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夢現

 深く広大な地下迷宮の最深部。

 そこに位置する石造りの大広間。

 地下とは思えないほどに広い空間が在るものの、その広さに対して光量が足りていない。仮に誰かがここに足を踏み入れても、暗い闇の中に沈んでいる広間の全体は見渡せないだろう。

 広間の真中に僅かに一つだけ、光の球が浮んでいる。けっして明るいとは言えない光は、広い空間全体を照らし出すには足りないが、闇の中から柔らかくその周囲を浮かび上がらせている。

 光球の真下に彫像が立っている。

 背筋を伸ばした姿勢で立ち、顔を少し俯け(まぶた)を閉じた男の姿。

 精巧な造りの彫像は表面を薄く水晶に覆われ、まるで生きている人間を水晶に閉じ込めたかのように見える。

 光球の光を水晶が反射して(きらめき)き。暗い広間の中にあって、そこだけが幻想的な光景を作り上げていた。

 不意に彫像の前の空気が揺らぐ。風も無いのに揺らぎは大きくなり、小さな旋風(つむじかぜ)を起こすと唐突に一人の人影が現れた。

 人影は彫像に歩み寄ると被っていたフードを両手で背に下ろし、服の中に仕舞われていた髪を、かき上げるようにして背中に流す。

 長い髪に縁取られたのは美しい女性の顔。薄暗い部屋の中であっても輝くような白い肌と、周囲の暗い闇より黒い髪の中で、そこだけが鮮やかな色彩を持った(あか)い双眸が強く印象に残る。

 女は身だしなみを整えると、彫像に向けて深く(こうべ)を垂れた。

「おはようございます、主様(あるじさま)。外は今日も良い天気ですよ」

 日常的にそうしているのであろうと思われる、自然体の静かな声。

 それが示す通り、彼女は朝の挨拶から始まり就寝の挨拶まで、一日に何度もここに足を運んでいた。

 彼女は知っている。水晶に覆われている彼が、彫像などでは無く生きた人間である事を。

 夢魔の王の呪い。

 彼は永劫に続く夢の牢獄に囚われている。彼を覆う水晶はその呪いの印。水晶に触れただけで、触れた者も夢の牢獄に囚われるほどの強力な呪い。

 この呪いの為に、この場所は存在する地下迷宮ごと厳重に封印され、通常の方法では入ることは出来ない。

 強固な結界が幾重にも張り巡らされ、転移のような通常ではない方法ですら、まず進入は無理であろう。

 女がここに来れるのは、結界を張ったのが彼女自身であるからだ。自分専用の抜け道を、彼に逢いに来る為だけに用意してある。

 暗い広間で独りきりで居る彼の為、彼女は頻繁に訪れている。もっとも、夢の牢獄に囚われ深く沈みこんでいる彼の意識は、周りの状況など認識できる(すべ)は無い。彼女にもそれは分かっている。それでも彼を独りきりで放置しておくなど、彼女には出来なかった。

 いや、正確に言えば彼女自身が、彼の姿が傍に無い事に耐えられないのだ。ずっとここに居たいが、それが出来ないから時間を作っては何度も逢いに来ることで、自分の寂しさを慰めている。

 呪いに捕らわれて三年。

 それだけの時間が経った今も、彼は生きている。

 呪いの水晶に捕らわれている限り、表面的には彼の時間は止まったままだ。だが意識の内では、どんな夢の世界に居るかは分からない。

 夢魔の王の呪いが見せるそれは、悪夢とは限らないと言われている。ただ無限に続く夢の回廊に、対象を捕らえ離さないだけの物。

 彼の見る夢を知る(すべ)の無い彼女は、せめて彼にとって心地よい夢であることを祈るしか無い。

 彼女は水晶にそっと手を伸ばし、指先が触れる寸前で止めた。

 表面に触れない微かな距離を残したまま、男の輪郭をなぞるように指を滑らせる。

 触れてしまえば男と同じく、永遠に続く夢の回廊に囚われる。

 その髪も頬も、触れることは叶わない。

 彼女は思う。

 もし触れたのなら、同じ夢の中に行けるのだろうか。永遠に続く終わる事の無い世界へと。

 そんな事にはならないだろうと判っている。きっと触れても彼は彼の夢の中。彼女は彼女だけの夢の中。そんなところだろう。

 しかし、他者の夢に入る事などできないと思ってはいても、これは人の夢に忍び込む夢魔の、それも王の力が働いているのだ。もしかしたらという思いも捨てきれない。

 悠久の時を生きる彼女と、短命な人間の男。

 共に歩むことのできる時間は少ない。彼女にとっては、瞬きのうちに過ぎ去ってしまう程の時間でしかないだろう。

 だが、これに触れたのならば、(ある)いは永遠を共に過ごせるのかも知れない。それが例え悪夢の中だとしても構わない。

 断ちがたい誘惑。

 息をすることすら忘れるほどに切ない想い。

 それでも水晶に触れることなく手を戻し、痛む胸の内に想いを沈める。

 彼女の耳には、男の言葉が残っている。


『……後を頼む』


 間違いなく彼女だけに向けられたものだった。

 わざわざ二人だけしか知り得無い言葉で残されたそれに、短くともどれほどの想いが込められていたのか。

 いっそ命令であれば良かったのにと、男を恨む気持ちは無くとも思ってしまう。

 命令であれば彼女に(あらが)(すべ)は無い。誘惑に迷うことも断ち切る為に心が軋むことも無かっただろう。

 だが彼が残したものは命令では無かった。彼女には(あらが)うこともできたが、彼女自身がそれを許さない。

 自分を信じ託してくれた彼の言葉と想い。誰よりも大切な人の、その信頼を裏切ることなどできるものか。 

 彼女は深く重く切ない息を長く吐いた。

 ここでずっと傍に居たいが、そうしてばかりもいられない。

 男を呪いから解放するべく、仲間達は東奔西走してくれている。自分だけが座して待っているわけにはいかない。

 契約により主から遠く離れることはできずとも、やれる事は無数にあるのだから。

 なにより……

 もう一度だけでも彼の声が聞きたかった。

 ただの一度だけでもいいから、彼に触れたかった。

 ……彼に触れて欲しかった。

 その為にも、ここで悲嘆にくれている時間は無い。

 想いから心を引き戻し、彼の姿を目に焼き付ける。

「……行って参ります。主様(あるじさま)

 水晶から離れ、深く一礼して転移の詠唱を始める。

 名残惜しげな視線を残し、彼女の姿は虚空に消えた。


 残された男は来訪者に気付くこともなく。

 水晶の中で独り夢を見続ける。



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