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二話 歓談


「遺跡の規模にしては、あの魔物の数は異常と言えますね」

「扉がある……か」

「はい、その可能性は高いと思います」

「なんにせよ、もう一度潜る必要があるな」

 リリア達一行を助けた日の夜。宿泊している宿屋の一階にある酒場で、蔵糸とテレスは今日あった事の確認と今後の事の相談をしていた。

 蘇生直後で上手く体の動かせない仲間を抱えたリリア達を、蔵糸達が近くの村まで送り届けたのだが、その為に彼等の目的は果たせなかった。

 遺跡から出た時には、すでに日も落ち暗くなっていたので、村に一軒だけのリリア達と同じ宿を取ることにした。

 酒場に他の客は居ない。日が昇ると同時に起きて働き、日が沈む前に家に戻り、夜の帳が降りる頃には眠りに着く。都市部と違い、田舎では極当たり前の生活サイクルだ。

 夜は魔物の活動が活発になる時間でもある。警備する自警団以外は家から出ないのが当たり前である。酒場で飲み明かすなど、高い塀に囲まれ魔物の脅威から守られた大都市だけの特権だろう。

 そのおかげで人目を気にすることなく話せるので好都合ではある。宿のあるじもカウンターの奥に引っ込んでいて、店の一番奥のテーブルに陣取った彼等の声は聞こえないだろう。

「そうですね。確認は急いだ方がいいでしょう」

「扉が存在し、もし開いているのなら魔物共は続々と寄ってくるだろうしな」

「今日のような小物ばかりなら兎も角として、もっと強い魔物が寄……」

「……誰か来るよ」

 テレスと蔵糸の会話にティアが割り込んだ。

 ぼそりと呟くようなティアの声を聞き、テレスと蔵糸は会話を止めると何気ない顔で飲み物を口にする。ティアの言葉通りに、二階に続く階段からリリアが降りてきた。一人では無く、後ろに仲間二人を連れている。

 リリアは軽やかな足取りで降りてくると、蔵糸達の居るテーブルに真直ぐ向かって来て、にこやかな笑顔で話し掛けてきた。

「やっぱり、ここに居たんですねー。部屋に行っても居ないから、探しに来ました」

「私達に御用ですか? リリアさん」

 テレスが柔らかい笑顔でリリア達を迎えながら訊ねると、リリアは真面目な顔をして答えた。

「助けて貰った御礼を改めてしようと思いまして……」

「それにリリア以外はまだ名乗ってもいませんでしたし、命の恩人に失礼かと……」

 金髪碧眼の優しげな風貌をした青年が リリアの言葉に繋げるように言った。彼の隣に居る獣人の少女が、少し緊張しているような表情で蔵糸達を見ている。 

「御礼は、もう十分受け取りましたよ」

 テレスが答えると、それでもリリアは食い下がってきた。

「で、でもでも、ただ助けてもらっただけじゃなくて蘇……までして貰って……」

 蘇生と言いかけて口篭る辺り、リリアは他言無用の約束をきちんと守る気でいるらしい。その事に蔵糸は少しだけ安堵していた。正直、礼などよりよほど重要である。

「じゃ、せめて飲み代とか宿泊代とか払わせて……ね?」

「リリア、砕けすぎてるよ。友達に話してるんじゃないんだから……」

 素が出ているらしいリリアを、青年がやんわり(たしな)める。確かに親しい間柄では無いのだし、ましてや命の恩人に対する態度ではないだろう。リリアも失敗したと思っているのか、ばつが悪い顔をした。

 しょんぼりしてしまったリリアに、蔵糸が声を掛けた。

「別に気にしなくていい。御堅い話し方は、俺も苦手だ」

「……いいの?」

 上目遣いで不安そうに訊ねるリリアに、蔵糸は安心させるように静かな口調で話す。

「構わない。それとさっきの提案も受けよう。ここの払いは任せる。約束も守ってくれるようだし、それでもう礼の話は終わりだ。……それでいいな?」

「う、うん、わかった! とりあえずここは私が奢るからどーんと飲んで!」

 途端に元気になったリリアの姿に青年が苦笑を漏らしているが、もう諌める気は無いようだ。恩人自ら問題無いと言ってくれているものを、わざわざ蒸し返す必要も感じないのだろう。

「すみません。気を使わせてしまったみたいで……」

「気にするな。お互い湿っぽいのなんて嫌だろ?」

 小声で謝罪する青年にグレイも小声で返した。リリアには聞こえないようにしているおかげか、彼女はテレス相手になにやらはしゃいでいる。

「とりあえず座って下さいな。立ち話をする所でも無いですしね」

 テレスが立ったままだったリリア達三人を促す。と、少しだけリリアが寂しそうな顔をした。

「えっと……テレスさんは話し方そのままなの?」

「私は、これが普通ですので……」

 テレスが少しだけ申し訳無さそうな表情で答えると、隣の蔵糸がそれをフォローした。

「こいつは、いつもこんな口調だ。わざとやってる訳じゃない」

「あ、そなんだ」

 それを聞いてリリアも納得したらしく、笑顔に戻るとテレスの隣の席に腰掛けた。そこに座っていたはずのティアの姿がいつの間にか消えている。

「あら? ティアはどこに行ったのでしょう?」

 テレスが呟きながら辺りを見回す。他の面子も釣られて周りを見る。

 青年の隣に居る少女が

「そこに座ってた子なら、さっき……」

 と、言いかけたところで、カウンターの方からとことことティアが歩いてきた。その両手に林檎のパイを山のように抱えている。

 ティアは座っていた席が埋まっていることなど意に返さず、大量の林檎のパイをテーブルに宝物を扱うようにそっと置く。空いている席にぽてっと座ると、パイを切り分け大切そうに両手で持ってはぐはぐと食べ始めた。

 その様子を黙って見ていた一同だが、やがてリリアがぽつりと声を漏らした。

「えっと、これってやっぱり……」

「リリアの奢り……って事だろうね」

 青年が答えると、獣人の少女が

「……さっき、リア姉ちゃんが奢るって言った時に、すぐカウンターに行ってたよ」

 なんて事を苦笑しながら教えてくれた。

「あー……すまんな。こいつのはこっちで払うから」

「あはははっ、いーのいーの。私が払うって言ったんだし、これぐらい遠慮が無い方がむしろ気分良いしね」

 蔵糸の申し出をリリアは快活に笑って受け流した。強がっている様子は無く、嬉しそうですらある姿を見る限り、あまり細かい事に拘るような性格では無いようだ。

 テーブルがパイに占拠されてしまったのでパイだけそこに残し、人間は隣のテーブルに移動することにした。それでもティアの前には常時三枚くらいのパイが置かれ、小動物みたいなちまちました食べ方なのに、結構なスピードで消費されていく。

 それぞれに注文した物が届き乾杯をした後、飲み食いしながら改めて自己紹介をする。遺跡では大量の魔物の襲撃から始まり、仲間の回収そして撤退。宿に戻ってからも全員の傷の具合や体調を確認したりと慌しかったので、今まできちんと名乗ることもしていなかったのだ。

 こういう場合、助けられた方から名乗るのが礼儀だろうが、あえて蔵糸は自分から始めた。その方がリリア達の変な気負いも少なくなるだろうと判断したからだ。……正直、自己紹介などという面倒くさいことは早く終わらせたかったという気持ちもある。

「グレイ・クライト。戦士だが、精霊術も使える」

 蔵糸は言葉少なにそれだけ言った。名前は偽名では無く、新しい世界で使うことにした名前だ。

 蔵糸(くらいと)灰次(はいじ)と言う日本人名は、こちらでは馴染みが無く。また灰次と言う名前に彼は少しだけ引け目を持っていた。日本では非常に有名な家族向けアニメの少女の名前と同じ発音なので、子供の頃よくからかわれたのが原因だ。

 こちらの世界では日本のように『苗字・名前』ではなく、欧米のように『ファーストネーム・ファミリーネーム』なので、新しい名として『グレイ・クライト』と名乗っている。元の世界の名前は連れの二人にしか教えていない。

 出身国などはあえて言わない。聞かれない限り、自分から嘘の情報を言う必要も感じないからだし、意外と自己紹介で言わなければその後聞かれることも少ないものだ。こちらの世界で黒目黒髪が珍しくないことも彼には幸いだった。

 自分は終わったとばかりに、隣でパイを齧るティアに視線を投げる。恐らくまともな自己紹介の出来ないこの子を、テレスより先に済ませてしまった方が良いとの判断だ。

「……ティア」

 紅の髪の少女はそれだけ言うと、パイを食べる事に戻ってしまった。どう反応していいか困ってしまったリリア達の視線が、なぜかテレスに集中した。ティアはパイに夢中だし、グレイよりもテレスの方が話し掛け易い雰囲気のせいだろうか。

 こうなることを予測していたグレイも、テレスに視線を投げかけている。彼女も判っていたのだろう。視線を受けて慌てる事もなく、言葉の少なすぎる少女の紹介を補足する。

「ティアは少し照れ屋な子ですので代わって紹介しますね。彼女は前衛を務める戦士です。小柄な体躯と身軽さを活かして、動き回りながらの遊撃が得意ですね。武器を持たない無手の体術が彼女の戦い方です。見ての通り無口な子ですが、けっして皆さんを嫌っているわけでは無いので、仲良くしてあげて下さいね」

 ついでに貴方も補足しますか?と言いたげな視線をグレイに向けてくるが、彼は首を振ってそれを断った。詳細な自己紹介などしてしまうと、後で辻褄合わせに苦労する。異世界から来た人間だなどと、簡単に明かすことは出来ないのだから面倒は避けた方が良い。

「では私ですね。テレスリーア・シンクレット、術士です。精霊術も扱えますが、失われた神々の神秘及び魔法の研究をしているので、そちらが基本となります」

「魔法?! 遺跡で使ったのがそうなの?!」

「神々……大昔に我々の先祖が滅ぼしてしまった神々の技を使えると?」

 リリアと青年が驚きの声を上げる。この世界にも遥か昔には神が居た。しかし青年の言葉通り人間が滅ぼしてしまったのだ。

 神々の痕跡は世界中に残っていて、その研究をしている者は結構な数が存在するのだが、魔法を使えるほどの者は滅多に居ない。リリア達の驚きも当たり前の反応であると言える。

 もっとも、テレスの話は意図的に隠しているものがある。

 グレイ達が探しているのは神々の痕跡では無く、神々を含めこの世界を造った『創造神』の痕跡である。正確には『創造神』が造った他の世界と繋がる通路であり、それを塞ぐ扉を探していた。通路は無数に在り、正確な数は判っていない。

 グレイとテレスも通路を通ってこちらに来たが、その通路はすでに塞がれている。

 彼等が扉を探すのは、元の世界に帰る為では無い。開きかけた扉を塞ぐ為に探し廻っている。

「はい。まだまだ未熟ではありますが、多少の魔術を心得ています」

(大嘘吐きだな。世界中の魔術研究者が泣くぞ)

 テレスの言葉にグレイは心の中でツッコミを入れる。元天使の彼女以上に魔術に長けた者など、恐らくこの世界には居るまい。そんな事を暴露できるはずもないのだが。

 テレスがなにやら(とが)めるような視線をグレイに送っている。顔には出していないはずなのに、彼の心の内は彼女に見抜かれているらしい。

 グレイが素知らぬ顔で目を逸らすと、テレスは少しだけイジケた顔をした。

「神々や魔法のお話は長くなりますので、またの機会に……。では、そちらの皆様を紹介していただけますか?」

 気を持ち直したテレスが、そう言ってリリア達を見る。

「それじゃ私からね。リリア・ノートン、剣士ね。パワーよりスピード重視って、ティアちゃんにちょっと似てるかな? あんなにすごい動きはできないけどねー。あと、少しだけど精霊術も使えるよ」

 リリアは赤っぽい茶色の髪を肩口で切りそろえ、榛色はしばみいろの瞳をしている。感情が顔にすぐ出るらしいが総じて笑顔が多く、快活な印象を与える。人懐っこい性格であるらしく、グレイ達にも積極的に話しかけてきていた。思い返せば遺跡の中でも、グレイ達と話していたのは彼女だけであった気がする。

「じゃ次、ユースね」

 リリアに促され、リリアと同じ年頃くらいの金髪碧眼の青年が頷いた。

「ユース・ライトです。樹の精霊の守護を受けた精霊使いです。まだ冒険者になって間もないので、いろいろ教えていただくと助かります」

「ユース、かったいなーもう」

「リリアが砕けすぎだと思うけどね」

 リリアの文句に困ったような笑顔で返すユース。確かに彼女の人当たりの良さは大切な資質ではあるが、場合によっては馴れ馴れしいと敬遠されるかも知れない。

「守護精霊付きか。見るのは初めてだな」

「精霊に守られるほど好かれるなんて、きっとお優しい性格をしてらっしゃるのですね」

 グレイが珍獣でも見るような感想を洩らし、テレスが微笑みながらユースを評価した。

 テレスの微笑みに頬を赤くしたユースをリリアがジト目で睨んでいるのを見て、なんとなくグレイはリリアの心情を察したが、無論そこで口にするほど野暮でもない。まぁ、人の恋愛事情など首を突っ込むだけ馬鹿を見る物なのだから、面倒くさがりの彼がそんな真似をするはずも無いのだが。

 ユースが言った精霊使いとは、精霊の守護を受けた珍しい存在だ。

 契約した精霊の力を借りて術を行使する者を精霊術士と呼ぶ。必要な時に必要なだけの力を、代価を払うことによって借り受ける。精霊使いは、これとは別の扱いをされている。

 守護を受けた精霊使いは常に守護精霊が傍に居り、精霊自身が力を振るってくれる分、より強力な術が使える。その反面、守護精霊が嫌う行動などを取ると力を貸してくれなくなったり、最悪見放されたりする事もある。樹の精霊の守護を受けたユースであれば、木を切り倒すなどの行為は禁忌となる。

「ほうやっふぇひゅごあほらへひゃほ?」

 ティアがパイを咥えたまま小首を傾げて発言した。一同なんと言ったのか分からず顔を見合わせる中、獣人の少女が

「どうやって守護がもらえたの? ……かなぁ?」

 と言えば、ティアがこくこくと頷きながら少女にパイを差し出した。どうやら正解の景品らしい。

 無邪気に喜ぶ獣人少女だが、リリアとユースはずっと静かだったティアが突然反応を示した事に驚いている様子だ。グレイとテレスは、なんとなくではあるがティアの気持ちが分かる気がした。

 人の手によって造られたとは言え彼女も精霊には違いない。精霊の話に興味があって当然とも言える。

 ユースは面食らいつつも、子供に語りかけるような優しい調子で丁寧に答えてくれた。

「僕の場合は、産まれた時に父が記念に植えた樹に精霊が憑いてね。僕と相性が良かったのか、幼い頃からずっと傍で見守っていてくれたのが、そのまま守護に置き換わった感じだね」

 精霊との契約は適正さえ合えば誰でもできるが、守護を受けられる者は多くない。資格だの適性だのと言ったものではなく、精霊に気に入られるかどうかだけが全てだからだ。ただ一般的には自然と調和し、大切にできる心根の優しい者が選ばれると言われている。先程テレスがユースを優しいと評価したのは、これが理由だろう。

 ユースの答えに満足したのか、ティアは彼にぺこりと頭を下げるとパイとの格闘に戻っていった。

 ユースは、ティアの不躾な態度にも気を悪くした様子は無かった。無表情ながらもどこか美味しそうにパイを頬張るティアと、ティアに貰ったパイをにこにこしながら食べている獣人少女に微笑みを向けている。

 時折二人の零したパイの欠片をさり気なく片付けていたりして、優しい気配りの出来る人物だと見て取れる。

 少女が貰ったパイを食べ終えたのを見て、ユースが声を掛けた。

「食べ終わったかな? それじゃそろそろ自己紹介いいかい?」

「ふぇ? あ! ご、ごめんなさい」

 パイに夢中になるあまり忘れていたらしい少女を、誰一人責めなかった。むしろ微笑ましいものを見る目で、今まで食べ終わるのを待っていた。

「ごめんなさい。忘れてました」

「気にしなくていいですよ。慌てるようなものでもありませんから大丈夫ですよ」

 しょんぼりと肩を落とした獣人少女に、テレスがにこやかな表情のままに柔らかい口調で声を掛けたが、少女の表情は晴れない。

 そんな彼女の姿に、幼く見えるわりに真面目で責任感の強い子なのかも知れないなとグレイは思い、自分からも声を掛けようとしたところで意外な人物が少女を励ました。

「ふぁんふぁれー」

 相変わらずパイを咥えたままで、しかも抑揚に掛けるのでなんと言っているのか判りづらい。しかし彼女の激励はきちんと獣人の少女には届いたようだ。

 激励にはっとした顔を向けると、生真面目な顔で頷いた。

「う、うん、ありがとうティアちゃん」

 その二人の様子を、グレイとテレスは驚きの面持ちで見ていた。正確にはティアの行為に驚いたのだ。この紅の髪の少女が他人を励ますなど初めての事である。自分達ですら経験が無い。同年代という事で、なにか心に触れるものでもあったのか。

 その珍しい光景に驚きつつも、少女の心の成長を喜んでいた。

 今はまだ力の封印の影響で感情が抑制されてしまっているが、いつか封印無しでも自ら力を抑え、笑いながら人の間で暮せるようになって欲しい。それは二人の宿願でもあったが、その為にはティアの心の成長は不可欠である。

 封印の為に成長が遅れている事も事実なのだが、その内に眠る狂気を抑えられるようにならなければ封印は外せない。歯がゆくはあるが、時間を掛けてでもやっていくしかない。

 僅かとはいえ可能性の片鱗を見せてくれたティアに喜ぶ二人の心情を他所に、場は進行していき深呼吸して気分を入れ替えたらしい獣人少女の自己紹介が始まった。

「……マナフィーア・スタインボルトと言います。みんなにはマナって呼ばれてます。えっと……精霊術士……の見習いです。よ、よろしくお願いします!」

 ぺこりと頭を下げる獣人の少女に、テレスが穏やかに声を掛けた。

「その耳、ミアリスト族の方とお見受けしますが、合っていますか?」

「あ、あのその……私ハーフなんです。言い忘れてました」

「『親和の子』か。後で頭撫でさせて貰ってもいいか?」

「あ、はい! どうぞ!」

 グレイの言葉を受けてすぐに彼の傍に行き、栗色の髪をグレイに向けて可愛らしく突き出した。その頭の上には猫のそれとそっくりな耳が並んでいる。短いスカートの裾からは、やはり猫に良く似た尻尾が垂れていた。

 その小さな頭を、グレイは耳に触らないよう注意しながら優しく丁寧に撫でていく。隣からテレスが「私もいいですか?」と聞くと、マナは嫌がる素振りもなく快諾した。

 しばらくマナの頭を撫でていた二人が礼を言って手を離すと、マナは晴れやかな笑顔を返して自分の席に戻った。

 そのマナの頭を隣に座っているティアが、じーっといった感じで凝視している。

「……えっと、触る?」

 恐る恐る聞いたマナに、ティアはこっくりと頷くと髪と一緒に耳まで撫で始めた。

「ティ、ティアちゃん待って。耳はくすぐったいよぅ」

 泣き笑いみたいな声を出すマナに構わず、ティアは無言で、けれど丁寧に撫で続ける。マナも本気で嫌がっている訳ではないようで、その手を振りほどいたりはしなかった。

 しばしマナのくすぐったそうな笑い声が響き、なんだか妙に和んだ空気が流れた。

 この世界では獣人は珍しい存在では無い。なにしろ人間より彼等の方が数が多いのだ。街を歩けば人間三割、獣人五割、それ以外の種族二割くらいの感じで目にする。

 ただ一口に獣人と言っても、獣人というカテゴリーの中でさらにいくつかの種族に別れる。マナは一番人口の多いミアリスト族の血が流れているらしい。

 獣人と人間で差別などは無い。他の種族も同様であり、国家の間で(いさか)いはあっても種族間戦争などと言う物は存在しない。むしろ各種族共、お互いに友好な関係を築いている。

 種族を超えての婚姻もそれなりにあり、マナのようなハーフが産まれることも(まれ)にある。

 異種族同士で子宝に恵まれるのは珍しい為に、そういう子供達は種族間の友好の証として『親和の子』と呼ばれ、どこに行っても大切にされる。あまりに存在が珍しく、また愛されているが為に、その髪を撫でると幸運に恵まれるなどと言った迷信まであるくらいだ。

 先程グレイ達がマナの髪を触らせて貰っていたのも、この迷信を根拠にした『親和の子』に対する挨拶みたいなものだ。『親和の子』も慣れているもので、断る者などまず居ない。

 マナも愛されて育ったのだろう。礼儀正しい中にも、子供らしい無邪気さと愛らしさを持っている。

 栗色の髪をポニーテールにした髪形は、彼女によく似合っていた。濃い茶色の眼が年相応の好奇心を湛えて輝き、表情がとても豊かに変わるのは見ているだけで微笑ましい。

 そんな彼女が、なぜ冒険者などという危険な事をしているかは、グレイ達には分からない。他人の事は本人が話でもしない限り不干渉が基本である。人それぞれに事情もあるのだから、無闇に首を突っ込むのは野暮と言うものだ。

「ねぇ~、なんでグレイさんの事を主様(あるじさま)って呼ぶの~? 

……お二人って、やっぱり恋人なの~?」

 酔いに任せて野暮をしている者が居た。

 飲み始めてまだそれほど時間が経っている訳でもなく、酒量もたかが知れているのにリリアはすでに赤い顔をしている。その様子を見るだけでも相当酒に弱いことが判る。

 グレイが呆れたような視線をリリアに向ける横で、テレスがコップを落としてわたわたと慌てていた。ユースが(たしな)めているが、どこまで酔っ払いの耳に入っているかは疑問だ。

「おいおい。命の恩人さんに絡むなよ」

「リリア、そのくらいにしなさいな。そこのお姉さんも困っちゃってるじゃない」

 二階に続く階段の途中から声を掛けてきたのは、テレスに蘇生された二人だった。

 一人は筋肉が分厚く盛り上がった大柄な人間の男。もう一人は長身の獣人女性。どちらもリリア達よりも年上のようだ。

「今、ちょうどお互いを紹介していたところ。リーダー達もどうぞ」

 酒場に降りてきた二人にユースが声を掛けた。その声を受けて、二人はグレイ達に向き直ると姿勢を正した。

「俺はベルクド。ベルクド・ユースタインだ。見ての通りの戦士で得物は戦斧だが、一通りの武器は扱える。ま、術はからっきしだがな。一応、こいつらのリーダーみてぇな事をしてる。実際はお守りだけどよ」

 大男が(ひげ)に埋もれた強面(こわもて)ながら、やけに似合う人懐っこい笑顔で笑った。

 濃い茶色の髪に、同じ色の瞳。髭も同じ色をしているうえに日に焼けた肌をしているので、顔中茶色といった感じだ。額に残る傷跡だけが、白く浮き出て目立っていた。

「私はメイ・ベイルーシ・トカマットです。見ての通りのシグランド族で、精霊術士をしているわ。私もこの子達と、こっちのでっかいガキ大将のお守りね」

 獣人女性も自己紹介しながら朗らかに笑ってみせる。

 腰まで届く灰色の髪の間から、狼のような耳が生えている。言った通りのシグランド族の証。金色の瞳からして恐らくは純血なのだろう。多種族の血が入るとこの種族特有の金眼は遺伝しない。

 年相応に色香の乗ったメリハリのある体の曲線をしているが、楽しげな笑顔を満面に浮かべていて色気より優しい母親的な雰囲気が強い。

「俺も含むのかよ」

「リーダーもメイ姉さんも、ひどーい」

「実際そんなものだし……ね?」

「だよねー」

 ベルクドはメイに、リリアは二人に文句を付けているが、ユースとマナが同意している。

「俺達は全員、あんた達に命を救われた。俺とメイは特にな。なんでも言ってくれ、できる限りの……いや出来ない無茶でも礼はする」

 ベルクドはグレイの傍まで来て右手を差し出した。戦士が己の利き腕を預けるという最大限の敬意に対して、グレイも素直にそれを受け取り同じく右手で握手を交わす。

「礼ならすでにリリア達から受け取った。それで全部チャラだから気にするな」

 グレイの言葉にベルクドが仲間に目を向けると、ユースが先程のやり取りと一緒にグレイ達の紹介も伝えた。

「それでいいのか? ちっとばかり安すぎじゃねぇか?」

「構わないさ。俺達にとって金銭なんかより『約束』のほうが重要なんだ」

「確かに『アレ』の噂が広まると厄介な事になりそうだな。わかった、絶対に口外しない。俺の戦斧に賭けて誓う」

 リーダーの言葉に、グレイは大きな安堵を得ていた。

 戦士が己の武器に誓うというのは、この世界において非常に重い意味を持っている。

 精霊が身近に居るこの世界では、当然武器の精霊も居る。武器そのものに宿る精霊は少ないが、武器があれば近くには必ず居るものだ。誓いは精霊達が聞き届けているから、破るような愚か者には相応の罰が与えられ、武器を手に取ることすらできなくなるだろう。

 挨拶を終えたベルクド達は、グレイ達と同じテーブルに着いた。大きめの丸テーブルなのでなんとか納まっているが、人数が増えた上に大柄なベルクドのせいで、隣に座る者との距離はほとんど無くなった。

「お、嬢ちゃん美味そうなもの食べてるな。ひとつ貰ってもいいか?」

 ティアの前に置いてある林檎のパイを目に留めたベルクドが、人懐っこい笑顔をティアに向けて訊ねる。豪快な見た目を裏切って甘い物が好きらしい。

「足りないと思う」

 そう言いながらティアは隣のテーブルに山積みとなっているパイを五枚ほど重ねて、そのままベルクドの方に差し出した。

「はっはっはっ! 確かにひとつじゃ足りねぇがな! いいのかい?」

「リリアの(おご)り」

「ほう! そうかそうか。じゃ遠慮なく貰うとするかな」

「ちょっ! リーダーに奢るとは言ってないよ?!」

 酔っ払いが慌てて声を挙げるものの、ベルクドは意に返さずに五枚重ねのパイにかぶり付いた。

「ん~? 俺は嬢ちゃんに貰っただけさ。嬢ちゃんの分は、お前さんの奢りなんだろ?」

「そんなんアリ?!」

「あ、ティアちゃん。私も貰っていいかな?」

「メイ姉さんまで?!」

 リリアの悲鳴などどこ吹く風で、ティアが惜しげもなく差し出したパイを、二人とも遠慮する態度など欠片も見せず食べ始めた。

 ベルクドはその体の通り豪快な食べっぷりだし、メイも意外な健啖ぶりを見せてもりもりパイを食べている。さらにティアが失った分をちゃっかり追加注文するのを見て、青い顔で財布の中身を確認し始めるリリア。

 すでにティアがかなりの数のパイを消費しているうえに、この場のグレイとテレスの酒代は彼女持ちなのだ。酒代はともかくとして、甘い菓子の類はこの世界では少々お高い。少し哀れを誘う姿ではあるが、おかげで酔いも冷めたようである。

「新しい武器が~……新しい鎧が~……」

 テーブルに突っ伏して呻くリリア。その姿を横目にテレスが零した飲み物のお代わりを注文して追撃しているあたり、この子もこれで容赦が無い。あるいはコップを落とす原因になった、先程のリリアの質問に対する意趣返しかも知れない。

 撃沈しているリリアを放っておいて、ベルクド達にテレスが声を掛ける。

「御体の具合はいかがですか? 見たところ御元気そうですが」

「おう! おかげさんで調子いいぜ! 美味いものも、もりもり食えるしな」

「ええ。またこうして皆と居られるのも貴方たちの御陰ね。いくら感謝しても足りないわねぇ」

「体調は問題ないようですが、念の為にしばらく静養してくださいね?」

 二人の返事に安心したような微笑みを返しながらも、一応の注意は忘れないテレス。

「テレスさ~ん、私もかまって~」

「はいはい。乾杯でもしましょうか? 新しい麦酒(エール)頼みます? メイさん達の分も頼まないといけませんね。リリアさん持ちでいいですか?」

「絡んだのは謝るから、いじめないで……」

 復活してきたリリアがテレスの袖を引くが、笑顔の迎撃に涙目で縋りついた。くすくす笑うテレスは無邪気なもので、からかっているのが誰の目にも明らかだ。案外リリアの事を気に入っているのかも知れない。

 しばし歓談していたが、ふいにベルクドがグレイに尋ねた。

「で、兄ちゃん達はいつまでこの村に居るんだ? できりゃあ、一回くらい手合わせしてぇんだがよ」

「……明日、遺跡の探索を済ませたら、そのまま出立するつもりでいる」

 場が静まり返った。リリアがなにか言いたそうにしていたが、メイが静かな視線を向けて黙らせた。これ以上、恩人の好意に甘える訳にはいかない。

「……そうか。ろくに恩返しもできねぇのは残念だが、無理に引き止めるわけにゃいかねぇしな」

 グレイの言葉にベルクドが応じる。

「世話になったな。どこかで会ったら声ぐらい掛けてくれよ」

 そう言って右手を突き出す。ただし今度は拳を握ってだ。グレイも右手の拳を突き出し、ベルクドのそれに打ち合わせるように応えた。

「ああ。いつかどこかで、また会おう」

 テーブルでは少し寂しそうな顔をしたマナが、ティアの紅い髪を弄んでいた。ティアも嫌がる素振りも無く大人しく髪を預けている。

 人目を避け交流を持たないグレイ達の旅路において、これはこれで貴重な触れ合いだった。

「さぁて、湿っぽいのはこんぐれぇにしてだ。せめて今日ぐらいは付き合ってくれよ? ここからは俺が奢るからよ」

「おお! リーダー話せる! そうこなくっちゃね!」

「……リアお姉ちゃんまだ飲むんだ」

「……また絡んだりするなよ」

 気前良く言い放つベルクドに、真っ先にリリアが反応する。マナとユースがジト眼でリリアを見ているが、彼女は気付かないふりで視線を外していた。

 何時かの再会を願って乾杯を交わすと、それぞれにささやかな宴を楽しむこととなった。



 夜も更け、田舎の宿屋件酒場の親父の視線が厳しくなりだした。金払いがいい冒険者と言えど、さすがにそろそろ限界のようだ。

 お開きにしようかという雰囲気になりだした頃に、夜を徹して見回りをしている村の自警団の者が、大声で喚く声が酒場の外から聞こえた。


「い、遺跡の方から魔物の群れが……!!」


御意見、御感想お待ちしています。

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7/6 本文後半、獣人少女の名前誤記修正 マヤ(×) → マナ(○)

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