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「何を考えている……薺……」
ヴィザリウス魔法学園の理事長室にて、薺の放送を全て聞き終えた八ノ夜の表情は冴えていなかった。
「……」
このままじっとしているわけにもいかない。八ノ夜は椅子から立ち上がると、すぐに自分の電子タブレットを起動する。
「あれでは、ただ悪戯に混乱を招くだけだぞ……」
※
窓の外を颯爽とビル群が駆け抜けていく。徐々に茜色に変化していく空の下、都会の橋の上を迷路のように敷かれた線路の中を、リニアモーターカーが走っていく。所々に生えた木々の赤色がビルの窓に反射して映り、都会の街並みは一種のアートのように、幻想的な雰囲気に包まれていた。
ホログラム映像が流れる車内にて。千尋と香月が隣同士に座り、楽し気に話している。ときどき香月が目を丸くしているのは、おそらく千尋から自分の世界観とは程遠い話を聞かされているからだろう。
一方で、誠次と篠上と桜庭は、乗車口付近に立ち、真剣な会話をしていた。
「ええ!? 薺総理って、本当は子供なの!?」
「いや、姿だけは。だから中身は……うーん、俺もどれが本当のあの人の姿なのか、よく分からなくなってきたぞ……」
「ダニエル先生と言い、不思議な世の中よね」
「まったくだ」
「なんかそれで納得してないしのちゃん!?」
うんうんと頷き合う誠次と篠上に、桜庭が慌ててツッコむ。
「そんな人がこの国の総理っていうのもおかしい話だけど、さっきの演説も……」
なんと言えばいいか、と篠上は語尾を濁す。
あれだけの演説が流れた後だったが、リニア車の中の一般客に特に変わった様子もない。
「俺にも、想像が出来ないんだ。分からないんだ……」
誠次が思い悩む姿を、桜庭と篠上が心配そうにじっと見つめる。
「少し前なら、俺は素直に薺総理の言葉を信じて、肯定していたと思う。でも、今は素直にうんとは言えないんだ……」
「なんか、怖いな……。こう明るいニュースー! ……ないよね」
桜庭が胸元に手をぎゅっと添え、不安げに足元を見つめる。
いつの間にか、つり革を掴んでいる自分の右手が汗ばんでいる事に気づいた誠次。
「いつかは来なくちゃいけなかったことだったはずだ……」
自分にそう言い聞かせるが、深くには響いてこない。北海道の戦いでは、まだ見ぬ強敵の存在を知り、レ―ヴネメシスもまだ活動している。今は寮室にあるレヴァテインのことについても、まだまだ分からないことがある。
「あれ……――」
急に無重力空間に入ったかのように、足元がおぼついた。一瞬だけ世界が白に染まる目眩を感じ、誠次はふらついていた。
目の前では、真剣な顔で話し合う桜庭と篠上の姿が。どうやら、気づかれてはなかったらしい。
(なんだ、目眩か……?)
誠次は首を軽く横に振っていた。
「どこに向かっているんだ? もうすぐ夕方だぞ?」
男の意地と言うわけではないが、つり革を握って立ったままの誠次が、すぐ近くの座席に座っている千尋に訊く。
「あ、誠次くん。それはですね、私のお家です」
誠次はジト目で窓の外を見つめる。
「ここから先の駅は確か高級住宅街が続いているような。さすがお嬢様……やっぱりメイドさんとか、いるのか!?」
「い、いえ、だからそこまで期待はしないでほしいのですが……。莉緒ちゃんさんと同じ反応ですね……」
頭の中でのお嬢様像を想像し、目を輝かせる誠次に、千尋は苦笑していた。
やがてリニア車はとある駅で止まる。夕方の帰宅時間という事もあり、車両に乗ってくる人はそれなりに多く、座席は全て埋まるほどだった。
「でも今から行ったら、時間的に学園に帰れないぞ?」
「明日は休みですし、ぜひ私のお家に泊まっていただきたくて」
にっこりと、千尋は笑顔で言ってくる。
「は!? と、泊まる!?」
再び動き出した車両の中。誠次の戸惑う身体と声は、走り出した車両と共に駅から駆け抜けていった。
――同時刻、リニア車の(先頭車両)一号車に乗り込んだ複数組の男。顔を隠すような白いマスク。そしてまだそこまで寒くはないと言うのに、ダウンパーカーを着こんでいるその姿は、傍目から見れば異常だった。
「……」
「……」
男たちは先頭車両のそのまた先頭、運転席付近でたむろし、それぞれ腕を組んで立っている。一号車のすぐ周りの乗客たちは、気味が悪そうに距離を置き始めた。
「運転手がいないんだー!」
「全部´ジドウ´で動かしてるんだって、父ちゃん言ってたぜ!」
そこへ横から運転席を覗きに来た、無邪気な笑顔をした兄弟らしき年端もいかない二人の子供。
果たしてそれが、合図だったのだろうか。先頭車両に乗り込んだ男たちが、聞き取り不可能な奇声を上げながら、一斉に魔法式を展開していた。
そんな一号車から、離れた六号車にいる誠次たち。後続には二台の車両が連結してあり、全八両編成の車両だ。
【総理大臣の改革宣言に対し、街の声は説明不足だと言う声が大きいようです】
速報として、字幕と映像のみのニュースが、頭上に掲げられた画面から流れている。
「……」
誠次はそれをじっと見つめていた。やはり、内心ではまだ混乱している人が大多数なのだろう。それをそれぞれ表情に出さないのは、気質の問題か否か。
「あれなに?」
静かに走る車両内にて、篠上が鉄棒をぎゅっと握りながら、車両の進行方向側を見つめていた。
誠次も篠上と同じ方を見て、首を傾げる。大勢の乗客が、我先にとこちらへ向かって走って来ているのだ。その乗客たちの鬼気迫った様子に、立っていた誠次と篠上と千尋は揃って、後退っていた。
――ガタンッ! 今まで音も立てずに走っていた車両が、大きな音を立てて揺れ始める。
「きゃっ」
衝撃で篠上がよろめき、誠次はそれを背中を押して抑えてやる。
「あ、ありがとう……」
「いや。でも、これは一体……?」
篠上が安心したように誠次を見上げいている。
しかし、誠次も内心で焦っていた。
車両の揺れは、定期的に続き始めた。そして、六号車にも乗客たちが殺到する。その口から出た言葉には、六号車にいる人々を震え上がらせた。
「先頭車両の方で、魔法を使って集団で暴れてる奴がいるんだっ!」
「早く後ろに逃げろッ!」
とたん、車内に悲鳴がごった返し始める。座席に座っていた人たちは一斉に立ち上がり「マジかよ!?」などと叫びながら、人の流れに乗って走り出す。先ほどからのこの車両内の揺れは、その暴徒とやらが原因だったのか。
「後ろに逃げても行き止まりよ!?」
「うるせぇ! じゃあどこに行けって言うんだ!?」
乗客たちが言い争い始め、車内は一斉にパニック状態へとなっていた。中には座席に座ったまま悲鳴を上げ、動けないでいる人もいる。
「あ、天瀬!」
桜庭の叫び声に、ハッとなる誠次。自覚がなかったが、自分自身もパニックになっていたようだ。
桜庭は座席に座りながら、隣の香月にぎゅっと抱き着いていた。香月も香月で、突然の出来事に驚いているように、身動きが出来ないでいるようだ。
「千尋!」
「きゃっ」
誠次は咄嗟に、通路に立ち尽くしていた千尋の服を引き寄せ、押し寄せる人の波から座席間のスペースへと身体を押し込ませる。直後、我先にと七、八号車へと向かおうとする人が中央を通過していった。
「た、助かりました……誠次くん」
連続して二人の女子を救った形となった誠次だが、思考はまだ鈍っている。背中の武器――レヴァテインは今はない。
そこへ同じく人の波を避けるようにして、篠上が身体を寄せてきた。
「し、篠上!?」
「しょうが、ないでしょ……!」
しかし他にどうするわけにもいかず、誠次は篠上の細い腰に腕を回し、抱き締める。
「ちょ、ちょっと……!」
「状況が状況だ。離れるな! 千尋もな!」
「っ! ……う、うん」
「はい……」
誠次は少しでも気を紛らわせる意味も込めて、前方車両の方を見渡す。一つ前の五号車にはここから見える限りだと、座席に座って頭を抱えて蹲っている人が何人かいるぐらいだ。
(テロ、なのか?)
仄かなシャンプーの香りがする篠上の赤い髪を鼻頭に寄せたまま、誠次は頭の中で考える。
「天瀬くん……窓の外を見てみて」
桜庭に抱き着かれたままの香月が、背後の窓の外を見渡している。そこには、まるで赤い紙吹雪が飛んで行く景色が映り込んでいた。
紅葉が、強風に煽られて次々と舞い散って、いる……? ――いや、これは違う!
「このリニア車が、加速しているのか!?」
まさかと思った誠次が恐る恐る言うと、車内が再び大きな振動を起こし、揺れた。
「え、嘘……」
桜庭も外を見つめ、青ざめた表情をしていた。走る車両の中では逃げ場がないと言う事も、充分に恐怖心を助長していた。
「どうにかして止めないと……」
このままでは、遅かれ早かれ脱線する。人の波がひとまず収まったところで、誠次は篠上を自分の身体から離し、静かに告げる
しかし、レヴァテインはないんだぞ……?
茶色の髪から汗を垂らす誠次は、大きく息を吸って逡巡し、
「落ち着いてくれ篠上。警察にリニア車が暴走しているって電話をしてくれ」
ひとまず誠次は篠上の両肩をぎゅっと掴んでから落ち着かせ、目と目を合わせて言う。リリック会館での帳の行動を、思い出していたのだ。
「う、うん……」
そして口で呼吸をし、汗ばんだ顔を落ち着かせた篠上は、自分の電子タブレットを取り出していた。
「俺は特殊魔法治安維持組織の人に連絡をする」
誠次もまた、自分の電子タブレットを起動し、親しい間柄の影塚広に通信を入れる。黒いスーツを着た影塚の上半身のホログラム映像は、すぐに映し出された。
『もしもし、天瀬くん……?』
「影塚さん! 今リニア車に乗っているんですけど、そのリニア車が、暴走していて!」
『!? ひとまず落ち着いて天瀬くん。その様子だと、君たちの方もみたいだね……』
「? 俺たちの方も?」
頷く影塚の言葉に、誠次は息を呑む。
『規模こそは大小だけど、全国で総理大臣に抗議するデモや暴徒が連続で発生しているんだ。僕たちは今それを鎮圧している最中なんだ』
車の中に乗っているようで、影塚の声にも確かな焦りがあった。
「やはり、総理大臣の演説を聞いて……」
『不幸中の幸いは、局長の命令で僕たちがちょうど全員、全国の見回りをしていたところぐらいだ。……でも、君の方はどうやら、最悪の状況のようだね……』
「戦えないクラスメイトもいます。特殊魔法治安維持組織の援護は難しいでしょうか……?」
『本部に掛け合ってみる。できれば、君が乗ってるリニア車の情報を教えてほしい』
「はい――」
誠次は自分の乗っているリニア車の路線を、影塚に報告した。さすがに詳しくはない車体の事はよく分からないので、それぐらいしか情報がない。
『分かった。ただこっちも人員が全国に散らばっているから、特殊魔法治安維持組織が行けるまで時間が掛かると思う。……耐えられそうかい?』
「いや、でしたらその前にリニア車を止めます……。このままじゃ危険すぎます」
「危険だが……君の実力は大阪での戦いでよく思い知っている。頼んだよ」
信頼を寄せてくれた影塚の確認の言葉に、誠次は慎重に頷く。レヴァテインはないが、どうにかするしかない。
『ここだけの話、大内委員長を初めとしたクーデター派が捕まって、今の政府もとても安定しているとは言えない状況だったんだ。そんな中で、薺総理は敢えてあんな演説をした……』
影塚は周囲を気にする素振りを見せつつ、そんな事を言ってくる。
「――誠次くんっ!」
千尋の叫び声に反応し、誠次は電子タブレットから咄嗟に顔を離す。前方車両より、魔法式を展開した男たちが近づいて来ていたのだ。
(あれが、暴れ回ってるのか!?)
『すぐ行けなくて申し訳ない……。けど、充分に気を付けてくれ。これ以上天瀬くんのデンバコに連絡は入れない方が良いだろうから、通信を終える。ここからの連絡は別の方法を探すよ』
影塚が連絡を中断し、横の篠上も警察への連絡を終えたようだ。二度揺れる車内で体勢を崩しながらも、誠次は近づいて来る男を視界に捉える。魔法式を展開しているあたり、敵は若い。
「なにが目的なんでしょうか……?」
誠次と同じくしゃがんでいる千尋が、ぼそりと呟く。
「分からない……。けど、どっちにしたってこのリニア車を止めないと、この場の全員……!」
最後まで言おうとした口を噤み、誠次はごくりと唾を飲む。
そこへ、男たちが奇声を発しながら、とうとう六号車へと侵入してきた。そして、荒い呼吸音が、男たちの方から聞こえた。
「どうせこの世はもう終わりだ……! 最期に楽しいパーティーしようぜぇーッ!?」
「オラオラオラァッ!」
マスクの上から覗く血走った目をそのままに、男たちは完全に我を失っているようだ。誠次は決心して立ち上がり、
「なにが楽しいパーティーだ。こうなったら――っ!」
「《ライトニング》」
一撃。座席に座っていた香月が、黄色の魔法式を展開し、男たちに纏めて電撃を浴びせていた。青白い魔法の電撃が車両内で迸り、男たちを容赦なく攻撃していた。
「え……」
雷撃を浴びた男たちの身体は、漏れなくぶるぶると不規則に震え、六号車へ入場を果たした所で倒れていった。
飛び出した誠次が呆気に取られるよりも早く、香月は二人組の男を容赦なく打ちのめしていた。
「腕はそれほどもないようね。雑魚よ」
冷ややかに告げる香月の伸ばされた右手付近に、魔法式の残滓である黄色い魔法元素が舞っていた。
「こうちゃん、すご……」
力んでいたのか座席に深く座り直した桜庭が、へなへなと息をつく。
「暴徒と言っても、所詮は一般人ね」
罵声でも浴びせるような口調で、香月は勝利を確信しているようだ。この高速で移動する車内で、そこまでの自信を持ち続けるあたりは、さすがと言ったところか。
「や、やるな香月……」
拳にしていた手の力を抜き、誠次は香月の方へ振り向く。
「レヴァテインを持っていないあなたを、危険な目に合わせたくはないから……」
香月はこちらと目線を合わせずに、そんな事を言ってきた。面と向かっては言えないようだが、気持ちは充分だ。
「ありがとう。まずはどうにかしてこのリニア車を止める方法を考えよう」
「先頭車両までたどり着ければ、どうにか出来そうだけれど……」
香月が前方車両を睨む。
あくまで冷静な女子高生香月詩音を前に、誠次も男としての意地があった。
誠次は頷く。
「よし。だったら、俺と香月で先頭車両まで行こう。幸いな事に、暴徒は先頭車両の方だけだろうしな」
すっかり汗ばんだ顔を上げ、誠次も前方車両を睨んで言った。
「ち、ちょっと待って!」
桜庭が挙手をして、誠次と香月を止める。手にはいつの間にかに出したのか、自分の電子タブレットがある。
「香織生徒会長から連絡が来たの! このリニア車、オートで動いてるんだって! 最後尾ってことは……八号車の方にメイン電源があるから、それをどうにかして落とせばリニア車自体は止まるはずだって!」
顔を赤くしたまま、桜庭が自分の電子タブレットを、誠次と香月に見せてくる。
「本当か!? いや、でもどうして香織先輩がそれを知ってるんだ……?」
「ええっと……。お姉さん経由だって、書いてあるよ」
おそらく、影塚と同じ分隊である波沢茜が迅速に対応してくれたのだろう。
「それでも、どうして桜庭が俺と一緒にいるって分かってたんだ?」
「あー……。た、たぶんバレー部のキャプテンが知ってたから……。一緒に打ち上げ行こうかって誘われたの、こっち優先するって伝えて」
前に体育館で会った事がある、バレー部主将の女性の先輩。そこから香織経由で、桜庭に連絡が来たのだろう。こちらもだが、流石に影塚の方も仕事が速すぎる。
「莉緒ちゃんさん……っ。あなたの、お優しさで……!」
「うえ、ほんちゃん!?」
千尋がなにか神々しいものでも崇めるように、桜庭の両手をぎゅっと掴んでいた。
「私も最後に……!」
篠上がそこに加わる。
「でもなんか、あたしたち全員でいると安心できると言うかなんて言うか……。怖いけどね……」
「桜庭さん……最後の時は、みんなで一緒よ……」
「こう、ちゃん……っ!」
えへへ、と笑う桜庭に、今度は香月が加わる。桜庭はそれがとても嬉しかったようで、いよいよ感極まった様子だ。
「「うわーんっ!」」
「……おーい。なんでお別れ会みたいになっているんだ……」
誠次が手を伸ばしてツッコんでいた。こちらとて、まだ諦めたつもりはない。




