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「本当に申し訳ありません……。私の思い付きの浅はかな提案で、こんなことになってしまうなんて……」
来客用に用意された、ヴィザリウス魔法学園の職員室の隣の応接室にて。ソファから立ち上がった陣内彩夏が、林政俊と八ノ夜美里に、深く頭を下げていた。
「こちらが話を聞く限り、予測できなかったことです。陣内さんに非はありません。私たちが貴女を責めることは、出来ませんよ」
サファイア色の瞳で彩夏をじっと見たのち、八ノ夜はそう言って微笑むが、すぐに険しい表情へと戻る。
「問題はこちらだな」
「俺はもう少し理性的な考えに従う生徒だと思ってましたよ。こんな事をするとは」
「アイツを犯罪を進んでやるようなやつに育てた気はない」
「はは。でしょうよ」
茶化すように笑った林の視線の先には、テレビの朝のニュース番組の映像がある。どのチャンネルも揃って、魔法世界のアイドルが未成年の男に誘拐されたと言う報道で埋め尽くされている。
しかし八ノ夜も林も、なぜ天瀬誠次がこのような行動をとったのか、いまいち理解に苦しんでいた。
「怜宮司飛鳥。当然、報いは受けてもらうぞ」
八ノ夜はそう言って、その場を後にしようとする。
「? 理事長、どうするんですか?」
ソファに座ったままの林が腕を組みながら、背中の方へ視線を向ける。
「我が校の生徒の問題だ。理事長である私が直々にケリを付けに行く。いずれにせよこのままでは、天瀬は特殊魔法治安維持組織と警察に追い詰められる。――ダニエル先生は?」
「言われた通り話はしましたが、相手は特殊魔法治安維持組織ですよ。内容こそ内容ですが、そう簡単にいくわけではないと思いますが」
林の慎重な言葉は、おそらく先日に後輩の特殊魔法治安維持組織と話を交わしたからであろう。
八ノ夜はそう思いながらも、すぐに部屋の扉を開ける。
「陣内さんはこのヴィザリウス魔法学園にいてください。外との連絡は出来るようにしますが、怜宮司氏の話を聞く限り、あなたの身に危険が及ぶ可能性も捨てきれませんから」
「はい。ありがとう、ございます」
「この時期に他の生徒を不安にさせたくはない。ここは任せました、林先生」
「おう任せとけ。行ってら」
林が軽く手を挙げて、応じる。
部屋から八ノ夜が出て行くと、彩夏は再び頭を下げていた。
「そう気落ちしなさんな。太刀野さんも、うちの生徒の事も大丈夫ですよ」
落ち込む女性に対する接し方はとしては、林の中では一つ。そっと優しく声を掛ける事だ。
「それよりも、一緒に体育館に来てくださいませんか? あなたが太刀野さんに言った通り、今重要なのは気分転換。うちのクラス文化祭でライブやるんですが、生憎俺を含めて素人程度の知識しか持っていませんから、なんか教えてもらえると助かります」
「……ええ、ありがとうございます」
「さあ」
林が立ち上がり、彩夏に声を掛ける。
動くのを少し躊躇った彩夏だったが、やがて決心したように、ソファから立ち上がる。
「ありがとうございます、林先生。ほぼ私のせいなのに、気を使わせてしまって」
「人間、誰しも先の事なんて予測できませんって。魔法でも無理なんですから。教師である俺が断言しちゃいますし」
一人だけできそうな奴に心当たりはあるが。
林が優しく声を掛けるが、帰って来たのは凍てつくような別の女性の声だった。
「――元はと言えば、貴方が文化祭の準備を怠ったからではないでしょうか、林先生?」
あ、れ……? ひんやりと冷たい言葉に、ぞっとした林が身体をぎこぎこと動かし、応接室の入り口を見る。
向原琴音が、ニッコリと冷笑しながら、そこに立っていた。
彩夏はきょとんと首を傾げ、林をまじまじと見つめる。
「い、言っただろ? いくら優秀な魔術師でも、先の事は予測できないって」
「別に魔法関係ありませんよね?」
「ごめんなさいっ!」
鉄拳制裁がすぐ近くに待ち構えていると思えば、林は自ずと身を庇うように後退する。
しかし向原の一撃は、今はなかった。
「ですが、正規の手順を踏んで桃華ちゃんをこの学園に招待しようにも、そのマネージャーに潰される事もあった。その手順を省いたからこそ、桃華ちゃんをその極悪マネージャーから解放できる事も出来たとも考えられます……」
向原が口に手を添えて冷静に分析するのを、林はびくびくと震えながら「お、おう……」としか返せなかった。あと、おそらく彼女は太刀野桃華のファンだ。
時たま職員室で、ぶつぶつと呟く姿そのままだ。彼女も、ストレスが溜まっているのだろう。きっと、そうだ。
「そう考えると、偶然とは言え林先生のお手柄でもあります。勿論、今回の問題の大幅な原因は林先生にある事に変わりはありませんし、天瀬くんと帳くんのお陰が一番ですが……」
「む、向原……?」
「判断が難しいところですが、今は制裁を加えている場合ではありませんね」
向原はそう言って、部屋を退出する。
呆気に取られているのは、残された二人だ。まさに風のように現れ、風のように去って行った向原だ。
「な、何だったんですかあの女の先生……?」
「さ、さあ……。ただ一つ分かるのは、アイツ、太刀野桃華のファンだったんだなって事だ……」
「何してるんですか? 早く体育館に行きますよ。森田先生から準備が遅れている1-Aの面倒を見てほしい、と言われたんですから、仕方なくですから」
「は、はい。……森田の野郎、余計な事しやがって……」
ドアを再び開けて顔を覗かせ、妙に張り切っている向原に、林は髪をきまずくかきながら続いていた。
「……」
彩夏は、部屋の中をしばし見渡したのち、林の後について行く。
※
「それでは、天瀬さんは今特殊魔法治安維持組織と警察両方に追われているという事ですか?」
「ああ。ほとんど冤罪みたいなものだけどな。一応、アイツの荷物だけは一緒に持ち帰って来たけどさ」
ライブの準備が着実に進む体育館の隅にて、サボりと見られない程度に準備を手伝いつつ、会話をする小野寺真と帳悠平と志藤颯介。三人とも険しい表情で、どうしようも出来ずに、俯いている。
「まさかこんなことになるなんて……。俺のせいだよな。こうしてのこのこ帰って来たのも、やるせねぇし……。天瀬になんて言えばいいか……」
「特殊魔法治安維持組織に連絡はしたのでしょうか?」
「深夜のうちにしたけど、全然とりあってもらえなかったんだ。子供の話を聞くほど、暇じゃないって感じで」
(子供だからって……)
いかにも連中の考えそうな都合の良い言い訳だ、と志藤は内心で落胆する。
「次は特殊魔法治安維持組織が相手かよ……」
壁に背を預け、腕を組む志藤が、悩まし気に呟く。
「ああ。なんか赤いバンダナ着けた白い髪の若い男が先頭だった。なんて言うか、特殊魔法治安維持組織っぽくなかったって言うか」
「実は特殊魔法治安維持組織に扮した謎の集団だったりして! ……って、そんなわけありませんよねごめんなさい……」
どうにか小野寺が場を明るく盛り上げようとするが、自滅する。
少しだけ気の抜けた雰囲気に、帳と志藤は苦笑したが、
「本当にそうだったら、良いけどよ」
志藤は言いながら、そっぽを向く。体育館では相も変わらず、ライブ会場の準備にクラスメイトたちが勤しんでいる。朝のニュースは見ていないのだろうかと思う。
(まあ、桜庭や本城たちがあいつの事を心配し過ぎちまうよりはマシか)
たち、と言えば、香月と篠上の帰りが遅い気がする。生徒会に報告があり、一人では不安だと、香月自身も言っていたので、篠上がついて行ってやっていたはずだが。
志藤はどうしたものかと、髪をがしがしとかく。
「――やっぱり、今すぐにでも助けに行った方が良いよな。俺だけでも」
帳が自分の腕を叩いて言う。
「自分も、何か役に立てるのであれば」
小野寺も、それに同調する気でいる。
二人を見た志藤は焦り、必死に止めようとした。
「よせ。お前まで特殊魔法治安維持組織に目をつけられてどうすんだよ?」
「でもよ志藤。あの夜なにが起こってたか証言できるのは俺だけだ」
「だからこそだろ。そんなお前まで特殊魔法治安維持組織に目をつけられたら、いよいよやばいっての。証人なんだから、下手に動かない方が良い」
苦肉の策だ。帳が証人かどうこうよりも、今の実力で特殊魔法治安維持組織を相手にするなど、無謀にも無策にも程がある。
――ではどうするか?
「ちょっと、トイレ。外の空気吸ってくるついでに。いいか? 勝手に動こうとすんなよ?」
「あ、ああ……。……ちくしょう……」
「帳さん……。志藤さん……?」
一応、納得してくれた様子の二人を置き、志藤は自然な感じを装って体育館を後にする。
「――ったく、なにやってやがんだ天瀬! 特殊魔法治安維持組織入るんじゃないのかよ! それなのになんで特殊魔法治安維持組織と敵対してやがる! こんなんじゃお前の夢はっ!」
自分なんかよりよっぽどその素質や意思があると言うのに。
廊下を早足で歩きながら、志藤は思わず声を荒げていた。
「――あっ志藤ー。これコピって来たよー」
前方からすたすたと歩いて来たクラスメイトの女子に、声を掛けられる。
「んあ、悪いサンキュ」
志藤は顔を上げ、頼んでいた用紙を受け取る。
「なんか苛立った声聞こえたけど、大丈夫?」
クラスメイトが顔を覗き込んでくるが、
「全然平気!」
志藤はにこやかに笑い、通り過ぎていく。片手はその時すでに、ポケットから電子タブレットを取り出していた。
「良かったー。うちのクラスの男子のリーダー的な位置、今のところ志藤じゃん? ほら、ムードメーカー的な意味で。この時期に志藤みたいなのがヤバいとまじヤバいっしょ?」
「……お、おう。や、ヤバいな」
大勢の人を率いる、リーダーか。そんな事を言われても嬉しくはなく、志藤はぎこちない返事をしてしまっていた。
「んじゃねー」
クラスメイトが先に体育館に戻って行くのを見遂げた志藤は、改めて自分の電子タブレットを見つめる。先日の夕島伸也の指摘通り、最新モデルのものだ。
「……っち」
正直、あまり親には頼りたくはない。年頃と言うこともあるが、違うなにかでもある。少なからず、今回のこの行動に関係してしまっている人物の影響だ。
「――横断幕この位置で大丈夫!?」
「――もーちょい上の方! 誰か浮遊魔法頼むわ!」
「――相変わらず変な文化祭のキャッチコピーね……。どっかで聞いたことあるし」
先輩方により文化祭の準備が着々と進んでいる中庭へ出る。すぐ近くで物体魔法により、器用に組み立てられるテントを眺めつつ、志藤は体育館の裏へと向かった。
一つ深呼吸をして気分を無理やり落ち着かせ、志藤はとうとう、浮かび上がった画面をタッチする。
『颯介か? 珍しい、急にどうした?』
特殊魔法治安維持組織の゛現゛最高責任者である局長であり、父親である志藤康大は程なくして、ホログラムの画面に映る。
職務中なのか、最近目が悪くなったとかで購入した老眼鏡を掛けている。それでも、自分との会話は優先してくれるようだ。
しかし、このしらを切るような顔は、果たしてわざとか意図せずか。
「今、特殊魔法治安維持組織が太刀野桃華を捜索しているはずです」
だからロクな挨拶もせずに、志藤は要件を先に述べる。
『……そうだな。ただ、お前がそれを訊いて来るのはどういうことだ?』
隠しても無駄だと言うのは今更であるはずで、康大はすぐに肯定してくる。
回りくどい、と志藤は苛立っていた。
「それによって追われているのが、クラスメイトの天瀬誠次なんです。アンタも知ってるだろう!? 天瀬は絶対に悪くなくて――!」
『もしお前がそう思っていたとしても、天瀬誠次くんが太刀野桃華さんを誘拐した事実は変わらない。だから特殊魔法治安維持組織は公務として、誘拐犯を追う』
淡々と告げて来る父親に、志藤は歯をぐっと噛み締める。
「ちゃんと調べればわかるはずです! 天瀬は嵌められてるんです!」
『お前の伝えたいことは分かる。だが特殊魔法治安維持組織と言う大きな組織に、融通は効かない』
「そんな理由で無罪の人が捕まるのを黙ってろって言うのか!? ましてや、友達が! あんた、特殊魔法治安維持組織なんだろ!?」
思わずかっとなってしまった気持ちのまま、志藤は叫んでしまう。幸いにも周りは文化祭の準備で大声を上げており、気づかれる事はなさそうであったが。
『そんな理由だと言ってしまう時点で、お前は何も分かってはいない』
「……っ!?」
自分の我が儘で組織が動くとは、さすがにこちらも思ってはいない。でも、訴えずにはいられなかった。
志藤は眉間にしわを寄せ、どうしようも出来ない自分に苛立って地面を強く蹴り付ける。
『確かに本城千尋さんや辻川一郎の件では、お前の報告が役に立ったし、こちらとしても冤罪を進んで行うつもりはない。ただ今の状況ではどう考えても、天瀬誠次くんに分が悪い』
これでは、利用されるだけ利用された気分だった。
「でも、俺の友人に怜宮司の本性を見たって奴がいます! それじゃ駄目ですか?」
『無駄だ。その証言を裏付ける明確な証拠がなければ、意味はない』
最後の切り札を使い切った気分だ。もはや手は尽くされた。
これ以上自分に残ったものは、なにもない。なにも無いからこそ、目の前の現実しか、見えなくなる。
「あんたは……っ」
志藤は、ホログラム画面をじっと睨みつけた。
「なんなんだあんたは、いつまでも事務的で……! こっちが下手に出てれば偉そうにして、俺を利用してっ! そして俺の言う事は全て否定すんのかよ!? 魔法が使えないくせに魔術師たちに命令して、偉そうにしてよ!」
『! ま、待て颯介!』
康大の焦る顔を、じっと睨みつける。
「そりゃそうだよな! 俺を魔法学園に入学させたのも、俺に優秀な魔術師になってもらいたいからだよな!? そんでそっちの素性を俺が高校生になるまで隠してたのも、俺の逃げ道を塞ぐためだもんな!? 良く考えるもんだぜ!」
気付けばほぼ一方的に、こちらが怒鳴りつけている。
『違う颯介! そんなつもりでは!』
「頼んだ俺が馬鹿だったな。悪かったよ、俺が出来の悪い魔術師で!」
『今そちらの理事――!』
そして一方的に連絡を切る。康大の物悲しそうな顔は、しっかりと見て取れた。
(……何、やってんだよ、俺は……)
志藤は片手で顔を塞ぐ。
友人をどうにか助けるはずが、つい苛立ってしまって……。――本当、格好悪すぎる。
そんな自分に嫌気がさし、思わず空を見上げると、そこでは嫌味なほどに綺麗な青空が広がっていた。
※
「さあ、こっちだ二人とも!」
ヴィザリウス魔法学園の正門横にある駐車場。そこにて、ダニエル・オカザキ保険医の勇ましい声が響き渡る。彼が言葉を一声発するだけで、駐車場の端に植えられている木から、鳥たちが飛び去って行く。
篠上綾奈はそれに微かな恐怖を感じていたが、大人しくダニエルについて行っていた。
「それで、天瀬がピンチだから、私たちの力が必要と?」
「ウム。八ノ夜美里理事長及び、林政俊殿直々の命だ」
砂利の上で下駄を踏み鳴らし、ダニエルはずんずんと進む。
そしてたどり着いたのは、一台の車の前だった。四人乗りの外国の車であるが、見た限りどことなく中古車の雰囲気が漂っているのは、なぜだろうか。
「これってダニエル先生の車ですか?」
「違う。君たちの担任教師である、林政俊殿のモノだ。生まれは吾輩の合衆国だがな」
ダニエルは手元の鍵を見せつけてくる。
「肝心の天瀬くんはどこに?」
鞘に入ったレヴァテインを持ち、こちらと同じく私服に着替えた香月が尋ねる。
「それを探すのが吾輩と、君たちの役目だ」
「そんな、いくらなんでも無茶苦茶な……」
この大都会の中で一人の人を探すのは、いくらなんでも無理であろう。ましてや、特殊魔法治安維持組織や警察も探している身柄だ。
篠上が心配そうに言うが、隣のクラスメイトは違ったようで。
「天瀬くんは、私が守ります。彼が、私や私の大切な友達を守ってくれたように」
香月が自信を覗かせて言う。
「詩音。……っ」
香月にそんな事を言われてしまうと俄然、篠上も負けるわけにはいかない気持ちが沸いて来るのだ。何よりアイツは、私たちの付加魔法を必要としているはずだから。
「わ、私だって、アイツを見つけ出してやりたいわよ。まったくなんでこういう時に限って、デンバコ壊したままなのかしら!」
「それは列車で、貴方たちを守ったから……」
香月が真っ当な事を言うが、篠上はついムキになって「そ、そんな事分かってるわよ!」とつんけんとした返事をしてしまう。
香月はなんでそんな刺々しい態度をするのかしら? と首を傾げており、それに対しては篠上も内心で申し訳なく思っているが。
「だ、だからこそ! 今度は私たちの方から見つけだしてやらないとダメなんだから……! 絶対に、助けてやる」
微かに頬を赤く染め、篠上は胸元で腕を組んでふんっ、と言い放つ。
「ウム。その意気だ!」
ダニエルはご自慢のカイゼル髭を撫で、誇らしげに言っていた。そして、林の車のドアを開ける。
その途端、車の中から放たれた強烈な悪臭に、三人は揃って鼻を抑えた。
「グアッ!? な、なんだこの鼻を刺すような臭いはッ!?」
「く、臭い……」
「臭っ!? こ、これって煙草の臭い!?」
ダニエルはともかく、香月と篠上は気絶寸前の状態である。
一体何本ほど車内で吸えばこれほどまでの刺激臭となるのだろうと、思った。
「この臭いでは……吾輩もまともに運転出来そうにないな……ッ! バッドスメ(ル)ッ!」
「不安になること言わないでくれませんか!?」
鼻をつまみながら、篠上が泣きそうな顔で懇願していた。
「ちょっと詩音ちゃん!? 大丈夫!?」
「だ、だいじょば、ない……」
冷静を務めていた香月も、ノックダウン寸前であった。




