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時刻はすっかり夜の一〇時を越え、桃華のライブもアンコールを終え、大盛況のまま無事に終幕していた。誠次と帳も、春には見れなかったライブを完璧な形で見ることが出来て、大満足であった。
もちろん仕事はきちんと行い、会場の警備、ゴミ拾いからお客さんの誘導まで、問題なくこなすことが出来ただろう。
「お疲れさまー」
「「お疲れさまでした!」」
スタッフの仲間と共に、スタッフ用の控室に戻って来た誠次と帳は挨拶を返す。ロッカールームで着替える周りの人とは対照的に、誠次と帳は今後の話をしていた。
「やっぱ、まずはスタッフのお偉いさんに話してみるのがいいんじゃないか」
帳がタオルで額の汗を拭きながら、言ってくる。
「本当に桃華さんに会わせてくれるかどうかは分からないけど、それしか方法はないよな。くれぐれも相手の方に失礼がないように」
「分かってる分かってる。成立する確率はかなり低いけど、やってみるしかないしな。名付けて、わらしべ桃華ちゃん作戦だ!」
「ははは。……奇抜過ぎる」
少なくとも自分だったら、そんな事考えもしないが、帳は言う、
「何が起こるか分からないのが、この世の中だ」
いやらしい言い方だが、誠次と帳にとっての武器は、春のリリック会館で桃華を助けたと言う実績だ。恩を売り付けると言うわけではないが、それを少しでも覚えてくれて、尚且つ無理がないように頼まなくてはいけない。例え桃華と出会うことが出来ても、文化祭に誘える可能性はスケジュールの都合上、限りなく低いだろう。
誠次と帳はまず、バイトスタッフの中のリーダーに会うことにした。
「え? 社員の方に会いたい?」
「「はい。お願いします」」
私服に着替え、寝るホテルへ向かおうとしていた若いバイトリーダーに、誠次と帳が頭を下げていた。
「あっ、じゃあこの機材片付けてよ。そうしたら場所教えてあげる」
「「お安い御用です!」」
指を指された所にあった重たそうな段ボール箱の山を一息で持ち、誠次と帳はすぐに片付け始める。
「若いのにやる気あるなぁ……」
ともすれば異常な二人の気迫だったが、バイトリーダーも宿泊用のホテルに向かう他のバイトたちも、感心しているように見つめていた。
全ての荷物を運び終えた誠次に、悲劇が襲って来たのはその時だった。
「く、ちくしょう! 足を挫いた!」
「天瀬! しっかりしろ!」
「ああ! まだ大丈夫だ!」
痛めた足を抑えながらも、桃華に会うために、誠次は気力を振り絞っていた。
与えられた残業を終え、再びバイトリーダーの元へ戻って来た二人。
「二人ともお疲れさん。それじゃあ社員さんの所へ、全ての仕事が終わった事の確認の為のこのチェックシートを持ってってくれるかな? これで報告が出来るから。本当は僕の仕事なんだけど、僕がぱしらせたって伝えればいいから」
リーダーが最後のチェック項目を記入して、軽く微笑んでいた。
「あ、ありがとうございました!」
「行ってきます!」
リーダーの気配りに誠次と帳が感謝し、社員の元へ急いで向かう。
しかし、
「何があの二人をそんなに駆り立てるんだ……? なに言われるかわかったもんじゃないし、普通社員なんかに会いたくはないと思うんだけど……」
バイトリーダーは、ただひたすら困惑していた。
誠次と帳は続いて二つ目の関門、社員の元へとたどり着く。少し太めの腹回りに、イベント服を着ており、誠次が差し出した紙を眺める眼鏡姿はなんと言うか、型にはまっていた。
「桃華さんに会いたい?」
「はい。どうしても伝えたい用があるので」
「難しいでしょうか?」
誠次と帳が口でハァハァと息をしながら、慎重に尋ねる。
「な、なんで二人とも息が上がってるんだい……? 難しいと言うか……まあ本人には無理だけど、もしかしたらマネージャーになら会えるかもね」
誠次と帳にあまり関心がいってないようで、電子新聞を読みながら社員は適当に答える。
「本当ですか!?」
「うん。まあ君たちの見た目なら大丈夫か。じゃあ代わりにこのレポートをマネージャーに提出してくれるかな? そうしてくれると、向こうからの印象も良いだろうし、こっちも助かるよ」
社員は思いついたように、手元にあった紙を帳に差し出してくる。
「分かりました、ありがとうございます!」
帳はそれをしっかりと握り締め、意気揚々と返事をしていた。
「桃華さんのマネージャーさんは、どこへいるんですか?」
痛む足を堪えながら、誠次は尋ねる。
「うーん。それがよく分からないんだよ。彼、少し気難しい性格をしていて……ってなんでもない。ステージだとは思うけど」
何かをぼそりと言った後、社員は思いついたように言っていた。
「それでは、行ってきます!」
「は、はい」
なにが彼らを駆り立てるのだろうと、社員は手元のコーヒーを啜りながら、ひたすら困惑していた。
一方、誠次と帳がステージへ向かうその途中、二度目の悲劇が起こっていた。
「ぐはぁぁあッ!?」
「と、帳―っ!?」
「横から機材が倒れて来やがった!」
前を走っていた帳が、突如として横から倒れて来た角材に巻き込まれる。誠次は咄嗟にジャンプをして帳と角材の山をかわし、すぐに振り向いてしゃがみ込む。
「しっかりしろ、帳!」
「く、クソ! 足が動かねぇ!」
帳が痛々しそうに片目を瞑り、うつ伏せの姿勢で倒れている。彼の足元には、無数の角材が。
「こんなところでリタイアなのか……!?」
帳は歯を食いしばり、悔しそうに叫ぶ。
「諦めるな! 俺が今助けてやる!」
汗を流しながら誠次が必死に角材を持ち上げようとする。しかし如何せん数が多く、帳も必死に立ち上がろうとするが、時間が掛かってしまう。
やがて、何かを決意したような表情の帳が、口を開く。
「天瀬……」
「やめろ帳! なにも言うな!」
「もういいんだっ! こうなったらお前だけでも行ってくれ!」
帳はそう叫ぶと、誠次に向け丸めた紙を差し出す。マネージャーに渡す為のものだ。
「と、帳……お前!?」
紙自体は帳が死守していたのか、綺麗なままだ。誠次はそれを受け取る素振りこそ見せるが、納得がいかない表情で、しゃがみ込んだまま動こうとしない。
「……駄目だ。お前がいなければ、俺は行けない!」
「今は俺の事よりも! 桃華さんを文化祭に誘えるかどうかが掛かっているんだろう! 馬鹿野郎っ!」
帳の魂の叫びに、誠次はハッとなる。しかし目の前で友人が苦しんだまま、背を向ける事など、出来ない!
誠次はなおも食い下がっていた。
「だ、だけど……!」
「俺はもう、駄目みたいだ。桃華さんに会ったら、一ファンとして……応援してますって、伝えてくれよ……」
帳の緑色の目が、次第に力を失くし、閉じていく。その表情は、どこか未練を残しているようではあるが、健やかに微笑んでも見える。
誠次は目に何かを込み上げながらも、目の前の事を否定するように、必死に首を横に振っていた。
「そんな……帳……っ! 駄目だ!」
「行けよ、天瀬……。後は、頼んだ……ぜ」
「帳……っ!」
歯をぎりりと噛み締め、誠次は立ち上がる。
帳は力が尽きたように、とうとうその場で動かなくなってしまった。
「……絶対に桃華さんは誘ってみせる。お前の無念、無駄にはしない! ……だから今は、すまない帳!」
誠次は踵を返し、ステージへ向け走り去って行く。
「ああ……それでいいんだ、天瀬……。頼んだぜ……」
ハッハッハ……と力なく笑い、帳はいよいよ、力尽きようとしていた。
「凄い音と声がしてたけど――って君大丈夫かい!?」
そこへ後ろの方から、先ほどの社員が慌てて駆け寄って来る。
「すいません、この角材、倒してしまって……俺はもう……」
「それは構わないけど君の方だよ! ほら、モノ浮かす魔法とか使えないのかい!?」
「……あ」
社員の言葉に、帳は魔法生としてそこでようやく思い出し、中学の時に習っていた魔法式を起動する。
足を挟んでいた角材はすぐに宙に浮き、再び壁に立てかけられた。
「ふぅー。いやぁ片付けようとはしてたんだけど、ごめんね。まあついでだからこの重たいの、君の魔法でこっちまで運んでくれないかい?」
「い、は、はい。……恥ずかしっ……」
ほっと一安心した社員に何も言い返せずに、促されるまま、苦笑いの帳は違う部屋へと向かって行くのであった。
※
「お疲れさまです。今日もありがとうございました」
膨大な量の汗が流れた桃色の髪が、扇風機の風を受けふわりと舞う。綺麗に清掃が行き届いた机と鏡の前の椅子に座り、太刀野桃華はスタッフの手によって化粧を落とされていく。
「ふふ。桃華ちゃんはやっぱり素材が良いから、化粧も今日みたいに薄くてoKね」
女性スタッフが、ツインテールの髪を梳かしながら、鏡に映る桃華を見て言う。
「ありがとうございます」
桃華も自分でメイクを落としながら、笑顔で頷く。しかしその表情はどこか虚ろで、上の空でもあった。
「いくつになったんだっけ?」
「今年で一五です」
「そ、そう」
淡々と、まるで機械のような桃華の受け答えだ。深紅の瞳も、自分の姿以外を見ていない。見ようともしていない。それは今年から始まっている。
女性スタッフは、どこか奇妙な居心地の悪さを感じつつも、微笑んでいた。
(前はもっと愛嬌あったと思うけどなぁ……)
これではまだライブの方が、生き生きとしている。連日の人気で、疲れているのだろうかと、女性スタッフは思った。少し火照ってはいるが、少女特有のきめ細やかな白い肌を優しくマッサージする。その時ばかりは、桃華も気持ちよさそうに、目を瞑って大きく息を吐いていた。
「ごめんなさい……」
「え、どうして謝るの?」
そんな中での、突然の桃華の謝罪だった。
当然、女性スタッフはわけが分からないので、作業をする手を止めていた。
「大丈夫かい、桃華?」
声を掛けたのは銀色の眼鏡を掛け、きっちりとしたスーツを着用した、男性だった。年は二〇後半ぐらいだろう。顔立ちはハンサムなほどには整ってはいるが、不敵に微笑むその印象は、どちらかと言うと不気味さを感じるものだった。
「怜宮司さん?」
男の名は怜宮司飛鳥。確か春ごろ桃華のマネージャーとなった男性だ。その手腕は確かで、桃華が誰もが知るほどのトップアイドルへとなった理由の一つだと思う。
「桃華ちゃん、少し様子が変って言うか、どこか上の空じゃありませんか……?」
女性スタッフが怜宮司に声を掛ける。
怜宮司はそんな女性スタッフを一瞥すると、
「桃華は少し疲れているんだ。大丈夫、問題ないよ」
桃華の華奢な肩に両手を乗せ、うっとりと呟くようにして怜宮司は言う。桃華は微動だにせず、まるで魂が飛んで行った抜け殻のように、鏡を見つめているだけだ。
女性はその光景を見て、背筋に悪寒が走るのを感じていた。
「――すみません」
そこへ、楽屋のドアをノックする音と、若い男の子の声が響く。
「誰だ?」
眉間にしわを寄せた怜宮司が苛立った声を上げながら、桃華から離れ、ドアの方へ歩み寄る。
ちょうどその時だった。桃華がほんの少しだけ、外から聞こえた男の子の声に反応したように、赤い瞳に輝きを宿したように見えたのは。
ルームメイトの帳を犠牲にしてまで走った誠次の困難は、そこからも続いていた。大きすぎる犠牲を払いながらもどうにかステージに辿り着いたが、そこはもぬけの殻。途方と絶望に暮れる誠次に声を掛けたのは、桃華の事務所の人だった。
「その名札の天瀬って君、もしかして――」
なんでも、春のリリック会館の戦いでこちらの事を(外見的特徴も含めて)桃華本人からよく聞いていたようであり、運よくマネージャーがいると思われる楽屋まで案内してくれたのだ。
そうして数々の悲運と幸運が重なった結果、一介のバイトだった誠次はくたくたの身になりながらも、桃華の元へとたどり着いていた。
部屋の中から聞こえた男の声は、どう考えても苛立っているものだ。ここまで来て収穫なしで帰るわけにもいかない誠次は、慎重に声をかける。
「マネージャーさんに渡す書類があって来ました」
「……分かった」
やや間を置いて、ドアが狭く開く。人の頭が一つ入れるか入れないかと言うほどだ。
「渡せ」
命令口調と共に、伸びて来たグレーのスーツの腕。誠次は少しむっとするが、従う他になく、男性に紙を渡す。
「ちょっとごめんなさい。お化粧道具があるの」
男性の背後から、桃華ではない女性の声がした。
そしておそらく女性の手によって無理やり開く、楽屋の扉。
「おい!?」
慌てる男性の姿を、誠次はじっと見た。
グレーのスーツに、眼鏡。かき上げた金髪に耳元で光るピアス。絵に描いたような若いお金持ちのような風貌の男性だ。
そして、男性のさらに奥。桃色の長い髪を流した、年下の少女の姿を、鏡越しに確認した。太刀野桃華に違いない。それは芝居がかった女性の動作によってわざとドアが開けられたことによって、見えた姿だ。
――が。
「桃華、さん……?」
鏡に映るその表情は、まるで作られた人形のように、生気がない。普通の人ならば、ここまででドアのやり取りに何かしらの反応を示すだろう。例えば、やって来た人の姿を鏡越しでも確認するなど。それなのに、桃華はピクリとも動かず、一切の反応も見せない。
誠次は思わず声を出し、彼女の名を呼んでいた。
「ええいッ!」
金髪の男性が誠次の肩を強く突き放し、楽屋から遠ざける。ドアを開けてくれた女性も、一緒に追い出すようにしていた。
「桃華は連日の活動で疲れているんだ! これ以上桃華の苦労を増やさないでくれ!」
バタンっ、と大きな音を出し、男性はドアを閉めた。
「……」
「……」
鬼のようだった男の形相に、誠次と女性スタッフはしばし沈黙してしまう。
(桃華さんのあの状態。絶対普通じゃなかった)
誰が見ても明らかに異常な状態だった。少なくとも、男の言う疲れでもないだろう。
思い詰めた表情をする誠次の横で、同じく追い出される形となった女性がそっと声を掛ける。
「ねえ。あなた、桃華ちゃんに会いに来たの?」
※
「ったく何だったんださっきの餓鬼は……。変なファンでもなさそうだったしな……」
楽屋の中、怜宮司にとっては待ちわびた、桃華との二人っきりの時間だ。至福の時間であるがしかし、怜宮司の表情は険しい。
「天瀬、と書いてあったな……。二度とあんな奴を末端のスタッフに任命させるものか」
少年の首に掛けてあったカードの名前を思い出し、怜宮司は吐き捨てるようにして言う。
「天瀬、誠次……」
――背後の桃華が、突然そう呟いた。
怜宮司は驚き、顔をハッと上げる。
「桃華……? ……どうして、下の名前を知っているんだ!?」
「……ごめん、なさい」
怜宮司の怒りに満ちた声を聞いた桃華は、怯えるように両手で頭を抱え、謝り出す。
「……そうか。これはもっと、゛ボクの魔法゛が必要なようだねッ!」
「ごめん、なさい……っ!」
桃華の声に、ようやく感情が混ざり始める。しかしその声は、どこまでも怯えていて、恐怖と狂気を感じさせるものだった。




