《10》レイヤーナ城
私とリトラは、シェーブル王国に立ち寄り、そして去った。
国王が死去したあの国は、これからまだ内戦が続く。けれど、落ち着くところに落ち着くだろうという予感があった。そして、そのシェーブルに干渉を続けるレイヤーナに、私たちは向かっている。
レイヤーナは、聞いた話では、後継者争いが深刻らしい。とはいっても、それは水面下のことで、実際は王太子も決まっている。王子が七人、王女が三人だという話だ。
ジュセル王子の婚約者は、御歳十六歳の第二王女だという。
深い緑の豊かな国。それが最初の印象だった。
美に対して、驚くほど敏感な人々だと思う。都の美しさもそうだし、行き交う人々の服装ひとつを見てもそうだ。裕福な証だと思う。貧富の差が、一見しただけではわかりづらい。
けれど、王都にスラムのような場所はなかったけれど、国のどこかにはあるのだと思う。それを、旅行者などの目の付くところには作らせない。徹底した管理の下、政策を行っているような気がする。
「こちらにご滞在中の、ジュセル=ルーザ=キャルマール殿下にお取次ぎ頂けますでしょうか」
小高い丘の上に、白くたたずむ王城。小塔が多く天に伸びている。
私はどこよりも、このレイヤーナ城が美しいと思った。計算された美を誇るこの城に住まうのは、どういう人たちなのかと、不安と期待を胸に抱く。
ジュセル王子は、数人の側近と共に滞在されていた。当の本人がお出でになるまで、私たちはその場で待たされた。
「ああ、よかった。無事だったんだ。少し遅いから、何かあったのかと思ったよ」
そう仰られてしまうほどに、シェーブルは危ない。けれど、このレイヤーナからも内戦平定のための兵は向けられているので、あまり詳しい事情を話すのも気が引けた。
「いえ、少しのんびりしすぎてしまっただけです。殿下をお待たせして、申し訳ございません」
すると、ジュセル王子には色々と察して頂けたようで、そっか、と短く答えられた。
「じゃあ、おいで。まずキャティに会わせるから」
婚約者の姫君の名前なのだと思う。私とリトラは、そうしてレイヤーナ城の中に踏み入った。
リトラは、何故か王子に好かれているのに、うっとうしくて仕方がないようだ。あまり積極的に会話に加わろうとしない。
その城の庭園に、ジュセル王子は私たちを連れて行かれた。一見しただけで、百種類以上はあるだろうか。豪奢なものから可憐な花まで、見事に咲き誇っている。その色合いも配置も、ここにも計算された美がある。
レイヤーナ王都は、芸術の都と賞賛される。その評価に間違いはなかった。
その庭園の中に、白い透かしの入ったテーブルと椅子とが並べられ、その周囲にくるくるとよく動くドレスの裾が見えた。数人の侍女の笑い声もする。陽だまりのようなあたたかさだった。
けれどそれは、ジュセル王子の一言で遮られる。
「キャティ」
キャティと呼ばれた姫は、淡い水色のドレスを着て侍女の中心にいた。沢山のオーガンジーのリボンで飾られている。手には白く長い手袋をし、大粒のサファイアが胸にきらめいていた。
彼女は、愛くるしいつり目がちの瞳を、更につり上げた。背中に流した、まったくくせのない薄茶色の髪を揺らし、そっぽを向く。
「……嫌われてないか?」
リトラがぼそ、と言う。なんてことを言うんだと、私が焦ると、王子はしょんぼりとされた。
「そう。嫌われてる」
けれど、気を取り直して姫のもとへ向かわれた。けれど、姫は冷ややかだった。
「お早いお戻りで」
「あはは。あのさ、友達を紹介したいんだ」
その一言で、姫は私たちに目を向けられた。そして、王子を放って私たちの方にとことこと歩まれる。
そして、私をじっと凝視した。リトラの存在は目に入らないらしい。
「お初にお目にかかります。わたくしはユーリと申します。どうか、お見知りおき下さい」
姫は、私から一度も視線をそらさずに、そして王子に向ける何倍も好意的なお顔でにっこりと微笑まれた。
「ユーリね。私はキャティリーン=シュエ=レイヤーナ。あなたなら、キャティって呼んでも許すわ。それから、固い口調も止めて。だって、かわいくないじゃない」
「え、あ、あの……」
「だって、こんなにきれいな髪の色、初めて見たわ。短いのが勿体ないけど、それもよく似合ってるし」
「あ、ありがとう」
こんな口を利いていいのかと思うけれど、ご希望なのだから、仕方ない。
「ねえ、一緒にお茶でも飲みましょう」
キャティは私の手を引き、庭園に連れて行く。リトラを振り返ると、リトラは嘆息していた。
そして、キャティは自分の婚約者に向かって、冷ややかに言う。
「ジュセルはユーリのお付の人に城の中を案内して。ユーリは私が持て成します」
そんなに一緒にいたくないのかと思ってしまう。ジュセル王子はしょんぼりとしてリトラを誘い、その場を離れた。
私は椅子を勧められ、キャティの正面に座った。繊細な模様の刻まれたカップにお茶を注がれる。バラの花びらが浮かび、うっとりするような芳香がした。
「キャティは、ジュセル殿下の婚約者なのよね?」
私は、少しだけ無理をして口調を変えて話す。小さい頃からおままごとより、チェスや読書に明け暮れていた私は、こういう女の子の集まりや、かわいい喋り方は苦手だ。
何気なく言った私の一言に、キャティはすごく嫌そうな顔をした。
「一応ね。不本意ながら」
一国の王女ともなれば、私以上に自由はないはず。不本意だからといって逆らえない。
「ジュセル殿下は、気さくで優しい方よね。それに、しっかりとしたお考えもお持ちだし、どうしてそんなに嫌なの?」
すると、キャティはため息をついた。
「だって、キャルマールなんて行きたくないもの」
「え?」
「私、この国にいたいの」
私は、少しくらくらした。そして、すごいと思った。
この立場で堂々とわがままの言えるキャティを、本気ですごいと思った。だから、笑ってしまった。
「それじゃあ、ジュセル殿下が嫌なわけじゃないの?」
「……特別好きでもないけど」
難しい。
「私の理想は、お兄様だもの」
キャティはそう、誇らしげに言う。
「お兄様? ええと、確か、何人かいらっしゃるのよね?」
「うん。もちろん、ネスト兄様」
何番目かはわからない。けれど、キャティは嬉しそうに微笑む。
「頭がよくて、強くて、何でもできるし、立っているだけでとっても美しいの」
それはまた、すごい方と比べられたものだ。私はこの場にいないジュセル王子を少し哀れに思った。
キャティとの会話は、ほとんどがドレスやお菓子や、他人の恋の話で、侍女たちも親しげに会話に加わって来た。歳相応のかわいらしい会話に、各国の情勢など堅苦しいものが混ざることはなく、私はふわふわした時間を過ごしていた。
ただ、侍女たちの恋愛事情に、私は自分の認識が驚くほどずれてしまっていたのを自覚した。リニキッドに馬鹿にされたわけだと、今更ながらに思う。
時折、ユーリにいい人はいないの? と水を向けて来るキャティに、私はその質問だけは止めてと冷や汗を流した。
*sanpo様より頂いたイラストです*
「船上のお洒落な二人。迷惑そうなユーリの表情が、二人の関係を物語っていますね。色鉛筆の柔らかさが素敵な一枚です☆」




