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魔法世界の剣術士 上  作者: 相會応
複合付加魔法
118/211

5 ☆

「この部屋です」

「失礼します」


 女性スタッフに声を掛けられた誠次せいじは、とばりのいるはずの、ライブ会場に隣接したホテルの部屋まで帰って来る。時刻はすっかり、午後一一時だ。


「? 誰、ですか?」


 突然の来訪に、ソファに座っていたとばりが手に持っていたお菓子をぽろりと落とす。


「怪我大丈夫だったのかよ。滅茶苦茶心配してたんだぞ」

「あ、ああなんとか。天瀬(あませ)デンバコ壊れてるままだったしさ」


 誠次がジト目で見ると、帳は髪をポリポリとかいて苦笑する。


「それで、誰ですか?」


 帳はそれよりも、と女性スタッフを見て敬語で質問している。女性相手に緊張しているようで、どこか言葉がたどたどしい。


「こんばんは。私の名前は陣内彩夏じんないさやか。彩夏で大丈夫です」

桃華とうかさんのメイクをしていた人だ」


 ぺこりと頭を下げた若い女性メイクアップアーティスト、彩夏に誠次が片手を向け、紹介する。帳は「ど、どうも」と、やはり緊張した様子で言葉を返していた。


「って、凄いじゃないか!」


 紛れもなく桃華に近い人を呼んだので、途端、帳が声量を上げて喜んだ。

 

「ああ。専門の大学を出てらっしゃって、桃華さん以外にも様々なアーティストのメイクを担当している人なんだ」


 ここに来る途中に会話で知り得た情報を、誠次は帳に説明した。

 帳はそれを聞き、ますます好反応を見せていた。


「それで、肝心の桃華さんの方は!?」

「それはまだなんだ」

「そっか……」


 誠次が首を横に振ると、帳は残念そうに肩を竦める。そして次には、どうしたものかと頭を悩ませる仕草を見せていた。 


「実を言うと俺のところに志藤しどうから連絡が来てな。これ以上待たせると、いよいよやばいっぽいんだよな……」


 準備期間を考えるに、崖っぷちの状況であることは間違いないはずだ。にもかかわらず、呑気のんきに煙草を吸っているであろうはやしの姿を思い出せば、後ろからレヴァテインで()()()と行きたくもなりそうになったが、こらえる。


「文化祭の話は聞きました。でもその前に、お願い。桃華ちゃんが心配なの!」


 彩夏の言葉に、苦い表情を浮かべていた帳も、真剣な表情へとなる。


「どうしたんですか?」


 立ち話で済むような話題でもないので、誠次と彩夏も部屋の中にあるソファに向かい合うようにして座る。お茶の用意は、誠次だ。


「危ないって、どういうことですか?」

「……最近、と言っても半年以上前なんだけど。新しく桃華ちゃんのマネージャーに就任した人がいるの。名前は怜宮司飛鳥れいぐうじあすか。働きぶりや能力は確かな男の人よ」


 帳と彩夏の会話を後ろに聞きながら、誠次はまるで魂が抜けていたようだった桃華の姿を思い出していた。そして、神経質に怒っていた怜宮司の姿も。


「リリック会館で、桃華ちゃんの誘拐事件が発生した後から、桃華ちゃんも精神的に不安定なところがあったようなの……。それでも本人は気丈に振る舞っていたつもりだったんだけど」

「……強がってたのですね」


 誠次がお茶を配膳しながら言う。


「ええ。あの子は本当に凄いわ。アイドルなんて呑気だ、なんて世間のバッシングもある中、もろともせずに頑張っていたんだもん」

 

 彩夏は「いただきます」と述べ、お茶を少しだけすする。こちらが行おうとしている文化祭も、そういう理由で非難を受けていたのだろうか。

 

「でも、明らかに様子がおかしくなったのは怜宮司が桃華ちゃんのマネージャーに就任してから。スタッフたちにも分け隔たり無く笑顔でちゃんと挨拶していた桃華ちゃんに、徐々に感情がなくなって来て……。本当にスタッフからの評判もいい、良い娘だったのに……」

「ちょうどその怜宮司って人がマネージャーになってから、ですか」


 帳が確認の為にき返すと、彩夏は「ええ」と心配そうに頷く。


「周りの人は最近の人気で疲れてるんだろうって言ってるんだけど、私はどうもそう感じなくて……。そこでぜひ、私からもお願いしたいの。学園の文化祭なんて明るい行事、今の桃華ちゃんにぴったりだと思うし、何よりリリック会館で桃華ちゃんを助けてくれたあなたたちなら」


 彩夏はまるで桃華の母親のように、胸に手を当て、頼み込んでくる。


「それに何より、天瀬誠次くん」


 彩夏が誠次を見つめる。


「?」

「貴方の声を聞いた桃華ちゃん、生気が戻ったと言うか、目に力が入ったという感じで……。貴方の事、やっぱり覚えているわ」


 つい先ほどの楽屋での光景を思い出しながら、彩夏が言ってくる。


「リリック会館でのこと、天瀬から聞いたんですか?」

「いや、そういうわけじゃなくてだな」


 帳の問いに、誠次が首を横にふる。


「桃華ちゃんメイクのたびに嬉しそうに言っていたわ。天瀬誠次くんって言う男の子とそのご友人が私の事を助けてくれた、ってね」


 彩夏はくすりと笑って、そう答える。


(覚えていてくれたのか……)


 だから楽屋で微かに反応してくれたのだろう。それが嬉しく思い、誠次は顔を綻ばせていた。

 彩夏はすぐに真剣な表情で、


「学生の二人に頼むべきことじゃないとは思うけど、まだ年が近いあなたたちにしか出来ない事だとも思うの。桃華ちゃんのこと、どうかお願い。文化祭の件については、私が事務所に掛け合ってみます」


 わらにもすがるような表情で、彩夏が二人にうかがう。


「天瀬」

「分かってる。あの桃華さんの姿は異常だった。調べよう」


 誠次と帳は、揃って頷いていた。

 彩夏が先に帰った後、さっそく二人で話し合う。時刻はもうすぐ夜の一二時になろうとしていた。


「しっかし、にわかには信じられないな。ライブの時はなんて言うか、あんなにキラキラ輝いていたのに」


 ソファに座ったままの帳が腕を組み、思い出すようにして言う。

 誠次は帳の座るソファとは向かいのソファの横に立っていた。そして、あごに手を添え、夕方のライブの様子を思い出し、告げる。


「だからこそ、おかしいと思うんだ。楽屋の時から会話がなくて、ギャップが大きすぎるんだ。本当に、魂が抜けているようで」

 

 誠次の言葉を、帳が黙って聞き入る。


「楽屋で彩夏さんが見せてくれた桃華さんの姿は異常だった。目がうつろで……」


 思い出しただけでも、ぞっとしてしまう。それほどまでに、奇妙な光景だったのだ。


「となると、怜宮司って奴が、なにか知ってるはずだな」

「俺もそう思う。ちょうど時期も一致する」


 帳の言葉に、誠次はああと頷いて言う。

 誠次と帳は、しばしじっと考えた後、


「今から桃華さんに直接会ってみたい。あの様子じゃ、一刻を争う事態だと思う」


 なぜあんな状態になるまで放置しているのだろうかと、誠次ははなはだ疑問であった。ただの疲労ならば、少し休ませる事も出来たのではないのか?

 業界人ではないのでそこらの細かい事情は知らない誠次であったが、あの様子の桃華の事が心配で仕方がなかった。


「今からって、こんな時間からか?」

「ああ。一刻を争う事態だと思う。周りが動かないんなら、放っておけない」

「……分かった」


 帳もよし、と声を張り、ソファから立ち上がる。


「熱狂的なファンとして、これより俺たちは桃華さん親衛隊だ!」


 帳が大声を出して、拳を高く突き上げた。


「ね、熱狂的な……!? お、おおうっ!」


 誠次は戸惑いつつも、帳と同じ仕草で拳を突き上げた。

 彩夏さんの情報では、桃華はホテルの最上階。俗に言うスイートルームと呼ばれる部屋に宿泊しているらしい。

 夜もいい時間なので、館内のエレベーターは全て停止している。よって誠次と帳は階段を使い、ホテルの上層へと向かっていた。内装自体は金を掛けているようで非常に豪華であり、階段にもちゃんと赤いカーペットが敷き詰められていると言う贅沢ぶりだ。


「警備員か。どうする?」


 誠次が角から顔を覗かせる。

 最上階までは息が切れる程度の障害でたどり着いたが、最後の関門とも言うべき、警備員が立ち塞がっていた。厳密に言うと、スイートルームへ繋がる通路を、受付よろしく座った警備員が一人でチェックしているのみだが。


「ここで面倒事を起こすわけにはいかないだろ。正面から堂々と行くのみだ」


 そう言って突き進もうとする帳を、誠次が慌てて止める。


「待て帳! 正面から堂々と行った方が面倒になるだろ!? 何のための警備員だ!?」

「でもよ、他に道なんてないぜ?」


 ではどうする? 誠次は帳を止めたまま、廊下のとある一点を見つめていた。

 


「――なあっ、お前ひょっとすると、生粋きっすいの馬鹿だったのか!?」

「あるいは、よほどの命知らずかっ!」


 室内からの帳の言葉に、屋外の誠次は答える。開いた窓から、誠次は冷たい夜空の下、ホテルの外へ出ていた。地上ははるか下にあり、綺麗な水色をしたプールが小さく見える。そちらを見ると、心臓がきゅっとすぼまってしまう。


「これは夜間外出、じゃあないよな!?」


 汗ばんだ手に力を込め、次の道を探す。一〇階以上はあるホテルの外壁を、命綱なしで渡ろうとしているのだ。当然、足を踏み外せば待っているのは、遠く離れた冷たく硬いコンクリートだ。冷静にならなければならない場面だが、悪寒は止まらない。


「マジかよお前……! ああもう! 俺は無理そうだから隙を見て正面から行くからな!」


 苦く笑う帳が窓に手をつき、足を窓枠に掛けている誠次に声をかけ、姿を消していく。


「自分でも馬鹿やってる自覚はあるけれど……!」


 誠次は極力下を見ずに、豪華ホテルの窓枠をつたい、上へとのぼった。


(あの部屋だ……!)


 誠次は目的の部屋のバルコニーを見つけ、にやりと笑う。

 傍から見ればアイドルを追い掛ける異常なストーカーに他ならない。それも、命知らずの変態行為である。


「よし! やったぞ!」


 誠次は腕の力を振り絞って最上階の柵を越え、見事(?)桃華のいるスイートルームのバルコニーへとたどり着いていた。

 

 一方で、真正面から行くことを選択していた帳は廊下にて。警備員の座っている警備室の、すぐ隣まで来ていた。


「あのーすいません……」


 自分がやろうとしている事を考えれば、声も小さくなる。帳は帽子を被って俯いている警備員に、申し訳なく声を掛ける。


「……」


 こちらに背を向けている相手からの返答はない。それどころか、微動だにしていない。


「あの?」


 帳が確認の為に警備員の事を覗き込む。


「寝てる……?」


 なんと、警備員はすやすやと寝息を立てていた。


「ま、マジか……?」


 危険すぎる行為をした天瀬あませの努力とは一体……?

 帳は色々な意味で申し訳なく思いつつも、警備員の横を通り抜けていく。警備員はよほど深く眠っているのか、一向に起きる素振を見せなかった。

 

「お、お邪魔しまーす……」


 ――しかし、帳は気づけなかった。息もせず眠る警備員の足元で、なにかの白い魔法式の光が輝いていたのを。


 バルコニーに辿りついた誠次は、ガラスの窓に手を伸ばしていた。


「いや、待て。このままノックって、これはマズイだろう……」


 今更になって、自分は犯罪すれすれの行為を行っているのだと思い出し、力なく声を出す。変質者と思われようものならば、即通報されて牢屋行きだろう。

 そうして迷っているうちに、なんと室内の方から窓を解除する音が聞こえてきた。

 

「へ?」


 誠次が変な声を出し、咄嗟に身動きできなかった。硬直した身体に、室内からの淡い光が降り注ぐ。

 

「……」


 窓を開けて誠次の前に出てきたのは、紛れもなくピンク色の髪をした、太刀野桃華たちのとうかだった。特徴的なツインテール姿ではなく、腰まで下がったロングヘアーの姿だ。

 身長的には低い彼女の姿を、誠次は見下ろしていた。


「と、桃華、さん……」

「……」


 桃華の大きな赤い瞳が、誠次を見上げる。その色に、輝きはない。

 そして今の桃華の姿は、上半身に薄い生地のキャミソール、下はおそらく下着一枚だけと言う姿だ。キャミソール越しにうっすらと見える、少女の身体の線に、視線はどうしても吸い込まれてしまう。

 実に、同年代の女性の下着姿を見ると言うのは、初めての事であり、心臓が破裂しそうなほど熱く鼓動を刻んだ。


「す、すまない……っ!」


 顔を真っ赤にした誠次は、慌てて振り向く。一生忘れらない、だろう。


「……」


 背後にいるはずの桃華からは、何も反応がない。

 いくら何でも他人に薄着の下着姿を見られたのに、悲鳴も上げないのは、どうなのか。もしかして自分は先ほど落ちてしまい、今は誰の目にも見られぬ幽霊となってしまったのではないかと、ぞっとする。


「――どうして、来たの……?」


 無機質な声が、誠次の背中からする。 

 一応会話は出来るようで、誠次は桃華に背を向けたまま、答える。


陣内彩夏じんないさやかさんって言う女性のスタッフさんから、桃華さんの話を聞いたんだ。失礼かもしれないけど、その、最近様子がおかしいって……」

()()()……どうして、来た……の……?」

「……?」


 会話が噛み合っていない気がし、誠次は戸惑う。

 上は暗闇。下は淡く黄色い電光色が広がる都会の夜の景色を見つめ、誠次は慎重に言葉を選ぶ。


「俺の名前は天瀬誠次。覚えているか?」  

「あ、天瀬……誠次……っ。くぅ……っ!?」


 とたん、苦し気な声を出し始める桃華。


「桃華さん!?」


 誠次はなりふり構っていられず、振り向いていた。

 しゃがみ込んだ桃華はバルコニーに倒れ込み、苦しそうに両手で頭を抱えている。


「――物音がするから来てみたけど、駄目じゃないか……。不法侵入なんて……」


 すると部屋の中から、聞き覚えのある男の声がした。ポケットに手を入れ、怜宮司飛鳥れいぐうじあすかが、歩いて来ていたのだ。影が彼の顔にかぶさり、いささか不気味な雰囲気をまとっている。


「い、いや……っ」


 怜宮司の姿を見た途端、桃華が誠次の服の袖を、ぎゅっと掴む。上手く立てないでいる足は確かに、怜宮司から逃げるように地団駄じたんだを踏んでいる。


(……っ!)


 誠次は桃華を抱き、歩み寄って来る怜宮司を睨んだ。


「怜宮司飛鳥! 桃華さんに何をした!?」

「何をした? 面白い事を言う。君こそこんなところで何をしてるんだ? これは立派な犯罪だぞ?」


 怜宮司はあくまで冷静に、告げてくる。焦る自分に比べて、このままでは相手のペースに呑まれてしまう。

 ならばと、相手のペースに乗せられぬよう、誠次は声を張り上げる。


「俺の事を特殊魔法治安維持組織シィスティムに通報するのならば、構いません。ですけど、桃華さんの様子はおかしいです! こんなの、ただの疲れじゃありません!」


 誠次は自分の胸元で怯える桃華を見てから、怜宮司に叫ぶ。


「君の言いたいことはよく分かったよ。そうだね、桃華は疲れているんだ。だから、桃華を私に返しなさい。桃華のことは、私に任せて」


 怜宮司はにこりと笑って、こちらに手を伸ばしてくる。一見すると人の好さそうな姿に、誠次は桃華を抱き締める力を、緩めてしまいそうになっていた。


「さあ、早く渡しなさい。君はなにも出来ない、無力な、子供だ。大人の僕に任せたまえ」

「いや……っ。いや……っ!」


 桃華は首を横に振り、ますます誠次の胸元にうずまってしまう。


「なにも、出来ない……」


 一筋の汗を流す誠次は、歯を食い縛る。


「怜宮司さん……。俺はここに桃華さんを残しておくわけにはいかないと思います。少なくとも、桃華さんはあなたを見て怯えている。俺はそう思います」


 だから、と誠次は、


「桃華さんは、俺が()()して行きます!」

「……」

「何を言い出すかと思えば、犯罪者宣言か? これでお前は立派な罪人だ」


 怜宮司は、冷たい笑みをこぼす。

 しかし、次にはその紳士のような佇まいを、一転させていた。

 

「けど、私もみすみす桃華を手放すわけにはいかない。なぜなら――桃華はもうすぐ僕のものだから」


 怜宮司が、右手をすっと上げる。持ち上げられた右手に纏わりつくように、白く輝く魔法元素エレメントの光が発生していく。組み立てているのは間違いない、幻影魔法の魔法式だ。

  

「僕の、もの……?」


 誠次が怜宮司の組み立てる魔法式を、見つめる。

 胸元の桃華はその魔法式を見て、さらに身体を震わしていた。


「《アムネーシア》。学生時代、私が得意だった幻影魔法さ」


 眼鏡の奥に、獰猛どうもうな獣のような野心を覗かせ、怜宮司は笑う。


「脳に直接魔法元素エレメントを送り込む、法律で禁止されている魔法!?」

「法律違反は君もだろう?」

「まさか、桃華さんをその魔法で惑わしたのか!?」

「記憶をなくす人に言ってどうするのさ……どうせ忘れることさ」


 怜宮司は肩を竦める。右手の魔法式は、誠次に向けられていた。


「今日の事は、全て忘れると良いよ。若き怪盗くん」

「……っ!」


 眩しい光が放たれ、誠次はそれを真正面から浴びる。

 しかし、幻影魔法とは言っても無属性。誠次の身には、何も起こらない。やがて、光が収まる。


「……」


 誠次はそこで、無言と言う反応をしてみた。これで相手が、こちらが《アムネーシア》にかかったと思ってくれればいいが。


「ふふふ。馬鹿な奴め。君の後始末はまた後でだ」

 

 怜宮司は茫然とする素振りを見せる誠次を見て、堪えきれずに笑う。咄嗟の作戦は成功。どうやら、相手はこちらが《アムネーシア》に掛かったと思っているようだ。


「さあ桃華。今日も僕の魔法で君を一から作ってあげるからね……。今日はいよいよ、次のステージだ……」


 怜宮司が怯える桃華に手を伸ばす。


「大丈夫、怖くないよ。ああ念願だ。やっと誰もいないところで、二人っきりになれた……。ここまで我慢して来たけど、今日のようなことがあってしまえば、もう限界だ……!」

「いや……っ。いやあ……っ!」


 その手が桃華のあご先に触れる直前、黒い目を大きく見開き、誠次は動いた。


「触れるな!」


 怜宮司の手を払いのけ、立ち上がる。


「なに!?」


 驚く怜宮司が右手を抑え、金髪を振り乱して後退する。

 誠次は桃華を背後にかくまったまま、怜宮司を睨んでいた。


「《アムネーシア》は掛かっているはずだぞ!?」

「やはり、貴様が桃華さんを洗脳していたのか!」


 決定的な証言を確保し、誠次は言い放つ。


「くそ! 防御魔法も妨害ジャミング魔法も展開していないはずだぞ!」


 うめいた怜宮司は、しかし冷静に破壊魔法の魔法式を組み立てる。

 誠次は咄嗟に怜宮司のところまで接近したが、あと一歩、構築完了まで間に合わなかった。


「《サイス》!」


 破壊魔法で出来た白亜の鎌が、怜宮司の前に出現する。誠次を頭から真っ二つにするかの如く、それは振り下ろされた。

 しかしそれは、白い残光を描きながら誠次の身体を貫通する。


「何者だお前!? どうして魔法が効かない!?」

「答える道理はない!」


 誠次は右手を突き出し、怜宮司に殴りかかる。

 怜宮司はそれを上手く右手で握り受け、誠次を受け流す。

 体制を崩された誠次は、勢い余って家具に激突してしまう。


「子供が調子に乗るなッ! 桃華がここまで人気になったのも、僕のお陰だぞっ!」


 揺れる視界の中、ネクタイを揺らす怜宮司は叫んでいた。


「だとしても、桃華さんをあんな状態にしていいわけがない!」


 誠次はぶつけた頭を抑えながら、言葉を返す。

 だが怜宮司はこちらを無視して、桃華の方まで走り出していた。桃華は自分自身を抱き締め、相変わらずバルコニーで震えている。


「もう誰にも邪魔させないよ……愛しの桃華」


 怜宮司の右手にきらめきだす、白い魔法の光。

 桃華に《アムネーシア》を掛けるつもりだろうと判断した誠次は、


「やめろーっ!」


 咄嗟に走り出し、怜宮司に背後から接近する。


「かかったな!? 馬鹿め!」

 

 怜宮司は咄嗟に振り向き、向かって来た誠次に魔法式を向ける。


「無駄だ!」


 誠次は構わず直進するが、


「《グィン》!」

 

 怜宮司が唱えた魔法は、その場で眩い光を一瞬だけ放つ、汎用魔法だった。目暗ましとしては、充分に優秀な性能を誇る魔法である。

 誠次はそれを間近で受けてしまい、悲鳴を上げる。


「しまっ!?」

「っ!」


 怯んだ誠次の腹に、怜宮司が膝蹴りを入れてくる。悶絶もんぜつするような腹部の痛みを味わい、誠次はごほごほと咳をする。


「汚らわしいガキめ! ここは神聖な場所だぞ!」

「何を言って……かはっ」


 怜宮司はニヤリと微笑みながら、腹を抑える誠次を、後ろから蹴り出す。

 誠次は抵抗できぬまま、バルコニーへと押し出されてしまった。視界は《グィン》の影響によりまだちかちかし、どうする事も出来なかった。


「そうだな。君は不慮ふりょの事故という事にしておこう……。自慢ではないが、学生の頃から私は知恵が働いてね」


 怜宮司はバルコニーより遥か向こうを眺め、面白そうに言う。そしてこちらの服の袖を掴み、バルコニーの柵に身体を押し付けてくる。背中の冷たい感触は、腰より下が柵によるもので、それより上は夜の空気によるものだ。


「落ちろよ……落ちちまえ!」

「やめ……っ!」

 

 両手足をバタつかせながら、首を絞められる誠次は透明な唾を吐き、苦しそうに息を吐く。

 うっすらとする視界の先で、桃色の髪が風に待っていた。 


「――駄目っ!」


 桃華の悲鳴がした。


「と、桃華!? 何を!」


 なにが起こっているのか、まだ視界がぼんやりとしている誠次には、よく分からない。視界にはこちらの胸ぐらを掴む怜宮司に、桃色の髪が大きくなったところだ。桃華が、立ち上がったのだろうか。


「駄目、駄目っ!」

「離せえっ!」


 桃華が怜宮司の後ろから、激しく掴みかかっているようだ。

 しかし怜宮司が片手を高く上げ、腰に掴み掛って来た桃華の頬を、強くはたく。パチン、と言う音と共に桃華は衝撃で姿勢を崩し、裸足の足がもつれる。

 女性を殴った、と言う行為に怒りが沸き立ったのも、一瞬。


「桃華さ――」

 

 ようやくまともになった視界。

 あっと驚く誠次のすぐ横を、桃色の髪が流れていく。桃華がバルコニーの柵を越え、暗闇の底へ、沈んでいく。


「駄目だ――!」


 誠次は元に戻った視界で怜宮司の片手をがむしゃらに離し、桃華を追い掛けバルコニーの柵から、飛び出していた。当然空を飛べるはずも、その為の魔法もなく、誠次は桃華と共に、高層ホテルの最上階から、真っ逆さまに落ちていった。


「そ、そんな……っ。つい熱くなって! 桃華! 桃華ァっ!」


 怜宮司は口で呼吸をしながら、バルコニーの柵に手をつき、落ちていく´一人゛を見つめて絶叫していた。


 帳がその部屋に辿りついたのは、ちょうど誠次と桃華がバルコニーから落ちていく時だった。

 そして、バルコニーから落ちた二人を茫然と見つめ、柵に手を乗せて絶叫している、スーツ姿の若い男。周囲に響くことは間違いないだろうが、法律で窓を閉める事は強制されているので、聞こえることはないだろう。


「嘘、だろ……」


 室内に入ろうかとも思ったが、帳は咄嗟に壁に張り付き、身を隠していた。

 バルコニーにいる男が、不気味な声を上げ、身体を震わして笑っていたからだ。


「警察と特殊魔法治安維持組織シィスティムに連絡を入れないと。桃華は、誘拐されたんだ……。あの男の、せいで……」

(何言ってるんだ、あの男……っ。それより天瀬も桃華ちゃんも、大丈夫かよ!?)


 とにかく今は、あの男に自分がここにいたことがバレてはならないだろう。

 真実を知る帳は衝動的に、その場から離れて行った。


        ※


 かちかちと携帯ゲーム機の画面を叩く手の音が、イヤホン越しに聞こえる。      

 今現在、仕事の間の至福の時間を、ソファにだらしなく寝転がる白髪の青年は過ごしていた。青い目に髪が掛かるのが嫌と言う理由で巻いている頭の赤いバンダナのおかげで、ゲーム画面はバッチリと見える。


「――おーい」


 ゲームに熱中していたところ、同僚の黒いスーツの腕に肩を揺らされる。

 青年は面白くなさそうに、方耳のイヤホンを外した。


「出動だってさ。第五分隊、副隊長殿。こんな時間に誘拐だそうだ。愉快だな、てね」


 男が指を指し、気楽そうに言ってくる。時刻は深夜。冬が近づく寒い夜であるが、そこからこそが、自分たちの役目だ。

 しかし、大好きなゲームをする手を止めた青年は、一つため息をして、自前のゲーム機の電源を落としていた。狼のようにぎらついた視線を、自分のスーツの胸元に付けた、特殊魔法治安維持組織(シィスティム)のバッジに向けながら。


挿絵(By みてみん)

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