〈19〉二人の違い
私を嫌いだと、セスト様は言う。
逆撫でするのは得策ではないなと思いながらも、つい冷めた心がにじみ出てしまう。
嫌いだと言われて、私が傷付くと思うのだろうか。ただ言わずにいられなかっただけなのか。
もう少し切れ者だと思っていただけに、がっかりした。
セスト様は顔を歪めて私を見た。
「ねえ、僕、本当は軍師になろうと思っていたんだよ?」
私は無言でセスト様の言葉を聴いていた。
「なのに、ラスタール軍師は僕を弟子にしてくれなかった。弟子を取らないつもりなら仕方がないと思っていたら、今になって登用試験だ。僕だって受けたのに、君みたいな女の子を選ぶなんて、馬鹿にしてるよ」
ラスタール先生がずっと弟子を取ろうとしなかった理由は、直接伺ったことはない。
ただ、思い当たることがあるとすれば、先生の迷いだったのではないかと思う。
軍師としてあることの難しさ、孤独、罪の意識。
それらも一緒に伝えなければならないから。
けれど、老境に差しかかり、先生も不安を感じたのかも知れない。自分が逝った後のこの国が、どうなるのかを。
試験を受けた日のことを、今でも覚えている。
筆記試験の後で、先生はにこやかに私をお部屋へと入れて下さった。
そして、軍略のことなど何ひとつ話されずに、チェスをした。
ひたすらに。
食事も取らず、何手打ったかも思い出せない。気付けば暗かったとしか言いようがなかった。
先生はやっぱりとてもお強くて、私は盤上に駒を多く残しながら投了することも多々あった。
それでも、先生は楽しそうだった。
試験がどうのということを忘れて、私も楽しく打ち込んだ。
ただそれだけだ。
何かが特別だったとは思わない。
先生は私一人しか弟子を取らなかった。
何名が受けたのかはわからなかったけれど、他の人にとってみれば、小娘相手に負けたなんて、納得がいかないのも仕方がない。
セスト様は憎しみのこもった目を私に近付ける。
「ねえ、教えてよ。君と僕、何が違うの? どうして、僕じゃなくて君だったの?」
私への敗北は、セスト様のプライドをずたずたにしてしまったようだ。
こんなにもどろどろとした感情を抱えていたのなら、あの時船に乗らなかったはずだ。大嫌いな私と旅なんてしたくなかっただろうし、それ以上に、スードに着けば皇族にその憎しみを見透かされてしまっただろうから。
私たちの違いを何故と問う。けれど、その問いに私は答えられない。
「それは、私以外の方に訊いて頂いた方がよろしいかと思います。私にはわかりかねますから」
すると、セスト様は私ののどを急につかんだ。絞め殺すつもりはないのか、苦しいという程度の力だ。顔よりも、苛立ちが手に表れている。
「君のそういうところが嫌いだと言ったじゃないか。物分りの悪い子だ」
私はその力に屈することなく、視線を強くした。
先生が私を選んだ理由は、私が特別だったからじゃない。
フレリア姫とは違う方法で、先生は私たちの心を読んだ。
それだけのことだろう。
「……あなたは何故、軍師になろうと思われたのですか?」
そう尋ねたけれど、尋ねる前から答えはなんとなくわかっていた。
「君に答えようとは思わないね」
この人は、兵を駒のように扱う。
ひとりひとりに家族があり、思いがあり、心があり、恐ろしさを隠して戦地に向かうのだと、思いやることができない。そうして倒れて行く兵に、感情を移すことをしない。
命のやり取りも、盤上の遊戯も、大差がない。
名声と策に溺れる。それを、ラスタール先生が見抜けなかったはずはないから。
「国内で開国の不安を煽ったり、暴動を起こさせたのはあなたですね?」
いつから諜報員の真似事を初めたのかは知らないけれど、人を欺くことを楽しんでいる。それが嫌というほどに伝わった。
「そうだよ。ペルシに行くから、この国はもうめちゃくちゃになればいいと思って」
「最低です」
思わず言った私ののどから手を放すと、セスト様はそのまま私の頬を平手で打った。
声なんか上げなかった。無言で視線を向けると、セスト様は表情にも苛立ちを見せた。
「君さ、勘違いしてない?」
そして、ポケットの中から折りたたみ式のナイフを取り出す。暗がりの中でも、その刃がきらりと光るのを感じた。その冷たい刃を、セスト様は私の頬に当てる。
「君は手土産だから、僕が危害を加えないと思ってるんじゃないか?」
「……少しくらいの傷は付けてもいいと?」
怯えた目なんてしてあげない。獲物を狩る楽しみを与えるつもりはなかった。
けれど、セスト様はクスクスと声をもらした。
「手土産はね、生きていた方が価値はあるんだけれど、手に入らないなら殺してもいいって言われてるんだ」
生きて連れて行かれたって、役に立ってあげるつもりなんてないけれど。
私がそれでも態度を崩さないのが気に入らないのか、セスト様は更にぴたぴたとナイフで頬を叩く。
「ペルシまで君をほしがる。……僕はね、君を捕らえてからずっと、その肌に刃を突き立てたい衝動と戦っているんだよ」
言動が変態じみて来た。私への憎悪が何よりも勝ってしまっている。
私だって忙しいのに、なんでこんな人に付き合わされているんだろう、とうんざりした。
ナイフは一度、私の頬を離れ、首筋に向かう。そして、私の首から下がっていた鎖をナイフの先で引っ張る。
「指輪だね。くれたのはリトラ君かな?」
「ご想像にお任せします」
私はそっけなく言った。
その途端、セスト様は鎖をナイフで断ち切った。指輪は荷台のどこかへ転がって行く。
「君のズタズタの亡骸を見た時、リトラ君はどうするのかな? すごく、見てみたいとは思わない?」
悪趣味だ。
冷ややかな目線と共に、私は嘆息する。
「そんなに楽しいものではないと思いますよ」
長い付き合いの中で、リトラの涙を見たのはあれが最初だった。
二度と見たくはない。
ただ、と私はセスト様をまっすぐに見た。
「リトラはどんなことをしても、私を殺した人間を追いつめて仇を討とうとするでしょうね。ペルシに逃げたくらいでは駄目ですよ。リトラはびっくりするくらい執念深いですから」
執念深いとか言うと怒るかも知れないけれど、実際そうだと思う。
あんなにも拒絶したのに、諦めもせずに想ってくれた。
セスト様は青筋を立ててイライラと吐き捨てる。
「じゃあ、試してみようか?」
「あなたにその勇気がおありなら」
私たちはその場でにらみ合う。
リトラは今、戦地で大変な思いをしているだろう。
私は自分よりも、リトラが大きなけがをしていないかが心配だった。
それを考えているうちは、こんな状況でも怖くはない。
次に再会した時には、約束を違えるなと、きっと言うだろう。




