3 ☆
テスト期間最終日。紅葉色の葉っぱが、窓の外では相変わらず舞い散っている。それはそれは、テストが終わった誠次の気分を、表すように。
「……くっ」
たった一日の勉強で、どうにかできるほど、甘くはない。香織との勉強により、赤点はギリギリ免れるかどうかのレベルであった。まず、八ノ夜女史に再び怒られるのは間違いない。
「自分で言うのもなんだけど忙しかったんだ……。どうかお赦しを、お情けを、八ノ夜さん……」
椅子の上に背筋をぴんと伸ばして座り、目を瞑り、誠次は念じるようにぶつぶつ呟いていた。
「テストが終わったら普通喜ぶものだろっての」
前の席の志藤が伸びをし、疲れたように息を吐く
どうやら、いつの間にか真面目に勉強をしていたようで、成績はそこまで悪そうではないと言う。
「なんか変なモノでも食ったのか志藤……」
「やめてその目! 何か奇妙なモノを見るその目ヤメテ!」
そうやって下らない言い合いをしている二人の男子の元へ、金髪のロングヘアーの少女が近づいて来た。
「テストも終わったことですし、皆さんで楽しく打ち上げに行きませんか?」
両手を合わせながら、本城千尋がそんな提案をしてきた。
「マジで? 行く……って言いたいところだけど、俺はパスで……」
「ご遠慮なさらずに」
「いや、マジで用あるから俺はいい」
一瞬だけ明るい表情となった志藤だったが、すぐに苦い表情となっていた。いつもの志藤だったら、飛んででも行きたいところだと思うのだが。
誠次は首を傾げていたが、やがて千尋を見る。
「そうか。みんなって、誰だ?」
珍しいなと誠次は思いながらも、千尋に質問していた。
「それは内緒なんです、誠次くん」
「……」
もしかして、千尋の良い案って、これのことなのか?
悟った誠次は、千尋の提案に頷いていた。
※
私服の魔法生の大所帯が、紅葉散る都会の道を歩いている。秋を感じる涼しいそよ風と、優しい陽ざしが、木漏れ日から覗いていた。
「このメンバーで外出るのは初めてだよね!?」
黒い髪を揺らし、楽しそうに笑顔な桜庭莉緒。その後ろでは、本城千尋と篠上綾奈が、いずれも私服姿で続いている。
そして、最後尾には香月詩音と誠次が続く。
「テストの打ち上げで、前から誘われてたのか?」
「ええ」
誠次が問うと、香月はこくりと頷く。
「それにしても男、俺だけか……」
前を歩く四人の女子を眺めて、誠次はぼやく。男と言う名の援軍が欲しいところだったが、この目の前を楽し気に歩くクラスメイトたちには、変なところで緊張しない。見慣れている、と言う事ではなく、きっと別の理由だろう。
先頭を歩く千尋が、張り切ってみんなを見渡す。
「それではまず、近くにあるハンバーガーショップに行きましょう! お昼御飯です!」
両手を合わせ、上品に微笑みながら言ってきた。
最寄りのハンバーガーショップへは、平日の昼という事もあり五人組の客でもすんなり入る事が出来た。
「あっ。そう言えば、期間限定で月見草バーガーが売ってるな」
レジに並びながら、大きく掲示された店内の看板を発見し、誠次は呟く。他にも店内には、普通にホログラムのテレビ映像が浮かんでいたりもする。
「月見草バーガーって……」
そこで誠次も、ようやく思い出す。確か林間学校で、香月が好きと言っていたものだ。すぐ横にいる香月に視線を向けると、メニューを持った香月はどこか恥ずかしそうに、俯いていた。
五人はそれぞれ好きなメニューを、レジにて注文する。
「ええっと……」
途中、千尋が注文の仕方を分からずに困っていたのを、みんなでフォローする場面もあった。
「それじゃ、テストも無事終わったところで乾杯ーっ!」
テーブル席に座り、桜庭の合図で乾杯をする。もちろん、ジュースでだ。
二人同士が対面する形のテーブル席だったので、五人では必然と一人があぶれてしまう。そこで誠次が、一人ぽつんと隣の席でむしゃむしゃとハンバーガーを食べていた。
「真ん中座っていいよ天瀬?」
香月の隣に座り、横にいる桜庭がぽんぽんとソファ席の間を叩いているが、
「い、いや……」
さすがに恥ずかしすぎたので、誠次は断っていた。周りには同年代の少年少女が大勢いるのだ。見たところその中でも地味にカップルはおらず、軽い女子会状態の中男一人と言う状況は、やはり極めて異質だった。
「まぁっ。これはとても美味しいですね! 出来れば、もう少し前から食べたかったです!」
「絶妙に美味しいわよね」
「その詩音ちゃんの言う絶妙と言うところはまだ分かりませんけど……」
「「あははは」」
面白そうに笑いあう、女子四人組。それらを横眼で眺めながら、これもまたありだと、誠次は一人黙々と月見草バーガーを食べていた。
しかしこの月見草バーガー。草と言う名前を冠しているだけあって口に入る食材が何から何までヘルシーで、身体に良さそうなものばかりだ。それでいてしっかり味があってリーズナブル。昨今のジャンクフードに対して見事なまでに喧嘩を売っていくスタイルは、称賛されるべきであろう!
――と、自分の食べかけの月見草バーガーをしげしげと眺めて、誠次はひっそりとそれを褒め称えていた。
『――間もなく、薺総理大臣による演説が始まります。なお、この中継は日本国内の全メディアにより、一斉生放送される予定となっています』
賑やかな店内に不釣り合いの、女性アナウンサーの神妙な声が、誠次の耳に聞こえてくる。声のした方を見ると、宙に浮かんでいるテレビ画面で、昼のニュース番組が流されていた。
誠次はストローでお茶を飲みながら、テレビ画面に注目する。
大量のフラッシュが焚かれる中、壮年の風貌をした薺紗愛が、横から姿を現す。薺が立ち止まった壇上の背景には、国際魔法教会の紋章が浮かんでいる。
『かねてより報道があった事で、ご存知の方も多いと思います。先日のオーギュスト魔法大学でのクーデターに関係して、大臣、並びに国会議員の一斉粛清を行いました。その数は十数名を越え、後ほど公開いたします』
冷酷無慈悲ともとれる表情と声で、薺は淡々と告げる。
『また、今回の件によりこの国の内部事情の危うさが明らかとなったはずです。二〇六〇年に一度改革されたはずのこの国は、結局保守的な考えのまま、あの最悪の日を迎えてしまいました。この世界、そしてこの国の敵は魔術師ではありません。むしろ、これからの将来のあり方は、いかに魔術師に適した世界を作るかへとかかっています。すなわち、既存の大人たちによる自己保全のための平和な世界ではなく、完全な魔法世界への移り変わりを宣言いたします。なお、これは゛強制でありこの国に課せられた責務でもあります゛』
途端、室内でがやがやと声が飛び交う。
もしくは、最初から興味がない人もいるか。
ただ、持っていた月見草バーガーを机の上にポロリと落とした誠次は、
「嘘だ……薺総理……。そんな強引なやり方は……朝霞刃生や辻川と同じじゃないか!」
居ても立っても居られなくなり、言葉を整理することもままならず、誠次は思わず立ち上がって叫んでしまっていた。
「あ、天瀬……?」
当然、隣の女子四人がぎょっとし、周りの人々も奇妙なモノを見るような目で、一斉に誠次を見てくる。
あっとなった誠次が我に返ったところで、斜めに座っていた篠上が咄嗟に立ち上がる。
「も、もう天瀬ったら! 今度の文化祭の演劇の練習なんて、今ここでやんなくたって良いでしょう!? こっちが恥ずかしいわよ」
「っ!?」
咄嗟の機転を、篠上がしてくれたのである。
「あ、ああ、すまない……」
誠次も落ち着いて謝れば、周囲も篠上の言葉を信じ、視線を外す。
「しのちゃん、凄い……」
「やりますね……さすが綾奈ちゃん……」
桜庭と千尋が小さな拍手を、立ち上がった篠上に送っている。
「う、うるさい……!」
目立ってしまったことに変わりはない。向けられる周囲の視線に、篠上も篠上で、恥ずかしそうに肩をすぼめて着席していた。
「篠上、みんな、本当にすまなかった……」
「気にしなくていいわよ……」
「……」
篠上が奥からフォローしてくれ、香月が何かを思う視線でこちらを見てくる。
「……っ」
誠次は紙コップをぎゅっと握り、俯いてしまっていた。周囲の人々はすでに興味を失くしたようで、みんな自分の世界へと戻っている。
一方で、薺の演説は続いていた。その一言一言が、誠次の背筋を重く、ぞくりと震わせていく。
『将来必ず訪れる魔法世界。その革命の為の核となる存在こそ他でもなく、魔法生なのです。私はここに、゛数ヵ月内´の国内全校の魔法学園化を宣言いたします。そして更に、全国の小中学も一斉に、魔法学を中心としたカリキュラムへと移行いたします。それも、実戦魔法を中心へと』
確かな自信を顔に描き、薺は高らかに言い放つ。本来の姿である、子供の頃のおかっぱ頭の不敵な笑顔が、その後ろから重なる。
そしてテレビから流れる声にざわついたのは、周囲の同学年と思わしきお客さんたちだ。
「え、聞いてないんだけど……」
「数ヵ月って……俺たちの高校が、魔法学園になるってこと……?」
「じっせん魔法って……?」
カメラのフラッシュがより一層強まったところで、薺は次の言葉を重ねた。
『魔法の力が、どうか私たち人を守ってくれるように。国際魔法教会と共に、歩んでいきましょう』
『これは独裁に他ならないのではないですか!? 国会での議論は、ちゃんと行ったのでしょうか!?』
テレビ画面の中から、誰かが声を荒げる。
『今のままではこの国はまた三〇年前同様、衰退するのみです。この状況を打開するためには、私の事を独裁者と後世の歴史家が呼んでも、気にはしません』
『それはつまり、独裁を認めると言う事でよろしいでしょうか!?』
『納得いかないのであれば、海外にでも移住したらどうでしょう。もっとも、状況はどこも同じでしょうけど……』
薺は文字通り、切り捨てるようにして言い放つと、踵を返して会見場を後にしていく。呆気にとられたのか、唖然としているのか、記者団は写真を撮る事も忘れてしまっているようで、フラッシュの光はまばらであった。
「一方的すぎる……」
誠次は唇を噛みしめ、立ち上がった。
「ちょっと、お手洗いに行ってくる……。みんなは、心配しなくていい」
誠次は立ち上がると、お手洗いへ向けて歩き出す。
『ええっと、薺総理大臣による演説を……お届けしました。ここ最近、穏やかではないニュースが続いている気がいたします……。この国はいったい、どうなってしまうんでしょうか……』
桜庭たちにすれば、見覚えがある男性アナウンサーが、目を深くつぶって神妙な口調で締めくくる。仮初の平和を維持していたこの国は、ゆっくりと、しかし着実に変わろうとしていた。
「そんな……せめて誠次くんに、ゆっくりしてもらいたかったのに……私のせいで……」
千尋が肩を落としているのを見てから、立ち上がった女子が一人。香月だ。
「一人で悩むなと言ったのは、どこの誰だったのかしら? 私が教えてきてあげるから、安心して本城さん」
「し、詩音ちゃん?」
香月は不敵に微笑むと、次の瞬間には歩き出す。なぜか気品を感じるその仕草に、篠上たちが見惚れていたが。
「……おそらく男子トイレですよ……?」
千尋のツッコみに「そこなの!?」と桜庭が反応していた。
男性用トイレに一人で入った誠次は、すぐに個室に入り、閉じたドアに背中を押し付けるようにして立っていた。
「……俺の心配しすぎなのか……?」
現状が決して良いわけではない。しかし、変化を恐れている自分も確かにいる。
(――また一人で悩んでいるみたいね)
「な!?」
香月の声が背後から突然聞こえ、誠次は慌てて扉から背中を離す。念の為鍵を掛けておいたドアを開けると、案の定香月が立っていた。
「いや、ここは男子トイレだぞ!?」
(《インビジブル》使ってるから平気よ。それにしても、男子トイレは初めて見るわ……。不思議な形ね……)
小便器の列を見渡して、興味津々そうに香月は呟く。
「《インビジブル》どうこうって言う問題じゃないと思うんだが……」
誠次はおっかなびっくりにツッコんでいた。本当、一歩間違えたら犯罪である。
しかし、自分の事を心配してくれている事は伝わって来て、誠次は嬉しかった。
「……心配かけてすまない。俺の悪い癖だな……」
バツが悪そうに、誠次は笑いかける。
(いえ……そう言うつもりじゃないわ)
香月もどこか不安そうに、自分の胸元に手を伸ばしていた。
「……」
誠次は一旦深呼吸し、浮かない表情のままだが、話し始めた。
「なにが正しくて、誰が間違っているのか……俺にはまだ分からない」
白を基調としたタイル床の室内で、静かに響く自分の声。香月はそれを、無言で聞いていた。
「でも、俺の傍にいてくれる香月やみんなの為に力を尽くす事は、約束する。改めて恥ずかしいけど、これからも頼むぞ、香月」
今確かに分かる事は、どんなに小さくてもそれだけだ。誠次が軽く笑いながらもハッキリ言うと、香月も安心したように、小さく頷き、
(……ありがとう、天瀬くん。あなたの事を、信じているわ。そして、あなたを待ってるみんなも)
「香月。ここで言うのもなんだけど、香月のお父さん、東馬さんの事――」
誠次が決心したように、言おうとするが、香月は首を横に振る。
(……今は、本城さんがせっかく用意してくれた゛大切な時間゛のはず。そんな空気を壊したくない。でも、私も覚悟は出来てる……)
「そ、そうだな。ごめん、俺……つくづく、空気が読めなくて……」
誠次が片手で前髪を押し付けるように片目を塞ぐが、香月は首を横に振った。凛とした表情で、微かな決意を滲ませて。悲壮感と言うのは、そこには不思議と感じなかった。
(もしもその時が来ても、あなたとなら、乗り越えられそうだから……)
こちらを真っすぐ見つめる香月の言葉に、誠次は微かに眉を動かし、すぐに首を縦に振る。
「……任せてくれ」
やがて、男子トイレを出た二人。
「あ、心配したよ天瀬?」
「私に恥かかせてくれちゃって……。まったくもう……」
「でもでも、叫んでいた誠次くんも少し格好良かったですよね?」
「ごめん。それじゃあ、次はどこに行くんだ?」
香月を送り出し、待っていてくれたクラスメイトたちと合流していた。
その一方で、
「……さっきの隣の人、一体誰と話してたんだ……? 中二病みたいでき、気色悪い……。滅茶苦茶出るの、気まずかったしよ……」
誠次がいた個室の隣の個室からゆっくりと出てきた腹を抑えた男性が、゛誠次の独り言´を聞いていたようで、とてつもなく困惑していた。




