戸賀。が、やはりあのアメリカンなドックに馬鹿にされたままと言うのが妙に腹立たしい。
「野郎! どこ行きやがった!?」
装飾された棟の中を走りながら、戸賀は呟く。
「――あら偶然、小野寺くんも見てたのね」
「百合先生ですか? この劇、面白かったですよね!」
とある教室の中から、女の声での会話が聞こえる。そして、アメリカンなドックもその声がした教室へと、まるで惹かれるように、ドアをすり抜けて突入して行った。看板には、視聴覚室と書いてあった。
「待ちやがれ!」
戸賀もアメリカンなドックを追い、その教室に突入する。
「あら」
中にいた゛二人の女性゛に、戸賀は視線を奪われる。
一人の大人びた声音の大学生らしき女性は、金髪碧眼の美人な女性だった。身体のスタイルは日本人離れしており、思わず二度見してしまう。
「うわっ」
もう一人の少女は、戸賀を見て怯えたように自分の身体を抱き締めていた。なぜか男子の制服を着ており、文化祭のよくあるノリと言うやつで、無理やり着させられているのだろうか。
「っち、なんだここは?]
「廊下は走っちゃ駄目よ? ここは演劇部の出し物の劇がやっていたところよ。次の公演、貴方も見てみる?」
初対面相手に、随分と遠慮のない女性。
奥の方では、仕切りのカーテンの先から、今まさに着替え終わった生徒たちが笑いあいながら出て来たところだ。
「一人で見るには、少し気まずいかもしれませんけど」
「大阪にいる妹さんと一緒に見ればよかったじゃない」
金髪の女性が微笑みながら少女に言うと、少女は困惑した表情を浮かべる。
「そ、それは、先生こそ、アルゲイル魔法学園にいる弟さんと一緒に見ればどうですか?」
「私ったら。弟が可愛いすぎて手繋いじゃうかも」
困ったわ、と百合は頬を赤く染め口元に手を添えて言う。
「き、危険な匂いがします……」
小野寺が苦笑していた。
二人の会話の中、アルゲイル魔法学園の名が出るとは思ってもいなかった戸賀は、心の中でほくそ笑んでいた。
(あそこに弟と妹がいるたぁ、下手に巻き込まれなくて良かったなぁ……)
「あら、あなたを置いてけぼりね」
女性がこちらをじっと見つめて来る。どこかで見たことがあるような、綺麗な青色の瞳だ。
「な、なんだよ……」
見つめられ、妙にドキドキとしてしまい、居心地が悪い。
「うんうん。あなたにこの後の劇はピッタリかも。王子様とお姫様の物語だから」
「王子か……。お前、見る目あるぜ?」
市民どもをひれ伏せさせる王子。別に悪くないじゃないかと、戸賀は思わず口角を上げそうになったが、
「――でも、無理やり結婚を迫ったお姫様を、自分の身に危険が及ぶにも関わらず勇敢な執事に奪われちゃう哀れな王子様の物語よ?」
「どう考えてもその設定こんな祭りごとで駄目だよな!? 妙に具体的だし!」
なんだか妙に腹が立ち、戸賀は大声でツッコむ。
「゛磯のわかめの片思いね゛。ただ相手を思うだけでは、その相手はなにもわかってくれないわよ。相手の事も知ろうとしなくちゃ駄目よ」
女性が細長い指を立てて得意げに言うが、
「それを言うなら百合先生……。゛磯のあわびの片思い゛です……。この人に失礼ですよ百合先生……」
女子生徒が百合と言われた女性教師のことわざを訂正していた。日本人の先生なのに、それで大丈夫なのだろうか。
いや、それ以上に今は、
「いや待て! なんで俺がその王子前提で話が進んでるんだ!?」
戸賀は胸を抑え、まるでぐはと吐血するように、天を仰いでいた。
そして、結局戸賀はしばし、小野寺真の事を女子生徒として記憶することになる。




