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第4章 目覚め

 翌日から、慧は寝込んだ。

 あの晩、彗星と流星を見つめながら、いつの間にか気を失うように倒れていた。

 晴海が気がついて車に運んでくれたときにはもう随分体が冷えていたようで、朝方おじいさんの家に帰ったときに頭と喉が痛かった。

 帰りの車の中でも気持ち悪くて、山道に止めてもらって、吐いた。食欲が無くて朝も昼も食べなかったけれど、それでも胃液を吐いた。

 家まで送ってもらったときには、ほとんど意識が無かった。

 ただ晴海が、ひたすら謝っていたことだけ、微かに記憶している。

 熱は四十度を越し、体温計の水銀はいっぱいいっぱいに伸びた。

 風邪くらいひくことはあったけれど、こんな高熱を出したのは初めてだった。

 心配した母親に連れられて病院へ行き、熱さましの注射をしてもらっても効かない。

 一瞬下がっても、夜になるとまた上がる。

 闇が何かを連れてくるように、熱が出る。

 うつらうつらしている間、ずっと夢を見ていた。

 空から降ってきた光が、体に入ってくる。

 流星がすっと零れてきて、喉に刺さる。

 細い細い、たとえば針よりも細い、テグスよりも細い、蚊の口よりも細い、細い細い細い金の光が、喉に刺さって、どんどん潜りこんでくる。

 不思議なことに痛くはない。

 ただ、どんなに細くても、痛くなくても、それは異物だ。体に取り入れてはいけないものだ。

 だから慧は身をよじって逃れようとするのだが、体が動かない。

 細い細い細い流星の針は、いくつもいくつも慧の体に刺さり、潜りこんでくる。指に目に、耳に胸に腹に臍に足の甲に。

 刺さったところが熱い。潜っていくところに沿って熱い。

 だから熱が出る。こんなに熱が出る。

 潜りきれない光の針は、糸のように長くしなり、まるで体から生えているようで、それが何本も何本も揺れて渦巻き、やがて繭となって慧を包む。

 金の繭は銀の光で満たされている。

 冷たい光。

 彗星の光だ。

 その中でたゆたう慧の体から熱が奪われていく。凍えていく。

 寒い。寒い寒い寒い。

 痺れた末端はもう感覚が無い。そこにまた、金の光の糸が刺さり、潜り込んでいく。

 熱が出る。 

 その繰り返し。

 高熱が丸三日続いて、入院の必要性が検討されてきた頃――

 慧の熱は、不意に下がった。



 目が覚めたとき、気分がまるで違った。

 すっきりとしていて、全然気持ち悪くない。

 最初に見えた部屋の天井が、妙に美しく、クリアだった。染みの一つ一つが解析できる。

 そう、「解析できる」。そんな言い方がぴったりだ。

 何か今までと違うところで周囲の世界を見ている自分を感じている。それが何かはうまく説明できないけれど。

 試しにそろそろと起き上がってみた。

 どこも痛くない。

 頭も喉も、指も目も耳も足の甲も。夢で光が刺さったところを確かめてみたけれど、蚊に刺されたほどの跡もなかった。

 お臍を覗くのにめくったパジャマが、濡れていてびっくりした。

 汗のせいだ。背中にも腿にも張り付いているのが急に気になってきた。

 着替えたい。

 でもその前にトイレかな……。


 と思った次の瞬間、慧はトイレにいた。


 あれ?


 夢を見ているのか、とまずそれを疑った。

 自分はまだ熱に浮かされていて、夢の中でトイレに来ているのか、と。

 だとすると要注意だ。もう六年生になるのにおねしょだなんて、ありえない。

 使い古された手だけれど、頬をつねってみた。

 ちゃんと触感はある、と思う。

 痛くなるほど本気を出すのはやめておく。

 恐る恐る洋式トイレのふたに手をかけて持ち上げてみる。

 冷たく、重い。

 こちらにもちゃんと感触はある。

 首をひねりながらも用を足す。

 下半身がじわじわ濡れていく――などということもなく、普通に事は済んだ。

「アキラ?」

 水を流す音に気がついたのか、ドアの外から母親の気遣わしげな声が聞こえた。

「起きて大丈夫なの? 熱は?」

「あ、うん。下がったみたい。気分いい」

 トイレから出た慧の額に、母の冷たい手が当てられた。じっと押さえられる。

「……ちゃんと計ってみなさい。枕元に体温計があるから」

「うん。――ねえお母さん、喉渇いちゃった。あとお腹空いた」

 けろりとした様子に、少し母の表情が和らぐ。

「りんごと飲み物持っていくから。先に二階に上がってて」

 しかし、布団まで戻ってはみたものの、シーツも汗でべちゃべちゃで、横になる気がしない。

 同じく汗みずくのパジャマは冷えてきて、体に悪そうだ。

 とりあえず着替えることにした。

「えーと、パジャマ……」

 つぶやいたら、目の前の床に何かが落ちる気配。

 パジャマが置いてある。

 もとはちゃんと畳まれていたものが、ぱさっと落とされて型崩れしたみたいに。

 何よりこれは、今の今までは床ではなく、たんすの中にしまってあったものではないのか。

 さすがにおかしい。何かがおかしい。

 でも同時に、何が起こっているかを慧はうっすらと理解していた。

 右手を開いて、手のひらを見つめる。汗でしわしわにふやけている。

「体温計」

 口に出すのと同時に、手の中に体温計が現れた。じっと見つめる。

 ――浮かび上がれ。

 念じると、体温計はその通りに動いた。


 どうしたものだろう、と思いながら、結局普通に着替えて普通に熱を測った。

 座ってりんごを食べている間に母がシーツを換えてくれる。

 ――念じたらシーツもあっという間に入れ換わるんだろうか。

 試してみたい衝動を押し殺した。

 知られてはいけない類のことだ。その思いが何故か強くあった。

「三十七度二分。――まだ少しあるわね。でも下がってよかった」

 〝マラリアだったらどうしようかと思ったわ。〟

 母が飲み込んだであろう言葉が、重なって聞こえた。

 思わずうめいてしまったが、りんごを飲み込む音でごまかした。

 耳を使っているのではない。

 どこか別の感覚器に、声ではない形で伝わってくる。

 マラリア。蚊が媒介する伝染病。すごい熱。死。障害。脳炎。今は滅多にそんなことは――父ちゃんが戦争に行った時分に――でもまだ春だし――。

 言葉になる前の思考はさらに一段遠く、揺れるさざ波のように断片的なイメージで「聞こえる」。

 そして、母が言葉を続けなかったのは、慧を心配させまいとしてのことなのだ、ということも伝わってきた。

「ね、今……何時?」

 慧が尋ねると、母の思考が動く。

 ――この部屋の時計は――さっきドラマが終わったところだから――ああ、三時――。

「三時ちょっと前よ」

 ――いけないそろそろミホがお昼寝から起きる――おやつの用意――。

「そっか、じゃあお夕飯までもうちょっと寝てる」

 もぞもぞと、いかにもな振りで布団にもぐりこみ、母に背を向ける。

 ――よかった――この間に色々と――ご飯の支度――。

「お夕飯、何か食べたいものはある?」

 ――あ、どうしよう冷蔵庫にはもう何も――ツナ缶ならあったかしら――。

 小さい妹を連れて買い物へ行くのはただでさえ大変なことなのだ。

 ことにここ数日は慧が寝込んでいたから出かけることもままならなかった。

 さっきりんごを取り出すために開けたときの映像が伝わってくる。

 納豆ひとパックと煮物の小皿、ちょっと賞味期限の怪しいハム数切れなど、わびしい限りだ。

「えっと、ねー……たまには猫まんまが食べたいなー……駄目?」

 母の気持ちを「読んで」、わざと甘えた振りで提案してみた。

 ツナ缶を鰹節と醤油で和えただけのものをご飯に載せて食べるのは慧の好物だったが、普段の母は貧乏くさいとか栄養のバランスがとか言ってあまり許してくれない。

「しょうがないわね。まあ、好きなものを食べるのが一番の薬でしょうから、いいわよ」

 仕方なし、という風情を装いながらも、――これで買い物に行かなくても――お父さんはどうせ飲んでくるのだし――私は昨日の残りとお漬物で――、しめしめと思っているのが伝わってくる。

 頭痛がしてきた。

 ちょっとやめてほしい。聞きたくない。

 そう念じると、背後にかぶる心の声がすっと小さくなった。テレビのボリュームを調整するみたいだ。

 ほっとする。最初からこうすればよかった。

「……じゃあね、おやすみなさい」

 少し疲れて、演技ではなく声が小さくなる。そのまま、胎児みたいに体を丸めた。



 他人の思っていることがわかるのはテレパシー。

 念じただけで物が動かせるのがテレキネシス。

 一瞬でどこへでも移動できるのがテレポーテーション。

 「超能力」と呼ばれるものには漫画やアニメで接してきたし、子供向け雑誌の超能力の記事も真剣になって読んだ。

 テレビの超常現象特集は大好きだから、母に渋い顔をされながらもかじりつきで見てきた。

 だから、今自分に宿った力が何と呼ばれるものかはわかる。

 憧れもあった。

 台所の引き出しからこっそりスプーンを拝借して曲げようとしたこともあるし、すごろくでサイコロを振るときは必ずほしい出目を念じた。

 お父さんの壊れた腕時計とにらめっこしていたこともある。

 だが、まさか、こんなにもあっさりと自分の身につくものだとは思わなかった。

 もっとこう、そう、たとえば交通事故などの命の危険に直面して隠れた力が目覚めるとか、そんな展開なら何回も夢に見たのに。

 熱を出しました、目覚めたら超能力者でした。は、何かちょっと地味だ。

 そういうきっかけもアリだとは思うが、どうせならもう少し劇的であってほしかった。

 ――いや、劇的な要素が無かったわけではない。

 あの彗星と、流星雨が怪しいことはわかっている。

 となると、一緒にあの場にいた晴海やおじさんは今どうなっているのだろう。

 気になって、でもやたらに心を覗きたくはないし、と思っていると、母のほうから話を振ってきた。

 晩ご飯を食べていたときのこと。

「晴海ちゃんも熱出して寝込んでるんですって」

「――へえ」

「……そりゃあね、寒いところで一晩中夜明かししてたら風邪も引くでしょうけど」

 とげとげとした雰囲気が感じられる。

 これは別に新しく得た力のおかげではない。

 今回の天体観測について、母は最初反対だったのだ。

 慧が粘ってようやく許可されたのに、それが高熱を出して帰って来て、おまけに数日寝込んだとなれば、やはり色々言いたいこともあるのだろう。

 慧が対応に困って猫まんま用のプラスチックのおさじを咥えて黙っていると、お母さんは取りなすようにちょっと笑った。

「でも、すごかったんですって? 彗星。何か急に明るくなったって、ニュースでもやってたわよ。すごく珍しい現象だって」

「あ、そう……なんだ……うん、そうなんだって」

 ニュース、という言葉が妙に現実的でそぐわない気がした。

 夢や幻覚というわけではなかったらしい。

「あと風邪も流行ってるらしいわ。インフルエンザと言うには時期はずれだけど、お前と同じ、高い熱が続くんですって。もしかすると始業式にお休みする子も出るかもしれないわね」

 そこで妹の美穂がぐずり出したので、話はなんとなくおしまいになった。

 また観測に出かけた件について文句を言われ始めても嫌なので、早々に寝床へ引き返してきた。

 そして今、慧は布団に寝転がり、超能力についてあれこれと考えをめぐらせているのである。

 ――ハルミ兄ちゃんは今どうしてるんだろう。

 やっぱりあの、光の繭に包まれた夢にうなされているんだろうか。自分と同じように。

 目を閉じる。

 と、暗闇の中心にぼんやりと光が見えた。

 覗き込むと視野は徐々に広がり、何かがぼやけて見えた。

 意識を集中すると、UHFのチャンネルが合ってくるみたいに、画像が結ばれた。

 望遠鏡、双眼鏡、天体写真。

 暗くてもはっきりとわかる。晴海の部屋だった。

 二段ベッドの下にぐったりとした晴海の姿があった。夜目にも顔が青白い。

 いや。ただ青白いだけではなくて、仄かに発光しているかのようだ。あの彗星の光に似た、冷たい光。

『そうじゃないよアキラ』

 出し抜けに晴海の声が頭に響いた。

『青や白に輝いているほうが星の温度は高いんだ。前にも話したろ』

 晴海の顔を注視していると、すっと目が開かれた。

 ――あれ?

 戸惑いの気配が伝わってくる。

 ――今、アキラの声がしたはずなのに――僕は一体――ああそうか、熱を出して――。

 慧は思わず呼びかけていた。

『ハルミ兄ちゃん!』

「……アキラ?」

 首をめぐらし、それからそろそろと起き上がる。慧の姿を探しているようだ。

『あ、と、驚かせてごめん。あの、』

 どうしよう。思わず声をかけてしまったものの、何と説明したものかわからない。

 自分に超能力が宿ったこと。その力で今晴海の姿を見、話をしていること。力のきっかけはどうもあの彗星にあるのではないかと思うこと。だから、もしかして晴海も「仲間」なのではと思ったこと――。

『なるほど』

 晴海が顔をしかめた。

『事情はわかった。――だからもうちょっと落ち着いて』

 ――そんなにいっぺんに情報を送り込まれたら頭が痛い。こちらはまだ慣れていないのだから。

 ぱっと視界が明るくなった。

 晴海の部屋の灯りが点いた。晴海が「点けた」のだ。

『なるほど』

 晴海はもう一度つぶやき、小さくうなずいた。

 勉強机の上にあった水差しがひとりでに浮き上がり、コップに水を注ぐ。今度はそのコップがふらふらと宙を飛んで、晴海の手元に届いた。

『便利だなー』

 などと水を飲み干す。

 ハルミ兄ちゃん呑気だ、と思ってから、あ、と口を押さえたが遅かった。

 晴海が一瞬緊張し、それから苦笑いする気配。

『テレパシーって意外に面倒だな。普段は少し《絞って》おこう。送信も受信も』

 その言葉どおり、晴海の声は一つにまとまってクリアになった。ざわざわした心の声が聞こえなくなったのだ。

 ほっとした。

 ――やっぱり、心の声が他人に伝わってしまうなんて落ちつかない。だから、人の心もなるべく読まないようにしないと……。

『うちのお父さんは、大丈夫だったみたいだ』

 晴海が話しかけてくる。

『今階下でご飯食べながら普通に話してる。――お母さんも、静香も、ぴんぴんしてる』

『そっか……』

 彗星を見ていたからというのなら、おじさんもあるいはと思ったのだが、自分たちだけがこんなことになっている、という事実に、安堵のような心細さのような不思議な気持ちになる。

 それからふと、違和感を覚えた。

 送受信を絞ると言いながら、晴海は階下にいる家族の心の中を探ったのだろうか。

 こんなにもあっさりと、何のためらいも無く。

『とりあえず、僕たちだけみたいだよ、《仲間》は』

 にっこりと笑う。その瞳。

 普段は眼鏡の向こうで親しげに笑むその瞳が、微妙に銀色がかって見える。

 もっとよく見たい、と思う意識に同調して、焦点がぐっと絞られる。

 眼鏡をかけていない晴海の目のアップ。

 やはり銀色に見えた。

 といっても黒目部分は普通にいつもの鳶色だ。

 ただ、虹彩をぐるりと取り巻く部分が銀ににじんで見える。

 水彩絵の具でぼかしたみたいに。

 対して白目の部分は妙に白すぎた。充血の一つもない。影が蒼く落ちている。

 それがまた、イメージを呼び起こす。

 例の、冷たい光の。

 ごくりとつばを飲み込む。

 それで集中が切れたのか、アキラの意識は自分のいる場所に戻ってきた。

 目を開けて馴染みの天井を数秒見つめ、それから慧は鏡を探した。

 もしかして自分も同じなのではないかと思ったのだ。

 身を起こし、母の小さな鏡台までにじりよって(瞬間移動は使わないように気をつけた)、覗き込む。

 大丈夫、に見える。

 いつもの黒い目だ。

 ただ、あんなに熱が出ていたのに、やっぱり白目は異常に白く透き通っていて、――ぞっとするほど美しく見える。

『あ、やっぱり新聞に載ってるよ、例のアウトバースト』

 晴海の弾んだ声が頭の中に届いてきた。

 もう一度晴海の部屋を覗いてみる。

 起き出した晴海は、床いっぱいに新聞を広げていた。

 最初は遠見で古新聞置き場を漁っていたらしい。ここ数日の彗星のニュースが見たくて。

 しかし、遠見でページを繰るのが面倒くさくなって、まとめて手元に引き寄せ――今に至った次第。

『ここ、切り抜いて取っておこう。あ、ここも』

 星のことになるとテンションが上がるのも――そして後先考えずになるのも――変わっていないことだけはわかって、慧は何だか安心する。

 今この場で誰かが部屋に来たら、広げた新聞の言い訳をどうするつもりだろう。

 布団の上に戻り、膝を抱えて座った。

『……ねえ、ハルミ兄ちゃん』

『んー?』

『どうしちゃったんだろうね、ぼくたち』

『生まれ変わったんだろ』

 あっさりと晴海は答えた。

 虚を突かれて、一瞬思考が止まる。

 そこに畳み掛けるように晴海の思考が流れ込んでくる。

『いや、今生まれたと言うか、それとも乗っ取られたって言うか――ああ、言葉ってめんどくさいなあ。早くこんな戒めから逃れたいよ、でも僕たちはまだまだ生のままの情報を伝達することに慣れていないんだ、脳の大部分はサボって眠っている、だからどんどん刺激しないとせっかく生まれてきたんだから』

 長い長い旅をしてきた、というのがこの生物のスケールに合わせた場合の表現なのだろうが、実際のところ私たちにはその感覚は理解できない。

 彼らがその感覚のままでは私たちを理解できないのと同じように。

 それでも私たちは融合することが出来た。

 寄生は変異を生み、新しい種となって、今ここに生まれた。

 生まれてくる。

 たくさんの、私たちの/僕たちの仲間。

『運がよかったんだよね』

 晴海は言う。

『成長しきった個体では融合が出来ない。幼すぎる個体では変異が起きない。思春期と呼ばれる成長過程がちょうどいいんだ』

 第二次性徴。

 有性生殖は可能性を求めて求めて辿り着いた進化の形。

 個体としての自己の確立と、種としての存続の欲求が同時に芽吹く時。

 呼ばれた、呼んだ、受け入れられた、受け入れた。

『特に僕らは星を見てただろう。あの彗星を、見てただろう』

 目映く光る鮮烈なイメージは、脳を非常にニュートラルな状態にした。

 膣内がアルカリ性になって精子を殺すことなく受け入れるように、子宮内膜が肥え厚くなり受精卵を着床させるように。

『だから僕らは、ごくすんなり「変われた」。直接見ていない人たちはけっこう大変みたいだよ。熱は長引くし、それでいて肝腎の変化自体は緩やかだったり、ごくわずかだったり。中には抵抗しきってしまう個体や、逆に耐え切れずに死んでしまう個体もいるみたいだ』


 その思考が、本当に晴海から伝わってきているものなのか、慧にはわからなくなった。

 何故なら、それは慧にとっても既知の事実だったから。

 とっくの昔に知っていることだったから。

 目覚めたあのときに、宿った力が何であるかを知っていたように。

 自分は勝ったのだ、と思った。生まれてきたのだ、と思った。あの実感。 


『うん、やっぱり。この近所で、現時点でここまで目覚めているのは僕たちだけみたい』


 晴海の淡々とした言葉の向こうに、蜘蛛の巣のような模様が透けて見える。

 冷たい白銀の糸が夜の闇の中を走る。

 糸の先に、同じクラスの子がいた。四年生のときに同じクラスだった子もいた。地域のバスケチームの先輩もいた。

 みんな、程度の差はあれど同じ熱に浮かされていた。

 見えないけれど金色の光の繭に包まれていた。銀の光に満たされていた。

 そして蜘蛛の巣は、慧にもしっかりと繋がっているのだ。


 吐き気に似たものが押し寄せて、慧は声にならない叫びを上げた。

 天井からぶら下がる電灯が揺れて、蛍光灯が細かくひび割れて砕けた。

 ガラスの破片は、あの夜の流星のようにきらきら光りながら、降り注いだ。

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