7 ☆
「一番難しい難易度、ですか。今日の午前の段階では、誰もクリアできていません」
『構わない。頼む』
「……はい」
この人の強引なところにも、随分と慣れてしまっている。照明を限界まで落とした図書棟の二階で、自分の手先を見つめながら、桐野千里は慎重に周囲のクラスメイトたちに指示を出す。
「天瀬くんは弁論会で私たちを手伝ってくれた優秀な後輩です。こんなことをする必要が……」
『誠次少年の勇気と力を、信じよう』
「……」
押し黙った桐野は二階部の、観客席となっている場所を見る。そこには誠次を許すまいと集まっている、男子生徒の集団がある。二〇名程度と、その数が多いのか少ないのか、恋愛感情に疎い桐野にはよく分からなかった。
『そう言えばもう君の事を副会長と呼べなくなったな桐野同級生! なんて呼び名がいい?』
桐野は紫色の目を、微かに動かす。
「……千里、でいいです」
『分かった。じゃあ、千里同級生だな!』
「いえ、同級生は付けな……。……もうそれでいいです」
ため息を抑え、また苦笑を堪え、桐野は応答する。
『もう数か月で卒業になってしまうけど、それまでこれからもよろしくな。千里同級生』
「少し悲しそうですね」
『最高の母校だからな。思い出が詰まっている。だからこそ、生徒の願いは反映しなくてはいけない』
「私も、アメリカの大学に進学するのが少し寂しいです……」
『それはめでたいことだ。今度、みんなで祝おう』
巨大迷路となっている一階部の中央にて佇む相手の言葉の終わり、たちまち周囲で歓声が上がる。どうやら、一階の方で動きがあったようだ。
襲い掛かって来たのは、狼を模した二頭の使い魔だ。狼独特の、獲物を威圧するような鋭い眼光は忠実に再現されている。誠次と桃華と桜庭はそれぞれ壁の端に避け、狼の噛みつき攻撃を避ける。
「白い霧で、よく見えない……!」
誠次は呻く。立ち込めた白い霧が、狼の俊敏な動きを隠している。仮に魔法が使えたとしても、これで香月ほどの構築スピードと正確さがなければ、魔術師など魔法の組み立てどころではなく、一方的にやられるだけだろう。
おまけにここは一本道の、右も左もどこへ向かうか分からない迷路の中だ。
「きゃあっ!」
悲鳴を上げる桃華の方に、狼が唾液をまき散らしながら、じりじりと迫っている。
「犬っ。犬怖いっ!」
リリック会館での雄姿はどこへやら、桃華は狼を前に完全に怖がってしまっている。
「犬じゃない! 狼だ!」
「今その間違いそんなに重要じゃないでしょ!? それに、どっちにしたって嫌いなの! 追いかけまわされたことあるし、髪舐めたり噛んだりしてくるし!」
……きっと一週間前の事ではないだろう……。
「こっちだよ!」
誠次の横に回っていた桜庭が声を張り上げる。すると、狼は二頭とも誠次の横の桜庭の方を向いた。その鋭い眼光に、桜庭のみならず、誠次も思わず臆してしまいそうになる。
しかし、このままではやられる。
「よし。良いぞ桜庭!」
誠次はレヴァテインを振るい、使い魔の狼を頭から縦に斬り裂く。斬られた狼は、魔法元素の光を散らしながら、その場で霧に溶けるかのように消滅していく。
「桜庭は桃華を頼む!」
「うん! 桃華ちゃんこっち!」
桜庭は完全にへたりこんでしまっている桃華に手を差し伸ばす。
「……うん」
桃華は桜庭の手を取り、立ち上がる。
まだ一頭は健在であり、誠次が相手をしていたが、相手はすばしっこい。
「走るぞ!」
誠次は右手に握ったレヴァテインを狼に向けたまま、背後に回った二人に叫び、戦闘から逃げて走り出す。白霧で見え辛い前方。そして、こちらをしつこく狙う獣の気配を後方から感じるのは、重々承知だ。
「兵頭先輩は中心地にいるはずだ。つまり、内側を目指していけば!」
「じゃあここは左だね!」
目の前のT字路の分かれ道で、桜庭は選択する。しかし、そこも行き止まりであった。
「そ、そう簡単には行かしてくれないみたいだね!」
「そうみたいだな」
「きゃあっ!? い、犬が来たっ!」
桃華が桜庭を盾にするように、慌てている。引き返そうとした三人の元へ、先ほどの狼が追いついていたのだ。
「桃華ちゃん!? あれ狼だって!」
「それがますます怖いわよ! 逆になんで桜庭さんは冷静なの!?」
「だって――」
「俺がいるからな!」
すぐに振り向いた誠次は真っ向から狼に立ち向かい、通り抜きざまに、胴を断つ。狼は断末魔の悲鳴を上げ、やはり粒子となって消えて行く。
「アオオニに比べれば、余裕だな」
女子二人の前で華麗に敵を倒せ、思わずどや顔をしてしまいそうになった誠次の背後で、新たな獣の鳴き声が轟く。
「またつまらぬものを斬ってしま――」
「ま、また生まれてる! しかもさっきより多いよ!」
「もう嫌あっ! 狼がっ! いぬが来てるっ!」
「数の暴力!? ダンジョン関係なく卑怯すぎないか!?」
きりがない、と誠次は桜庭と泣きわめく桃華を連れて走り出す。
「「「ハア、ハア……っ」」」
迷路は始まって序盤だが、走り回っているのはここに来るまでずっとだ。三人とも汗を流し、息が上がっている。しかも桃華はライブ上がりの身である。汗だくだくでステージから降りて来た桃華の様子からして、さすがに疲れが溜まらない理由がない。
「ここも行き止まりか!? もう進む道がないぞ!?」
四方を高い壁で囲われた袋小路に行き当たり、誠次は焦る。今さら引き返そうとも、モンスターの群れは迫り来ている。複数相手に有利な魔法ならともかく、一対一を重視する剣では明らかに不利だ。
「ちょっと待って。ここなにか文字が書いてある!」
行き止まりかと思われていた後ろ向きの本棚の壁を見つめ、桜庭が言う。見れば、確かに青白い文字が木製の本棚に刻まれているように、浮かび上がっていた。
「魔法文字を正しく並び替えろ……だって!」
「っ!? 俺じゃ出来ない!」
魔法が扱えない誠次には、魔法文字を念力のように動かす真似も出来はしなかった。
どうやら、壁に書かれた魔法式に魔法文字を正しく打ち込むことで、壁を動かす汎用魔法が起動する仕組みのようだ。
「魔術師用の仕掛けか! 桜庭頼む! 読み解いて道を作ってくれ! 使い魔は俺が食い止める!」
もはや「相手は子犬……私は猫派……」と暗示をかけるようにぶつぶつと言い始め、がくがくぶるぶると震えている今の桃華の状態では、魔法を扱うなんてとても無理だろう。
桜庭はごくりと息を呑み込んで、
「わ、わかった。後ろは頼むよ天瀬!」
「任せろ!」
思いついたように誠次が切れ味鋭いレヴァテインの刃ををちらりと向ければ、桜庭は魔法式と向き合う。両手を伸ばし、壁に広げ巨大なキャンパスに絵を描くように魔法文字を動かし始める。
結構複雑な術式なのだろうか、それとも緊張と焦りが半端ではないのか、桜庭は「う……っ」と呻きながらも、
「本当、背中は任せたんだからね!」
「任された。何一つとして、桜庭の元にはいかせない!」
レヴァテインを構える誠次の元へ、まずは剣を持ったゴブリンとも呼ぶべきモンスターのグループが襲い掛かって来る。
「こちらから行かせてもらう!」
白霧を纏いながらレヴァテインをその場で軽く振り払い、誠次は突撃する。少しでも桜庭と桃華との距離を離す為だ。
「ゴブ!」
ゴブリンたちはシミターと呼ばれる、歯の曲がった小さな剣を片手に、誠次に襲い掛かる。
「纏めて消えろ!」
誠次は臆することなく飛び掛かり、ゴブリンを纏めて横一線に切り伏せる。胴体を鋭く斬られたゴブリンは、悲鳴を上げて消えて行く。
魔法元素が綺麗な事が、せめてもの情けか。粒子となったゴブリンの奥から、狼たちが迫り来る。
「通すか!」
誠次はすぐに体勢を整えると、こちらを素通りしようとする狼を次々と斬っていく。頭上を飛び来ようとするモノがいれば、レヴァテインを掲げ、叩き落す。姿勢低く横を通ろうとするモノには、誠次も高さを合わせて身体を屈め、回転切りを繰り出す。
その後も、誠次は迫り来るモンスターの群れと善戦していた。
「ハァハァ! 桜庭まだか!?」
「もうちょい!」
「頼むぞ!」
なおも迫り来る狼の腹部を蹴り上げ、宙に浮いた身体を横に斬りはらう。
「出来た!」
背中の方で、桜庭が声を出す。そして、床が揺れるほどの衝撃とともに、行き止まりの壁が巨大な自動ドアのように埃を巻き上げ、左右へ動き出す。
「よし!」
ようやく進路を確保でき、誠次は振り向く。
「「きゃあっ!?」」
「桜庭、桃華!?」
待ち構えていたのは、こちらの身長を大きく超える巨大な使い魔だった。五体がある人型の使い魔で、青白い光の身体には図書館にあった無数の本が纏わりついている。さしずめ、ゴーレムといったところか。
「本を身体に取り込んでいるのか!?」
しかし、動き自体は遅そうだ。
誠次は軽く息を吸うと、
「走り抜けるぞ!」
誠次がゴーレムの股下を走り抜ける。
ゴーレムは誠次の速すぎる動きに、ついていけてはいないようだ。
「二人とも!?」
そしてすぐに振り向き、桜庭と桃華の様子を見る。
「あっ、あれってさっきの元生徒会長でしょ!?」
ハッとなった桃華が、走りながら誠次の後ろの方を指さしている。
先ほどから首を何度動かしているだろうか、誠次は進行方向を見てみる。桃華の言う通り、腕を組んで仁王立ちをしている兵頭が待ち構える小部屋が、もう見えていた。
兵頭はこの図書棟で最初に会った場所と仁王立ちの姿勢を変えず、こちらを待ち構えているようだった。
(もう、ゴールなのか?)
苦労こそしたがいささか表紙抜けなく、誠次がそう感じた途端、こちらと兵頭が待つ部屋とを繋げる通路が、左右からせり出してきた壁によって閉ざされようとしている。
「閉じる!? 走れ!」
「痛っ!」
急ごうとした誠次の背後で、桜庭の悲鳴が響く。誠次が立ち止まってそちらを見ると、桜庭がゴーレムの右手によって、包まれるように捕まってしまっていた。
「桜庭!?」
「桜庭さんがわ、私を庇って!」
こちらからやや遅れて立ち止まっている桃華の言う通り、桃華を先に行かせた結果、自分がゴーレムに鷲掴みされてしまったのだろう。
「誠次少年! 君だけでもゴールすれば、見事ダンジョンはクリアだぞ!」
背後からは、兵頭がそんな事を言ってくる。
誠次は迷う間もなく、すぐに首を横に振った。
「俺一人でゴールしても、意味がありません!」
「そっか。なら頑張ってくれ」
背中の方の兵頭は満足気な声を出していた。そして、閉じる壁と壁の先にその姿を消していく。
(見捨てられるわけないだろ!)
振り向いた誠次は身体を完全にゴーレムの方に向ける。背後から感じる振動は、本棚の門が完全に閉じたことを意味しているのだろう。
「桜庭! 今助ける!」
「私が援護する! 犬じゃないだけ平気よ!」
「あ、天瀬っ。桃華ちゃん!?」
横に並んだ桃華が攻撃魔法の魔法式を組み立て、誠次は走り出す。
ゴーレムは顔を形成している本と本の間から見える青い目で誠次をじっと見下ろすと、左足を持ち上げ、踏みつけようとしてくる。
「来い!」
誠次が声を張り上げ、ゴーレムの攻撃を誘発させる。
目論み通り、ゴーレムは桜庭を握ったまま、左足でこちらを踏みつけに来る。
衝撃を以って振り下ろされたゴーレムの左足の先に到達し、試しに一回斬りつける。当のゴーレムの方は硬く、付加魔法がされていないレヴァテインでは、本を斬る事すら出来ない。
「っく」
本と本の間にある、僅かな隙間。そこ狙うしかないと咄嗟に判断するが、相手は動く使い魔だ。
「天瀬! こいつ凄い動き方してる!」
桜庭の言葉に反応する。
ゴーレムは関節を無視するように、胴体を百八十度回転させ、後方に回り込んでいたはずの誠次を視界に捉えた。人で言う体幹は魔法で形成されているために、出切る事なのだろう。
「くっそっ!?」
そして容赦なく、振り下ろされる左手の拳。誠次はどうにかそれをかわすと、咄嗟にゴーレムの太い左手、本の上に乗る。
揺れる腕の上で、誠次はどうにか本を左手で掴み、吹き飛ばされないようにしていた。
「大人しくしろ!」
本と本の間に微かに見える青い身体を見つけ、レヴァテインを突き入れる。接合部を失くしたかのか、消滅した左腕から、ずるずると本が落ちていく。
さらにゴーレムの身体を登ろうとしたところで、不意にゴーレムが右手に握っていた桜庭を空に放り投げた。
「やべ!? 制御ミスった!」
「何やってんだよお前!?」
どこからか声が聞こえるが、構えず誠次は投げとばされた桜庭を凝視していた。
「桜庭ーっ!」
「無茶しすぎ!」
叫んだ誠次はゴーレムの左肩から飛び跳ね、宙に舞った桜庭の元まで向かう。
その背後から、桃華が風属性の汎用魔法で桜庭の身体を支えている。
誠次は桜庭を片手で抱き留めると、一旦本棚の壁を蹴って衝撃を和らげ、しかし着地は体勢を崩し、二人してひっくり返るように転げ落ちていた。
「ぐはっ」
「きゃっ」
「痛っ! ぶ、無事か桜庭……?」
尻から床に落ちた誠次と、続く形で誠次の腹の上に落ちてきた桜庭。
「だ、大丈夫天瀬!? すぐ降りる!」
「問題、ない……。゛柔らかかった゛、し……」
「? あたしは平気……ありがとう、二人とも……」
一方で、ゴーレムは誠次と桜庭と桃華を逃さないと、上半身を大きく仰け反らせ始める。すると、口と思わしき部位から、大量の本を濁流のごとく吐き出してきた。
「いい加減にしろっての!」
桃華が咄嗟に防御魔法を発動し、迫り来る大量の本を防いでいた。
桃華の魔法の前に、山積みになった本の数々。尾てい骨を押さえながらも誠次はすぐに立ち上がり、そこを駆けあがっていた。
「沈めっ!」
誠次が勢いをつけて振りかぶったレヴァテインをゴーレムの頭部に突き入れる。
ゴーレムはきりきりと鼓膜の奥につんと響くような悲鳴を上げながら、しかし最後の抵抗とばかりに残された右手で、顔面に纏わり付いた誠次を潰そうと平手打ちの手を作る。
「天瀬!? 危ない!」
「限界まで引き付ける――このっ!」
巨大な手が松明の火の光を隠し、こちらを覆いかぶさるほどの影になるまで。限界まで手を引き付けた誠次はゴーレムの顔面を蹴り付け、反動をつけてその場を離脱する。
それによりゴーレムは自分の頭を叩きつけ、自滅する形でその巨大な身体を崩していった。
「「やった!」」
待っていた桜庭と桃華が喜ぶ。
英知の結晶である本の山が辺り一面に出来上がり、ゴーレムは完全に消滅していく。誠次は崩れ落ちる本に飲み込まれそうになりながらも、二人に向け左手を伸ばしていた。
「天瀬!」
桜庭が急いで駆け寄り、本の山の中から誠次を引っ張り出す。ぱらぱらと山から本が崩れ落ちていく中、誠次は片目を瞑りながらも、そこから這い出ることが出来た。
「ありがとう天瀬……。あたしの事、放っておけば先に行けたはずだよね……?」
「やめてくれ。俺がそんな事しないの、分かってるだろ……?」
誠次は照れ臭く、頬をぽりぽりとかいていた。
「それに、桃華の名前で思い出したんだ。弁論会の前、二人でショッピングモールに出かけた時、桜庭は俺の後にちゃんとついて来てくれていた……。それを思い出してさ」
「天瀬……」
「私の名前が聞こえたのとお取込み中悪いけど、来てるわよ!」
桃華の勇んだ声が、甘い雰囲気が漂っていた二人の意識を現実に戻す。現実と言ってもいささか信じられない、ここはダンジョン迷路だが。
後方よりさらに使い魔の群れがやって来る。狼にゴブリン。スケルトンになんでもござれだ。
「げっ!? また犬!」
「走るぞ二人とも!」
「「うん!」」
誠次と桜庭と桃華は本の山を越え、急いで先を目指して行った。使い魔たちの追撃を退け、゛ご丁寧にも゛【せーふてぃーぞ~ん】とひらがなで書かれた小部屋を発見した誠次と桃華は、そこでひとまずの休憩をしていた。
「この安全地帯、信用していいのよね……」
「う、うん……きっと……」
「疲れた……っ」
季節的に冬が近づいているにも関わらず、部屋に飛び込んだ途端、三人して膝に手をついて激しく呼吸をする。汗も頭の先から無数に滴っていた。
「天瀬、桃華ちゃん見て。飲み物が置いてあるよ」
「飲んでいいの?」
「さすがにそこまで、意地悪じゃないだろ、ここの先輩も」
四方と天井を壁で囲まれた完全な小部屋だが、それなりに安心感はあった。置かれた机の上には、小休憩用の飲み物などが、置かれていた。
誠次と桜庭と桃華は遠慮なく、久方ぶりの水分を頂戴する。身体も気分的にも、マラソンを走っているようである。
「三個ドアがあるな……。これからどうするか」
誠次が腕を組み、じっと考える。
「まだ続くっぽいの?」
「私はまだまだいけるわよ。さすがにさっきの犬みたいなのは勘弁だけど」
「やなのは絶対ゴーレムでしょ……」
「犬よ、犬……」
桜庭と桃華が言い合っている。
「なんだかんだ、二人とも楽しんでるよな」
「天瀬に言われたくないよ! ところどころどや顔してたし!」「誠次さんが一番楽しんでるじゃない! つまらぬものを斬ってしまった……、って何よ!?」
「別にいいだろ!? しかもその台詞結局言えなかったし!」
「「言う気満々かっ!」」
二人からすぐに反論されてしまっていた。どうやら、楽しんでいるように見えていたそうなので、三人とも何だかんだこの゛アトラクション゛を楽しんでしまっているのかもしれない。
重たいレヴァテインを振り回すスタミナも、敵と戦う集中力も、使い果たしている気分だ。桜庭はぐったりと、誠次は休むために図書館に元々置いてあった椅子に座る姿を、桃華がじっと見つめていた。
「ねえ、ずっと訊きたかったんだけど」
桃華が満を持したように、誠次に問いかけてくる。
「ん?」
「どうして、リリック会館の時に私の事を助けてくれたの?」
「今更だな」
「この間はドタバタしてたし。結局聞きそびれていて。今ので、気になったの」
誠次はあごの汗をはらいながら、答える。
「ああ……。桃華が俺たちを助けてくれたんだ。俺のミスで、俺の友達が危険な目に合いそうになって……」
誠次はすぐに答える。桜庭は聞き耳を立てて、二人の会話を聞いているようだ。
「あの時は私も正直、ドキドキしてたわ。そして、初めてあの時実感した。魔法で人の命を救えたこと……」
紙コップを両手で持ち、椅子に座る桃華は、そのふちを指先でなぞっていた。
「悪い気はしなかっただろう?」
「そうね。魔法を使って人に感謝されるのは、その、純粋に、嬉しい……」
桃華は微笑みながら言っていた。
「二人ともなんて言うか、お上品すぎ……」
黒髪から汗をつたわせながら、桜庭が感心するように二人を交互に見る。
「でも、あたしもそうなりたいな。魔法を使って人を助ける、か……。今は天瀬を助けないとね」
桜庭は誠次を見上げ、何やら得意げに言って来た。
「頼りにしてる、桜庭」
誠次は桜庭に向けて、頷いていた。
「えっ!? う、うん。今は、助けてもらってばっかなんだけどね――」
誠次たちは会話をしながら、しばしの休憩を小部屋で過ごしていたところであった。突然、三方向あった道のうち、誠次の真正面の小さな本棚と本棚が、左右に分かれ始めた。
「!?」
誠次と向かい合っていたため、後ろ方面だった女子二人が驚き、椅子から立ち上がる。
「二人とも俺の後ろに!」
誠次も背中のレヴァテインを抜刀し、身構える。やはりなにかトラップがあったかと、暗闇の先からのモンスターの来襲に備えたが、聞こえて来たのは足音だった。
「やあ、天瀬くんっ」
「お疲れー?」
「!?」
暗闇の中から現れたのは、二人の女子生徒だった。
「う、うわ……」
「な、なんて恰好……」
その二人の女子生徒の姿を見た桜庭と桃華が顔を真っ赤にし、誠次の背中をぎゅっと掴む。薄い生地のドレスに、透けて見えるのは布面積の小さな水着。暗闇から現れた官能的すぎる女子生徒二人の姿を見た誠次もまた、違う意味で顔を真っ赤にしていた。
「な、なんですかその恰好は!?」
「ごめんねびっくりさせて。私は三年生の小笠原美香。こっちは同じクラスの楓ちゃん」
ひらひらとドレスを舞わせながら、三学年生の先輩女子二人はにこやかに自己紹介してくる。
「ど、どうも」
「「天瀬!?」」
左手で髪をかきながらぺこぺこと挨拶を返した誠次を、桜庭と桃華が背中をぽんぽんと叩く。
「せ、先輩に挨拶するのは、と、当然だと言っただろ?」
「鼻の下伸ばしながら言うもんじゃないでしょ!?」
誠次が正論を振りかざそうとするが、すぐさま桜庭に論破される。
「何の用ですか?」
敵意剝き出しの声と表情で、桃華が腕を組んで二人の女子先輩に聞く。
なるほど、と誠次は桃華を横目で見て思った。二人の先輩とも背丈高く、身体つきも大人っぽく色気がある。三歳差、と言うものでは言い訳できない何かを、桃華は感じてしまったのだろう。
「いやぁね。ここは゛せーふてぃーぞ~ん゛だからね。お疲れの天瀬くんに癒しをあげようかなって」
「そうそう。隣の個室でね……」
蠱惑的に微笑みながら二人の先輩は、手先をそっとドレスの腰元に添えつまみ、くいと持ち上げてみせて来る。その、あまりに大胆な行動は、誠次には刺激が強すぎてしまった。
桃華も桃華で、水着姿の下半身を露出した二人の先輩の前に、うっと言葉に詰まりかけるが、
「ふ、ふん。お言葉ですが゛先輩゛。廃墟の中で私の下着姿を見ながら一夜を何事もなく明けた゛私の誠次さん´はそんな色仕掛けには――」
「是非」
「こらぁーっ!」
思わず答えてしまった誠次に、桃華ががちな強さの肘鉄を食らわしてくる。
「ぐはっ!? ――はッ!? なにを誘惑に負けているんだ俺は!」
「今ので目覚めたの!?」
打たれた腹を抑え、脂汗を流した誠次の後ろから桜庭がツッコむ。
「誠次さんやっぱり……背の高くて大人なスタイルの女性がいいんだ……っ」
桃華が顔を拭う仕草を見せるが、ここから見えるのは嘘泣きだ。しかし、演者として舞台に立つ経験もあるのか、かなり上手い。
「あ、あはは。でもでも、天瀬くんも興味あるでしょ?」
「ねえ、来てぇ?」
先輩の二人が手を差し伸ばしてくるが、誠次は首を横に振っていた。
「天瀬……」「誠次さん……」
その姿を見た桜庭と、嘘泣きをやめた桃華が、嬉しそうに誠次を見つめるが、
「悪いですけど俺、魔法使いになると言う夢があるので、行けません」
「「「「……?」」」」
桜庭と桃華を含めて困惑する四人の女子の前でも、誠次は得意げな表情だ。
「え、なに? 魔法使いになるから行けない?」
「どういう事? 今から勉強でもするの?」
二人の先輩が顔を見合わせている。
「誠次さんは何を言い出しているの桜庭さん? 私の一撃が強烈すぎたのかしら……?」
「い、いやあれお腹だったし……。でも、確か四人同時告白の時も同じようなこと言ってた気が……」
「女性の前では、さすがに言い辛いですけど……」
誠次はどうしたものかと悩まし気に呟く。
八ノ夜には得意げに説明した記憶があるが、およそ一〇年間一緒に生活していた以上、彼女には変な意味で女性扱いのようにはなっていない。
「でも俺は諦めていないんです!」
「「「「……」」」」
拳をぎゅっと握り締めている誠次を、四人の女子がじっと見る。
「あれは中学の頃でした」
「なに言い出してるの天瀬くん……?」
「八ノ夜理事長から、初めてインターネットの使用許可を与えられた夏の暑い七月の誕生日の日の事です」
「あの……私たちの格好刺激強すぎちゃった?」
「俺は真っ先にネット検索機能を使い、魔法使いになるには? と調べました」
「ねえ。やっぱり私の肘鉄が強烈すぎちゃったのかな……?」
「そしたら、検索欄トップにその方法があったんです!」
「あ、天瀬こういう所時々ありますので、皆さんお気になさらずに……」
桜庭がわちゃわちゃとする中、得意げに語る誠次を前に、逆に二人の先輩が引いていた。
「魔法使いになる為に、俺は貫き通すと決めたんです!」
握った拳を高々と持ち上げる誠次に、
「う、うん。何をとは敢えて訊かないから、頑張って……」
「な、なんか本当ごめんね。わ、わたしたち帰るね!」
焦った表情の二人の先輩は、入って来た通路から外へ向かう。
「ち、ちなみにこのイベントは今回限定だったんだよ?」
「もし私たちと一緒に来てたら即失格だから。よ、よかったね! 三人とも!」
「まあでも。天瀬くんだったら本当にサービスしちゃおうかなー、って思ってたり」
「美香あんた、彼氏いるのに浮気ー?」
などと言いながら、先輩たちは去って行った。
「……結果オーライ?」
「お、オーライ……」
唖然とする桃華と苦笑する桜庭が顔を見合わせている。
「もしかして、魔法が使えないことを哀れに思われてしまったのだろうか……?」
レヴァテインはとっくのとうに仕舞い、自分の右手を見つめる誠次に「そうじゃないと思うよ……」と桜庭が冷静にツッコんでいた。
ダンジョンはまだ続く。先輩方が仕掛けるトラップは、熾烈を極めていた。
「スライムだと!? ぬちゃぬちゃして気持ち悪い!」「く、蜘蛛の巣だ! 下がれ桜庭! 桃華!」
先導する゛誠次が゛空から降って来たスライムに包み込まれたり、桜庭と桃華を庇った゛誠次が゛蜘蛛の巣のトラップに手足を束縛されたり。そのたびにどこからともかく男子たちの落胆する声が聞こえたのは、果たして気のせいだろうか?
「ぎゃーっ!?」
「あ、天瀬!?」
「大丈夫!?」
誠次が次々とトラップの餌食になる様を、桜庭と桃華は少し下がったところからじっと見ていた。
もはやただの嫌がらせにしか思えないタライが頭に落ちてきたことにより、頭にたんこぶを作った誠次は、またしても魔法文字で解除する壁を見つめる。
「さ、桜庭、と、桃華……。頼む……」
「う、うん……」
「え、ええ……」
モンスターとの戦闘も行い続け、三名の中で誠次だけが被害甚大の状態だった。
「解除完了!」
「開くわよ」
桜庭と桃華もここまでくると、すっかり慣れた様子だった。
「位置的に、この先が中心のはずだ。そこに、兵頭先輩が待っている」
そのはずだと確信に近い何かが、誠次の中にはあった。
果たして、上空に浮かんだ壁の先、兵頭は相変わらず制服姿で腕を組み、仁王立ちをして待っていた。おそらく、ずっとその姿勢のままだったのだろう。
「兵頭先輩」
桜庭と桃華が険しい表情で横に並んで立つ中、誠次は一足前に出て、声をかける。
「見事だ、誠次少年。二人の女子を見捨てずに、たどり着くとは」
「わざわざそんなことせずとも、俺がどうするか、貴方は分かっていたはずです」
一定の距離を保ったまま、誠次は兵頭を睨む。
「その通りだな。誠次少年はあそこで女性を見捨てるような後輩でないことは、すでに分かっていた」
「随分と大掛かりな仕掛けですね」
桃華が誠次の横に立ち並び、兵頭を見据える。
「ここまで辿り着きました。もう俺たちのクリアですよね?」
「いや、まだだ誠次少年。君が倒すべき相手が、目の前にいるはずだ!」
喜々と表情を見せる兵頭はそう言うと、組んでいた腕を離し、こちらと対峙する構えを見せる。それが合図だったのか、地下ダンジョンを覆っていた白い霧が薄まっていく。どうやらこの霧も、誰かが魔法で操っていたようだ。
「兵頭、先輩!?」
「君に対する苦情が多くてな。複数の女子を我が物顔で独占し、手にかけているとな。元生徒会長としては、学園の風紀を乱す者は見過ごせない」
「そんな……。俺とレヴァテインの事は知っているはずです。貴方なら、分かってくれると信じていたのに!」
「勝手に俺に期待した君のミスだ。誠次少年」
兵頭の言葉に、上空から歓声が響き渡る。この場に誠次の味方は、後ろの二人を除いてはいないと思えるほどの、兵頭コールだ。おおよそ男子からの声が、多い。
「よって俺はここに、学園を代表して誠次少年。君と本気の勝負を申し込む」
兵頭の言葉に、賛同する大勢の声が重なる。それだけでは足りない、と言った声もあったが。昔本で見たことがある古代ローマのコロッセウムを、ふと思い出していた。そこで戦っていた剣闘士たちと違うのは、すぐ後ろに守るべきものがあると言う点だ。
「そんな、一方的すぎる!」
桃華が叫ぶ。
「誰が誰と一緒にいようと勝手じゃないですか!? 弁論会で天瀬を利用しておいて、いくらなんでも……っ!」
桜庭も周囲に声をかけるが、ここに揃っている男子生徒たちは、心底誠次の事が気に喰わないようで、聞く耳を持たない。
「俺は波沢少女のように優しくはないぞ。本気と言った以上、遠慮なく君を無力化する事だけを考える」
「――まー待て待て兵頭」
身構える兵頭の後ろから、兵頭と同じく赤い線の入った制服を着た男子生徒が一人、現れる。体育館を出た所で出会っていた三学年生、夕島伸也だ。
いつもの軽薄さは身を潜め、その表情は真剣そのものだ。
伸也は、周囲に聞こえるような大声で、こう言いだした。
「聞いた話、兵頭は天瀬誠次を弁論会に誘ったほどの仲らしい。そんな奴が本気の勝負と言っても、絶対どこかで情けをかけるはずだぜ? なぁみんな!?」
最初からこちらが敗北することが分かっているような、伸也の物言いだった。こちらを見下ろす二階の男子生徒たちは、伸也の言葉に揃って頷く。
「そこでこの勝負、俺も加えさせてもらう。いいよな兵頭? もちろん、お前の味方でな」
「伸也先輩……!?」
「共闘か伸也同級生。久しぶりだが、いいだろう!」
伸也は兵頭の横に立つと、右手を誠次に向けていた。
「これで公平だ! よってこの勝負、誠次少年が勝った場合は、誠次少年の自由を認めてほしい! それでいいなみんな!」
兵頭の演説のような言葉に、異論を唱える者はいない。さきほどからこの会場は、もはや兵頭の独壇場でもあった。
「公平、ねぇ。まあ悪く思うなよ天瀬誠次? お前は少し、羽目を外しすぎたんだ」
腕を伸ばす伸也から感じる、魔力の高まり。
「わかり……ました。期待には応えます」
息を大きく吸った後、誠次は言い放ち、レヴァテインを構えていた。後ろの二人からは、もはや嘆きともとれるため息のような息遣いが、聞こえた。しかし、ようやくここまで来たのだ。今更、戻るわけにも引き下がるわけにもいかない。
「おっと、向こうもやる気を出してくれたみたいだ。いくぜ兵頭? 油断すんなよ」
「ああ、伸也同級生こそな! 久しぶりに共闘できて俺はわくわくしているぞ!」




