〈8〉 強すぎる光
翌朝になって、隣の独房のジュセルに迎えがやって来た。その人物を見て、俺は唖然とした。
「頭は冷えたか?」
壮年の男は、暑そうなマントを肩にかけ、それをバサバサと捌きながら、場違いなこの場所を歩く。その後ろには、護衛らしき男たちが複数控えていた。頭に輝く冠は、偽物ではないだろう。
ジュセルは不満げに言った。
「冷えた。ここの床、冷たいからな。けど、冷やしてもあっためても変わらないからな」
どうやら、鍵はもともとかかっていなかったようだ。ジュセルは自ら鉄格子の中から出て来た。そして、国王らしき人物とその他を放置して俺の前にやって来る。そして、看守に向かって言った。
「ここの鍵。早くしろよ」
すると、国王らしき人物は、すっと赤褐色の眼を細めた。
「何を勝手なことを。罪人の身柄をどうこうする権限など、与えたつもりはないが?」
ジュセルはそんな言葉に噛み付くように言った。
「この馬鹿親父。こいつはなんにもしてないぞ。金握らされたやつがここに放り込んだだけだろ。しかも、この国の人間じゃない。国際問題に発展するぞ。さっさと事実確認しろよ」
馬鹿親父。その一言に、俺は固まっていたけれど、ジュセルはにやりと俺に向かって笑った。
「跡継ぎたくないって言ったら、一晩頭冷やして来いって。跡を継がずに国を潰すつもりなら、国家反逆罪だってさ」
なんだその親子喧嘩は。
俺は脱力したが、これで外に出られる。そのことは純粋に感謝してもいい。
そうして、外に出た俺は、あの背の低い衛兵を直々に締め上げ、ユーリを利用しようとしている男の居場所を聞き出した。泣いて謝ったが、そのまま独房へ放り込んでやった。
父王に説教されながらも、ジュセルは俺に付いて来ると言って利かない。正直に言って、すでに用済みなので、うっとうしいだけだった。けれど、来るなと言っているゆとりもなく、俺はユーリのいる屋敷へ向かった。
屋敷と拘留所は、実はそう遠くない。あの市場を左に抜けるか、右に抜けるかという程度だ。
シズレという、香辛料を専門に扱う商人の屋敷らしい。半ば走るような足取りで進む俺の後を、ジュセルは何とか付いて来た。自国の王子が界隈をふら付いていても、誰も気付かない。案外、そんなものなのかも知れない。
その白い壁の屋敷の前に差しかかった時、アーチを一人のメイドが抜けて来た。手にはかごを持っている。まだ若く、入り立てなのか、制服が似合っていない。買出しを頼まれたのだろう。
「お、丁度いいな。事情を訊いて来てやるよ」
ジュセルはそう言って、メイドの横にぴたりと付いた。にこにこと笑顔で話しかけているが、メイドはうっとうしそうに顔をしかめた。あの軽い口調が余計な警戒心を抱かせたのだろう。ジュセルがどういう人間だか、メイドに見抜けるわけがない。
やっぱり無視され、メイドはジュセルから顔を背けて歩き出す。メイドの背後から、ジュセルが俺に向けて腕で大きなバツを作っている。別に、最初からあてにしてない。
俺は、メイドの正面に立つと、その腕を引いて路地の隙間に滑り込んだ。
とっさに悲鳴を上げそうになるメイドの口を手で塞ぎ、そして言った。
「少し、話がしたい」
怯えた様子のメイドの口から手をずらし、頬を撫でる。メイドがぞくりと身震いするのがわかった。俺は、正面からまっすぐにその黒い瞳を覗き込む。幼さの残る顔が見る見るうちに赤くなった。
「あの家では、今、何が起こってる? 教えてくれないか?」
壁に手を付け、メイドの耳に息を吹きかけるようにして、なるべく甘い響きでささやく。メイドの震えが、おもしろいくらいによくわかった。
「あ、あ、そ、その、お嬢様が縁談を嫌がって駆け落ちしてしまって……そしたら、旦那様はいきなり、すごくきれいな女の子を連れて来て、今、その女の子がお相手の方とお見合いしているの。先方に気に入られたら、養女にするって……」
途切れ途切れにメイドは答えた。
「養女?」
「え、ええ。どこから連れて来たのかわからないけれど……旦那様はお金を積めばなんとかなるっていうお考えの方だから、お金で雇われたのかしら……」
なるほど。
俺がメイドを解放すると、メイドはその場に崩れた。残念ながら、後のことまでは知らない。
「師匠って呼ぼうか?」
ジュセルが俺にキラキラとした眼を向けて来たので、俺は思い切り顔をしかめた。
遠慮なく屋敷に踏み込むと、庭園にユーリの姿を見付けた。オレンジのドレス姿で、にこやかに微笑んでいる。対する男は、冴えないやつだった。見ていてイラッとする。
俺はそのまま歩み寄ると、振り向いたユーリの腰に手を回し、そのまま引き寄せた。
「え、リトラ?」
ユーリは俺がここにいることに驚いた風だった。まあ、そうだろうが。
冴えない男は唖然と俺を見たが、俺がにらむとすぐにうつむいた。
「帰るぞ」
また、平和的な解決が遠のいたとか言われると思ったが、ユーリは素直に微笑んだ。
「そうだね」
予測しなかったその笑顔に、俺は不意を突かれたような気分だった。
ユーリは冴えない男に言う。
「連れが迎えに来ましたので、私はこれで帰ります。セジルさん、ココさんがどうするかはわからないですけど、いつかセジルさんにぴったりの方が現れることを祈っていますよ」
それから、俺を見上げる。顔が近い。
「ちょっと着替えて来るよ。待ってて」
「ん、ああ……」
俺が手を放すと、ユーリはパタパタと駆けて行った。
その間に、俺は冴えない男をにらんでみた。
「あいつに惚れたとか言うなよ」
すると、冴えない男は首がもげそうなほど、強くかぶりを振った。
「ま、まさか。無理だよ。彼女は太陽みたいに強すぎる光で、僕には近付けそうもない。そんな気、全然起こらなかったよ……」
こいつの言うことは正しい。
俺にだって、ユーリは強すぎる光だから。
ただ、俺は、眩くても目を背けられず、焦げ付くしかないけれど。
それから、しばらくして、普段着のローブに着替えたユーリが戻って来た。あのシズレとかいう男と夫人がついでにいる。二人は冴えない男に何度も頭を下げ、それでも、冴えない男は怒るよりもほっとしたような笑顔を浮かべていた。
ユーリが俺のところに戻ると、ジュセルがニヤニヤとしながら俺たちを交互に見た。
「いや、おもしろいなぁ。見てて飽きない」
俺がじろりとにらんでも、ジュセルは動じなかった。正体がわかってみると、納得したけれど。
「あの、こちらは?」
と、ユーリは首をかしげる。
「ジュセル=ルーザ=キャルマール。よろしく、ユーリ」
さすがに、ユーリも唖然としていた。
ジュセルは俺たちを城へ誘ったが、俺はもう疲れ果てていた。嫌だと断る。普通の宿でゆっくりしたい。
つまらないとごねるジュセルに、明日お伺いしますから、とユーリが勝手に返事をした。
それで納得したらしく、俺たちはようやく解放された。
ただ、そのすぐ後に、俺はジュセルの言葉に従っておけばよかったと思ってしまう。
「ひと部屋しか空いてない?」
ユーリは、宿の受付でそう言った。宿のオヤジは悪びれもせずに答える。
「今の時期、市場にやって来る客が多いからね。急に来て空いてるだけマシだよ」
「なるほど」
そううなずくと、ユーリは俺を振り返った。
「ひと部屋あればいいよね」
「…………」
そういえば、旅に出てから初めて陥る状況かも知れない。
俺はこの時、一晩牢で過ごしたせいか、ユーリのせいか、かなり疲れていた。もう、どうでもいいと思いながら、とりあえず宿の風呂へ向かう。ユーリは部屋のソファーで本を読み出していた。ああなると、人の話は聞かないので、俺は黙って部屋を出た。
俺は風呂に入りながら色々と考えた。けれど、やっぱり、ロビーの長椅子の上で寝るしかないかという結論に達する。
そして、部屋に一度戻るために廊下を歩いていると、食堂の方から賑やかな声が聞こえて来た。随分と活気がある。
ただ、そちらに顔を向け、俺は愕然とした。
赤ら顔のオヤジどもに囲まれたユーリが、赤い顔をしてグラスを傾けている。
「おい! 何してる!」
俺はとっさに怒鳴って食堂の中に踏み込んだ。俺の剣幕に、周囲のオヤジどもがさっと引いた。ユーリは、とろりとした眼を俺に向けたが、よくわかっていないらしく、もう一度グラスを口に運ぶ。俺はその手をつかんで止めさせた。そして、オヤジをにらみ付ける。すると、その中の一人が言った。
「え、いや、そのコが、連れに飲ませたいから、おいしいお酒がほしいって。どれがおいしいか、自分で確かめてみるといいって言ったら……」
ユーリにしてみれば、俺が疲れているだろうと思っての善意だったんだろう。けれど、結果的には厄介ごとが増えただけだ。俺は思い切りため息をついた。
「お前が食前酒に飲むような代物とは違うんだ。こんな安酒、お前にはきつすぎる」
んー、とユーリは小さくうなった。
「戻るぞ」
「やだ」
子供か、お前は。
「いいから来い」
「いーや」
赤い顔をして、俺の手を振り払おうともがく。俺は頭に血が上って行くのを感じた。ユーリの手を放すと、暴れるユーリを体ごと抱え上げる。
「やだやだ!」
脚をバタバタと動かして抵抗する。酒癖がこうも悪いとは、知らなかった。
俺は階段を上がり、二階の部屋の中へ戻った。明かりを灯していないので、薄暗い。とりあえず、ユーリをベッドの上に下ろした。
すると、ユーリは俺をにらみ付ける。
「リトラの馬鹿!」
俺のためだったと言いたいのだろう。
「……俺のためなら、何もしないで部屋にいろよ」
その言葉が、ユーリは気に食わなかったらしい。
「リトラの馬鹿!」
二度も言うな。
涙目で俺の胸板をこぶしでぽかぽかと連打する。ほんとに、子供みたいだ。別に痛くはないが、俺は嘆息してユーリの腕を止めた。力で敵うはずもなく、ユーリは自由の利かなくなった腕を揺すって、更にわめく。
「やだ! 放してよ! 触らないで!」
触るなと言う。
その一言が、俺の中の何かを壊した。冷え冷えとした感情に襲われ、俺はユーリの手を放した。ユーリはようやく、ほっとしたようだった。
俺は、扉のそばに置かれていた水差しから、グラスに水を注ぐ。ユーリはそんな俺の姿を黙って見ていた。俺が戻ると、水がほしかったようで、俺に向かって手を差し出して来た。ユーリに礼を言われる前に、俺はそのグラスの水を目の前で煽る。
ユーリは、差し出されると思っていただけに、がっかりした。そして、意地悪をされたと思ったのか、恨みがましく俺を見上げて来る。
空のグラスをベッドに放り、ユーリの首筋に手を差し入れる。とっさに後ろに引こうとした顔を捉え、俺は口の中に残った生温かい水をユーリの口の中に注ぎ込んだ。合わさった唇の奥から、ユーリのうめく声が微かにもれ、俺が唇を放すと、ユーリは激しくむせた。
涙を浮かべてむせ続けるユーリに、俺は冷ややかに言った。
「これで目が覚めたか?」
ユーリは無言のまま、ゆっくりとシーツに包まる。そして、頭も出さず、ピクリとも動かないままになった。
俺は、その晩、部屋の外へ出てやるようなことはしなかった。
明日の朝、ユーリがどう出るつもりなのか、それを確かめるために。
十八歳のユーリですが、ここでは未成年ではないと思って下さい。




