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四話 悪魔

 

 村の出口から見える森の中からは、魔物共の唸り声が微かに聞こえてくる。

 ベルクド達が迎撃の準備の為に去った後、村を囲む粗末な柵に腰掛けたグレイは、時折森の中から姿を見せる魔物に向けて指弾を放っていた。

 握った右手の人差し指に乗せた小石を親指で弾く。ただそれだけの無造作にも見える行為で、20メートルは離れた位置に居る獲物の額が陥没し絶命する。

 今もまた、痺れを切らした魔物の一匹が周囲を伺う様にしながら姿を現したのに狙いを定め、小石を指で軽く弾く。しかし、弾かれた小石は彼の手から離れる事無く砂となって霧散した。

「……ちっ」

 グレイは軽く舌打ちすると右手を開き、じっと掌を見つめている。

 その光景を隣で見ていたテレスが、とりあえず彼が仕損じた魔物を魔術で始末すると彼に向き直って訊ねた。

「また身体能力が上がっているようですね?」

「……みたいだな」

 自身の右手を閉じ開き、また閉じる。何度か調子を確かめるように繰り返した後、テレスに目を向けると、ふわりとした微笑みが返ってくる。

 その微笑みに唐突に問いを投げかける。

「扉はあると思うか?」

「はい。そしてもう開いていると推測します。でなければ、これだけの魔物が集まっている理由が判りません」

「向こうの世界から漏れてくる瘴気が魔物を引き寄せている……だったか?」

「ええ。こちらよりも、あちらの方が悪い気が溜まっていますから、両の世界が繋がると瘴気の薄いこちらへと流れ込んできてしまいます」

 グレイは森の方角に目をやり、そこに潜んでいるだろう魔物共の気配を探る。数は増えていないように思えるが、これから先どうなるか判らない。扉を閉じない限り、漏れ出す瘴気に引き寄せられる魔物の数は増えていくだろう。

「神の居なくなった世界より、神が居る世界の方が瘴気が濃いとは皮肉なものだな」

「随分と人が増えすぎましたし、瘴気を食らう魔物も居ません。日本の妖怪を始めとする世界各国の怪異達は瘴気を食らうモノではありませんし、瘴気を浄化できる術士も数が少なすぎますので、溜まる一方なのでしょう。それに……」

「……こちらでの失敗を教訓に、人間の魔術を制限したからか」

「その反動で物質文明(マテリアルシヴィライゼーション)が大きく先行し過ぎて、精神文明(アストラルシヴィライゼーション)が置き去りになりつつあります。結果、天上の第五元素(エーテル)の発見もまだですし、そもそも人の数に比べてエーテルが薄すぎますからね」

「エーテルを発見出来ない限り魔術の発達は望めない。魔術が発展しないから、瘴気を抑えることも浄化も侭なら無いと……詰んでるんじゃないか? あっちは」

「そうですねぇ……あちらの世界は、ゆっくりではありますが確実に終焉に向かっています。こちらも違う理由ではありますが、終焉に向かっているのは一緒ですね……何千年何万年後の話ですが」

「永遠の楽園を造るはずが失敗続き。神々も万能ではないか……」

「『創造神』は世界を造るだけで、創造した後は見てるだけですしね。『神々』も世界を運営するシステムとして『創造神』に造られた存在でしかありませんし……人間の上位互換みたいなモノですから、完璧には程遠いのも仕方が無いですね」

 神話に語られる神々が人間くさいのは、その辺りが理由なのかも知れない。そんな益体も無い事を考えながらグレイは元天使に疑問をぶつける。

「システムと言っても、神々が居なくてもなんとかなる程度の物だろう?」

「神々が滅んだこちらでは精霊が代行していますから」

「……向こうの世界の神々が滅んだら?」

「『天使』とか『悪魔』が代行すると思いますよ。どちらが覇権を握るかで世界の様相はかなり変わると思いますけれど」

「その辺、『創造神』は絡まないのか?」

 問いかけられたテレスは立てた人差し指を唇に当てつつ小首を傾げ、

「どうでしょう? あのお方の考える事は、私達にもまるで判りませんね。存在の次元が違いすぎます。蟻が人間を理解しようと頑張ったところで、どうにもならないでしょう?」

 眉根を軽く寄せた困り顔でそう答えた。

 彼女が判らない物を、自分がいくら考えたところで判るはずも無い。グレイはさっさと疑問を思考から投げ捨てると、今直面している現実の問題へと戻ることにした。

「魔物共はなんとかなるだろう……問題は」

「誰が開いたか……ですね。扉を開く資格を持っているのは主様あるじさまだけですし……」

「開く方法を知っているのはお前だけだ。ただし、こちらの世界ではって事だがな」

「向こうから、ナニかがやって来たと考えていた方がいいでしょうね」

 そう言って揃って溜め息一つ。ナニが来たか知らないが、とても厄介な事態であることだけは確定している。

 二人揃って現実逃避の長話を続けていたが、いつまでも眼を背けたままで居ることは出来ない。

 テレスに向けていた視線を横に滑らせると、やや離れた位置に居るティアが視界に入った。マナに貰った人形を飽きずに見つめ続けている。

 いつもの無表情のままで、人形を見るその瞳にも感情を表す物は見て取れないが、片時も視線を外す様子の無いところを見ると随分気に入っているようだ。

 さして緊張を感じさせない彼等の態度ではあるが、テレスは広範囲に探知系の魔術を数種類同時展開しているし、ティアが気配を感じ取れる範囲は人間のそれより広く正確だ。なにかあれば彼女達が気付かないはずは無いだろうと、グレイは二人に全幅の信頼を寄せている。

「ベルクド達は、まだ時間が掛かりそうだな」

「真夜中ですし、小規模な村と言っても村人全員を一箇所に集めるのは大変だと思いますよ」

 迎撃準備に戻ったベルクド達からの合図はまだ無い。

 片田舎の小さい村とは言え、二百人程度は住んでいる。そのうえ都市のように綺麗な区画整理が成されているわけでもなく、山間の平地に家々がまばらに建っているのだ。就寝中の村人全員を叩き起こして事態を説明し、中央の建物に集めるには相応の時間が必要だろう。

 グレイは森の方に視線を戻し、テレスに指示を出した。

「念の為に、もう一発放り込んでおいてくれ」

「あまり刺激し過ぎても逆効果になりませんか?」

「そのあたりの加減は任せる」

「難しい注文ですね……」

 彼の指示に苦笑しながらも、魔術の構成を考えるテレス。

 実際のところ彼女の魔術は魔物共にほとんど影響を与えていない。森の中に潜まれたままでは姿を視認出来ないからだ。

 周囲の環境に影響を与えずに狙った対象だけを術の範囲に収める為には、視覚によって対象を認識し術の影響を与える物と与えない物を術者が識別しなければならない。魔物の姿が森と暗がりによって隠れてしまっているのでは、魔物だけを狙って術を行使するのは難しい。

 森ごと吹き飛ばすのならば簡単なのだが、その範囲が広すぎる。

 魔物が潜んでいると思われる場所は、その気配から察するだけでも相当の広さがあり、これを全部吹き飛ばしたのなら村にも悪影響が出るだろう。森自体は村に様々な恵みをもたらしてくれている大切な物だから、出来るだけ傷つけたくは無かった。

 空気だけを無くして窒息死させる手もあるが、範囲がやはり問題となる。

 広範囲を真空状態にしては、直後に吹き荒れる突風によって結局森は大打撃を受けるだろう。そもそも魔物の中には呼吸を必要としない物も居る。森に潜む魔物全部を確認していない以上、相手がディンガだけとは限らない可能性もある。

「平地なら全部一度に吹き飛ばせて楽でしたのに」

「……見た目は清楚美人なくせに、考える事もやる事も結構エグいよな。お前」

 呆れたようなジト目でボソっと呟いたグレイの声に反応し、テレスは両手を頬に当てて身悶えした。

「そんな清楚美人だなんて……」

「……都合のいいとこしか聞いてねぇ」

 昼間からずっと他人と行動を共にして余所行きの顔を作り続けていたせいか、仲間内だけになると安心感から素が出てしまっている二人。いつも交わしている、どうでもいいようなやり取りを楽しんでいたりもする。

「ま、何でもいいからやってくれ」

「はい、主様あるじさま。では……テレスリーア・シンクレットが命じる」

 本人は気付いていないが、少しだけテレスのテンションが高い。そのテンションのままにそれでも的確な魔術を構成し詠唱を紡ぐ。

 テレスの魔術が森の目の前、村との境にある平地に炎の渦を作り出し、その付近に居たらしい魔物が森の中で慌てたような声を上げている。だが、炎は森に届かないぎりぎりの距離で留まっていて、森に潜む魔物共にも当然届いていない。

 術が納まり炎が消えれば森は先程と変わらぬ姿でそこに在り、魔物共の騒ぐ声だけが聞こえている。

 結局のところ、テレスが放った魔術は唯の牽制である。突然吹き出した炎に驚き警戒した魔物達が、炎が沸きあがる平地に出て来ず森の中に隠れる事を選んだだけなのだ。

「こんなところで、どうでしょう?」

 テレスが主に己の仕事の評価を求める。彼女の放った術は魔物共の警戒を深くし、自棄になった魔物が大挙して飛び出してくることもなかった。時間稼ぎの役割を十分に果たしている。

 見事に主の注文に答えた彼女の顔には、実に判り易く褒めてと書いてある。

「お見事。お疲れさん」

 グレイがテレスの髪を撫でながら褒めると、彼女は満足そうな笑みを浮かべる。

 テレスの髪を撫でながらグレイが闇に向かって声を掛けた。

「村に用なら明日にしてくれないか? 今は少し立て込んでいるところでね」

 緊迫した場面にありながら、どこか和んだ空気だった彼等が緊張をその身に纏わせていた。

 詠唱の為に術の構成を練り始めたテレスの横には、いつの間にか来ていたティアが肩幅より広めに開いた足を前後にずらして立ち、何時でも動けるように身構えている。

「『村に用は無いわねぇ。あなた達に逢いに来たのよぉ』」 

「『……日本語?!』」

 夜の闇の向こうから聞こえた声に、グレイが驚きのあまり日本語で反応した。それは彼にとっては懐かしい母国の言葉。こちらの世界では彼とテレスしか知り得ないはずのもの。

 腰掛けていた柵から降り、自然体で立っているように見えながらも警戒を強くするグレイ。彼の従者二人が、その後ろでやはり油断なく声のした方向を睨んでいる。

「『そう構えないで欲しいわねぇ。別にやり合う気はないのよぉ?』」

 闇の向こうから滲み出るように姿を現した者が二人。

 豊かな巻き毛を腰まで垂らし、見る者全て老若男女を問わず惑わすような色香を全身から放っている女。

 そして背の高いグレイより更に上背があり、筋肉が異常な盛り上がり方をしている男。

 どちらも共通している特徴があった。

 口元から覗く牙。尖った耳。青黒い肌。紅い眼。頭から生えたねじれた二本の角。背中にある蝙蝠のような翼。

 こちらの世界の住人には判らなくとも、あちらの世界の人間ならば、その姿を見ただけで連想できるものがある。

「『……悪魔……なのか?』」

「『はい……間違いなく悪魔です』」

 呟いたグレイの言葉を、テレスが厳しい表情のまま固い口調で同じく日本語で肯定した。

 神の居ないこの世界。かつて神の居た世界。

 魔物共が跳梁跋扈し、精霊が人々の身近に居る世界。

 しかし、悪魔の存在はおろか概念すら無いはずの世界。

 居ないはずの悪魔が存在する理由。

「『扉を開いたのはお前たちか』」

「『そうよぉ。あなた達を追い掛ける為にねぇ』」

 グレイの言葉に女悪魔は当然と言わんばかりの口調で答えた。

「『苦労したわよぉ。あなた達の逃げた世界を特定するのに三年。そこに繋がる通路を探すだけで二年。やっと見つけた通路の扉をひらける人間を探すのにまた一年。大変だったわぁ』」

 両手を広げ首を左右に振りながら、大袈裟に言う女悪魔は楽しそうに笑っていた。その隣で男悪魔は腕を組み、仁王立ちのまま微動だにしない。

 グレイは内心首を捻る。彼がこの世界に来て七年経つ。悪魔の言葉とは計算が合わないが、今はそんな些細な事に拘っている時でも無いと気を引き締めなおした。

 異形の二人とグレイ達の会話を聞きながら、言葉すら理解できないティアはそれに加わる事ができずにいた。それでも一切油断することなく悪魔達を睨んでいる。

 異形の者の正体は知らずとも、なにか途轍(とてつ)もなく危険なモノだというのは少女のカンが告げている。己の感じるモノを信じ、ティアは何時でも攻撃に移れる体勢を維持し続けていた。

 今にも飛び出しかねない様子のティアを、視線で自重するよう促すテレス。その彼女達を後ろに従えグレイは悪魔との会話を続ける。

 会話しながらも足を肩幅に開いた自然体を保ち、各関節を見た目で判らないほどに緩く曲げ、余分な力を抜いて何時でも動ける体勢は崩さない。

「『ご苦労なことだな。そこまで手間を掛けて、わざわざ追い掛けて来たと?』」

「『そうよぉ。苦労に苦労を重ねてやっと扉を開いたのだけれど、直ぐに見つけられたのは幸運だったかしらねぇ。ああ、でも貴方は必要無いのよねぇ。迎えに来たのは、そこの彼女だけよぉ』」

 言いつつテレスに視線を投げる女悪魔。テレスはその視線を真っ向から受け止め、険しい表情のまま悪魔を睨み返した。

「『悪魔などに用はありません』」

「『貴女に無くても、私達には貴女が必要なのよぉ。堕天使さぁん?』」

「『……どういう意味でしょう』」

 問い掛けながらテレスにも判っている。この悪魔達が自分を迎えに来たと言う理由。

「『元の世界に帰れば堕ちた天使たる貴女はいずれ、さらに堕ちて悪魔となるのよねぇ? それが抗うことの出来ない自然のことわりだものぉ。そうよぉ。私達の仲間になるはずの貴女が欲しいのよぉ』」

 悪魔がとても愉快そうに笑いながら、テレスを()め付けた。

「『残念ねえ? せっかく逃げられたのにねぇ。でも逃がすわけ無いでしょう? そこらの神々が造った御使いとは違う、『創造の神』が造った数少ない『最上位の天使』の貴女だものぉ。さぞ素晴らしい悪魔になってくれるでしょうねぇ?』」

 悪魔が嘲笑しながらテレスに歩み寄ってくる。ティアはその動きに警戒を強めるが、まだ動かない。状況が判らないうえに確実に攻撃するには僅かに距離が遠い。

 テレスは悪魔の語った内容を吟味していた。

 魔術の発動に必要な術式は世界によって異なる。悪魔達はこちらに来たばかりだと言っていたので、こちらの術式の構築までは習得していないだろう。

 また自身が存在している世界の言葉の方が、効率良く術を発動できる。悪魔は日本語で話しているので言葉の習得すら出来ていないと思われた。日本語のままでも術は使えるし、極端な話し詠唱無しでも発動出来るが格段に威力が落ちる。

 魔術戦ならばこちらに分があるうえに、近接戦闘でもティアが居るのならば引けは取るまい。撃退は難しくないと結論した。

「『あの魔物共もお前達が連れてきたのか?』」

「『あらぁ、あれは開いた扉から漏れる瘴気に引き寄せられてきただけよぉ? まぁ、調度いいから纏めて魅了して手駒にしたけどねぇ』」

 グレイの問いに何気ない調子で答える悪魔。用があるのはテレスだけと言いながらも、グレイ達を無視する気は無いようだ。

「『なぜ村を襲った?』」

「『襲うつもりなんて無かったのだけれどねぇ。あなた達を迎えに村に近づいたら、着いて来た魔物が何匹か先走っちゃったのよねぇ。数が多いから魅了の甘いのが居たみたいねぇ』」

 グレイは悪魔の話を信じない。悪魔がなにを考えているかなど判るはずも無いが、村に侵入した魔物はテレスを確認する為の斥候ではないかと思っている。

 面白半分で(けしか)けた可能性だってある。悪魔は気まぐれなのだ。今は敵対する気の無いように見えるが、次の瞬間に襲い掛かってきても不思議とは思わない。

「『さぁ行きましょう? 抵抗しないなら痛い思いはしなくて済むわよぉ?』」

 女悪魔がさらに踏み込み、テレスに向け手招きするようにその腕を伸ばす。

「『去りなさい。貴女達と行く理由はありません』」

「『あらぁ? 堕ちた天使が悪魔になるのを拒むのぉ? なにか未練でもあるのかしらぁ?』」

 悪魔の言葉にテレスはつい反応してしまった。その視線が一瞬だけ見るとも無しに己の主の背に向けられた。

 そしてそんな些細な失策すら悪魔は見逃してくれなかった。

「『その男が未練なのねぇ? 天使と人間の禁断の恋なんて笑っちゃうわぁ……ね!』」

 女悪魔の姿が霞むと次の瞬間にはグレイのすぐ前に立っていた。間を空けず鋭い爪の生えた右手が彼を切り裂こうと振り下ろされる。しかし、その爪は彼に届く事無く、間に割り込んだテレスが頭上に掲げた左腕によって阻まれた。

「『我が主に仇なすことは許しません!』」

 叫びながら右手で正拳突きを繰り出す。

「『未練を無くしてあげようと思っただけよぉ?』」

 攻撃を防がれた女悪魔は驚く素振りも見せず、バックステップで後ろに飛びテレスの攻撃をかわした。その足が地に落ちる前に、ティアがまさに神速の動きで踏み込み風さえ絶つような鋭い手刀を悪魔に向け放つ。

 がんっと重い音が響くと、飛び込んだはずのティアが腕を眼前でクロスした姿勢のまま、地に付いた両足を滑らせ土煙を上げながら後退していた。

 バックステップの跳躍から地に下りた女悪魔の前に居るのは、固く握った右拳を振りぬいた体勢の男悪魔。ティアの踏み込みから男悪魔の姿に気付くまでが一瞬の事であった。

 その一瞬の攻防の間にテレスが詠唱を開始している。

「テレスリーア・シンクレットが命じる!!」

「『あはははははっ! 抵抗するんだぁ?! だったら遊んであげなくちゃねぇ?!』」

 女悪魔の顔に浮ぶのは戦いが楽しくて堪らないといった愉悦に歪んだ醜い笑み。

「光よ!! 矢となりて我が敵を撃ち抜け!!」

 テレスの周囲に光の矢が浮かび上がると、瞬時に悪魔達に向け撃ち込まれた。その数二十を超える光の矢が降り注ぐのを見ても、女悪魔の笑みは崩れない。

 その女悪魔の余裕にテレスは腑に落ちないものを感じた。こちらの魔術を習得していない悪魔達に彼女の術を防ぐ手段は無いはずだ。一発で片が付くとは思っていないが、無視できるものでは無いはずなのに女悪魔は笑っている。

 光の矢が降り注ぐ瞬間、悪魔達の周囲の闇が深くなったように見えた。金属と金属が打ち合うような鋭く甲高い音が幾重にも響き渡る。

 必中では無く数で面制圧するように放った為、いくつかの外れたであろう魔術によって悪魔達の周囲にもうもうと土煙が立ち込めた。グレイとティアが無手のまま土煙の中に突撃する。その時、嘲笑交じりの詠唱が響き渡った。

「アンナベリア・クァイナが命ず!」

「まさかっ?!」

 その詠唱を聞いたテレスは驚きを隠せない。魔術は使えないはずだ。だが今まさに聞こえている詠唱は、間違いなく魔術発動の為のもの。テレスの眼には構築されていく術式もはっきりと見えていたが対抗するには遅過ぎた。

「炎よ! 私の周囲を薙ぎ払いなさい!」

 日本語を使っていたのも語った内容も、油断を招く為のブラフだと彼女が気付いた時には悪魔の術は発動していた。

 土煙を跳ね飛ばす勢いで悪魔達の周囲に渦を巻くように炎が吹き出す。突撃しかかっていたティアは炎に巻き込まれる寸前で無理矢理身を捻って回避。だが微かに炎に炙られ無傷とはいかなかった。

 そしてグレイは回避することも出来ず炎に飲まれてしまう。

 晴れた土煙の中から現れた悪魔、アンナベリアは驚愕の表情を顔に貼り付けたテレスを嘲笑う。

「あはははははははははっ! なぁに? 魔術が使えないとでも思ってたのぉ? ちゃあんと一年掛けて、こっちの術を習得したわよぉ。悪魔も結構真面目でしょぉ? あはははははっ!」

 こちらの世界の言葉を発音の乱れも無く使いこなすアンナベリアの嘲笑は止まらない。

「さぁ未練の元は断ち切ってあげたわよぉ? 大人しくこっちに来なさ……」

 アンナベリアは言葉を途中で飲み込み、大きく身を仰け反らせてて回避行動を取る。

 目の前で燃えていた炎からグレイが飛び出し、唸りを上げて右拳を振るった為だ。

「なっ?!」

 驚愕する悪魔の鼻先を掠めるように通り過ぎた拳。グレイは当たらなかった右手をそのまま振り抜き、その勢いを利用した回転で追撃の左後ろ回し蹴りを放つ。

 最初から狙っていたような流麗な連携を避けられず、腹の真中に蹴りを食らったアンナベリアが吹っ飛んでいった。

 男悪魔がグレイに飛び掛るが横合いからティアが飛び蹴りを入れ、男悪魔も派手な土煙を上げながら地を転がって行った。

「テレスリーア・シンクレットが命じる! (いかずち)よ! 我が敵を穿て!」

 我に返ったテレスが追撃を詠唱。真直ぐ空に向けて伸ばした彼女の両手から数条の雷が放たれると、弧を描いて悪魔達に向かい空から襲い掛かる。

 地に伏したままのアンナベリアが右手に向かって何事か呟くと、悪魔達をドーム状の闇が覆いテレスの放った雷の直撃を受け雷と共に霧散した。

 アンナベリアの右手中指に嵌められた指輪を見て取ったテレスは、それがただの指輪でない事に今更ながらに気付き歯噛みした。

対魔術防御(プロテクトマジック)が仕込まれた術式付与道具(マジックアイテム)ですか」

「ええ、そうよぉ。これがある限り貴女の魔術は通らないわよぉ?」

 立ち上がりながら答えるアンナベリアには、先程までの余裕も嘲笑も無かった。

 アンナベリアはテレスから視線を外すとグレイを睨み。

「それより貴方……なんで私の術がまったく効いてないのか聞きたいわねぇ?」

「さあな?」

 肩を竦めて(とぼ)けるグレイに更に視線をきつくする。が、答えは隣でのっそり立ち上がった男悪魔から返ってきた。

「奴を良く見てみることだ。あんな膨大な魔力を纏われていては、よほど強力な術でなければ弾かれて当然だ」

 言われてグレイを凝視し、何事か気付いたように驚きの表情を作る。

「……天使や悪魔さえ凌ぐ程の魔力なんて、なんで唯の人間が持っているのよ?」

「本当に判らないのか? アンナ」

 言いながらアンナベリアの前に重心を落として立ち、どこか中国拳法にも似た構えで立ちふさがる男悪魔。

 仁王立ちしていた時とは違い、油断の無い構えにグレイもティアも踏み込む隙を見つけることが出来ない。

 テレスも攻撃手段を見つける事が出来ず、事の成り行きを見ているしかない。

 対魔術防御の指輪がある限り、魔術で攻撃しても無効化されるのは実証されている。いや、より強力な魔術ならば防御を貫けるが、それを使っては辺りに甚大な被害が出る。

 精霊術ならば通るのかも知れないが、彼女の契約している精霊は強力すぎるどころの話では無い。それこそ辺り一面見渡す限り焦土に成りかねないモノを、こんな場所で呼び出せるわけが無かった。

 アンナベリアは敵が動かないのを見て取ると、余裕を取り戻し不満顔で男悪魔に問う。

「貴方は判るって言うのぉ? マクレフト」

「向こうの世界ではエーテルが希薄な為に、そこに住む人間達はエーテルを吸収する力が強い」

「そうねぇ。少ない命の源を、それと知らず奪い合って生きているのだから当然ねぇ」

 こちらの世界でも向こうの世界でも、生物であれば世界中に漂うエーテルを体内に取り込み己の生命力とし、そして余剰に取り込んだエーテルを魔力に変換して溜め込む。

 もっとも向こうの世界のエーテルは希薄なうえに、それを取り込もうとする人間の数が膨大すぎるので魔力に変換されるまで至らず、命を維持するだけで吸収したエーテルは消費されてしまう。

「そしてこちらにはエーテルが豊富に存在している。命の源であり、魔力の元にもなる物がだ」

「……そう、そういうことね」

 アンナベリアの顔に理解の表情が広がった。

「エーテルが濃い場所に、吸収力の強い人間が放り込まれたってわけねぇ。なるほどねぇ、それじゃ魔力の塊にもなるわけよねぇ」

「それだけでは無い。膨大に取り込んだエーテルのおかげで、身体能力も飛躍的に増大していることだろう。でなければ唯の人間が悪魔を蹴り飛ばせるものか」

 アンナベリアにマクレフトと呼ばれた男悪魔の推測は正確に的を得ていた。

 グレイが持っている魔力はこの世界の誰よりも多く、堕天使であるテレスの魔力保有量すらも軽く凌駕している。彼が特別と言うわけでは無く、彼の生まれ育った世界の人間ならば個体差はあれど誰であれ、こちらの世界に来れば数週間程度で凄まじい魔力を持つことになる。

 命の源を大量に取り込んだ結果として彼の身体能力は飛躍的に高まり続け、その余りの上昇ぶりに最初の一年などは、己の力に振り回されずに体を使う訓練だけに費やされた程だ。

 今では能力の向上も緩やかになり自分の体の扱いも慣れたとは言え、やはり日々魔力は増え続け少しづつではあっても身体能力は上がっている。

 この世界に存在する。ただそれだけで彼は生物として強くなり続けていることになる。

 自らも研鑽を重ね実戦を潜り抜けてきたことにより、身体能力の向上だけでなく、それに相応しい経験も積んでいた。たった七年で悪魔と互角に張り合えるほどに。

「羨ましい限りねぇ。私達悪魔は自己でエーテルも魔力も生成してしまうもの。どれだけ濃いエーテルがあっても吸収出来ないから恩恵は無いものねぇ」

 アンナベリアが呆れたような視線をグレイに向ける。ついでと言う様にテレスにも視線を投げ。

「貴女もそれは同じよねぇ。天使も自己生成してしまうものねぇ?」

 テレスは答えない。答える義理は無いし、奥の手を晒す義理はもっと無い。

 彼女には魔力を外部から取り入れる手段がある。あまり使うことはないが、必要とあれば主も嫌がりはしないだろう。

 答えないテレスの事を放って置いて、アンナはマクレフトに再び問いかけた。

「こっちの世界の人間達はどうなってるのよ? まさか超人ばかりじゃないでしょうねぇ」

「それは無い。一年掛けて共に見てきただろうに……」

「異世界の人間なんか興味なかったから知らないわぁ」

 マクレフトはやれやれといったふうに頭を左右に振る。そんな事をしながらも隙が見つけられない敵に、グレイとティアは焦れ始めていた。

 グレイ達の行動に気を配りつつもマクレフトはアンナに答えを返す。

「こちらは元々豊富にエーテルが在るせいで、ここの生物達は吸収力が弱い。無理に奪う必要などないからだろうな。ただ向こうの人間に比べれば能力は高い。特に冒険者と呼ばれる固体の中には、我々と戦えるほどの者も極僅かではあるが存在しているようだ」

「ふうん? 面白そうじゃないのぉ」

 マクレフトの言葉を聞いたアンナベリアが皮肉気な笑いを浮かべた。

「確か、この村に冒険者が何人か居たわよねぇ?」

 女悪魔の言葉に、グレイ達が身を固くした。嫌な予感しかしてこない。

「それに……貴方達とも親しそうだったわよねぇ?」

 にんまりとした笑みを浮かべたアンナベリアがグレイ達を見回す。

 マクレフトは相棒の考えに気が付きつつも、あえて問いかける。

「なにをするつもりだ? アンナ」

「冒険者とやらも試してみたいし、蹴り飛ばしてくれた御礼もしないと……ねぇ」

 魔物共の潜む森を見やりながら、アンナベリアはますます楽しそうな嫌らしい笑みを深くしていく。

「百匹の魔物達が襲いかかる中で、悪魔二人を相手できるかしらねぇ? 貴方達だけなら戦えるかも知れないけれど、村の人間や冒険者達はどうかしらねぇ? 守れるのかしらぁ?」

 それとも……と言葉を繋げ、

「見捨てるのかしらねぇ?」

 悪魔の言葉が終わるのを待っていたように、村の中央で火の球が一つ夜空を昇っていき、派手な音を立てて空中で爆散した。



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