〈16〉 秘密にするから
俺は、作戦の間、丘の下で控えていた。
万が一、軍船が上陸した時に備えての待機だ。後は、流れ着く兵士がいれば、捕虜とするようにとの指示が下っている。騎乗し、統率を任されている中隊の連中と共に、俺はその光景を目の当たりにした。
投石器と大型弩が降らせる雨。
悲鳴と、水しぶき、そして、最後には火矢が放たれ、転覆しかかっていた軍船の帆に引火する。
鎖国が始まってから生まれた俺たちは、戦場というものを知らない。
今ここにあって、それを目の当たりにすると、言い様のないものが込み上げて来た。
こんなのは序の口で、これからが始まりなのだと思いながらも、心のどこかで拒絶してしまう。
ただ、これが、この惨状が、ユーリの策であると。
あの部屋に散乱していた計算式の結果が、これなのだ。
呆然としてしまったのは俺だけではなかった。俺は隊の副長、ロティスに馬上から軽く蹴りを入れた。
「行くぞ」
捕虜の確保を優先しなければ。命からがら流れ着くような兵に、戦う力はないだろうが。
「は、はい」
童顔のロティスはようやく顔を引き締めると、俺の後に続いて馬を駆った。
ずぶ濡れで流れ着いたやつらは、武器を隠し持っていないことを確認すると、一箇所に集めた。
全部で三十八人。年齢もばらばらだ。
指揮官らしかった男はいない。なんとかして逃れたか、海の藻屑か。
丘の上から、ユーリと殿下が下りて来た。兵は敬礼の姿勢を見せるけれど、明らかに戸惑いが強くうかがえる。ユーリは毅然として、捕虜たちを見据えていた。
惨状から目をそらさないユーリの覚悟が俺にはわかるけれど、他のやつにしてみれば冷徹に映ったことだろう。
殿下の前にひざまずき、意見を述べたのは、騎士団の中で三人しかいない将軍の一人、クロヴィス将軍だった。六十歳を少し越えた最年長のクロヴィス将軍は、ラスタール軍師と共に戦乱を経験した将だ。年齢よりも若い体付きで、頭髪が白くなければ、かなり若々しい。平和ボケした騎士団の中ではうるさい方だった。
「捕虜に対する処遇ですが、やはりここは負傷した者、年若い者は、送り返すべきかと存じます。戦場であっても、礼節を欠いてはなりません」
確かに、負傷者も、まだ子供だと思うような見習い兵士も混ざっている。その怯え具合に、こちらの気が滅入って来る。
殿下は一瞬、ちらりとユーリに目を向けられた。それを感じたのか、ユーリが口を開く。
「恐れながら、それは得策ではありません。負傷者であろうと、年少者であろうと、兵は兵です。その情けが、我らの命取りとなるでしょう。少なくとも、戦況が落ち着くまで、それはできません」
「礼を欠けば、ただの殺戮者に成り果てる。それでもか?」
将軍は顔を上げ、ユーリをにらみ付ける。騎士団の人間でさえ、将軍に射すくめられたら口が利けなくなるというのに、ユーリは引かなかった。
「けがをしているから情けをかける。……でしたら、最初から傷付けるなという話です」
ざわ、と周囲がざわめく。
「それは、大国が小国にかける慈悲です。我らにその余裕がおありですか?」
将軍は、自分に面と向かって意見するユーリに、ただ驚いている風だった。そんな将軍に、ユーリはたたみかける。
「戦において、最も大事なことは、何を目指して戦っているのか、兵のひとりひとりが理解した上で、心をひとつにすることではないのですか? 私のような若輩より、将軍の方がそのことはよほどわかっておいでだと思いますが。……この戦いは、防衛のためのものです。守るためには、慈悲を捨て、徹底しなければならない時があることを、どうかご理解下さい」
ユーリの流麗な口調に、将軍は二の句が告げなかった。けれど、肩が小刻みに震えていることが、俺の位置からでもわかった。
そして、ユーリは最後に一言付け足す。
「少なくとも、我が恩師ラスタールなら、そのように述べたと思います」
将軍の歯噛みする音が聞こえて来そうだった。
「軍師代理の言葉は、私の言葉である。下がれ」
殿下に一礼してマントを翻し、俺たちの方に戻った将軍がぶつぶつともらした言葉は、俺の耳に届く。
「戦場で、小娘のキイキイ甲高い声を聞くことになるとは、我が軍も落ちぶれたものだ」
ユーリは、将軍の言い分が間違っていると思って否定したわけじゃない。あいつだって、できることならそうしたかったはずだ。
けれど、あいつは最悪の事態を想定していなければいけない立場だから、そう言うしかない。
それから、ユーリは再度の進軍に対する備えをし、捕虜の護送を手配した。
スード、キャルマール、レイヤーナに向けた援護要請は、開戦と同時に送られている。ペルシの増援が早いか、こちらの援軍が早いかというところだが、ユーリはここにも抜け目のなさを発揮していた。
キャルマールで俺が買ってあげた造船資料の本と、リニキッドの航海日誌から、航海速度を上げる工夫をまとめ、操船技術の向上を目指すようにと、早くから技術者たちに手渡していた。
だから、ペルシ軍が思う以上に、援軍の要請は早く到着できるだろう。
兵たちは、ユーリに対して思うところがあったとしても、声を高くして批判することはできなかった。殿下の庇護もあるが、それだけの能力を発揮しているからだろう。
ただ、陰では口さがない人間に色々と言われてしまう。ユーリ自身はそれを割り切っているつもりで、それでもそんなものは、自分が傷付いていることに気が付かないようにしているだけだ。
緊張の続く状態で、確認しなければいけないことも沢山あり、自由になれたのは夜になってからだった。俺は戻ってすぐ、ユーリの部屋に走った。
ノックもせずに扉を開こうとすると、扉が開かない。ガチャガチャと、その扉の取っ手を前後に引く。
鍵なんて、いつもほとんどかけないくせに。
俺はドアを乱暴に叩いた。
「ユーリ! 開けろ!」
返事がない。けれど、いるはずだ。俺は何度もドアを叩く。
すると、その執拗さに限界を感じたのか、扉の向こうから感情を消した声がした。
「……何か用なの? 今、忙しいんだ」
「忙しいのはわかってる。……まず、ここを開けろ」
「どうして?」
「顔が見たいからだ」
俺は率直に言ったのに、ユーリは開けてくれない。
「もしかして、私が落ち込んでるとでも思ってるの?」
「そうだ」
「落ち込むくらいなら、あんなこと、最初からやらないよ」
「だったら、尚更、どうして開けない? 面と向かってそう言ってみろよ」
いつも、むごいくらいのことを平然と言うくせに。
すると、ユーリからの返答が切れた。けれど、すぐそばにいるのはわかっているから、俺は言った。
「開けないならぶち破る」
ユーリは、俺ならやりかねないと思ったんだろう。トン、と小さく控えめな音が鳴り、俺は急いで扉を開いた。ユーリは背を向け、窓際の方に歩いて行く。そして、突き当たると振り返った。
「……さすがに、リトラもびっくりした?」
表情は硬い。笑っているつもりだろうか。
「沢山、亡くなったよね。でも、私はひとつも悔いてない」
平然と、敵兵に死を与えた。その命を、重みを、感じていないのではないかと噂した声を、ユーリは聞いたのかも知れない。
「わかってる」
俺が短く答えると、ユーリは体を強張らせた。
「わかってる? 何を?」
「お前の覚悟を。ラスタール軍師の代わりに、どんなことをしても国を守るってな。覚悟を決めた時、弱音を吐くことも泣くことも自分に許さなくなった。そうやって、どこまでも独りで片付けようとする」
ずっと、ユーリを見ていた。だから、俺だけはそのことをわかっていなければならない。
ユーリは窓の外を見るように、俺から視線をそらした。
「そんなの、リトラの願望だよ。私に弱さを求めないで。私は大丈夫」
頼ってほしい。そんなのは当たり前だ。
けれど、自分は大丈夫だ、強いんだと思っているなら、それこそただの勘違いだ。
俺は窓辺のユーリに駆け寄ると、逃げられないように腕をつかんだ。
「泣く資格がないとか、誰かに頼ったら駄目だとか、どうせそんな風に思ってるんだろ。お前は、木の陰で独り我慢してた子供の時と、何も変わってない」
兄貴に苛められて、木の陰で泣きながら、独りで我慢していた子供。鍵をかけて部屋に閉じこもったユーリは、やっぱり同じだ。
ユーリは俺に顔を向けない。その横顔に、俺は言った。
「俺だけはいつでもお前の味方でいてやる」
誰がユーリを悪く言おうと、何をしようと、揺るがない存在であり続ける。
一瞬、ぴくりとユーリが身じろぎしたのがわかった。
「あの木みたいに変わらない、絶対の約束だからな」
出会ったあの日の、子供の無邪気な約束。
大人になって、守り切れなかったこともあったけれど、もう一度それを口にすることを許してほしかった。
ユーリは俺の言葉に、ひどく驚いたように目を見開き、俺に顔を向けた。
「覚えて……いたの?」
「別に、忘れたことはない」
忘れたと思われても仕方がないことばかりしていたから、文句は言えないけれど。
子供だった自分なりに考えて、覚悟を持って言った言葉だから。
その言葉が、ユーリにとってどれだけ大きなものだったのか、俺はこの時になって初めて知ることになる。片意地を張っていたユーリの腕から力が抜けて行った。
「……でも、もう泣かないって、先生と約束したんだよ」
震える声が、限界を伝える。俺は、そのうなじを引き寄せ、ユーリの頭を肩に押し当てた。
「黙っててやる。これは、二人だけの秘密だ」
ユーリの細い指が俺の服を握り締める。そして、俺の胸に顔をうずめるようにして、久し振りに声をあげて泣き出した。そんなユーリを、俺は気が済むまでずっと髪を撫でて宥めていた。
ほんの少しでも、ユーリの救いとなれるように。




