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僕の太陽と君の月  作者: 五十鈴 りく
Ⅴ【アリュルージ編】

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〈14〉 さよなら

 俺の忠誠は常に殿下にあって、穏やかで事なかれ主義の陛下に、特別な思い入れはなかった。

 かといって、嫌いだったわけじゃない。お優しい方だから、救われた民もいると思う。

 殿下も個人的なお気持ちだけで生きられるなら、大切なお父上には生きてほしいはず。そんなのは当たり前だ。


 けれど、それだけじゃ駄目なんだ。

 頂点に立つ王の、強く、貫き通す意志がなければ、この国はこれから飲まれて行く。

 先を見据え、どうにもならない苦しさを抱えた殿下のために、俺は俺の意志でブレゼの提案を受け入れた。俺が殿下のためにできることは、それくらいだから。

 こういう命の使い方も、役に立てたと思えばいいかと思う。



 ただ、ユーリにはすべて片が付くまで知られたくなかった。

 顔を見れば、決心が揺らぐから。

 誰が誰を殺すと。

 できもしないことを言うなと思っただろう。

 勝手なことを怒るかも知れないけれど、どうか幸せにと願う。



「大丈夫か?」


 殿下のお声に、俺はうなずく。


「決意は変わりません。ただ、いくら養子とはいっても、男爵家に対する風当たりは強くなると思います。それが気がかりなので、後のことを頼んでもよろしいですか?」


 殿下が一瞬、小さく息を飲まれた。


「……もちろんだ。それから、お前の言っていた孤児院のことも忘れない」


 孤児院のことも心配だった。だから、殿下にそう言って頂けて、俺の心は少し解れた。

 けれど、最大の心配事は、どうしてもユーリのことだ。

 だから俺は、やっぱり殿下に頼むしかなかった。


「殿下、ユーリのこともお願いできますか?」

「リトラ……」


 いつもは強気な殿下の顔が痛々しくて、けれどそんなお顔をさせているのは俺なんだとも思う。


「守って頂けますか?」


 俺がどんな思いでそう言ったのか、殿下は誰よりもわかって下さる。だから、断られることはない。


「……わかった」


 そうして、俺はもう、考えることを止めた。




 その晩、俺は宿舎の自室にいた。

 身辺の整理を始める。特別、私物が多いわけじゃないから、そんなものはすぐに終わるだろう。

 ブラッシュはどうしようか。

 あれは駿馬だから、頼めば引き取ってくれるやつは多いだろう。けれど、多分、誰にも懐かない。

 結局、あいつは俺と似ているんだ。俺の運命に付き合わせてしまうことになって、すまないと思う。


 

 そんなことをあれこれ考えていると、扉をノックする音がした。

 今の俺は必要以上に敏感に、それに反応する。一瞬、ユーリかと思ったけれど、そんなわけがない。

 こんな時間に、男だらけの宿舎の中に来るはずがない。

 多分、ブレゼだろう。俺の決意を確認しに来たのかも知れない。もう、殿下にもお会いしないと決めていた。今更だというのに、しつこい。


 それでも俺は、扉を開かないわけにはいかなかった。警戒しながらそれを開くと、俺と同じ目線の高さをしているブレゼではなく、ユーリが下から俺を見上げていた。


「……ここがどこだか、わかってるよな?」


 俺が低く言うと、ユーリは表情のない顔で言った。


「リトラの部屋。人に聴かれたくない話だから、入るよ」


 ユーリは、あっさりと俺の部屋に踏み入った。

 他の目的なわけがない。ユーリは俺を止めに来た。

 話し声をもらすわけにはいかなかったし、ユーリがここにいることも知られたくなかったから、俺は扉を閉めた。


「馬鹿なことは止めるんだ」


 ユーリは、やっぱりそう言った。

 俺は、俺をにらみ付ける、その強い光を眺めた。

 陛下を手にかければ、俺は間違いなく処刑されることになる。だから、死んでしまっても、その光を覚えていたいと思った。それを表には出せなかったけれど。

 薄く笑う。


「馬鹿なこと? でも、必要なことだ。陛下はもう、殿下のお声にも耳を傾けない。根気よく待つだけの時間がこの国に残されてないのは、お前にだってわかるはずだ。……国を開くには、他に方法はない」


 それでも、ユーリは諦めなかった。かぶりを振って、もう一度俺を見据える。


「私も一緒に陛下に嘆願するよ。……私もがんばるから、思い直して。お願いだから」


 その悲痛な声を聴きながら、どうしたらユーリが諦めてくれるのか考えたけれど、俺にはわからなかった。だから、結局、最低なことを言って遠ざけるしかない。


「俺の想いに応えようとしなかったくせに、一方的に要求だけはするんだな」


 ユーリは途端にぎくりとする。けれど、すぐにそれを振り払う。


「……じゃあ、私のことは、リトラの気の済むようにすればいいよ。それでリトラが思い止まってくれるなら、私はそれで構わない」


 ここへ来た時点で、覚悟を決めて来たのかも知れない。

 でもそれは、余計に心が離れて行くのを確かめるだけだ。

 結局、ユーリは犠牲になるつもりなだけで、それが逆に相手を傷付けるとか、そういったことはわからないんだ。

 俺は、馬鹿馬鹿しくなって笑っていた。


「これはもう、俺とお前の私情でどうこうなる問題じゃない。俺がやらなくても、他のやつに代わるだけだ。何もかも遅いんだ。……帰れよ」


 ユーリは、震えているのがわかるのに、泣かない。本当に、強くなったと思う。

 ただ、強くなったからといって、傷付かないわけじゃない。

 俺は、死んだらユーリを見守って行きたいと思うけど、多分ユーリには迷惑なことだろう。

 そして、ユーリはうつむいたまま、俺の部屋を出た。ぱたぱたと走り去る音だけが耳に残る。


 俺は、そのまま崩れ落ち、長い間動けずにいた。




 そして、決行は明日にしようと思う。

 陛下のような高貴な方に剣を向けるのは、正直に言って心苦しくはあるけれど、毒を混入するような場に俺は居合わせられないから、仕方がない。


 人は、生まれてから死ぬまで孤独なものだと、子供の時に思った。

 やっぱり、死ぬ時は孤独だ。

 俺は孤独な断頭台の上で死ぬか、その場で斬り殺されるかのどちらかだろう。


 ただ、俺が死んだら、ユーリは泣いてくれるだろうか。

 そんな情けないことを考えてしまう。もう、関係なんてぐちゃぐちゃで、これ以上ないほどにこじれてしまったのに、未練がましいと思う。



 けれど、俺がユーリに対して何もわかっていないと思うように、ユーリも俺は何もわかっていないと思っていたのだろう。本当に、俺は何もわかっていなかった。

 俺がどれだけあいつを追いつめていたのか、自分が死ぬのが恐ろしくて、考えられていなかった。

 だから、俺がブラッシュに最後の別れをしていた夜、馬小屋から出て来る俺を待ち伏せていたユーリに、冷たい言葉を吐いた。


「……お前には止められないって、言ったはずだ」


 まだ諦めないのかと思う。

 もう、明日だ。後には引けないんだ。

 けれど、月明かりの下のユーリの顔は、何故か凪いだ海のように落ち着いている。それが逆に不穏だった。


「そうだね。もう、他には思い付かなかったよ」


 ローブの袖口から、装飾のされた短剣を取り出す。旅に出る前に髪を切り落としたものだ。

 その短剣を抜き、鞘を地面に落とした。短い刀身が、微かな光を放つ。

 けれど、俺はそれを見て、穏やかな心境になった。


 確かに、陛下のお命と、男爵家と俺の名誉を守るすべはこれだけだ。

 ユーリに刺されるのなら、それでもいいかと思う。ユーリが俺の命を抱えて生きてくれるなら。

 俺がそう思ってしまうのも計算のうちなんだろう。

 そうじゃなかったら、あんな華奢な刀身と細腕で、俺を仕留めることなんてできないから。

 ずるいと思うけど、ユーリらしいのかも知れない。


 ただ、それは俺の勝手な思い込みで、ユーリが選んだ方法は、そんなに優しいものではなかった。

 俺が何よりも嫌がることを、探し出して選んでいるとしか思えない。

 ひらりと手を動かし、その刀身を、自分の首の根元にあてがった。

 俺は一気に、体から体温が失せて、血の一滴までもが凍るような感覚を味わった。


「何……してる……」


 声が震えてしまう。そんな俺を、ユーリは笑った。


「私だって、君が陛下を手にかけるところも、処刑されるところも見たくないんだよ。こうでもしないと、君はそれをわかろうともしない。……これはね、君を止められない私への罰で、思い止まろうとしない君への罰だ」


 罰だったら、俺だけで十分のはずだ。

 どうして、と声が出ない。

 ユーリは一度、くしゃりと表情を崩した。


「でも、君が私を好きだと言ってくれた気持ちが、今、君を止めるためだけに存在していたのだとしたら、悲しいね」


 どこまで残酷なんだ。

 本気かどうか。脅しかも知れないと確かめようとするけれど、頭がうまく働かない。

 ユーリは、こんな悪質な脅しをするやつじゃない。だから、本気なんだと気付くのに、時間はかからなかった。


「もういい! わかった! わかったから……」


 けれど、ユーリは短剣を構えたままだった。俺の言葉を信じてくれなかったのか。


「言ってたよね。自分が止めても他の誰かに代わるだけだって。だったら、その他の誰かのことはリトラが止めて。殿下のこともおいさめして。……私は、ちゃんと見てるから」


 どくんどくんと、自分の心音が痛いほどに早く強く打つ。

 この距離では間に合わないことを、ユーリはちゃんと計算して立っている。


「止めてくれ!!」


 ユーリは俺の悲痛な叫びに対し、最後にぞっとするほどきれいに微笑んだ。


 

「さよなら、リトラ」



 細い指に力がこもる。その瞬間に俺は弾かれたように動いた。

 それと同時に、何かが視界の端を飛んだ気がしたけれど、俺には赤い血の色しか見えなかった。

 崩れ落ちるユーリの体を抱き止める。ユーリの手からするりと短剣が落ちて硬質な音を立てた。

 ぐったりとしたその体を抱き締め、俺は噛み合わない歯を鳴らしながらつぶやいていた。


「なんで……どうして、お前が……っ」


 淡い黄緑色のローブが、暗がりの中で血に染まって行く。俺はすでに、正気ではなかったのだと思う。

 ただ、後悔だけが心に突き刺さる。


 叶わないから諦める。

 距離を置く。

 そんなことを考えた自分が、ユーリを殺した。


 誰になんと言われようとそばにいて、俺がいなきゃ何もできないユーリになっていれば、笑ってこんなことはしなかった。こんな間違った強さを持ったりしなかった。

 お前がいないのに、どうして俺が存在しなきゃならない。

 あんな言葉、知らない。どうだっていい。嫌だ。

 そんな俺の頬を殴ったのは、殿下だった。いつの間にそこにいたのか、まるで気付かなかった。


「しっかりしろ! 早く医務室に運べ! ちゃんと生きてるだろう!」

「あ……」


 俺は、ユーリの傷のない反対側の首筋に手を当てる。とくとくと、鼓動が伝わった。


「私がとっさに投げた石が当たったからな。少しそれたはずだ」


 その言葉に、俺はようやく生きた心地がした。ユーリを抱き上げ、殿下に一礼すると、俺は軍医のところへ走った。



 ユーリの傷に驚きながらも、軍医はテキパキと動く。女の子だからと、俺は医務室の外へ出されてしまった。服に付いた血をなんとかして来なさいと指摘される。確かに、尋ねられても事情の説明はできない。俺はその言葉に従うしかなかった。

 俺は急いで着替えると、医務室に戻った。その扉にしなだれかかるようにしていると、軍医がドアを開く。そして、ようやく中に入れてくれた。


 白い顔をして眠るユーリは、薄い色の付いたシャツを着てベッドに横たわっていた。そのシャツの襟元から、白い包帯が覗く。けれど、生きている。それ以上に望むことなんてない。

 そのチェリーブロンドの髪をすくって、額を指でなぞる。そして、冷たい手を握り締めて、あの鮮やかな瞳が開くのを待った。




 どれくらいの時間が経ったのか、すでにわからなかった。

 意識が曖昧だ。もしかして、俺は眠ってしまったのかと、頭のどこかで思う。

 極限状態が続いて、限界だったんだろう。こんな時なのに、意識を保っていられなかった。

 それでも、俺はつないだ手の感触を確かめる。あたたかい手は、俺が力を込めると、握り返して来た。

 たったそれだけのことに、幸せを感じる。

 それでようやく、俺は目を覚ました。


「ユ……」


 ベッドに伏せていた顔を上げると、いるはずの場所にユーリの姿はなかった。

 じゃあ、この手は何だ、と俺は手元に視線を落とす。ごつい。なんだこれ。

 腕を伝うと、俺の顔を覗き込む、いかついおっさんの顔にぶち当たり、俺はその手をベッドに叩き付けるように放り投げた。


「ふざけんな!」


 思わず叫んでしまった。マイス軍医は、うふふ、と嫌な笑い方をする。


「かわいそうだから、代わりに手を握っててあげたのに、あんまりよね。でも、安心しなさい。アタシ、あなたの顔と体にしか興味ないから」


 軍医はピンクのシャツに白衣というイカれた格好で、くねくね動く。いかついから、心底気持ち悪い。ぞわ、と背筋が寒くなった。


「顔と体にも興味持つな!」

「後、声も」

「増やすな!!」


 俺はぜぇぜぇと肩で息をする。駄目だ、オカマの相手をするには疲れすぎている。


「……ユーリは?」


 すると、軍医はまた不気味に笑う。


「部屋に戻ったわよ。リトラちゃんがあんまりにも強く手を握ってるから、すごくもがいて抜け出してたわ」


 ほんとにひどい。


「大丈夫……なんだな?」


 不安が声に出た。軍医は意外そうに眉を跳ね上げる。


「命に別状はないわ。……傷痕は残るかも知れないけど」


 そんなの、構わない。ドレスなんか似合わなくたっていい。

 すると、軍医は俺に向かって微笑んだ。


「あなた、ユーリが絡むとそういう顔するのね」


 俺は、うるさいと言って、医務室を出た。


 会いたい。

 顔が見たい。

 ただそれだけを強く願った。

 

 物語中、間違いなく一番暗い話です。


 独占欲の強いリトラのために、軍医はオカマ設定になりました(笑)。


 でも、暗かったので、軍医の存在が書いていて救いになった気がします。

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