八話 迎撃Ⅲ
魔物共が土の槍に串刺しにされていく。
その光景を、グレイは避難所の前から眺めていた。人間と言う存在を愛して止まない己の従者が、村の破壊を躊躇する事は予想の範囲内。
だが、あれでは魔物共は止まるまい。上から見下ろしているテレスと違い、グレイは地に立って魔物と同じ目線で見ていたので、魔物の狂気には気付いていた。悪魔の術のせいかは知らぬが、あいつらはすでに正気を失っている。
今にして思う。余計な事を言ったかも知れないとは思ったが、やはり「建物の被害は諦めろ」と言うあの一言は必要だった。
悪魔達との戦闘で、村の建物にまったく被害を出さずにいられるとは、グレイは最初から思ってなどいない。最悪、この村が無くなるかも知れないとすら考えている。敵に勝利できても村に被害を出せば、テレスは間違いなく悔やむだろう。あの心優しい堕天使の後悔が少しでも薄らいでくれるのならば、主従契約に基づく強制命令も辞さない心積もりでいる。
テレスの主であり、この戦闘で指揮を執っているのはグレイだ。ならば、
(村を破壊する事になろうと、それは全て俺の責任だ)
自分以外、誰も村人達から責めさせはしない。
特に己の従者達には一切の責を課す気は無い。
だが、そこまでの意は彼の従者には伝わらなかったようだ。
下に居る直接戦闘する者達への援護のつもりもあったのだろうが、村への被害を抑えようとした分だけ魔物への被害も少ないものになってしまった。建物の被害を考慮しなければ、探知に掛かった魔物全てを吹き飛ばせただろう。避難した村人が無事ならば、それで良いとは従者は考えてくれなかったようである。
避難所の中からは物音一つ聞こえない。元々、魔物の襲撃から村人を護るという建物の性質上、壁は厚く大きな窓は無い。外の音も聞こえづらいが、中の音も漏れにくい。
外の様子を伺う為の覗き窓はいくつか在るが、今はその付近にメイ達が作り出した小さな光球が浮んで視界を邪魔しているはずだ。冒険者達はもう仕方無いと割り切っているが、大勢の村人にまで自分達の戦いぶりを見られたくはなかった。あまりにも世に知られている冒険者の戦い方とは違いすぎる。
メイ達は覗き窓を塞ぐという、グレイの指示にすぐ従ってくれた。彼等もグレイ達の異質さには気付いていたし、命の恩人達が後々困るような事態は避けたいと思ってくれたようだ。
共に戦うはずだった自警団の面子も、全て建物の中に避難させた。今は大人しく篭ってくれているが、外の戦闘が激化すれば様子を見よう等と、余計な事を考える者が出るかも知れない。そうなる前に早く終わらせてしまいたいが、それが難しい事も判っている。
串刺しにされた魔物共は悲惨な有様だった。手足が引き千切れ、頭は潰れ飛び出した目玉が地に落ちる。もはや襤褸雑巾のような姿で、槍衾が林立する中に点々と刺さっている。
「うわぁ……テレスさんったら、えっぐいなぁ……」
リリアが心底嫌そうな声を出すのにつられ、グレイは後ろに居る冒険者達へ視線を移した。
リリアは声の通りに、口を横に広げて思いっきり嫌そうな顔をしていた。年頃の若い娘としてそれはないだろうという顔ではあるが、不思議とリリアがすると妙な愛嬌がある。
ベルクドとメイはさすが熟練の冒険者らしく、平然とした顔で、
「おお! すげぇな、おい。このまま全部やっちまってくれれば楽なんだがなぁ」
「聞きしに勝る術者ね、テレスさん。むしろ私達の出番あるのかしら?」
等と呑気な感想を洩らしていた。
ユースはさり気なく、青い顔をしたマナを気遣っている。冒険者としての経験が浅いユースが、あの凄惨な光景に動揺していない事に、グレイは少しだけ感心した。優しい風貌の割りに、中々肝が据わっているようだ。
マナが怖気づいているのは気に掛かるが仕方あるまい。一番年若く、まだ子供と言っていい年齢である。いずれ、こんな光景にも慣れる日が来るだろう。彼女の年で惨い死体に慣れると言うのも、それはそれでどうかとも思うが、慣れなければ冒険者としては大成出来ない。
そんな事をしていたのも束の間、テレスが二度目の詠唱を始めてすぐに割って入った声に、グレイは弾かれたようにそちらに眼を向けた。
女悪魔が翼を広げ夜空に浮いている。構える弓はテレスに向けられ、従者達とにらみ合っていた。とりあえず己の従者の無事を確かめ安堵するも、そちらにばかり構ってもいられない。
「あれが、おめぇさん達が言ってた『アクマ』ってぇ奴か?」
「そうだが、今は構うな! 魔物共が来るぞ!」
ベルクドの言葉に、グレイは鋭い声で返す。
だがリリアが焦ったような声を出す。
「援護しなくていいの?! すっごい強いんでしょ?! あれ!」
「人の事を心配していられる余裕があるのか?」
グレイが意図して辛辣な口調で返すと、リリアは彼を睨みながらも押し黙った。
「グレイの言う通りだ。今は自分の役目を果たせ、リリア。グレイ、打ち合わせ通りで良いのか?」
ベルクドがリーダーらしいところを見せ、声だけでなく身振りで仲間達の注意を魔物に引き戻しながら、指揮を執るグレイに確認してくる。
「後衛は避難所前から動くな。ベルクドは後衛の直援を頼む」
「私はやっぱり遊撃なの? あの数に飛び込むのかぁ……」
心細そうな声のリリアに、グレイは先程の辛辣な口調とは打って変わった、力強い頼もしい声で返す。
「俺の傍から離れるな、必ず護ってやる」
その言葉にリリアも覚悟を決めたようだ。荒事に慣れた冒険者らしい顔つきになった。
指示を出している間に、何匹かの魔物が槍衾を乗り越え駆けて来る。
後衛陣から、まずは精霊術を用いた遠距離攻撃が開始された。
「我と契約せし火の精霊ノイアに願う! 我が指し示す者に火の矢の洗礼を!」
普段は優しい声のメイが、凛々しい声色を張り上げて精霊術を行使する。メイが伸ばした指先から激しく燃え上がる炎の矢が飛び出し、指し示す先に居た魔物に命中。魔物は瞬く間に炎に包まれ、その場で倒れて転げまわっている。下級精霊を用いた割りに威力が高いのは、メイが契約精霊と強い信頼で結ばれ、長くに渡ってこの術を弛む事無く研鑽してきたからだろう。
「守護精霊マズレイル! 僕の声に応えて! 仲間達に加護を!」
ユースの呼び掛けに応え、彼を守護する樹の精霊が姿を現した。ユースの背後に彼の背丈よりやや高い半透明の樹が見える。樹で在りながらどこか人型を取っているそれが、両手に位置する枝を振り回すと、グレイを含めた冒険者達全員が淡い緑の光に包まれ、それぞれに吸い込まれるように光は消えた。
「暫くの間、多少の傷なら回復します」
ユースが術の解説をしている横で、マナが情けない声を出していた。
「わ、私と契約してくれた土の精霊ラズリィさん。力を貸して……って、えええ?! なんで拒否するのぉ?!」
「あー……すまん。この辺りの土は我が掌握しているせいで、力を貸すことが出来ないのだろう」
半泣きになってしまったマナの後ろに、何時からそこに居たのか土の上位精霊がひどくバツの悪そうな顔で立っていた。
「……カドミア、まだ居たのか?」
「それは無いだろう召還主よ。送還を忘れているのはそちらだろう?」
グレイの間が抜けた声に、呆れたような色を隠しもしない声が返ってきた。
精霊達は普段気の向くままに、この世界の何処かで過ごしている。
精霊術の行使において、決まった詠唱は無い。契約した精霊に意思を通そうと放たれた言葉ならば確実に届く。契約者の声が届いた精霊は術者に己の力だけを、事前に術者との間で決められている代価と引き換えに必要分だけ貸し与える。
長く同じ精霊と契約していれば御互いに信頼関係や友情めいた物も育まれ、代価を値切ったり、精霊の方から術の威力をおまけしてくれたりする。熟練の術者が若輩の術者より、少ない魔力で強い力の術を行使出来る主な理由がこれである。
中には精霊に好かれやすい性質の者も居り、経験が浅くとも強力な術を使えたりするのだが、そういった者には大体に置いて守護精霊が憑く。ユースが、これに該当する。
召還となれば精霊自身がどれほど離れた場所からでも、瞬時に呼ばれた場所に現われる。
術の行使における魔力の引渡しや精霊の力の貸し出し。そして召還においては精霊自身が空間を飛び越えている訳だが、なぜこのような事が可能なのかは、世界中の術者や見識者が研究しているが判明していない。
ならば当の精霊達に聞いてみれば良いとなり、実際に過去何度も精霊達に尋ねているのだが、決まって要領を得ない答えが返ってくる。
精霊曰く、「世界には裏と表があり、人間は表でしか生活出来ないが、精霊はどちらでも住める。離れた場所に行く時は、裏の世界の抜け道を使っている。裏であれば魔力等はお手玉のようにやり取りできる」と、言う事らしい。
表裏一体であれば距離も同じではないのかとか、時間も同じように流れているのかと言う問いには、問われた精霊全てが怪訝な表情を返す。彼等にしてみれば、生まれた時から出来る事にいちいち疑問を持ったりしない。何事においても理屈を付けたがり、森羅万象全ての事情を解明したがるのは人間だけなのだ。一度生れ落ちればまず死ぬような事の無い精霊と、有限な寿命しか持たない人間では、感覚が違うのも致し方ない事なのだろう。
一度召還した精霊は術者が召還を切る手続き、「送還」と呼ばれる物をするか、術者自身が代価を支払えなくなるまで術者から離れる事が出来ない。
グレイは土の上位精霊を召還する時に、自身の魔力を代価とした。つまり、グレイ自身が送還するか、彼の魔力が尽きるまでカドミアは帰れない。そしてグレイの魔力は底無しなのである。放って置けば、何時までだって召還されっ放しになるだろう。
それを忘れていたくせに、「まだ居たのか」とは何事か。そんな呆れを多分に含んだジト目で睨んでくるカドミアから、グレイは鈍い汗を掻きつつ眼を逸らす。
「グレイさん! 敵! 敵来るよ!」
リリアが焦った声を飛ばすが、グレイはさして慌てない。テレスの術のおかげで、今襲ってくるのは精々数匹程度。彼にしてみれば、どうとでも出来る数だ。
カドミアから視線を逸らしたついでとばかりに魔物に眼を戻せば、グレイの目の前で魔物共の姿が消え失せた。
突然、地面にぽっかりと口を開けた穴の中に落ちたのだ。魔物が落ちた穴は、そのまま有無を言わさず閉じてしまった。落ちた魔物は当然の如く生き埋めだろう。
それを見たグレイは「送還を忘れていたのは、正解だったな」と、自らの失態を誤魔化す。
「悪いが送還はまだ後だ。手伝え」
「承った、我が召還主。だが貰った魔力は、ほぼ使い果たしてしまってな。ここからは無料働きか?」
魔力など無くとも、精霊は力を行使出来る。だが代価無しで、人間の為に力を行使する事は無い。遥か遠い昔に、初めて精霊達の王と約定を交わした人間との取り決めでそうなっている。これだけは全ての精霊達が破る事の出来ない不文律だ。
「好きなだけ持って行け」
「豪気だな。では、遠慮無く頂こう」
カドミアは言葉どおりグレイから大量の魔力を汲み上げる。しかし、いくら汲み上げても召還主の魔力は無くなるどころか減った気配すら無い。程なくカドミアの方が音を上げた。
「うぅ、上位精霊たる我が、この身に蓄えられる限界まで汲み上げても、いささかも衰えない魔力とはな。召還主、そなた本当に人間か……」
「ほっといてくれ、俺も少しばかり自信が無いんだ」
グレイの拗ねたような声に、土の上位精霊は自分が踏み抜いてはいけない所を踏んでしまった事を悟る。二度とこの手の冗談は口にしないと、胸の内に固く誓った。この召還主をカドミアは気に入っているのだ。嫌われるような真似はしたくない。
そうこうしている内に次の魔物共が駆けて来る。テレスの作った槍衾は、有効に機能しているようだ。敵は土の槍に引っかかっている死体を足掛かりに乗り越えてきているが、死体がある場所は多く無く、何匹もの魔物に踏みつけられてぼろぼろと崩れ落ち、足掛かりは更に数を減らしている。
槍衾を崩そうと試みている魔物も居るが、堕天使の術で作り上げられた槍はびくともせず、天に向け聳え立っている。おかげで魔物の突撃は散発的な物になり、一度に相手する数が限られるのはありがたい。
その散発的に襲ってくる魔物達の間に、悪魔とティアが縺れるようにして落ちてきた。驚いた魔物達の動きが止まる。
地面すれすれで離れ御互いに無事着地した二人は、周りを取り囲む魔物達の事など眼に入らぬ様子で、間を空ける事無く再び戦闘に突入した。逃げる悪魔を追いかけ路地裏に駆け込んでいくティアを、屋根の上からテレスが跳躍して追いかけて行く。
悪魔の身のこなしと追いかけるティアの速さ、そして人間離れしたテレスの跳躍に冒険者達が唖然としている。その様を見たグレイは、すぐさま注意を促した。
「見惚れてる暇はないぞ。すぐに次が来る」
「……さっきまで、おめぇさんが一番遊んでた気がするんだがな」
ベルクドの発言は聞かなかったことにした。
テレスとカドミアのおかげで、開戦して間が無い内に良い戦果を上げているが、まだまだ敵の数は多い。なにより男悪魔の姿が見えないのだから、気を抜く事は許されない。
グレイは迫ってくる魔物共の姿を見ながら、背後のカドミアに訊ねる。
「カドミア、さっきの落とし穴はまだ使えるか?」
「落とすだけならば幾らでも出来るが、場所が足りなくなりそうだ」
「場所?」
「一度落とした所には、すでに魔物が埋まっているのでな。土の中で朽ち果てるまで、次の穴は開けられん。穴を開けられるのは我が居る付近に限られる故、この数では何れ場所が足りなくなるであろうな。土を盛り上げ土砂崩れでも起こせば一網打尽に出来ようが……」
「俺達を巻き込まずに出来るのか?」
「無理だな」
あっさり言い切られた。
一匹だけ突出して来た魔物をグレイは斬り捨て、カドミアに指示を伝える。
「ここに居て、近づいてきた奴を可能な限り落とせ。出来なくなったら後ろの者達を護ってやってくれ」
「心得た、我が召還主」
カドミアの返事に答える事無く、グレイは迫り来る魔物共に向け駆け出す。背後にこの土の上位精霊が居てくれるのならば、後衛達の心配はもはや要らない。例え悪魔がこちらに現われたとしても、自分が戻るまでは持ちこたえてくれるだろう。
「行くぞ、リリア! 出来る範囲で良い! 敵の数を減らせ!」
「はい!」
グレイの号令に応え付いて来るリリアの声にも、もう迷いは感じられない。
女悪魔を追撃していった従者達は気に掛かるが、二人が共に居れば遅れを取る事など無いだろうと信じている。
今は魔物を殲滅する。それだけを心に決めて、グレイは一切の雑念を捨て去り魔物の群れの中に踊り込んで行った。