九話 迎撃Ⅳ
ベルクドは手にする戦斧を大きく横に振り抜いた。
小柄な魔物の体が、綺麗に上下に別れバラバラと倒れ伏す。
相手が一匹ならば、普段の彼でもこれぐらいはやってのける。だが、たった今彼が斬り捨てたのは、横に並んだ三匹をただ一振りである。
複数の魔物を一度の攻撃で斬り捨てるなど、手練の戦士でもそう簡単に出来る事ではない。
筋力に恵まれたベルクドが重量のある長柄の武器を振り回しているといっても、硬い骨の芯を持ち肉の付いた生物を斬れば威力は削がれる。そして三匹が横並びとは言え、その動きには当然差が生じている。取り回しの悪い長柄武器で、まとめて切り伏せられる瞬間を捉えるのは至難の業だ。
しかし、魔物を切り伏せる絶好の瞬間をベルクドの目は見逃さず、重い戦斧は棒切れを振るような気安さで鋭い銀糸を描き出した。
魔物を倒したベルクドは、戦斧を地に立て一息吐いた。
周囲に眼を向けると、うんざりする程数多くの魔物達が、そこかしこで立ち往生している。
魔物共の足は地面に縫い止められていた。足首を捕まえるような形で土が盛り上がり、捕らえられた魔物共は土の足枷を外すことが出来ず、その場から動くことが出来ない。
動けない魔物達の間を、土の人形達が動き回っていた。背の丈はベルクドと同じかやや高い程度、ただ胴回りや腕の太さは彼の倍程もある。太く短い足で立派な上半身を支えつつ、緩慢な動きでのそのそと動いては、手の届く範囲に入った動けない魔物達を殴り潰していく。
今もベルクドの目の前で、土の人形が両手を天に向け高々と掲げると、動けぬまま恐怖に引き攣る顔をした魔物目掛けて勢い良く振り下ろした。肉が潰れ骨が砕ける嫌な音が辺りに響き、殴られた魔物は大量の血を撒き散らしながら、呆気なく挽肉になってしまった。
ベルクドの立つ付近には土が変色している所が目立つ。血で染まっているのではなく、地面を掘り起こしてから丁寧に埋め戻したのなら、こんな感じになるかも知れないという僅かな色の違い。
当然、カドミアが魔物を落とした穴の跡である。
開戦当初は近づく魔物を穴に落としていた土の上位精霊ではあるが、次第に穴を開けられる場所が少なくなっていった。そろそろ落とし穴が難しくなり始めた頃に、テレスの作った槍衾が一斉に崩れ落ちた。魔術の効果時間が切れたのだ。
魔術で作られた物は、殆どが効果時間を過ぎれば崩れ去る。これは魔術で作った物と言うのは、魔力で無理矢理に形を整えてその形を維持している為だ。
テレスの作った土の槍は込められた魔力が霧散した途端、その不自然な形を維持できなくなり、崩れ落ちてただの盛土と成り果てた。
メイが精霊術で作った避難所周りの土壁はまだ残っている。
精霊術で作られた土壁は、基より不自然な形には積みあがっていない。人が時間を掛けて作らねばならない物を、精霊に力を借りて作業時間を短縮した。いずれは自然風化して崩れるであろうが、それまでは土壁として機能するし、きちんと補修してやれば何時までも残るだろう。
どちらにも例外と言う物は存在するが、今は魔術と精霊術の違いが如実に表れた結果となった。
進軍を阻む物が無くなり魔物共が大挙して押し寄せて来たのだが、それを見たグレイがカドミアにすぐさま敵の足止めを命じた。命じられたカドミアが行ったのが、土の足枷だったと言う訳だ。
足の止まった魔物共を、グレイ含め冒険者達は一匹一匹潰していたのだが、手持ち無沙汰になったカドミアが
「手伝いが必要か? 召還主よ」
と、グレイに問い。問われたグレイが「周りを巻き込まない方法があるなら頼む」と答えた。
そんなやり取りで出来上がったのが、今ベルクドが見ている通りの戦場である。
もはや魔物の虐殺でしか無いのだが、残しておけば村の禍根となるのは明白なので、出来る限り倒さねばならない。
ベルクドが見渡す村の広場は、挽肉が散乱し噎せ返りそうな程に血の匂いが濃い。風に煽られ更に血の匂いが増していく。
その風の中を、グレイとリリアが走り回っていた。
全ての魔物が土の足枷に捕らわれている訳では無い。難を逃れた魔物達の動きは、すでになんの統率も取れてはおらず、逃げ出す者も居ればへたり込んで動けなくなっている者も居る。
リリアは恐怖で動けなくなった魔物を狙っているようだ。
恐怖に縛られているとは言え足枷がある訳では無い魔物は、当然の事に敵意ある者が近づけば逃げ出そうとする。動きの遅い土の人形達では、動けない敵は潰せても咄嗟の動きには対応出来ない。リリアは、そんな魔物達の足を主に狙っていた。
彼女の手にする武器では、急所に上手く当てなければ一撃で屠ることは難しい。だから魔物の足を斬り付けて動きを止める事に専念していた。動きさえ鈍らせてしまえば、後は土の人形達が始末してくれる。
グレイは魔物を逃がす気は無いようで、逃げ回る魔物共を追撃しては斬り捨てていた。その速さは先程見たティアの動きにも劣らぬ物で、素早い動きで逃げ回る魔物に難無く追いつき、殆どを剣の一振りで絶命させていた。彼もまた人間離れした身体能力を持っている事に、ベルクドは驚愕と共に奇妙な納得も得ていた。あれだけ驚異的な戦闘能力を持つ少女と、常識外れに強大な術を行使する魔術士を従えているのだ。彼が只者であるはずも無い。
中には恐怖に駆られたように突撃してくる魔物も居たが、それらは避難所前で待機しているベルクド達に狩られている。
ベルクド達は昼間、ディンガ十数匹程度に遅れを取った。
狭い遺跡の探索時は全身鎧では無く、要所だけを金属鎧で固めたハーフプレートとも言うべき装備であったし、武器も得意とする長柄の戦斧ではなく予備の長剣であった。十全な物では無かったし、不意を打たれて隊列が意味を成さなくなったという不利もあった。
今は全身鎧で身を固め、最も信頼を寄せる愛用の武器も手にして完全武装。加えて十分とは言えないまでも迎撃の準備を済ませ、後衛は安全な場所から援護してくれる。
なにより召還精霊を含めたグレイ達の実力は、驚きもあったが頼るに値するものであり心強い。
テレスとティアは未だ戻らないが、悪魔も戻ってこないので追撃戦は続いているのだろう。もう一匹の悪魔は未だ動向が判らず僅かな不安は残るものの、少なくとも魔物の群れは脅威では無くなったと見ていい。
魔物共が村に侵入して来た折りに、いくつかの民家が破壊されたようではあるが、当初の脅威度を考えれば被害は軽微な物で、気にする程でもないだろう。
「支援補助まで、桁外れたぁな……」
手持ち無沙汰になったベルクドから、思わずといった感じで言葉が漏れる。
彼には、いや彼だけでなく仲間全員に、身体能力を底上げする魔術が施されていた。武器を振るった彼自身が驚く程に易々と魔物を倒せているのは、間違い無くこの術のおかげであることを、他ならぬベルクドが一番実感していた。
術を掛けたのは当然テレスである。
「自信無くしちゃうわよねぇ……」
メイがぼやく声が後ろで聞こえた。やや落ち込んだふうにも聞こえるその声に、慰めの言葉を掛けようと振り返ったベルクドは言葉に詰まった。なにを言えばいいのか判らない。下手な慰めなど、返って落ち込ませてしまうだけだろう。それ程までに掛けられた術には、自分達が用いる物との差が有り過ぎる。
「僕達には真似できない術を、あっさり掛けてしまいましたしね」
ベルクドの考えを読んだわけでもあるまいに、まるで代弁するような事をユースが呆れを含ませた声で吐き出した。
「えっと、テレスさんの魔術って、そんなに凄いの?」
まだ未熟故に良く判っていないマナが、首を傾げながら先輩術者二人に尋ねた。
それに答える前に、メイとユースは魔物達の方に眼を向け、ついでに辺りを見回し当面は危険が無い事を確認する。その様子を見たベルクドは正面へ向き直り、「俺が見てっからマナに教えてやってくれ」と二人に伝えると、程なく後ろから講釈が聞えてきた。
「マナちゃん、体を強化する場合はね。体全体に事細かに調整した術を、幾つも掛けなければならないんだよ」
冒険者になって日が浅いものの、幼い時から樹の精霊に見守られていたユースは、精霊術士としての道を早くから目指していた。術士としてはまだ並程度ではあるが知識は深く、熟練術士のメイと一緒にマナの講師役となっている。
「いきなり筋力が普段の二倍になっても体が耐えられないし、動ける速度が二倍になっても感覚が着いていけなくなってしまうんだ。最悪、ただ動いただけで大きな怪我をしたりする」
真面目に話しを聞いているマナの理解が追いつくように、少しだけ間を空けながらユースは説明を続けた。
「能力を上げるからには上げた部分だけでなく、他の部分にも強化をしないと結局は底上げされた分を使いこなせない。能力を上げる術と言うのは、この手の身体に掛かる負担を軽減するか、もしくは耐えられるようにする強化も一緒に施さなければならないんだ」
ユースの講釈を背中越しに聞きながら、ベルクドは自分の経験を思い出していた。
精霊術を用いた能力強化を掛けて貰った事は、もちろんベルクドにだってある。しかし、それらは普段より少しばかり武器の取り回しが楽になったり、いくらか体の動きが軽くなったりする程度だ。
口の悪い同業者には気休め程度と言う者も居るが、それも仕方が無い事である。
ただ筋力を増すだけと言っても、増強された筋力に負けないだけの丈夫さを体に付与し、筋力が強くなったことによって増した速度に着いていけるように神経を強化し感覚を鋭くする等、いろいろな術を織り交ぜなくてはならない。結果として筋力だけに留まらず、体全体を細部に渡り強化する事になる。
繊細な技が必要な術を複数同時に行使しなければならず、それ故に術者の負担が大きい。目に見えて違いが出る程の物など望むべくもなく、ましてや複数人に同時掛けなど出来る物ではない。
効果は微妙だが持続する時間が長いので、術の効きにくい厄介な敵が居ると判っている場合には、事前に掛けてもらったりもする。術者の負担や掛けるまでに要する時間を考えると、それぐらいしか使い道が無い術とも言える。
ベルクドが自身の経験と、昔メイから聞いた説明を思い出していたのと同時に、後ろでも同じような講釈が続いていた。
「あれ? でもテレスさん、詠唱一回しかしてなかったよ? それで全員に掛けたよね?」
マナの素直な疑問に、メイとユースが揃って盛大な溜め息を吐き出した。
「……どうやったら、あんな事出来るのかしらねぇ」
「……どんな熟練術士でも、普通出来ないですよ」
随分重く沈みこんだ声が聞こえた。
二人の急激な落ち込みように、マナが慌てる「えっ? えっ?」と言う声も聞こえる。
精霊術の使えないベルクドではあるが、冒険者としての生活は長い為、術士と接する機会は多かった。特にメイとは知り合って十年近くになる。
それ故に、術士二人の疑問と落胆は判らないでもない。
グレイが全員に身体強化を施すようテレスに言い渡した時、それを二つ返事で請け負った魔術師に、ベルクドは疑念を持たずに居られなかった。
テレスが並外れた術者だとはリリア達から聞いていた。蘇生が出来ることからも治癒系が一流なのは判るし、リリア達の話を信じるならば攻撃に関する術も並以上なのだろうが、実際に見ていないベルクドは不安が拭えなかったのだ。
テレスの見た目が二十歳になるかならないかという若い娘なのも、ベルクドの不安を上乗せしていた。そんな若さで熟練の冒険者以上の腕前になれる物なのか。
ましてやベルクドも良く知る精霊術では無く、習得している者すら稀な失われた魔術の使い手故に、疑ってしまったのも仕方の無い事だろう。
おそらくはメイも同じ心境だったであろうし、テレスの実力を眼にしていたユースだって、それなりに不安や疑念は持っていたはずだ。
だが、そんな彼等の不安も他所に、テレスは実にあっさりと術を掛けた。冒険者達五人、そして彼女自身を含めたグレイ達三人の、合わせて八人に同時掛けをただ一度の詠唱でだ。
掛けられた術の効力は、ベルクドの知る常識から大きく外れる物だった。
彼の体感では普段より倍近く素早く動け、手にする武器も身に着けた鎧も羽のように軽く重さなど感じない。そして、それらの事柄に彼の体はまったく違和感を訴えてこないのだ。
まるで普段からこうであるように、底上げされた身体能力を全力で活用して、何時も通りの動きが出来ている。
戦闘前に肩慣らしとして、リリア達と軽く武器を打ち合わせた時にも驚かされたが、いざ戦闘に突入し全力で体を動かしてみると、その威力は先程体験した通りの凄まじいもの。
もはや驚愕を通り越して、呆れにも似た感情を持ってしまった。
戦士であるベルクドですらそうなのだから、精霊術と魔術と言う違いはあれど、同じ術士であるメイとユースが実力の差に嘆くのも仕方無い事だった。
「精霊術には、人体そのものに掛ける術は殆ど無いものね」
メイが天を仰ぎながら、遠い目をして呟いた。
ユースが視線を地面に落としたまま追随する。
「火や風、土や水でも武器や鎧は強化出来ますが、人体を長時間強化するには生命の精霊の力を借りるしかないですしね」
この辺りはマナも知っている知識だったようで、二人の言葉に対して疑問を口にした。
「メイお姉ちゃん、契約してるよね?」
言外に、メイなら出来るのではないかという期待が伝わってくる。
しかし、残念ながらメイにはそれを否定する言葉しか持たない。
「してはいるけど……下位だから、それほど大きな力は持って無いのよ、マナちゃん」
視線をマナに向け優しく語り掛けるメイと、相変わらず生真面目に聞いているマナ。そんな二人に、ユースが横合いから言葉を滑り込ませる。
「上位精霊なら、或いはテレスさん並に出来るのでしょうか?」
「どうかしらねぇ? 試した事のある人は居ないもの。生命の上位精霊と契約する事が出来れば、それだけで歴史に名前が残るわよ。きっと……」
自信無さ気に力なく会話する先輩術者二人であるが、下位とは言え生命の精霊と契約出来ているメイは、他の術士からは一目置かれる存在である。
生命の精霊と契約している術士は絶対数が少ない。
生命の精霊は下位の者しか存在が確認されておらず、上位精霊と契約出来た術士は過去一人として存在しない。下位精霊達に尋ねた経緯から、上位精霊が存在する事は確かなのだが、出会う事の出来た人間がいないのだ。
精霊と契約するには、精霊自身と直接逢って契約を交わさねばならないが、出会えないのでは契約の交わしようがない。契約していない精霊を召還することは出来ず、精霊の居る場所まで出向くしか手が無いのだが、肝心の精霊の存在場所が判らない。下位精霊に尋ねても「そこに居る」としか答えず、術士がどれほど気配を探っても見つけられなかった。
生命の精霊に関して言えば、極稀に顕れる力の弱い下位精霊を、運良く見つけ出せた者が契約できる程度。
むしろ、そんな珍しい精霊と契約を結び、微力とは言え人体強化を可能としている時点で、術士としては十分な誉れである。
メイは偶然に生命の精霊を見つけた訳では無く、彼女の師匠でもある母親が契約していた精霊を譲り受ける形となった。精霊の方も、長く契約し厚い信頼を持っていた術士の娘という事で、契約者の交代に不満は示さなかった。
ユースは生命の精霊と契約はしていないものの、幼い頃から術士としての知識を蓄え技を磨いてきただけあって、知識だけならば熟練術士にも負けない物を持っている。
そんな二人だからこそ、テレスの術の凄さも異様さも理解出来てしまう。
一度の詠唱で複数の対象に術を同時掛けし、しかも掛けられた術の効果は下位精霊ではとても及ばない物。これが魔術と言う物の力なのか、テレスが際立って卓越した使い手なのか、メイ達には判断出来ない。
そして驚かされたのはテレスの魔術だけでは無かった。
ベルクドは後ろの会話を聞きながら、戦っているグレイとリリアを見ていた。
グレイは避難所前に居る防衛組から、やや突出した位置に居る。逃げる魔物を追撃して殲滅しているのだが、彼に向って攻撃を仕掛ける魔物も当然存在している。
グレイに襲い掛かった魔物共が爪を振りかぶり、あるいは牙を剥き出しにして齧りつこうとした瞬間、鍵爪の生えた腕は宙を舞い牙を立てようとした魔物の首が地に落ちていく。
先に攻撃したはずの魔物から、呆気なく先手を奪い返す剣の閃きは雷光の如く。
熟練の戦士であるベルクドの眼を持ってしても、剣先はおろか柄を握る手の動きすら霞んで全ては捉えきれない。
その体裁きも人間離れしていた。四方八方に魔物が存在する戦場。時には彼の死角から攻撃が来ることもある。だが、その攻撃が全て見えているかのように、襲い掛かる爪と牙を迎撃して斬り落としてしまう。
攻撃にしろ防御にしろ、熟練の戦士であるベルクドから見れば、まだまだ荒削りで洗練されたものでは無い。むしろ剣の扱いを見る限り、速くはあるものの中堅どころの冒険者程度。だが、その未熟さを補って余りある身体能力には眼を見張るものがある。
獣人達は概ね身体能力に優れ、とても人間には真似出来ない動きをする者も多いのだが、身体強化の分を差し引いても、グレイに着いて行ける者はそう多く無いだろう。
それだけでも、ベルクドはグレイに羨望を抱かずに居られない。あれだけの能力が自分にもあったのならば、今頃はマナの依頼……いや願いも叶っていたかも知れない。
リリアはグレイから付かず離れずの所で、彼の攻撃範囲から漏れた敵を相手取っているが、離れて見ていると、それすらグレイがリリアの動きに合わせてくれているのが良く判る。
リリアがグレイに置いて行かれそうになる度に、グレイの方からさり気なくリリアに近づき、尚且つ彼女が魔物に囲まれないように動きを誘導しているのが見て取れた。
それだけの事を一度にこなしながら、時折ベルクド達に視線を流し無事を確かめる事までしているのだから、ベルクドは段々羨望する事すら馬鹿らしくなってきてしまった。
「……あの兄ちゃんも化け物だな」
「それを我が召還主の前で言ってくれるなよ。どうも、その手の言葉は傷つけてしまうようだ」
半眼で思わずと言った感じにベルクドが漏らした言葉を、土の上位精霊が真剣な口調で嗜めた。
ベルクドは後ろに居るカドミアへと振り返る。
カドミアが大半の魔物を拘束してしまい、稀に近づいて来る魔物へは後衛の精霊術が飛ぶ。それでも討ち洩らした魔物が、ベルクドの相手なのである。実は殆どやる事が無い。
グレイ達と同じように前進して戦う気は無かった。大してやる事も無いとは言え、ここに防御力の薄い後衛だけを残して行く訳にもいかない。ベルクドが彼等にとって最後の盾なのだから、護ることに専念するべきだ。
「おまえさんは、あの兄ちゃん……グレイに召還されたんだよな?」
「うむ。我が名はカドミア、グレイ殿に召還された精霊だ」
ベルクドの問いに頷きつつ返すカドミア。言葉使いは大仰だが、その態度に尊大な様子など微塵も無く、友人と話すような気安さすら感じさせる。だが、その様子を見ていたメイがベルクドに近づき、小声で注意を促した。
「あまり失礼な事言わないようにしてね、ベルクド」
「……結構気さくそうに見えるんだがよ。怒らしたら厄介そうか?」
「厄介も何も、かなり上位よ。もしかしたら王に届くほどのね。並の術師では対抗するどころか、契約すら出来ない。ましてや召還とか、なんの冗談よって感じだわ」
溜め息交じりのメイの言葉に、ベルクドは息を呑みつつカドミアを横目で盗み見た。
そんな二人にカドミアは、
「我に気遣いなど無用だ。心配せずとも、襲い掛かったりせんぞ?」
安心させるように微笑みながら、優しい声色で冗談めかした言葉を掛けた。
カドミアは声も態度も冒険者達に友好的であり、むしろ彼等を怯えさせまいとする配慮が感じられる。
「召還主から、そなた達を護るように頼まれたからな。なに、あの程度の魔物共など、あしらうのは容易い事。そなた達に掠り傷一つ負わせたりせんよ」
細めた目でグレイの姿を追いながら、どこか楽しそうにカドミアは話す。
「ヒギィアッ」
カドミアの言葉を証明するかのように、ベルクド達の後ろで些か間抜けな魔物の声がした。
魔物から目を離し、カドミアと向かい合って話していたベルクド達が慌てて振り返れば、地面に開いていた穴が音も無く閉じていくところであった。
それを見たメイがまた力無く肩を落とす。一瞬で地に落とし穴を掘る事も、得物が落ちた瞬間に閉じてしまう事もメイには出来ない。契約している土の精霊を召還すれば同じ事をやってくれるかも知れないが、メイが与えられる代価ではこれ程長い時間の拘束は無理だ。
魔術士だけでなく、その主も規格外。目の前で行われている近接戦闘だけでも、一流の戦士が憧れを抱く物であろうに、挙句に精霊術までこれでは冒険者達は立つ瀬が無い。
ベルクドは、この土の精霊とグレイが交わしていた会話を思い出した。巻き添えを気にしないのならば、魔物共を一網打尽で殲滅できると言っていたはずだ。
「なぁ、あんた……あー、カドミアさんだっけ?」
「あんたでもお前でも好きに呼んでくれて構わぬし、カドミアと呼び捨ててくれても良いぞ。ベルクド殿」
屈託無いカドミアの声に、「こっちも呼び捨ててくれ」と返してから、ベルクドは精霊に疑問をぶつけてみた。
「グレイに村の境界線とこで召還されたんだよな? なんでそん時、魔物共を殲滅しなかったんだ?」
周りに人が居ない状況。召還したグレイ達ですらその場から離れていたのだから、巻き添えを気にして攻撃を躊躇う理由は無かったはずだ。
ベルクドの疑問に対するカドミアの答えは、実に簡潔なものだった。
「頼まれたのは時間稼ぎだからな」
精霊は代価を受け取って人間に力を貸すが、代価無しでは力を貸さない。頼み事の困難さに応じて代価は釣り上がり、常に前払いである代価が払えなければ、人間の頼みは聞いてくれない。
そして、頼まれた事以上の力は振るわない。
カドミアが召還された時、グレイの頼みは助力だった。それ故、召還主達と戦闘状態であった敵に対して土の巨人で攻撃しつつ、召還主の仲間の傷も癒した。
召還主が一時撤退を決めた時の頼みは時間稼ぎだった。下位精霊の力を借りて魔物の群れを足止めしつつ、自身は強敵でありそうな二匹の空飛ぶ魔物の相手をした。
殲滅しろとも倒せとも命じられていない。
カドミアの答えにベルクドは納得したが、ユースが新たな疑問を口にする。
「もし殲滅を頼まれていたら、どうしました?」
「無論、我の全力を持って事に当たっていたであろうな。ディンガ共はともかく、あの空飛ぶ魔物まで倒せたかは判らぬが……」
カドミアの作り出した土の巨人は、彼女が使える力の中でもそこそこ強い部類に入り、一体だけでも人間の都市に攻め込める。しかし、敵はそれを倒してしまえるだけの力を有していた。挙句にカドミア自身も、己の分身である土で拘束される始末。
正直、勝算はかなり低いと思っていたので、言葉尻が弱くなってしまった。カドミアは落ち込む自分に、本当に人間くさくなったものだなどと、精霊らしからぬ感情に驚いてもいた。
「全力を出していたら、その……周りの被害はどのくらいに?」
「あちら側の村の建物、あそこからそこらまで位は全壊であろうな。森にも広範囲に渡って被害が出ると思われる。まぁ、そんな事をしたのならば、樹や草花の精霊達に山程文句を言われるだろうがな」
ユースが重ねて問うた質問に、カドミアは遺跡側の村の建物を、あそこからあそこまでと言うように指し示しながら説明した。その範囲は遺跡側の建物がほぼ全て入っていて、村の全建物の五分の一程が壊滅すると言われた事になる。
ベルクド達は、グレイがこの上位精霊に殲滅を命じなかった理由を察してしまった。迂闊な攻撃命令などしてしまえば、村が味方の手によって壊滅しかねない。
それだけの力ある精霊でも、悪魔を倒せたかは判らないと言うのだ。
グレイ達のおかげで随分楽な戦いになっていた為に、忘れていた危機的状況を改めて再確認した冒険者達であった。
全員の言葉が途切れたところで、マナが不意に風の精霊術を行使した。
事前に風の精霊術を用いて、指定した範囲内に術者が設定した大きさ以上の何かが侵入すると、甲高い独特の音を出して知らせる範囲固定型の術を敷いていた。
風が警鐘を鳴らす範囲は、避難所の後ろ側に掛けていた。テレスが魔術で作った槍衾は広場と避難所を、コの字で囲うようになっていた。建物の正面が遺跡側になるので、前と横が塞がれている形で後ろ側には囲いが無かった訳だ。
ディンガは賢い魔物では無いが、障害物を避ける程度の知恵は回る。そこまで頭を使わずとも、邪魔な槍衾を避けて進めば、いずれは自然と迂回して後ろから来ることになるだろう。そう思って術を掛けておいたのだが、槍衾が崩れた今となっては余り意味も無い。
避難所後ろ側は、建物に隠れて見えない。死角のままと言うのも怖いので、念の為に術は維持していた。広い範囲に術が敷ける訳では無く、持続時間も長くは無い。下位精霊の術故に仕方の無いところである。
カドミアが周囲の土を掌握しているせいで、土の精霊術を使えないマナには他に出来る事が無い。効果が切れる度に小まめに掛け直すのが、彼女がこの戦闘で唯一役に立てる物だ。
火や水等と言った他の精霊とも契約はしているのだが、まだ攻撃や防御に使えるものが無いのだ。焚き木に火を点けたり、カップ一杯の泥水を飲める程度に浄化するのが精一杯なのである。
「風の囁き」の掛け直しは、対象に触れる必要があるので諦めた。
グレイとリリアは離れた位置で戦闘中であるし、テレスとティアにいたっては悪魔を追って行ってしまったので姿すら見えない。触れられる範囲に居る仲間は、術が無くとも会話出来る距離なので意味が無い。
マナが術を掛け終わるのを見届けたメイが、軽くマナの髪を撫で良く出来ましたと褒めた。しかし、褒められたマナはどこか浮かない顔をしている。
「上位の精霊さんが全力出しても倒せない程、『アクマ』が強いって事だよね……ティアちゃんとテレスさん、大丈夫かな……」
「きっと大丈夫だよ。グレイさん、欠伸なんてしてたでしょ? それ位に余裕があるって事なんだよ……『アクマ』は彼等にとって、それほど脅威ではないんじゃないかな?」
不安そうに呟いたマナに、ユースが安心させようと声を掛ける。
メイはマナから離れ、ベルクドに小声で話しかけた。
「……あれ、わざとやってたわよね?」
「兄ちゃんの欠伸だろ? どう見たって白々しい演技だったよな」
ユースもおそらく気付いている。気付いていながら不安な様子のマナの為に、それを隠して優しい嘘を吐いているのだろう。
ユースの心遣いを無駄にする気の無い二人は、マナ達から若干の距離を取り、顔を寄せてひそひそと内緒話を続けた。
「テレスさんが不安そうな顔で見てたからかしらね。大丈夫、大した事じゃないから安心しろとでも言うような事を、態度で示したかったんじゃない?」
「姉ちゃんには、全然伝わってなかったみてぇだがな」
メイの言葉をベルクドが混ぜっ返した。
「呑気に欠伸する兄ちゃんを見た途端、慌てて伝言なんぞ寄越してただろ? ま、他にも伝えたい事があったんだろうがよ」
「テレスさんもテレスさんで賢そうに見えて、そういう機微には疎いみたいだしね」
ベルクドの指摘に、メイが眉を下げた困り顔で答えた。まるで妹を心配する姉のような雰囲気である。
風の下位精霊がグレイの下に来ていたのは、二人共気付いていた。気付いていながら、あえて知らぬ振りをした。
接したのは極短い時間ではあるが、彼等が根っからの善人だというのは疑いようが無い。
なんの得にもならないと言うのに、行きずりの死に掛け冒険者達を率先して助け、王族や貴族にでも知られれば、無理矢理にでも連れ去られるかも知れない蘇生まで無償でする始末。
そんな御人好しな彼等の内緒話の一つや二つ、見逃したとしても自分達に不利益を被せるとは思えなかった。
ベルクドもメイも、長く冒険者なぞと言う荒事稼業に身を置いているのだから、人を見る目には自信がある。冒険者は人柄を見抜く技術が無ければ、長くやれる物では無い。
「兄ちゃんが不器用すぎんだろ。ちゃんと言葉で伝えてやりゃいいのによ」
「私たちも、随分と気を使われてしまったしねぇ」
「あんなんで、俺達の緊張を解そうとか思ってやがったんだろうがな」
「全部一人で抱え込もうとしてるみたいね」
「力はあるみてぇだが、人生経験が足りてねぇな」
内容は辛辣に聞えるが、二人の声はむしろ憂いを帯びていた。彼等は余りにも優し過ぎる。出会って間もないと言うのに、心配せずにはいられない程に。
今まで、どのように生きてきたかなど知る由も無いが、あの有様ではさぞ生き辛いことだろう。
「人生経験ってよりも、人との関わりが薄いんじゃないかしらねぇ」
「それも含めて……だ」
ふと、ユースとマナがこちらを見ている事にメイは気付いた。マナの表情から不安が消えたわけでは無いが、先程よりも随分気持ちは持ち直したらしい様子だ。
聞かせられない話は終わっているので、メイは顔を付き合わせていたベルクドから離れ、普通の声量に戻した。
「あの子達に恩返しが出来るかも知れないわね」
「どういうこった?」
ベルクドが聞き返してくる言葉にメイは、
「力だけでは、どうにもならない事もあるでしょうしね?」
茶目っ気のあるウィンク一つ。
その言葉に納得したような表情のベルクド。彼等も他人の事をとやかく言えない程度には、御人好しのようである。
だが、二人の会話を聞いていたユースとマナには今ひとつ判らない。前半の内緒話は聞えていなかったので尚更である。
「えっと……リーダー達、なにを企んでいるんですか?」
「ま、全部終わってからだな」
悪戯っ子のような笑みではぐらかすベルクドと、楽しそうな微笑みを浮かべるメイ。マナとユースは顔を見合わせて、御互い首を傾げるしかなかった。
ベルクドがグレイ達に視線を向けると、グレイとリリアは戦場の真中で動きを止めていた。動ける魔物共が片付いたので小休止をしているらしい。
グレイは長剣を肩に担いで何気ない風情で立っているが、リリアは彼の横の地面に座り込んでゼイゼイと荒い息を吐いている。同じ身体強化を受けているが、二人の地力の差が出たようだ。
目の前の広場で動いているのは土の人形達だけ。土の枷に捕らわれた魔物共を作業的に潰して回っているのだが、それも長くは続かないだろうと思われた。百の魔物の群れは、今見えている限り二十も残っていない。ベルクド達が開戦前にした悲壮な決意をあざ笑うかのように、終わってみれば実に呆気ないものだった。
その殆どが自分達の成した物では無くとも、生き残れた事に違いは無い。後はテレスとティアの無事を確かめれば、それで全て終わると思い始めた彼等だが、
「……様子がおかしい」
カドミアの一言で弛緩しかけていた空気は吹き飛ばされた。
ベルクドは忘れかけていた、もう一匹の強敵の存在を思い出す。
「『アクマ』が来たのか?!」
「いや、違う。これは……」
カドミアの答えを遮るように、強烈な重圧が彼方から圧し掛かってきた。
なにか圧倒的に強大な力が膨れ上がっていくような感覚。特に術者達は、その感覚を強く受けて地に膝を付き崩れ落ちた。
彼等から離れた場所で起こっていることだから、まだ耐えていられる。もしも、あと僅かでも近くでこの重圧をぶつけられていたのならば、それだけで術士達は気を飛ばしていたかも知れない。
「なに……これ……物凄く強烈な精霊術みたいだけど……」
メイが片膝を付き、額に重い汗を浮かべながらうわ言のように喘ぐ。
それを土の上位精霊が否定した。
「精霊の動きは感じない。だが、強力な術のようではあるな」
カドミアは冒険者達のように膝を屈したりはせず、腕を組んで仁王立ちしているが、その顔には険しい表情が刻まれていた。
「広範囲に渡る殲滅型の攻撃魔術みたいだな。おそらくは儀式魔術だろう。『アクマ』の片割れが姿を見せないと思っていたら、こんな物の準備をしていたようだな」
重圧に気を取られていた冒険者達の近くに、いつの間にかグレイが来ていた。青い顔をしたリリアに肩を貸している。前衛戦士でありながら精霊術を使えるリリアも、術士達と同じようにあの重圧に当てられてしまったのだろう。同じく精霊術を扱えるグレイは普段と変わり無い感じであるが、彼の実力を見せ付けられた冒険者達は、それを不思議とは感じなかった。
「カドミア、あれをどう見る?」
「魔術は良く判らぬ。だが、精霊達の騒ぎ方から察するに……そうだな、この村全部を覆い尽くす範囲に、一本でこの大きい建物を吹き飛ばすような雷を、嵐のように次々と無数に落とす物のようだな」
避難所を見上げながら告げるカドミアに、冒険者達は絶望的な顔を向けた。
グレイはリリアを座らせ、休んでいろと声を掛ける。だが、リリアは気丈にも頭を振って食い下がってきた。
「……テレスさん達は? ……早く……逃げなきゃ……みんな死ん……」
「テレスなら大丈夫だ。あれくらいなら自分の身は護れるだろうさ。あいつの傍に居るティアもまとめてな」
リリアを落ち着かせるように静かな声で答えるグレイ。
ベルクドが固い声で尋ねた。
「姉ちゃん達は良いとして、こっちはどうすんだ? さっさと逃げねぇとやばそうなんだがよ?」
ベルクドは村人達を見捨てる覚悟をとっくに決めていた。
村人を見捨てる事に痛痒を感じないわけでは無いが、術士達の様子と自身の経験から、すでに護る事の出来る範囲を超えたと判断した。
そうなれば、なによりもまず仲間達の命が優先である。依頼を受けて動いている訳では無いのだから、必要ならば村人を切り捨てる事に躊躇は無い。冒険者として、仲間の命を預かるリーダーとして、それぐらいの非情さは持ち合わせている。
それを感じ取りリリア達は顔を伏せた。彼等とて村人を護りたい。しかし、今感じている重圧から察するに、あの魔術はとても防げるようなものでは無い。
どれくらいの猶予があるか判らないが、逃げるのにもすでに遅いかも知れないのだ。
唇を噛み締め涙だけは堪えているリリア。悲壮な表情で地面を睨みつけるユース。マナはもう零れる涙を拭うことすらしていない。
終わったと思っていた。村を救い、自分達も助かったと思っていた。
それだけに反動は大きく痛かった。
メイはそんな三人を見回しながら、自分の非力を嘆いていた。
もっと力があれば、もっと上手く精霊術を扱えていれば、村人を見捨てる決断をベルクドにさせなくて済んだ。妹や弟のように思い、慕ってくれている者達に悲しい思いなどさせずに済んだ。
この瞬間だけでも、せめて仲間達を護る力が欲しかった。
ベルクドの言葉にグレイは彼に顔を向ける。ベルクドは険しい視線でグレイの眼を射抜いた。命の恩人に対しての義理でグレイの判断を仰いではいるが、生温い答えは許さないと言った気迫が感じられる。
グレイはベルクドの視線から眼を逸らすでもなく、しかし睨み返す事もせずに感情の無い声で答えた。
「防ぐ手段はある」
ベルクドが眼を見開く。他の者達も弾かれたように顔を上げグレイを凝視した。
「とは言っても、ここら一帯を護るのが精々だな。村はほぼ壊滅だろう」
冒険者達の視線を一身に受けたグレイが、ぼやくように零しながら広場へと踏み出していく。
広場の中で動く物は無かった。残っていた魔物共はすでに肉塊か挽肉に変わり果て、土の人形達の姿は見えない。あちらこちらに土がこんもりと盛り上がっているが、役目を終えた土の人形達の成れの果てなのだろう。
広場の中程まで歩を進めたグレイは、そこで足を止めた。
静かに眼を閉じる。
瞼の裏に浮ぶ姿に、祈るように呼びかけた。
「……リーゼリア」
答えてはくれない。答えてくれるはずが無い。
自らが犯した罪。それに耐えるようにきつく歯を食いしばる。
やがて諦めたような表情で、閉じていた瞼を開く。
膨張を続けている魔術の重圧を睨み据えた時には、一切の痛みを忘れ去り、今護るべき者達の為に覚悟を決める。
なにかを掴み取るように右手をゆっくり前に差し出し、重い溜め息と共に三年振りとなる言葉を吐き出した。
「……来い、神殺し」