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魔王が笑う

作者: 月見酒杯

 この小説は「カイダンが泣く」の別視点のつもりで書いていますので、そちらに目を通していないと分からない部分もあると思いますが、これだけでも独立して読めると思います。

 

 あ、と思った時にはもう遅かった。なにしろ気が付いたのが家に入る一歩前。空は綺麗な茜色に染まりつつあった。

 季節は夏。彼にとって四季の中で夏が一番苦手だった。ただ、夏休みは別格。遊びたい盛りの高校二年生。明日からの夏休みに浮かれたのがまずかったと和泉は思った。ついでに、その足でそのまま遊びに行ったこともいたい。彼はなにをそんなに落ち込んでいるのか。なんてことはない。忘れ物をしたのだ。

 部活で使う救急セット。数日後に迫った合宿のため、今日持って帰ってくるはずだったのに。自身が所属する部活の合宿まで日にちがない。医療係に選ばれた以上、救急セットは必須。足りないものがないかチェックし、ないものは補充しなければならない。明日は学校に入ることが出来ないし、他の日は予定が……。だめだ、やっぱり今日いくしかない。今からならばまだ学校に入れる。けれど、一人では生きたくなかった。

稲刈和泉いなかりいずみは深いため息をついた。もういくつになるだろうか。見えないものがみえるようになったのは。

 多分、幼稚園に入って少し経つ頃には俗に「幽霊」と呼ばれるものが見えていた。そのせいか、彼はオカルトが大の付くほど苦手だ。なにしろ、見えるだけではなく、心霊現象にも遭遇してきたから。

 鏡に移る男の顔、階段を上り下りする謎の足音。金縛り、うめき声、その他もろもろ。

 当時幼かった和泉には絶叫モノで、見るたびに大声で泣いていた。しかし己を産みし両親には霊能的なものがさっぱりで、見えたためしがない。そのことがまた和泉を苦しめた。

 言って信じてもらえるだろうか。もし真剣に取り合ってくれなかったら。そう思うとどうしても切り出すことが出来ず、しかし黙っているのも限界に近かった。どうしようも出来ないまま、しまいには家にいる間中布団をかぶり泣くようになってしまった。

 疑問に思った親がどうしたのかと尋ねてくる。初め、頑なに口を閉ざしていた和泉も、これはもう打ち明けるしかないと決心し、布団から顔を出したとき、見てしまったのだ。思いきりこちらを睨みつける顔を。そのあとは声にならない悲鳴をあげ、布団で震え続けた。

「……いやな思い出」

 寒気がして首を振る。今では危害を加えられることはほぼ無くなったとはいえ、やはり一人で学校へ戻るのは嫌だ。幽霊なんかいるわけがないと人には散々言われてきたが、見えないやつにはこの苦労が分からないんだと怒鳴ってやりたい。いや、無駄か。なにせホラースポットに肝試しにいこうと企てている連中の戯言だ。これが友人だったなら止めていたかもしれないが、計画をたてていたのは当時一つ上の学年のそれも他人だったから、心の中で「ご愁傷さま」と呟くだけにした。そういうやつらは一度怖い目に合わなければ分からないのだ。後日、肝試しを実行したと思われる連中は酷くやつれていた。まあ、間違いなく隣に引き連れている幽霊が原因だろう。やれやれと心の中で呟きながら思った。わざわざいわくつきの場所に行かなくても、恐怖体験をしたいならば夜遅くまで学校に残っていればいいのに。なにせ、自身が通う高校には「いる」のだから。


 気が付いたのは、高校の見学をしにいったときだ。綺麗な学校で、施設も充実していたそこにほぼ進学を決め、わくわくする気持ちを抑えきれず施設案内を受けた。一階の図書室、ロッカールーム。グランドはないが、体育館は広く、格技場もついている。そこまでは順調だった。問題は、理科室を見学したときだ。理科室に並ぶ黒テーブル。一緒に見学に来ていた生徒は黒板のそばにある上半身だけの人体模型に夢中だったが、和泉はテーブルの上から目が離せなかった。いたのは一人の青年。少し年上に見える彼はこちらを見る和泉の視線に気が付き、わずかに目を見開いた。

「ミ エ ル ン ダ」

背筋が一気に凍る。こいつは人間じゃない。幽霊の類だ。

経験上、こういうまともに見える奴でも油断してはいけないと学んでいた。畜生、なんで見えない振りをしなかったんだ!

 理科室の幽霊はふうん、と楽しそうに笑ったあと、ふっと姿を消した。次の瞬間。

「きゃー!!」

 黒板近くにあった人体模型が派手な音をたてて倒れた。

 大丈夫ですか!?怪我は?と尋ねる学校職員の後ろから先ほどの幽霊が顔を出す。その幽霊はいやに紳士な振る舞いででお辞儀をして、一言。

「入学、楽しみにしてる」

和泉はしばらくその姿が頭から離れなかった……。


 それでも諦めきれず、結局その高校に進学。もちろん、幽霊がいるのは分かっていたから、行動には細心の注意を払い、一人になることは避けた。おかげでこれまで怖い目にはあっていない。

外に目をやる。空は赤を増し、先ほどより陽が傾いたことを告げていた。

和泉にはこんなときに頼りになる人物を知っていた。階段をのぼり、扉の前に立つ。玄関に靴はあったから、いるはず。思い切ってノックをしようとしたとき、扉が内側から開けられた。

「どうしたの、部屋の前で」

「あ……」

「まあ、いいや。入る?」

 うん、と頷けば部屋の主は快く入れてくれた。そう、この人物こそ、和泉のもっとも頼れる人で、四つほど年上の兄、海弦みつるだ。

「ポテチ食べる?」

「あぁ、うん……」

 海弦は食べかけの袋を弟に差し出した。そのマイペースさに和泉は思わず流されてしまう。

 兄のマイペースさは今に始まったことではない。幼少の頃より、おっとりしているというか、自分のペースを保つ強さを持っている不思議な人で、和泉は兄のそういうところを内心うらやましく思っていた。

「それで、どうしたの?」

「うん、えっと……」

 よくよく考えれば、学校に戻るのが怖いので、一緒についてきてください、なんて恥ずかしい。だが、兄のことだから、茶化したりはしないだろう。同じ、見える人間として。


 あのとき、布団にくるまり泣き続ける状態の和泉に困り果てた両親にかわり、事情を聞きにきたのは海弦だった。

「どうしたの、いずみ。かあさんにいじめられた?」

「ちょ、みっくん。人聞きの悪いこと言わないでちょうだい」

 思わず母の突込みが入るが、当の海弦は全く聞いていない。

「いずみ。……なにか、みえた?」

 その台詞に驚いた和泉は思わず布団から出た。もしかして、兄も?いままで数年間過ごしてきたが全く気が付かなかった。遊ぶ回数も決して少ないわけではなかったのに。

「だいじょうぶだよ。みてて」

 そう言った海弦は突然自分の横の空間へパンチを入れた。和泉が見えていた幽霊がいるそこへ。寸分の狂いもなく繰り出された攻撃は、見事に幽霊を撃退した。

「どうしたの、みっくん」

「いや、むしが」

 母にそう言った後、海弦は再度和泉にむかって「だいじょうぶだよ」と声をかけた。思えば、あれから幾度なく兄が助けてくれ、被害にあうことも少なくなったのだ。


「和泉?」

「あ、いや。その……。実は学校に忘れ物して。もしよかったら、っていうか出来れば一緒に来てくれたら……」

「忘れ物?学校のどこ?」

「部室棟……」

 それを聞いた海弦の表情がほんの少し冷めたものになったのが分かった。やはりだめか。

「部室棟ね。分かった、行こう」

「え!?」

「制服着てくるから、下で待ってて」

「うぁ、はい……」

 まさかすんなりOKしてくれるとは思わず、変な返事をしてしまった。それにしても、制服か……。ん?制服?

「お待たせ。行くよ、和泉」

「兄ちゃん、なんで制服……。ついでにその竹刀袋はなんですか……」

「制服のがすんなり入れるからね。これは念のため」

 念のためってなに?とは聞けなかった。伊達に兄弟をやっていない。引き際はわきまえている。

現在大学生の海弦だが、制服を着ると高校生に見える。童顔て徳だよなと思いつつ、兄と自身の高校が一緒であったことに感謝した。


 いくら夏で陽が長いとはいえ、学校に着くころには辺りが薄暗くなり始めていた。

 どうかなにも出ませんように。兄がいるとはいえ、怖いものは怖い。部室棟は地下三階の、それも階段からは離れたところにあるのだ。なんだってあんな奥ばったところに。和泉は地下室を開発したやつを本気で恨みたかった。そんなふうに思考を斜めに飛ばすことで正気を保っていたが、海弦の一言であっけなく崩壊する。

「ちょっと、トイレ行ってくるよ」

「えぇ!?ちょ、兄ちゃん、一人にしないでっ」

「大丈夫、すぐ戻るから」

 止める暇もなく海弦はトイレへ行ってしまった。

「なにもこんな地下で置き去りにすることないじゃないか」

 ついてきてもらっている手前、大きい声では言えないが。それでも少々の不満をこぼしながら部室棟についた。当然というか、和泉以外はいない。

 普段にぎやかな場所ほど、静まると不気味さが増す。さっさと忘れ物を回収してしまおう。

 部室棟では部室ごとに部屋が割り当てられている。和泉の部活が与えられている部屋は手前だ。中に入り、救急セットを取った。

「ふぅ」

 安堵のため息をつき、部屋を出ようとした。が、扉が開かない。

「え?」

 鍵をかけた覚えはない。がちゃがちゃとノブをまわすが、やはり開かない。

「やだ、ウソだろ……」

 やばい、この雰囲気はいる。狭い部屋、開かない扉、加えて一人。パニックになるには十分すぎた。

「兄ちゃん!兄ちゃん助けて!」

 そのうち部屋ががたがたと揺れだした。もうだめ、限界だ。

「にいちゃーん!」

 和泉の絶叫が響いたと同時に、部室の外から、鈍い打撃音が聞こえた。そして勢いよく扉が開く。思わず身をすくめたが、いたのは海弦だった。

「にいちゃん……」

「和泉、怪我ない?」

 大丈夫、と答えれば海弦の表情が和らいだ。それにしても。

「なんで竹刀取り出してんの、兄ちゃん」

 それに反応したのは目の前の兄ではなく、ひとつのうめき声だった。

「え、これって……」

 倒れているのは一つの影。一見人に見えるが、和泉には分かる。人間じゃない。

「ということは、兄ちゃんは幽霊をぶん殴ったの!?」

「そのための竹刀だから」

 そうですか。もう俺はなにも聞かない。海弦のことだ、実態のない相手でもやりあえるんだろう、そうなんだろう。

 一人思考をまとめていると、目の前の幽霊が目を覚ました。途端、悲鳴が上がった。

「ま、まおうー!?」

「なんですって!?」

「魔王!?」

 その声につられるようにして五つの声が響いた。と、姿も現れる。思わず和泉は叫んだ。が。

「ぎゃー!出たー!」

「ぎゃー!出たー!」

 相手も叫んだ。よく見れば幽霊たちは和泉のほうを見ていない。その視線の先にあるのは……。

「やあ、久しぶりだね。弟を歓迎してくれたみたいで」

 にっこりと笑う海弦に、再び幽霊たちが悲鳴を上げた。


 望まずの再会、ふたた――、いや、三度。



 

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