8
時刻は正午を少しすぎたあたり。一通りの出し物を終えた1-Aの会場である第二体育館では、午後の部へ向けた清掃作業が行われていた。クラスメイトたちが魔法で座席を浮かし、その下を風属性の緑色の魔法が駆け抜け、ライブで出たごみを纏めて体育館端へ攫って行く。
「お疲れ夕島。小野寺君。休憩時間入っちゃっていいよ」
「わかった。ありがとう」
「はい。せっかくですし、一緒に見て回りませんか? 夕島さん」
休憩時間となっていく二人の男子生徒を見送り、臨時で現場監督となっている篠上は周囲を見渡す。副会長の呼び出しで不在している香月の代わりだ。
「うーん……。まだ桃華ちゃん帰ってきてないみたいだけど、本番前の調整は大丈夫なのかな?」
いい意味でプロ意識の高い彼女の性格は、この一週間だけでもよくわかっていた。それだけに、帰って来るのが遅いのが心配なのだ。クラスメイトたちからの証言では、誠次が学園の出し物を案内している、と言っていたが。
「綾奈ちゃん。受付の交代はスムーズにすみました。時間通りです」
受付を担当していた千尋がやって来て、篠上に告げる。
「ありがと千尋」
「何やら図書棟の方が騒がしいみたいです。来るお客さんがそのことを話していて。二学年生さんの出し物の衣装をお借りして、次の休憩時間一緒に見に行きませんか?」
千尋は金髪を触りながら、外の方を見渡していた。
「図書棟?」
篠上は体育館入り口から、ドーム型が特徴的な建物の屋根を探してみる。しかし、位置的にちょうど、学園の談話室を担当しているカフェのマスター柳敏也が育てている桜の木と桃の木が並んでおり、見ることが出来ない。
「はい。私、さっきお嬢様のようなドレスを着た人を見まして、私も着てみたいです!」
「あんたがそれ言うか……」
篠上はくすりと微笑む。
「もう……。みなさん私の事を誤解しすぎです……」
などと千尋と会話をしていると、体育館入り口を通っていく三人組の男子の会話が、耳に入って来た。
「聞いたー? 図書棟の話」
「なにそれ?」
「俺聞いたわ。なんか一部の気に喰わない奴らが、兵頭に駆け込んだらしいぜ? 俺としてはマジでどうでもいい話だけど」
「そりゃあお前、彼女持ちだもんなー?」
「うるせ」
やがて遠ざかっていく三人組の男子たちの背中を見つめ、篠上は赤いポニーテールを左右へ揺らす。
「き、気になるっ!」
「綾奈ちゃん? でも、まずはお仕事頑張りませんと……」
「わ、分かってるけど……あーもう!」
にっちもさっちもいかず、篠上は午後へ向けた準備の指揮を執り始めていた。
イメージ通りと言ってはなんだが、炎属性の攻撃魔法を放ってくる兵頭。赤い魔法式から飛び出たその火炎の奔流は、容赦なく誠次たち目掛け、襲い掛かってくる。
「!?」
誠次は床を蹴り、すぐにその場から逃れる。誠次がいたところには兵頭が放った炎が走り、ちりちりと火の粉が舞っていた。
「伸也同級生! 誠次少年に無属性魔法は効かない! 属性魔法で仕留めるぞ!」
「OK!」
兵頭と伸也は続いて雷属性の攻撃魔法を唱える。しかも今度の狙いは誠次ではない、桜庭と桃華の方だ。
「!?」
反対方向に逃げていく二人と、それに向けて魔法式を作る兵頭と伸也を交互に見て、誠次が慌てる。
しかし兵頭も伸也も標的を見誤っているつもりはないようだ。
誠次は走っていた身体を押し、床に手をつき、急に方向を転換する。左手のひらに摩擦を感じながらも、誠次は敵となった兵頭と伸也目掛けて走る。
途端、迸る雷撃の波動。誠次は二人が発動した《ライトニング》をレヴァテインで受け止めていた。
「ぐああああああっ!?」
誠次の身体に青白い電撃が走る。足の先から頭の芯の中まで、全身が鋭利な針で貫かれたような痛みに、誠次は悲鳴を上げる。
「誠次さん!?」
電撃が収まり、白い煙を身体中から放ってその場に崩れ落ちる誠次の元へ、振り向いた桃華が駆け寄る。
「……? レヴァテインは電撃を通さない性質でもあるのか?」
「気絶するレベルのはずだけどな」
「こんなの勝ち目がありません!」
桃華が誠次を抱えながら、誠次の目の前に立つ兵頭に向け叫ぶ。一歩遅れて、桜庭もそこへ合流して来た。
「皆が望んだからだ。だから俺は、皆の声を反映し、誠次少年を潰す」
兵頭は冷酷な無表情で、再び右手を前に突き出す。そこから浮かんだのは、赤い炎属性魔法式だ。
「下がれ桃華! 兵頭先輩は、本気だ!」
いまだ煙を身体から上げながらも、誠次が立ち上がり、桃華の前に立つ。黒い瞳は、もはや兵頭と伸也を敵と見なし、ぎらついた光を放っていた。
「……ちょっと怖くね? 兵頭」
「ああいい目だ。鬼のようだよ」
「いやそう言う意味じゃなくて……」
苦笑する伸也の横で、兵頭は右手をゆっくりと魔法式の向こうで動かしながら、微笑む。
誠次の真横を火炎が通過する。巻き起こった炎の風に、誠次の茶色の髪が微かに揺れた。
「次は直撃させる」
「俺が、黙ってやられるとでも……」
「ないな。だからこそ、俺は本気で戦い、君を燃やし尽くす。燃え尽きて、灰になるまでな」
「おっかねぇぜ兵頭!」
肩を竦める伸也の横で、兵頭が再び《フェルド》の構築を開始する。目標へ向け致命傷に成り得る威力の火炎を放つ、危険な攻撃魔法だ。
迫り来る火炎の奔流を、誠次はレヴァテインを振り下ろし、真っ二つに両断する。自分の斜め後ろ二方向に分かれて燃える炎属性魔法の熱を背に感じる。
「君に汎用魔法は効かないという事で、直接身体を浮かしたり、幻影魔法で惑わせたりは出来ない。本当に面白い身体だ」
兵頭は瞳を閉じてうんと頷く。
そして次には、大胆不敵な表情でもって、晴れやかな表情を見せつけてくる。
「……が、君にとって不幸だったのは、俺はその二種類の魔法のみが苦手だったという事だっ!」
そして気づいたのだが、兵頭と伸也はここまで一歩も動いてはいない。兵頭に至っては風格と風貌も相まって、強敵、以上の何かおぞましいモノを誠次は感じていた。完全にこちらは分析されている気分だ。
完全に後手に回ってしまっている誠次は、歯を噛み締める。
「このままでは君の負けは確実だ誠次少年。出し惜しみをしている余裕があるのか? さあ、見せてくれないか?」
「付加魔法に関しても、予測済みと言う事ですか……?」
口で荒い呼吸をしながら、誠次は顔を上げる。
しかし他に方法はない。誠次はレヴァテインを横に向け、桃華の前に突き出す。
後ろから桜庭がじっと見守る中、桃華はうんと頷いてから、緑色の魔法式をレヴァテインに添えるように生み出す。
「先輩の言う事に素直に従う後輩は可愛いぜ、あまっち?」
伸也がスラックスのポケットに手を突っ込み、口笛を吹くように言う。
「そうしてへらへらしてられるのも、今のうちだ……! 桃華、俺に魔法を貸してくれ!」
レヴァテインに、緑色の魔法元素が纏わり付き、光が次々と増大していく。発生する風に、誠次と桃華の髪が靡く。
この力を解放した以上、勝機はこちらに回るはずだ。
しかし、目に見えるほどの圧倒的な魔法元素の量を前にしても、二人の三学年生は大して動じない。図体の大きい方は、顕著だ。
「三分だ伸也同級生。そこを耐えれば俺たちに勝機がある」
「了解。て言っても、こりゃあ……」
立ちはだかる兵頭と伸也は軽くコンタクトを取ると、互いに防御魔法の魔法式を起動する。
「付加魔法! 魔法が生まれて三〇年経った今、その魔法の実用性が捨てられて久しい!」
笑顔すら飛び出そうな嬉々とした表情で兵頭は、大声を出す。
誠次のレヴァテインが、桃華のエンチャントを注ぎ込まれ、その形を変えていく。
煌々と、それでいて激しく弾ける緑の光の中、二階の人々のざわめきがハッキリと聞こえた。
「さぁ……見せつけなさい、セイジ……!」
高圧的な態度の桃華が顔を真っ赤にしながら付加魔法を構築する中、誠次は緑色に変化した自身の目を二階へ向ける。
「これが俺の戦い方だ! 魔法が使えないこの俺の! 付加魔法を使う事により、このレヴァテインに眠る力を解き放つ!」
「!? そ、そんな都合の良い話があってたまるか!」
誰かの絶叫が聞こえる。
誠次は右手に握るレヴァテインを高々と掲げる。刀身は巨大化し、横幅に大きく大剣のような形となる。その光を浴びながら、桃華が力を使い果たしたかのように倒れ込む。その小さな背を、慌てて駆け寄って来た桜庭が支える。
「見ろ! これがかつてスルトが振るったとされる魔剣が転生した真の姿だ! この力を扱える自信があると言うのなら、一階に降りて戦い、俺から奪ってみせろ!」
喉に血管が浮き出るほどの大声で叫んだ誠次の言葉に、二階からの反応はない。
「天瀬! 正面!」
桜庭の声に反応した誠次は、真正面方向を睨む。
伸也がニヤリと笑いながら、こちらに向けて攻撃魔法の魔法式を組み立てている。
「そこを動くなっ!」
右肩を掠める! 狙い定めた誠次は、レヴァテインを振り切る。緑色の刃から発生した光の刃は、伸也目掛けて突き進む。
「はっ――? 剣で遠距離攻撃!? 聞いてねぇっ!」
伸也は咄嗟に身体を翻す。
「――っブねぇっ!」
誠次の放った魔法の刃は、果たして伸也がかわしたのか、伸也をかわしたのか。怯える伸也の後方、図書棟の二階を支える柱へ激突していた。なにもここは戦闘用に作られた施設である演習場ではなく、木工の壁だ。刃は柱を深く斬り抉り、二階の人々に悲鳴を上げさせていた。
「な、なにをしたんだ!?」
「剣から、魔法!?」
「あの傷見ろよ……高位攻撃魔法並みだぞ!?」
二階の観客たちが、次々と逃げていく。今の今まで自分たちのところにまで攻撃はいかないと思っていたのであろう、その身の危険を感じ、逃げ出しているのだ。
卑怯なやつめ、と心の中で感じながらも、誠次は目の前の敵から目を離すことが出来なかった。
「見事だ誠次少年。さあ、本気で戦おう!」
「望むところです!」
「お前らっ!」
互いに身構えた二人の間に、空中から現れた割って入って来る。どうやら、宙に浮いている本棚を足場にしていたようだ。
「《ウェルミス》!」
幻影魔法の名を唱えた伸也の手元から、たちまち身体を覆う白い霧が発生する。
「視界が……!」
誠次が左手で顔を覆う。
伸也が白い霧を裂きながら、誠次の真後ろに出現したのは、すぐの事であった。
「!? 後ろ!?」
「落ち着けあまっち。もうアイツらにも思い知らせたはずだ」
伸也は驚く誠次の右腕をぎゅっと掴みながら、二階部の方を見渡していた。《ウェルミス》の白い霧で見えないはずだが、伸也にはその先の光景が見えるのだろうか? いずれにせよ視界を遮られ、誠次は伸也の接近を許していた。魔法を発動でもされていたら、こちらが一方的にやられていただろう。
それでも誠次は意地を張り、叫び声をあげる。
「本気で戦うと言って来たのは向こうの方だ……!」
「アイツがマジで本気出したら、お前なんてもう消し炭になっちまってるところだろうよ」
「え……」
こちらを宥める伸也の言葉。
その、すぐに想像できてしまった光景に、誠次はごくりと息を呑んだ。
「よくやったあまっち。後は、俺が安らかに逝かしてやるよ」
「なに言って……。なにをっ!? うわっ!」
目元で何かの魔法式が展開され、誠次は悲鳴を上げていた。
やがて霧が晴れる。猛烈な熱風と灼熱の火炎が、白い霧を蒸散させたのだ。それらがすべて、前生徒会長の発動した魔法によるものだという事は、この図書棟に残っている者全員が分かっていることだろう。
「――俺の勝ちだ、誠次少年」
勝者は、戦闘開始から一歩も動いていなかった兵頭賢吾だった。
対していた誠次は、右手にレヴァテインを握ったまま、うつ伏せで、黒焦げとなって倒れていた。レヴァテインに纏っていた緑色の光が、霧と共に消滅していく。
もはや髪と服は熱で溶け、今の今まで生きていたかも分からないほどの凄惨たる姿に、誠次憎しの声を上げていた者たちも息を呑んでいた。
「みんなやったぞ! 俺がみんなの意思を反映した!」
兵頭がガッツポーズを頭上で掲げ、勝利を宣言する。
「や、やりすぎだ……お、俺は知らない!」
「お、俺もだ! 俺も知らないぞ!?」
「責任の擦り付け合いほど見苦しいものはない。知らない、ではすまないぞ! 君たちが憎んでいた人間を俺は倒したんだ!」
「で、でもいくらなんでもやりすぎだ! 治癒魔法でも治療できるかどうか……」
容赦なく後輩を焼き尽くした兵頭に、恐怖の声が広がる。
「誠次さん!? そんなっ」
黒焦げになった誠次の元へ、桃華が泣きながら駆け寄って来る。そして身体を小刻みに震わせ、涙を流し始めていた。
その桃華の姿に、言葉を失う二階の人々。
「やりすぎだろ、兵頭……。こりゃあさすがにもう……」
伸也も片手で頭を抱えていた。
「おかしいな。じゃあ知らないと言うのなら、誠次少年の事をとやかく言う筋合いもないんじゃないか?」
兵頭はきょとんとした表情で、二階の人々を見渡す。
「もう、なにもかも手遅れだろ……こんなの……」
「そうだな、今から先生を呼ぼう。今回の一件は俺のせいにして、みんなはなにも無かった事に出来なくもないぞ」
「兵頭……お前、マジなのか?」
兵頭は得意げに、ああと頷く。
「? 言っただろう? 本気だと。さあ、もうこんな惨い焼死体の事は忘れて、みんな゛文化祭を楽しむんだ゛!」
「「「……」」」
無理難題を押し付けられ、しかしどうすることも出来ず、二階の生徒たちは一人、また一人と席を立っていく。やがて桃華のすすり泣く声のみが、薄暗い図書棟に残っていた。
「う、うわああああんっ。誠次さんが、誠次さんがっ!」
もはやボロボロになった人形のようになっている誠次を抱きかかえ、桃華はわんわんと泣き続ける。
「……さすがの演技力だ」
誠次の声が聞こえる。
それは、黒焦げになっている人物からではなく、桃華の後ろからだ。
「っ。い、嫌味のつもり!? こっちは本気だったんだから!」
涙を切らし、桃華は振り向く。
桜庭に支えられながら、無傷の誠次が微笑んで立っていた。
「上手くいったな」
演技を終えた伸也も、ニヤリと微笑みながら軽く息をつく。
「それにしても兵頭、酷すぎるぜー? あんなんじゃアイツら、文化祭楽しめねーよ」
「確かに、彼らにとっては後味が悪すぎる結果になったけど、当然の報いだ」
兵頭はようやく歩き出し、焼かれた人間の元へしゃがみこむ。
「千里同級生。見事な形成魔法だった! 相変わらず君にゲテ物を作らせると間違いないな!」
『その私がゲテ物好きみたいな物言いはやめてくれませんか、兵頭』
二階より、桐野のアナウンサーのような声が響く。それと同時に、誠次とみんなが誤解していた焼け焦げは、綺麗にレヴァテインだけを残して魔法元素の粒子となり、虚空へと消えていく。
「桐野先輩まで協力してくれていたんですね」
「学園内で君を追い回したはずの生徒も全員、協力者だ。君たちに危害を加えないよう、充分注意は払わせた」
「でも、最初の《ライトニング》は俺に直撃しましたけど……」
「あれはあまっちの方から突っ込んで来たんだろ。俺らはギリギリで外す気でいたのに、マジで焦ったわ」
……確かに自分から突っ込んでいた気がする。
「我ながらその後と誠次少年の即興劇の演技はあっぱれじゃなかったか!?」
豪快に笑う兵頭は光を失ったレヴァテインを拾い上げると、それをしげしげと眺める。
「が、本当に不思議な剣だ。俺の魔法の炎や伸也同級生の雷に対して無傷だったのもあるけど、なにより握っているだけで何かを成し遂げられそうな勇気と、無限の可能性を感じる」
兵頭は唯一本物であったレヴァテインを逆手に持つと、柄を誠次に向けて来る。
文化祭らしいといえばらしいか。リハーサルのない即興劇に、どうやら自分は演者として参加させられていたようだ。誠次は強張った表情のまま、それを受け取る。
「本当に本気で戦ってみたいな誠次少年。いつか、行おう!」
「いややめとけって! 冗談抜きで死者が出る、死者が!」
意気揚々とする兵頭を、伸也が慌てて止めに入っていた。
黒焦げとなっている図書棟の床。まるで黒い墨汁を盛大にぶちまけたかのように、黒い飛沫が広がっているようだ。兵頭の言葉通りににするとしても、負傷どころではすまない結果が目に見える。
兵頭の魔力を目の当たりにした誠次は、身体が竦みあがりそうになってしまっているのを実感していた。
「桃華、大丈夫か?」
誠次は自分の足元にへたりと座っている桃華に手を差し伸ばす。
「ええ……。久しぶりで、身体の力が抜けちゃっただけ」
桃華は「ありがとう」と誠次の手を取り、立ち上がる。
「桃華ちゃん、午後は休もっか……」
桜庭が心配そうに声を掛けるが、桃華は首を横に振っていた。
「大丈夫。それにこれで休んだってなったら、それこそさっきの連中の思うつぼじゃない? そんなの絶対やだ」
「……でもエンチャントって、身体中の魔素をほとんど持って行くって……」
胸元に手を添えている桜庭を見て、桃華が何かに気づいたようで、笑い出す。
「何か勘違いしているみたいだけど桜庭さん、そう怖いモノじゃないのよ? 大切な人の為に力を貸せて、なんだか幸せな気持ちになれるし」
「う、うん……。桃華ちゃん年下なのに……」
「何か焦ってるみたいだけど桜庭。俺は桜庭が傍にいてくれるだけでも、何かをやり切る原動力になってる」
「天瀬……」
「あのー、お取込み中悪いけど……」
何やら二階から降りて来た、桐野と同じクラスの男子生徒が、髪をかきながら誠次たちの元へやって来る。
「図書棟の床の黒焦げ。そして斬られた柱。これやばいよ……?」
兵頭の魔法によって燃やされた図書棟の床。そして誠次の斬撃によって斬られた図書棟の柱。それらを見渡しながら、眼鏡を掛けた真面目そうな男子先輩が言ってくる。
「確かにそうだな。よし伸也同級生に誠次少年! 三人で直すぞッ!」
「「はっ!?」」
兵頭の言葉に、伸也と誠次が揃って慌てる。
「待て兵頭! 俺午後から美香と一緒に文化祭見て回る予定があるんだけど!?」
『また彼女が変わっています。感心しませんね』
桐野がアナウンスで伸也を追い詰める。にやと、微笑していることだろう。
伸也は焦った顔のまま、声のする二階を睨んでいた。
「余計な事言うな桐野ーっ!」
「あの、俺の事の証明の為とは言え俺全体的に巻き込まれた身だと思うんですけど!?」
誠次が反論するが、兵頭がむんずと顔を掴んでくる。
「男を見せないとなッ! なに、魔法を使えばすぐに終わる!」
「俺魔法使えませんけど!?」
「そこは気合いでカバーだ!」
「精神論ですか!? それで出来たら苦労してません!」
しかし、兵頭の腕力は人間離れしているのではないかと思うほど強く、瞬く間に誠次は引きずられていく。
「あっ、もうすぐ午後の部の時間だよ桃華ちゃん!」
「準備の時間も含めると、もうヤバいじゃん!」
桜庭と桃華が顔を見合わせ、違う意味で焦り出している。
「じゃあ誠次さん! 私たち行くから!」
「え、お、俺は!?」
「あー……こう言ったら本当に悪いけど……。桃華ちゃんのライブの時、天瀬魔法使えないから、いてもいなくてもそんなに変わらないと言うか……本当に悪いけど……」
「なん……だと……ッ!?」
愕然とする誠次。
「わ、悪気はないよ! 天瀬がいない分、あたしたちがしっかり盛り上げるから、安心して!」
心底残念そうな表情をして、桜庭が苦笑いしてくる。
「決まりだな伸也同級生! 誠次少年! さあ直すぞ! こうも滅茶苦茶にしてしまった以上、今日は徹夜だな!」
「俺は決まってねーし美香にどう説明すればいいんだよ!?」
伸也は身振り大きくなおも抵抗していたが、兵頭により同じく腕をむんずと引っ張られ、引きずられていく。
「こんなはずじゃ……。俺はただ、なんか文化祭で面白い事やってる雰囲気出せば女の子から気になって来ると思ってただけなのに……」
「貴方の理由も大概ですね!? 彼女いるんでしょう!?」
顔を覆う伸也に、兵頭の脇の下から頭を出す誠次がツッコんでいた。
そして、文化祭当日にも関わらず図書棟の修復作業を始める三人の男子の背を、桃華と桜庭が笑みを堪えながらが見送っていた。
「申し訳ありませんでした太刀野さん。桜庭さん」
桐野が二階から降りて来て、迷路を形成していた本棚を宙に浮かしている。
「桜庭さんも来たことは、私たちにとっても想定外でした。まあ、天瀬くんが心配だったんですよね」
「ご、ごめんなさい……」
「? どうして謝るんです? 弁論会の時も貴女は、天瀬くんの為に一緒にいたんですよね。それが悪いことなんて、一つもないと思います」
恨みつらみを言い合いながら、図書棟の修復作業を始めた三人組を眺めて、桐野は言う。誠次と伸也の言葉は兵頭の豪快な声にかき消され、やはり誠次が魔法を使えず地道な作業。泣き顔の伸也と共に兵頭に命令され、きびきび動いている。
「誤解しないで聞いてほしいのですけど悪い意味じゃなくて、です。私たち女の子の前で、ただ何かをしたがる。そんな可愛いところもあるんですよ。天瀬くんは、それを重く受け止めすぎているきらいがありますね」
「……」
「だからこそ、私たちのような女の子が近くにいるだけでいいと、そうは思いませんか? 貴女も肩の力を抜いてみてください」
「は、はい……」
すうと、桜庭は目を瞑って深呼吸をしてみる。
そう言うわけではない……と、桐野はどこか呆気に取られそうになりながらも、指摘するのは野暮な事だと感じ、口を結んでいた。桐野は続いて、図書棟の中を見渡す。
「しかし図書棟がこれでは、私たちの出し物も今日の午後は中止ですね。だからみんなで、お詫びと言ってはなんですが、1-Aのお手伝いをしたいと思います」
桐野の言葉に反応した彼女のクラスメイトたちが、一斉に歓声を上げた。どうやら、みんな桃華のライブを見たいようだ。
「あ、じゃあ時間本当にヤバいかも……」
桜庭が一歩前へ歩き、せかせかと散らばった本を拾い集めている誠次に向けて声を出した。
「本当にごめんね天瀬! 行ってくるね!」
「あ、ああ! そっちは任せた!」
両手に本を抱えながら、慌てる誠次が返事をする。
「口を動かすな! 手を動かせ誠次少年!」
「今のくらい勘弁してくれませんか!?」
「あーやっぱ桜庭ちゃんも健気で可愛いわ。やっぱ俺貰って良い?」
「そういうの興味ないって言ってましたよね貴方!?」
「そうだから、あまっちが諦めればいいんだよ桜庭ちゃんの事」
「そうしないためにも俺は半日頑張って戦ったんですよね!? 俺が今ここでこんなことをやっている理由は!? 初めての文化祭で男三人でこんなうす暗いところに閉じ込められるのは嫌だーっ!」
「これもまたいいものだ! いい汗流すぞ、誠次少年!」
そんなやり取りに、桜庭はあははといつもの苦笑いをしていた。そして、胸元に手を添え、ぼそりと呟く。
「恩返し、絶対するから、待っててせ……天瀬……」




