〈18〉リトラのせい
ああ言ってしまった以上、取り返しは付かない。
別に、後悔しているわけじゃない。
決戦前夜に、嬉しそうなリトラの顔が見られてよかった。
ただ、いけないことだとは思う。
私は、父上との約束を違えることになる。それとも、父上は私とリトラの約束を違えさせるだろうか。
父上がもし、私にそうさせようとしても、私の心はもう決まってしまった。
好き勝手ばかりして、駄目な娘だと思う。
それでも、あんなにも私を必要としてくれる人はいない。
兄でも家族でもいとこでもなく、リトラが一人の男性だったと、早く気付けなかった自分が悪いのはわかっている。けれど、一度正直に話をしてみるしかない。
今になってようやく、リニキッドの言葉の正しさを知ることになるなんて。
勝ち誇ったように笑われそうだ。
私は、城から出陣するリトラのことを眺めていた。
その一点だけを集中して見続けるつもりはなかったけれど、気が付けばそこから目が離せなくなっていた。リトラは私の視線に気付いたのか、ほんの少し笑っていたように思う。
服の下になった、首から提げた指輪に、私はそっと手を添えた。
これを捨てられなかった時点で、私は自分が否定したところで、逃れることはできなかったのだろう。
もし今、他の男性に抱き締められたとしても、私はすでにその場所を『違う』としか思えないから。
私は作戦の間、デニアの丘に待機する。
この地点が、援軍の指示もしやすいし、いざという時は狼煙もよく見える。
今日の風向きと天候は、我が軍の不利にはならないはずだ。
ペルシ軍には、やはり増援があった。
アリュルージの北西に船を進めているとの報告が来る。軍船は、確認されただけで四隻。デニアの丘、北東のランシール海岸に一隻ずつ控え、残りの二隻が北西のファルス平野に向かっている。
妥当な進軍だと思う。予想通りの動きだ。
だから、デニアの丘の半数の兵は、ファルス平野に向けて出立することになった。
ここは、接岸さえ防げれば守りやすい地形だ。
先日のこともあり、ペルシ軍も警戒している。
ただ、ファルス平原に到達するのは、ペルシ軍の方が先だろう。
援軍が到達するまで、どうか持ちこたえてほしい。
慌しい兵たちの移動の最中、私は少しだけ一人になった。
茂みの陰に入り、鎖に通した指輪を服の下から引き出す。それを両手で握り締め、西の方角へ向けて強く祈った。
この時の私は、軍師ではなく、ユーリ=オルファニデス個人だった。
この難しい戦局の中にありながら、愚かだったと思う。
それでも、リトラは私を個人に戻してしまう。
そんな私の隙が、私の首を締めることになった。
突然、首の後ろに衝撃が走る。
「っ……」
痛いと思うよりも先に、私の意識は途切れていた。
カラカラカラ。
そんな穏やかな車輪の音と振動と、わらの匂いがして、私は目を覚ました。
薄暗い。
それに、体が動かなかった。声も出せない。
どうやら、両手足を縛られ、口を塞がれている。その上、何か布をかけられて、多分わらなどと一緒に荷馬車の荷台に積み込まれているようだ。
口を塞がれているからため息もつけないけれど、心の中では盛大な息をもらしていた。
どこかにペルシの刺客がいたとしてもおかしくはなかった。
そんな場所で一人になった。
そんな自分の愚かしさに、心底嫌気が差した。
それから、リトラのせいにしてみる。私の中を支配しすぎるから、こういうことになったんだと。
自分の油断が招いた結果だけれど、周囲に迷惑をかけてしまう。自力で何とか抜け出せないだろうか。
私はなんとかして心を落ち着け、頭を働かせようとする。
そんな時、荷馬車が停止した。
荷馬車を御していた何者かが、後ろに回り込み、荷台に上がって来たことが、振動からわかった。
私は気を失っている振りを続けるか、その人物と対峙するか、どうすべきか迷ったけれど、対峙することに決めた。かけられた布がそろりと顔の上から離れる。私は囲い付きの薄暗い荷台の上で、暗がりになった相手の顔を凝視した。
「ああ、気が付いたんだ?」
気の抜けるくらい、柔らかい声。
その声に聞き覚えがあった。随分と久し振りな気もする。
癖のあるうねった髪に、穏やかそうな細い目。年齢よりも若く見える顔。
私とリトラと共に旅に出る予定だったのに、突如姿を消したセスト=カリュメット政務官。その顔を見た瞬間に、私の中で色々と氷解した問題があった。
セスト様は私に向かって微笑む。
「今だけは、君が女の子でよかったよ。ごつい男だったら、僕では簡単にさらって来れなかったからね」
私は、口を塞がれているので何も言えなかった。それに物足りなさを感じたのか、セスト様は私の口を塞いでいた布を外した。私は一度深く息を吸うと、転がされたままの姿勢で言った。
「セスト様は、この国を捨てられるおつもりですか?」
すると、セスト様はうん、と軽く言われた。
「そうだよ。ペルシに亡命しようかと思って」
嘆かわしいとしか言いようのないことだけれど、セスト様に悪びれた様子はない。
「それで、君は手土産だよ。ラスタール軍師の弟子を連れて来たら、それなりの地位を用意してくれるって話なんだ」
馬鹿馬鹿しい。
私は思い切りため息をついた。冷ややかな視線をセスト様に送る。
「セスト様、私はあなたに付き合ってペルシに行くつもりはございません。早々に下ろして頂けませんか?」
すると、セスト様は私の顔の真横に、バンと力強く手を付いた。鼻先をかすめるくらいに近かった。
私が顔を上げると、セスト様は細い目の奥にある、嫌な輝きを放って私を見ていた。
「こういう状況でも落ち着いている、君のそういうところが、僕は前から大嫌いだったよ」
ねっとりとした、嫌な声だった。




