〈9〉 できない約束
俺は、ユーリを残して部屋を出た。
扉の奥から、ユーリのわあわあ泣いている声がもれて来る。
ただ。
けれど。
目の前で泣かれても、俺は少しも悪いとは思わなかった。
消えない傷になればいい。
俺が苦しんできた分、お前も苦しめと、ひどいことを考えた。
この完全な拒絶を予測してなかったわけじゃない。
わかり切っていた反応だ。
俺が必死で保って来た距離を、勝手だとなじる。
俺から見れば仕方がないことでも、ユーリには納得できないんだろうか。
会う機会を減らしても、まったく会わないというわけには行かなかった。俺が大人になるように、ユーリも子供から女になる。たまに会う時ほど、それを強く感じた。
ユーリがきれいになったとほめそやす声が、たまらなく嫌だった。
手に入らないとわかっているのに、吹っ切れたとも言えない。
中途半端に想いを残して接していた。いつこうなってもおかしくなかった。
受け入れられない気持ちのこの先には、何が待っているんだろう。
もっと拒絶されて諦めるか、どこまでも想い続けるか。
それは、まだわからないけれど。
ただ、今だけはしばらくそっとしておこうと思う。
とりあえず、廊下に座り込んだ。どれくらいかそうしていると、部屋の中からガタン、と大きな物音がした。さすがに嫌な予感がして、俺は部屋の中へ踏み入る。
途端に、真っ赤な眼をしたユーリと目が合った。ただ、ユーリの立ち位置が問題だった。
「何やってる……」
窓を開き、半分乗り越えている。ここは二階だ。
俺に見られてばつが悪そうに、ユーリはぼそりと言った。
「別に」
別にじゃないだろ。
もしかして、俺が廊下にいるから、窓から逃げ出そうとしたんだろうか。二階だから、やろうと思えばやれるかも知れないが、それは一般人の場合だ。ユーリは、自分で思っている以上に運動神経が悪いんだ。ダンス一曲踊る間に、何回足を踏むと思ってる?
俺は大きくため息をついた。
「落ちるから、止めておけ」
そう言って歩み寄ると、ユーリは目に見えて怯えた。わかっていても、やっぱりこたえる。
「近付かれたくなかったら、自力で戻れ」
すると、ユーリはそのままの姿勢でうつむいた。そして、ぽそりと言う。
「……もう、あんなことしないって約束してくれるなら」
俺は、その途端に笑った。失笑と言った方がいいのかも知れない。
「できない約束はするなって言ったじゃないか」
その一言で、ユーリは目に見えておかしくなった。
「できないっ? できるでしょ! なんで? なんでできないとか言っちゃうんだよ!!」
最近、神経が図太くなったと思っていたけれど、こういうことに関しては平常心を保てないようだ。相手が俺だからかも知れないが、そんな取り乱し方がおもしろい。
「とりあえず、本気で危ないから」
俺が歩み寄ると、ユーリはもう一度びくっと体を強張らせ、自分のいる場所も忘れて後ろに引こうとした。バランスを崩すのは当たり前だ。とっさに手首を捕まえる。そして、こちら側に引き寄せた。
「放してよ!」
「放したらどうなるか、わかってるのかっ?」
状況をわきまえず、ユーリは暴れる。俺の手を振り払おうともがくあまり、勢い余って窓ガラスに手を突っ込みそうになる。俺はとっさに、窓ガラスとユーリの手の間に、自分の手を滑り込ませた。
カシャン、と音を立て、区切られた窓ガラスの中央が崩れる。軽く切っただけだったけれど、俺の血を見てユーリは我に返ったようだ。急におとなしくなった。
「……ごめん」
それ以上暴れるのを止め、素直に部屋に入る。そして、荷物の中から傷薬と包帯を探して来ると、そっと俺の手に触れた。うつむいたまま、ハンカチで血をふき取る。俺は無言で作業するユーリのうなじに視線を落としていた。
「でも」
ぽつりとこぼす。
「私は……」
その後に続く言葉を、俺はまだ聞きたくなかった。
「この旅が終わるまで、それは言わなくていい」
ユーリが顔を上げる。
「今は、曖昧な状態でいたい。ああいうこと、少なくとも急にはしないから」
俺の言い方に納得しにくかったのか、戸惑いがちに、それでもうなずく。
左手に、不恰好に巻かれた包帯が、今は愛しかった。
それで、こうなった以上、この時を満喫しようかと思う。
俺は、ジュセルのもとを訪れる前に、フレリアが発行した身分証明書をユーリの眼前に突き出した。ユーリはぼんやりとそれを眺め、それから耳まで赤くなった。
「何これ! なんで? なんで僕らが夫婦なの! どうなってるの!」
取り乱すと、僕とか言う。子供の頃の俺の真似は、大人になって直ったと思ったのに。
「文句なら、フレリアに言えよ。でも、その方が都合よくことが運ぶのは事実だろ」
以前のユーリなら、顔色ひとつ変えず、男女の二人旅だし、その方が自然で合理的だと言ったように思う。それだけ意識してくれるのは、ある意味進歩だ。
俺は市場で買った安物の指輪を、ユーリの左手の薬指にはめる。
「小道具」
途端にユーリは不安な顔をした。
「なんで? なんでサイズぴったりなの!」
「見ればわかる」
「見ただけでわかる人の方が少ないよ! どんな目をしてるんだよ!」
パニックになって騒いでいるユーリを見ていると、何か急に笑いがこみ上げて来た。そんな様子がかわいくて仕方がないなんて言ったら、また逃げられるだろうか。
くくく、と笑いをもらしていると、ユーリは少し驚いた風だった。
「……そんな風に笑うの、久し振りだね」
そうかも知れない。
押し殺していた感情をさらけ出したら、随分すっきりした。そのせいだろう。
本来なら、簡単に立ち寄れるような場所ではないけれど、俺たちは王城へやって来た。
周囲を水路に囲まれた城に行く前に、橋を渡る。そして、大きく重い城門の前にいた番兵は、俺たちの姿を認めた途端、すぐに門を開いた。話が通っていたのだろう。
女官に案内され、ジュセルの自室へ通される。仮にも王城だが、どちらかといえば華美を抑えた造りのように思う。アリュルージよりも大きいけれど、どこか質実だ。
部屋の中で待っていたジュセルは、俺たちを見て、ぱっと顔を輝かせた。
昨日のような適当な格好ではないので、一瞬誰だかわからなかったほどだ。長い髪を絹のリボンでまとめ、堅苦しそうな濃紺の詰襟を着ている。金糸で縁取られたそれは、似合っていなくもなかった。
「やっと来た。遅かったな」
それでも、喋り方は昨日と同じだ。なんでこんなに砕けてるんだろう。
「申し訳ございません。少々、込み入った事情がございまして……」
優雅な所作で礼をするユーリに、その込み入った事情が説明できるならしてみろ、と俺は悪態をつきたくなったけれど。
幸い、ジュセルは突っ込まなかった。
「まあいいや。二人とも、座りなよ」
にこにこと椅子を勧める。それから、茶を所望し、それがいれられると話を再開した。
「ええと、二人はスードから来たんだっけ?」
「そうだ」
俺が即答すると、ジュセルはふぅん、と言った。
「それにしては、リトラは信仰心のかけらもなさそうだね」
「…………」
モルド教の経典ぐらい、目を通しておくべきだったが、慌しくてそれどころじゃなかったとも思う。
ジュセルは笑顔を消さないまま、更に言った。
「で、二人は夫婦なんだよね? 新婚ほやほや」
「はい」
ユーリは歯切れよく返事をしたように思えるが、表情が貼り付けたように見えた。普段なら、もっとうまくごまかしただろうが、今日は特に無理なんだろう。
初対面の時は道楽息子にしか見えなかったジュセルだが、今こうやって相対してみると、こいつは馬鹿ではないようだ。
「スード出身にも、新婚さんにも見えないんだよね。でも、別に害はなさそうだし、面白そうだし、個人的にはいいんだけどさ」
ユーリは嘆息した。諦めたのだろう。
「駄目ですね。殿下にごまかしは通用しないようです。……これからお話しすることは、殿下個人にお話しすることとして、今はまだご内密にお願いできますか?」
「うん、いいよ」
その受け答えの軽さに不安が残るが。
俺は仕方なく、アリュルージの身分証明書を差し出した。ジュセルはそれを食い入るように眺めている。
「アリュルージ。そうか、あそこから来たんだ?」
独り言のように言う。
「はい。アリュルージ国民が国外へ出ることはめったにありませんが、禁じられているわけでもありません。それでも、国外で身動きが取りづらいのは事実なので、知り合ったスードの皇族の方が、事情を察して作って下さったのが、もうひとつの身分証明書なのです」
「なるほどね。外の世界の情勢を知りたくなったの? それなら、開国を検討しているってことだね」
跡を継ぎたくないと駄々をこねていたくせに、そんなことを言う。
「そうなります。閉じこもったままの状態を、平和と言えるだけのゆとりが、いつまで持つのかわかりません」
「うん。外交に積極的になるのはいいと思うよ。ただ、こっちには不干渉条約があるから、表立ってなにかしてあげられることはないかな。まあ、不干渉条約の第一は、武力干渉で、それ以外は大した問題じゃないように思うけど」
それから、ジュセルはうんうん、とうなずいた。
「スードとうちに立ち寄ったのなら、後はシェーブルとレイヤーナ、ペルシだよね」
「はい。ですが、ペルシには行きません。最初からそう決めてあります」
ペルシは、諸島一の軍事国家であり、過去にアリュルージに侵略の手を伸ばして来た回数の多い国だ。もし、付け込まれるような隙を見せたら、後に響く。隣国のレイヤーナから情報を手に入れるだけに留めようというのが、上の意見だ。
「なるほど。じゃあ、次はシェーブル? あそこ、今は内戦も多くて危険だから、あそこも避けた方がいいんじゃないか?」
俺とユーリは顔を見合わせたが、結論は出ていた。
「それでも、少しだけ立ち寄ります」
ジュセルは生温い紅茶を飲み、それから言った。
「そっか。じゃあ、その後でレイヤーナに行くなら、俺が先に行って話を付けておこうか?」
「え?」
「レイヤーナに俺の婚約者がいるから、会いに行くついでに、二人が城に滞在できるように、適当な理由を付けて頼んでおくよ。とりあえず、俺は十日後に出発するから、その後でレイヤーナ城を訪ねておいでよ」
俺は思わず、ジュセルをじっくりと不躾に見た。
「なんで、そんなことを?」
ジュセルはにやりと笑った。
「遅かれ早かれ、アリュルージはそういうことになる予感はしてたよ。だったら、ことがうまく運べばいいと思うし。それに、俺の婚約者を二人に会わせてみたいのもあるかな」
最後の一言が、しまりのない顔だった。のろけたいのか。
けど、こいつは跡を継ぎたくないんじゃなかったのか。よくわからないやつだが、悪意はない。
ユーリもそれは感じたようで、素直に話を受けた。
次の二人の行き先はシェーブル王国ですが、その辺りはまた別のお話ですので、ここでは触れません。
シェーブル王国が舞台になっている『Full of the moon』のどこかに二人は登場します。読まれなくても問題はありませんが。
ちなみに、あちらは三人称です。
次はレイヤーナ編になります。




