〈4〉 ブラーム号にて
最悪だ。
それ以外の言葉では表現できない。
俺は苛立ちを最大に込めて、目の前の海賊の一人を蹴り付けた。剣を構えているから足が出ないとは限らない。
「海賊相手に、なんだこいつは……」
そんな声がしたが、俺は転がっている海賊ののどを足で踏み付け、言った。
「船長を呼べ」
「ふざけるな!」
「相手は一人だ! 海に放り込んでサメの餌にしちまえよ!」
俺は、やつらを黙らせるために、転がっている海賊の額を剣先で撫でた。足元から、ヒッという声が上がる。
「俺は一人だが、お前らも随分負傷してるじゃないか」
「お前のせいだろ!」
「俺のせい? 俺は、降りかかった火の粉を払ってるだけだ。弱いくせに身の程を知らないお前らが悪い。とにかく、早くあのもうひとつの海賊船を追いかけろ」
「何を……」
「早くしろ」
そこでようやく、船長のお出ましだった。歳は四十代後半か。長くもつれたひげを蓄え、眼帯をした隻眼の男だった。いや、眼帯はハクを付けるためとかで、案外見えるんじゃないかと思う。
「この船で好き勝手暴れるんじゃねぇよ」
「暴れたくて暴れてるんじゃない。しつけのなってない馬鹿が仕掛けて来るからだ」
噛み付くように言うと、船長は片目を細めた。
「それで、どうしろと?」
「あの船を追え」
よく目で人が殺せそうだと言われる視線を、殺意を込めて向けた。もとはと言えば、こいつらのせいなのだから。
「……あの船は、リニキッド=アルスって海賊の船だ。あいつはな、海賊のお宝をかすめ取る海賊だ。共食い野郎なんだよ」
「だからなんだ? お前ら、海賊のくせに怖気付いてるのか?」
事情なんかどうでもいい。早くしろと、それだけだ。
「お前こそ、海賊でもねぇのに、なんでそんなに凶悪なんだよ」
どこかでそんな声がしたが、いちいち取り合わない。
「あの船は馬鹿みてぇに速い。追い付けるかわからねぇぞ。それに、あいつは強い」
「強い? だったら俺が手を貸してやる。取られた宝は取り返すべきだろ」
すると、船長は深くため息をついた。
「俺たちだって、あいつには困り果ててる。討ち取れるならそうしてぇ」
「俺が仕留める」
海賊のくせに、ぐだぐだうるさい。さっさと結論を出せ。
「追わないのなら、俺はここでもうひと暴れするからな」
凄むと、周囲の海賊たちが半歩下がった。
「お前、ほんとに一般人か……?」
船長は吐き捨てるように言った。それから、諦めたようだ。
「俺はこのブラーム号の船長クラムスだ。お前は?」
「……リトラ」
「なんだって、そんなにあの船にこだわる?」
「連れがさらわれたからだ」
「さらわれた? やつはプライドが高くてな、人さらいはしない主義だとかぬかしてたが」
じゃあ、なんでこんなことになったんだ、と俺は苛立ちを込めてこぶしを握り締めた。
そんな俺の様子に、クラムスがぽつりと言った。
「女か?」
「そうだ」
すると、どこかから下卑た声が上がった。
「海賊にさらわれた女なんて、今頃……」
俺がそっちに顔を向けると、その一角が更に後ろに下がった。多分、今、自分でも凶暴な顔をしている自覚はある。
「あ、もしかして、あの娘か? ほら、パレモンが担いでた。ちらっとしか見なかったけど、すっげぇ上玉で……」
図体がやたらでかく、足を負傷してずっと座ったままだった男に視線が集まる。そいつはびくりと肩を跳ね上がらせた。
海賊にとって、若い娘なんて物と同じだ。戦利品のひとつのつもりだったんだろう。
ただ、あいつにそんな軽い扱いをしたことを、俺はこれからこいつに悔やませてやろうかと思う。
「そうか」
俺はようやく剣を収めると、そのパレモンとかいう海賊に歩み寄る。誰も止めなかったのは、とばっちりを受けたくなかったからだろう。
そいつは、足のけがを押さえたまま、船の縁に背を擦り付けて下がる。
「俺のものに気安く触った罰だ」
硬い革の靴底が、男の鳩尾にめり込む。げぇとうめいて胃の中のものを撒き散らし、泣きながら謝っていたけれど、少しも哀れだとは思わなかった。
続けて、負傷している足を踏み付ける。大の男がひぃひぃ泣いていた。
こんな時、自分でも血が凍っていると自覚する。
死のうがわめこうが、俺の心が動くことはない。
俺の狂気じみた行動に、海賊たちでさえも引いていた。
ただ俺は、俺自身でさえも触れることをためらうあいつに、他の男が触れるのは我慢できない。
ここまでのことを予測して、少しでも離れずに守っていればよかった。
自分の読みの浅さを呪い、あいつが戻って来ないのではないかという不安が、はけ口を求めてこの男へ向かう。
絶対に求めてはいけない相手だと、幼い頃から無邪気な親愛を向けて来るユーリを突き放したのは、こんな結末のためでは、絶対にない。
あなたのものじゃないのでは、とつっこむ人間がいないのをいいことに、調子に乗ってます。