〈12〉 旅の終わり
その後、俺は手当てを受けた。
庭師が刺客だったと、詳細は伏せたままで説明する。ユーリが言うような、なんとかの民だの、そういうことは言っていない。けれど、俺の負傷具合と、庭師の亡骸、ユーリの蒼白な顔色に信憑性があったはずだ。
意外なことに、ユーリは俺のけがを結構心配している。
意外でもないのか。もともと、嫌われているわけじゃない。
ただ、俺が望むような感情を持ってくれないだけだ。
このけがも、自分のせいだと思ってるんだろう。付いて行くと言ったのは俺なのに。
ユーリが言うには、あいつらは王を自ら選ぶらしい。その過程で邪魔だと思えたから、あの二番目は消されそうになったんじゃないかと。
今後、この国がどうなって行くのか、今の段階ではわからない。ただ、俺たちはここに長居するべきじゃないことだけは確かだ。
あんなやつ、何人も相手にしたくない。逆恨みされても困る。
そんなごたごたがあって、初めてあの姫はジュセルに歩み寄りを見せた。多少、頼りになることがわかったのかも知れない。この国より、キャルマールの方がいくらかマシだと思う。さっさと嫁に行けばいいんだ。
一応ユーリは、ジュセルにだけ、今回の事件の全容を話した。
ジュセルは、なるほど、と低くつぶやくと、俺たちに真剣な目を向けた。
「じゃあ、そろそろここを出ようか。キャティもしばらくキャルマールに来てもらうことにする。……二人とも、帰りはどうするつもりなんだ?」
「国から迎えが来る予定ですが、まだ日がありますね」
ユーリがそう答えた。
実際、まだ十日ほどある。それまで、迎えの船は来ない。
すると、ジュセルがあることを口にした。
「じゃあ、それまで俺のところに滞在するか? それとも、国まで送ろうか?」
俺は、その言葉に心臓がどくりと鳴った。
「そうですね。一応、予定した国はすべて回りました。それでも差し支えはありませんが」
ユーリは冷静にそう答える。
外の世界を見たいと言っていたユーリが、早く帰りたいと思っているとしたら、俺と二人きりの状態が嫌だからだろうか。そう考えると、さすがに気が重くなった。
俺をちらりと見やり、ユーリはもの言いたげな顔をした。俺は嘆息する。
「明日、どちらにするか返事をする。それでもいいか?」
そう言うと、ジュセルはうなずいた。何か、訳知り顔のようで腹が立つけれど。
その晩、俺はユーリの姿を探した。
危ないとわかっているくせに、どうして一人歩きするんだと言いたくなる。
けれど、それは俺と二人だけで話さなければならないからだとわからなくはない。
どこにいるのか、見当が付いたわけじゃない。ただ、俺が考え事をするとしたら選ぶだろうという場所を探しただけだ。
ユーリは、塔の屋上にいた。
輝く月をぼんやりと眺めている。その後姿を見ていると、俺が来た事に気付いたようで、ユーリは月明かりの下でにこりと微笑んだ。
そして、上を見上げる。
「ねえ、リトラ、月が輝きは、太陽の光によるものだって説を知ってる?」
「……さあ」
俺は少しずつ、ユーリとの距離を縮めた。
「月は太陽がなければ輝けない。太陽はかけがえのない存在だ。でも、太陽は月がなくても困らないよね。なんの役にも立たず、ただ自分の近くにいるだけなんだから」
ユーリの言葉が、俺に突き刺さる。俺は、思わずこぼした。
「それ、俺とお前の関係だな。お前は、俺がいなくても平気なんだろうし」
すると、ユーリは少し悲しそうに笑った。
「君の口からそんな言葉が出るなんてね。……逆だよ。私はずっと、リトラにとって私は月みたいに、いてもいなくてもいい存在なんだって思ってた。だから、面倒になって会ってくれなくなったんだって。まさか、あんな理由で避けられていたとは思わなかったから」
それから、また俺に背を向けて上を見上げた。
俺はそっと手を伸ばし、ユーリの華奢な体に腕を巻き付けた。ユーリは体を硬くしたけれど、振り払わなかった。
「……傷に障るよ」
「俺がけがをしてるから、お前が振り払わずにいるなら、けがをしてよかったな」
耳元で言うと、ユーリは正面を向いたまま、ぽつりとこぼす。
「あんまり馬鹿なこと、言わないでよ」
ひどい言い草だ。
そして、今以上にひどい言葉が返って来るとわかっているくせに、俺は訊かずに済ませられなかった。
「……帰らなきゃ駄目か? このまま、帰らずにいるっていう選択はできないか?」
国に帰れば、俺たちはこうしていることはできない。お互いの立場、しがらみがあり、俺も気持ちひとつで動くことはできなくなる。
ユーリも、外の世界でのびのびとはしゃいでいる方が幸せなんじゃないかと思う。国の中で、家の思惑通りに生きるよりは、ずっと。
手に入らないはずのものが、目の前に、手の届く距離にある。そんな状態で諦めきれるほど、俺は自分の精神が立派じゃないことを知っていた。
帰りたくなくなる。だから、来たくなかった。
それでも、ユーリは当たり前のように凛とした声で言った。
「私は帰るよ」
俺がユーリを抱き締めたままでいるのは、顔を見てこれを言われたくなかったからだ。
「帰ったら、私もそのうちに結婚とかしなくちゃいけなくて、それでも、それを承知で帰るしかないんだ。約束は違えちゃいけないから」
俺は、ユーリの体を締め付ける腕の力を強くした。多分、ユーリは苦しかっただろうけど、それを声には出さなかった。
「父上が私を誰のところに嫁がせるつもりなのか、リトラだってわかってるよね?」
わかってる。けれど、認めたくなかった。
「……殿下だろ」
ユーリはうつむくようにうなずいた。
「そうだよ。リトラの敬愛する殿下。だから、父上は私に軍師見習いなんて立場を許してる。おそばにいられるようにね」
殿下には、側室がひとり。正室はまだいない。
その座を空けてあるのは、ユーリのためだという噂はささやかれていた。
侯爵家の令嬢だ。それ以上に相応しい娘はいない。
他のやつなら、どんな難癖だって付けるけれど、殿下だけは俺にとって特別だ。
俺は、騎士になんてなってからも、陛下にだって忠誠心を持ってなかった。そういったものを強要されるのが何より嫌いだった。
そんな俺に、何故か殿下はしつこいくらいに興味を示され、いつも気にかけて下さった。
強く、慈悲にあふれた、俺が唯一認めた主君。
敵うとか敵わないじゃない。ユーリと殿下、どちらも大切なんだ。
「俺は、それでも殿下に仕えて行くのに」
ユーリは、帰らないなんて選択肢を、俺が本気でできないことを知っていたのかも知れない。
「そうだね。リトラ、苦しいから、そろそろ放してくれないかな……」
我慢していたのか、俺が腕の力を解くと、ユーリはするりとすり抜ける。そして、月明かりの下で俺に微笑んだ。その笑顔を、俺はいつまで覚えていることが許されるだろう。
「リトラ、大好きだよ。でも、これは、君が私に向けるような感情とは違うんだ。それだけははっきりしてる」
いっそ、嫌いだと言われた方がましだ。どうしてそう、残酷なことが言えるんだ。
「ひどいやつだな」
「そんな私をどうして好きなのかわからないけど。こういう時、ごめんとか言うべきなの?」
「心のこもってない謝罪なんて、聞きたくない」
「わかったよ。じゃあ、言わない」
俺は所詮、殿下の犬で、ご主人様のものに手を出すことなんて許されない。
どんなに焦がれても、それまでだ。
家のこと、殿下のことがなくても、ユーリは俺のことなんて見ていない。それだけがはっきりとした。
心に大きな喪失感があり、それをどうしたら塞げるのか、まるでわからないまま、夜は更けた。
タイトルの意味が出て来る話です。
これは、二人の関係を表しています。
「私」と「俺」という一人称の二人ですが、幼少期は二人して「僕」でした。
お互いが自分にとって大切な人で、けれど、相手にとって自分はそうではないと思っていたということです。
ユーリは幼少期、リトラは今現在、そういう感じです。




