〈15〉 ユーリの立場
最近、ユーリと会えない日が続いていた。
向こうはなんとも思っていないのだろう。ただ、俺が会いたいだけで。
ラスタール軍師が死んでも、ユーリは泣かなかった。前を向き、凛とした声で別れの言葉を述べた。
外見とは裏腹な強さに、結構引いていたやつもいた。女のくせに、恩師の死に涙ひとつ流さないなんて、かわいげがないと。
少し前に、俺も恩のある孤児院の院長を亡くした。だから、恩人の死に目に遭うのがどんなものなのか、少しはわかっているつもりだ。
俺は、頭に血が上って、そう言ったやつを殴り付けてやろうかと思ったけれど、こぶしを握り締めて我慢した。
ユーリが悲しくても泣かなかったのに、俺が感情に流されて、あいつの努力をめちゃくちゃにしてはいけないから。
それからというもの、ユーリは目に見えて勉強に力を入れた。
軍師代理なんて立場になり、不安なんだろう。足りないものを感じ、それを埋めるために机に向かう。会いたいけれど、邪魔をしてはいけないとも思う。だから、随分我慢した。
ただ、目を離しすぎると不安だから、こうして時々窓を見上げる。
窓辺にある机の上に、明かりが灯っている。それだけが見えた。だから、俺はユーリの部屋に向かった。
ノックはしなかった。極力、音を立てないように扉を開く。
案の定、机に突っ伏して眠っていた。何回かこういうことがあって、それには慣れたけれど、今回はまた、部屋の中がひどい状態だった。
足の踏み場もないほどに、紙が散乱している。一枚を拾ってみると、そこにはまったく意味のわからない計算式が書き連ねられていた。
ユーリの机の上の地図にも沢山の書き込みと線引き、いくつかの場所に丸を付けてある。その地図の上に突っ伏して眠っていた。
すごく、難しい顔をしている。眉間にしわを寄せ、唇を噛むようにしていた。うなされているのかと思うような顔だ。こんな頭の痛くなる計算をしながら寝るからだ。
それから、ちゃんと休んでいないせいだ。
少し痩せた。
こんな痛々しい姿をして、どうして独りでがんばろうとするのだろう。
髪を切り落とし、肩には消えない傷痕を作って、ユーリは何になるつもりなんだと訊きたくなる。
全部放り投げて、つらいと甘えてくれたなら、俺はどんなことをしてでも守ってあげるのに。
でも、そんなことは絶対にしないんだろう。
俺は、ユーリの体を机から引き離す。頬にはインクが付いていた。
それを袖口で軽くこすって落とすと、体を持ち上げた。ユーリが小さくうめいたけれど、起きる気配はない。そっと、起こさないようにベッドに下ろす。靴だけ脱がせてシーツをかけた。
俺は最後にその髪を撫で、それから、頬に軽くキスをした。
ばれたら怒るだろうけど。
開国を熱望する殿下のお声に、陛下は少しずつ耳を傾けるようになった。
粘り勝ちだと、殿下は笑う。短絡的な手段を取らずにいて、本当によかったんだろう。
けれど、ここから段々と、このアリュルージは暗雲立ち込める場所へ変貌する。
幕開けは、近海で目撃された一隻の船から始まった。
その報告を受ける殿下の傍らに控えていた俺は、その場に呼ばれたユーリと顔を合わせる。起きている時に会うのは久し振りだ。ユーリは俺を一瞥しただけで話に入る。
「その船体の形を詳しく報告して頂けますか?」
図を交えて説明を受け、ユーリはうなずく。
「……スード、キャルマール、シェーブル、レイヤーナの船でないことはわかりました。ペルシでしょう」
殿下は報告しに来た兵を下げる。俺はすでに、嫌な予感しかなかった。
「ペルシが、動き出したと?」
ユーリは、少しためらいがちにうなずいた。
「シェーブルは今、不安定な状態にあると報告いたしました。そのシェーブルに、レイヤーナは干渉を続けています。それこそが、ペルシが動いた理由でしょう」
ペルシからシェーブルへの距離は最も離れている。ただ、このアリュルージを取れば、直線上にあるわけだ。補給と休息をかね、シェーブルを落とそうとするのなら、まずはここを落とす。そういうことか。
「レイヤーナにシェーブルを取られれば、諸島の力関係が変わります。ペルシにとって、不干渉条約を反故にしてでも防ぎたいことでしょう」
「けれど、直接仕掛けて来たわけじゃない。今の段階で不干渉条約に違反するとは言えない。他国に援軍の要請も難しいだろう」
「援軍が要請できるとしたら、スードとキャルマールですね。でも、下手に使者を送ると、ペルシを刺激しかねない……」
俺も、どうすべきなのか思案する。
幸い、この二国の王族につなぎができている。つっぱねられることはないだろうが、すでに見張られている状態なら、その二国に向けて秘密裏に出航するのは難しいだろう。
すると、ユーリは殿下に向かって紙束を提出した。
「先日お話した、投石器と大型弩の設置場所の案です。設置を急がれるべきかと思います。こちらの警戒を示し、けん制となればよいのですが……」
殿下はその束をパラパラとめくり、軽く目を通された。そして、顔を上げられる。
「仕事が早いな。けれど、少し無理をしすぎだ。ラスタールがいない今、お前に倒れられたくはない」
ユーリは、にこりと微笑む。
「お気遣い、痛み入ります。けれど、私は無理などしておりません」
どの口がそんなことを言うんだ。
どうせ、俺に対して言っているつもりでもあるんだろう。放っておけと。
それに対し、俺は心の中で嫌だと断った。
そうして、死んでしまったラスタール軍師が、少し恨めしかった。
どうして、ユーリを唯一の弟子に選んだのか。弟子は取らないと通していたくせに。
しかも、中途半端でいなくなった。
だったら、せめてあいつを見守っていろよと、俺は毒付いた。




