三話 友達
声が聞こえた瞬間の、冒険者達の反応は流石に速やかなものだった。
武装していなかったベルクドとメイは武器を取りに二階に駆け上がる。残りの三人は防具こそ無いが武器は身に着けていたので、そのまま外に飛び出した。
魔物の襲撃を叫んでいた者の姿は見えない。村を周って警戒を呼びかけているのだろう。
月は雲に隠れていて闇が濃い。村の中央寄りにある酒場の前からでは、遺跡側にある村の出口は闇の中に沈んでいて見えない。
グレイ達の反応は冒険者達より速く、リリアが外に出た時にはすでに遺跡側に向かって走っていた。だが三人とも武装していない。防具はおろか武器すら持っていない状態だった。
「ねえ! 武器持たなくていいの?! 一回戻った方が!」
非武装の三人を心配して、リリアが声を張り上げて呼びかけるが遅かったようだ。
前方の闇の中から走ってくる影が見える。夜闇の中では視認し辛いが人間では無いのは明らかで、恐らく昼間も戦った小柄な魔物ディンガが三匹。
テレスが立ち止まりながら詠唱を開始。
「テレスリーア・シンクレットが命じる!」
声高らかに詠唱するテレスを置き去りにして、グレイとティアが速度を落とさず駆けて行く。
「闇よ! 顎となりて我が敵を貪れ!」
テレスの魔術が完成した瞬間、暗がりの中で魔物達がバランスを崩したのが判る。
走る勢いそのままに前のめりに派手に倒れ込む魔物の横を、グレイとティアは一瞥すらすることなく駆け抜けて行った。詠唱を終えたテレスも間を空けることなく駆け出し二人の後を追う。
リリア達も慌てて走り出すが、先行するグレイ達はすでに闇の向こう。詠唱の為に遅れたテレスの背中が、かろうじて闇の中に薄く見えるのみ。
倒れた魔物はぴくりとも動かない。
リリア達は警戒しながら倒れた魔物に近づき、その姿を間近で目にした瞬間、グレイ達がトドメを刺さずに行ってしまった理由に気付いた。気付いたと同時に背筋に寒気が走り、その場にたたらを踏んで止まってしまう。
倒れ伏す三匹の魔物全ての頭部が無くなっていた。巨大な獣の牙に齧り取られたかのような跡が首に残り、その傷跡から血がだくだくと流れ出している。
魔物とは言え凄惨な有様に思わず渋面になるリリア。隣では青い顔をしてふらついたマナを、ユースが背に手を廻して支えている。
魔物の屍を見ながら、リリアは誰に言うともなく呟く。
「……テレスさん、結構エグいよねぇ……」
「恐らくグレイさん達が駆け抜けるのを見越して、味方に支障の無い術を選んだんだろう。……それだけのことだよ」
答えるユースの声に力は無い。
魔物の屍の凄惨さもだが、ただ一回の短い詠唱の術だけで複数を一瞬で死に至らしめた力に戦慄した。昼間見た時には驚愕しつつも命が助かったという安堵が強かったが、こうして改めて目の当たりにすると、その圧倒的な力には嫉妬や賞賛より恐れを感じてしまう。
だがそう感じているのは彼だけのようで、リリアはすぐに闇の向こうに視線を戻すと力強く言い切った。
「いくら強いったってさ、丸腰で行っちゃったし私達も急がなくっちゃね」
走り出すリリア。その後姿を追いかけながら、ユースは彼女に話しかける。
「リリア」
「なによ、ユース? 話なら後で……」
「君はその……彼等が怖くないのかい?」
「……どういうこと?」
スピードを上げ、リリアの隣に並んだユースが真面目な顔で語りかけてくる言葉に、リリアは訳が判らないといった感じの表情を返した。すぐ後ろを神妙な顔をしたマナが、走りながら会話を聞いている。
「彼等とはまだ知り合ったばかりだろ? その……そんなにすぐ信用していいのか?」
自身の感じる恐怖を言葉にするのは恥ずかしく思え、ユースは濁した言葉で問いかけた。問われたリリアは実にあっさりと答える。
「いいんじゃないかな? 信用してもね」
「どうしてそう思う?」
なおも問いかけるユースに、リリアはお日様の笑顔で屈託無く答えた。
「だって、村の危機に誰より早く飛び出すような人達だよ? 武器も持たずにね」
リリアの笑顔を毒気を抜かれたような表情で見つめるユース。
確かに誰に求められた訳でも無いのに、彼等は取るものも取り敢えず飛び出した。しかし、やや遅れたとは言えそれはユース達とて同じ事。それだけでは、まだ信用できるとは言えないのではないかと彼は思う。
「それになんの得にもならないのに私達を助けてくれた。一度は諦めたリーダーとメイ姉さんまで私達に返してくれた」
リリアの言葉にはっとした表情をするユース。そうだ。彼等は命の恩人であり、そして失ったはずの家族同然の人達を取り戻してくれた。
「だから信じるの。私の事だけじゃなく、私の大切な人達を守ってくれたんだから、それだけでも信じることができるよ。……それにね」
リリアが続ける言葉をじっと待つユース。
「……上手く言えないけど、ちょっとだけ寂しそうだったのよね。テレスさん達さ。あんなに強くてすっごい人達なのにね」
自分の考えを自分でおかしいとでも思っているのか苦笑しながら語るリリア。しかしユースはその考えが判る気がした。
接した時間は短いが、彼等が心優しい者達だというのは判る。素っ気無い態度のグレイですら、馴れ馴れしいリリアの言葉使いや態度に気を悪くすることなく、むしろ気を使ってくれていたのだ。
リリアと親しく言葉を交わし、からかうような真似までしていたテレス。
マナと仲良く並んで一緒にパイを食べていたティア。
ベルクドと拳を打付け合い、無骨ながらも朗らかに笑っていたグレイ。
だが彼は唐突に出立を宣言したし、彼の仲間達もそれを当然と受け止めていた。これ以上親しくなって別れが辛くなる前に、離れようとしていたのではないだろうか。もしかしたら彼等は、ずっとそんな事を繰り返してきているのかも知れない。
そんな考えに浸っていたユースの意識を、彼の後ろを走るマナの声が現実に引き戻す。
「私、ティアちゃんと友達になりたいです……」
小さいけれどハッキリした声には、ほんの少し切実な響きが混じっていた。
親和の子として誰にでも好かれる存在でありながら、とある理由から冒険者をしているマナは同年代の友達が居ない。彼女くらいの年で冒険者をしている者は多くないからだ。少なくともマナは今まで会った事が無かった。
初めて出会えた同じ年頃の同業者で、素晴らしい実力を持つティアに心惹かれるものがあるのだろう。
「大丈夫! なれるよ!」
根拠も無く言い切るリリア。だが今はその言葉がマナには嬉しい。
「うん!」
屈託の無い少女の返事を聞きながら、ユースは自分の悩みが馬鹿馬鹿しくなっていた。まだ彼等の事を良く知らないから恐れがあった。良く判らない者が怖いのなら、これから知ればいいだけだろうに、なにをぐだぐたと悩んでいたのか。
なんの迷いも無く、大切な人達を守ってくれたから信じると言い切るリリアの強さが眩しい。
友達になりたいと言う、マナの小さな願いこそが一番大切なことのような気がする。
可愛い妹分の、ささやかなお願いくらいは叶えてやりたいと思った。
遺跡側にある村の出口。村を囲む粗末な柵が、そこだけ切り取られたように空いている。門などといった立派な物は無い。
月に掛かっていた雲が晴れ、月明かりのおかげで先程よりはマシな視界を確保できるが、夜目の利く魔物の方が有利な状況には変わりがない。村の出口から見える森が不気味な影を作り出し、不安な気分を煽ってくる。
闇に沈む村の中に明かりが一つ灯ると、出口に向かって移動していった。メイが精霊術で作り出した光球が、彼女の頭上から行く先を照らしてくれている。
ベルクドとメイが村の出口に到着すると、辺りには五匹程のディンガの死体が転がっていた。怪我をした自警団らしき村人が三人、マナの精霊術による治療を受けている。
周囲に三つ光球が浮び、その光はメイが作り出したそれより広い範囲を明るく照らし出していた。
村の出口にグレイ達三人が陣取り、遺跡のある森を睨んでいる。その後ろにリリアとユースの姿を見つけたベルクドは二人に近寄ると声を掛けた。
「遅れてすまん! 魔物は? 他に居ねぇのか?」
軽く息を整えながらベルクドがそう訊ねると、リリアから答えがあった。
「すぐそこの森の中。二十匹くらいの群れが五個だって……」
少し引きつった表情をしたリリアの言葉に、ベルクド達の表情も引きつった。
「百匹?! あんな小さい遺跡に居る数じゃねぇぞ?!」
ベルクドが叫ぶ。
彼の驚愕も無理は無い。魔物の多くは日の光を嫌う為に、昼間は遺跡や洞窟など日光を避けられる場所から出て来ない。それ故に隠れる場所の広さに応じた数しか潜んではいないものなのだ。
百匹を超える魔物など、かなりの大きさがある隠れ場所でも無ければ居るものではない。
例外は遠い北の地に広がる樹海くらいだろうか。
見上げる程の巨木が生い茂り、重なり合った葉が日光を遮り昼でもなお暗い北の樹海。そこでは数多くの魔物が昼間から徘徊していて、人類未踏の地となっている。
だが、ここにはどちらも無い。
目の前の森は広いものでは無いし、木々もそれほど密に生えているわけでは無い。奥に進んでも昼間となればかなり明るく、魔物が潜むような場所はなかったはずだ。
森の奥の遺跡は探索され尽くし、半日掛からずに全部周れる程の小規模な物で、百匹もの魔物が潜んでいたのならかなり密度の濃い事になる。
信じられない思いでメイが尋ねる。
「間違いないの?」
「ああ。ティアの感覚は当てにしていい。俺もテレスも同じ見解だし、あんた達も気配は感じているのだろう?」
「……そうか」
森を睨むグレイが背中越しに答え、その答えに重い息を吐くベルクド。
彼も危険な冒険者稼業を長く続けている身だ。正確な数は断言できないが、相当数の魔物が居る気配は感じていた。
光球で明かりを確保しているとは言え限定的なものだ。魔物がこの程度の明かりでは怯むことなど無い。
ただでさえ異常と言っていい数に加えて、夜は魔物の世界。百を超えるかも知れない魔物に対して、味方はたった八人。
村の自警団は当てにできない。警備を目的に村人から集めただけの、所詮素人の集団だ。多少の訓練はしているかも知れないが、本職である冒険者とは比べるべくも無い。
なにより百匹もの魔物が攻めてくるなど、軍の派遣を要請するレベルの脅威である。
「領主様に知らせを出しても……」
「今さら間に合わねぇだろな。俺たちだけで、どうにかしなきゃならねぇってわけだ」
ユースの言葉をベルクドが引き継いだ。
魔物は目の前の森の中。今すぐ襲い掛かってきても不思議は無い。むしろ村の中に進入してきた数が少なすぎる。
マナの治療で傷が癒えた自警団員に現状を説明し、村人全員を村の中央の一番大きい建物に集めてもらうよう指示する。自警団員達は尋常では無い魔物の数に顔を真っ青にして、魔物狩りの玄人である冒険者の言う事に従った。
逃げるように村の中へ駆けて行く自警団を見送ると、ベルクドはグレイに話し掛けた。
「おまえさん達の戦いぶりはリリア達から聞いた限りでしか知らねぇんだが……なんとかなるのか? あの数でもよ」
緊張した様子の無いグレイの態度に、淡い期待を寄せつつ聞いてみた。
「……倒すだけならな」
「村を守るってぇとこまで含めたらどうだ?」
「全ては守り切れない」
予想していた答えにベルクドは沈黙する。倒せると言い切れるだけでも感嘆するべきことだが、それだけの自信を見せる彼等をもってしても、村全体を守るにはやはり手が足りない。
村の事ばかり考えてもいられない。
あれだけの数の魔物が居ては、自分達だって生き残れるかは怪しい。味方に蘇生できる者が居るとは言え、それを当てにして無謀をするのは愚かと言うものだろう。
「なぜ魔物達は襲いかかって来ないのかしらね?」
メイが疑問を投げかける。これにはリリアが興奮しながら答えた。
「さっきテレスさんがね! 森に向けて魔術撃ったの! でっかい炎の魔法! そしたらあいつら森から出てこなくなっちゃったのよ!」
「おいおい。よく火事にならなかったな……」
ベルクドが呆れた声を出した。もっともな意見ではある。
「テレスさんは、自分の狙った物だけ攻撃できるんだよ? 話さなかったっけ?」
「あー、そう言やそんなんも聞いたっけな」
遺跡で魔物を燃やし尽したテレスの魔術が周りに影響を与えなかったという話は、リリア達から確かに報告されていた。
実際に眼にする機会に未だ恵まれていないベルクド達には、俄かに信じ難い話ではあるが事実として森は延焼していない。
「ベルクド、奴らはまだしばらく警戒して動かないだろう。今のうちに戻って装備を整えて、迎撃の準備をしてくれ」
「おめぇさん達はどうするんだ?」
グレイの指示にベルクドが疑問で返す。
「さすがに、ここに誰も居なくなれば奴等も動く。頃合を見て後から戻るさ」
「ふむ、さっき自警団の連中に指示した建物に引きこもるのか?」
「引きこもるだけでは、朝までは持たないだろう」
「するってぇと、やっぱり俺達でやるしかねぇわけだ」
「そうなるな」
グレイの言葉にベルクドは野太い笑みを返した。彼等がやる気である以上、ベルクドに村を見捨てて逃げると言う選択肢は無くなった。命の恩人が村の為に体を張ると言っているのに、自分だけ逃げるなどという恩知らずな真似は出来ない。
ベルクドはグレイに背を向け宿の方角に歩き出しつつ言葉を残す。
「装備を整えたら自警団を手伝って村人を中央の建物に誘導する。準備が出来次第メイの精霊術で夜空に一発炎を打ち上げっからよ、それを合図に戻ってきてくれ」
「判った。準備は任せる」
二人の会話が終わるのを待っていたように、マナがティアに歩み寄った。
「あ、あのねティアちゃん。こ、これあげる」
「……これなに?」
マナが差し出した物を見ながらティアが首を傾げた。
マナの手には掌に納まるほどの布で作られた小さな人形があった。
「あのね、私の生まれた村のお守りでね。持っている人を守ってくれるって言われてるの。ティアちゃん前に出て戦うから危険だし持ってて?」
少しはにかむような顔で人形を差し出すマナ。しかしティアはそれを受け取らず、
「貰えない」
きっぱりと言った。
「ど、どうして……」
断られるとは思っていなかったのだろう。マナは泣きそうな顔をしている。
リリアとユースが心配顔で近づこうとしたのをベルクドとメイが止めた。一歩踏み出したテレスもグレイに止められ、心外そうな顔を主に向けている。
「……主様?」
「まぁ黙って見ていろ」
そう言うグレイの表情は常の面倒そうな表情が消え、優しい眼で幼い二人を見ていた。
皆が見守る中、ティアがマナに受け取れない理由を伝える。
「マナを守るものがなくなる……」
いつもの無表情のまま抑揚に欠ける声色には、しかし確かに目の前の少女を心配する響きがあった。
それをマナも感じたのだろう。涙は引っ込み慌てて拙いながらも懸命に言葉を紡ぐ。
「私なら大丈夫だから。ほ、ほら私は後衛だし、みんなの後ろだし、危険なことないから……だから、その……ティアちゃんに持ってて欲しい……の」
じっとその言葉を聞いていたティアは、少し考えるような間を置いてから両手を揃えて掌を上にして差し出した。嬉しそうな笑顔でマナが差し出された手に人形を乗せると、ティアは掌の中の人形をじっと見つめた。
人形を見つめるティアに、
「この子がきっとティアちゃん守ってくれるよ。私は大丈夫だから気にしな……」
マナが言いかけた言葉を遮り、ティアがマナの眼を真っ直ぐ見返して、
「代わりに私がマナを守る」
宣言した。
「え……」
予想外の事を言われたマナが目を丸くするが、かまわずティアはもう一度言った。
「守る」
「う、うん。ありがとティアちゃん」
慌てて礼を言うマナに、こっくりと頷いてみせるティア。それを見て笑顔になったマナの眼には、先程とは違う綺麗な涙が浮かぶ。
その光景を見ていたリリア達も嬉しそうな顔をしている。テレスも安心して微笑みを浮かべ、ふと主を見ると彼は二人の元へ近づいていくところだった。
ティアに歩み寄ったグレイはその紅の髪に手を乗せると、少女をもう一歩踏み出させる為に優しく声を掛けた。
「よかったなティア。友達が出来て」
「ともだち?」
言われた言葉に不思議そうな顔をしたティアは、そのままマナに顔を向けた。マナが緊張したような表情でティアの言葉を待っている。
その顔をしばし見つめた後。
「うん。ともだち」
頷く少女の顔は何時もの無表情ではなく、微かではあるがとても綺麗な微笑みがあった。
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