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僕の太陽と君の月  作者: 五十鈴 りく
Ⅴ【アリュルージ編】

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〈16〉 秘密にするから

 俺は、作戦の間、丘の下で控えていた。

 万が一、軍船が上陸した時に備えての待機だ。後は、流れ着く兵士がいれば、捕虜とするようにとの指示が下っている。騎乗し、統率を任されている中隊の連中と共に、俺はその光景を目の当たりにした。

 投石器カタパルト大型弩バリスタが降らせる雨。

 悲鳴と、水しぶき、そして、最後には火矢が放たれ、転覆しかかっていた軍船の帆に引火する。

 鎖国が始まってから生まれた俺たちは、戦場というものを知らない。

 今ここにあって、それを目の当たりにすると、言い様のないものが込み上げて来た。

 こんなのは序の口で、これからが始まりなのだと思いながらも、心のどこかで拒絶してしまう。


 ただ、これが、この惨状が、ユーリの策であると。

 あの部屋に散乱していた計算式の結果が、これなのだ。


 呆然としてしまったのは俺だけではなかった。俺は隊の副長、ロティスに馬上から軽く蹴りを入れた。


「行くぞ」


 捕虜の確保を優先しなければ。命からがら流れ着くような兵に、戦う力はないだろうが。


「は、はい」


 童顔のロティスはようやく顔を引き締めると、俺の後に続いて馬を駆った。



 ずぶ濡れで流れ着いたやつらは、武器を隠し持っていないことを確認すると、一箇所に集めた。

 全部で三十八人。年齢もばらばらだ。

 指揮官らしかった男はいない。なんとかして逃れたか、海の藻屑か。



 丘の上から、ユーリと殿下が下りて来た。兵は敬礼の姿勢を見せるけれど、明らかに戸惑いが強くうかがえる。ユーリは毅然として、捕虜たちを見据えていた。

 惨状から目をそらさないユーリの覚悟が俺にはわかるけれど、他のやつにしてみれば冷徹に映ったことだろう。


 殿下の前にひざまずき、意見を述べたのは、騎士団の中で三人しかいない将軍の一人、クロヴィス将軍だった。六十歳を少し越えた最年長のクロヴィス将軍は、ラスタール軍師と共に戦乱を経験した将だ。年齢よりも若い体付きで、頭髪が白くなければ、かなり若々しい。平和ボケした騎士団の中ではうるさい方だった。


「捕虜に対する処遇ですが、やはりここは負傷した者、年若い者は、送り返すべきかと存じます。戦場であっても、礼節を欠いてはなりません」


 確かに、負傷者も、まだ子供だと思うような見習い兵士も混ざっている。その怯え具合に、こちらの気が滅入って来る。

 殿下は一瞬、ちらりとユーリに目を向けられた。それを感じたのか、ユーリが口を開く。


「恐れながら、それは得策ではありません。負傷者であろうと、年少者であろうと、兵は兵です。その情けが、我らの命取りとなるでしょう。少なくとも、戦況が落ち着くまで、それはできません」

「礼を欠けば、ただの殺戮者に成り果てる。それでもか?」


 将軍は顔を上げ、ユーリをにらみ付ける。騎士団の人間でさえ、将軍に射すくめられたら口が利けなくなるというのに、ユーリは引かなかった。


「けがをしているから情けをかける。……でしたら、最初から傷付けるなという話です」


 ざわ、と周囲がざわめく。


「それは、大国が小国にかける慈悲です。我らにその余裕がおありですか?」


 将軍は、自分に面と向かって意見するユーリに、ただ驚いている風だった。そんな将軍に、ユーリはたたみかける。


「戦において、最も大事なことは、何を目指して戦っているのか、兵のひとりひとりが理解した上で、心をひとつにすることではないのですか? 私のような若輩より、将軍の方がそのことはよほどわかっておいでだと思いますが。……この戦いは、防衛のためのものです。守るためには、慈悲を捨て、徹底しなければならない時があることを、どうかご理解下さい」


 ユーリの流麗な口調に、将軍は二の句が告げなかった。けれど、肩が小刻みに震えていることが、俺の位置からでもわかった。

 そして、ユーリは最後に一言付け足す。


「少なくとも、我が恩師ラスタールなら、そのように述べたと思います」


 将軍の歯噛みする音が聞こえて来そうだった。


「軍師代理の言葉は、私の言葉である。下がれ」


 殿下に一礼してマントを翻し、俺たちの方に戻った将軍がぶつぶつともらした言葉は、俺の耳に届く。


「戦場で、小娘のキイキイ甲高い声を聞くことになるとは、我が軍も落ちぶれたものだ」


 ユーリは、将軍の言い分が間違っていると思って否定したわけじゃない。あいつだって、できることならそうしたかったはずだ。

 けれど、あいつは最悪の事態を想定していなければいけない立場だから、そう言うしかない。



 それから、ユーリは再度の進軍に対する備えをし、捕虜の護送を手配した。

 スード、キャルマール、レイヤーナに向けた援護要請は、開戦と同時に送られている。ペルシの増援が早いか、こちらの援軍が早いかというところだが、ユーリはここにも抜け目のなさを発揮していた。

 キャルマールで俺が買ってあげた造船資料の本と、リニキッドの航海日誌から、航海速度を上げる工夫をまとめ、操船技術の向上を目指すようにと、早くから技術者たちに手渡していた。

 だから、ペルシ軍が思う以上に、援軍の要請は早く到着できるだろう。


 兵たちは、ユーリに対して思うところがあったとしても、声を高くして批判することはできなかった。殿下の庇護もあるが、それだけの能力を発揮しているからだろう。

 ただ、陰では口さがない人間に色々と言われてしまう。ユーリ自身はそれを割り切っているつもりで、それでもそんなものは、自分が傷付いていることに気が付かないようにしているだけだ。



 緊張の続く状態で、確認しなければいけないことも沢山あり、自由になれたのは夜になってからだった。俺は戻ってすぐ、ユーリの部屋に走った。

 ノックもせずに扉を開こうとすると、扉が開かない。ガチャガチャと、その扉の取っ手を前後に引く。

 鍵なんて、いつもほとんどかけないくせに。

 俺はドアを乱暴に叩いた。


「ユーリ! 開けろ!」


 返事がない。けれど、いるはずだ。俺は何度もドアを叩く。

 すると、その執拗さに限界を感じたのか、扉の向こうから感情を消した声がした。


「……何か用なの? 今、忙しいんだ」

「忙しいのはわかってる。……まず、ここを開けろ」

「どうして?」

「顔が見たいからだ」


 俺は率直に言ったのに、ユーリは開けてくれない。


「もしかして、私が落ち込んでるとでも思ってるの?」

「そうだ」

「落ち込むくらいなら、あんなこと、最初からやらないよ」

「だったら、尚更、どうして開けない? 面と向かってそう言ってみろよ」


 いつも、むごいくらいのことを平然と言うくせに。

 すると、ユーリからの返答が切れた。けれど、すぐそばにいるのはわかっているから、俺は言った。


「開けないならぶち破る」


 ユーリは、俺ならやりかねないと思ったんだろう。トン、と小さく控えめな音が鳴り、俺は急いで扉を開いた。ユーリは背を向け、窓際の方に歩いて行く。そして、突き当たると振り返った。


「……さすがに、リトラもびっくりした?」


 表情は硬い。笑っているつもりだろうか。


「沢山、亡くなったよね。でも、私はひとつも悔いてない」


 平然と、敵兵に死を与えた。その命を、重みを、感じていないのではないかと噂した声を、ユーリは聞いたのかも知れない。


「わかってる」


 俺が短く答えると、ユーリは体を強張らせた。


「わかってる? 何を?」

「お前の覚悟を。ラスタール軍師の代わりに、どんなことをしても国を守るってな。覚悟を決めた時、弱音を吐くことも泣くことも自分に許さなくなった。そうやって、どこまでも独りで片付けようとする」


 ずっと、ユーリを見ていた。だから、俺だけはそのことをわかっていなければならない。

 ユーリは窓の外を見るように、俺から視線をそらした。


「そんなの、リトラの願望だよ。私に弱さを求めないで。私は大丈夫」


 頼ってほしい。そんなのは当たり前だ。

 けれど、自分は大丈夫だ、強いんだと思っているなら、それこそただの勘違いだ。

 俺は窓辺のユーリに駆け寄ると、逃げられないように腕をつかんだ。


「泣く資格がないとか、誰かに頼ったら駄目だとか、どうせそんな風に思ってるんだろ。お前は、木の陰で独り我慢してた子供の時と、何も変わってない」


 兄貴に苛められて、木の陰で泣きながら、独りで我慢していた子供。鍵をかけて部屋に閉じこもったユーリは、やっぱり同じだ。

 ユーリは俺に顔を向けない。その横顔に、俺は言った。


「俺だけはいつでもお前の味方でいてやる」


 誰がユーリを悪く言おうと、何をしようと、揺るがない存在であり続ける。

 一瞬、ぴくりとユーリが身じろぎしたのがわかった。


「あの木みたいに変わらない、絶対の約束だからな」


 出会ったあの日の、子供の無邪気な約束。

 大人になって、守り切れなかったこともあったけれど、もう一度それを口にすることを許してほしかった。

 ユーリは俺の言葉に、ひどく驚いたように目を見開き、俺に顔を向けた。


「覚えて……いたの?」

「別に、忘れたことはない」


 忘れたと思われても仕方がないことばかりしていたから、文句は言えないけれど。

 子供だった自分なりに考えて、覚悟を持って言った言葉だから。

 その言葉が、ユーリにとってどれだけ大きなものだったのか、俺はこの時になって初めて知ることになる。片意地を張っていたユーリの腕から力が抜けて行った。


「……でも、もう泣かないって、先生と約束したんだよ」


 震える声が、限界を伝える。俺は、そのうなじを引き寄せ、ユーリの頭を肩に押し当てた。


「黙っててやる。これは、二人だけの秘密だ」


 ユーリの細い指が俺の服を握り締める。そして、俺の胸に顔をうずめるようにして、久し振りに声をあげて泣き出した。そんなユーリを、俺は気が済むまでずっと髪を撫でて宥めていた。

 ほんの少しでも、ユーリの救いとなれるように。


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