〈6〉差し出したもの
「知ってますよ、それくらい」
私は、リニキッドに冷ややかな目線を送り、近すぎる顔を押しのけた。私のその態度に、今度はリニキッドが唖然とする。かと思えば、また笑い出した。
「知識として知ってるなんていうのは、知ってるうちに入らないぞ」
そう言って、私の髪をすくう。私は軽くかぶりを振ってその手を払った。
「別にあなたに教えてもらう必要はありません。だって、あなたが私の配偶者になるなんてことはありませんから」
すると、耳元で大きなため息がもれた。リニキッドはようやく私から離れて近くの椅子に腰を下ろした。
「お前、相当にいいとこのお嬢様だな。海賊相手に、あんまり馬鹿なことばっかり言うなよ」
海賊にあきれられてしまった。
「私の配偶者は父が決めます。だから、あなたではない。それがおかしなことですか?」
「親が決める? なんだそれ」
これは、住む世界が違うというやつだろうか。会話がまるで噛み合わない。
「年頃の娘の言葉とは思えねぇな。お前、自分の惚れた男がいいとは思わねぇのか?」
私は、リニキッドの言葉をしばらく考えた。けれど、首を横に振る。
「私、家に対して結構なわがままを通してるんです。ですから、そこは諦めました。勉強させてもらう代わりに、配偶者だけは父の希望に沿います。他に差し出せるものがなかったもので」
「女なら、勉強を諦めて結婚を選べよ」
「嫌ですよ」
女だからという理由が、私は一番嫌いだ。
考えれば考えるほどにため息がもれる。
「私、もう十八です。どの道、自由にできるのは、後一年が限界です。だから、今は私にとって大事な時間なんです」
思わず愚痴をもらしてしまった。言っても仕方がないのに。
「でもな、そうやって、お前が親の決めたやつと結婚してもいいなんて思うのは、惚れた男がいないからだ。もし、それができてみろ。そんな約束をした自分が恨めしくなるぞ」
どうして、こんな話になったんだろうと思う。けれど、私の意見は変わらない。
「私は多分、誰かに恋をするようなことはないと思います。父が誰を選ぶのか、大体はわかってはいますし、その方のことも尊敬することはあっても、愛情を持てるかどうかはわかりません」
リニキッドは心底哀れむような眼をした。大きなお世話だと思う。私には私の幸せがあって、それを誰かに決められたくない。
「ほんとに、おかしな娘だな」
「余計なお世話です」
私がむっとすると、リニキッドはクスクスと笑った。けれど、それは先ほどとは違った笑顔に思えた。その笑顔は、人を惹き付ける力があるようだ。
いきなりキャルレを殴った野蛮さもあるけれど、それ以上に頼りがいのある人なのかも知れない。そんな気がした。
「ところで、船内をもう少し見せてもらってもいいですか?」
思い切って言ってみる。
「図々しいやつだ……」
「駄目ですか?」
「駄目だ」
「ケチですね」
ぽそ、とつぶやくと、リニキッドはすっと眼を細めた。怒ってはいない。あきれているようだ。
「あのな、お前、もう少し自分の置かれている状況を把握しろ。海賊船なんて、野郎ばっかりなんだ」
「それが?」
「俺がお前を部屋から出したら、あいつらは自分たちの番だと思うだろうよ」
「はぁ……」
つまらない。部屋から出してもらえないということらしい。
「じゃあ、我慢します。それで、私、とりあえず王都まで行きたいんですけど。送って頂けると助かります。多分そこで連れが待っているはずなので」
図々しいついでに言ってみた。ずっとここにいるわけには行かないのだから。
リニキッドは、またため息をついて顔を片手で覆った。
「お前と話してると疲れる……。その連れってやつ、家族か? 多分、お前が思ってる以上に心配してるぞ」
「家族みたいなものですけど。心配というか、怒ってはいると思います」
迷惑をかけるつもりはなかったのに、結果としてかけてしまった。調査が滞ってしまったのだから、やっぱり怒っているだろう。
「ところで、部屋にいろというのなら、何か本でも貸して頂けませんか? 航海日誌が一番興味があるんですけど。それも駄目ですか?」
「隣の部屋にあるから、好きにしろよ」
私はその一言で、心からの笑顔を向けた。
「ありがとうございます」
リニキッドははあ、とため息をついた。
「ほんっとに、変なやつ」
そうぼやかれたけれど、私は構わずに隣の部屋に行った。うきうきとその、一番右の紺色の背表紙に指をかけ、一冊を抜き取る。
それから、私はリニキッドがどうしたのか知らない。
昔から、集中すると周りが見えなくなってしまうところがある。多分、おとなしくしていると思って放っておかれたのだろう。
私が我に返った時、気付けば窓の外は暗かった。
けれど、すごく達成感があった。私は最後の一冊を胸に抱き締める。すると、船長室の扉が開いた。
「気が済んだか?」
リニキッドは盆にスープらしきものとパンを乗せて、それを私の横に下ろした。
「お嬢様の口には合わねぇだろうけど」
そんな贅沢は言わない。さすがに、そこまで図々しくはないつもりだ。
「いいえ。ありがとうございます」
私は深々と頭を下げる。
「先代はあなたのお父様なんですね」
「ああ、航海日誌、親父の書いたものもあるからな。親父が二十五年、俺が六年だな」
「キャルレのご家族は海賊に襲われて亡くなっているんですね。それから、漂流していた彼をあなたが助けた」
「四年前まで読んだのか」
「それから、あなたのお母様は酒場でお父様と知り合ったそうですね」
「ん?」
「ちなみに、プロポーズの言葉は……」
「ちょっと待て!」
「君は私の……」
「ちょっと黙れって!」
リニキッドは何か疲れた顔をした。
「お前、家の恥を……。どこまで読んだ?」
恥なんだろうか。なかなかお茶目なお父様なのに。
「全部読みましたよ」
「全部? 三十一年分か?」
「はい。尋ねられれば答えられますよ。この辺りの風の周期も海流も、天体の位置と動きも、どの大陸まで航海したのかも、あなたたちが何故海賊ばかりを狙うのかも」
何故か、リニキッドは唖然としていた。本気で読むと思っていなかったのだろうか。
私は、読めば読むほどに彼らのことがうらやましかった。なんて自由なんだろう、と。
「うらやましい限りですね。どこまでも自由で。私も、男性に生まれていれば、こんな生き方もあったんでしょうか」
すると、リニキッドは私の正面に回り込んでひざを付いた。そして、私の顔を覗き込む。
「そんなに自由になりたいのなら、このままさらってやろうか?」
「え?」
「そうしたら、どこへでも連れて行ってやる。この諸島の外の海も見てみたくないか?」
見たくないのかと問われるなら、見たいに決まっている。
けれど、私はリニキッドの言葉にうなずけなかった。
「見たいですけど、私には私の役割があります。だから、戻らないと。ただ、そう言って頂いたことに感謝します」
そう答えて微笑むけれど、リニキッドは笑っていなかった。
「役割……。親が決めたやつとの結婚か?」
「それもありますけど、それ以外にもあります」
「賢いんだか馬鹿なんだか、よくわからないやつだな」
何故かそんなことを言われた。




