5
日本の首都東京は首相官邸。その風貌が大きく変わったのは、つい最近の事だ。日本で初めて、女性の総理大臣が誕生したその日から。
「初めて来るが、大きな屋敷だな」
車から降りた八ノ夜美里は、目の前にそびえ立つ周囲のビルと見比べれば異質な建物に、思わずぼやく。時代錯誤をしたかと思えるほどの、それこそ戦国時代に出てくるような牙城の佇まいだ。瓦の屋根の和式の建物に、眼前に広がる広大な日本庭園。全体的な色は、舞い散る紅葉の色で赤に染まっている。
薺の正体を知っている八ノ夜からすれば、彼女のイメージにはぴったりなのだが。
「ヴィザリウス魔法学園理事長、八ノ夜美里です。通してくれないでしょうか?」
巨大な正門を潜り、そこから横にある警備室に向けて話しかける。さすがに所々は、時代の利便性に負けているようだ。
『申し訳ありませんが、現在首相官邸は厳戒警備態勢です。誰も通すわけにはいかないのです』
なるほどな、と八ノ夜は心中で思う。ここに入る前も、とある魔法を使わなければ通れなかったほど、外には記者団が纏わりついていた。
「薺ちゃんの古い友人なんですけれども」
八ノ夜は軽く口角を上げ、そんな事を言ってみる
しかし、向こうはあくまで厳格な態度をとっていた。モニターから無機質な男の声が、返って来る。
『申し訳ありませんが、誰も通せないのです。後日、日を改めて、お越しください』
国中がパニックになりかけているこの状況で、後日会えると言う保証はない。
どうしたものかと八ノ夜が悩んだ一方で、モニターから女性の声がした。
『ちゃん付けはよさんか、美里。通れ』
「紗愛……」
文字通り、第一関門は突破した。しかし八ノ夜の表情は、険しいものだった。
紅葉色となった木の葉が舞う、屋敷を模した首相官邸の庭園の中。幼子の姿へと戻った薺は、紅葉をイメージした着物を羽織り、正座をしてその人を待つ。
「よろしくな、八ノ夜」
手元の湯飲みのお茶を軽く啜り、意味深に笑いかけていた。
※
「皆さん! お願いですから、そこを通してください!」
リニア車の七号車に入った直後、押し寄せるのは異様な熱気と人の波。桜庭莉緒は戸惑いながらも、どうにか声を張り上げていた。
「まだ止まらないの!?」
「先頭車両は、どうなったんだ!?」
しかし、七号車にいる人々は桜庭の言葉を聞かず、逆に聞いて来る始末だ。暴走する車内では、無理もない事だった。乗客たちは最後尾である八号車へ続く道を完全に塞いでしまっており、先へ進む事が出来ない。
「うぅ……。こう言う時、天瀬だったらどうするんだろう……」
桜庭がしり込みしてしまったが、その肩に千尋が手を添える。
「誠次くんと詩音ちゃんだって頑張ってくれているはずです。わ、私たちも諦めるわけには……」
「でも、どうすれば……」
「ええと……」
桜庭と千尋自身も、まだパニックになっている節があった。恐怖に怯えている人たちを前にすれば、自分もそうなってしまうようだ。
一方で、緊張しっぱなしだった篠上が小さく挙手したのは、その直後だ。
「……っ。この車両を止める方法があるんです! みんなを助けられますから、私たちを通してください!」
よく通る篠上の声と言葉遣いに、七号車の人が一斉に顔を上げ始める。今の篠上の姿は、学級委員としての普段の教室で見せる姿と、どことなく似ている。
「ほ、本当なのか!?」
「は、はい。だから、通してください!」
頷きながらの篠上の言葉に、乗客たちも次第に落ち着いていく。
「みんな協力し合おう! この娘たちを信じるんだ!」
男の人の声が響き、七号車の人々は頷き合い、道を開け始める。三人の女子が通るには、充分なスペースが開けられた。
「しのちゃん……凄すぎ……」
「さすがですね……綾奈ちゃん」
「なんで私、今日こんなに褒められるの……?」
桜庭と千尋が篠上に小さな拍手を送っていた。
「まあ、早く八号車に行きましょ!」
「うん!」
「はい!」
立ち止まっている時間はない。三人は一斉に、八号車へと向かって行った。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
八号車へ入ろうとしたまさにその時、背後からの声に呼び止められたのは千尋だった。
「はい?」
「前で暴れてた奴らは、平気なのか!? こっちに来たりしないか?」
一人のとある男の質問に、確かに、と七号車の人は一斉に確証を求めて来た。
だが、千尋はその質問に、強い確信をもって頷いていた。
「はい、きっと大丈夫です。私の大切なクラスメイトが、あちらでも頑張ってくれていますから」
「そ、そうか……。でもアンタの顔、どこかで見たような気が……」
「え……? あっ、申し訳ございませんが、急いでいます!」
千尋は慌てて手を振り、先に行ってしまった篠上と桜庭の後を追っていた。千尋自身、まさかとは思ったが、どこかで大臣の娘として映ってしまっていたのかもしれないと、思いながら。
――都心新中央線を走るリニアモーターカー。その五号車内。床に散乱した乗客の荷物を踏まないように注意しつつ、誠次はそこまでやって来た。
横をついて来た香月は《インビジブル》を使用している。
『全国各地で広がっている暴動の動きですが、特殊魔法治安維持組織の働きにより迅速に鎮静へと向かっています。皆さんは念のために、今日明日の外出はお控えください。帰宅途中の方は、お早めのご帰宅を――』
物が散乱し、無人の車内でついているテレビ映像はこの上なく虚しく感じるものだ。
――そして。
「おぉう? ガキ、こんなところでなにやってんだー?」
二号車の方より、物を漁っていたのかポケットを膨らました男がやって来た。風貌はチンピラそのもので、しかし若い。
「お前たちこそ、ここでなにをやっている?」
誠次は冷静に話しかける。そして男の進路を塞ぐように、椅子と椅子を挟んだ通路の真ん中へと立った。
暴徒と思わしき男は、対面したままへらへらと笑っている。
「なにって、デモだよデモ! 総理大臣の意見に反対だー、ってな!」
大袈裟な手ぶりを交えて、男は言ってくる。
(都合の良い言い訳ね)
香月が冷静に指摘する。
誠次も、それに微かに頷いていた。
「それがこの車両を占領した目的なのか? それだけの理由でなのか?」
「うるせぇガキだな。しめっぞオラッ!」
こちらを脅そうと、男が魔法式を展開する。
「一応俺、魔法学園出身だからな? 舐めてると痛い目みるぜ?」
魔法元素の光の先で自慢気に言う男に対し、誠次も「俺は現役だ」と返す。すると、男は挑発するような口笛を返し、
「なら、実戦としゃれ込もうぜ!?」
「どうしてもと言うのなら、やってやる。ただ、俺は強いぞ?」
誠次も不敵な笑みを見せつけ、右腕を上げる。
好戦的な性格なのか、はたまた日頃のストレスによるものなのかは知れないが、男は誠次の行動を見て増々面白そうに笑う。
「言ったな? なら喰らえ!」
男が円形の魔法式を展開する。宙に浮かんだ白の魔法式に対し、魔法生を謳ったくせして魔法が使えない誠次は、右腕を上げたポーズのままだった。
なぜなら、誠次には香月がいるからだ。そしてその香月は、誠次がわざと話しこんでいた隙に、狭い通路をその華奢な身体を使って通り、すでに男の背後に上手く回り込んでおり――、
「喰らうのはあなたの方よ」
魔法式で照準を合わせた目標物を、軽く吹き飛ばす攻撃魔法《エクス》。香月はそれを、男の背中に直撃させていた。男の背中の空間が歪んだと思ったその直後、男の身体が弓なりになって飛ばされる。
「ぎゃっ!」
悲鳴を上げ吹き飛ばされた男はそのままリニア車の座席に全身で激突。痛々しい音を立てて、通路に転がった。
「よし、俺たちの勝ちだ!」
「……少し、卑怯な気もするけど」
ガッツポーズを見せる誠次に、香月が冷静にツッコんでいた。
「それ香月が言える事じゃないよな……」
誠次はそう言いつつ、倒れた男の元にしゃがむ。香月はその後ろから、念の為に魔法式を向けていた。
「おい、起きろ」
誠次が軽く頬を叩くと、男は苦しそうに瞼を開けた。
「ひ、ひぃっ! 助けてくれ!」
目を見開いたとたん、誠次を得体の知れない化け物を見るような目で見た男は驚いて、さらに座席の硬い所に頭をぶつけてしまっていた。
「これ以上危害を加えるつもりはない。ただ、お前たちのメンバーの内容や、先頭車両の方の状況を教えて欲しいだけだ」
冷静な誠次の問いに、頭を抑えて蹲る男は、おずおずと話し始めた。
「か、数は何人か分からねぇよ……。ネットで集まった面子だからよ……。ただ、先頭車両には人質をとってる」
「人質? ……それでリニア車を暴走させるだなんて、テロと同じじゃないか!」
思わずこちらが怒鳴ってしまえば、男は顔を覆った。
「わ、分かってるよ! だから俺も怖くなって、やめといた方が良いんじゃないかって思ったんだけど、言えなくて……」
「そんな事に巻き込まれたこちらの身にもなってくれ……」
誠次の口から思わず出た本音に、男は何も言い返せなくなっていた。
「初めは政府に抗議しようって事だったのが、なんだってこんな事に……!」
男は次第にたまらなくなったのか、ぐずぐずと泣き出してしまっていた。
「やるしかないな……」
泣きたくなるのはこちらであったが、これで目標も変わった。暴走車両と共に、人質の安全も考慮しなければならない。
「一般の人が捕まっているのなら、これ以上無策に進むのは、危険かもしれないわね」
「……」
香月の言う通りかもしれない。男の言った事が本当ならばと、誠次はじっと黙り込む。こちらが下手に行動すれば、暴徒たちが反応し、人質の身が危ない。まずはこの暴走車両が止まるのを待ち、あとは警察や特殊魔法治安維持組織に任せるのが賢明な判断であると思った。
しかし、倒れている男は、遠慮がちにだがこう言ってきた。
「……俺が言うのもなんだが、先頭車両の連中はガチでイカれてやがるぞ……。人質のガキになにするか分かったもんじゃねぇ……。夏のアレでメーデイアを脱獄したって自慢してたやつもいやがった……」
「っ!?」
夏の、朝霞による一連の事件で解放された凶悪な魔法犯罪者の成れの果て。それが今、この車両に乗っているかもしれないと言う状況に、誠次と香月は息を呑んでいた。
「子供が……人質に……」
香月が自分自身を抱き締めながら、呟く。
「わかった。香月頼む、俺と一緒に先頭車両に行ってくれないか。今すぐ人質を解放しないと」
誠次は振り向き、香月に頼み込む。
香月はもちろん、と言わんばかりに頷いてくれていた。
「……わ、悪かったよ……。本当に……」
頭を抑える男はそれきり、疲れ果てたようにその場に横になっていた。泣き顔も見せたくないらしく、顔も覆っている。
誠次は何も言わずに、立ち上がっていた。
「行こう香月」
(ええ)
再び《インビジブル》を起動した香月と共に、誠次は先頭車両に向けて急ぐ。
「これが、薺総理や朝霞の言っていた変革の代償なのか……?」
いずれは魔法世界へと変わらなければならなかったこの国、世界。巻き起こったわけの分からない恐怖が、誠次の心臓を煽って来る。
(正面。来てる)
香月がぼそりと言った刹那、真正面から雷属性の魔法の弾が、通路の空間を真っすぐに貫いて来ていた。
「香月っ!」
誠次は咄嗟に香月を抱き抱え、座席の方へ転がり込んだ。二人が絡まるようにして倒れ込んだ直後、誠次が元いた場所に雷属性の攻撃魔法が直撃し、バチバチと音を立てた。公共車両であるリニア車の装甲自体は頑丈なようで、雷属性の魔法を使っても傷一つついてはいなかったが。
「ッち! 外れた! ネズミを仕留め損ねたぞ!」
「おい! ヒーローごっこか何かは知らねぇけど、出て来い!」
五号車と四号車を繋ぐ通路での、二人組の敵との遭遇戦だった。
「香月。俺が囮になるから、その隙に先へ行けそうか?」
誠次はすぐに起き上がり、一緒に倒れていた香月を立たせてやる。
(ええ。あなたも気をつけて)
香月は頷くと、《インビジブル》を発動したまま、走って前進する。
「先頭車両に人質がいるのは本当か!?」
座席に身を隠したままの誠次は、通路に向かって声を這りあげた。
笑わせるつもりなどさらさらない真剣な声と言葉のつもりだったが、男たちは笑い出す。
「おいおい! なんかのアニメの見過ぎだぜガキ! 笑わせてくれるじゃねぇか!? ええ!?」
「その通りだぜ? もしかして、助けるつもりなのか!?」
「舐めてるな……!」
情報は得た。誠次はぐっと怒りを堪え、握り拳をその場で作る。
「このままじゃこのリニア車は暴走して脱線するぞ! そうなったら、車両の中にいる人はお前たちを含めてみんな巻き込まれるんだぞ!」
座席の陰から誠次がそう主張するが、もはや向こうはどこ吹く風のような状態だ。
「上等じゃねぇか! 自爆なんて、それこそ最高の抗議活動だ!」
「坊ちゃんもどうせだから隠れてねぇで、どうせなら一緒に祝おうぜ!?」
などと、言ってくる。
「ふざけるな!」
誠次は立ち上がり、通路に進み出た。
すでに香月は二人組の男の背後に回り込み、右手を高く掲げている。
「ふざけてんのはテメェの方だろうが! なんの真似だか知らねぇけどよ!」
「消えろ!」
魔法式を展開、構築を開始する男二人組。
黒目でそれを睨んだ誠次は、床を蹴って突進していた。
「速っ!?」
「――っ!」
風を切る猛スピードで接近した誠次は、向かって右側の男の腹部に蹴りを入れ、身体を反転。振り向き様に、握った拳で思い切り、もう片方の男の顔面を叩きのめした。
「沈め!」
腹部を抑えて悲鳴を上げた最初の男に体勢を整え直し、誠次は男の顔の高さまで足を振り上げる。
「ぐはっ!? ま、魔法が怖くないのかお前は……!」
「その程度の魔法など、今更だ!」
顔を抑えた二発目の男に対して誠次はそう言い放つと、右手の拳を男の腹部にめり込ませる。男の吐いた唾が私服に盛大についたが、気にしている余裕はなかった。
「このクソガキがぁッ!」
粘り強く、背後に回った右側の男が、誠次の胴体を後ろから羽交い締めにする。
「天瀬くんから離れて頂戴」
そこへすかさず、香月が《フォトンアロー》の魔法式を展開、一瞬で発動する。鋭利に尖った魔法の矢が男の胴を狙い、深く抉るように貫いていた。破壊魔法のような殺傷力が無いのがせめてもの救いか、鈍器で思い切り腹部を殴られた感触に近いだろう。やがて《フォトンアロー》は白い光の粒子ととなって男の腹部に突き刺さったまま消滅し、後には腹部を抑えて倒れた男が残った。
「ぐぁあああッ!?」
香月による魔法の奇襲に、男たちは纏めて四号車の入り口で倒れていた。
「ナイス、香月」
誠次は大きく息を吐き、膝を抑えて立ちながら、香月に言いかける。
「……焦ったら駄目よ、天瀬くん」
無表情だが、どこか心配してくれているような香月の言葉に、誠次は「ああ……」と頷く。
「分かってるけど、どうしても許せなくて……」
「気持ちは分かるけれど……」
どうやら香月も、こちらと同じ気持ちだったようだ。
しかし、相次いだリニア車の揺れが、緊急事態の現実を思い出させた。
「でもまずいな……。急にこのリニア車が止まったら、先頭車両の連中の癪に障って、人質になにをしでかすか分からないぞ」
「いったん、桜庭さんたちに連絡するのはどうかしら? こちらにタイミングを合わせるようにとか」
「そうだな」
誠次は頷き、自分の電子タブレットを取り出すが、そこで思わず絶句してしまう。
「あ、あ……そんな……」
「どうしたの?」
起動していない時は手のひらサイズに収まる平たい四角形をしているはずのデンバコ。それが今や、配線コードがむき出しの状態で、真っ二つに折れてしまっていたのだ。
「ぶっ壊れている……。多分、さっきまでの急な戦闘や回避で……」
友人や女性などせっかく増えたメールアドレスなどが、これで全て失われてしまったかと思うと、悲しいものだ。それもこの電子タブレット、八ノ夜が自分の誕生日プレゼントに買ってくれた、誠次からすればとても大切なものだった。
誠次は思わず、ため息をこぼしていた。
「災難、ね……」
香月が同情するように、微かな声で、言ってくる。
「全て終わったら新しいのを買うよ。でもテストの成績悪そうだし、簡単にはいかないだろうな……」
「天瀬くんの頑張りだったら、私が保証するわ」
「香月の保証か……」
「なによその少し不安そうな目は……」
「わ、悪かった」
再び緊張の糸が切れてしまいそうなやり取りだった。誠次は「よし!」と気を取り直し、再び香月と共に一号車に向けて走り出した。




