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僕の太陽と君の月  作者: 五十鈴 りく
Ⅴ【アリュルージ編】

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〈19〉 欠けた時間


 ローテルの能力は、フレリアのように強くはないのだろう。

 外れている可能性もあるけれど、他に手がかりはないのだから、信じるしかない。

 あれだけの戦闘の後で、体は悲鳴を上げていたし、ブラッシュも限界だった。走らせるのは無理だ。こんな状況なのに、なんて世話の焼けるやつだと思う。


 船を降り、ブラッシュを部下に託すと、俺は体に鞭打って駆け出す。

 将軍のそばには殿下がおられた。兵を労い、何かと指示を飛ばしている。

 負傷していても、将軍は聞き分けがなかったのだろう。救護班の人間が、立ったままの将軍の傷を診ていた。


「リトラ!」


 殿下が俺に気付かれる。


「スード軍に感謝の意を述べました。詳細は後で報告します」


 戦況が落ち着いても俺の様子がおかしいことを、殿下はすぐに察して下さった。

 そして、表情を曇らせ、口を開かれた。


「……ユーリの行方がわからないと、すでに聞いたのか?」

「はい」

「すまない。捜索は続けているが、士気に関わるので、あまり大人数で騒ぎ立てるわけにはいかなくてな。敵の手に落ちたのでなければいいが……」


 殿下が責任を感じてしまわれているのがよくわかった。だから、俺まで心苦しくなる。


「わかっています。あいつも大事になるのは避けたいはずです。それに、これから迎えに行って参りますので、どうかご心配なさらないで下さい。馬と剣をお借りできますか?」

「居場所がわかっているのか?」

「漠然とですが」

「わかった。気を付けて、二人で戻って来い」


 予備の剣は、刃幅がやや細かった。それを佩くと、一頭の赤銅色をした軍馬を借り受けた。あぶみに体重を乗せて飛び乗る。

 ブラッシュほど俺の呼吸に合わせてくれることはないけれど、贅沢は言っていられない。




 誰がユーリを連れ去ったのかは知らないが、戦場からは離れた場所だ。

 もし、ペルシ軍と関わりのある人間だったとしたら、軍師であるユーリを連れ去り、指示を出せなくするつもりだったのだろうか。

 この際、連れ去った理由なんてどうでもいい。

 かすり傷ひとつでも付けたら、一生消えない傷を刻んでやる。

 もし、それ以上のことをしたなら、命で償ってもらう。

 それだけだ。


 

 馬を走らせながら、腕と脚が疲労で震えた。血も乾き、肌が引きつる。

 ローテルは漠然とした方角しか示せなかった。村の辺りとはいっても、村の中とは限らない。

 それでも、俺には探し出せる自信があった。

 今までどれだけ追いかけて来たと思ってる。


 

 橋を渡り、農地の小道に入る。

 腰まで伸びた草の中に、誰かの背中が見えた。

 戦の情報は、ここにも届いているはずだ。俺のズタズタの姿を見て、敗残兵かと思ったのだろう。村人らしき爺さんは悲鳴を上げた。

 詳しく説明している暇はない。俺は手短に言った。


「こっちに、不審な馬車や人間は来なかったか? 女連れだと思うが」


 この戦時中に外に出るような人間は少ない。この爺さんは家族の反対を押し切って外に出て来た、相当に頑固な人間だろう。

 爺さんは、俺の騎士団の制服に気付いて安堵したようだ。悲鳴を上げたことをなかったことにするように、威張った。


「はぁ? 不審? 知らんな。馬車なら荷馬車が一台通っただけだ」

「どっちに行った?」


 爺さんは小道の先を無言で指差す。俺も無言でうなずくと、手綱を引いた。



 その、爺さんの言う荷馬車は、石垣の前の小さな小屋に止まっていた。

 遠目に、囲いの付いた荷台に男がいることがわかる。農業とは無縁の、艶やかなシャツと、細い体が見える。

 俺は近付く前に馬を下り、近くの柵に手綱をくくり付けた。

 歩み寄ると、少しずつ声が拾える。

 それは、聞き覚えのある声だった。よく見れば、その後姿にも見覚えがある。


「君ってさ、やっぱりどうしようもないよね。そんなこと言ったくらいで、僕が怯えて止めてくれると思うの?」


 それに対する声は、凛としたものだった。


「ですから、そう思われるのなら、試してみたらいかがですかと申し上げているだけです」


 煽るなよ、と俺はため息をついた。

 俺は荷台の背後から近付き、剣を抜き払う。

 チッ、とやつの舌打ちする音がして、陰湿な声音が続いた。


「指の一本、二本、耳のひとつふたつ、欠けてもいいか。生意気な君は、それくらいしないとおとなしくならないよね」


 ぞくりとする。

 けれど、当の本人は気丈なものだ。


「それくらいではおとなしくならないかも知れませんけど」


 どうしてそう、強気でいるのか。

 怯えて助けを待つようなお姫様じゃない。

 むしろ、助けに向かっている騎士の方が気が気じゃない。

 助けなんて要らなかったんじゃないかと思ってしまうくらい、いつも突っ走って、追い付くのに必死なこっちの身にもなってほしい。

 俺は大きく嘆息する。その音に、やつは振り返った。


「誰の指と、誰の耳が欠けてもいいって?」


 俺の抜き身の剣に目を向けたセストは、小さく息を飲むと、横に転がっていたユーリの体を抱き起こした。その手にはナイフがある。

 ユーリは顔をしかめたけれど、すぐに俺に目を向け、場違いなくらいににっこりと微笑んだ。


「あ、リトラ。お帰り。血が出てるよ? 手当てして来なかったの?」

「……誰かさんがさらわれたりするから、そんな暇なかった」

「そう。ごめんね」


 普通の会話。

 セストが苛立ったのも無理はない。ユーリののどにナイフを突き付けた。


「リトラ君、ユーリ君を助けたかったら、下がるんだ」


 やっぱり、こいつが嫌いだった理由は、間違いじゃなかった。少しも本音を見せず、へらへら笑って人を馬鹿にしている。今は余裕のない顔をしているけれど、それが本当の顔だ。

 俺は失笑した。


「お前にできるか?」

「は?」

「お前に、ユーリを殺すだけの覚悟があるのかと訊いてる」


 セストの細い目には憎しみがこもっている。けれど、俺はそれを塗りつぶすような暗い視線をやつに投げた。


「ユーリを殺したら、俺はお前が肉塊とも呼べないような欠片になるまで切り刻むけれど、その覚悟はあるんだろうな?」


 ここに来て、逃げられるなんて思ってるなら、ただの馬鹿だ。

 セストの手ががたがたと震えているのがわかる。震えすぎて、逆にユーリに切り傷を作らないか心配なくらいだ。ユーリは何故か嘆息している。どうせ、リトラって執念深いな、とか思ってるんだろ。


「生きたかったら、ユーリを放せ。そうしたら、助けてやる」


 俺の言葉がどこまでも本気だということを、ようやくセストは理解したようだ。顔にしわを寄せ、歯噛みしながらユーリの体を荷台から押し出す。ユーリの足が地面に付くか付かないかというところで、セストはユーリの背中を突き飛ばした。


「わっ!」


 ユーリは地面に転がったけれど、俺はそれを抱き止めるよりも先に荷馬車の前方へ回り込んだ。荷台から前に抜けて、くくり付けてあった馬の手綱を解こうともがいていたセストの首に、剣の柄頭を叩き込む。所詮は文官だ。簡単に崩れ落ちた。

 べたべた触りやがって、と少し私情が入っていたのは仕方がない。


 俺は、荷馬車の荷台の中に、ユーリを縛ったロープの残りがないか探った。案の定、わらと一緒にまとまった束がある。そして、それをつかみ出した時、そばに落ちていた金属に目が行った。それを拾い上げた時、俺は馬鹿みたいに顔が緩んでいた。誰も見てなくてよかったと思う。


 セストを縛り上げると、ユーリのそばへ戻った。

 ユーリはどうやら自力で起き上がることができなかったらしく、まだ地面の上に転がってもがいていた。座るまではできるようだが、立とうとすると転がる、の繰り返しだ。

 眺めていたら怒られた。


「見てないで、早く解いてよ」


 むっとするユーリに、俺は苦笑した。

 このまま自由を奪って、どこかに閉じ込めておきたいという気持ちになる。閉じ込められて諦めてくれるやつじゃないから、そんなことをしても無意味だろうけど。


「お前はどうしてそう、おとなしく帰りを待っていてくれないんだろうな」


 俺はユーリの正面にしゃがむと、剣で足のいましめを切った。


「私のせい? でも、みんなが戦地で命を賭けていたんだから、私だって命を賭けて戦う覚悟はあったよ。こんなの、危険のうちに入らない。後方で指示を出すだけで、命をさらす覚悟がない人間に、兵を戦地へ向かわせる資格はないよ」


 思わずため息がもれる。どうしてそう、おとなしくできないんだと。

 今度は後ろに回り、両手も自由になったユーリは、改めて俺の方へ向き直る。

 そして、俺の額の傷に触れた。


「早く手当てしないとね」

「これくらい、どうってことない。フレリアたちが来てくれたからな」


 ユーリは、自分の願いが届くことを予測していたのだろうか。あんまり驚いていなかった。


「そう。間に合ってよかった」

「ああ。スードは穏やかそうなくせに、意外と強いんだな。後、キャルマールとレイヤーナの協力があれば、ペルシくらい潰せるんじゃないか?」


 そうしたら、平和なのに。そんな浅はかな俺の考えに、ユーリはかぶりを振る。


「ペルシがなくなったら、どこかの国が第二のペルシになる。危ういバランスを保ちつつ、この諸島は存続して行くしかない。そうやって、みんな小さな平和を守るんだよ」


 ユーリの言う平和が、少しでも長く保てるようにと願う。戦なんてこりごりだから。

 そして、ユーリは立ち上がると、今度は急に荷馬車の荷台によじ登ろうとする。


「ユーリ?」

「ちょっと落し物。リトラはセスト様を村まで運んでよ。それから、傷の手当てをして。……探し物が見付かったら、私もすぐに追いかけるから」

「ユーリ」


 今、忙しいのに、とでも言いたげに振り向いたユーリの手を引っ張って、荷台から降ろす。その左手の薬指に、さっき拾った指輪をはめ込んだ。


「さっき拾った。探し物はこれか?」


 その途端、ユーリは目に見えて狼狽した。


「え、あの、これは……」


 多分、俺には見られたくなかったんだろう。自分でも、らしくないことをしたと思っている。その証拠に、顔が段々と朱に染まって行った。

 俺は左手の手袋を外し、その下の指輪を見せると、ユーリはほんの少しほっとしたようだった。俺はそっと微笑む。


「別に、失くしても捨ててもよかったのに」

「え?」


 ユーリは、俺の言葉の意味を測りかねたようだった。その手を取り直し、俺はユーリの薬指に唇を付けた。


「そのうちに本物を贈るから」

「!」

「指輪を失くしたり、捨てたくらいで逃れられると思うなよ。約束は絶対だろ?」


 ユーリは赤い顔を隠すように、こくりとうなずいた。それから、ぽつりと言う。


「……まず、父上に話すことから始めるよ。父上とも約束があって、私はそれを破ってしまうから、沢山謝らなきゃいけないんだ」

「殿下の妃になるって約束か?」


 すると、ユーリは顔を上げた。心なし、瞳が揺らいでいる。

 俺はユーリを引き寄せ、そっと腕の中に収めた。ユーリはおとなしく、俺の胸に頬を寄せる。


「近い、かな。そんなところだよ」


 そうつぶやいたユーリの髪を撫で、俺はその耳元でささやいた。


「それなら、大丈夫だ」

「……何それ」

「殿下は俺の味方だから」

「どういうこと?」

「昇格祝いに、俺の一番ほしいものをくれるって」


 その途端に、ユーリは勢いよく俺の胸を両手で押しのけるようにして体を離そうとした。けれど、俺はユーリの腰に力を込めて逃がさなかった。


「リトラ! 殿下に何言ったの!! あんまり他で恥ずかしいこと言わないでよ! 殿下に顔合わせられなくなるじゃないか!」


 言わなくても察してくれるくらい、わかりやすいだけだと言ったら、ユーリはもっと嫌がるかも知れないが。ただ、こういう態度も照れているだけだ。本気で嫌がっているわけじゃない。そう思えるようになったから、もっと強気になってもいいかと、俺は調子に乗る。


「そういえば殿下が、既成事実のひとつふたつ作っておけって」


 その途端、もがいていたユーリがぴたりと動きを止める。


「キセイ、ジジツ……」


 その不穏な響きに、心底不安げな表情を見せたかと思うと、明らかに思考を停止してしまった。言葉の意味を考えないように、思考を遮断している。

 多分、俺と交わした約束を後悔し始めただろうが、今更だ。


「ちゃんと覚悟はしたんだろ?」


 そう、苛めてみる。

 言葉につまって、珍しく弱々しい目をしているユーリが愛しい。

 俺がクスクスと笑い出すと、ユーリはからかわれたと思ったようで、こぶしを俺の肩に何度も叩き付けて文句を言い出した。


 これからは、こんな幸せが続くのだろう。

 手に入らないと諦めた五年前。避け続けた五年間の空白を、これからの歳月で取り戻そうと思う。

 きっと、毎日こうしていれば、そんなものはすぐに埋まるはずだから。



 この頃、意識を取り戻したフレリアが、「加勢に行きますか」と言ったシフォナードに、「お邪魔のようですから、止めておきましょう」と、答えていたことを、俺は知らない。「活躍したのに邪魔なんですか」とローテルもぼやいていたらしいが、子供に気を遣われてしまったことを後で聞いた。 


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