〈5〉ルキャン号にて
どうしよう。
甲板の樽の陰で、私は思わず頭を抱えてしまった。
絶対に、怒られる。間違いない。
私がうんうんうなっていると、海賊少年が、青い眼に困ったような色を混ぜて言った。
「俺、ちゃんとキャプテンに頼んでやるよ。だから、心配しなくていい」
なんて優しい子なんだろう。海賊なのに、見ず知らずの私を気遣ってくれる。
海賊船に乗っているのも、何か事情があってのことかも知れない。私はこの子のために微笑む。
「ありがとう。私はユーリ。あなたは?」
「キャルレ。海賊……まだ見習いだけど」
私も見習いだから、一緒だ。こんな時だけど、親近感を覚えてしまった。
「私、キャルマールの王都へ向かう途中だったんだ。連れもいて、先にそっちで待ってるんじゃないかなって思うんだけど……」
リトラなら多分、心配しなくても無事に乗り切って、向こうで待っているという確信があった。
「そっか。じゃあ、まずキャプテンに事情を話さないとな」
「うん」
キャルレのような子を従えている人だ。海賊とはいっても、最初の船の男たちとは違うんじゃないかと思う。ちゃんと話を聴いてくれる。少なくとも、私はそう思った。
「こっちだ」
そう言って、キャルレが立ち上がって歩み出すと、すぐそばに立っていた人物にぶつかってしまった。よろけたキャルレの胸倉を、その青年はつかんで転倒を防ぐ。そのままの姿勢の青年と私の目が合った。
胸元が大きく開いたシャツに、細身のパンツという、動きやすそうなスタイル。長く伸びた燃えるような赤毛をうなじで縛って背中に流している。年の頃は二十代半ばくらいか。頬には縦に走った傷があり、それが涙の跡のようだ。はっきりとした二重の緑の瞳は、不思議な力があり、私は目をそらせずにいた。
けれど、青年が先に視線を外す。そして、胸倉をつかんだままのキャルレの頬にこぶしを叩き付けた。
「!」
私はキャルレの細い体が吹き飛ぶさまを見て、声を失った。
青年は、甲板に倒れたキャルレに吐き捨てる。
「船に乗る以上、掟は絶対だ。女をさらうなんて、ふざけた真似を……」
その言葉を聞いた途端、私の中の血がすっと下りて行くのを感じた。私はゆらりと立ち上がる。
そして、青年の正面に立ち、背の高い青年をにらみ付けた。
「掟は絶対? ならばどうして、まず話を聴かないのですか。軍隊において、賞罰がどれほど重要なものか、あなたはわかっていないのですか? 勘違いで罰するなど、あってはならないことです」
青年は、私の言葉に少し驚いた風だった。軍隊じゃねぇし、とぼやいている。
「私はさらわれたわけではありません。むしろ、助けてもらったんです。それなのに、あなたは私の恩人を早とちりで殴ったんです。早く彼に謝って下さい」
けれど、そんな私を止めたのは、キャルレだった。
「ユーリ、いいから!」
「よくないよ」
そんな私たちのやり取りを、青年はため息混じりに眺めていた。
「勘違いだろうとなんだろうと、俺は謝らない。そんなことをしたら示しが付かなくなるからな」
開き直られた。言い返そうとした私に、キャルレがこそりと耳打ちする。
「この人が、このルキャン号のキャプテン、リニキッド=アルスだ。それ以上逆らっちゃ駄目だ」
「キャプテンなら尚のこと、下の者への配慮が大切だと思うよ」
聞こえるように言ったら、リニキッド=アルスは私をじろりとにらんだ。
「威勢のいい娘だな。……ユーリとかいったな。さらわれたんじゃないっていうのなら、お前は俺に無断で船に乗り込んだということになる」
それを言われてしまうと、少し困った。
「……私、泳げませんけど。降ろされたら溺れてしまいます」
正直に答えると、リニキッドはクスクスと笑った。笑うと、なんとなくリトラに似ている気がした。リトラもめったに笑わないからだろうか。
「降ろすとは言ってない。来い」
リニキッドは急に私の腕をつかみ、背を向けてそのまま引いた。キャレルは付いて来てはくれず、はれた頬を押さえて不安そうに私を見送った。
階段を下りると、まっすぐな通路が伸びていた。その途中にいた海賊たちは、目を見開いて私を見ていた。場違いなのだから、仕方がない。
こんな時だというのに、私は船内の様子が見られて、少しうきうきしてしまった。
壁際にはレイピアが何本もかけられ、地図が貼られている。沢山の書き込みがあり、その分だけ彼らが冒険をしてきたのだな、とその物語に私は思いを馳せる。
そんな様子の私に、リニキッドは心底怪訝そうに眉根を寄せた。
「何をニヤニヤしてる?」
「え? だって、海賊船の中なんて、めったに入れないなぁって。知らないことを知るのは、私には何よりの喜びです」
「へぇ」
私はもっと船内をゆっくり見たかったけれど、リニキッドはさっさと進んでしまい、私はそれに引きずられるようにして続いた。一番奥の立派な扉を、リニキッドは開く。
そこは、船長室というやつなのだろう。金色の鷲を象った像、指に付けたら重いだろうなと思わせる大きさの真珠、少しも実用的ではないやたらと飾り立てられた宝剣など、リニキッドの趣味ではなく、手に入れた財宝なのだろう。宝箱も三個置かれていた。大きな机の上には、やはり海図と方位磁針、六分儀がある。航海士はいるのだろうが、自分でもある程度の航海術は身に付けているようだ。
そして、棚にきっちりと並べられている背表紙は、多分航海日誌だ。
私は好奇心いっぱいに見回していたが、首がおかしくなるほど急に腕を引かれた。リニキッドは隣の部屋に入り、私を部屋の中に放り込むと、扉を閉めた。
あんまりにも勢いよく放り投げられたので、私はベッドに倒れ込む形になってしまった。
顔を上げて不満をあらわにすると、リニキッドは寒気のするような意地の悪い笑みを浮かべていた。
「乗船料を払ってもらおうか」
「申し訳ありませんが、私、今、お金を持っていません。連れがいるんですけど、私は落とすからって、持たせてくれないんです。連れと合流したら払いますから」
私は正直に答えたのに、リニキッドは嫌な笑いを止めなかった。
「お前、この状況で余裕だな。まさか、何されるかわかってないのか?」
「は?」
「知らないことを知る。それが喜びだって言うなら、俺がお前に教えてやれることもあるかもな」
リニキッドは私のそばへ歩み寄り、私を挟むような形でベッドに手を付いた。顔が近い。そして、私の耳もとでささやく。
「例えば、子供の作り方とか」
私は唖然としてしまった。