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僕の太陽と君の月  作者: 五十鈴 りく
Ⅴ【アリュルージ編】

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〈18〉 祈りの声

 その朝、決戦に向けての身支度をした。

 剣を防ぐ、鎖を編み込んだ鎖帷子チェインメイルを下に着込み、皮革の肩当を固定する。動きにくくはないか、腕を振るって確認した。


 そして、手には手袋を着ける前に、指輪をはめた。左手の薬指に。

 夫婦ごっこの偽物だが、俺にとってはユーリとの繋がりだ。

 ユーリはこの対を、とっくの昔に捨ててしまったかも知れない。

 こんなものをまだ持っていて、しかも戦の時に着けて行ったなんて知れたら、リトラって案外女々しいんだね、とか平然と言われてしまうような気もするけれど。



 出立前、殿下に呼び止められた。

 殿下も、今回の作戦で俺が死ぬとは思っていないと仰られた。それでも、やっぱり多少の不安はあったのか、ユーリと同じようにえさで釣るようなことをされた。


「昇進祝いに、お前の一番ほしいものを用意してやるから、無事に帰って来るんだぞ」

「もちろんです」


 そう、俺は笑って答えた。



 馬を並べて進むクロヴィス将軍にも、奇異の目を向けられた。


「……マリアージュ、お前はあの小娘の恋人ではなかったのか?」

「そうありたいと思いますが、残念ながらまだ違います」


 正直に答えた俺に、将軍は眉をひそめて嘆息された。


「哀れというべきか、愚かというべきか」

「それは余計なお世話だと申し上げます」


 平然と言い放った俺に、将軍は頭を振った。

 俺はいつもこういう態度しか取らない。将軍も慣れている。

 将軍にはっきりと意見ができない人間なら、ユーリは俺を選ばなかっただろう。


「おぬしには殿下が目をかけられている。なるべく生きて返してやりたいと思うが……」

「生きて帰ります。ですから、軍師代理の言葉を疑わずにいて下さい」


 将軍は、心底哀れむような目を俺に向けた。

 そのうち、目を覚ませとか言われるんじゃないかと思うけれど、覚ましたくないのだから別にいい。



 ファルス平野は、鎖国前に最も戦地となった回数が多い場所でもある。

 遮蔽物も少なく、開けた土地は、兵力がものをいう。ごまかしの利かない兵力戦になる。

 だからこそ、こちらが不利なのはわかり切っていた。

 ただ、向こうは船だ。近付きすぎれば、船に搭載した大型弩バリスタや弓兵の的になる。

 けれど、こちらが有利だと言えるとしたら、それは騎兵だということのみだろう。向こうは、軍馬まで運んで来るゆとりはないはずだ。

 せいぜい、翻弄してやる。

 俺は、馬具の他に防具を着けたブラッシュの首を撫で、眼前にまで迫ったペルシの船を向かえた。



 ユーリが言ったように、船から兵が降りるまで、手出しはしなかった。平地の中央で戦うようにと言う。数本のはしごからわらわらと降りて来るペルシの兵士は、鮮やかな青い軍服に身を包んでいた。数は正確にはわからないけれど、俺たちの連隊よりは見るからに多い。

 兵を降ろした船は下がり、もう一隻の船が近付いて来る。その姿に、俺の後ろに控えていた兵たちが怯えたような声を上げた。誰もが、怖い。それを責めることはできなかった。

 俺自身、風に揺らめくペルシ軍の青い旗に、不安を掻き立てられていた。


「……行くぞ」


 将軍の落ち着いた声に、俺はうなずく。


「はい」


 必ず帰る。

 できない約束はするなと言う、ユーリのために。



 肌を突き刺すようなピリピリとした空気。

 息を飲むのも苦しいその重さの中、ペルシ軍の隊長格らしき男の声が響き渡る。


「全軍、突撃!」


 耳を突き破るような声の嵐が、平野に満ちる。ときの声を上げるペルシ軍に負けじと、将軍も槍を構えて配下を鼓舞する。俺も覚悟を決めて剣を抜いた。

 ペルシの軍勢を打ち破ることなんて考えなくてもいいとユーリは言った。進軍を防ぎ、時間を稼ぐことを考えて動けと。

 今尚、血気盛んな将軍を抑えることも、俺の仕事らしい。


 俺は、ブラッシュを駆りながらも、目の端には必ず将軍の姿があるように気を配る。

 守る俺たちと、攻めるペルシ軍。

 士気はあちらの方が高い。

 こんな弱小の引きこもり国家、怖くもなんともないとでも言いたげだ。

 腰が引けている兵たちの先になって、将軍は勇猛に軍馬を駆った。馬上からその槍がうなりを上げ、向かって来たペルシ兵数人の体を吹き飛ばす。


「この首、簡単に取れると思うなよ」


 将が前に出すぎだと、俺は嘆息した。騎兵の俺に向かって突き出された槍の穂先をかわし、俺は逆にその兵士の横腹に切り込む。その兵士が崩れ落ちるよりも先に、将軍のもとに駆けた。


「あんまり目立たないで下さい」


 すると、将軍はギラギラとした眼をしていた。

 言葉なんて通じない、虎のように大きく獰猛な生き物のそれだ。将軍は、心底武人なんだと思う。

 この音、この空気、この熱気、この血の臭い。

 そういったものに猛る。

 確かに、いざという時に止めるのは至難の業だろう。俺は、将軍を守るようにして剣を振るった。




 それくらいの時間が経過しただろう。もしかすると、大して経っていないのかも知れない。

 俺の側面から切り込もうとした兵士を、とっさに蹴り倒して刃をかわす。

 けれど、背後に隙ができ、斬り込まれた。鎖帷子チェインメイルを着ているので、刃は簡単には通らない。それに、相手の武器は連戦で刃が欠け、撲殺くらいしかできないような代物に成り果てている剣だった。


 ただ、衝撃は消せない。一瞬、息がつまり、背中に焼け付くような痛みが走ったけれど、俺はすぐに馬首を返してそいつに一撃を浴びせた。

 流れる汗を腕で拭い、乱れた呼吸を整えながらブラッシュを走らせる。

 累々と横たわる、敵味方の区別のない体。まだ息がある者もいるけれど、それも時間の問題だろう。

 慈悲をかけ、とどめを刺してやりたい気持ちもあるが、俺自身にそのゆとりがなかった。

 デニアの丘から援軍が到着したけれど、そんなものは焼け石に水で、少しも戦況が好転したとは言えなかった。


 ブラッシュは、太ももの辺りに矢を受けている。俺も、左目の上を槍の切っ先がかすめ、流血が視界を赤く染めていた。何度も目をこすってそれを拭う。かすった傷は数え切れないけれど、まだマシな方だろう。

 将軍も、肩で息をしながら槍を振り回していたけれど、将軍の軍馬はすでに腹から血を流し続けている。

 ああ、そろそろだな、と思う。

 俺は肩で息をしながら、将軍に向けて言った。


「将軍、後退の合図を」


 途端に、将軍は俺を敵を見る目付きと変わらない鋭さでにらんだ。


「平地から出さなければ、終わりではありません。持ちこたえようと思うのなら、いったん下がるべきです」


 これも、ユーリの策だ。

 最悪の場合は、ぎりぎりまで下がること。

 けれど、将軍は納得してくれそうもない。だから、俺は言葉を重ねた。


「この戦いは、なんのためですか?」

「何……?」


 将軍は、ぼろぼろになった槍を棍棒のように扱い、兵士を殴り付けながら言った。


「守るための戦いです。ここで我らが負ければ、それで終わりでしょう」


 俺の剣もすでに欠けて折れたので、ペルシの兵士から奪った。それを二度ほど繰り返している。

 将軍はしぶしぶ納得してくれたけれど、ペルシ軍の勢いはまだそがれていなかった。

 将軍の後退の声が戦地に響き、ペルシ軍は逆にもう一息だと深追いをする。


 そんな時、ペルシの軍船に動きがあった。

 海に船を向け始める。大型弩バリスタの番えられた方角は平野ではなく、西の海に向かっていた。

 その先には、白い船がある。平たく幅の広い、独特の形をした竜骨キール助材リブ。帆は大きく、数も少ない。帆の先に、金色に輝く旗が見えた。

 けれど、俺はそれを見るまでもなく、その船がなんなのか知っていた。一度だけ、乗ったことがあったからだ。


「スードの船……。援軍か」


 俺がつぶやくと、将軍は怪訝そうな顔をした。


「援軍? 早すぎる……。何があった?」


 スードの大型船は、ペルシの軍船が放った大型弩バリスタをものともせずに、その巨体を軍船に叩き付けた。ほとんどの兵が平野に降り、人員も不足していたはずだ。軽くなった船は、簡単に押しのけられ、岩場と大型船に挟まれて大破する。

 あまりのことに、俺たちアリュルージ軍とペルシ軍は唖然とその光景を見ていた。


 けれど、今が好機だと、俺も将軍も我に返った。

 ペルシ軍は、スードの援軍のために挟み撃ちにあったことを自覚したようだ。退却の合図だろうか。単調な笛の音が響き渡る。

 俺たちは、下がるペルシ兵を追い立てるように上って行った。かといって、そんなにも余力があったわけではない。ほとんど、虚勢だ。


 海に近付くと、スードの船から白い制服を着た一団が、もう一隻の軍船に移り、その甲板で戦いを繰り広げているのが見えた。戻る場所を失ったペルシ兵が、どちらにも進めずに動きを鈍くする。

 そんな時、ペルシの船から軽やかに平野に降り立ったやつがいた。白い制服の裾が羽のように広がる。

 白鞘の剣を抜くと、溜めもなく、恐ろしい速度で踏み込んだ。

 ペルシの残兵は、数人でその一人に向かったけれど、傍目にも格が違いすぎるのがわかった。一振りで数人の動きを封じる。剣舞でも舞うような一連の動きに、戦地であることも忘れてしまうかのように、俺も将軍も見入ってしまった。


 最初に会った時から、絶対にやり合いたくないと思っていたんだ。

 そいつと、俺と将軍との間の兵が退けられ、息ひとつ切らさずに俺に顔を向けたそいつの名を、俺は呼んだ。


「シフォナード……」


 シフォナードは、戦地だというのに、少しも血が騒ぐことはないと言わんばかりの落ち着いた目をして俺を見た。


「久し振り」


 普通に言う。

 けれど、その落ち着きに救われるような気分だった。




 戦局は、スードの援護のおかげで落ち着いた。投降した兵は捕らえ、最後まで戦う意志のあった者とは戦った。

 早い援軍の到着に、アリュルージ軍は驚いていたが、このスードは特異な国だ。あの神託だかで読み取って駆け付けてくれたのかも知れない。


 俺はシフォナードに連れられ、スードの船に向かう。あの衝突した大型船ではなく、その後ろの船だ。

 フレリアがそこにいるらしい。この援軍も、フレリアの一言があってこそだったという。

 さすがに、まず国を代表して礼を言って来いと、後始末にかかり切りの将軍に送り出された。


「姫様に戦場は毒だ。あまりお連れしたくはなかったのだが、行くと言い張られて、仕方なくな。今はローテルが付き添っている」


 あんなに敏感に人の感情を受け取るフレリアだ。殺意と恐怖の渦巻く戦場など、どれだけ恐ろしい場所だろう。俺も、生きるために沢山手にかけた。手は血まみれで、こんな姿であの無垢な少女に会ってもいいものかと、少し心苦しくはあった。



 スードの白衣の中、俺の黒衣は浮いていた。

 甲板で再会したフレリアの足元にひざまずく。


「このたびは、貴国の助力のお陰を持ちまして、我が国は窮地を脱することができました。皇太女殿下のご厚意に、深く御礼申し上げます」


 体面上硬い挨拶をした俺に、フレリアは、はいと軽い返事をした。


「リトラさん、大変な思いをされましたね。けれど、ご無事で何よりです」


 立って下さい、とフレリアは変わらない態度で俺に接した。けれど、顔を合わせると、その銀色の瞳に憂いがあったように思う。

 話したいことは色々あったけれど、今は楽しく話せそうもない。


「……姫、あまりご無理はなさいませんように」


 傍らのローテルが、真剣に心配そうにしている。やっぱり、この空気はフレリアにはきつすぎるのだろう。けれど、フレリアはその言葉を聞かなかったかのようにやり過ごす。

 俺は、ぽつりと尋ねた。


「神託で、我が軍の窮地を知ったのですか?」


 すると、フレリアはかぶりを振った。


「いいえ。神託は我が国に限ったことしか下りません。私が受け取ったのは、私が案じた人の思いです。前に言ったでしょう? 強すぎる思いは、覗かなくても見えてしまうことがあるって」


 ああ、そうだった、と俺は苦笑する。


「俺の、死にたくないって気持ちですか?」


 フレリアも微笑んだ。


「それもありますけど。それ以上に強く、ユーリさんの願いが届きました。リトラさんに死んでほしくないと願う、ユーリさんの気持ちです」


 どくん、と心臓が大きく鳴った。

 何か、色々な感情が押し寄せて、泣きたいような気持ちだった。

 そんなものも、フレリアにはお見通しなのかと思う。

 ただ、フレリアの顔色が青白く感じられたのは、気のせいではなかった。はっと、目を見開き、うわ言のようにつぶやく。


「ユーリさん? あ……ぁ……」


 その尋常ではない様子に、さっきまでのあたたかな気持ちは吹き飛んだ。フレリアは、どこを見ているのかわからないような眼をして、小刻みに震えている。


「ユーリがどうしたんだっ?」


 俺は敬語を忘れて呼びかける。その途端、フレリアはぱたりと倒れた。


「姫!」

「姫様!」


 ローテルとシフォナードが両脇から支える。やはり、戦場の毒気のせいだろうか。

 心配じゃないわけではなかったけれど、俺はフレリアの最後の一言が気になって仕方がなかった。


「ユーリ……」


 言い様のない不安が沸き起こる。けれど、フレリアに確かめることはできない。

 呆然としている俺に、ローテルが嘆息した。


「仕方ないな。……外しても恨むなよ」


 ローテルは、フレリアと繋がったまま、片手を流れるように動かし、音楽的な声で詞を口ずさむ。

 ここが戦地だと忘れてしまい、聴きほれてしまうような詞だったけれど、意味はわからない。

 けれど、この無信心な僧の祈りを、天は受け入れたようだ。


「アリュルージ南、小さな村があるな?」

「あ、ああ」

「その辺りに、ユーリがいる……かもな」


 デニアの丘から南下すると、クートという小さな農村がある。そのことか。

 作戦の最中に、どうしてそんな場所にいるんだ。

 そう思ったけれど、倒れる前のフレリアの様子から、ろくなことではないような気がした。


「外してたら、許せ」


 ローテルの最後の一言が妙に気になったけれど、他に手がかりはない。

 俺は急いで船を降りた。


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