〈3〉モルド教 第二節
私を馬車までエスコートしてくれた方は、ローテルさんというらしい。
「この国では文官は僧侶でもあります。俺は、姫の神託を解明する手伝いをするための補佐です」
「神託の解明?」
「はい。神託は、未来のことほど曖昧で、幼い姫には意味がわからない場合がありますから。それに、すぐ先のことがほとんどで、解明に時間はかけられない。今回だって、大変でしたよ。アリュルージからやって来る人間がいるなんて思わないから、驚きました」
そこでローテルさんはピアスを揺らして私に向き直る。そして、じっと私を値踏みするような視線を向けていたかと思うと、その視線を切った。どうやら、後ろからやって来たリトラのせいらしい。
何かを言いかけたように思うけれど、必要があればまたそのうちに言われるだろう。
私たちが連れられたのは、王宮ではなく、離宮だった。
そこがフレリア姫の居住地なのだという。皇太女のフレリア姫は、他の皇族とは隔離されたところで生活している。この離宮は、フレリア姫の持つ力を高めるための場所らしい。
その離宮は、建造物よりも茂った植物の方が幅を利かせていた。
黄土色の丸いフォルムをした屋根に、円柱状の建物。
拱廊を通り、中庭へ抜ける。緑あふれる庭園の中に、くつろげる空間があった。
普段からここでお茶を飲んでいるのか、テーブルに椅子が六脚そろっている。
運ばれて来たお茶は、花の香りがした。それに、カップは指を通す部分がないし、ソーサーも付いていなかった。ざらりとした質感がおもしろい。お茶菓子も、甘いものよりも塩気の強いものの方が多い。
アリュルージではほぼ甘味を出すので、これは珍しかった。それが新鮮で、私はいつになくはしゃいでしまった。
持て成されている間、喋っていたのは私とフレリア姫ばかりで、リトラを含めた男性陣はほとんど口を利かなかった。
リトラは仏頂面で黙っていて、ローテルさんは私たちの会話を楽しそうに聴いていた。武官のシフォナードさんは、表情もなくぼうっとしている。
けれど、私はフレリア姫と色々なことを話すのがとても楽しかった。尋ねたことを丁寧に答えてくれるし、時折逆にアリュルージの習慣を尋ねられる。私が楽しかったように、フレリア姫にも楽しんで頂けたのだと思う。終始笑顔だった。
そして、ここに泊まって行ってほしいと仰って頂いた。
「ユーリさんは私の部屋に泊まって下さい。ねえ、いいですよね?」
私の腕を引っ張り、私に甘えるフレリア姫は、抱き締めたいくらいにかわいかった。
「もちろんです。ぜひ」
そう答えると、とても喜んで頂けた。
その隣で、ローテルさんはリトラにそっけなく言う。
「あんたはシフォナードのところでいいな。俺はパス」
「……どうでもいい」
リトラは吐き捨てるように言った。もう少し、愛想よくしてほしいものだ。
明日には、町へ連れて行ってくれるという。
私たちの目的は、近隣の国々の調査だ。
フレリア姫が直々に案内してくれるだけあって、この国に知られてやましいことなどないのだろう。
道行く人々の表情は明るかった。フレリア姫も民と交流を持ち、にこやかに振舞っている。
理想だと思った。
アリュルージも平和な国ではある。けれど、次第に鎖国への不満や不安は高まっている。
いつ均衡が崩れてもおかしくはないのだ。
この国で、人々のよりどころとなるのは、信仰心だろう。
皇王は神の現し身であり、災厄から国を守る。そう信じているから、人々は心安らかに過ごせる。
私たちは、神殿の中を案内してもらった。そこは、最古の神殿であるとされている、パニュール神殿という場所だった。風化して欠けてしまった彫像も、もとは白亜であったのだろうけれど、セピアに変色した荘厳な建物も、私には興味深かった。古代建築の粋を集めた造形美に、私は長い階段の疲れをまったく感じなかった。
中は、思ったよりも新しい感じがする。やはり、手直しがされたのだろう。
入り口に入ってすぐにある、復元されたであろう、白一色のレリーフを見上げながら、私は感嘆のため息をもらしていた。
背景には昼と夜。中心には唯一神。その両脇に対神。三人の神の姿がある。
この国の国教はモルド教といって、近隣の国々にも信仰者はいる。
私も、経典に目を通したことはあった。
だから、ローテルさんが歌うように美しい声で諳んじたその言葉を知っていた。
「『生あらばこそ死はあり、死あらばこそ生は意味を成す。祈りたまえ。さすれば汝の生は光に満ち、死は汝のためにあらん』」
「モルド教、第二節。生と死を司る対神、ティグゼルとティグリスの一節ですね」
すると、ローテルさんは意外そうに微笑んだ。
「よくご存知で」
私も笑って返す。
「ええ、少しなら。確か、続きは……
『例え親愛なる者の死であろうとも、嘆きたもうな。それは喪失ではない。新たな門出である』
でしたね」
「そうです。ユーリさんはモルド教徒ではないのに、物知りですね」
フレリア姫にそう仰られると、少し申し訳ない気持ちもあった。
けれど、信仰は心のよりどころはいえ、信じる心はやはり自由だから。
すると、何故かローテルさんはしつこくクスクスと笑った。なんとなく、様子がおかしい。
「喪失ではない、と。正直、馬鹿みたいですね」
私は、僧侶のローテルさんの言葉に唖然とした。教えを真っ向から否定する一言だ。
さすがのリトラも驚いていた。
「死んだ人間は戻りません。それが喪失ではないと? 欺瞞ですよ、そんなの」
「……ローテル、客人が驚いている」
シフォナードさんにたしなめられたけれど、ローテルさんは止めなかった。
「現に、対神ティグゼルとティグリスのどちらが死で、どちらが生を司るのかを論議することも禁じられている。人は死を恐れる。曖昧にしておくのがその証拠だ。誰だって、喪うのは怖いんだ」
私はこの時になってようやく、何故ローテルさんがこんなことを言い出したのかに気付いた。
けれど、口には出さなかった。出してはいけないことだから。
ここに個人の感情を差し挟んではいけない。
これは、国の問題だから。