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僕の太陽と君の月  作者: 五十鈴 りく
Ⅴ【アリュルージ編】

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〈13〉 別れと決意

 俺は会議室を出た後、殿下のお部屋に呼ばれた。

 殿下は猫足の長椅子に腰を下ろされ、俺は入り口付近に直立したままでいる。旅から戻った直後なので、制服も着用せず、かなり適当な格好だが、これは仕方がない。

 殿下はまったくお変わりない。グレーの短髪に整った容姿。黒曜石のような瞳の強さも、相変わらずだ。

 殿下は脚を組み、俺ににやりと笑われた。


「で、どうだった?」

「どう、とは?」

「ユーリだよ。既成事実のひとつふたつ、作って来たんだろう?」


 俺は、自分の口が思わず開きっぱなしになってしまったのを、どうすることもできなかった。


「セストもいなくて、手の早いお前が、ユーリと二人きりでなんにもしなかったとは思えないからな」


 手の早いってなんだ。よりによって、殿下にそんなことを言われるなんて。

 俺は、わざとらしく咳払いをしてから言った。


「何もありません」


 まったくとは言えないかも知れないが、あれくらいは許してほしい。

 すると、殿下は更に俺の予測の付かないことを言った。


「なんだ。情けないやつだなぁ」


 思わずほうけてしまった俺に、殿下は更に続ける。


「なんで行かせてやったと思ってる? せっかく機会を作ってやったのに」


 俺は妙な疲れを感じて、顔を片手で覆った。


「殿下、ユーリは殿下の正室に迎えられると噂されている娘ですよね。殿下にそのおつもりがないなんてことは……」

「ないよ。最初から、そんなつもりはない」


 あっさりと、殿下は言い切られた。俺は愕然とする。


「ユーリはお前の想い人だ。お前には前から、忘れたい娘でもいるのかと思うようなところがあったからな。それが、ユーリが城に来てから急におとなしくなって、あれなら誰だってわかるぞ。お前はやってることがかわいすぎる。そんなに大事にしてる相手では、お前の顔がちらついて仕方ないから、いらないよ」


 そんな簡単に。


「大体、私の正室の座が空いているのは、レテュと周りがうんと言わないからだ」


 レテュというのは、側室の女性だ。身分が低いけれど、殿下に見初められて迎えられたことは知っていた。ただ、そこまで望まれているとは思わなかったが。

 俺は多分、すごく間抜けな顔をしているんだろう。殿下はクスクスと笑われた。


「妃としてのユーリよりも、私にはお前が必要だ」


 いつもながら、殺し文句だと思う。今まで、何回聞いたかわからないけれど。


「平和ボケした大勢の中で、お前だけは他と違った。ギラギラ光る眼をして、まるで野生の獣のような少年だった。お前を一目見た時から、いつか飼い慣らしてやろうと心に決めていた」


 そして、飼い慣らされてしまったわけだ、俺は。


「苦労して手に入れたのに、手放したくない。ユーリを差し出して、お前の忠誠を得られるのなら、その方がいい」

「……それ、出かける前に聞きたかったですね」


 俺の苦労はなんだったんだろう。


「いや、あんまり焚き付けるのは、さすがにユーリがかわいそうかなと」


 けれど、殿下の言葉に希望を持てたのは、ほんの束の間だった。

 殿下は何故か急に、あまり見たことのない、少し沈んだお顔をされた。


「ただ、戻って来ない方が、お前たちは幸せだったかも知れないな」

「殿下?」

「これから荒れるぞ、この国は」

「それは……承知しています。私はいかなる時も、殿下の手足となります」


 すると、殿下は低く笑われた。その様子に、俺は暗い予感を覚える。


「父上が開国に難色を示すようになった。お前たちの留守の間に、多少の騒ぎがあってな」


 俺は言葉を失った。ここに来てそれか、と。



 その後、俺は馬小屋に向かった。

 俺の愛馬は、俺が言うのもなんだが、結構気難しいやつだ。旅に出て、一度も会いに来れなかったから、多分相当に機嫌を損ねているはずだ。その機嫌を取りにやって来た。

 世話は部下に頼んであったが、案の定、俺の顔を見た途端、噛み付きそうな勢いでブルブルと嘶いた。


「……ブラッシュ、悪かった。そう怒るな」


 その漆黒の体に触れさせてくれるまで、俺は謝るしかなかった。ようやく機嫌を直してくれたところで、俺は馬具を付けて遠乗りに出ることにした。久々の疾走は、ブラッシュにとっても、俺にとっても楽しい時間だった。

 どこかに向かうあてがあったわけじゃなかったけれど、気が付けば俺は長く顔を見せていない男爵家の付近まで来ていた。もののついでだと、足を向ける。


 俺の急な帰宅に、使用人は慌てて母上を呼んで来たようだ。母上は、少し老けたような気もする。それでも整った顔を強張らせ、俺を迎え入れた。


「ご無沙汰しております。なかなか戻れずに、申し訳ありません」


 すると、母上は何か慌てた口調で俺に言った。


「リトラ、あなた、手紙は読んだの?」


 読んでない。存在すら知らない。

 俺がそれを顔に出すと、母上は困った顔をした。


「あなたが昔お世話になった院長先生が、ご病気なの。早く顔を見せておあげなさい」

「わかりました。これから向かいます。父上によろしくお伝え下さい」


 そして、俺はブラッシュを駆って、孤児院がある町に向かった。日が暮れ始めたけれど、明日にすることはできなかった。



 孤児院は、俺がいた頃から建て直されることはなかった。

 相変わらずぼろくて、時々本気で床を踏み抜きそうになる。俺だって、定期的に仕送りをしているのに、院長は溜め込むばかりだった。いつ、子供が増えて食べられなくなるかわからないから、とか先の心配ばかりしていた。

 それも、鎖国のせいだ。蓄えが少なくとも、援助の期待もできない。飢饉の心配をしながら、民は生活している。


 ブラッシュを孤児院の柵に固定し、俺は中へ踏み入った。

 昔からいる職員のクラリーが、俺の姿を認める。


「リトラ!」

「院長の病状は?」


 すると、クラリーは口元を押さえて涙を浮かべた。聞かなくても、もうわかる。

 俺はそのまま、院長の自室へ向かった。ノックをして、中に入る。


「院長」


 院長の周りは、子供たちであふれていた。俺が近寄ると、子供たちが俺にすがり付いて泣き始める。けれど、俺はそいつらを押しのけながらようやく院長のもとにたどり着いた。

 院長は目を閉じ、顔色は驚くほどにどす黒かった。髪も細り、痛々しい姿だ。

 前に会ったのは、三月くらい前だ。慌しく、そう頻繁に訪れる機会もなかったことが、今になって悔やまれる。


「院長」


 俺はもう一度呼びかけた。子供たちの啜り泣きが耳にまとわり付く。

 もう、目を開かないのかと、俺はなんの恩も返せなかったような気になった。そんな時、院長はうっすらと目を開けた。その虚ろな目を、俺に向ける。もしかすると、もう見えていないのかも知れない。


「リトラ……」


 それでも、院長は俺の名を呼んだ。


「ここにいます」


 ほんの少し、顔が緩んだ。多分、笑おうとしたんだろうと思う。院長は、呼吸音が混ざった、かすれた声を絞って俺に言う。


「あなたには、ずっと、謝りたかった……」

「謝ることなんて、何もありません。今となっては、あの家に迎えられてよかったと思っています」


 それを聞いて、院長は多分、やっと安心できたのだろう。こんなことなら、もっと早くに伝えればよかった。言葉の足らなかった俺のせいで、苦しめてしまった。

 そして、院長はまだ口を開く。体力を消耗するから、それ以上何も言わないでほしかったけれど、遮ることはできなかった。その言葉をもらさずに聴くことが、今の俺にできることだ。


「……私は、国が、開かれるのを、待てな、かった。いつか、子供、たちと……」


 院長の言葉は、そこで途切れた。わあわあと、子供たちの泣く声だけが、俺の中に浸透する。

 いつの間にか後ろに立っていたクラリーが、嗚咽をこらえた声で、院長はずっとあなたを待っていたと言った。


「院長は、スードの出身なの。鎖国が始まって、この国に残ってくれたけれど、本当は帰りたい気持ちがあったんだと思うわ。いつか、子供たちを自分の故郷に連れて行ってあげたいってもらしたことがあって……」


 本当はもうひとつ、子供たちを頼むと言いたかったのだと思う。けれど、俺に負担をかけたくなくて言えなかったんだろう。


 俺は、抱えられるだけの子供たちを腕に収め、そして誓った。

 鎖国を続ければ、この国に未来はない。どんなことをしても、必ずこの国は開いてみせる。

 そして、院長を帰してやる。

 そのために、俺がやるべきことはなんだろうか。

   

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