〈7〉 冷たい檻の中
なんだこれ。
どうしてこう、次から次へと騒動に巻き込まれなきゃならないんだろう。
俺は、このやり場のない憤りを持て余し、俺の腕に縄をかけた衛兵に、イライラとした視線を向けた。若い衛兵は目に見えて怯えたけれど、気が済まなかったので威圧を続ける。
そうして、事情を聴くということで、そのまま拘留所に連れて行かれた。
ただ、どうせ事情を聴くつもりなんてないことくらい、うすうす気付いていた。
どう考えてもおかしい。
俺たちは身元をさらすわけには行かなかったし、あの場で抵抗はできなかった。それでも、ユーリを一人にしなければならない今の状況に、ただ苛立つ。
石造りの拘留所の中へ、俺は二人の衛兵に挟まれて入った。カツカツと、やたらに靴音が大きく響く。昼なのに薄暗く、ランプが灯されていた。取調室らしき部屋の中から、多少偉そうな背の低い男が出て来る。さっき、俺を盗人呼ばわりしたあの男と話していたやつだ。
そいつは俺を取調室の中へ入れることなく、その場で身体検査をした。
そして、身分証明書を探り当てる。
本物のアリュルージの方は、ユーリに持たせた。だから、これはフレリアが発行した偽物だ。
そいつはそれを開いて眺めると、へぇ、と小さく嫌な声を上げた。
「リトラ=マリアージュ。スードの出身。……げ、貴族かよ。しかも、新婚だな。相手はまあ、あの娘だよな。そりゃあご愁傷様なことで」
貴族というのは、実際の俺たちの家の爵位とは関係ない。フレリアの言った、ローテルの親戚というやつだ。
俺は黙って小男を冷ややかに見下ろした。帽子のない頭の天辺が心もとない。
「まあ、そのうち出してもらえるだろ。おとなしく待ってるんだな」
その一言で、疑いは確証に変わる。
「つまり、俺ははめられたんだな」
すると、男はにやりと嫌な笑みをこぼす。
「そうなるのかな。目当てはあの娘のようだし」
結局、またそれか。
絶望的な気分のまま、冷たい牢の中へ放り込まれる。
カシャン、と鉄格子の閉まる音がした。
だから、あいつを連れて外になんて出たくなかったんだと、思い切り叫びたかった。
誰も話しかけて来ることはなく、俺は考え得る最悪のパターンを色々と頭の中に描くことしかできなかった。海賊騒ぎを終えて、安堵した途端にまた逆戻りだ。
イライラしてもどうにもならないのに、止められるものでもない。
本を買ってやったくらいで驚くほど嬉しそうに笑った顔が、いつまでも心を支配している。
けれど、そんな時、牢の中が急に騒がしくなった。
「うるさいなぁ! 入ればいいんだろ、入れば!」
甲高い声が、監獄に響く。投獄されるにしては、妙に明るい声だった。衛兵も、そいつの扱いに困っている様子だ。
年齢は、俺と同じくらいだろう。背中まである赤毛に、黒々とした瞳。服装は安っぽいシャツと質素だが、着慣れないものを着ているのだとすぐにわかる。いいとこの道楽息子だな、と俺は思った。
その道楽息子は、人懐っこい顔を俺に向けた。
「あれ? 先客? 何やったの?」
俺は更にイラッとして、そいつに冷ややかな視線を送った。
「うるさい。黙れ」
けれど、そいつはあまり動じなかった。かなり鈍感なのかも知れない。
「なんで?」
きょとんとしている。
「俺は、赤毛の長髪は敵だと思ってる」
それは別のやつのせいで、こいつのせいではないけれど、どっちだっていい。
そいつは、何故かげらげらと笑った。
「なんだそれ。おもしろいやつだなぁ」
何故そこで笑うのか、いまいち理解できない。
「あ、わかった。顔が怖いから入れられたんだろ」
相手にしたら駄目だ。疲れる。
俺はやつに背を向けて横になった。やつは俺の背中に、おーい、おーい、と何度も呼びかける。それでも俺が返事をしないと、やつは諦めて隣の牢に自発的に入った。
それからも、しばらく話しかけて来たが、俺は全部無視してやった。
天井に近い、格子の付いた窓から、月明かりがもれる。時間の感覚はない。
隣の牢からは絶えず声がする。喋るなと言ったら死ぬんじゃないかと思うほどだ。
やつの名は、ジュセルというらしい。訊いてもないのにそう言っていた。
ジュセルの喋りに、俺がストレスを最大に感じた頃、牢に続く階段を下りて来る足音がした。
看守じゃない。ヒールの音。女だ。
あまりに場違いなその音を、俺は起き上がって確かめようと思った。
そして、鉄格子越しに見たその姿に呆然としてしまう。
「あ、リトラ」
のん気な声だ。この状況で。
看守は、入り口付近に控え、ユーリの後を付いて来る気配はない。
「大丈夫? 暴れなかった?」
暴れなかった? ってなんだ。普通は、ひどいことされなかった? とかだろ。
俺は深々とため息をついた。薄暗いこの場所でも、ユーリの肌の白さが際立って感じられる。
水色が主体の、胸の大きく開いたドレス。実家にいる頃に着ていたような上質のものではない。もっとどこにでもある、デザインはきれいでも材質が劣るようなドレスだ。
ユーリは着慣れているので違和感はないが、何故今その格好でここにいるのか。
「どういう状況だ、それは……」
俺が思わずつぶやくと、ユーリは言った。
「うん、リトラに会わせてってごねたら、一回だけならいいって」
平然と言ってのける。多分、海賊船でもこの調子だったんだろう。
「あのね、とある家の娘さんの結婚を、私が代わりにまとめなきゃいけなくなったんだ。ちょっと事情があって、明日相手が来るのに、本人は会えないんだって。騙すことになっちゃうけど、話さえまとまればいいって」
唖然とする。そんな馬鹿な話があるか。
俺は勢いよく鉄格子に組み付いた。
「馬鹿! そんなのに関わってないで、もう国に帰れ!」
「帰れって、一人で? リトラを置いて? そんなのできないよ」
なんで俺が、こいつの足かせにならなきゃいけないんだ。それくらいなら、ずっとここにいる。
ユーリはなんにもわかってない。
もしその相手がユーリを気に入って婚約がまとまれば、そいつらはユーリのこともおまけに差し出して破棄をさせないつもりかも知れない。
「俺はいいから、自分のことだけ考えてろ!」
まっすぐに、ユーリを見続けることができなかった。格子を握り締める手に力を込め、うなだれる。
そんな俺の手に、ユーリは手を重ねた。冷たい手だった。
「大丈夫だよ。なんとかしてみせるから」
この状況で、どうしてそう強い眼をして笑うのか。
あの弱かった子供が自分の足で立って、俺に手を差し伸べるなんて、考えもしなかった。
そして、ユーリは俺に背を向けると、それから一度だけ振り返って言った。
「私は子供の頃、ずっとリトラに守ってもらったから。その借りをいつか返さなきゃいけないって、ずっと思ってた。今がその時だと思えば、がんばれるよ」
「借り? 違うだろ! そんなの、お前が……!」
ユーリは、最後まで俺の言葉を聴かなかった。広く露出した背を向け、背筋よく歩み去る。その背中が見えなくなった頃、俺は鉄格子を力の限り殴り付けた。
そんな緊迫した状況の中、隣から間抜けな声が上がる。
「うっわぁ、すっげぇかわいいコだなぁ。あのコ、お前の?」
壁を隔てていなければ、ひとにらみで息の根を止めてやったのに。
「なんか、ややこしい事情があるみたいだなぁ。俺にできることなら協力してやるから、明日まで辛抱しろよ? なあ、『リトラ』」
思い切り、盗み聞きをしていたらしい。俺は苛立ちを込めて言った。
「牢にぶち込まれてるお前に何ができるって言うんだ? 大体、お前、何やったんだよ」
ようやく俺が相手をしたからか、ジュセルは嬉々として答える。
「え? 俺? 国家反逆罪だってさ」
真面目に相手をした俺が馬鹿だった。




